プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 9月 2008

ただいま

一昨日(28日)の夜、日本に帰って来ました。旅行に行った先はカナダの東側、ケベック州とオンタリオ州で、通称メープル街道を8日間で回って来ました。

日本とは昼と夜が完全に逆で、まだ、時差ボケが直っていませんので、旅行記を書くのは気力体力の回復を待ってからにしますが、帰国して直ぐにテレビ・ニュースを見たら、中山国交相辞任の報道で溢れているではありませんか。旅行に立つ前は国交相は確か冬柴氏だった筈。

カナダに着いて数日後、新首相が決まった筈だがと思って、英語のニュースを注目して見ていても、全く扱われませんでした。麻生氏に決まったんだろうとは思っていましたが、彼が首班指名されたことなど、全く放送されません。

金融危機に中、度々ブッシュ大統領の映像が流され、またアメリカ大統領選の模様(マケインとオバマのテレビ討論)は詳しく伝えられましたが、日本の新内閣発足の報道は皆無でした。世界政治の中では日本の存在感は殆どゼロに等しいということを改めて見せ付けられた思いです。

お隣のアメリカでは日本の新首相誕生はテレビ・ニュースになっていたのかも知れませんが、ことカナダに関しては日本の首相が誰になったかなどは、関心ゼロということなのでしょう。

それが良いことなのか、良くないことなのか?

世界政治の中で全く期待されていないということは、世界の紛争に巻き込まれるリスクが少ないという意味で良いことなのかも知れないけれど、それ程に存在感のない日本は、発言力も交渉力も劣るということになるから、本当に世界相手に国益を守って行けるのかという懸念が生じます。

遠くから日本を見て、改めて日本の危なっかしさを感じた次第です。

9月 30, 2008   No Comments

暫くお休み

長い会社生活を終えて、何度か計画しては実現出来なかった「卒業旅行」に、明日からカミサンと2人で出掛けて来ます。決して仲が良い方でもない夫婦が長旅に出ます。どうなりますことやら。

ということで、当ブログは今月一杯お休みを頂きます。珍道中の模様はいずれブログで報告出来ると良いのですが・・・。それもどうなりますことやら。

それでは、行って来ま~す!

9月 20, 2008   No Comments

イチロー

ついに8年連続200本安打を達成した。200本目はイチローらしい内野安打だった。

今シーズン突入前、イチローはいつになく記録を強烈に意識して開幕を迎えた。偉大な大リーグ記録に並ばないといけない年だと。いつもは周囲の騒ぎを横に、涼しい顔で単なる通過点とコメントするのに、記録達成後のインタビューは「めちゃくちゃしんどかった」「出来ないかも知れないという恐怖を感じてた」。

無理もない。彼が並ぼうとする記録は、100年以上も前の記録なのだから。ウィリー・キーラーが打ち立てた8年連続200安打は、その最後の年を除いて、19世紀の出来事だったのだから。

言い換えれば、それは、後の安打製造機と言われる大打者タイ・カップも、ルー・ゲーリックも、ピート・ローズも、誰も、100年以上破ることは出来なかった記録だ。もう二度と破られることのない記録と言われたことさえ遥か昔の話。

それだけに、今シーズンのイチローの感じるプレッシャーは相当なものだったのだろう。夏前までなかなか3割に届かず、我々ファンを本当にヤキモキさせてくれた。イチローも人の子、重圧に負けそうになっているように見えた。

8月に入ってやっと本来のイチローの姿に戻って固め打ちを何度も記録し、打率も3割1分を上回るようになり、やっと残り試合数が200本安打への残り安打数を上回る状況に入った。

そして、あと10本を切った頃から、毎試合1本の安打は出るが固め打ちが出ないという、記録目前の別のプレッシャーの後、3安打の固め打ちで一気に大記録に並んだのである。この辺りは如何にもイチローらしくて良い。

イチローが大リーグに移ってからテレビで見る機会が増えたのだが、内野安打が本当に多い選手だなと思った。最初の頃は当り損ねが運良く内野安打になっているのだと思っていた。

ところが、イチローと親しい新聞記者は、「彼の内野安打は偶然ではなく、狙って内野安打にしている」と言うから驚いた。「相手は僕の内野安打を一番嫌がっている。それをやることは面白いよね」とイチローは言う。

