マネーゲーム
子供から大人になるに従って、心も体も大きく豊かになって行くことと、悪いことを覚えて徐々に心が貧しくなって行くこととどちらが勝っているのだろうか?
子供の頃、正月に貰った「お年玉」はかけがえのない大切なものだった。欲しい物があっても、「お年玉」が減ったり無くなったりするのが嫌で、暫くは手元に大事にとっておいて、ようよう我慢出来なくなった時に、大決断の上でそれを買いに行ったものだ。
勿論、その「お年玉」では足りなくて買えない時もあった。そんな時は泣きたいほどの無念さを胸に家に帰った。親が「どうしたの?」と聞いても、「何でもない」と言って強がってみせたりした。家が貧乏なのは分かっているから、「お年玉」の追加などとても親に言い出せなかった。
子供なのに、自分が持っているお金の範囲内でしか物は買えないと言うことをちゃんと知っていた訳だ。
だけど、大人の世界では足りない分は他から借りて買うことが出来てしまう。その人の信用が高ければ他から借りなくても、後で必ず払ってくれるのを知っているから売ってくれる。便利なものだ。大人の知恵だな。この有難い金貸しのことを「金融」と言うらしい。金(きん)を融(と)かす、と書くけど、違うよ、金(かね)を融通することだよ。
一時しのぎや急場しのぎのためにお金を借りて用を済ませるのは、買った物の支払いを後払いにするというだけだから、支払い余力の範囲内と言えるだろうね。特に問題はない。だけど、買ったものを買った時より高く転売し、借金を返した上に儲けまで出せることを知り一度味をしめると、金儲けのために金を借りて物を買ったり、信用買いを重ねる人が急増する。
この時の「物」が、現代では、貴金属だったり、絵画だったり、土地だったり、株であったりする。今じゃお金そのものが売り買いの対象だ。
こうなると、お金は何か必要な物を買うためのものというより、金儲けの道具と化す。マネーゲームの登場だ。「金融」を編み出した大人の知恵は、良いこと(光)ばかりではなく、もっと深く広い影を持つ。
一時お金を用立てて人々の経済活動を円滑化する光の機能より、やがて、マネーゲームのプレーヤーにどしどし金を貸し、「金融業」自身も、より儲かる影の方を選択するようになる。最後は自らが、有り余るお金を使ってマネーゲームのプレーヤーとなり参戦する。
経済は、物やサービスがどれだけ買われたかという金の回り方で好不調を図るらしいが、マネーゲームによる金の回り方は一体全体、経済(経国済民)と言えるのかどうか。
実体経済という言葉がある。これを子供の「お年玉」感覚の経済とすれば、現代社会はその何倍もの虚体経済(虚像経済)が構成されてしまっていると言うことだろうか。今回はそのマネーゲーム経済が、サブプライム・ローン問題をきっかけに、一気に世界同時崩壊に至ったということらしい。
ゆっくり歩いている時に転んでも、大した怪我もせずに直ぐ立ち上がって歩ける。だが、全速力で走っていて転ぶと大怪我をする。マネーゲーム経済は、ゆっくり着実に歩む実体経済の何倍ものスピードで経済全体を加速させるので、マネーゲーム経済が躓くと、誠に腹立たしいことに、実体経済も深刻な危機に巻き込まれる。


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