プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 12 月 2008

高層ビル最上階(2)

出されたオードブルをつまみに、ワインを飲みながらMとの会話を楽しんだ。辺りを見回すと8割方、客で埋まっていた。「オールディーズ」のライブなので、年配の客が多いのかと想像していたが、どっこい、若い(と言っても30歳代?)女性客が多いし、その仲間として若い男性も見掛ける。

S(主催者で女性ボーカリスト)もやるもんだね。Sは僕より一回りほど若いが、それでも50歳前後なのに、こういう若い層にも支持されているんだから。そんな中でも僕のMは目立つ方だな。うん。

午後7時。Sがステージに立った。挨拶の後は、まずインストゥルメンタルで、ベンチャーズ特集。「パイプライン」「ダイアモンド・ヘッド」「ジングルベル」などなど、懐かしい曲が次々披露された。流石プロ・バンド。上手いものだ。今日初めて顔合わせした人達らしいけど流石だな。全員が完全にシンクロしているし、堂々たる演奏だ。

この人達と一緒に、僕は1曲ドラム参加することになっている。でも、こんな上手い演奏の後、飛び入りでやるのっていやだなぁ。やり難いよ。そのことをMにこっそり打ち明けたら、「今日、私がここに来たのは神童さんのドラム聴きに来たんですからね」って、ハッパを掛けられてしまった。

結構、客は集まっているし、場所は京王プラザホテルの最上階で超ゴージャスだし、Mの前で恥は掻きたくないし。何か柄にもなくドキドキして来た。

Sがマイクを取って「ここで今日のゲストを紹介します」と言って僕を紹介してくれた。もう覚悟を決めない訳には行かなかった。「曲は、ブルドック!」。ギターが始まった。僕は4小節目から加わった。「ええい、ままよ」。ドラムを叩き始めたら、心臓のドキドキが収まった。寧ろ、リズムも表現力も素晴らしいプロ達に合わせれば良いだけだから、物凄くやり易い。

僕は、ギター・テクニックに聞き惚れながら何とか無事1曲、務めを果たした。盛大な拍手(社交辞令)を頂いてしまった。

席に戻ったらMが「神童さん、凄い!見直しちゃいました」って、僕に手を叩きながら言ってくれた。「ありがとう。乾杯」ワイングラスを重ねた。演奏がまずまず旨く行った時っていうのは、後のお酒が美味いもんだなぁ。この曲で第1部が終了した。

12 月 18, 2008   No Comments

高層ビル最上階(1)

昼間、日野市の「たきび祭り」でライブ演奏をした後、みんなで打ち上げか反省会か分からないが、蕎麦屋さんに行って盛り上がろうと言うことになり、「玉川」という、地元では有名な蕎麦屋さんに繰り出した。

午後3時半頃解散。さて、僕は一度家に帰り、少しCDを聞かなければならない。曲はベンチャーズの「ブルドック」と、ジーン・ピットニーの「ルイジアナママ」だ。今夜、僕はもう一つのライブに行って、この曲のドラムをやらなければならないからだ。

ライブのダブルヘッダーというのは初めてなので、切り替えが大変だ。昼間はおじさんバンドでジャズが多かったから、4ビートが中心。夜は「オールディーズ」だから8ビートのロック&ロールだ。

場所は新宿の京王プラザホテル45階。ここで僕の古い友人(女性)がディナー・パーティーを開催するのだ。彼女がボーカルを務め、ギター・ベース・トランペット(正しくはコルネット)・ドラムは夫々プロが担当して、50年代・60年代のポップスで盛り上がろうというものだ。

その中で、僕にも2~3曲ドラムをやれというご用命。カッコ良さげに聞こえるかも知れないが、その実は、今年の4月、「クーペ&Shifo」がNHKホールで単独ライブを行ったが、僕はその時、彼女にチケットを5枚買って貰った。今回はお返しに、ペア・チケット2万円也を買わされたという次第だ。

