プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 7 月 2008

慰労会

3月末で実質的に退職し、その後、顧問と言う名で在籍してはいたが、次の若い世代の執行部を慮って、殆ど会社に顔を出すことはなかった。その顧問も6月末で辞め完全にフリーとなった。

ところが、長い間一緒に仕事をして来てくれた取引先や協力会社が、7月になって相次いで、慰労会やら送別会を設けてくれた。

手前味噌のようで書き難いこと甚だしいのだが、会社同士の関係とは言うものの、本当は個人と個人の関係が仕事を成す上で大事だということを言いたくて、敢えて取り上げる。

バブル崩壊後会社は、接待をすることも受けることも、厳しく制限していたので、現役の時は、ルールに則り必要最小限に絞って対応していたが、今回は相手社が「現役の時は遠慮しておりましたが、引退されたので、感謝とご慰労を兼ねて一度ゆっくり歓談させて頂きたい」と言うので、「忙しいから」と断る訳にも行かず、受けることにした。

社員による送別会は、何回もして貰ったが、取引先や協力会社にして貰う送別会はまた別の感慨がある。前者は四六時中一緒に過ごした人達だから、濃密な付き合いの分、言葉がなくてもお互いの心が分かる。それだけ淋しさがどこか付き纏う。

しかし、後者は少し違う。10年来とか20年来・30年来の関係会社なのだが、自分の会社がここまでこれたのは、長い間神童に指導して貰ったからだと感謝の会のようになる。面はゆい。何とも座り心地が悪い。確かに、出来たばかりでまだ会社の体を成していない頃から使い、教え、一緒に頑張ったから、一概にお世辞とも言えないのだが・・・。

お酒も入り、彼等の話を聞いている内に、会社を辞めた人間を今更接待しても何の意味もないのに、何故わざわざ慰労会なのか、が少し分かった気がした。

それは、社員は簡単に首に出来ないが、協力会社は仕事振りが悪ければいつでも切られるという緊張感の中、最初に自分達を認めてくれたのが僕だったのだそうだ。

更に、該社には昔、僕に鍛えられ、励まされ、酒も飲みに連れて行って貰った人間が何人かいて、彼らが今会社のエースになっているという。一度機会を得て、直接僕に感謝を伝えたかったということらしい。

確かに、僕は社内でも組織や組織名を当てにしなかった。どの部の誰にお願いするか、どの課の誰をチームに入れるかと、全て個人を見て仕事して来た。協力会社や関係先も同様に会社名でなく個人を重視した。

変な話だが、そういう考え方でチームを編成すると、出身母体が違うことなど仕事をして行く上で何の問題もない。ややオーバーに言えば、チームは会社を超えて一体になれたように思う。

これが一般論として正しいかどうかは分からない。だが、少なくとも間違いではなかったようだ。「いわゆる業者の位置付けでなく、神童さんは、うちの社員を神童さんのチームの一員として扱ってくれましたから、皆やる気が違っていました」と、何十年も経ってそんな嬉しいことを言ってくれるのだから。

7 月 14, 2008   No Comments

難しい

浜離宮を散歩中に、Kから携帯に掛って来た電話が気になっていた。Kからは「Sさんが腹を立てて、もうCに協力するのは止める」としか伝えて貰ってないから、掴みどころがなくて余計に引っ掛かる。翌日、僕は早速Cに会って確かめた。

僕はまず、SさんがCに腹を立てていることを、C自身が認識しているのかどうか確認すべきだと思った。そんなつもりじゃなく人を怒らせてしまったり、傷付けてしまうことはよくあることだからだ。その場合は、誤解を解くためにCがSさんに謝罪する場を早急に作れば良い。

ところが、Cの答えは違った。「分かってる。先日の催しの時に他の女性協力者に上から物を言ったので、それは違うって言った。それがやなら降りてくれって暗に伝えた。上から物を言っちゃぁいけないよぉ、会社じゃないんだから」。

だが、これは結果であって、これまでの経緯の中で、いずれはSさんと旨く行かなくなると感じる場面が少なからずあったようだ。様々支援をして貰ったのは感謝しているが、ヘッドは2つ要らないということらしい。

