Posts from — 8 月 2008
虎ノ門のビートルズ(2)
僕等が虎ノ門のライブハウス「ムーンドッグス」を訪れた何日か前に、東京郊外で「クーペ&Shifo」のライブがあり、「アップルビーツ」のドラマー「わにどら」が裏方の手伝いに来てくれていた。
その時僕は彼に「近い内に虎ノ門に君等のステージを見に行くよ」と言ったら、「神童さん、それは凄く有難いんですけど、店が今にも潰れそうで、丁度今日、店のオーナーがビル・オーナーにもう少し続けられるように交渉する日なんです。それ次第で閉店になるか続行となるか、という状況でして・・・」と、申し訳なさそうに言う。
「次の君等の日はいつだったっけ?」「一応明後日の火曜日ですけどね」「分かった。一応その日に行くつもりでメンバー集めるから。その前に閉店が決まったら教えてよ」と、かなり深刻な会話をしてたのだ。
が、取り敢えずはもう1ヵ月続行出来ることになり、僕等も初めて店にやって来ることが出来たのだ。だが、実際来てみるとどうだろう。ステージが始まる前だけど、僕等を入れてもう20名弱の客が来ている。40人ほどの収容力らしいから決して悪いことない筈だがな、と僕は思った。
「アップルビーツ」のステージは、各ステージ30分で全部で4ステージ。第1ステージは20時から、第2ステージ以降は夫々21時、22時、23時開始。
僕はK君の奥様と始めて親しく話させて貰った。栄養士として横浜に勤務されているのだそうだ。日頃、ゴルフに飲み会にK君を引っ張り回しているお詫びをしながら、楽しく会話をさせて貰った。とても若々しく美しい方で、話していてこちらがとても楽しくなれる女性だった。K君にはもったいないくらいの方だと思った。
その奥様が僕の隣の女性A子を「神童さんの恋人かと思いました」なんて、ドキッとするようなこともおっしゃる。どう説明しようかなと思ってたらK君が代わって説明してくれた。「A子さんは会社で庶務をやっていて、神童さんの秘書代わりをしていた人だよ」。「初めまして」。それをきっかけにステージが始まる迄4人で洋酒を飲みながら談笑したのだった。
「アップルビーツ」の演奏が始まった。1曲目「アイソーハースタンディンゼア」。ジョン役「サム」が歌う。女性が歌うのに雰囲気は完全なるビートルズなのが不思議だ。ポッツ(ポール役)が歌う「アンドアイラブハー」は初めて聞いたけど、いいねえ、青春が蘇る。ポールそっくりと言うよりもポールそのもの。
メンバー全員が夫々1~2曲歌って、第1ステージ最後の曲「カンサスシティー」。ポッツが歌った。乗りの良い曲だから、グループで来ていた客達は、お酒の勢いもあって椅子に座りながら体を揺らしている。
8 月 14, 2008 No Comments
虎ノ門のビートルズ(1)
先日、虎ノ門にある「ムーンドッグス」というライブハウスに、本物のビートルズより上手いビートルズを見に行って来た。彼等は男4人に女性1人の5人組だ。男4人はジョン役の「ズー・ジョン」、ポール役の「ポッツ」、ジョージ役の「キャップ」、それにリンゴ役の「わにどら」。女性は「サム」と言ってジョンの曲を「ズー・ジョン」と交代で歌う。
男は全員40代50代のいいおっさん達なのだが、ビートルズ一筋20年・30年だから、ビートルズがビートルズだった期間の倍以上ビートルズをやっていることになる。だから彼等は物凄く上手いし、夫々の役になり切っていて、歌う曲も原曲通り自分の曲以外(他のメンバーの曲)は決して歌わない。声は紛れもなくあのビートルズの声だし、しぐさや顔付もそっくりなのだ。
「サム」はこのバンドのマスコットのような存在で、ジョンの曲を歌い、ギターを弾く時の何とも楽しそうなその笑顔はとても可愛らしくて、荒んだ心を一瞬にして癒してくれる、僕らおじさん達のアイドルと言っても良い。但し、年齢は不詳。
バンド名は、「アップルビーツ」。何故僕が虎ノ門の店で人気のこのバンドを知っているかと言うと、2か月ほど前まで、クーペの店で毎週木曜日に彼等が演奏していたからだ。そこにたまたま「虎ノ門ムーンドッグス」のオーナーが飲みに来て、大いに彼等を気に入り、オーナーがクーペに頼み込んで、「アップルビーツ」の虎ノ門への移籍が決まった経緯がある。