夜6時。僕は京王プラザのロビーで、ある女性、Mと待ち合わせた。NHKホールのライブの時、僕はMに声を掛けるのをコロッと忘れてしまって、後で何故誘ってくれなかったのって非難されていたので、そのお詫びを込めてお誘いした・・・。だが本当は、拝みに拝んで拝み倒してやっと今日、付き合ってくれることになったというのがことの真相だ。

カミサンはハード・ロック派で50~60年代ポップスは大嫌いだと言うし、男同志じゃ様にならないしなぁ。結局Mが僕のその窮状を救ってくれたと言う訳サ。

45階に着いたら、壁全体が窓ガラスになっていて、恋人達が何組も窓に向かって並んでワインを片手に語らっている。こんな場所が今は新宿にあるんだと認識を改めた。窓の外は東京の夜景が遠くまで良く見える。昨日大変な突風が吹き荒れた後だからか、新宿の夜の光がキラキラと輝きとても綺麗だ。

恋人達の後ろに長い通路があり、その奥の部屋が今日のライブ会場のようだ。その部屋は、東西両サイドが夜景を楽しみながら会食が出来るようなボックス席が沢山用意されていて、フロアーの中央はロの字に、これまた大きくて長い洒落たカウンターになっている。今日はMと2人なので、なんかとてもロマンティック。

この部屋は最大140~150名くらいは入れるのではないか。まだ時間が早いのか客は20人ほどしか座っていないが。僕等の指定された場所は、ステージに一番近いカウンターだ。

カウンターの中には結構ハンサムなバーテンダーがいた。早速、飲み物を注文。僕はビール。彼女は赤ワイン。2人でグラスと声を合わせて「乾杯!」。僕は「初めてのデートに」と心の中で付け加えた・・・。

12 月 17, 2008   No Comments

おじさんバンドの独立記念日

前日は、午後から突風と雨だったから、今日の野外ライブは大変心配されたが、打って変って朝から良く晴れ、風もなく実際の気温よりも暖かく感じられる。日野市の「たきび祭り」に、我がおじさんバンドが招かれて、広い公園の中に造られた特設ステージで演奏して来た。

この「たきび祭り」は、毎年この時期、童謡「たきびだ焚き火だ、落葉焚き・・・」で有名な作詞家「巽聖歌」(たつみせいか)がここ日野市に住んでいたことに因んで開かれる。

いつもは「クーペ&Shifo」のバック・バンドとして演奏しているのだが、今日は主催者側からおじさんバンドだけの演奏を頼まれたのだ。

これまでにも、日野市・国立市・三鷹市などから、「クーペ&Shifo」抜きの演奏を依頼されたことがあるが、それはプロ (クーペ&Shifo ) へのギャラを出せなかったり、会場がプロに対して失礼になりそうな場合、おじさんバンドだけの出演を要請されることがままあった。

しかし、今回はそれまでとは決定的に異なる新たな進化を確信したライブとなった。それは、今まで7人もいるおじさんバンドの中にベースマンがいなかったため、僕等だけの時は、臨時のベースマンを借りて8人で演奏してたのが、この日、初めて僕等のメンバーの中にベースマンが誕生したのだ。(「クーペ&Shifo」のバックの時はShifoがシンセ・ベースを担当)

あの純次さんだ。今回のステージの前、八王子のイチョウ・ホールでのコンサートで純次さんのウッド・ベース・デビューは見事に成功してはいるのだが、その時は、僕等の音楽の先生(Shifo)が付きっ切りだったから、彼女のいない今回が、文字通り自立の初日だったのだ。

全部で6曲。そうでなくても普段僕等のバンマスのShifoがいないのだから、不安な分だけ緊張感が募る。そこに純次さんのベースマン完全自立が懸かるのだから、最初は皆カチカチでスタートしたようだった。

