プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 8月 2008

音楽の力(1)

音楽をやるようになってから、いろんな場面で音楽の力って凄いと感じることが多くなって来た。「クーペ&Shifo」のコンサートには私の知人友人・会社関係者など多数来て下さるが、その中に、日々旦那さまの看護に追われている同世代の主婦の方がおり、彼女から後日お手紙を頂いた。

「とても素晴らしいライブでした。コンサートなんて20年振りのこと。夫が病に倒れてからは毎日、家と病院とパート先の職場の3か所が全てでした。正直、ライブ会場に来るまでは、娘夫婦に病院の方をお願いしたり、自分の体調もいま一つで気が重く、やっぱり止めて途中で引き返そうかと思ったり、誘って下さった神童さんに申し訳ないから最初の方だけでも聴いて帰ろうと思ってやって来ました。

ですが、Shifoさんの、あの透明感溢れる歌声を聴いた瞬間、それまでの重い気分はどこかに霧消して、引き込まれて行きました。そしてクーペさんの『頑張らないで~♪頑張らないで~♪』という歌を聞いた時、涙が止まらなくなりました。

他のご夫婦は元気にお2人で旅行したり買い物したりしているのに、何故うちだけはそれが許されなかったの?とか、だけど私が挫けたらもう終わりだから私が頑張るしかないじゃない、と自分に言い聞かせてやって来ました。それが、あのクーペさんの歌を聴いて、そんなに頑張らなくていいんだと、何か救われたような、ホッとしたような、心の底に沈んでいた重りから解き放たれた気がして、凄く楽になりました。

行きの電車の中とは違って、帰りは何年振りかで感じた感動と、心の軽さが嬉しくてうきうきした気分でした。身体の中から湧き上がるような活力を感じて、明日からもっと頑張れるような気がしました。そんなコンサートに私を誘い出して頂いて、本当にありがとうございました」。

コンサートを開催する時、いろいろな方面にお願いをして、観客動員をお願いするのだが、自分の誘った人からこのような感想を頂いた時、誘った側としては本当に良かったと、心の底から嬉しくなるのだ。

8月 31, 2008   No Comments

未だに好きになれない

各家庭に白黒テレビが普及した頃、僕が何より好きだったのは、巨人と大鵬と卵焼きだった。当時流行語大賞があったら絶対にグランプリを取っていただろう「巨人・大鵬・卵焼き」は、見事に自分のことを言い当てていた。

今ではたまにしかテレビ中継されない巨人。面白くないからそれも当然。つい最近まで敵のチームの4番を打ってた外人が巨人4番?3番はパの方が似合うよ?あの若い人誰?要するに巨人の3・4番は日本を代表する3・4番という嘗ての巨人じゃなくなった。主役のいない映画みたいだ。

相撲は?朝青龍・白鳳・琴欧州・・・。横綱・大関は日本人じゃなきゃとは言わないが、彼等に比べると日本人力士が弱過ぎて、日本人は何やってんだとどうしても思っちゃうね。

卵焼きは?4月に行った人間ドックで、唯一、コレステロールの高さが問題視され、毎朝食べてた卵焼きはもう食べられなくなってしまった。「巨人・大鵬・卵焼き」・・・あ~あ。

さて、小さい頃嫌いだったものは何だったかな。「地震・かみなり・火事・親父」とは言うけど、地震と火事で怖い目に遭ったことはないから、強いて言えば雷と親父かな。

食いものでは肉が全くダメだったし、バターにチーズにヨーグルトも。野菜も殆どダメだった。ニンジン・牛蒡・白菜・玉葱みんなダメ。それに学校の脱脂粉乳、もうダメ。

親父には「食わず嫌いは男の子のすることじゃない」ってよく怒られた。だけど僕は食べて不味いから嫌いになったのであって「食わず嫌い」じゃ絶対ない。母親の料理が下手だったのかなぁ。いや違うな、姉貴は僕の嫌いなものもたいがい好物だったから。

