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復帰
今月初めからある会社に勤め始めた。新宿の甲州街道沿い、文化服装学院の近くだ。3月末に退職して以来半年以上、全く時間に縛られない生活をしていたから、再び規則正しい生活に戻るのはさぞや大変だろうと思っていたが、2日目にはもう慣れていた。
目覚まし時計はセットしておいても、その5分前に自然と目が覚める。身体が朝からシャキッとするのが自分でも分かる。何なんだろうね、この緊張感は。長いサラリーマン生活で身に着いてしまった一日のリズムなのか。身体が勝手に思い出したよう。
悲しい性みたなものだね、きっと。まあそれでも、この3月まで7年間は会社が自宅から徒歩8分の所にあったから満員電車の通勤をしないで済んでいたので、本当に久し振りの電車通勤となった。立ったまま40~50分は慣れるまでに少し時間が掛りそうだ。
と思っていたら、社長のJTが「明日からは10時出社ということで」って配慮してくれちゃうから、2日目からは座って通勤出来て、これまた何の問題もない。
問題は、仕事の感覚が戻るかどうかだ。この会社、今月立ち上がった小さな保険会社なのだ。共済は、廃止され保険会社になることを求められており、生協系共済の受け皿保険会社として発足したばかりだ。
僕はそこの顧問という肩書を貰い、新会社用のシステム作りを頼まれている。きっとJTが僕に、老けこむ前にもう一度、最後のシステム構築の機会を与えてくれたということなのだろう。
だが、3月末に退職と同時に全てをリセットしてしまったから、正直自信はない。ならばそれが出来る人間を集めて進められるようにするか、と思った瞬間希望が見えた。
28年前、業界初の分散型オンライン処理を成功させたキーマンの再集結を目論もう。Sは真っ先にOKをくれた。女性SEのKに連絡した。彼女は家庭の主婦だが快くOKしてくれた。Gは現役バリバリだから今回は無理。
最後に、当時メーカーから僕等のプロジェクトに送り込まれたZに話をしたら、そういうメンバーともう一度やれるならとても嬉しいとの答え。但し、彼は現在別の会社に籍を置いているから、彼の参加の形をどうするか考えなくてはいけない。
Kは僕等より一回り若いが、彼女を除いてみんな団塊の世代だ。JTは、団塊の世代は長い会社生活の中で培った経験やノウハウ・技術などを持つ付加価値の高い人々なのだから、それを今こそ社会に還元すべきだ、と良く言う。そう、それだ。団塊世代の挑戦が始まった。
11 月 15, 2008 No Comments
IOI倶楽部コンサート
僕が属していた企業が主催する「IOI倶楽部チャリティー・コンサート」に、「クーペ&Shifo」と共に出演して来た。3年前から同様のコンサートが埼玉・広島・松本・長野など各地で行われ、今回で都合7回目のコンサート出演となる。今回は初めて東京での開催となった。
これは会社が地域貢献の一環で行うイベントで、地域の一般客をコンサートに招待し、会場で募金を集め、社員の募金と合わせて社会福祉協議会や赤十字などに寄付を行うものである。
このイベントが地域の新聞などにも取り上げられ、「クーペ&Shifo」も徐々に知られる存在になって来た。自称「クーペ&Shifo」応援団としては大変嬉しいことであるし、このイベントに今後も引き続き呼んで貰えるよう頑張らなくてはいけない。
そもそもこのイベントに出演するようになったキッカケは、3年前埼玉の営業責任者であったJS(当稿で以前触れた3Jの内の1人)から、「チャリティー・コンサートを開催したいが、誰かミュージシャンを知らない?」と相談されたことだった。
僕は躊躇なく「今一緒にやっているクーペ&Shifo は如何?」と伝えた。「誰、それ?」「林家三平の弟子だったけど9回も破門になった男と、国立音大出の天使の声を持つ女性の2人組なんだけど、とっても面白いし滲みるんだ。俺はそのバック・バンドのおじさんバンドでドラム叩いてるんだけど」「ふーん」「先だっても日比谷野音でライブやったんだよ」「分かった。神童さんが言うならそうするよ」。