だが、2曲目辺りから、何となく今日は行けるという感触を掴み、徐々に伸び伸び演奏出来るようになって行った。純次さん、なかなかいいよ。その調子、その調子。ドラムのすぐ横に置いてある「返し」(モニター・スピーカー)からも、ベースの軽快な音が良く聞こえる。

最初は、僕がドラムでリズムをしっかり作らなければと思っていたが、その意識が徐々に薄れて、気が付いた時は僕がベースに合わせていた。6曲目、最後の曲は「ルート66」。みんな乗ったなぁ。気持ち良くやれた。純次さんおめでとう。記念すべき「おじさんバンド自立の日」。おじさんバンド「独立記念日」となった。

12 月 17, 2008   No Comments

二泊三日の旅 (1)

11月から立ち上がったばかりの新設保険会社に、顧問として勤め初めてまだ1ヵ月少々しか経っていないのに、木曜・金曜の二日も会社を休んで、近畿方面に旅行をして来た。

これもカミサンが申し込んだ旅行社主催の旅行だ。申込んだのは10月中旬で僕がまだサンデー毎日だった時のようだが、会社の本格販売前の大事な準備期間に、2日も休んでのんびり旅行もないもんだよ、ねぇ?普通の常識じゃ認められないでしょう。

今年3末に退職した時、僕は、「今後は女房孝行するつもりです」なんて、心にもない挨拶状を人様に出したんだよね。それをカミサンに読まれちゃって、「ならば、勝手に遊んでないで、四半期に一回は必ず旅行に一緒に行くこと」、との約束をさせられちゃったんです。ハイ。せめて1年だけでも守っておかないと、その先が怖いからねぇ。

随分迷った挙句、社長に打ち明けたら、「この会社、60過ぎた方にはプライベートを優先して頂いくのがポリシーですから」と、あっさり了承してくれちゃう。誠に心苦しいけど今回はお言葉に甘えちゃおう。

その代り、翌週は大車輪で頑張ろう。と言っても61歳の大車輪だけど。お土産も買って来なきゃいけないね。留守の間、他の社員の皆さ~ん。宜しくお願いしま~す。それでは行って来ま~す。

今回の旅行は、東京駅から「のぞみ」で神戸に行き、その夜は光の祭典「ルミナリエ」を見学し有馬温泉で一泊。翌日はバスで姫路城を見学したあと、兵庫県を北上して但馬地域に入り、出石(いずし)の古い街並みを見学。城崎温泉に宿泊。三日目は天橋立を見物し、最後に、美山かやぶきの里という茅葺屋根の古民家の集落を見物してから、京都駅で新幹線「ひかり」に乗り東京に戻るコースだ。

団体旅行だが、新幹線で往復し宿泊先もワンランク上の旅行とかで、値段も通常の団体旅行の1.5倍以上するらしい。

これは、前回のカナダ旅行の時、飛行機の座席がビジネス・クラスでなかったのを、僕がカミサンに文句言ったことの意見反映なのだと彼女は言う。カミサンにすればかなり踏み込んだ旅行費ということなのだろう。

12 月 15, 2008   No Comments

マドンナ達が行く(4)最終

勿論、根拠の無い噂は立ったよ。それこそ何度も。僕とEさんが怪しい、とか、僕とOさんはいずれ結婚するんじゃないかとか。そういう噂が先行すると、返ってダメなもんでね。赤く見えてた糸が急に黒くなっちゃうんだ。

それから何年かして、Eさんから結婚式の招待状が届いた。僕は既に結婚して娘も生まれてたし、一緒に招かれたOさんもお母さんになっていた。

僕とOさんは隣り合わせの席だったので久し振りの再会を喜びながら、Eさんの結婚を祝った。周囲の来賓は、僕ら2人を婚約者か新婚夫婦のように誤解していたみたいだったが、そんなことは一向に構わなかった。

