プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 12月 2008

二泊三日の旅(4)最終

還暦を越えた夫婦が大変多い今回の団体旅行だが、なんか違和感を感じるカップルがいる。何がどうと言う訳ではないないのだが、夫婦というには何か妙なのだ。

男の方は、年の頃、65~66歳。体格は良いが、少々太り気味で髪の毛が薄い。奥さん(?)の方も決して若くはないが、まだ50歳前後か。身長160cm程はあるだろうか。ほっそりスレンダーな身体つき。ジーンズ姿のその女性、前から見れば年相応だが後姿は若々しい。30代にも見える。

僕の感じる違和感は、旦那が奥さんに話掛ける時の顔付きがいつも笑顔で、話すのが楽しくて仕方ないといった面持ちなのだ。我が家もそうだけど、他の夫婦を見ていても自分のカミサンに話掛けるのにそんな楽しそうな顔をして話す旦那なんて一人もいないよ。

3日目の天橋立見物の時、僕はついにカミサンに言った。「あの二人、昔からの夫婦じゃないよね?年も離れてるみたいだし」って。そしたらカミサン、「奥さんの方、若くは見えるけど、結構年行ってるよ」って言う。「あれさぁ、女の方はどっかの水商売のママか何かだったのを、男が口説いてやっと再婚した直後ってとこだな、きっと」と僕。

「なに三文小説みたいなこと言ってるの」って、結局僕はカミサンに馬鹿にされてしまった。そう言われると、確かにそんなこと、どうでも良いことだと気が付いて、2人のことは完全に頭から追い出して観光に戻った。

観光の最後は「美山かやぶきの里」。ここは、つい最近観光地に加わったようなところらしい。茅葺屋根の農家が沢山集合している山村だった。僕もカミサンも既に白川郷や五箇山に行っていたので、雪深いそういう地域に比べると、一つ一つの建物が小さい上に、茅葺屋根の大きさも勾配も見劣りするので、残念ながら感動はなかった。

さて、二泊三日の旅も残すところ京都駅から新幹線で東京に戻るだけとなった。京都駅に着いたのは5時半。7時の新幹線だから僕等は駅中のレストランで夕食をとってから電車に乗り込んだ。

バスの移動中に良く眠ったにも関わらず、本を読み始めたら名古屋に着く前にどうにも眠くなってしまった。レストランで飲んだビールの大ジョッキが効いたみたいだ。カミサンに肩を揺すられ目が覚めた。

品川を過ぎて東京駅にもう直ぐ到着しようかというところだった。「隣のお2人だけど、今ね、女の方が、ありがとうございました、次はクリスマスですから宜しくって言ったの!」とカミサンが耳元で囁く。

直ぐには何のことか分からなかった。僕等は3人掛けのシートにカミサンと2人だけ。隣の2人掛けに、昼間、僕が違和感があると言った2人がいた。ああ。やっと分かった。

そうだろう、やっぱり?再婚ではなかったけどあの2人、急ごしらえの夫婦のような僕の違和感は正しかったと言うことだ。どちらも単身者かも知れないので不倫かどうかは分からないが、飲み屋の女と客の男という想定はズバリ的中だ。どんなもんだ・・・。???何が?

それにしても、夫婦でもない2人がお忍び旅行をするのに、団体旅行はないでしょが、もう!

二泊三日の旅―完―

【追記】

沖縄ツアーに行っている間に、僕のブログのカウンターが20,000を超えていた。何回かPAホームページが刷新されたから、どの時点からかは不明ながら、延べ2万人が僕のブログを「見て」くれたということらしいから、誠に恐れ多いことだ。若しかして中身も「お読み」頂いている方がいたら、更に更に恐縮至極である。そのような方々に心から祈ろう。来年は良い年になりますように・・・!