確かに偶然の内野安打に依存していたのでは、8年連続200本安打は絶対に無理。イチローから内野安打を取ったら2割5~6分の並みの選手以下になってしまうのだから。

ファンは誠に勝手なもので、大記録に並んだからには来年是非9年連続200本の新記録をお願いしたくなる。また、ピート・ローズの持つ年間200本安打10回の記録も是非更新して欲しいし、最後には、生涯安打記録4,256本(ピート・ローズ)を是非とも超えて貰いたいと欲張る。だからイチローも大変なのだ。

9月 20, 2008   No Comments

英語の駄洒落

① 映画「ウェスト・サイド・ストーリー」の中でマリアが言うダジャレ。

→女性達がミシンを使って縫い物をしている場面。マリアは縫物をしながら
歌っている。先輩のお姉さんがそれを注意する場面

お姉さん「どうしてマリアはそんなに歌ばかり歌うの!」
マリア「だって私のミシンはシンガーなんだもん!」

② 英語があやふやな日本青年がアメリカ旅行中、ある駅の窓口でカリフォルニア行き
のキップを買う場面

→「カリフォルニアまで」ってどう言うんだったっけかな

青年「toCalifornia!」・・・カリフォルニア行きのキップが2枚出て来た。
青年「for California!」・・・カリフォルニア行きのキップが4枚出て来た。
青年「???えーと!」・・・・・カリフォルニア行きのキップが8枚出て来た。

③ 新婚旅行中のカップルを見掛けた青い目の紳士同士の会話。

Aさん「lettucealonesalad (レタスだけのサラダ) のこと、何て言うか
知ってる?」
Bさん「さぁねぇ。何て言うの?」
Aさん「honey moon salad(ハネムーン・サラダ)と言うんだ」
Bさん「どうして?」
Aさん「新婚さんは良く言うだろう?『letusalone』って」

親愛なる「オカッテリーナ」様に捧ぐ

9月 17, 2008   No Comments

再び共に

JTの引退は社内に大きな波紋を投げ掛けた。数多くいる役員の中でも、筋論を重視し、本質の論議が出来る人物として、また、やると決めたことは徹底的にやり抜く人物として、彼に一目置いていた人間は多かった。部下に対しては、彼等がこの先この会社で充分やって行けるように厳しくそして優しく接する人物として、特に若手に人気があった。

それだけに、様々な憶測が駆け巡ったのも無理からぬところだ。「多分」とは断りながらも訳知り顔で解説する輩もいて僕は閉口したものだが、総じて言えば「何故?」「何があったの?」という疑問形が大勢を占めたように思う。

僕は勝手に解釈している。あの時のように、即ち、「遂にA氏が社長になった。さあ、これで会社を変えられる」と意気込み熱くなった時のように、再びJTの心に火を付ける何かが蘇ることはなかったということだと。

本人は「我が儘退社」とか名付けているようだが、けだし名言ではないか。顔色を伺い、相手に合わせ、可笑しくもないのに笑顔を作る、そんな男が大勢を占める世の中に、我が儘を貫く男がいてくれる。ぶれずに本質論を貫く男がいてくれる。言行一致にとことん拘る男がいてくれる。僕は彼にサムライを感じる。

同じ年の生まれだが、僕が早生まれなので年次は彼の1年先輩に当る。その僕から見てもJTは大した奴。

彼の退職をあのA氏はどう受け止めたのだろうか。興味深いところではあるが、聞かずとも分かる。A氏の、退職後のJTへの接し方を見ていれば分かる。彼のJTに対する信頼の厚さと親愛の深さが。そのJTに充分報いてやることが出来なかったというA氏の思いが。

退職後JTは、経営コンサル会社を立ち上げ、経営に苦しむ中小企業のコンサルティングを初め、行き詰った企業の再生事業や地域貢献・社会貢献に関する各団体との協働、団塊世代向け雑誌の創刊など幅広い活動を開始して、何と初年度から黒字確保という離れ業を成し遂げた。

そして、ここのところ、JTは上記に加えて、前の会社の外で前の会社のために出来ることを真剣に考えている。JTにとっては自分が生きた証の会社、自分を育ててくれた会社だ。そういう思いからだろうか。会社を途中で辞めた人間がこれほど元の会社のことを思う人間を僕は他に知らない。

独立後のJTの事業は様々な分野に広がっているが、その基本理念の一つに、大量に排出される現役引退の団塊世代は、40年に亘る会社生活で身に付けたノウハウがあるのだから、今こそそれを社会還元し地域に貢献すべきだ、というのがある。