仲間の結婚式って本当にいいもんだ。Eさん、とっても綺麗だった。とっても嬉しそうだったなぁ。

だけど正直言うと僕はね、元カノと一緒に、別の元カノの花嫁姿を見ているような、どうにも奇妙な気分になったんだ。それもきっと先行した噂のせいだよ。実際は本当にどちらとも手も握ったことも無いんだから。ホントにホントだよ。

今日は、僕もそうだけど他の3人も、何十年振りかのOさんを主賓にして、彼女の近況等を一番聞きたかった。Oさんは現在バンクーバーに住んでいる。92年にカナダに渡ったのだそうだ。

かの地でご主人が料理人として、手広くレストランを経営したそうだが、日本食ブームになると、日本人だけでなく、青い目の日本料理屋などいかがわしいのも現れて、日本食レストランの競争が激化したので、その後は寿司屋に変えたり、他の店に変えたり大変だったという。現在はラーメン店チェーンを経営しやっと安定したとも言っていた。

大変だったのだろうなとは思ったが、幼子を抱えてカナダに渡り、妻子のために必死に働いたご主人の姿が容易に想像出来たし、そのご主人にどこまでもついて行ったOさんは結局、平坦ではなくとも、普通の主婦が経験出来ないドラマティックな幸せな半生だったのだと確信した。2人の娘さんもとっくに自立されているようだ。何故か知らないけれど僕はホッとした。

彼女も性格は大らかで決して悲観的にはならないタイプのようだ。店のお客さんや友人に「Oさんは天然ですか?」と言われ、ご自分の髪を改めて触って確認し、「それほどでもないと思いますけど」って答えたから、そばで聞いてた娘さんが呆れて言ったそうだ。「お母さんってば、そこが天然ボケなのォ!」。

相変わらずナタリー・ウッド(美人)なのに、こう話す彼女は実に可笑しい。みんな腹から笑った。来年は、絶対にOさんの帰国に合わせて、例のOG会の日取りを決めることにしてお開きとなった。

12 月 14, 2008   No Comments

マドンナ達が行く(3)

Oさんとは約30年振り、Iさんは1年振り、Tさん・Eさんとは2週間振りの乾杯。赤坂でも有名なこの寿司屋さんは、実は4人のマドンナ達と同じチームにいた5人目のマドンナHさんの嫁ぎ先のご主人の店だ。

だから、刺身も飛び切り高級なものだし、料理も次から次とこれまた凄い。それで驚くほど安くして貰っているから何か申し訳ないよう。

Hさん自身は、別の場所に出しているもう一軒のお店の方を仕切っているので、今日は来られないらしい。

途中、TさんがHさんに電話した。代わる代わる電話に出て全員が彼女と話をしたのだが、「神童さんですか?スイマセン、私当時の記憶が全く無くて」と言われてしまった。寿退社したHさんはマドンナ5人の中では最も短い在職期間だったからね。「いえ、チームが違ったんだから、覚えていなくて当然ですよ。今日はお世話になります」。トホホ。

まっ、いいや。他の4人のマドンナが僕を歓迎してくれたから。特に、僕のナタリー(Oさん)が30年振りに会えたことを本当に喜んでくれているみたいだから。

それにしても、当時よくこれだけの美人達が同じチームに勢揃いしていたものだ。当時の人事部の方針だったのかなぁ?システムは徹夜が多くて嫁さん探す時間も無いだろうから美人を多く配属してやろうってか?

仮にそうだとしても全く無意味だったね。マドンナ5人とも社内結婚じゃないもの。

何でだろう。同じ部署には独身の先輩も多かったし、僕の同期の連中や後輩も含めて、沢山若い男がいたのに、誰も彼女達を射止められなかったんだから変だよね。

決して彼女達がバリアを張って僕達を寄せ付けなかった訳じゃなんだ。僕らの世代は結構彼女達とは仲良くて、グループで飲みに行ったりスキーに行ったり旅行したりしてた。みんなと深夜まで飲んでくっちゃべって、楽しかったのなんの。