12月 31, 2008   No Comments

沖縄から帰って来ました

昨日(29日)、那覇空港、午後3時発の飛行機で沢山の思い出を抱えて、無事羽田に帰って来た。僕自身は3回目の沖縄だったが、これまでの2回とは全く違う沖縄だった。最初は会社の同期の者達と一緒に入社20周年記念の沖縄旅行だった。今から20年前のことだ。2回目は子供達がまだ中学生・小学生の頃の家族旅行だったから15年ほど前になる。

どちらも観光がメインの旅行だったが、沖縄南部の「ひめゆりの塔」や地下壕など激戦跡地を見て回った時は、戦争の爪痕と夥しい犠牲者の数に、言うべき言葉を失った記憶がある。

その悲惨な歴史の暗さと、真っ青な空、エメラルド・グリーンの海の明るさとの強烈なコントラストが、今でも強い印象として僕の中に残っている。

しかし、今回の沖縄ツアーは、それとは違う、沖縄の人達とのふれ合い、心の交流が出来て本当に嬉しく楽しい旅行となった。沖縄の人々の半端でない親切さ、温かさ、熱いもてなし。いずれ、稿を改めて書こうと思うが、一言で言えば、東京に住む僕等がどこかに忘れて来てしまった心の豊かさが、昔のままここにはあると感動したのだった。

先ずは帰朝報告まで。

12月 30, 2008   No Comments

沖縄に行ってきます

沖縄県恩納村で行われる、「沖縄のサンゴを守れ」キャンペーン・イベントのライブ・コンサートに明日(26日)から3泊4日の予定で行って来る。「クーペ&Shifo」は今回が3回目の沖縄ライブとなるが、僕等おじさんバンドが同行するのは初めてだ。

「クーペ&Shifo」と沖縄の関係は、昨年、フジテレビの番組「アンビリーバボー」でクーペと娘さんの「28年ぶりの再会」が取上げられた時、再現フィルムの中で若かりし頃のクーペ役をやったのが沖縄出身の俳優・オド君で、彼が是非沖縄の人に「クーペ&Shifo」を聴かせたいと呼んでくれたのが始まりだ。

1回目の時も、2回目の時も、オド君が地元の様々な人達を紹介してくれて、その方達も「クーペ&Shifo」を大いに気に入ってくれたようで、応援の輪が急速に膨らんでいて、今回先乗りしているクーペからは、「沖縄はもう完全に第2の故郷になったよ」と言って来た。僕もそういう方達に是非会ってみたいと思い参加する。

そんな訳で暫くブログを休みます。現地の模様はいずれ当ブログで。それでは、皆さん、行ってきま~す。

12月 25, 2008   No Comments

二泊三日の旅(3)

次の日は、有馬温泉を後にしてバスで姫路城に向かった。今旅行、カミサンは姫路城と天橋立に行ったことがないので、その2ヶ所にどうしても行きたくて申し込んだと言う。

僕が会社に入って2年目か3年目の頃、小・中・高、ずっと学校が一緒の、今は亡きM君と2人で、東京から車でこちらに旅をした時、僕等は姫路城と天橋立のどちらにも立ち寄っている。だが37~38年も前のことだからもう記憶も薄れているのと、M君を偲ぶ旅もいいかと思い、もう一度行ってみようと思った。

城の入り口から入って直ぐの、広い庭の遥か後方に聳え立つ姫路城を見た瞬間、あの時見た同じ光景が鮮明に蘇えった。あの時と寸分違わぬ堂々たる城の姿だ。違いがあるとすれば、今日は庭の周りを小学生がマラソン大会か何かで鉢巻姿で一生懸命に走っているが、あの日は、中学生くらいの男の子の集団が、剣道着を付けて全員で掛け声を出しながら走っていたなぁ。

序でに言えば、次の日に行った笠松公園から見た天橋立もあの日見た光景と全く同じだった。建造物や自然は30何年経っても何も変わっていないのに、M君はもう彼岸の人になってしまった。

