プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 11月 2008

メープル街道の旅(16)

30年振りのナイアガラの滝との再会を果たした後、バスはナイアガラ・オン・ザ・レイクに向かった。この町はナイアガラの滝から、車で30分ほど北上したところに位置する。イギリス植民地時代に現在のオンタリオ州の最初の首都として栄え、今なおイギリス調の街並みが美しい。

小一時間、自由時間があったので、カミサンと町をぶらついた。観光客が大勢この町に押し掛けているようで、どの店も買い物客で賑わっていた。白人の団体客、それも現役引退組みの人達が多いようだ。僕もそうなので何となく親近感。

一通り街を見て回って、最後に町の名前の由来通り直ぐ近くにあるオンタリオ・レイクの畔を散歩してバスに戻った。

カナダの旅の最後は、この町の郊外にあるアイスワイン工場での試飲会だ。バスで10分ほどで目的の工場に到着。早速試飲。アイスワインなるものは初めて飲んだ。甘い。とても甘い。慣れれば美味しいのだろうけど、どうにも僕には合わない。

何故アイスワインと言うかというと、葡萄の実をあえて樹につけたまま冬の到来を待ち、何回か凍結した葡萄の実をワインの原料に使うからである。

凍結と解凍を幾度も繰り返すと、少しずつ水分を失い、葡萄本来の甘みと芳醇な香りをまとった果汁が実の中に凝縮されて行く。ドイツを起源に持つこのアイスワインは、貴族のワインとも呼ばれる。ここナイアガラの厳しい寒さは、アイスワイン用葡萄の生産に適していることから、アイスワインのメッカとなった。

ワイン工場見学後、バスは一路トロントへ。カナダの旅の全行程が終わり、最後の夜をトロントで過ごすのみとなった。ホテルのレストランの別室でツアー一行の晩餐会が開かれた。1週間も行動を共にしていると、殆どの人と気軽に話せるようになるものだ。

僕の隣は上品な感じのするご婦人の2人組だ。年齢も僕等夫婦と近そう。ビールとワインを飲みながらお話をした。婦人の1人が僕に言う。「まだお若い内に、ご夫婦で海外旅行されるというのは本当に羨ましいです。私達も、主人が現役の時はとても無理でしたから。ねぇ」と、お2人で頷き合う。

「え!幾つに見えますか?」と僕は逆質問した。「50チョッと過ぎくらいかなと・・・」。こんな場合、男は喜んで良いんだか悪いんだか。確かに僕は童顔だけどサ。「クーペ&Shifo」には、ステージでいつも「QP神童」って呼ばれ、芸名にされちゃったくらいだから。

その上、旅行の時の僕の格好もカミサンの服装も、ジーンズやチノパン、Tシャツにジージャン、野球帽だから、実際より若く見られてしまうのは分かるけど、50歳とはねぇ。そこまで言われちゃうと本当の年を言えなくなっちゃった。

と、カミサンが躊躇なく「この人とっくに還暦過ぎていて、私も再来月還暦ですから」と言ったもんだから、お2人は目が点になってしまった。

明日はいよいよ日本だ。

11月 30, 2008   No Comments

メープル街道の旅(15)

ナイアガラのカナダ滝直ぐ近くに停車したバスから、僕等は飛び出すように外に出た。ゴーという物凄く大きな滝の音。水しぶきが小雨のように体に降り注ぐ。僕とカミサンは濡れるのも厭わず、手摺りから滝を覗き込んだ。

そこは丁度滝の真横だったから、大量の水が真下に流れ落ちて行くのが良く見える。この大迫力。勿論下の方は水煙で落ち際まではとても見えないが、思わず引き込まれそう。

僕の右手から豊かな水を湛えて静かに流れて来た大河が、いきなり崖っぷちに立たされてしまい、行き場所を失って勢い良く左手に落下して行く。この荒々しさは、自然が作り出した静から動への巨大なスケールの激変ドラマだ。これを大スペクタクルと言わずして何と言うか。