彼から声が掛った。気付いたら僕も61歳。現役引退。サンデー毎日。そういう僕に、前の会社のためになるシステムの仕事を手伝えと言って来た。少しは協力しないと叱られそうだ。役に立てるかどうかは甚だ疑問だが、8年振りに再びJTと共に仕事が出来る。それは嬉しいこと、楽しみなこと。

9月 16, 2008   No Comments

男の引き際

A社長が歴代の社長任期(6年)満了にあと半年という時、JTは社長室に呼ばれた。そこでA氏より次の社長は誰が相応しいと思うかとJTの意見を聞かれた。彼は即座にJMを推薦した。これは僕の勝手な想像である。

多くの人が次期社長と想像していた人物は別の人だったから、いくらA氏の意中の人とは言え、それとは違う人をA氏が指名するには、社員がどう受け止めるか気にならない筈はない。

だから、A氏はこのような微妙な問題を相談出来る数少ない側近数人に尋ねたであろうことは想像に難くない。JTの答えも、また、他の側近の答えも、A氏の考えと完全に一致したのだと思う。程なくして次期社長にJM、新会長にA氏というトップ人事が新聞に載った。

そして翌年の4月1日、中堅社員以上を全国から集め拡大支店長会議を開催し、JMは新社長就任演説を行なって、遂に新体制がスタートしたのだった。

それから数か月して、僕は「3J」の中で最も若いJSと仕事の打ち合わせをしたのだが、その時、「神童さん、JTさんが会社辞めるって、聞いてる?」と僕に言う。「え!何で?」。「A氏を支え、A氏と共に頑張るという自分の役割が終わったから、と本人は言ってるみたいだけどね」。

僕は「ふ~ん」と言うしかなかった。JTがA氏を人生で出会った最も素晴らしい人間、その彼を盛り立て、A氏の理想を実現するために自分の存在があるとまで考えていた(らしい)から、A氏の社長退任を機に自分の役割も終わったと考えたとすれば、それはそれで理解出来なくもない。

しかし、JTの深層心理はそれほど単純なものだったろうか。彼はある地域の営業部門を任されていたが、2~3か月前僕と飲んだ時、A氏が心血を注いで実現しようとしている経営戦略を自分のところで全国に先駆けて実行しようとしているのに、本社はその重要性がまるで分かっていない、と嘆いていた。

つまり、社長退任表明を機に、A氏の夢が会社全体の夢でなくなって行くことへの哀寂感がJTの心を占めて行ったのではなかったか。

更に、新社長のJMとは長い間良きライバルであり良き仲間であった。それだけに、自分が経営の一角に留まると新社長は物凄くやりにくい筈だ、と考えた。最早自分の居場所はないと結論付け退任を決意したに違いない。

当然ながら新社長はJTを必死に慰留したであろうが、引き際の潔さを最も重視するJTは、A氏の社長退任から半年後、静かに去って行った。ご本人にしてみれば、それでも「予定より半年遅れてしまった」のだそうな。

9月 15, 2008   No Comments

士は己を知る者のためにのみ死す

昨日、僕が尊敬するある男について書き上げた原稿が、パソコン操作の誤りか何かで、完全に消えてしまった。同じようには二度と書けない。頭に来て1日放っておいた。紙と違って跡形もなく消え失せてしまう上に、人のやる気をも消滅させてしまうのだから、ITというものはとんだ食わせものだ。

だが日も変わって腹立たしさも幾分治まったので、今また、もう一度チャレンジすることにした。

彼JTは、20年ほど前、同じ会社の新宿支店長だった。その頃偶然にも、同じ東京営業部の中に、日本橋支店長のJMと港支店長のJSがいて、いずれも将来を嘱望される若手営業マンとして頭角を現した3人が活躍していた。いつからか人々は、このやり手3人組を「3J」と呼ぶようになって行った。

3人はほぼ同じ年齢で、互いに良きライバル・良き友人であった。そこにA氏という彼等より5~6歳年上の、パワフルで人間味溢れる男が、従来の営業組織とは全く別に、新しい形体の営業組織を作る目的で現れた。

公私共の付き合いを通じて、A氏は3Jの兄貴役のような存在になって行った。特にJTは、A氏は将来社長になる人物ではないかと思うようになり、そういう人物と共に仕事が出来ることを喜んだ。「A氏をいつか社長にする」というのがJT自身の夢となって行った。