Cも、自分の意に沿わなくても目的達成のためには、少々目を瞑って相手を上手に使えば良いものをとは思うがそれが出来ない。だからCなのだ。出来たらCでなくなる。

関係修復に、僕とKが動く用意があることを伝えたが、ノー・サンキューということだった。Cとしては覚悟の決断だったようなので、僕はそれ以上踏み込むことは止めにした。

それにしても人の心は難しい。協力をして貰う側にとって、最初はその善意に心より感謝したものが、いつしか、意に沿わない支援となってしまったり、最初は純粋に助けようとして動いてくれた人が、一生懸命になればなるほど、自分の意向を通そう、通しても良いだろうと思うようになる。それが、相手には大迷惑となってしまうという不幸。

一生懸命が惹き起すパラドックス。自分にも経験があるから良く分かる。こんなに協力してるんだから、もう少しこっちにも配慮しろよって。

協力や支援に対して一切の対価を求めない。ただ良い仲間でいられることだけ。

ボランティアもNPOも、地域活動も、無償の活動を貫ける人でないと旨く行かない。活動を通じて自分の存在感をアピールしたい、他のメンバーから評価されたい、リーダーと目されたいなどのことだ。長い会社生活で身についてしまったこの辺りのサラリーマン根性をどう始末するか、すこぶる厄介な問題だ。

7 月 11, 2008   No Comments

泉岳寺

浜離宮を出る時、僕はカミサンに「汐留駅から乗り換えの大門駅までは一駅だけど、どうする?」と聞いた。「歩ける距離なの?」「分からん」。すかさずカミサンが「ここから大門の駅まで歩くとどの位かかりますか?」と係員に聞いた。「徒歩20分といったところですかね。大門に行くなら、あちらの方角にJRの浜松町駅がありますから」と教えてくれた。

今度はカミサンが「どうする?」と僕に聞く。「思い切って歩こう!」。さあ、最後のウォーキング。でも正直、ちょっと身体がきつくなって来た。朝から電車に乗っている時以外は全部歩きだからね。僕は徐々に無口になって行った。カミサンは週2回、エアロビクスやジャズダンスで鍛えているけど、僕はたまにやるゴルフくらいだから、耐久レースは大変不利。

遠くに浜松町駅前の国際貿易センターが良く見える。まず、そこまで行って右に真っ直ぐ進めば大門だ。ところがいくら歩いても貿易センターに近付かない。見えているのに近付かない。

僕は、汐留駅から喩え一駅でも地下鉄に乗るんだったと後悔しながら歩いた。信号で立ち止まると、足の裏側がジンジンしている。「電車に乗るんだったな」「そうね。ちょっときついわね」。良かった、カミサンもばててる。負けなくて済むかも知れないと思った。だけど、女房をライバルにしてどうする?

やっとのことで辿り着き、都営浅草線に乗り込んだ。やれやれ。数分で「泉岳寺駅」に到着した。地上に上がって見渡してみたら、泉岳寺の入口が見えた。ほんの数十メートル先だ。近くて良かった。

仁王門の近くに、大石内蔵助の像が立っていて、ここが四十七士の眠るお寺だと教えてくれる。仁王門を過ぎると、全体はこじんまりとしたお寺ながら、正面の本堂は歴史を感じさせる立派な木造建築だった。そこでお賽銭を投げて参拝し、早速四十七士の墓に参ることにする。本堂に向かって左手前にそれはあるという。

そこに行くと、線香を売っている店があり、一束100円と書いてある。入場料は取らないが、入場料代りに買わないといけない雰囲気を感じ一束買った。6~7段の石階段を上ると47個の墓が整然と並んでいる。どの墓の前にも線香が灯っている。一帯の右奥にひと際目立つ墓がある。近付いて見ると、それは案の定、大石内蔵助の墓だった。

四十七士の墓の右隣りには浅野匠守とその奥方の墓もあり、忠臣蔵の主役たちが一堂に会したような墓地だ。この忠臣蔵、戦後マッカーサー司令部の命令で、映画も芝居も一切禁止された時期があった。日本人が、アメリカに対して忠臣蔵のような仇討の動きに出ないようにと。その時、泉岳寺のこの場所も立ち入り禁止か何かになったのだろうか?