そりゃ痩せてましたよ。そのまま、今日まで嫌いなものは嫌いのままだったら、メタボの心配もいらなかったのにね。今じゃ、脱脂粉乳を除いて全部好きなものになってる。食い物の好物の転機は学生時代だったな。貧しい下宿生活の4年間はいつも腹を空かせていたから、嫌いだったものが全部好きに変わった。

好きも嫌いも変わりつつ、この年まで人間やって来て、もう人間出来てて良い筈なのに、ダメなんだ。顔には出さないように努力するけど、ダメなんだ。恥を掻かされるのだけは。誇りを傷付けられるのだけは。

8月 28, 2008   No Comments

同期会ゴルフコンペ

先週末は那須方面で、会社の同期の者達8人でゴルフコンペを行なった。昨年は同期会として仙台一泊旅行を実施したが、ゴルフコンペをやるのは一体いつ以来だろうか。多分ここ15年ほどはやった記憶がないから、本当に久し振りだった。

那須国際カントリークラブ朝9時スタートだから、当日東京から行くには4時起きしなければならなかったが、全員時間通りに到着し食堂に集まった。そこで幹事のHから、1人2千円拠出して貰って新ペリア方式で優勝者などに賞金を出すようにしたい、との提案があった。すかさずもう一人の幹事のMが、「優勝7千ポイント、準優勝5千ポイント、3位3千ポイント、ベスグロ千ポイントでどう?」。

この8人の中ではMが他の者達とは頭抜けて上手いので、僕は「Mが優勝もベスグロも持って行くのは決まってるんだから、ベスグロは無しにしようよ。優勝賞金も5千ポイントで良いんじゃない?」と修正提案をしてみた。そうだそうだとなり、Mはやや不満顔だったが、1位から3位までの賞金を減らした分で5位とブービー賞を作って、いよいよコースへ。

標高600mを超える割にはそれほど起伏がなく、フェアウェイも広くて伸び伸び打てる良いコースだ。但し、この日、真夏だというのに、気温が16度。風も出て来て、半袖シャツしか持って来ていない者にはこたえる寒さだ。

僕もその一人。ゴルフバックの中にウィンド・ブレーカーでも入っていないかと探してみたら以前中に入れっぱなしにいておいたのが見付かった。良かった。他の者も見付かったらしく、真夏のゴルフで風邪をひく、何とも締まらない事態だけは避けられた。

ゴルフは久し振りという人もいて、8人中100を切ったのは2人しかいない低レベルの争いとなってしまった。ボーリングのスコアじゃないんだから。2人というのは誰でしょう?Mは当然ですね。もう1人は?何と僕だったのです!それも僕がMに3打勝ったのです。これは奇跡ですよ。何せゴルフを始めて以来僕はMに勝ったことが一度もなかったのですから。

表彰式は今晩泊まる会社の保養所でやることになっていた。僕等の組は風呂から上がった後食堂で少し休んでから保養所に向かうことにした。同じ組だった幹事のHが、マスター室に寄って成績一覧表を食堂に来る前に見て来たとのことで、「優勝はUで、準優勝が俺なのよ。120も叩いて準優勝じゃ拙いよね」と言う。

Mは咄嗟におかしいと思ったようで、「新ペリアと言ってもトリプル止まりにしていないんじゃない?ハンディも40で打ち切りにしないで青天井になってるのかも」と指摘した。「そうか。もう一度やり直して貰って来る」と言ってマスター室に向かった。

Hが戻って来た。「Mの言った通りだったよ。やり直したら、優勝が神童で準優勝がU。俺は目出度く最下位」。Hの何とも恥ずかしげな様子が可笑しかった。僕が言った。「まさかのベスグロ優勝。そうだったら、朝、ベスグロを無くしたり優勝ポイントを下げろなんて言うんじゃなかった」。「だろう?余計なこと言うから」とM。

