プレミアムエイジ ジョインブログ
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北島康介の強さ

本番にこれほど強い日本人は嘗ていただろうか?前回のアテネ五輪で二冠に輝いたあと、長いスランプと怪我に見舞われながら、オリンピック・イヤーの今年、五輪選手選考会で世界記録を作るなど、見事な復活を遂げていた。そして、北京では、100m平泳ぎ決勝で、前人未到の59秒の壁を破る58秒91の世界新で優勝したのだから凄い。

当「プレミアムエイジ」で誰かが北島を書くだろうと思っていたが誰も書かないようなので、代わりに僕が書く。

アテネ五輪の翌年(2005年)、世界水泳などで北島はライバル、ハンセンに一度も勝てなかった。オリンピック二冠の栄光は一気に色褪せて行った。それとは好対照に最早世界はハンセンの時代に移ってしまったかのよう。北島が絶対の自信を持っていた200m平泳ぎでは、隣コースのハンセンに世界記録を出されて完敗という屈辱も味わった。

翌2006年には、日本選手権で初めて日本選手にも惨敗を喫して、流石の北島も、水泳をやめようかと本気で悩んだらしい。その頃、ハンセンはテレビのインタビューで「今、北島に声を掛けるとしたらどういう言葉を贈るか?」と質問され、「何とも言えないね。グッドラックとしか言いようがない」と答えている。

どうもこのハンセンの発言が北島の闘争心に火を着けてしまったようだ。平井コーチは北島に泳ぎを進化させようとこんなことを言ってる。「四輪駆動の泳ぎを作り上げてみないか?」と。

つまり、これまでの北島の泳ぎは、天性の強い下半身、強いキック力を生かした泳ぎだったが、ハンセンに比べ小柄な北島は、どうしても体力的に不利で、残り50mのスピード強化が課題になっていた。

平井コーチは、両腕を鍛えに鍛えて、両手の掻きと両足のキックの前輪後輪の両方で推進力を高め、その分ストローク数を減らした省エネ泳法を北島に授けた。これにより北島は2007年に入ってやっと復活の手応えを掴んだのだ。

そして、冒頭の如く、オリンピック選考会のレースで200m平泳ぎで世界新を記録するなど、4年振りに世界大会で金メダルを狙えるまでに復活したのだった。

しかし、オリンピックでは、ライバルはハンセンでなく、ダーレ・オーエンというヨーロッパ・チャンピオンに代わった。予選・準決勝ともオーエンが世界記録に迫る泳ぎで全体の1位、北島も決して悪くはないが2位。

僕は、いつまでも、北島・ハンセンの時代ではないから、遂に世代交代、主役交代の決勝レースになるのかと不安を感じながらレースに注目した。

前半、北島があの四駆泳法で、ゆっくり見える泳ぎ方なのに、50mのターンでは、ほぼ同時の3位。僕はそれを見て、「北島、行ける」と思った。残りの50mは誰よりもパワーを温存している筈だから、一気に行く筈。その通りに、ターンで水面に出た時はもう頭一つリードしていた。あとは皆さんご存じの通り、テレビで世界記録のペースを示す緑の線より腕が前に出た速さでゴール。金メダルだ。

北島は圧倒的に強かった。試合後のインタビューで感極まり暫く質問にも答えられなかったが、僕はその長い沈黙がどんな言葉より雄弁に、4年間の苦悩を乗り越えた喜びと、再び世界記録で王座に返り咲いた喜びとを表していると思った。

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