だけども考えてみれば、1対1でデートしたという記憶はないなぁ。僕は誰とも手も握ったことないんだから。他の男達に対して抜け駆けみたいになるのが厭だったのかなぁ。或いは、結婚なんか考えるより楽しく遊んでいたい時期だったのかもなぁ。でも本当は、僕にも他の男性陣にもきっと自信が無かったんだな。

その辺りの話題になったときTさんが、「私達の部門は、殆どの人が職場結婚だったじゃない。だから私達は絶対に職場結婚はしないって誓ってたのよねぇ」って。そしてEさんがダメ押し。「だって、職場の中でカッコいい男(ひと)はみんな既婚者だったもの」。アララッ!ガクッ!

12 月 14, 2008   No Comments

マドンナ達が行く (2)

6時半という約束なのに、僕が赤坂見附駅に着いたのは、それを5~6分過ぎていたので、急いで地上に上がった。外に出ると、聞いたことのある大きな声が聞こえて来た。

「それで今何処なの?」携帯でEさんが電話の相手に聞いているのだ。良く見ればTさんもOさんもいて3人で困っている。EさんとTさんには2週間前にOG会で会ったばかりだったが、僕のナタリー(Oさん)とは何十年振りだろうか。う~ん、約30年振りか!

「どうしたの?」と僕は声を掛けた。「あら、神童さ~ん!お久し振りです」とOさん。「ああ、本当にOさんだ!」と僕。彼女も僕と同じだけ(30年)年齢を重ねた筈なのに、あの時のままだ!いや、正確に言えば少ししか変わっていない。美人はいつまで経っても美人のままなんだ。つい見惚れちゃったよ。

ところが、それどころではないといった面持ちでTさんが「この近くにIさんが来ているらしいんだけど、道に迷っちゃってるの」と教えてくれた。

「さっきから電話で話しているんだけど見付からないのよ」Eさんも言う。「分かった僕が代わろう」。電話でIさんと話した。「そこから何が見える?」「駅を出たところだから直ぐ近くにベルビが見えるし、正面に東急ホテルが見えるけど」と彼女の声。「他には?」「右手に高速道路も見えるよ」。右手???

僕らの場所も東急ホテルの真正面だから、Iさんも直ぐ近くだと思ったけど、ここからは高速道路は左手だ。???

もしかしたら、青山通りの方まで行っちゃったのかなと思って、携帯を借りて通話状態にしたまま行ってみた。右手に高速道路が見えるには相当青山通りを南に下らないとならない。しかしそれでは東急ホテルは見えなくなる。???

「近くに何がある?」僕は更に彼女にヒントを貰おうとした。「近くに喫茶店のルノアールがあるし、xxxがあります」。どちらも場所を知らない。「他には?」「ここの直ぐ2階が赤坂飯店」「おう、分かった。そこを絶対に動かないで」「ハイ」。

僕らは見附駅と東急ホテルとの間の広い通りに面した歩道にいるが、Iさんは一つ通りが後ろの路地にいるのだ。赤坂飯店と目標の寿司屋とはほんの20メートルと離れていない。そんな近い場所で迷子になるなよな。

ところが、4人で赤坂飯店の角に急いでみてもIさんが見当らない。「変だなぁ」と僕が言ったところで、Tさんが先を歩いているIさんを見つけたようで「Iさん!」と呼び止めた。やっと見付けたよ、赤坂飯店の先で。これがホントの赤坂見附!おまけに見付けた場所が寿司屋の入り口の前と来た。

「ああ良かった」とIさん。良かったじゃないよ。「さっ、入ろうか」と僕が言うと、Iさん、「え!ここなの?何だ」。何だじゃないよ。赤坂飯店から動かないで、と言ってるのに勝手に動いちゃうんだから、もう。

後から聞いたら、右手に高速道路と言ったのは左手の間違いだったと言う。しかし、これが、IさんがIさんたる所以だから・・・。可笑しい。

12 月 10, 2008   No Comments

「泣ける歌」という番組(2)

