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NHK経営委員会
新聞に「NHK経営委員会が2012年度から受信料10%還元を議決」と一面にでかでかと出ていた。「NHK経営委員会」とは、首相が任命する外部の委員により構成され、NHKの経営内容や方針を外部の目でチェックする機関なのだ。形の上ではNHKの経営に関る最高意思決定機関なのだそうだ。
それとは別に、日常の業務執行に責任を持ち、また、次期中期計画などを策定する執行部があり、こちらの役員の殆どはNHKの生え抜きが就任している。
数年前のNHKの不祥事が次々に明るみに出た時、僕は初めて「NHK委員会」の存在を知った。それはNHKのトップの不祥事が現実に起き、それを一体誰が調べ処罰を決めるのかといった疑問が生じた時、マスコミに初めて登場したように思う。
その時の委員長をテレビで見て「あっ!」と驚いた。前にも当コラムで書いたが、12年前、あるプロジェクトで僕が交渉した相手会社の責任者だったA氏その人だったからだ。
彼は、ある金融業界のリーディング・カンパニーの社長を務めながら「NHK経営委員会」の委員長を兼務していたのであった。今はその後任の古森氏(富士フィルムHD会長)が委員長を務めている。
本委員会、一般の企業で言えば、業務執行責任とその監視監督責任を明確に分けた米国企業型の取締役会に当たるのだろうか。法律上も結構大きな権限を持っているようで、NHKの執行部が上げて来た計画や方針に対して、それを否認したり修正したり出来るらしい。またNHKの会長をも決める権限があるという。
さて、先日の新聞記事は、執行部が上げて来たNHK経営計画の中には受信料値下げの具体的数字が盛られていなかったので、経営委員会が初めてノーを表明し、10%値下げという具体数値を入れさせたのである。
値下げ問題のそもそもの発端は、04年からのNHKの相次ぐ不祥事発覚による受信料不払いの続出だった。時の総務相が、法改正し受信料支払いを義務化することの引き換えに、NHKに2割程度の値下げを提案したが、NHKはこれに難色を示したことからだ。
当時の菅総務大臣は、支払いが義務化され安定収入になるからには、国民に理解されるよう、NHKは徹底して経営努力を行ない目に見える値下げを実現せよ、と抜本改革を迫ったのだがNHKは嫌だと言った。
古森委員長は、これまでのNHK改革は民間企業から見ると生ぬるいとして、「経営計画に値下げの具体策を盛ることが必須だ」と幾度も求めたが、執行部はこれを拒んで計画提出となった模様だ。経営委員会を甘く見ていたのかも知れない。
NHK経営委員会は大昔からあったんだろうけど、初めてその存在感を示したと言う意味では古森委員長に拍手を送りたい。
それにしても痛みを伴う改革を、前非を悔いた筈の組織のトップ(執行部)が抵抗し避けようとする姿が生々しく映し出されてしまった。外から来た人達に四の五の言わせず、本当の改革を進めるべきは、NHKを愛するNHK生え抜きの執行部だろうに。
10 月 18, 2008 No Comments
メープル街道の旅 (1)
9月21日に、僕はカミサンと2人でカナダに飛び立った。今年3月末で会社を退職して以来、カミサンとは、一応の人生の区切りとして外国旅行でもしようかと話だけはしてた。
だが、何かと行事があり、1週間を超えるような空き時間が取れず、互いのスケジュールがなかなか合わなかった。それでも、四国3泊旅行や、1泊温泉旅行などは4月以降して来ている。
本音を言うと、僕自身はあんまり海外旅行に乗り気でない。言葉の問題もある。食事の問題もある。国内旅行の方が遥かに良いよ。食い物は旨いしお酒も旨い。温泉に入ってのんびりと。いいねー。今にも行きたいよ。
だが外国旅行の一番の問題は、カミサンと四六時中、それこそ文字通り24時間、1週間から10日もの間、常に一緒にいなければいけないことだ。僕は国内旅行の経験で言えば3泊4日が限界だと思っている。