ここ10年は直接会う機会も無く、毎年の年賀状でお互いの無事を確認していた程度だったが、去年の正月、僕の出した年賀状が宛先不明で戻って来てしまったのだ。それまでは30年以上もそんなこと無かったのに。電話を掛けてみても「お客様のお掛けになった電話番号は現在使われていません」。

転居したならしたで、必ず知らせが来る筈だし、奥さんだってお子さんだっているんだから・・・。いきなり消息不明になってしまったことに僕は納得が行かなかった。

そうこうしている内に、小学校の同窓会の知らせが来たので、僕は法事を兼ねて、故郷の長野に出掛けた。M君は1組、僕は3組。同じ学年の同窓会だから、早速1組の人にM君の消息を聞いてみたが誰も知らない。だが、各組の名簿があり本日の出席者以外にも分かる人の消息が載っていたのでそれを見た。「死亡」。愕然とした。

彼の消息に詳しい人は1組でなく、何のことはない我が3組にいた。T君。彼の家はM君の直ぐ隣の家だった。T君自身は結婚後違う所に住んでいるのだが、お母さん同士が親しいので、状況が分かったのだそうだ。

T君の話では、M君は60歳誕生月に退職したあと、典型的な熟年離婚をしたという。借金もあったらしい。どうも一方的に奥さんの方が離婚を迫って子供共々出て行ったというのが真相らしい。その後、M君は生きる目的を失って自殺してしまったということのようだ。

僕らの世代、深層心理のどこかに熟年離婚のような漠然たる不安を抱えているけど、まさか、まさか、僕の親友が・・・。それも最悪の結末。身につまされる。少しはカミサンを大切にしようか。いやもう遅いかな?

この日は、城崎温泉泊。志賀直哉の小説「城崎にて」で有名な、伝統ある温泉地だ。町の真ん中に川が流れ、その両サイドには柳の並木が何処までも並んでいて、とても情緒のある温泉街だった。僕とカミサンは、M君のことを暫し忘れて外湯巡りを楽しんだ。

12月 25, 2008   No Comments

SEって何?(3)

プロフェッショナルなSEになる第二の道は、コンピューター技術者としてのプロとは真逆の、システム戦略家を目指す道である。

企業内SEの存在意義の第二は、前述したとおり、施策・政策の実施に当たり、本店・本社各部門の検討に横串を指す役割だ。SEが不整合を指摘することで、開発したシステムと人間側の行動がスムーズに回るから、表立って言われるかどうかは別として、SEが入ることで彼らの安心感は増している筈だ。

だが、この役割で満足している限り、プロのSEにはなれない。これではどう見ても会社全体の施策や仕組みを考えるのは本店・本社部門で、それをチェックしシステムを作るのがSEという位置付けである。どう彼らから有難がられても、SEの仕事は新施策実施に於ける下請け業務に過ぎない。

ここに提起したいのは、システムの実現可能性から考えられる会社の戦略を提案するSEを目指そうということだ。システム戦略を、「システムを用いて会社を変えること」と定義すれば、新しいSE像は、「システムを用いれば、会社の業務や事務をここまで変えられますよ」と提案したり、システムを駆使した販売戦略など新たなビジネス・モデルを提起することだ。

システム部門も本店・本社機能の一つならば、他の戦略部門と同じく、システム発の会社施策があっても良いし、寧ろ今の時代、システム戦略に遅れをとった企業は競争上致命傷となるのだから、SEが会社内の下請け業者の地位に満足せず、そこから早く抜け出し、「会社を変える」先頭に立つ意識を持つべきである。

システム可能性から会社運営のあり方を考えることは、本店・本社部門が従来思考の延長で考えることと、多分、大きな違いが出る筈だ。更に、往々にしてシステムからの提案の方が、現状と完成後との差が極めて大きくドラスティックなものとなることが多い(但し、変化が大きいため実現にはリスクがある)。