同期の皆さん、ありがとうございました。全て皆さんのお陰です。来春は僕が幹事やりますから、また是非参加して下さいね。

8月 27, 2008   No Comments

星野バッシング

星野ジャパンが帰国した。テレビ・ニュースで見る限り、どの選手も硬い表情で無言のまま通り過ぎて行く。日本中から金メダルを期待されて臨んだオリンピックの舞台。それが4勝5敗という惨憺たる成績で、メダルどころか負け越しての帰国だから無理もない。

僕は、誰ぞ、生卵でも投げ付ける輩がいるのではないかと心配しながら、テレビを見ていたが、何も起きなかった。国民性とは言うものの日本で良かった。サッカーで負けた南米のチームは、全員揃って堂々と帰国しようものなら、何をされるか分かったものではない。

別々の便で目立たぬようにこっそり帰るのだそうだ。場合によってはほとぼりが冷めるまで帰国しない選手もいると聞く。何回か前のワールドカップで、間違ってオウンゴールをして負けた南米の選手は、怒ったファンに殺されてしまったくらいだから。

そこ行くと日本のファンは優しいし紳士的だ。武士の情けというやつか、「負けた本人が一番辛いから」とか「一生懸命やったんだから」とか言って、終わってしまったことをグダグダ言っても仕方ないと諦めてくれる。

だが、新聞・テレビ・雑誌での星野ジャパンに対するバッシングは容赦ない。プロ野球のOB連中が一斉に非難し始めた。曰く、

「仲良しグループの監督・コーチを組んだ時点で、ありゃダメだと思った」
「長嶋ジャパンだ星野ジャパンだと、監督が目立ち過ぎる。主役は選手なのに」
「予選であれだけ打たれた岩瀬を、準決勝でも3位決定戦でも懲りずに使っては
打たれる。星野は一体何を考えているのか」
「短期決戦なんだから、大黒柱でない限り不調な奴は使わないのは鉄則。復調を
待つなんて悠長なことを言ってられないんだから。岩瀬・GG佐藤・村田なん
かにどうしてあれ程拘るかねぇ」
「アメリカは大リーガー1人も出ていないんだろう?2軍相手に一度も勝て
なかったって訳か」
「プロのスポーツ選手なのに、プレッシャーに弱いのが多かったね。お前達、
それでもプロかって言いたいよ。北島康介みたいなのが2~3人欲しかったな。
代表に選ばれなかった方には何人かいるけどな」
「星野がおかしいと思ったら、田淵も山本も強く言えよ。コーチャーズ・ボッ
クスにただ突っ立ってりゃ良いってもんじゃないだろが!」

星野ジャパンに失望した一般のファンの思いを代弁してくれているから、マスコミの星野バッシング記事が売れるんだろうね。そうしてみると日本のファンは、本心では決して紳士的でもなく、武士道精神に溢れている訳でもない、らしい。

8月 26, 2008   No Comments

宴が終わって

昨日、オリンピックは幕を閉じた。主催国中国の「国の威信を賭けた」「国威発揚」「世界に中国の力を見せ付ける」オリンピックは、その意味において大成功を収めたのだろう。

金メダルは50個を超えるダントツの一位だったし、開会式も閉会式もその演出の豪華さもオリンピック史上最大だったのではないか。中国を凄いと思わせるためなら手段を選ばない。実況中継かと思った花火の進行は事前に撮ったCGだったと言うし、可愛い女の子の歌は口パクだった。

開会式は選手入場まで4時間ものショーとパフォーマンス。閉会式も長かった。これでもか、これでもかと言わんばかりに次々と中国の底力を見せ付けようとしていた。

だが、それを飽きもせず最初から最後までテレビで見ていた人はどの位いたのだろうか。少なくても僕はせいぜい30分が限界だった。主催国としては想定以上の大成功と言うのだろうが、世界はこれで中国を見直したか?

僕が思ったのは、ただ一点。あれほど金を掛けたオリンピックをやれるまでに経済力が付いたのだろうという点だけだった。「どうだ、中国は凄いだろう?」というメッセージを送れば送る程、それは中国の後進性の裏返しにしか見えなかった。言葉は悪いが成金趣味に見えてしまったのは僕だけだろうか?