水しぶきが凄くて雨の中にいるようなもの。ヤッケを着ていても中まで濡れて来そうなので、その場を離れてカナダ滝とアメリカ滝の両方の全貌が見える展望台に上った。ここからは、滝から少し離れているので濡れることはない。改めて眺めると、空は結構晴れていて、滝の近くだけが水煙に覆われている。

そうだ、30年前、僕はこの同じ場所で、Sと一緒にこの同じ滝を眺めたっけ。50日間のアメリカ研修の合間に彼とここを訪れたんだ。あの日は本当に雨だったから、滝の水煙なのか雨なのか判然としないまま、ここから眺めたよな。そしたら親切なアメリカ人老夫婦が、ここでは濡れるから自分たちが泊っているホテルの部屋から見たらいいと僕らを誘ってくれた。

今は近辺に沢山のホテルが建っていて、それがどのホテルだったかもう分からないが、部屋から見たナイアガラの滝の光景は今でも覚えている。親切なあの老夫婦は、確か、70歳を過ぎていた筈だから、今生きていたら100歳を優に超えている。もうこの世にはいないんだろうな。ジョージア州からやって来たと言っていた。死ぬまでに一度ナイアガラの滝を見たかったと言っていた。

僕等夫婦もあと10年もすれば同じような年回りになる。その時、観光地で見ず知らずの外人さんに声を掛け、自分達の宿泊室に招き入れるような親切を行えるだろうかと考えた。そんな余計なこと出来る訳ない。そんな危ないこと出来る訳ない。

その時はそれほど迄に思わなかったが、今考えれば、僕等はあの夫婦に途轍もない親切を受けたんだと思った。あの時と同じ場所で、30年も経ってやっと気付いた。

その後、僕等ツアー一行は、霧の乙女号(遊覧船)に乗って、滝の直ぐ近くまで行った。落ちて来る水の量と勢いと音。その迫力は上から見るのとは大違いだった。前回来た時は雨で乙女号が欠航していたから、今回の乗船で2回目のナイアガラも強烈な思い出となった。

11月 29, 2008   No Comments

メープル街道の旅(14)

本日は観光最終日。トロントからナイアガラに向かう。トロントはオンタリオ湖の北東に位置し、ナイアガラは南西に位置するから、丁度オンタリオ湖の反対側に行くことになる。湖を半周するだけだが、対岸は水平線しか見えない大海原のように大きいから、高速道路を100kmで飛ばしても2時間も掛かる道のりなのだ。

今日、トロント→ナイアガラ→トロントの往復丸一日のガイドを勤めてくれる女性(トロント在住の日本人)がバスに同乗してくれた。

ナイアガラに向かう道すがら、彼女は様々なカナダ事情を話してくれた。その第一は、カナダの物価事情。日本に比べて凄く高いのだそうだ。彼女がつい最近買った中古車(日本車・小型乗用車)は、10年もので、日本円にして数十万円もしたそうだ。日本なら10年前の車など売っていないか、あっても数万円だろう。

そして、所得税がこれまた高いと来ているから決して住み易い場所ではないと言い切る。そのため裕福な家は極く稀で、みんな慎ましい生活をしているとのこと。税金が高過ぎると、どんなに頑張っても可処分所得は殆ど増えないから、勤労意欲が湧かないという問題もあると言う。

更に消費税が高い。僕らが買い物をしていて困るのは、定価の表示はあっても、それに消費税として国税・州税の両方が掛かる上、州によって税率が異なるから、支払いが一体幾らになるか分からないことだ。

例えば最終日。トロント空港から出発する時、コインは日本に帰っても円に変換出来ないので売店で小銭を使い切ろうと思い、水でも買おうと定価を見たら3ドル強だった(空港は特別に高い)。ポケットに4ドルあったから買えると思ったのに足りず、恥を忍んで品物を戻さざるを得なかった。トホホ。

それでも、ガイドさんは、子供を育てたり病気になった時は手厚く面倒を見てくれる国だと語った。出産時の病院代は無料だし、高校卒業まで授業料は一切掛からない。病院代も日本に比べれば遥かに安いし、老後の年金も十分貰えるという。