そして、10年後、A氏はJTが見込んだ通り社長に就任した。その頃は時代が大きく変わろうとしていた時で、従来の会社運営では立ち行かなくなることが明らかとなっていた。

A氏は、次の時代に生き残れる強い会社作りを最大課題に掲げ、会社改造に大ナタを振るわなければならない。当然ながら思いを共有し、改革に大いに力を発揮するであろう3Jを、夫々の柱に据えた。

僕はJTの直ぐ傍で、彼の意気込みと活躍、更に言えば、各方面への嫌われ役をも買って出る姿を見、ある種の感動をもって一緒に戦った。僕にとって彼の真剣な姿がとても新鮮に映ったのだ。

それは、単にA社長のためには水火も厭わずというのではない。僕が驚いたのは、A社長に対して何憚ることなく直言する姿だった。A氏には単なる社長ではなく、会社の歴史に残る大社長になって欲しいという彼の願いの成せる技だと思った。

A社長の方も、兄思いの弟の言として、素直に受け入れているように見えた。この時のJTを見て、僕は古い言葉を思い出していた。「士は己を知る者のためにのみ死す」。

9月 12, 2008   No Comments

音楽の力(7)-最終-

私を真っ直ぐに見ながら、笑顔を浮かべて近付いて来られる。「あっ!Aさん!」。僕は思わず声を出してしまった。彼は右手を伸ばしながら「神童さん、ドラム格好良かったですよ」と言ってくれた。Aさんが僕のことを覚えていてくれた!

思わず僕はその手を強く握り返した。「大変ご無沙汰しております。今はシステムを離れて、こんな活動をやっています」。「素晴らしいことじゃないですか」。「ありがとうございます」。

丁度「クーペ&Shifo」が静かな曲を演奏中だったので、大きな声を出す訳にも行かず、2言3言会話した後、Aさんは「音楽頑張ってください。じゃぁ、またいずれお会いしましょう」と言って去って行かれた。

ひそひそ話のような会話になってしまったが、まさかAさんが私に会いに自ら足を運んでくれるなんて夢にも思わなかったので本当にビックリし嬉しかった。

友人のX社のY常務さんがお膳立てしてくれたということは簡単に察しられたが、僕はYさんの気遣いに心から感謝すると同時に、もし、こういうこと(再会)になるなら、社会的地位の遥か上の人に対しては、僕の方からご挨拶に伺うのが常識だと思い恐縮しきりだった。

だが、あれ程偉くなられたAさんが、あの当時のままの気さくさを今も持ち続けておられることが、僕は一番嬉しかった。

そして思った。今、もし僕が音楽活動をやっていなかったら、YさんからX社の夏祭りに呼ばれることもないし、A会長さんに13年振りにお会いすることもなかったと。

「クーペ&Shifo」のバックで本格的にドラムをやるようになってまだ3年半しか経っていないが、その間、クーペの身の周りには奇跡と呼ぶしかないことが次々に起きているが、僕の周りにも普通じゃ有り得ないことが起きた。音楽の力を信じない訳には行かない。

B社長は「クーペ&Shifo」のステージを最後の最後まで聴いて下さった。特にラスト・ナンバーの「どっちでも不思議」の時は身を乗り出さんばかりに真剣に聞き入っておられるのが傍目にも分かった。

それが終わると立ち上がって、ステージ上のクーペとShifo夫々に握手をして2人を讃えて下さった。私もB社長にご挨拶させて頂いて「とても良かったですよ」と言って貰えた。

僕は大満足でB社長をお見送りした。そしてB社長さんが僕の視界から消えた時、大事なことを思い出した。

いっけねぇ!肝心なことを言い忘れた。「クーペ&Shifoの曲を是非御社のCMに使って下さい」って。これが本当の、「あとの祭り」だぁ・・・。仕方ない、Yさんに甘えてもう一つだけ最後のお願いをしよう。僕からB社長への大事な伝言を。

音楽の力―完―

9月 10, 2008   No Comments

音楽の力(6)

いつものようにShifoがコーラス隊をバックに2曲歌った。3曲目からはShifoとおじさんバンド。この場合、バンド名は「年取った白雪姫と7人のジジイ達」となる。

通常、みんな仕事を持っている関係で、1人2人欠けることが多いのだが、平日にも拘わらず今日は7人のジジイ達全員が揃った。中には夏休みを取って駆け付けてくれたメンバーもいた。僕等は4曲演奏した。