オリンピックの成功に懸命になり過ぎて、世界が中国に抱く、人権問題、閉鎖性、更に、国民生活の隅々まで入り込む政治の横暴などの不信に対しては、何一つ応えない中国。

中国のある知識人が、「金メダル数は世界一にならない方が良い。一位になるとまた世界から中国が嫌われるから」と言ったという記事を読んだ。そういう人がいることにホッとしながらも、逆に僕は金メダル世界一になって、早く世界の先進国の常識を共有する国になって貰いたいとも思った。

僕の勝手な解釈だが、20世紀型のオリンピックは世界が未成熟の中で行われたから、政治と無関係という建前とは裏腹に、どの国でもいつのオリンピックも「国威発揚」に使われた。その最たるものはナチス政権下のベルリン・オリンピックだった。

21世紀最初のオリンピックをアテネで開催したのも、そういう20世紀型オリンピックを脱却しもう一度原点に戻そう、21世紀はもっとスポーツの素晴らしさを前面に打ち出したオリンピックにしようということではなかったか。

ナチス・オリンピックとまでは言わないが、「国威発揚」が前面に出た今回のオリンピックは、その点で何が違うのだろうと考えてしまった。20世紀型に戻ってしまったオリンピックを、次のロンドンでは、是非、21世紀型オリンピックに変えて貰いたいものだ。

新聞によれば、英国オリンピック委員会会長は、「豪華さを北京と競うつもりはない。スポーツの持つ力や感動・フェアプレー精神などを存分に発信出来るような大会にしたい」と語ったようだ。現代スポーツの多くを編み出したイギリス。その文化度の高さと洗練された精神性の豊かさを世界に示してくれることを期待する。

それにしても、その次の候補地東京では、一体どういうテーマを掲げるつもりなのだろうか?間違っても日本が20世紀型オリンピックに戻すことのないように願いたい。

8月 25, 2008   No Comments

戦友たち

2000年3月、会社合併が発表されると同時に、両社の事務とシステムの統合をスムーズに進めるため、当社側ではシステム部門と事務統括部門を一元的に束ねる「業務改革推進部」が発足した。昨夜はその時の仲間5人が8年振りに新宿で会食し、旧交を温めた。

メンバーはA君、B君、Cさん(女性)、Dさん、それに僕。8年も経つとその間にいろんなことがあって、その時とは随分と変わるものだ。

まず、A君。数年前彼は大病を患い1年弱会社を休んで療養生活を余儀なくされたが、本人の強い意志と頑張りにより、完全に病を克服して職場復帰を果たしたのである。

B君。若いと思っていた彼が、今や関連会社の社長さんである。長年の営業で培った動きの良さと、その並外れた体力で彼は今自分の会社を精力的に改革中である。

次にCさんだが、頭の回転も速く頑張り屋だから、当然仕事も出来る。僕等はみんな彼女は結婚なんか眼中になくキャリア・ウーマンを地で行く人だと思っていた。それが、この5月に結婚したから驚いた。更に、フルマラソンも100kmマラソンも完走してしまうスーパー・ウーマンとなっていた。

Dさんは、今、人事部でシステム関係の仕事を一手に引き受けているらしい。この5人の中では唯一8年前と少しも変わらない。それは彼女の美貌のことだ。残念ながら当時も既に結婚していて、それも変わっていない。

最後に、僕は退職したし、8年前の合併作業の頃は会社を出るのがいつも深夜1時2時。朝8時半には出社するという毎日だったから、音楽のオの字も無縁だった。それが今ではお客さんの前で図々しくも演奏などしている変わりよう。

最もハードだった合併作業。その時の戦友のような5人の飲み会は本当に楽しかった。次の8年後は、一体みんなどんな風に変わっているんだろう?