泉岳寺駅から地下鉄で五反田に出て、JRと私鉄で自宅に戻った。出発が朝10時。帰宅は夕方5時半。電車と徒歩の旅。脚が棒。疲れた~。

7 月 10, 2008   No Comments

浜離宮に携帯電話

浜離宮には池や堀が全部で5つある。自宅近くの公園にも池はあるが、それに比べると何倍も大きい。その中でも一番大きい池が「潮入(しおいり)の池」だ。最初にこの池が見えた時、中島には左右から2本の橋が架かっているように見えたのだが、右の橋を渡ってみると、中島から奥の方に3本目の橋が渡してあった。橋は3本とも総檜造りだ。

中島の御茶屋は、パンフによると宝永4年(1707年)に造られ、将軍や公家衆がここで庭園の眺望を堪能した休憩所だったそうで、現在の建物は昭和58年に復元したもの。茶屋と言っても決してちっぽけでなく、向こう岸の緑の木々を背景に、大きな池の水面に浮かぶ茶屋の佇まいは、水墨画の世界を彷彿とさせる。

僕等は、3つ目の橋を向こう岸に渡った。そこには「↑富士見山」という標識があった。こんな所に山?と不思議に思いながら登ってみた。階段にして30段ほどか。直ぐに頂上に着いた。頂上は、何本もの大木に囲われていた。

昔は晴れた日にここから富士山を見ることが出来たのだろう。でも今は、この庭園の周囲は高いビルに囲まれていてとても無理だ。この山は以前、日本一低い富士(富士という名の付く山、例えば蝦夷富士、讃岐富士等など)として紹介したテレビ番組を偶然見たことを思い出す。

その後も園内をカミサンとゆったりと散歩していたら、突然、携帯電話が鳴った。いや、マナー・モードにしていたから、鳴ったのではなく振動したのだが。表示は友人のK。「もしもし、Kです。昨日何かあったらしく、Sさんが腹を立てて、もう降りるって言って来たんですが、神童さんご存知ですか?」

知らないよ。「何があったの?」と僕。「それが、私も良くは分からないのですが、Cさんの言動にSさん切れちゃったみたいで」とK。「そう。今日は無理だから明日Cに確認してみるよ。誤解があるなら正さなきゃならないし、そうでないならハッキリさせないとな」と伝えて電話を切った。

こんな素晴らしい墨絵のような日本庭園で女性(全く若くはないが)とデート中なのに、よりによって揉め事の連絡とは何と無粋な。それにしてもこんな広い庭園でもちゃんと携帯は繋がるんだ。

Sさんは60歳代半ばで既に現役を引退されているが、何かとCを支援してくれている人だ。ただ、Sさんは少し我が強い。その点ではCも人後に落ちないからお互いにぶつかることは大いにあり得る。また一つ仕事が増えてしまった。

7 月 9, 2008   No Comments

浜離宮

大江戸線「勝どき駅」から一駅乗って「汐留駅」下車。地下から地上に出たら、そこは大きなビルが乱立するビル街だった。この一帯は数年前に再開発された地域だから、どのビルも新しくて現代的な建物が多い。通りの上空にはモノレールの駅があった。ゆりかもめの「汐留駅」だ。

僕等はモノレールから直角方向に折れ海側に進んだ。高速道路をくぐって直ぐの所に浜離宮入口があった。「中の御門入口」だった。もう一つ「大手門入口」がある筈だが、それはもっと先まで歩かなければいけないらしい。

入場料は300円也。入口で貰ったパンフレットの庭園地図を見る限りかなり広い。25万㎡もある。それよりも地図を見た第一印象は大きな池が沢山ある庭園だなぁということだ。どういう訳か僕は子供の頃から庭園の池を眺めるのが大好きで、その上に橋でも架かっていようものなら、絶対にそこを渡らないでは済まない性分だ。