実は、その2つのギャップが明らかになることが、提案が採用されるされないより、企業にとっては遥かに大事なことなのだ。経営決断を行う経営者に将来展望のもう一つの選択肢を与えることになるからだ。

このようなシステム戦略家を目指すには、目の前の業務に集中するだけでなく、常に、システムを駆使した会社の将来図を描き続けなくてはいけない。そのためには他社他業界の成功事例に関心を持たなければいけないし、場合によってはその企業を訪問して意見交換したりする必要もある。システム部門は内向きにならず、外部との交流努力が不可欠なのである。

以上、これから企業のシステム部門でプロのSEを目指す若手社員に、2つの道を示したつもりではあるが、本音を言えば、彼らの自助努力だけでは不可能だと思っている。より直截的に言わせて貰えれば、各企業のシステム部門責任者にこそ、プロのSEを育成するための指導と環境作りを切にお願いしたいのである。

もし、読者の中にシステム部門やそのOB・OGの方がいらっしゃったら、是非ともご意見を賜りたいと思う。

SEって何?―完―

12月 24, 2008   No Comments

SEって何?(2)

僕は、企業の中のSEがプロを目指す道は2つあると思っているがどうだろうか?

その第一は、SEの本来の意味、即ち、コンピューター技術の専門家を目指す道である。先に述べた現時点の企業内SEの存在意義の1つは、業務部門とコンピューターとの間に立つ通訳という機能であった。しかし、通訳をしている以上、SEのプロにはなれない。前稿で述べたように、業務知識・コンピューター技術の双方ともアマチュアのままだからだ。

しかし、世の中に通用するプロフェッショナルなSEになる道が全く無い訳ではない。それはコンピューター技術の最先端でシステム作りをせざるを得ない状況に自らを置くことだ。例えば、自らが通訳となるのをやめて、同じ役割を果たせる自動翻訳機を開発する側に回ることだ。

自動翻訳機とは、業務の専門家がSEを介さずに直接、端末に向かって必要用件を言う(記入する)と、コンピューターが自動的に必要プログラムを作り出すシステムのことだ。

本気で自動翻訳機を開発しようとすれば、否応無く汎用コンピューターやサーバー・パソコンのOSに精通せざるを得ないし、今後のコンピューターやOSの動向や、様々な流通ソフトの動向も把握しておかなければならない。自動翻訳機の開発に使えそうなソフトは自ら取捨選択して行かなければならないからだ。

また、自動作成するプログラム言語にしても、現在だけでなく今後主流になると思しき言語について見定めておかないといけない。

更に、人(業務の専門家)にとって分かり易い記述の仕方、操作し易い画面のあり方を追求しなければ却って不興を買う。その答えを出すのもSEだから(通訳では常に答えが与えられる)、思考能力も人間工学的センスも鍛えられる。

以上は、振り返ればコンピューター・システム揺籃期の初発的SE像であり、それへの回帰がプロSEへの道だと考える。そして、この自動翻訳機の最初のテスト号機を作り上げた時点で、そのSEは、市場価値の大変高いSEとなっているだろう。何故ならば、その作品が、彼のコンピューターに関する知識・技術・実現力が超一流であることの証明だからだ。

そしてより重要なことは、この自動翻訳機が、今、世界不況に苦しむ企業に大きな福音をもたらす点だ。即ち、システム・ニーズが加速度的に高まる中、SE社員を大量採用する余裕はないし、大量採用しなければ慢性的SE不足をいつまで経っても解消出来ないというジレンマに対する、これが、唯一無二の解となるのだ。

12月 23, 2008   No Comments

SEって何?(1)

40年もSEをやって来て今更言うのも憚られるのだが、自らの反省を込めて、金融機関に勤める若いSE達に敢えて「逆説の応援歌」を送りたい。

「SEって一体何だろう?」。

ここで言うSEとはソフトハウスやコンピューター・メーカー、或いは、SIベンダーなどのSEではなく、企業(金融機関に限定)内のシステム部門に所属するSEのことである。