いともあっさり決まってしまった。そんなに簡単に決めちゃって良いのかよ、と思ったが、「クーペ&Shifo」にとって大きなチャンスだから、いただきー、という気持ちでその話に乗った。コンサートは「彩の国さいたま芸術劇場」という立派な会場で、10月中旬の開催予定。
ところが、それから何日か経った7月末に、クーペが脳梗塞で倒れた。緊急入院。僕はJSに知らせない訳には行かないので電話した。当然、「クーペ&Shifo」の出演はキャンセルされるんだろうと覚悟を決めた上で。
「どうなの。何とか10月に間に合うの?」「分かんない。医者は取り敢えず2ヶ月の入院と言っているけど」「Shifo 1人でもやれる?」「それは大丈夫。先日も国立市でShifoとおじさんバンドにコーラス隊だけでライブやったから」「じゃあ、予定通りやってよ。クーペにもなるべく間に合わせるように言って」。
JSをいろいろ言う奴は多いけど、とってもいい奴だ。彼とは10年前の仙台赴任時代からの付き合いだが、この時僕は本当の意味で彼が好きになった。そして、JSが言ったように、クーペは10月上旬に退院して、リハビリにこれ努め、右手右足は不自由ながら、魂の叫びを感じさせる感動的なステージだった。復帰第一戦を見事に成功させた。
その日があって、今回の7回目の出演に繋がった。JSは昨年埼玉から東京に移り、東京では初めてとなるコンサートを「クーペ&Shifo」のために企画してくれたのだ。これが東京の営業最高責任者としてのJS自身のお披露目を兼ねたイベントであることは、「クーペ&Shifo」もおじさんバンドもよく理解していたから、気合が入った。
コンサートの翌日、お礼のためにJSに電話したら、「お客が口々に、面白かった、良かった、泣けたと言ってくれる。寧ろこちらからお礼を言いたい。クーペとShifoに宜しく伝えて」とのことだった。
11 月 14, 2008 No Comments
メープル街道の旅(11)
4日目は、ローレンシャン高原を後にしてバスで3時間、カナダの首都オタワを目指した。途中小さな田舎町でトイレ休憩。僕はどこかで水を売っている店がないか探した。
そこは本当に小さな町で、バス通り沿いに両側に何店か店がある程度で、あとは小さな教会や消防署などがあった。僕は地元の人らしき人に、コンビニがあるかどうか聞いたところ、向かい側の店がそうだと言うので、早速行ってみた。
中は確かに品物が沢山陳列されたコンビニエンス・ストアのようだが、外から見ただけでは全くコンビニなんて思えない。何かの事務所かなと思える位地味な入口だから困るよ。
メキシコ人だかスペイン人だか別のツアー客10人以上が、スペイン語風の言葉でワイワイガヤガヤ言いながら買い物をしている。僕は一番奥に水のボトルを探し当てた。「イズ・ジス・ノー・バブル?」。炭酸入りの水というのがどうにも苦手な僕は近くにいた店員に聞いた。
意味が通じない。仕方ないから手振りでアワが浮かばない水かと訴えた。やっとのことで「イッツ・ノー・ガス」と答えたので、それを2本買って外に出た。炭酸はガスと言えばいいのか。成程ね。日本語でも炭酸ガスって言うもんね。
バスに戻ってカミサンに一本渡した。「良く言葉が通じたね?」。余計な御世話だ。「相手は犬や猫じゃないんだから何とかなるさ」。
昼にオタワに到着した。これまでモントリオール・ケベック・ローレンシャンと観光してきたが、州で言えば全てケベック州だったが、オタワはオンタリオ州である。
どちらの州も外を見ると日本車がかなり多い。そしてカナダでは法律により昼間でもヘッドランプのスモールは点灯して走行することが義務付けられている。日本ではスモールランプを点けるとテールランプが自動的に点くようになっているが、カナダの車はテールランプは点かない。
逆に、イグニッション・キーでエンジンを始動させると自動的にスモールランプが点灯する。カナダに輸出される車はこういう改造が必須条件なのだそうだ。この昼間のヘッドランプ点灯により、高速道路での事故はかなり減ったという。
僕が不思議だったのは、ケベック州に限って、車の前側のナンバー・プレートは不要という州法があることだ。確かにケベック市では前方のプレートが無い車が圧倒的に多かった。でも、その理由って一体何だったのだろう?鉄資源消費の削減だろうか?