僕は就職で上京し、40年も東京に住んでいて、一度もここに来たことがなかった。あとで幾つか年下の友人に言ったら、「え!?神童さん、若い時デートで行ったことないんですか?」って不思議がられた。彼が言うには新宿御苑と浜離宮は絶好のデート・コースだったそうだ。

「中の御門」を入って直ぐ右方向に歩くと大きな池が見えて来た。「潮入の池」だ。池の中には中の島がありそこには茶屋が風情ある佇まいを見せている。そしてそして、左右から中の島に橋が架かっているではないか。見た瞬間に僕はこの光景が気に入った。この池は名前の通り海水を引き入れた池だという。

純日本風の庭園で、しかも大きな池が僕の気分を爽快にしてくれる。カミサンをせき立てる様に右側の橋に急いだ。っと、「ゴルフの時は池が苦手だって言ってたくせに、そんなに急いでどうするの!」とカミサン。「ゴルフ場の池はボールに来て貰いたいの。公園の池は人に来て貰いたいの」と僕。

平日の浜離宮はやはり入場者は疎らだった。ただ、護国寺と違って外人さんが目立つ。僕らが急ぐ橋までの細い道にも、白人の家族連れだろうか年配の夫婦がベンチに腰掛け、その前に、20歳から25歳と思しき若い男女3人が立ったまま談笑している。

僕らが近付くと3人が道を開けてくれた。僕はとっさに「サンキュー」と礼を言った。若い女性が「ヨーウェルカム」とにっこりほほ笑んだ。美人でスタイリッシュな上に笑い顔が素敵だ。僕は益々この浜離宮が好きになった。

「良かったね、英語が通じて」ってカミサンが茶化す。「何言ってんだよ、サンキューのたった一言じゃないか。それよりあの娘(こ)可愛かったなぁ」「いい年して何よ」「そうじゃなくて、うちの正樹、外人でも良いからああいう娘(こ)を捕まえてこないかなぁと思ってさ」

7 月 8, 2008   No Comments

護国寺から月島へ

鳩山会館から再び「有楽町線江戸川橋駅」に戻るのは芸がないということで、一駅先の「護国寺駅」まで歩くことにした。鳩山会館からは7~8分掛った。名前の通り、その駅は「護国寺」入り口の目の前だった。「どうする、寄ってみるか?」「そうね、もう2度と来ることはないと思うから寄って行こう」とカミサン。

境内に入ったら、参拝者が数える程しかいない。平日だからか、名のあるお寺にしては本当に閑散としている。敷地がやたらと広いだけに、人の少なさが目立つ。

丁度昼飯時。若いサラリーマン風の者が、コンビニで買って来た弁当だろうか、一人でベンチでぱく付いている。よく見ると、境内のあちこちで同じような人達が、孤独な食事をしている。皆営業担当者なのだろう。取引先や顧客先に出向く途中か帰りか。

ついこの前、定年退職した身には、仕事の途中に境内で安弁当を食べて一息ついている彼等の姿が、何とも物悲しくも見え、また、食事後は家族のために再び頑張るだろうことが分かるので、「頑張れよ!」と心の中でそっとエールを送った。

境内には沢山の墓地があり、その中に大隈重信の大きな墓石もあった。その一角には早稲田大学寄贈の碑もあった。そうか、ここは池袋に近いと思っていたけど、早稲田からの方がもっと近いんだ。

一応、広い境内を一周してから、「護国寺駅」で有楽町線に乗り、今度は「月島駅」を目指した。20分ほどで到着。そこで降りて大江戸線「勝どき駅」まで、月島を散策。途中昼食に蕎麦屋を探しながら散歩した。通りからは、もう一つ向こうの道路まで続く長屋と長屋の間の路地が見える。

次の路地も、また次の路地も、NHKの朝ドラの舞台と全く同じだ。路地の両側には草花が植えられていたり、自転車や子供用の3輪車などが置かれていて、何だか昭和30年代がここに残っているような、懐かしい気分を味わった。

それでも蕎麦屋を注意して探しながら歩いたのだが、もんじゃ焼の店や焼き肉の店は幾つもあるし、ラーメン店、中華料理屋などもあるが蕎麦屋が見付からない。そうこうしている間に地名が「勝どき」と大きく書かれた看板の所まで来てしまった。