SEの仕事は、言う迄もなく、会社の業務に必要なシステムを構築し、安全に且つ安定的に稼動させることなのだが、僕の提起は、企業内SEの専門性とは何か?プロと言える分野は何か?ということだ。そもそも、そう言える何かがあるのか?ということだ。

何故そんな疑問を口にするかと言えば、企業内SEの宿命として、勿論、コンピューター・システムの専門性を身に付けていることは当然として、もう一つ、システムを作るために、会社の業務や商品に精通しなければならない。

だが、業務や商品分野の専門家、乃至、オーソリティーは、残念ながらSEではない。会社には夫々の業務部門があり商品部門があって、彼等が専門家なのだ。

何年SEやっても、そういう専門家達には決して勝てない。何故なら、業務内容や商品内容でSEが精通しているのは、システムに関わる部分だけだから、それ以外の知識は基本的に知らないか疎い(SEは商品の適正な値決めも出来ない)。

では、日進月歩のコンピューターの様々な技術や知識、最先端を行くプログラミング技法などコンピューター技術の面で、メーカーやSI事業者達にも引けを取らない専門性を持っているか。これも普通はノーだろう。

様々な企業や業種、新進気鋭の事業会社などの、多様なシステム構築の経験と先端技術に触れる機会の多さでは、企業内SEは圧倒的に不利だからである。

企業内のSEは、業務も細部まで良く知り、コンピューターについてもプロであることを求められているのに、実際にはそんなSEは何処にもいない。どちらも本当の専門家から見れば中途半端もいいところ、などと言ったら、お叱りを受けるだろうか?

しかし、だ。どの企業もこの中途半端なSE達を、会社にとって必要不可欠な人々と考え、増やしこそすれ削減対象にするところは少ない。何故か?

第1の理由は、業務や商品の専門家達が、社外のプロSE集団に直接システム構築を頼むのは、システム知識がない自分達ではとても不可能と思っており、その中間にどうしても通訳がいて欲しいと考えているからだ。

第2は、業務や商品の専門家達は逆に専門化・細分化が進み縦割り思考になっているので、実際に会社全体を円滑に動かすには、関係する全ての機能が整合性を保っていなくてはならず、横串を通す役割が必要だ。その役割を現在は、整合性を欠いたままではシステムを作れないので、必要上からシステム部門が負っている。だからSEを不可欠な存在と信じてくれているのだ。

このことは、現時点、企業内SEの存在意義は確実に認められていることは示しているのだが、僕が心配するのは、定年退職まで長い長い時間、どれほど真面目にこの仕事をしても、業務のプロにもなれず、また、社外に通用するようなシステムのプロにもなれずに一生を終わることなのだ。

尤も、プロフェッショナルを目指そうという志を持たないSEには(それでSEと言えるかどうかは別として)、上記存在理由があれば充分なのかも知れないが・・・。

12月 22, 2008   No Comments

二泊三日の旅(2)

新幹線「のぞみ」は午後2時頃、「新神戸」駅に到着した。そこからバスで一旦今日の宿泊地である有馬温泉の宿に向かった。バスの中は超満員、満席だ。何せ添乗員(男)の席も無く、彼は補助椅子に座るしかないほど。

バスが発車してから挨拶に立った添乗員によると、この団体旅行参加者は47名。赤穂浪士ゆかりの地に近いので、そういう人数にしたとか。勿論冗談だが、こんな大きな団体旅行は経験ないそうだ。

女性だけのグループが何組もいて、そういう人達は全体の3分の1位か。若いOL風のペアも多い。残りは全部年配の夫婦連れだ。従って男は一人も現役組はいないようだ。そりゃそうだ。師走の平日旅行だから、働き盛りの男が参加出来る訳ないからね。