僕も彼らが大好きだったので、遠くへ行ってしまうのは本当に残念だったが、何より彼等が東京のど真ん中で活躍出来るならと気持ち良く送り出したものだ。
「クーペ&Shifo」と一緒に僕も出演させて貰った4月のNHKホールでは、出演する訳でもない「アップルビーツ」が、全員裏方に徹して最初から最後まで舞台裏を手伝ってくれた。凄く良い奴等なんだ。
そんな彼等を是非一度、虎ノ門に見に行きたいと思い、僕は前の会社の同僚のK君を誘ったら、彼は「家内を一緒に連れて行きたい」と言う。それではということで、僕も現役時代秘書役をやってくれたA子を誘って4人で押し掛けることにした。A子は、確かまだ30歳前後の筈。良くぞこのロートル・グループの誘いに応じてくれたものだが、実はA子も彼等のファンなのだ。
20時開演と聞いていたから19時半に店に入ったら、「アップルビーツ」がステージ上でマイク・テストやアンプの接続などをやっていた。彼等は直ぐに僕等に気付き、嬉しそうにニコニコ顔で僕等のテーブルにやって来た。「ご無沙汰しています」「良く遠くから来てくれましたね」「凄く嬉しいです」などと口々に言ってくれる。嬉しいのはこっちの方だよ。
8 月 13, 2008 No Comments
北島康介の強さ
本番にこれほど強い日本人は嘗ていただろうか?前回のアテネ五輪で二冠に輝いたあと、長いスランプと怪我に見舞われながら、オリンピック・イヤーの今年、五輪選手選考会で世界記録を作るなど、見事な復活を遂げていた。そして、北京では、100m平泳ぎ決勝で、前人未到の59秒の壁を破る58秒91の世界新で優勝したのだから凄い。
当「プレミアムエイジ」で誰かが北島を書くだろうと思っていたが誰も書かないようなので、代わりに僕が書く。
アテネ五輪の翌年(2005年)、世界水泳などで北島はライバル、ハンセンに一度も勝てなかった。オリンピック二冠の栄光は一気に色褪せて行った。それとは好対照に最早世界はハンセンの時代に移ってしまったかのよう。北島が絶対の自信を持っていた200m平泳ぎでは、隣コースのハンセンに世界記録を出されて完敗という屈辱も味わった。
翌2006年には、日本選手権で初めて日本選手にも惨敗を喫して、流石の北島も、水泳をやめようかと本気で悩んだらしい。その頃、ハンセンはテレビのインタビューで「今、北島に声を掛けるとしたらどういう言葉を贈るか?」と質問され、「何とも言えないね。グッドラックとしか言いようがない」と答えている。
どうもこのハンセンの発言が北島の闘争心に火を着けてしまったようだ。平井コーチは北島に泳ぎを進化させようとこんなことを言ってる。「四輪駆動の泳ぎを作り上げてみないか?」と。
つまり、これまでの北島の泳ぎは、天性の強い下半身、強いキック力を生かした泳ぎだったが、ハンセンに比べ小柄な北島は、どうしても体力的に不利で、残り50mのスピード強化が課題になっていた。
平井コーチは、両腕を鍛えに鍛えて、両手の掻きと両足のキックの前輪後輪の両方で推進力を高め、その分ストローク数を減らした省エネ泳法を北島に授けた。これにより北島は2007年に入ってやっと復活の手応えを掴んだのだ。
そして、冒頭の如く、オリンピック選考会のレースで200m平泳ぎで世界新を記録するなど、4年振りに世界大会で金メダルを狙えるまでに復活したのだった。
しかし、オリンピックでは、ライバルはハンセンでなく、ダーレ・オーエンというヨーロッパ・チャンピオンに代わった。予選・準決勝ともオーエンが世界記録に迫る泳ぎで全体の1位、北島も決して悪くはないが2位。
僕は、いつまでも、北島・ハンセンの時代ではないから、遂に世代交代、主役交代の決勝レースになるのかと不安を感じながらレースに注目した。