北欧の国々に近いシステムなのかなと思った。税金は高いが高福祉の国。税で充分な福祉を実現しているのだろう。日本は保険制度で健保や年金を賄っているが、未納の多発で制度そのものが揺れている。保険から税負担に切り替えるべきとの議論もあるが、果たしてカナダ方式が良いのかどうか、判断は難しいところだ。

ナイアガラに到着。直ぐに滝を見に行くのかと思いきや、その前に「OKショップ」という所に連れて行かれた。説明によればあの大橋巨泉(OK)氏がオーナーを務めるみやげ物店らしい。中には、巨泉氏を真ん中にした団体ツアーの大きな記念写真が飾られていた。

店内は結構広い。カミサンは友達への土産を探すというので、僕も勝手に、「クーペ&Shifo」とおじさんバンド・メンバーへの土産を物色した。手頃な値段で持ち帰るのに嵩張らない物。あった。更に、女性用のマフラーを買い求めた。

それをカミサンに見付かってしまった。「誰のお土産かしら?」。ドキッ。「お前のさ。家に着いてから渡そうと思ったんだけど、見付かっちゃったか・・・」。

11月 28, 2008   No Comments

ご声援誠にありがとうございました

皆さん、ご声援誠にありがとうございました。お蔭様で「クーペ&Shifo」が無事、テレビ歌番組初出演を果たしました。贔屓目かも知れませんが、9組の出演者の中では、1、2番の感動ものだったように勝手に思いました。

何せ、司会の上田が「ビデオ・ストーリ-のナレーターが、収録の時、泣けて泣けてしゃべれなくなったそうですから」と紹介するし、歌の後西田敏行に「もう完全にノックアウトされちゃったもの」って言わせましたから。

これを励みに、彼らは一層創作活動に、また、全国ライブ活動に張り切ってやって行くことと思いますので、応援の程宜しくお願い致します。

「クーペ&Shifo」応援団より

11月 26, 2008   No Comments

プレミアムエイジの詩(修正版)

エイジさんの作った「プレミアムエイジの詩(うた)」に修正を加えて曲も着けてみました。曲は聴いて貰う訳に行きませんが、詩の方はどなたか更に改良して頂ければ、いつの日か日の目を見ることもあるかと思うますので、お願い致します。

プレミアムエイジの詩(修正版)

Words by hurumiya eiji
Music by sindo baddo

1. 「戦い、もうやめて」と君は叫んだ
夜空に向かってむなしく叫んだ
あの遠い遠い日々

気がつけば君は会社を支える
立派な企業戦士・・・
ほんとの戦争は知らない筈なのに
君は戦い続けた・・・

勝ち続けるのは難しいこと
それでも君は挑んだ
I’llneverforgetyourmind.
Don’tworryanymore!
AswearethePremium- Age、forever.

2. 愛する家族と過去とを背負って
戦うことが男の道だと
深く信じてた

膨らみ切った風船のように
ついに破れて(敗れて)君は・・・
忘れていた笑顔を取り戻し
重い鎖を解いた・・・

過ぎたことは全てがプロローグ
ほんとの人生が始まる
I’llneverforgetyourmind.
Don’tworryanymore!
AswearethePremium- Age、forever.

(繰り返し)

過ぎたことは全てがプロローグ
ほんとの人生が始まる

11月 25, 2008   No Comments

メープル街道の旅 (13)

アルゴンキン州立公園の中は、殆どが森で湖も多い。僕達の一行は公園の中心部に近い湖の畔で昼食をとった。気分はハイキングだ。

配られたお弁当箱には、ハンバーガーやジュースやりんご・お菓子などが入っていて、子供の遠足のようだったが景色は素晴らしかった。鏡のような水面に対岸の紅葉の森が逆さまに映って、あたかも上下シンメトリックな印象派の絵画を見ているような美しさだった。

その素晴らしさは、構図もさることながら、濁りのない空の青と紅葉の輝くばかりの赤が、全く減衰することなくそのまま反射している水の透明度の成せる業だ。勿論空気が美味しいのでランチも旨い。心の中に深く沈殿したストレスが全て洗い流されていくのを感ずる。