8月 21, 2008   No Comments

息子と犬

28歳になる息子が半年振りにお盆休みで帰省した。息子はこの夏で札幌勤務が丁度満5年経った。どういう訳か、久し振りに息子を見たら随分昔のことを思い出してしまった。息子と犬との愛情物語ならぬライバル物語である。

我が家は5年前までは30年近くの間、3世代家族6人がひとつ屋根の下に暮らしていたのだ。我が息子からすれば、上に3歳違いの姉がいて、僕等両親がいて、祖父母がいたのだから生まれてこの方ずっと家では一番下っ端だったのだ。

そんなことからか、彼が小学校に入った頃、犬を飼いたいと言って聞かず、遂に根負けした母親が子犬を買い与えた。彼は子犬を物凄く可愛がっていたが、犬はあっという間に成犬になってしまった。

シェットランド・シープ・ドッグ(通称シェルティー)と言って、毛の長いコリー犬を小型にしたような犬だ。異常な食欲の犬だったから、半年も過ぎた頃には体重が15kgを超え、1年後は20kgを軽く超え体格も大きい。犬の品評会などで優勝するシェルティーは、12~13kgだと言うから、我が家の犬の成長スピードの異常さが分かろうというもの。

娘や息子は母親に「これ、本当にシェルティーだったの?コリーの間違いじゃないの?」と聞く始末。当然、小学校1~2年生の息子が扱うには、大き過ぎ重過ぎて彼の手に負えない。勢い犬の面倒はカミサンの役割となって行った。

こうなると犬は現金なもの。一番面倒を見てくれる人になつくもので、もう息子の言うことは一切聞かなくなる。犬の考える家族の序列でも、犬は息子の上位だと思ってる。

夏、息子が自分部屋でクーラーを効かせて勉強していると、犬は彼の部屋のドアを前足で蹴飛ばす。すると息子がドアを開ける。犬は挨拶もせず当然のように部屋に入って行って横たわるのだ。

逆に犬が息子に「早く部屋に連れて行ってクーラーを付けろ」と部屋のドアを蹴飛ばしながら息子に吠える時もある。その時はやはり息子がその通りにしてやるのを何度も目撃した。我が家では犬が息子に命令するのだ。

たまにカミサンが面白がって、食卓で息子の隣に犬も椅子に座らせ、テーブルに息子の好物のハムステーキを2人に振舞う時がある。ある時、犬は自分のハムステーキはさっさと食べてしまって、隣の皿にある息子の食い掛けのステーキを狙ってガブリとやった。

アッと言う間もない早技とはこのこと。息子は自分のを取られた怒りから思わず「バカ」と言って犬の頭を叩いた。それでも犬は一度咥えたハムは決して離すことなく、彼を無視してペロッと食べてしまった。

それを見ていたカミサンが息子をからかうつもりで「まあ、可哀そう」と言って犬を抱き締めたから、さぁ大変。息子は我慢し切れず、犬への怒りと悔しさと嫉妬で感情が堰を切ったかのように泣き喚いたのだった

犬にも見下されていたそんな幼かった息子が、札幌で一人暮らしをしながら5年も会社員が務まっているのだから、これは天に感謝しなければならないだろう。

8月 19, 2008   No Comments

時代おくれ

昨夜、もうオリンピックにも飽きて、何か違うことやってる番組ないかとチャンネルを回していたら、偶然、矢代亜紀の歌う「舟歌」が聞こえて来たので、そのまま番組終了まで見てしまった。何を隠そう、その昔、カラオケでどうしても歌わなくてはいけない時、僕が歌える唯一の曲だったからだ。

NHKのBS放送だった。丁度一年前の8月1日に亡くなった阿久悠の残した数々のヒット曲を振り返る特集だったようだ。俳優の緒方健が阿久悠の残した随筆や手記を朗読しながら番組は進んだ。