前半、北島があの四駆泳法で、ゆっくり見える泳ぎ方なのに、50mのターンでは、ほぼ同時の3位。僕はそれを見て、「北島、行ける」と思った。残りの50mは誰よりもパワーを温存している筈だから、一気に行く筈。その通りに、ターンで水面に出た時はもう頭一つリードしていた。あとは皆さんご存じの通り、テレビで世界記録のペースを示す緑の線より腕が前に出た速さでゴール。金メダルだ。
北島は圧倒的に強かった。試合後のインタビューで感極まり暫く質問にも答えられなかったが、僕はその長い沈黙がどんな言葉より雄弁に、4年間の苦悩を乗り越えた喜びと、再び世界記録で王座に返り咲いた喜びとを表していると思った。
8 月 12, 2008 No Comments
頑張り過ぎは罪3
客観的に見てAの不満は半分的を射ている。サブリーダー達は優秀なSEなのだから、その気になれば問題解決策の一つや二つ考えられる筈なのだ。
Aのプロジェクト運営方針がどうであれ、サブリーダーたる者、そういう時こそ力を発揮するのが役割だ。どういう状況でもしっかりした仕事をするのがプロというもの。だから、メンバーが力を100%発揮していないとAが言うのも、あながち間違いではない。
しかしだ。Aの方が彼らよりも力があると目されたからこそ、この重要プロジェクトを任された筈だ。であれば、この時期に予測不可能な問題や、様々な考慮漏れが発生し、チーム全体が多忙を極めることはAが一番分かっていた筈なのだ。
それを予測出来ていなかったとすれば、「自分がリーダーをやる限り絶対にそんな事態にはならない」と思う、余程うぬぼれの強い奴か、「そんなこと考えたこともない」という能天気な奴かのどちらかだ。
Aはその時期に備えて、少なくともサブリーダー達に権限委譲をして彼等に責任を担って貰っておくべきだった。A一人ではとても追い付かないからだ。Aは最悪に備えるという発想が根本的に欠けていたと言うべきかも知れない。
プロジェクトがニッチもサッチも行かなくなった最悪の状況を切り抜けられるとすれば、それは「何としても遣り遂げる」という執念なのだ。その執念・執着は一人リーダーだけが持っていたって大したパワーにならない。プロジェクト・チーム全体の執念や目標達成意欲が、自主的・主体的アイデアを生み壁を乗り越えるパワーとなる。
Aは計画の最初から、執念作りに失敗した。全て自分一人で考え細部を決めて来たので、参加メンバーにとっては、今作ろうとしているシステムが自分の作品だという感覚を持てないまま推移してしまった。Aの頑張り過ぎが招いたチーム全体のシラケと言える。
人々の心に火を着けるのがリーダーなのに、火を消してどうする。Aの上司であるK次長が動いた。鼻っぱしの強いAにプロジェクトを任せたものの旨く行っていないことは分かっていたらしい。それでもかなり我慢して見守っていたが、計画遅延が明らかになるに及んで、これ以上Aに任せておけなくなったのだ。
KはまずAと話した後、サブリーダー層から現状認識と問題点を次々と聞いて行った。サブリーダー達の意見が完全に一致しているのは、残りの期間でシステムを完成し稼働させるのは不可能という点だ。一方Aは、簡単ではないが期限は守れると言う。Kにはその根拠が見えない。
より重要な問題は、全ての権限と情報はAに集中し過ぎて、サブリーダー達が全貌を捉えにくく、互いに連携するということが難しくなっていることだ。言い換えれば、リーダーのAとサブリーダー層との間には決定的とも言えるコミュニケーション不足があり、もっと言えば心の離反が起きてしまっていることだった。これではとてもピンチを切り抜けられない。
事ここに至ってKは、Aを外して自らがリーダーを務めることを決意し、経営陣に罵倒されながらもスケジュール延長の了解を何とか取り付け、当初より3か月遅れながら完成に持ち込んだのであった。
頑張り過ぎは罪-了-
8 月 10, 2008 No Comments
頑張り過ぎは罪2
それでも何人かのサブ・リーダー達は、どうせやるならより良いものにしたいと幾つかのアイデアをリーダーのAに提案したが、「このプロジェクトは俺が全責任を負っているので、悪いが今回は俺のやりたいようにやらせてくれ」と言われ、悉く提案は受け入れられなかった。