さあ、クーペの登場だ。クーペがステージに上がって、これまたいつものように「どうも!」と言って一瞬で観客の心を掴んだ時、ホールの入口の方がザワザワした。

さっき乾杯の音頭を取ったB社長が入って来られたのだ。B社長は客席の最前列の中央に座られた。クーペは急遽曲目を変更して、社長に聞いて貰える機会があったら是非お聞かせしたいと思って作った新曲を披露した。但し、歌はShifo。クーペが登場した最初の曲なのにクーペでなくShifoの歌?勝負曲だからネ。

曲の合間のMCは、クーペが直ぐ目の前にいるB社長に語り掛けながらの、当意即妙なアドリブだ。僕にはクーペの意気込みが凄く良く伝わる。是非、「クーペ&Shifo」を知って貰いたい、いやShifoを知って貰いたい、という意気込みが。

再びおじさんバンドがステージに上がって、クーペの「悟りじゃ」のバック・コーラスとバック演奏。更にShifoと一緒に「負け犬もどき」。クーペの意気込みが僕にも伝染して、いつもより大きなボリュームでドラムを叩いているのが自分でも分かった。

この2曲を演奏して、本日のおじさんバンドはお役御免となった。このあとは「クーペ&Shifo」2人だけのコンサート。

やれやれとステージを降りたところで、向こうからある人物がやってくるのが見えた。何と、あのA会長ではないか!

9月 9, 2008   No Comments

日本のリーダーの選び方

一国の首相が、2代続けて1年持たずに政権を投げ出した。簡単に投げ出すことが出来てしまう、この国の内閣の軽さかな。

アメリカの後ろに隠れて、世界政治には余計な口を挿まず、専ら経済発展を目指していたバブル経済の頃までの日本には、その軽さもそれほど痛手ではなかった。

しかし、今は違う。全ての戦後モデルが息詰まり、制度という制度が金属疲労を起こしている。年金然り、健保然り、官僚主導国家運営然り。民の側も終身雇用の崩壊、非正規社員の急増と格差拡大、賃金水準の低下、経済発展シナリオの不在、世界に対する競争力の長期低落。

世界政治に目を移せば、日本はバブル崩壊以降、経済力の相対的低下による発言力の低下は目を覆うばかり。他国に出来ない多額の拠出で発言力を買って来た日本モデルの崩壊。明らかに中国や国連事務総長を出している韓国の後塵を拝している。

更に、世界への貢献から逃げられなくなった日本の貢献の仕方の方向も定まっていない。国民的合意の形成が必要な時に、そういう議論が出来ない、しない。肝心なことは常に先送りする日本の政治の伝統。

自民党は20日間程で次期総裁を決めるらしい。総裁=首相ということは、一国の首相をたったの20日間で選ぼうと言うことだから何をか言わんやだ。

それも、野党民主党が対立候補を立てず無風選挙で党首を決めることをチャンスと見て、複数候補を立てて活発な政策論議をして、国民の目を一気に自民党に引き付けるのが狙いだそうだ。

正直、僕は溜め息が出る。アメリカの大統領選がベストとは言わないが、選挙に1年を掛け、候補者達によるあらゆる分野の政策論争を経て、最終的に直接選挙によって大統領が決まるのと、何と言う違いか。国民から見ても、どの人を選ぶべきか、1年の間に充分過ぎるほどの情報を得て判断し投票出来る。

今、僕等は日米同時並行で、一国のリーダーを決める過程を見させられている。

アメリカ大統領になる人は、精も根も尽きるほどの長丁場の戦いを勝ち抜いてやっと大統領に就任するのだ。

大統領候補の時間より短い時間で政権を投げ出す大統領なんて有り得ないし、直接国民から選ばれて大統領になったことの責任の重さは、日本の首相の比ではない。

僕が自民党総裁選でいつも疑問に感じるのは、僕達には首相を選ぶ選挙権がないのに、マスコミがこれでもかこれでもかと総裁選の模様を伝えるのは何故かということ。各候補の政策を聞いても、僕には選ぶ権限がないのだから全く無意味。遠くの世界で勝手に盛り上がっているだけだ。

9月 7, 2008   No Comments