この頃になると食事も何も全て団体行動なので、一行のメンバーとはかなり親しくなった。全部で33名のツアーだ。それに添乗員の女性とカナダ人のバス運転手。添乗員は30代後半か。学生時代を含めて長い間アメリカで過ごした模様で、英語は流石に流暢。

カナダではフランス語が必須なので、カナダ旅行の添乗員をやっている間に、フランス語も何とか通じるようになったと言う。現に、運転手はフランス語しか話さない人だが、普通に会話しているから大したものだ。

ツアー客の方は、母娘の2人組が2組。家族4人で来ているグループが1組(その中に大学生位の男子がおり、彼が多分ツアー最年少)。1人で参加している女性が4人、男性1人。男性の2人組が1組。女性のペアは4組。残りは全部夫婦連れだった。

こういう旅行で感心するのは女性達の社交性だ。知らない者同士、2日目にはもう打ち解けて何十年来の友達のように振舞っている。うちのカミサンも何ら苦痛を感じることなく彼女らと話すようになっている。

そこへ行くと、男の方は気持は打ち解けようと思っても、1日2日では会話が続かない。「カナダは初めてですか?」「はい。そうなんです」、お終い。「カナダ以外ではどちらか行かれましたか?」「昨年イタリアの方に家内と行きまして」、終わり。それも5日目ともなればやっと普通に話すようになる。

男性の2人組とは、彼等のアフリカ旅行で年寄りの象が老衰で死ぬ場面を見た時のエピソードや、アメリカ経由での南米からの帰りに、とんでもない目に遭った話で盛り上がった。

ニューオリンズを襲った例のハリケーン・カテリーナに遭遇して3日も足止めを食らった挙句、ハワイ経由で飛んだ飛行機が台風を避けるためにグアム島に降りて一泊。

更に日本に帰ったのは帰ったけれど、やはり台風の影響で成田に降りられず、今度は仙台空港に連れて行かれ、その翌日やっと5日遅れで、新幹線で東京に戻った話など聞きながら腹を抱えて笑った。南米から帰るのに何で新幹線?って、家の人が誰も信じてくれなかったと悲しげに言うもんだから。

11月 24, 2008   No Comments

ゼミ仲間

大学時代のゼミ仲間が毎年2回、京橋のレストランの一室を借りて飲み会を続けて来た。若い内はみんな仕事が忙しくて、何年かに1回、久し振りに集うと言った頻度だったが、この15年ほどは、必ず年2回、場所もいつもの店で定例開催して来ている。

ゼミの同期生は全部で14人だが、各地に散らばっているので、常時その半数くらいが集まる。

2年前には交通事故で1名を失った。それまで、病気もせず1人も欠けずにみんな元気に働いていたから、そのことを仲間達は秘かなる誇りとしていた。それだけに、彼の死はショックだった。

今日の会では、暫し、痛ましい事故で亡くなったH君の思い出話しがされた後、遥々札幌から駆け付けたI君の話をみんな聞きたがった。何せ、彼とは10年振り、20年振りという奴が多いから無理もない。

彼は北海道東北公庫に長く勤めた後、現在は北海道熱供給公社という所に勤務しているようだ。東京から北海道に移った時から単身生活を始めて、もうかれこれ8年になるそうだ。

それだけ単身が長いと、掃除洗濯は勿論、自然と毎日の食事も自分で作れるようになってしまうものだと彼は言う。

僕は10年前に仙台に1年だけ単身赴任したが、非常に短かったせいか、今でも掃除洗濯炊事がまるでダメである。それに比べ、彼のような旦那様だと奥様から気に入られ、第2の人生が非常に旨く行くだろうな。

更に驚いたことに、単身のために自分の時間が沢山あるので、何年か前からフルートを習うようになり、発表会などにも出演しているという。それもクラシックでなくジャズのフルートをやるのだからビックリした。今、ハービーマンをやってるそうだ。