カミサンも同じだろうと思っていたのだが、会社を辞めて3ヶ月を過ぎた頃、「一体いつになったら海外旅行に行けるんですかねぇ?」って催促が来た。
「お前、本当に外国に行きたいのか?」「当たり前でしょう。あなたが会社に行ってる内は無理だったんだから」「娘とは何回か行ったんだから、また娘と行ったら?」「娘も会社忙しいって」。
その時はそれ以上の突っ込みはなかった。それから数週間。「秋にはどこか紅葉を見に行きたいね」とカミサンがポツリ。紅葉と言えば温泉。僕が「日光のいろは坂は混むけど平日なら大丈夫だろう。中禅寺温泉にでも泊まってサ」と提案すると、「どうせ行くならカナダの紅葉を見に行かない?」「え!」
この逆提案はもう無視できない。家庭の平和のためには譲歩も必要。「分かった。じゃぁカナダの紅葉の季節に行くとしよう」と思い腰を上げたのだった。旅行社に問い合わせたり、インターネットで調べたところ、カナダの紅葉の見ごろは9月下旬から10月上旬だと言う。
夫婦揃っての海外旅行は新婚旅行以来だから、面倒のない旅行社のツアーに入って行くことにした。友人達にはこの旅行を「卒業旅行」だと伝えて旅立った。
10 月 17, 2008 No Comments
ふるさとライブ(4)最終
長野市コンサートの翌日、僕は実家に寄った。高校卒業まで住んでいたところだが、今年の春、母が88歳の生涯を閉じてしまったから、実家と言っても今は姉夫婦が住んでいるだけなのだが。
2人とも「昨日は、想像してた以上に良かった。面白かった」と言ってくれた。更に「お前のドラム演奏にはドキドキしたけど、まあ良かったんじゃないの」って言う。
姉はしみじみと「去年松本でコンサートやった時、お母さんが、長野だったら行けるのにねぇ、って言ってたよ。もう半年生きていれば見れたのにねぇ」。
母は酷い骨粗鬆症だったので、松本までの長いドライブには耐えられなかったのだ。音楽なんてさっぱり分からない母が僕の演奏姿を見たがっていたとは。初めて聞いた。幾つになっても母は母だった。
姉は「会場には松本のおばちゃん(叔母82歳)も来てくれてねぇ。最初にドラム叩いたプロの人をお前だと思ったらしく、catちゃん、あんなに大きくなっちゃって、って言うのよ。もう可笑しくて可笑しくて」と言う。あの叔母さんに掛ると還暦過ぎてても僕は高校生扱いだ。
「ところで大きいと言ったのは顔のこと?体格のこと?」と僕。「うん?体の方だと思う」。姉には冗談が通じなかった。(プロ・ドラマーの鶴見は顔もデカイし体もデカイ)
夕方、近くに住む姉達の娘夫婦と孫達がやって来た。孫と言っても中3男、中1女、小5男の3人兄弟だ。
姉の娘、即ち、僕の姪が「この子達、昨日は目を丸くして叔父ちゃんのこと見てた。よっぽど驚いたみたいよ。叔父ちゃんカッコ良かったって。遼太(一番上の子)は今ね、和太鼓やっていて、先日も町のイベントに参加したの。その彼がね、叔父ちゃんみたいにドラムやりたいって」と言う。
僕は遼太に、「今は徹底的に和太鼓をやれ。そうすればいつかドラムをやる時に、不整脈ドラムにならずに済むからな」と言って激励(?)してやった。
ふるさとライブ―了―
10 月 16, 2008 No Comments
米国に裏切られ
米国が突如北朝鮮をテロ支援国家指定から外した。ライス国務長官が、テロ支援国家指定解除文書に署名するまで、日本には全く知らされていなかった。日本は完全にカヤの外だった。
正式発表のほんの少し前に、ブッシュ大統領から麻生首相に電話で知らせがあった模様だが、麻生さんその時どんな顔をしたんだろう。事前に外務大臣その他から、あれ程、拉致問題が進展しない内にテロ国家指定を外さないでくれ、と米国にお願いしていたのに。
G7で訪米中の中川財務金融相がライスに確認をしたら、「指定解除は単なる形式だから大した意味はない」といなされたとか。馬鹿言うんじゃないよ。北朝鮮が行なって来た数々のテロ事件(ビルマ爆破事件、大韓航空爆破、日本人韓国人他の大量拉致事件等々)を見て、世界警察アメリカが北朝鮮を悪の枢軸と認めたんでしょう?