11 月 12, 2008 No Comments
信濃の国
以前当稿で、爵士氏から、長野県民が慣れ親しんだ県歌「信濃の国」について、過去の歴史的経緯を教えて貰った。
長野県の松本以南の地区(長野県に統合される前は、信州の中部・南部地区に飛騨高山を加えて、筑摩県と言い県庁は松本にあった)と北信地区(信州の北部)とは、長野県への統合以来、住民感情の激しい対立・確執が生じ、それは「信州南北戦争」とまで言われた。
「信濃の国」という歌は、その対立を融和するために生まれ、県民全員が歌うことで、人々に親しまれるようになったもので、他県の民謡とは異なる県歌という、他にあまり例のないものである。(アメリカにはテネシー州のテネシー・ワルツ、ジョージア州のジョージア・オン・マイ・マインドなど、ヒット曲が州歌になった例はあるらしいが・・・)
僕は上記経緯を全く知らず、この歌をただ信州の自然を愛でる歌と理解していた。小学校から高校卒業まで学校の行事では良く歌っていたから今でも歌えると思っていたが、インターネットで調べると、全部で6番もあり、僕が歌えるのは精々2番までなのが分かった。知らなかったことの懺悔の気持ちをもって、信越放送のWebより転載させて頂く。
「信濃の国」
作詞浅井洌
作曲北村季晴
1.信濃の国は十州に境連ぬる国にして
聳ゆる山はいや高く流るる川はいや遠し
松本伊那佐久善光寺四つの平は肥沃の地
海こそなけれ物さわに万ず足らわぬ事ぞなき
2.四方に聳ゆる山々は御獄乗鞍駒ケ岳
浅間は殊に活火山いずれも国の鎮めなり
流れ淀まずゆく水は北に犀川千曲川
南に木曽川天竜川これまた国の固めなり
3.木曽の谷には真木茂り諏訪の湖には魚多し
民のかせぎも豊かにて五穀の実らぬ里やある
しかのみならず桑とりて蚕飼いの業の打ちひらけ
細きよすがも軽からぬ国の命を繋ぐなり
4.尋ねまほしき薗原や旅のやどりの寝覚ノ床
木曽の桟かけし世も心してゆけ 久米路橋
くる人多き筑摩の湯月の名に立つ姨捨山
しるき名所と風雅士が誌歌に詠みてぞ伝えたる
5.旭将軍義仲も仁科の五郎信盛も
春台太宰先生も象山佐久間先生も
皆此国の人にして文武の誉たぐいなく
山と聳えて世に仰ぎ川と流れて名は尽ず
6.吾妻はやとし日本武嘆き給いし碓氷山
穿つ隧道ニ十六夢にもこゆる汽車の道
みち一筋に学びなば昔の人にや劣るべき
古来山河の秀でたる国は偉人のある習い
11 月 9, 2008 No Comments
メープル街道の旅(10)
ローレンシャン高原は、冬はカナダ東部で一番のスキー場となる。米国からのスキー客も多いらしい。だが今は初秋。紅葉もところどころ赤く染まって、最盛期はさぞかし素晴らしいのだろうと想像が付く。
この高原の中腹は全体がリゾート地の趣で、三角屋根のホテルなどが沢山建ち並んでおり、メイン・ストリートには土産物店や様々なウェアーを揃えた洋品店やブティークなんかもある。勿論ビヤホールやレストランも多い。
その街並みを少し下った所には大きな湖があり、町の一番高い場所からは山の上までゴンドラが動いている。何かメルヘンティックなお伽の国にでも迷い込んだ趣である。きっと若いカップルだったらこんな場所で何日か過ごすのも似合うんだろうけど、還暦過ぎた人間には如何なものか?
一端、今日泊まるホテルに荷物を置いて、僕等のバスは湖に向かった。ツアー一行はこれから遊覧船にのり、湖を一周するのだ。早速船に乗り込んだ。30~40人が乗るのに丁度良いような船だった。中で渡されたお弁当はおにぎりだった。
成田を経ってから、機内食にせよホテルの食事にせよ、一度も僕の口に合わず、些か食傷ぎみだったから、このおにぎりは大ヒットだった。カリフォルニア米だとか何だとか言っていたが、何の何の。船上で食べる握り飯がこれ程美味しいとは。メシが旨いと景色まで素晴らしく見えてくるから不思議だ。
湖から見る紅葉はまだ早いとは言え、鮮やかな赤が素晴らしい。遠くに見える先ほどの町並みも大自然の中で不思議とマッチしている。
約40分の周遊を終え、再びホテルまでバスで移動し、そこからは自由行動となった。僕はカミサンとゴンドラに乗って山の頂上に行ってみたり、街に戻って散策したりして過ごした。街では僕等とは別の日本人ツアー一行とすれ違った。こういう時、何故か気恥ずかしいものなんだ。「こんにちわ」「こんにちわ」。何でカナダのこんな山奥に来てまで、日本語で挨拶しなきゃならないの。