僕が見始めたのは、もう最後の方だったみたいだが、阿久悠が自然と頭に湧いてくる詩を書き留めて、あれだけの数を残したのではなかった。いつもいつも、テーマを持って作詞して行った。その時代の空気を掴み、その先にあるものを弄りながら、或いは、その時代が気付かずに通り過ぎてしまいそうなものをテーマに言葉を紡いで。

そんな彼の歌が次々に紹介された。歌手が歌うその映像はその当時の紅白歌合戦のビデオテープだった。懐かしい。そして、番組はラストを迎えた。テレビには阿久悠が生前、テレビのインタビューに答えた映像が映し出された。

そこで彼は「東京オリンピック以降と言うか大阪万博以降、日本は高度成長期に入り、物凄い勢いで進んで来た。普通の歩幅が70~80cmだとすれば、その倍くらいの歩幅で駆け抜けたようなものではないか。僕はその大きな歩幅の中に、今、もっと大切にされて良いものを置いて来てしまったような気がして「時代おくれ」という歌を作りました」。

これには正直驚いた。「時代おくれ」って、あの河島英五の「時代おくれの男になりたい♪」って曲のこと?それとも同名の別の曲かなぁ?アナウンサーが「それでは締め括りは、河島英五の「時代おくれ」を聴きながらお別れしたいと思います」。う~ん、やっぱりあの曲だ。

僕はその曲を河島英五の作詞作曲だとばかり思っていたから、本当に驚いたのだ。その詩は彼の声、彼の風貌にぴったりだし、時代に逆らうような河島英五の生き方の中から生まれた詩の如くに説得力があったからだ。更に驚いたのは作曲も森田公一だった。凄いことだね、プロというものは!本人より本人らしい曲を作っちゃうんだから。

♪一日二杯の酒を飲み肴は特にこだわらず
マイクが来たら微笑んで十八番をひとつ唄うだけ
♪妻には涙を見せないで子供に愚痴を聞かせずに
男の嘆きはほろ酔いで酒場の隅に置いてくる
♪目立たぬようにはしゃがぬように似合わぬ事は無理をせず
他人の心を見つめ続ける時代おくれの男になりたい

♪・・・・・・・

8月 18, 2008   No Comments

支える

「クーペ&Shifo」のマネージャーでマクという女性がいる。彼女はNHKホールにせよ、国際フォーラムにせよ、会場側と粘り強く交渉して、「クーペ&Shifo」が単独ライブを行うことを認めさせて来た実績を持つ。

このような超一流の会場は、単に日程が空いていれば誰にでも貸してくれるという訳ではない。会場側の基準に合うかどうかの極めて厳格な審査があるのだ。その最大の基準は、その会場を満員に出来るような力のあるアーティストか、この会場の名に恥じない出演者かどうか。

しかし「クーペ&Shifo」は、あちこちでコンサートを行なって来たと言っても、テレビで良く見掛けるような、一般人に知られたミュージシャンでもない。

こういう場合は挙げてマネージャーの手腕に懸かる。「クーペ&Shifo」をどういう風に売り込み、観客動員数も過去の実績をどう説明して、会場側に「結構力のあるグループなんだ」と思わせるしかない。

マクは、物凄い執念で日参し、説明を繰り返して、遂に会場の使用許可を取り付けて来たのだ。最近も新たな会場をターゲットにタフな交渉を行なって、来年5月に新宿初台のオペラシティーでのライブを決めて来た。勿論、コンサートに向けては彼女が諸準備を進め、当日の裏方の仕事一切を仕切る。

そんな彼女が、自分のブログで「光と陰」、或いは、「表と裏」について書いている。光とか表というのは謂わば主役のこと。陰や裏は主役を支える裏方のことだ。

「表に『大変だったね』と言って貰えるだけで私はいつでも裏になれる。褒めて貰わなくていい。公表して貰わなくていい。ただ分かって貰えてさえいれば」と書いている。

「分かって貰えてさえいれば良い」とは。彼女も人生というものをかなり深く理解し始めたと感じる。彼女のブログからいろいろなことを思い出した。

僕もある金融機関のシステム部門を39年間やって来た。システム部門は正に会社の縁の下の力持ちの部署。商品開発部門や営業部門のように脚光を浴びる部門ではない。

システム部門の役割は、脚光を浴びるそれらの部門がより能率良く活動出来るよう良いシステムを提供すること、或いは彼等のニーズと問題点をしっかり把握して、システム化して解決してやること。