尤も、その提案は、僕から見てもAの考えの上を行くものではなかったのだが・・・。しかし、こういうことが何度かあると、もうメンバーは提案をしなくなり、プロジェクト・チーム全体のモチベーションは下がって行く。
優秀なSEが集まったチームの割には、喧々諤々の議論もあまり見掛けないし、熱さも伝わって来ない。ただ整斉とAの指示に従って皆が動いているだけの状況に見えた。誰もがこれまでで最も積極果敢なチームになるだろうと思われていたチームが、Aを除いて全員が「指示待ち族」に化して行ったのだ。
プロジェクトも中盤を過ぎいよいよ佳境に入って行くと、予測出来なかった様々な問題にぶつかるもの。その一つ一つを知恵を絞って何とか解決しながら進むのが、システム構築プロジェクトの宿命みたいなところがある。
全てをAが判断し指示するやり方で来ていたので、こういう状況になるとAは大変だ。次から次に発生する諸問題に忙殺され、Aがリーダーとして手を打たなければいけない次の工程の準備や折衝にまで手が回らなくなって行く。遂にプロジェクトの遅延が明確になり始めた。
この時期に至ってAは不満を抱え込む。「何で俺だけが忙しいんだ。何でもかんでも俺のところに持って来ないで、少しは自分で考えろよ!」、「計画が遅れているのは、皆が100%力を発揮していないからだ」と。「でもそれを望んだのはAさん、あなたですよ!」サブリーダー達の内なる声が聞こえる。
8 月 9, 2008 No Comments
頑張り過ぎは罪1
現役時代、システム構築に関する社内外の様々なプロジェクトを見て来た。そんな中で、良く出来る奴が、いや、出来過ぎるくらいに出来て、アグレッシブでエネルギッシュで集中力の物凄い奴がリーダーを務めた、あるプロジェクトの悲惨な物語を書こう。
彼Aは、34~35歳のバリバリのSEだ。小さなシステムのリーダーは幾つか経験があるが、今回は誰もが注目する重要なシステム構築プロジェクトだ。そう、Aは初めて本格プロジェクトの責任者に抜擢されたのである。
この本格的プロジェクト・チームは社内から選抜された専任メンバー10数人、社外メンバー(協力会社という)の内、常駐者20~30人規模で、開発期間10ヵ月という短期にしては規模の大きいシステム開発だった。
Aは、初めての大仕事を何としても成功させたかった。そして、この仕事の成功を自分の今後のキャリアのステップにしたいと考えていた。誰でも優秀な男であれば、自分の人生の勝負どころをハッキリとわきまえ、そこに己の全てをぶつけようとするもの。
Aは、失敗しないためには、詳細まで全てを自分一人で決めるのがベストと思った。彼の場合は、本当にそれが出来るだけの能力があった。あり過ぎた。それが悲劇の第一の要因となってしまったのだ。
このプロジェクト・チームは、その重要性に鑑みて、各ライン各分野から優秀なSEが選抜されていたが、彼らが勇んで馳せ参じたものの、当面、予備知識の習得やそのシステムのユーザー部門の調査くらいで、彼等の自尊心を満足させられるような仕事には程遠かった。
Aが決めた内容が徐々に明らかになって来て、何をどのようにどういうステップでやって行くか、それこそ、メンバー全員で作り上げても、議論の時間を含めれば2ヶ月は掛ろうかという内容が、3週間程で出来上がったのだから、メンバーはAの凄さを改めて認識した。
しかし、メンバーは、この最も大事な工程に参加させて貰えず、以降、お前たちは決められた通りに開発すれば良いのだと言われたように感じ、それなら自分達でなくても、誰にでも出来るから自分がこのプロジェクトにいる意味はない、と思ってしまった。
8 月 7, 2008 No Comments
チョッといい会話
テレビでやってた。恋人同士のチョッといい会話。
→彼女からメール来た。「元気?」。「今元気になった」。
それなら一杯あるよ。僕だって。
→「夜遅くまで君を付き合わせたくない」「私、もう大人よ」
「それも、とびきり綺麗な」(ああ、これもテレビで
やってたか!)