およそ音楽などには縁遠い人だったのに、変われば変わるものだ。この変身への挑戦がPA世代の特徴の一つであり、権利なのだと思う。

ゼミの会全体としては、どうしても現在の経済状況に話が及び、株価はいずれ5,000円台に、円は1ドル70円になるだろうとの意見もあった。

そうなった大きな問題は、サブプライム問題に限らず、虚業である金融が実業の産業の上位に位置付けられるようになってからおかしくなった。世界中で嘘業が実業を脅かしているとの意見で纏まった。

全員経済学部出身だし、銀行や商社に行った奴が圧倒的に多く、産業界に行った奴は3人しかいないゼミなのに、自分達を否定するような結論になったのが面白かった。

11月 22, 2008   No Comments

会社のOG会

僕が会社に入った時から、5~6年経つ頃までの間、同じ職場で一緒だった元女子社員達が3年前から年1回、同窓会を開いている。昨夜はその3回目が開催された。

40年振りの女性もいて懐かしいし、とても楽しい会だ。この会には男性陣は勝手に参加する訳には行かないのだ。女性陣が来て欲しい男子を決める仕組みとなっているからだ。

僕は毎回呼んで貰っているので大変光栄に思う。まぁ、それ以上に当時22~25歳の多感な自分が、恋したり、片思いしたり、遠くからただ憧れていた女性達に、再開出来る喜びは、筆舌に難い

そしてこの会が、1回目より2回目、2回目より3回目と、参加する女性陣がどんどん増えて来ている。一回目は女性6人男性4人だったのが、今回は女性13人男性6人となった。口伝でこれだけ新たな女性参加者が増えたのは本当に嬉しいものだ。義理でも付き合う男と違って、楽しくなかったら決して参加しないのが女だからね。

さて、そんな中で今回は遠く四国からわざわざこの会のために上京して参加してくれた女性がいる。旧姓Yさん。彼女は僕より2年後に入社した人だ。その美貌から、直ぐに職場の男子のマドンナになったのは自然な成り行きだったが、同期入社の他部門の男子も放って置く訳がない。

そんな中に他部門に配属になった同期のM君がおり、Yさんを見染めた。傍から見れば美男美女で、もし結ばれるなら、似合いのカップルと誰もが見ていた。M君は先輩の僕等から見てもいい奴なので、M君の強い思いを知れば知るほど、周囲もM君を応援するようになって行ったと思う。

だが、人生、そうは簡単に行かないから、やっぱり人生。結局M君の思いはYさんの心を動かすまでには至らなかったようだ。M君の悲恋物語に終わってしまった。

昨日朝、あのYさんがOG会に出席するとの情報が入った。僕は直ぐにM君に電話で連絡した。「Yさんに何か伝言はあるか?」と聞いた。「時空を超えて今も貴方に対する気持ちは同じです、って伝えて貰えないでしょうか?」「おいおい」。「じゃあ、僕の画集を託しますから、それを彼女に渡して下さい。それから、携帯で彼女の写真撮っておいて下さい」「分かった」。

35年も経っているのに、M君のあの時の思いは変わっていない。僕は妙な感動を覚え、言ってしまった。「そこまで言うなら、お前今日参加しちゃえよ」「いいんですか?」「俺が特別に許す」。

幹事(女性)に無断で彼を呼んでしまった。次回は僕が外されるかな。Yさんには申し訳なかったかも知れないが、会では2人が周囲に気を使いながら、それでも楽しそうに話しているのを見て、正解だったと勝手に思った。

11月 21, 2008   No Comments

テレビ出演のお知らせ

この一週間は、コンサートが2回もあり、会社勤めはまだ2週目だったから結構疲れた。ライブは水曜日に飯田橋のトッパン・ホールで、日曜日は八王子イチョウ・ホールで、夫々夕方6時以降の開演だった。コンサートが終わって楽器を片付け、店に戻って再設置、その後打ち上げとなる。

水曜日は打ち上げ後、家に帰ったのは深夜零時を過ぎていて、翌朝の通勤がきつかったので、流石に日曜夜の打ち上げは遠慮した。それでも正直月曜日は辛いものがあった。幾ら好きなことでも還暦過ぎると大変だな。

