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安田講堂落城

丁度40年前の今ごろ、テレビは四六時中、東大安田講堂に立てこもる学生が屋上から石や火炎瓶を投げ、これに対して、機動隊が下から消防ポンプで放水する場面をずっと放送していた。

その同じ場面を40年後のついさっき、NHKテレビで見た。番組はあの時の学生のその後を追う番組だった。逮捕され投獄され、それでも釈放後東大を卒業して医者になった者、弁護士になった者、成田三理塚闘争に闘いの場を移して行った者。様々な人生が語られていた。

あの闘争は一体何だったのか?彼等にこの質問が投げ掛けられる。ある人はこの世に生を受けて、親や学校の敷いたレールの上を進んできたが、初めて自分が大きな問題に直面し、初めて自分の頭で考え自分の意思で行動した出来事だった、と言った。

またある人は、ここで逃げ出してしまったら、多分、後々自分自身を厭になると思うから、安田講堂が陥落する最後の最後まで留まった。そのことも、東大を中退したことも後悔はしていない、と言い切った。

10年前にNHKが取材した時のフィルムに、諏訪中央病院のある医師Aさんのインタビューが残されていた。彼は当時医学部の学生で東大全共闘の中では防衛隊長として、安田講堂の攻防を指揮していた人物だ。やはり逮捕投獄されたが、獄中にあって彼は、将来地域医療に従事したいという希望を捨てず、外科が専門にも拘わらず、地域医療には内科の知識が欠かせないと、猛勉強をしている。

インタビューはAさんが既に諏訪中央病院の院長になっていた時のものだが、学生運動と今の仕事の関係について聞かれると、苦渋に満ちた返答をしていたのが印象的だった。「僕は東大というだけで、権威やある種の力を与えられるような世界を否定したのに、今こうして仕事をしていると、世間は東大出ということを必要以上に持ち上げてくれる。

ならば、医者を辞めろと言うことなんだろうけど、それは出来ない・・・」。

残念ながら彼は8年前癌で他界してしまったが、最後は国会議員だった。彼の行なった数々の地域医療の改革や病院の改革は、同僚の医者や患者から絶大な支持を受けていた。

学生側のリーダーは、東大全共闘議長山本義孝。何度も当時の彼のアジ演説の場面は映るが、彼だけその後の自分を語る場面がない。多分取材を拒否したのだろう。或いはもうこの世にいないのか。

が、最後の最後に画面に映った。8年前のAさんの葬儀で山本が弔辞を読み上げる場面だった。「A君、ある人達は君を国会議員として覚えているだろう。またある人達は病院の院長として覚えているだろう。しかし僕には今でも東大全共闘防衛隊長のA君だ!」。

40年前のあの日、僕は下宿のテレビに釘付けだった。少なからず後ろめたさを感じながら。同い年の彼等が大きな権力と今まさに戦っている。自分は2ヶ月半後には大きな会社に入る・・・。

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