夕食は、僕等のツアー全員で街の中心部にあるレストランでとった。その中に、今朝ホテルに置き去りにされた女性がいて、何故かみんなホッとした表情だった。その女性によると、一旦バスに乗ったものの、ホテル・ロビーに忘れ物をして戻ったら、目の前をバスが出て行ってしまったのだと言う。
翌朝からツアー客全員が、出発10分前にはバスに乗って添乗員を待つようになったのは言う迄もない。置いて行かれたらそれこそ大変だもの。
11 月 7, 2008 No Comments
メープル街道の旅(9)
3日目(観光2日目)はローレンシャン高原に向かう。ケベックを後にして再びモントリオール郊外に戻り、そこから北に進路を変え高原を目指す。
昨日バスは国道20号線(高速道路)を西から東に走ったが、今日は40号線(高速道路)を逆に走る。20号線はセント・ローレンス川の南を走る道路がったが、川からは少し離れていたためかバスの窓からは川が見られなかったが、40号線は川の直ぐ北側を川に沿うように走るので良く見える。
この20号線と40号線を、旅行社が「メープル街道」と名付けた。今日その価値が分かった。昨日今日の寒さのせいか、車窓から見える楓林が、所々真っ赤に色付いていてとても綺麗だ。赤と言っても、本当にカナダ国旗のような、或いは、日の丸の赤だ。日本の楓は紅葉と言っても黄色の黄葉なのだが・・・。
全体的には昨日の3%から、今日は20%ぐらいの紅葉になったんじゃないだろうか。ローレンシャン高原はもっと北だから期待出来るんじゃないかなどと口々に話しながらバスの旅は続いた。
途中、メープル・シロップを作る工場に立ち寄り、試食したり土産物を買ったりして、一路ローレンシャンへ。
その時、バスの前方で携帯電話が鳴り添乗員が電話に出た。「え!どうしよう」と言う声が聞こえた。その後長いこと何か話をしている。何かが起きたみたいだった。
モントリオールの郊外から北に向かう道路に入った時、添乗員がマイクで「皆様にご報告しなければならないことが起きてしまいました。実は今朝、ホテルを出発する時、お客様を一人置いて来てしまいました。私の大失態です」と説明した。
乗客はあちこちでザワザワ。僕もカミサンに「一人でツアー参加している人、何人かいたけど、誰だろうね?」。「さあ、どの人かしら。出発の時添乗員さん、人数数えていたのにねぇ」。
「皆様には本当にスミマセン。ホテルからタクシーで直接ローレンシャン高原に向かっていますが、多分このバスより2時間ほど遅れると思います。穴があったら入りたいくらいです」と添乗員は消え入りそうな声で言う。
11 月 5, 2008 No Comments
再び虎ノ門のビートルズ(2)
前回この店に来たのは8月の初めだから、アップルビーツとは約3か月振りの再会だ。その間にレパートリーも増え、舞台慣れと自信から来る堂々たるステージで、本物のビートルズに成長しているのが分かる。
僕の友人もすっかり彼等が気に入ったようで、「今度娘を連れて来るので、是非、アップルビーツとは以前からの親しい友人だということにして」と頼んでいるのが可笑しかった。
ズー・ジョンは鼻の下に髭を蓄えたある会社の社長さんなのだ。年齢は僕より3~4歳若い程度だから同じビートルズ世代(ビートルズを聴きながら大人になった世代)と言える。僕は彼に会うと何故か心が安らぐのだ。
「クーペ&Shifo」のオヤジバンドで僕はドラムをやっているが、僕にはドラムの先生が2人いる。一人は、「クーペ&Shifo」のプロバンドのドラマー鶴見さん。彼のジャズ・ドラムを一生懸命マネようとしている。ロックは わにどらさん の叩き方を参考にしている。そして、彼のトンチの効いた会話がこれまたすごく良い。
アップルビーツ発足以降、ジョージ役が日替わりだったり、欠けていたりだったが、その後キャップという名前の190cm以上はあろうかという長身のジョージ・ハリスンが登場して、以降彼が正規メンバーになったようだ。リード・ギターが彼の役割だが、たまにジョージの曲を歌う。大きな身体に似合わず、少しはにかんだような表情で歌う姿が微笑ましい。
そして、紅一点、我らが「さむ」。女性ながらジョン役をズー・ジョンと代わる代わる務める。男のキーのまま歌っちゃうから凄いね。原音のまま歌いたい位にジョン・レノンが好きなんだな、きっと。彼女が歌う時の表情がとても可愛らしくて楽しそう。こちらが癒される。年齢不詳(内緒の話:20代~40代と見る人によってかなりの幅あり)。
