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兵庫の旅番外編(2)

僕の間違いは、「更科(さらしな)そば」は白いからきっと小麦粉が多いのだろうと勝手に理解していたことだ。

僕の中では「戸隠そば」が一番だったから、茶色くない蕎麦は蕎麦じゃないと思っていたのだ(「戸隠そば」は殻まで挽いちゃうから少し茶色い)。

そういう具合だから、東京に出て来てのち、「藪そば」や「更科そば」という店に良く入ったが、どうもあの白い「更科そば」は好きになれなかった。本物ではないまがい物を、高い金出して食べさせられている気分がしたのだ。

「更科そば」屋さん、どうも失礼しました。高級蕎麦のチャンピオンを偽物扱いしたこの信州人をどうかお許し下さい。

ついでに、僕が長じて長野県「更級郡」の文字を「更科郡」と勘違いしていたことも告白しておこう。「更科そば」の影響かどうかは知らないけど・・・。

因みに平安時代に書かれたという「更級日記」の更級は、『古今和歌集』の一首「わが心慰めかねつ更級や姨捨山に照る月を見て」に由来するらしい。

姨捨山(おばすてやま)は現長野県千曲市にあり、昔はこの地を信州更級郡と呼んだ。姨捨山は日本各地にある棄老伝説では最も古いそうだが、それよりも、夜空に輝く月とそれを映す田んぼの月が素晴らしく、平安貴族の憧れの地となって行ったようだ。

出石では、勿論、「出石そば」(いずしそば)を食べた。信州蕎麦がルーツと言うが、食べ方は随分異なる。信州蕎麦は薬味を入れたそばつゆに蕎麦をひたして食べるあっさりしたものだが、出石蕎麦の一般的な食べ方は、そばつゆの代わりにすりおろした山芋に卵を落として食べる。関東で言う「とろろそば」風だが、それはそれで、やはり美味かった。

さてもう一つの番外編。出石には、あの沢庵和尚の寺があった。宗鏡寺(すきょうじ)という。宮本武蔵の物語に頻繁に顔を出す坊主で、沢庵を発明した人だ。寺の裏庭は、山に向かう斜面になっていて、斜面中腹に沢庵和尚が余生を送ったと言われる庵が建っていた。その手前には和尚お手植えの椿が今もしっかり生息している。和尚はその椿を「侘助」(わびすけ)と名付けた。

どこかで聞いた名前だなと思った。「ああ、そうか。koyoさん家の犬の名前だ」と思い出した。流石はkoyoさん。犬にもちゃんと高尚な名前を付けていた。koyoさんという人は、僕より5~6歳年長で、「クーペ&Shifo」の後援会長をやってくれている地元の大地主さんだ。

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