さて、放送本番の日を迎えた。普段一時間番組なのに、この日はSPということで2時間番組となっていた。全部で9組が出演した。「クーペ&Shifo」は最後から2番目。僕は最初から全部見た。

5組目で加藤登紀子が出演、「檸檬(レモン)」という曲を歌った。その時のビデオ・ストーリーで、彼女のご主人だった藤本氏がパートナーと共に、無農薬有機野菜の栽培と普及流通に力を尽くしたことを紹介していた。

志半ばで藤本氏が亡くなった後、そのパートナーが、加藤登紀子を訪ねて、「この地でレモンを作りましょう。ここ千葉はレモン栽培の北限の地と言われていますが、一緒に挑戦しませんか?」と言ってくれた。

ご主人が亡くなった後生きる意味も見失い、2年間何も手に付かず、曲作りも全く出来ないでいた頃のことだったという。

「檸檬」という曲は、そのレモンが立派に実を付けた時の感動を歌ったものだったが、僕は歌そのものよりも、名前が出なかった藤本氏のパートナー氏の方が気になった。僕の推測が間違っていなければ、それは藤田氏だと思う。

何を隠そう、先月から私がお世話になっている新設保険会社は、藤本氏・藤田氏両氏が手塩に掛けて育てた「大地を守る会」というNPOの全面協力を得て立ち上がった会社なのだ。そして、今そこの代表を務める藤田氏とは番組の数日前に名刺交換させて貰ったばかりだ。

僕が応援している「クーペ&Shifo」が初めて出演する同じ歌番組に、加藤登紀子が出演し、「大地を守る会」が紹介されたことに何かの縁を感じない訳にはいかなかった。

「泣ける歌」という番組-了-

12 月 8, 2008   No Comments

「泣ける歌」という番組(1)

「誰も知らない泣ける歌」というテレビ番組がある。先日その番組に「クーペ&Shifo」が出演した。

その2週間前、クーペの店に録画取りに来るというので、急遽、おじさんバンドが呼ばれた。「店に来て客の役をやって欲しい」とクーペが言うので珍しく全員(7名)が揃った。まっ、それだけ普通の客が来ない店ということなのだが・・・。

テレビ局の人が大勢押し寄せて、シナリオに基づいて長時間録画撮りをするのかと思っていたら、女性が2人だけ現れて、大きなビデオカメラを片手に「クーペさん、こちらで歌ってくれますか」とか「2回同じ場面を撮りますのでお願いします」とか、テキパキとスピーディーに仕事を進めて行く。

後で聞いたらその女性がプロデューサーで、もう一人の女性はそのアシスタントだと言う。今の時代、現場ではプロデューサーと言っても、カメラマンでも何でもやるのだそうだ。

店でクーペが歌う歌は番組当日と同じ「25年ぶりの手紙」。4年前に東芝EMIからメジャー・デビューした曲だ。1歳の時に別れた切りの娘から来た手紙。「生んでくれてありがとう」と書かれていた。しかし、住所がない。万感の思いを込めて宛先のない返事を書いた。それにShifoが曲をつけたのがこの曲だった。

その3年後、娘の幸江さんが、迷いを振り切って福岡のクーペのコンサートに来てくれて、あの劇的な28年ぶりの父娘再会のライブ映像に繋がって行った。番組ではこのドラマを再現した映像と共に「25年ぶりの手紙」を紹介するらしい。

録画は、クーペがその曲を自分の店で歌う場面に使われる。クーペが歌い始めた。勿論伴奏はShifo のピアノだ。カメラが回る。「・・・泣ける歌」だから、客達は神妙な顔をして聴かないと変だよね。

でも、おじさんバンドはこの曲をコンサートの度に聴いているから、聴き慣れていて最早感涙にむせぶというのはとても難しいのに、みんな無理やり神妙な顔をしようとするから、もう、堪らなく可笑しい。それを堪えるから、余計変な顔になって遂には爆笑してしまった。