しかし、Shifoも他のおじさんバンドの面々もみんな元気だ。僕と同じく還暦過ぎのクーペも糖尿病に脳梗塞・C型肝炎と三重苦なのに、嘗てない真剣さなのだ。

そう、その理由は、来週初めてテレビの音楽番組に出演するからだ。これまでもクーペを取り上げたテレビ番組はあったが、その全てがドキュメンタリー番組か、夕方のワイド・ニュース番組の中の特集だった。本格的な歌番組出演はこれが初めてだから、期するものがあるのだろう。

加藤登紀子や西田敏行、藤岡藤巻、いっこく堂などと一緒に出演することになった。全部で9組のミュージシャンが出演するらしいのだが、「クーペ&Shifo」の出番は、トリの西田敏行(もしもピアノが弾けたなら)の前だというから大したもの。準主役の扱いか?

どうか読者の皆さん、「クーペ&Shifo」の晴れ舞台を見てやってください。

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日時:11月25日(火)19:58~22:09
番組:日本テレビ(4Ch)「誰も知らない泣ける歌」

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11月 19, 2008   No Comments

メープル街道の旅(12)

オタワでは、まず市の中心部にある大規模な露天市場を見て廻った。民芸品・特産品・装飾品・Tシャツ・ジーンズ・果物・野菜・ファーストフードなど、沢山の店が並んでおり様々な人種の観光客で賑わっていた。僕はそこで気に入った帽子を一つ購入した。

次に国会議事堂を見学したが、驚いたのは建物全体が中世ヨーロッパのお城のような趣きで、立派な観光資源になっていたことだ。火災のために建て直したものらしいのだが、見る者には充分に時代の重みを感じさせる。歴史の新しい国でこのような建物にお目に掛かるとは思わなかった。

その後バスの車窓から各国の大使館が居並ぶ地区を眺め、市内を流れるリドー運河の畔を散歩し、セント・ローレンス川をクルージングしてオタワ市内観光を終えた。

翌日は、いよいよ紅葉のカナダの代名詞とも言えるアルゴンキン州立公園に向かった。アルゴンキン族という先住民族に因んで名付けられた。紅葉のカナダをPRするポスターは、大概このアルゴンキン州立公園の写真だそうだ。ここ何日かの冷え込みで、一気に森の木々が色着いていて欲しいものだ。

オタワからはバスで4時間ほど。州立公園全体の大きさは東京都23区とほぼ同じ大きさだという。公園内をバスが行く道路の両側はレッド・メープルの葉が赤々と染まり、息を飲むほどの素晴しさだ。山が燃えるとはこのことと思った。

初日、添乗員に「紅葉はまだ3%」と言われどうなるかと思ったがこれは凄い。カナダに来た甲斐があったというものだ。

実は、僕は現役を引退するまで、紅葉にあまり興味のない人間だった。春の花見には出掛けても、秋に紅葉を見に出掛けるという気にはなれなかった。それは満開の桜には感動しても、葉っぱが色着いた位で何が良いのかと思っていたからだ。

その既成概念が木っ端微塵に打ち砕かれた。林全体が、森全体が紅に染まっている。それも、昨日か今日、真っ赤に染まったばかりだから、晴れ渡った青空を背景にして、新鮮な赤が太陽光を受けて光り輝いている。僕は車窓から我を忘れて見とれていた。

州立公園に入って20分ほど進んだ所でバスから降り、そこから30分ほどハイキングで山を登った。その頂上にテーブル・マウンテンとでも言うような平らな岩が現れた。そこからはアルゴンキン州立公園が一望出来る。一面が、紅葉と常緑樹のモザイク模様だ。遠くには湖が幾つか見える。

人工物が何も見えない超自然。空気も旨い。これがカナダか。空は雲一つない青空。気持ちいい。僕の口が勝手にしゃべった。「カナダなのに、何故か知らねど、日本晴れ」。カミサンが笑った。

11月 17, 2008   No Comments