これに金正日は慄いたんでしょう?イラクのようにいつアメリカが北朝鮮に攻め込んで来てもおかしくないと。最後は自分もフセインのように殺されるのかと。その恐怖が分不相応な核開発に駆り立て、核搭載長距離ミサイルで米国に対抗しようと開発に全力を挙げさせたんでしょう?
その核の完全放棄に繋がる見通しもないのに、指定解除をして「単なる形式」とは、恐れイリヤのクリアキン、否、恐れ入谷の鬼子母神。
でも、まあ、世界政治なんてそんなもんでしょう。米国を一方的に信じて、「貴方をお慕い申し上げておりました」なんて全然効かないんだから。アメリカ大統領の優先順位は、一に政権の維持と自分の名誉、二に国益、三四が無くて五に同盟国なんだよ。
今回は自分の花道として、「北朝鮮問題の解決」を欲しがったのは間違いないネ。ブッシュにしてみれば、9.11で派手にやられるは、アフガンに失敗するは、イラクに失敗するは、イランに失敗するは、パレスチナ問題は何の成果も上げられないはだから、唯一、北朝鮮問題くらい自分の成果にしたいと思うもの。
その後徐々に指定解除前後の状況が分かって来た。韓国政府はその前日米国から通知を受けていたのに、日本にはライスが指定解除文書にサインをしてから3時間も経って、公式発表の僅か30分前に、ブッシュから麻生さんに連絡が来たと言う。拉致問題で四の五の言う日本を外して進めたのは明白だ。
なのに麻生さん、「このテロ支援国家解除が拉致問題解決のテコを失ったとは思わない。ブッシュ大統領の決断は6ヵ国協議を動かすための一つの方法だ」と理解を示すんだからどうなってるの?何故正直に怒らないかねぇ。アメリカの態度は同盟国としての信義則も何もないんだから。拉致問題解決の最大のテコを失ったのに何故強弁するかねぇ。
それにしても、今回の日本政府の慌てぶりは、日本の宗主国はアメリカだということをまざまざと見せ付けてくれたな。親分の言うことには逆らえない。不本意でも従わないと後が怖い、と麻生さんの顔に書いてある。
韓国の6ヵ国協議責任者からも、「日本は拉致問題に頑なに拘り、エネルギー支援に参加しないのは賛成できない」とまで言われて見下される。今やこれが最後のカードなのに。あの頑なな韓国に言われたかーないよね。
10 月 15, 2008 No Comments
ふるさとライブ(3)
まだ発症してはいないのだが、一大決心でC型肝炎ウィルス除去を始めたクーペは、毎週病院でインターフェロンを投薬して貰っている。最初の頃は、別段、副作用もなく体調にもあまり変化がなくて安心していたみたいだが、1ヶ月経った頃から熱が出たり、体がだるくなったり、節々が痛かったりするようになって来た。
毎週月曜日が投薬の日なので火曜日・水曜日は体調は最悪になるのだそうだ。長野のコンサートも水曜日だったから、かなりシンドそう。そこでクーペは、コンサートが始まる前に、晴天の秋空の空気を吸おうと会場の外に出た。
そして、ホールの外壁に凭れ掛っていたら、ガードマンが来て、「そんな所にいちゃダメだ」と注意されたと言う。クーペは「今日歌うんだけど・・・」と言ったが無視されて「分かった、分かった。早くどこかに行きなさい」と言われた。
「俺のことホームレスか何かだと思ったみたいだ。体調が悪くて身体にエネルギーが充満していない時って、そう見られちゃうんだろうな」とはクーペ談。
仕方ないから交差点の斜向かいにあるコンビニに行こうと、下の道を渡っていたら今度は、パトカーがやって来て「ダメダメ、危ないだろう。上の歩道橋を渡りなさい」と注意された。片足効かない(脳梗塞の後遺症)んだから階段上ったり下りたりの方がよっぽど危ないんだよと言いたかったけど従うしかなかった、らしい。