撮り直しでも、笑いを堪えるのがやっと。録画撮りが終わったら2人のクルーはさっさと帰って行った。残った僕等おじさんバンドは、「我々の録画は全面カットだね」と言い合った。その通り、本番では全面カットされていた。

だが僕は、知人友人宛への番組告知の中で、「チラッと自分も映るかも知れません」なんて余計なことを伝えていていたから、少し後悔しながら店でクーペが歌っている場面を見ていた。

が、その直後、2年前の福岡ライブ会場のステージの場面に変わったところで、ドラムの後ろに座っている僕が、それこそチラッと映ったからビックリ。事前に知らせた人には嘘にならなくて良かったと思った。結果オーライとはこのことだ。

ところが、実はそれよりももっとビックリしたことが番組の前半の方で起きていたのだ。

12 月 7, 2008   No Comments

マドンナ達が行く(1)

昨夜、35年前のマドンナ達と会食した。僕が会社に入ったあと同じ会社に入社して来た同じ職場の後輩OL達だ。その当時のマドンナ4人と僕の5人。要するに男は僕一人という訳だ。

朝、幹事役のEさんから電話が来た。「Oさんがカナダから一時帰国しているから、Tさん、Iさんを交えて食事会をするので、男性陣に声掛けて頂いて来られる人に来て貰って下さい」とことだ。今日の今日でみんな来れるかなぁ?

結局、声を掛けた男性陣は全員、外せない予定が入っていて(本当かなぁ?みんなその昔果敢にアタックを試みたけど、悉く振られちゃったのが格好悪くてじゃないの?)何の予定も入っていない僕だけが参加することになった。同じチームだった男が誰も参加しないで、違うチームだった僕だけ。

それを今の新しい職場の大先輩(おん歳68歳のおじさん)に話したら、「そりゃぁ、神童さんが彼女達にとって人畜無害だからよ」って笑いながら仰る。いや、女性陣から僕だけに声が掛かったんじゃなくてぇー、僕が声掛けた男どもがみんな断わって来たと言ってるの!人畜無害なんて言えば、女性陣だって・・・今や、ねぇ。

その4人のマドンナ達は当時、同じチームに属していた。美人揃いのチームだったから、部内は勿論、他部門からも注目の的で、僕がお世話になっていた寮の先輩などは、仕事中に僕に用事がある訳でもないのに、僕の席まで来て、「どう?元気?」って。

朝一緒に寮を出たばかりじゃないですか。「元気?」もないもんだ。分かっている。先輩のお目当てはIさん。4人のマドンナの中では一番年長者で、綺麗な上に大人の魅力も備えている。「彼女、今日は休みみたいですよ」「え!アッそう」。先輩はすごすごと部屋を出て行った。

Oさんは若い時、本当に美しくて可愛くて、目鼻立ちが僕の大好きだったナタリー・ウッドによく似た女の子だった。気立てが良くてお酒も飲めて。グループで良く飲み歩いたなぁ。そちらさえ望むなら結婚してもいいよ、なんて空想したものだよ。だけどそれを望まないんだな、僕のナタリーは。

Tさんはどこか上流階級の雰囲気を漂わせながらも、少しコケティッシュな可愛い性格の女性だった。そして、Iさん、Oさんに比べれば、かなりの情熱家だったのかも知れない。と言うのも、ある男性が東京から地方に転勤となった時、彼を追い掛けて行ったという伝説の持ち主だからだ。

そして、Eさん。先々週のOG会の幹事もやって貰っているが、今日の幹事もまた彼女がやってくれている。だから会が成立しているようなものだ。Eさんは他の3人より入社年度が1年後なのに、姉御肌というか、頼りになるお姉さんという感じなのだ。その意味では特に年下の男の子から絶大な人気があったな。

6時半。僕は会場のお寿司屋さんのある地下鉄赤坂見附駅に降り立った。

12 月 5, 2008   No Comments