仕方ないので、標識に沿って広い道路を右折し勝どき橋を見に行くことにした。この橋は隅田川両岸の築地と月島を結ぶ橋で、昔は、橋の真ん中から割れて持ち上がり大型船を通したが、現在はもう開くことはない。

橋の麓に「デニーズ」があった。既に午後1時半。良く歩いたのでお腹はすくし、まだ、浜離宮も泉岳寺も残っているから腹ごしらえしておかなければならない。他の選択の余地もないので蕎麦は諦めてそこで昼食を取った。

7 月 7, 2008   No Comments

鳩山会館

梅雨の合間の晴天。その日の朝、「今日は雨降らないらしいから、どこか都内の名所に行ってみようか?」とカミサンに声を掛けた。彼女も同じことを考えていたらしく「音羽会館に行ってみたい」と即座に答えが返って来た。「音羽会館って、あの鳩山さんの邸宅のことかい?いいかもね」と相槌を打った、つもりだった。

「何よ~ぉ。気のない返事ねぇ。いやなら別の所でもいいわよ」。正直言えば、古くからの歴史的な建造物ならいざ知らず、立派かも知れないが最近まで鳩山家の人々が実際に住んでいた建物の中を見に行くというのは、何か覗き見趣味のようであまり乗り気にはなれなかったが、カミサンの希望なら仕方ない、付き合うか、っといった心の内を簡単に見抜かれた。

「鳩山会館(通称:音羽会館)がいやだという訳じゃないけど、今日のメインがあってサ、その序でに立ち寄るのなら良いと思ってね」「じゃぁ、あなたの行きたい所は何処なのよ?」「うーん、これといったところがある訳でもないけど、四十七士が眠っている泉岳寺とか、一度行ってみたいと思っていた浜離宮なんてどうかなぁ。現在のNHKの朝ドラの影響で月島・佃島辺りが人気スポットになってるらしいから、そういう下町散策もいいかもね」。

カミサンの提案。「じゃぁ、その全部を地下鉄乗り継いで回ってみる?ウォーキングも兼ねて」「そうしよう」。僕は早速インターネットでそれらを何線のどの駅で乗り換え、どう回るのが効率的かを調べていざ出発。午前10時だった。

家から私鉄とJRに乗り継いで「飯田橋駅」。そこで有楽町線に乗り換え。池袋方面に1駅「江戸川橋駅」下車。徒歩7分で「鳩山会館」入り口に到着。驚いたことに、大型観光バス2台が会館前の大通りに駐車していた。一台は「はとバス」、もう一台は山梨ナンバーだった。「鳩山会館」が東京の立派な観光名所になっていたのだ。

入口の正門からは上りの坂道が続く。両サイドには青紫・赤紫の紫陽花(アジサイ)が咲き誇っていた。結構な距離を歩いてやっと屋敷が見えて来た。門から屋敷までこんなに遠いとは。それも文京区、東京のど真ん中の個人の屋敷なんだから凄いこと。

今は殆ど死語になった「深窓(シンソウ)の令嬢」という言葉が昔あった。門からかなり奥に屋敷があり、外の喧騒など全く聞こえないような場所で大切に育てられた上流階級の娘を指す言葉なのだが、「鳩山邸」は正にそれを偲ばせる敷地だった。

建物も鉄筋コンクリート造りのモダンな佇まい。地下1階、地上2階建で、その上には広い屋根裏部屋がある。1階には応接室が4つ。和室が一つ。2階は、中央に舞踏会も出来そうな大ホールがあり、その両隣りは夫々鳩山一郎氏とその子供威一郎氏の資料室だった。生前は書斎だったり家族の居間だったようだ。和室もある。

また、建物の前面には広い洋風の中庭があって見事なものだ。その庭に立ってみて思い出した。そう言えば以前、小沢一郎や管直人、鳩山由紀夫ほか民主党の幹部等が、この庭に勢揃いして歓談している場面をテレビ・ニュースで放映してたっけ。

7 月 6, 2008   No Comments