そんなクーペがなけなしのエネルギーを振り絞って、いつもと変わらぬライブを最後までやり通し、観客を大満足させてくれたのには感動と共に心から感謝した。
クーペは、高校の同級生やら親戚一同やら僕の関係者が大勢駆け付けてくれているのを知っていて、このコンサートを盛り上げようと頑張ってくれたのだ。
そして、僕にとって最初で最後の「ふるさとライブ」をこんなにも盛大に開催してくれたIOI倶楽部にも感謝している。特に去年の松本に引き続き2年連続の信州での「クーペ&Shifo」コンサートを開いてくれたのだから。
10 月 14, 2008 No Comments
ふるさとライブ(2)
プロ・ドラマーの鶴見がゴンガに回わり、Shifoはシンセサイザーで僕がドラム。妙なトリオだ。Shifoは一人何役やるのだろう。ボーカル・ベース(シンセ)・キーボード(シンセ)、そしてこのトリオのバンマス。
この編成で2曲。いつもはおじさんバンド7人の内の一人として演奏しているのに、今日は僕一人。会場の注目もいつもは7分の1だったのが、今回だけは自分一人に集まる。何なんだこの緊張感は。初めての体験。
更に、会場を良く見ると、中央2列目に我が親籍一同が鎮座ましましているではないか。親類の者に僕のドラム演奏を直に見せるのはこれが初めて。これがもう一つの緊張感。他にも「武田徹」はじめ何人かの高校の同級生が来ている筈だ。
しかし、どうにか大きな失敗もなく2曲終え、いよいよクーペの登場。その時点までで僕が心配していた、長野伝統の会場の硬い雰囲気はかなり和んでいたので、もう大丈夫かなと思って見ていた。
「どうも」。いつもこの一言でクーペは会場の人々を掴む。だが、今回は何の反応もなし。ありゃりゃ。続く彼のMCにも反応は硬い。
一曲目「悟りじゃ」。この曲は前半、Shifoのベース音だけでクーペが歌う。僕と鶴見はその間ずっと指を鳴らすのだ。Shifoも空いている右手で指パッチン。意外なことに会場から手拍子が聞こえて来た。
こういう反応を引き出せればもうこっちのもの。「悟りじゃ」の中盤、「♪僕のパンツだけ別洗い・・・♪」に会場は大きく沸いた。
僕はこの3曲で、今日のお役目ご免となった。いつもと違う妙な緊張感から解放されてドッと疲れが出たような感じがしたが、その後のステージが気になり、僕は舞台の袖から最後まで見守った。最後まで何とか頑張ってくれ、と祈りながら。
と言うのも、クーペはC型肝炎を治すために、1か月前から週一回のインターフェロンの投与をおこなっているので、副作用で体調は最悪に近いからだ。
糖尿で脳梗塞でC型肝炎、良くもまあこれだけの爆弾を抱えながら、音楽活動を続けられるものだと寧ろ感心する。僕がクーペと知り合ってから7年。この3つの病気とも入院してはその都度ステージに戻っている。その最悪、そのギリギリを超えて戻った時に、クーペに必ず奇跡が起きたのを僕は目撃している。
糖尿の入院後は、東芝EMIからメジャー・デビュー出来たし、脳梗塞で入院した後は、所在が分からなかった娘さんと28年振りの再会が出来たし、今回は何が起きるのだろう。
ステージはアンコール曲「家に帰れないお父さん」で、会場を大いに沸かせてお開きとなった。
10 月 13, 2008 No Comments
ふるさとライブ(1)
会場には350~360人ほどが集まってくれた。予定の席は全部埋まり、予備の椅子を出したほどだった。IOI倶楽部主催の長野駅近くの会場でのコンサートなのだが、主催者の力の入れようが伝わろうというもの。