3時前には宿に着いた。今日は4時夕食で5時にバスで再び神戸市内に向かい「ルミナリエ」見物の予定だ。僕は早速風呂に入った。こんな早い時間誰も入っていない。大浴場の他にジャグジー風呂、サウナ風呂、打たせ湯、露天風呂など幾つもお風呂のある広い風呂に僕一人。これは気持ちが良い。

カミサンは、これから夜の神戸を散歩するので、湯冷めを恐れて入らない。こんなに気持ちが良いのに。「ルミナリエ」から帰った後じゃぁ、僕らの団体だけでも大勢なのに、そういう団体が3つ4つ入っているらしいから、お風呂混むよ~、絶対。午後3時過ぎの今がベストなんだよ。人と違うことやらなきゃぁ~。

風呂に入る前に、「二日酔い気味だし、夕食の時間が早過ぎるので、折角温泉に来たんだけど今日は呑まない」とカミサンに伝えておいたが、いざ夕食になったら無性に風呂上りのビールが飲みたくなって、結局、ビールを2本も飲んでしまった。料理の方も結構でございやした。

さて、夕方5時。一行はバスで神戸に向かう。40分程で港に面した、「第一突堤」駐車場に到着。既に夜の帳が降りていた。そこから徒歩で「ルミナリエ」を見物に行くのだ。バスガイドが旗を持ちながら先頭を行く。だが、会場に直接向かうのではなく、まるで違う方向に僕らを連れて行こうとする。

「会場はあっちの方向じゃないんですか?」。誰かがガイドに尋ねた。「そうなんですけど、あそこからは入れないので行列の最後尾に向かっています」とガイドさん。え!平日(木曜)なのに、そんな凄い人出なの?

最後尾は神戸南京町辺りだった。会場とは遥か離れた反対側だ。6時頃から行列に並び、ゆっくりなスピードで歩き始めて1時間。やっと、「ルミナリエ」会場にやって来た。アーケードのように商店街の通りをずうっと奥まで光の屋根が連なり眩いばかり。確かに、全国的に有名になっただけのことはある。

光のシャワーも凄いが人出も凄い。自然とわくわくしてしまう。有馬温泉からここに来る途中、バスガイドが、神戸のは「ルミナリエ」だが、昨年で終わってしまった東京駅近辺で行われていたのは「ルミナリオ」だと言った。だがその違いを説明してくれなかったので僕は勝手に理解した。「ルミナリ江」と「ルミナリ雄」。ミコとマコ。いつまでも・・・。違うな。

光の祭典を堪能してバスに戻ってみたら、入り江の反対側のホテルの電飾や光に彩られた観覧車、或いは高層ホテルの明かりなどが、停泊している海上保安庁の巡視船越しに美しく輝いていた。

12月 21, 2008   No Comments

今日で300号

僕がエイジさんにそそのかされて、PAでブログを書くようになって丁度満2年。今日で300号目の投稿となった。中身の無い文章を、良くもここまで図々しく書き続けられたものだと、我ながら感心している。

小学校の時の宿題は、何てったって「作文」が大の苦手。原稿用紙2枚なんて指定があると、もうそれだけで憂鬱になったものだ。何せ原稿用紙の半分も行かないで終わっちゃうんだから。

もし、昔ながらの原稿用紙に書いて投稿するようなシステムのままだったら、きっと同じ苦悶に喘いでいたと思う。紙に文字を書き出すまでに、相当の時間と勇気が要るからだ。それだと、多分、PA投稿は10号も行かない内に投げ出していただろうな。

そこ行くとワープロはいいね。気楽に書き出して、少々文脈が変でも先ず言いたいことを書き尽してしまい、後で順番変えたり削ったり追加したりが自由自在だもの。

唯一の問題は、ネタ切れだな。2年前に比べると話題が趣味の世界に偏って来て、仕事や社会や政治関連が書けなくなっているのに気付く。この間、自分自身が現役から隠居生活に移ったことが多いに関係しているように自分では思う。