夜9時過ぎ、第2ステージが始まった。さっきよりお客さんが増えている。客もビートルズを良く知っている人だったり、自分も別のところでビートルズ・バンドをやっている人もいて、店全体のノリが良い。
僕も演奏する側に身を置いているが、本当はこういうアップルビーツみたいなトリビュート・バンドが最も難しいのではないかと思う。何故なら、観客全員が原曲を良く知っているから直ぐに比較される。また、観客もビートルズ・マニアと言われる程の演奏をする人も少なくないから、様々なプレッシャーと闘わなくてはならないからだ。
にも拘らず、メンバー全員がこれほど楽しさに溢れたステージを演じられることに、僕は改めて敬意を表した。
セカンド・ステージのラストはポッツの18番、「ロング・トール・サリー」。ポッツが何やらステージ上で僕にドラムをやれと言っているようだ。嘘だろう、完全にノー・ガード。僕は両手でバツ印を作って応えた。だがポッツは譲らない。「神童さんに叩いて貰うまではこのステージ終わりませんから」と言う。
本当はやりたいのに格好付けて「ノー」と言っているのではない。何の心の準備もない中でいきなりは出来ないし、友人の前で、虎ノ門で恥を掻きたくないのだ。汗が噴き出た。友人も是非聴きたいと言う。仕方なく覚悟を決めてステージに上がった。
クーペの店でアップルビーツがやっていた頃、この曲は良く一緒にやらせて貰ったのだが、何せもう半年以上のブランクがある。知らない客の前で不安一杯のスタートだったが、メンバーが旨く乗せてくれたから、何とか最後まで辿り着くことが出来た。感謝。
友人の家が遠いので、僕等は次のステージが始まる前に店を後にした。僕は冷や汗で汗だくだったので、夜の冷気が心地良かった。
再び虎ノ門のビートルズ―了―
11 月 3, 2008 No Comments
再び虎ノ門のビートルズ(1)
小学校の友人に目茶苦茶ビートルズが好きな友人がいて、知り合いのビートルズ・バンドが虎ノ門のライブハウスでやっていると教えてやったら、是非そこへ連れて行ってくれというので、昨日2人でお邪魔した。
そのライブハウスは「ムーンドッグス」というビートルズ専門のライブハウスなのだ。銀座線虎ノ門駅の新橋寄り出口を出て、新橋方向に1分ほど歩いた交差点を左に曲がり、更に最初の角を左に折れた所にある。
僕等は赤坂見附で待ち合わせて、中華料理で腹ごしらえした後、8時頃に「ムーンドッグス」に入った。狭いながらもちゃんとしたステージがあり、我らがビートルズ達(正式名:アップルビーツ)はステージ上でセッティングをしているところだった。もう直ぐ第一ステージが始まるみたいだ。
僕等2人は早速席に着いたのだが、他の客の姿が見えない。観客は僕等だけ?僕は言った。「今日、君のためにあのビートルズとこの店を借り切っておいたんだ」。
ポール役のポッツ住谷がキーボードを弾きながら歌い出した。「ヘイ・ジュード」。何であんなにポールに似ているのだろう。髪型・顔付き・表情・仕草・声・節回しの全てが完全なるポール・マッカトニー。
前にポッツに聞いたところでは、成り切りポール歴25年というから、半端じゃない。勿論、ギッチョで、ベースを弾く時はあのバイオリンのような形をしたエレキ・ベースだ。
今ポッツが歌っている「ヘイ・ジュード」、僕はこの曲がビートルズの中で最も好きな曲の一つだが、友人も同じらしい。そして、本物に勝るとも劣らないポッツの歌唱力に早くも魅了されたようだ。
その後次々とズー・ジョン(ジョン役)、キャップ(ジョージ役)、さむ(ジョン役の女性)、わにどら(リンゴ役)が歌った。もう40年も前の曲なのに、懐かしさではなくて今のヒットチャート曲を聴いてる感じがするからビートルズって凄い。偉大だ。
第一ステージの途中から3組ほど客が入って来て、貸切ではなくなってしまったが、このアップルビーツ、いつ聴いても上手い。次の曲は何だろうって、ずっと聞いていたいと思うほどだ。
昨年、「クーペ&Shifo」の店でアップルビーツを結成した当時から、僕は彼等の応援団だ。結成間もない頃、まだドラムが決まっていなかった時、僕が代役で彼等の演奏を手伝った(邪魔した)こともあった。
そんな関係もあり、30分強のステージが終わった時、彼等は順番に挨拶に来てくれた。みんな僕が来たことを本当に喜んでくれた。
11 月 1, 2008 No Comments