出演者側としては何とか期待に応えて成功させなくてはと思う。しかし、今日の出演者は、これまでの「クーペ&Shifoの、50歳過ぎたら聴きたいコンサート」では最少人数のバンド構成なのだ。クーペとShifoとプロ・ドラマーの鶴見と僕だけ。楽器はShifoが弾くキーボードとピアノ、それにドラムとコンガのみ。これで大丈夫かな。
僕は地元出身だから良く知っていることがある。長野の人間は凄くシャイだから、どんなコンサートでも、どんなお笑いの人が来ても、静かに聞く。滅多に笑わないし手拍子もしない。益して、若者のライブのように立ち上がって身体を動かしながら大騒ぎするなんて有り得ない。
奥ゆかしいのではなくて、恥ずかしいのだ。なかなか自分を解き放てないのだ。どんなに素晴らしいコンサートでも、自制心が働いてしまい、会場全体が熱くなるようなことにはなって行かない。これが県民性だ。
昔、東京で活躍するいろんな歌手が地方公演で長野にやって来た。当時絶頂だったアイ・ジョージ。弘田美枝子。西郷輝彦・・・。ステージでどんなに頑張って熱唱しても会場は静かなままだった。彼等は異口同音に「長野の皆様は、とても行儀正しくお聴き頂くので驚きました。他の場所ではワーワー、キャーキャーとても騒がしいので、こんなに静かに聴いて頂いたのは初めてです」と言ったものだ。
だから心配だった。だが、Shifoが2曲ピアノの弾き語りで歌った時はもう会場はその歌に感動して彼女を受け入れてくれている空気が伝わった。3曲目。Shifoはおじさんバンドの紹介に移った。
「暇な店を支えてくれているのがこれから紹介しますおじさんバンドです。この方達と一緒に演奏する時は、バンド名が『年取った白雪姫と7人のじじい達』に変わります」と言った時、会場から温かい笑いが起きた。「ではおじさんバンドどうぞ」とShifoが言うので僕はステージの袖から出て行ってドラムの位置に着いた。
何か格好が悪い。いつもは7人で位置に着くのに今日は僕一人。「今日は平日のため、6人は仕事が忙しく東京から来れませんでしたが、代表して一人だけ来てくれました」。何だか僕一人だけ暇みたいで具合が悪い。でも事実だからしょうがない。
10 月 12, 2008 No Comments
信越放送で紹介してくれた
僕の故郷は信州。松本生まれ(正しくは松本の隣の豊科生まれ)、長野育ち。この両市は未だにライバル意識が強い。
松本は城下町で長野は門前町。松本は中信の雄で長野は北信の雄。松本弁は静岡圏の(南の)影響と文化を多分に受けた言葉だが長野のそれは全く違う。県下No.1の高校が松本深志高校でNo.2が長野高校、等など。
更に、古くは松本が武田信玄の支配地域だったが長野は上杉謙信の地域だったことから、夫々信玄ファン・謙信ファンの比率が圧倒的に高い。
1998年の長野オリンピックの時は、一般の人は長野県の政財界・官民挙げて一協力して実現したように思われているかも知れないが、実際には、中信と南信は殆ど無関心。どこか遠くの出来事だった。冬のスポーツだから会場も北信に集中するから仕方無いのだけれど、真相は名前が「長野オリンピック」だったから。
県知事は全県に協力要請したのだが、思うように行かなかった。オリンピックの名前は開催地(都市)の名前を付ける習わしだから、オリンピックの「長野」は長野県ではなく長野市を指す。だから松本市は関係ないと冷淡になる。