つまり、仕事を進める上で、自分の思うようにはなかなか行かない状況の中で、そういう苦悩を通じて社会を覗くと、真相が実に良く分かると言うことがあったが、それが出来なくなったからかも知れない。

また、自分で書いたことは、少なくても自分の仕事の世界では、その趣旨に外れないように努力する責任というものを感じていたが、引退してしまうと、自分の言動に責任を持つ必要がなくなってしまうから、そういういい加減さや軽薄さを嫌った結果かなとも考えてみた。

だが、本当は違う。年と共に難しいことが苦手になって来ただけというのが真相だろう。某エイジ氏に手を指し伸べて貰って再び現役復帰したにはしたが、外や他への切り込み方は完全に忘れてしまったみたいだ。

だけど僕は、ここで筆を置くつもりなど毛頭ないので、ここは一番、完全に開き直って、「難しくないこと」を書き続けようと思う。どうか皆さん、何も期待しないで下さい。

12月 20, 2008   No Comments

高層ビル最上階(3)最終

休憩の後の第2部。いよいよSのお出まし。「今の季節にピッタリ」の曲と紹介して、コニー・フランシスの「バケーション」を歌い始めた。真冬に夏休みの歌かい。久し振りにSのパンチの聞いた歌を聴いた。やっぱり彼女にはこういう曲が合ってる。

Sの歌う何曲目かで、僕は「ルイジアナママ」のバックをやった。僕は2回目の出番だから緊張することもなく楽しく演奏出来た。終わって席に戻ろうとしたら、Sが「そのまま、そのまま。もう1曲お願いします」って。スロー・ナンバー「キャント・ヘルプ・フォーリン・ラブ・ウィズ・ユー」。プレスリーのヒット曲だ。

スローな曲はミスをすると目立つので、僕は3連のハイハットを中心に慎重に叩いた。Sのムード溢れるバラードに誘われるように、会場のあちこちでチーク・ダンスが始まった。「なんだよ。それだったら俺もドラムなんかやってる場合じゃないよ。Mと踊りたいよ」、とは思わずに、一生懸命ドラム演奏をしたのでした。

席へ戻って、「君と踊れるチャンスを逃した」とMに言った。「私、ダンスは苦手だし、聴いている方が好きだから」。それって僕とは踊りたくないっていう意味かよ?

次の曲が始まった。トランペットのOさんがサッチモ張りの声で「イッツ・ア・ワンダフル・ワールド」を歌い始めた。以前、OさんがSと一緒にライブをやっていた会場で、彼女からOさんを紹介され、それ以来の旧知の仲だ。ミュージシャンとして活躍しながら私大の教授も勤めている変わり種。

この歌はルイ・アームストロングのヒット曲で、僕の大好きな曲だ。再びダンスタイム。Sが僕らの所に来て「神童さんも彼女と踊ってくださいよ。貴女もね」って、僕等をそそのかす。勇気出して断られるのを覚悟で誘ってみた。「仕方ない。じゃ踊ろうか?」。「ハイ」Mがやけに素直だ。

ダンスなんて何十年振りだろうと思いながら、まさか今日彼女とダンスが出来るとは思ってもいなかった幸運に酔い、ワインの酔いも加わって、もう最高の気分。怪しい気分。僕は感情を抑えるのに苦労しながらも、彼女と静かにチークを踊った。

Oさんは間奏も自らトランペット演奏している。歌も間奏もだから休む暇ないみたいだ。マイクに向かって吹かれるトランペットの音が、少しエコー掛かって痺れるほど良い音で響く。Mが僕の肩越しに囁いた。「トランペット、凄くいいね。とっても危ない音」。彼女の右手に幾分力が加わったように感じた。

そして、曲が終わりに近付いた頃、「これが叔父さんじゃなかったらいいのになぁ・・・」と、姪っ子のMが残念そうに呟いた。そりゃぁ、こっちもそう思うよ!

高層ビル最上階―完―

12月 19, 2008   No Comments