商品部門や営業部門、並びに経営陣など、表にもいろいろいて、裏を分かっている表、裏を少しも理解しない表、更には表の自覚のない表なんてのもいたなぁ。そんな経験から言えば、裏を分かっている表を神輿に担いだ時が一番頑張れた。

マクの今が正にそれだと思った。一番いい時。頑張れ!頑張れ!マ~ク!!

8月 16, 2008   No Comments

虎ノ門のビートルズ(3)

第1部のステージが終わった。「アップルビーツ」、リズム感もサウンドもボーカルも、そして迫力まで、本当に素晴らしい。僕はビートルズ初来日時の公演(於武道館)をテレビに噛り付いて聴いていたので、案外とコーラスが下手なビートルズを知っているから、僕は「アップルビーツ」の歌うビートルズには大満足なのだ。

序ながら、その武道館ライブで一番酷かった曲は、東京でレコーディング&リリースすることになっていた「ペーパー・バック・ライター」だ。特にジョージのファルセットのコーラスが音程が取れず不協和音になっていた。だから、「アップルビーツ」をビートルズより上手いビートルズと言ってるのだ。

ステージから降りて、「アップルビーツ」のメンバーが全員僕等のテーブルに挨拶に来てくれた。「素晴らしい!」と僕は彼等の演奏を称えた。「ありがとうございます」「Kさんや神童さん、それにA子さんにも来て貰って本当に嬉しいです」と「ポッツ」。こんなに喜んでくれるならしょっちゅう来てもいいかな。

第1部の途中から客もかなり増えて満員に近い。「それにしても、満席に近いじゃないか」と言うと、「サム」が「こんなこと初めてです。神童さんが来てくれたからですよ、きっと」などと可愛いことを言う。「いやー、君達の人気が定着して来た証拠だよ」。

僕は聴いていて、正直、彼等は前より確実にレベルアップしていると思った。東京のど真ん中で、ビートルズの生演奏で売っている店だよ。客も相当なビートルズ・マニアが多いだろうから、かなり鍛えられる筈だよ。

でも彼等の良いところは、「どうだ!」と客に勝負を挑むようなステージでなく、大好きなビートルズをお客さんと一緒に心から楽しもうという雰囲気で演奏していることだろう。「ズー・ジョン」・レノンの何とも心温まる歌い方。僕は好きだなー。少しはにかみながら一生懸命にギターを弾くジョージ・「キャップ」。

彼等が他のお客さんのテーブルに挨拶に移動して行ったところで、「今日は何ステージまでOK?」とK君に聞くと、「犬が一人で待っているから、2ステージ目が終わったところでお先に失礼する」と言う。それって若しかして、僕等に気を使ってるの?でもA子はどうなんだろう。「第3ステージまで聴いて行きたい」。意見が一致した。

2ステージが終了。「それじゃぁ、お先に」と言ってK夫妻は帰って行った。僕等のテーブルは僕とA子の2人だけになった。「じゃぁ、少し飲もうか」「いいですねぇ」。

第3ステージのラスト・ナンバーは「ポッツ」の「ロング・トール・サリー」。この曲はその昔、リトル・リチャードのヒット曲として知られ、その後プレスリーなども歌ってるが、ポール・マッカートニーのキーは彼らより遥かに高いので、超ハードなロック・ナンバーとして有名だ。しかし、「ポッツ」の「ロング・トール・サリー」は、それをも超える。

その余韻に浸りながら2人は、後ろ髪を引かれる思いで虎ノ門「ムーンドッグス」を後にしたのであった・・・。

8月 15, 2008   No Comments