これほどの両市のライバル意識はどこから来ているか。それはその昔、県庁所在地を松本と長野のいずれにするかで県議会が真っ二つに割れ大揉めに揉めて、夫々を支持する議員数が全く同数となり、最後に議長(北信出身)の長野支持で決着した経緯が、今も人々の深層心理に生きているということのようだ。
さて、その長野市で「クーペ&Shifo」のコンサートが明日開かれる。これはIOI倶楽部というところが主催してくれるチャリティー・コンサートだ。同じコンサートは昨年松本で開催しているから、両市のライバル意識を良く知る主催者のバランス感覚に僕はただただ脱帽である。
僕は主催者から頼まれて、ある友人にラジオの番組の中でこのコンサートのことを紹介してくれるように依頼した。
友人というのは、小学校・中学・高校と一緒だった「武田徹」という男だ。彼は土曜日に、信越放送という長野県内では超メジャーのAM放送局で自分がパーソナリティーを務める3時間番組を持っている。地元ではとても人気の高い番組だし、彼を知らない人はいない程の有名人なのだ。その番組で「クーペ&Shifo」を紹介し彼等の曲を流して貰いながら、今回のコンサートを紹介して欲しいと頼んだ。
「武田徹」とは小・中通じての野球仲間で、彼がエース・ピッチャー、僕がサードでずっと一緒にやって来た仲だ。大学は違うがお互い学生バンドでドラムを叩いていたのも共通する。彼は僕の依頼を快く引き受けてくれた。
そして、先日、既に放送した時の録音盤を送って来てくれた。関係者全員で聞いたのだが、凄く良い番組に仕上がっていたと思う。番組の中で、僕の紹介までしてたのは余計だったが、クーペとShifo夫々の紹介の上手さ、クーペの詩を朗読した時の何とも言えぬ滲みじみ感、クーペの「家族が作れなかった」、Shifoの「どっちでも不思議」を流してくれたのだがその選曲の妙、センスの良さ。
これが、クーペとShifoの歌が故郷の信州全域に初めて流れた瞬間だったと思うと、何だか胸が熱くなった。武田には心から感謝した。これで、明日のコンサートの成功は間違いない。
10 月 7, 2008 No Comments
通勤・痛勤
今日は、今後僕が手伝いをする予定の会社に出社する日だ。朝8時に最寄駅に行ったら、改札入口に「人身事故のためダイヤが大幅に乱れています」と大きく書かれていた。
「久し振りに朝の電車通勤なのに、やめてよ」と舌打ち。普段電車に乗ることも珍しい上に、朝の満員電車は7年振りのことで、慣れるまで大変だなぁと、覚悟を決めて駅にやって来たのに。これじゃギュウギュウ詰めになるし、いつになったら目的地に着くことやら。
7年振りの満員電車通勤と書いたのは次の事情による。7年前に会社合併した時、僕の所属するシステム部門の本拠地としては、合併相手の会社のコンピューター・センターが選ばれた。そのセンターは我が家の最寄駅の直ぐ近くだったため、その時から僕は会社まで歩いて8分の、東京では珍しい職住接近(大接近)の恩恵に浴して来たからだ。
当時会社合併に伴うシステム統合を指揮した責任者だったこともあり、相手社のコンピューター・センターを使うことになったのは、神童の企みだとか、会社合併効果の独り占めだとか、様々に揶揄されたものだ。
これに対して僕は、「何事も25年諦めないで願い続ければ、願いは叶う」と言ってやった。
つまり、25年前、我が家は都心から現在の郊外に引っ越して来た。僕は最寄駅から毎朝同業他社のコンピューター・センター見て、あの会社に入っていれば歩いて通えていたのにと毎日必ず思った。それが遂に天に通じたと言う訳だ。僕が会社に近付いたんじゃない。会社が我が家に近付いたんだ。