→「君が好きだ」「貴方は本当の私を知らないからそんなこと
言うのよ」「本当の君にはいずれちゃんと挨拶に行くから」
→「もう終わりにしましょう?」「何故?」「本当に好きに
なってしまいそうだから」
→「昨晩君の夢を見た。『恋人になって下さい』って手を差し
伸べたのに、君は『ごめんなさい』って言って去ってった」
「あら、私も同じ夢見たわ。私の場合は相手が『よろしく』
って手を握ってくれたわ。キムタクだったけど」
→僕は必死に探し物をしてた。「そんなに大事なものだったの」
「うん。君の次にね」「一体何だったの」「婚約指輪」
(手の込んだプロポーズ)
→「俺だったらもう彼女のこと諦めるけどな」と友達。「だけど
君は僕じゃない」と私。
→彼女から電話。「今晩空いてる?」「勿論あけるよ。時間も
身体も部屋の鍵も」「バカ」
→「あの~」「なに?」「あの~」「ハッキリ言って!」「好き
になってもいいですか?」「・・・」
8 月 5, 2008 No Comments
嘘みたいな話
7月下旬のパルテノン多摩で行った「クーペ&Shifo の心に効くコンサート」に来てくれた友人にN君がいた。
彼は、僕が定年退職した後、完全リタイアし再就職もしないでブラブラしてるのを心配し、システム経験を活かして彼の仕事をシステム面で助けて貰えないかと、仕事に復帰することを僕に勧めてくれている人だ。是非とも彼の会社の社長に会ってくれと言う。
しかし、40年近く自社のシステムに従事し、後半は会社に対してシステムの全責任を負うという仕事がどれだけキツイものかは、身を持って経験しているだけに、一旦、そういう世界から引退を決意し、その緊張感から自身を心身ともに解放してしまった後では、簡単に戻れるものではない。
覚悟するのに必要な時間を貰うということにして、結論を先送りした。その場でキッパリ断らなかったのには、人に言えない恥ずかしい理由があるのだ。
それは、今まで毎朝決まった時間に家を出て会社に行ってたのが、このところ朝も家にいるし出掛けるのは早くて10時過ぎ。自分で言うのも憚られるが、どちらかと言えば年齢より若く見えるので、近所の人には定年退職とは見えず、リストラされたと思われてるんではないかという懸念があったからだ。
くだらない理由、周りの目を気にしなきゃ良いだけの話。分かってはいるけど家の周りの目は意外と気になるもの。24時間四六時中だから。
そのN君が、僕等のライブのことを知って、是非行きたいのでチケットを送って欲しいと言って来てくれたのは、ライブの1週間前だった。その時、このライブの4日後に結論を伝えるべく、彼と会うことにした。
ライブが終わって、いよいよ彼に答えを伝えなくてはいけない。新宿のとある喫茶店に向かった。彼が既に来ていた。コーヒーを注文して、先ずは、ライブに来てくれた礼を言ったり、彼の感想を聞いたりした。N君は相当気に入ってくれた模様だ。
元々彼は、昨年「クーペ&Shifo」のライブを見て、彼の後輩に当る「ビクター・エンタテイメント社」の社長を紹介したいと申し出てくれたことがあったが、その時「クーペ&Shifo」は既に「テイチク」からのデビューが決まっていたので、話はそれ以上は進まなかった経緯がある。
その彼が今回は何と、おじさんバンドだけでも、ビクターに話を持って行きたいと言うのだ。嘘みたいな話。「おじさんバンドの何がそんなに良いと思ったの?」と聞いたら、「キル・ミー・ソフトリーのボーカル、あれは凄くいいよ。ピアノ、クラリネットもいいし」との答え。ドラムは?コンガは?タンバリンは?聞けなかった。
しかし、こちらは冗談半分だと思っているから、「まさかビクターがそんな話には乗らないだろうけど、気持ちは嬉しい」と応じたら「じゃぁ、本当に話持ってっていいんだね?」とマジに聞き返す。それにはこっちが慌てたね。
「オジサン達、みんなチャンとした仕事を持ってるから、芸能界みたいなところに顔を突っ込む訳には行かないのよ」と私の一存で断った。
そして、彼の持って来てくれた折角の仕事の口もお断りした。彼の好意を2つとも無にしてしまった。これでは人の道に反する。よし、ボランティアで彼のシステムを助けよう。
8 月 3, 2008 No Comments