事故がなくても朝のラッシュ・アワーの時は、今度の会社まで立ちっぱなしで1時間は覚悟がいる。それがダイヤの混乱だから今日は一体どうなることやら。
案の定、2時間以上の超満員立ちっぱなしに必死に耐えることになってしまった。途中車内から携帯で先方に遅れる旨を伝えたが、30分余裕を見て家を出たのに着いた時は40分以上も遅刻。
「遅くなってスイマセン」と事務室入口で言ったら、秘書の女性が「お待ちしていました。社長は第2会議室におります。皆さんご一緒です」と仰る。第2会議室?案内された場所は建物から出て、通り向かいの喫茶店だった。
店の一番奥に全員揃っていた。9時半から社長以下とある案件について打ち合わせを予定していたのが、それはあらかた済んでしまっていた。話は専ら今後の戦略についての意見交換になった。
いやー、それにしても酷い初出勤になってしまったものだ。2時間も立ち続けたお陰で腰が痛いのなんの。歩いて通っていたというのがどれ程恵まれていたことだったか、身を持って思い知らされた通勤初日であった。
10 月 6, 2008 No Comments
文化の貧困
別のバンドの知人がいる。彼は一部上場企業の部長さんだ。今大変悩んでいる。彼の会社は昨年夏以降のアメリカの景気後退の煽りを受け、輸出に急ブレーキが掛り、会社全体が大変な状況らしい。
彼の悩みは、担当役員から「会社がこういう状況の時、のん気にバンド活動なんかやってる場合か!他の社員へのシメシが付かないからやめてくれ」と言われたことだ。言外にバンド活動を続けるなら部長を降りて貰うというサインだったそうだ。
それまで彼は会社名も隠さず部長であることも明らかにして音楽活動をして来た。それが少しでも会社のメージアップになると思ったからだ。何年も続けて来た活動だから周囲にも浸透し理解してくれていた。
また、歴代の上司から一度もそれをノーと言われたこともなく、寧ろ理解をしてくれていると思っていた。
益して、彼は部長として、会社業績が落ち込む中、相対的に他の部門より頑張って来ているという自負もあり、趣味が仕事に悪影響を与えているなどとはつゆ程も思っていない。
だが、一旦会社の経営状況が悪くなると、役員から平社員まで皆が眉間にしわを寄せていないと、あいつは危機感のない奴と見做されかねない雰囲気になる。それが連帯意識の強い日本文化の特徴だろう。
会社を離れたプライベートな時間でも、破廉恥行為や法律違反を犯すとそれはやはり会社の名誉を傷付けたとして処分対象になることはあるが、真っ当な趣味が会社で問題になるなどと聞けば欧米のビジネスマンは目を剥くことだろう。
僕は彼にアドバイスをした。「私のバンド活動を禁ずると言う事は、プライベートの時間、一切の文化活動を禁止すると言うことだから、当然あなた方役員や社員のプライベート・ゴルフも禁止するということですね?って質問しろよ」と。万一、ゴルフは良いけど音楽はダメなどと言うなら言語道断。ゴルフと音楽の何が違うのかと更に質問しろと伝えたのは当然のこと。
それにしても、仕事で失敗したから部長を降りろと言うのならまだ納得出来るが、プライベートの時間、音楽をやるなら部長を降りろとは。経営危機を招いたトップの責任を置いといて、社員の趣味を槍玉に挙げるなんて、無節操な八当たりではないか。
いやはや、一部上場大企業の「文化の貧困」ここに至れりだ。いや、日本は戦後から今日までずっと「貧困の文化」から抜け出せていないか。
10 月 5, 2008 No Comments

