青春賦(5)
結局、材木店のアルバイトは、最初の仕事に要した3日間で辞めさせて貰った。真夏の力仕事は本当にきつかったのも勿論だが、力の入れ過ぎで3日目にとうとう鼻血を出してしまったからだ。店主や従業員は声に出しこそしなかったが、「いい若者が、だらしねえ」と顔に書いてあるようだった。情けなかったが背に腹は代えられない。
3日だけのバイト代4,500円では、ドラムセット購入代70,000円の頭金にもならない。再びバイト先を探したが、当時の田舎町ではそうそう見付からない。いや、バイト口が元々そう多くない上に、地元の大学生が夏休み前に大体バイト口を埋めてしまっているのだ。
そうこうしている内に、親父の伝で地元電力会社の事務所のアルバイトにあり付くことが出来た。封筒の宛名書き、伝票集計の検算、一覧表作り、転記、等など庶務・事務の補助みたいなバイトだった。
これは材木店の炎天下の重労働と違い、凄く快適な事務室での軽作業だ。その上僕より3~4歳年上の美人で優しい女性事務員が親切に僕の面倒を見てくれた。正に天国と地獄の違いを実感した。いいバイト先を見付けてくれた親父には感謝した。バイト代は材木店より安かったが、こちらは夏休みが終わるまで続けられたので、ドラムセットを買うには充分な額が手に入った。
夏休みも終わり、僕は仙台に舞い戻った。例によってバンド・メンバー全員が学食に集まった。各自アルバイトの戦果報告。僕より多く稼いだ者、少ない者まちまちだったが、各自の楽器やアンプは全て自分のお金で賄えそうなので、メンバー間の融通はやめて、個人個人で調達することにした。
この段階で当然の問題が現実になった。練習場所と楽器置き場をどうするかという問題が。勝手にバンドを作るのはいいが場所がない。特にドラムセットなんて下宿に置く訳にも行かず困った。大きなギター・アンプも同様だ。誰かれとなく「やはり大学の軽音(軽音楽部)に入って、部室を使わせて貰わなきゃならないかな?」と思い始めた。
「軽音に入っても、自分達で勝手に作ったバンドを何とか認めて貰えないかなぁ」
僕が言った。
「軽音に幾つもバンドがあるってことは、みんな最初はサ、きっと勝手に立ち上げたバンドだよね」
Aが言う。
当ってみる価値はあるという意見で一致。軽音の部長は地元出身のS(リード・ギター担当)の高校の先輩だということが分かっていたので、彼を交渉役にすると同時にバンマスに選んでその日のミーティングを終えた。
翌週、Sから報告があり、軽音の部長は何処かに行っていて、大学に戻るのは1週間後なので、それからしか連絡が取れないということだった。ついでにOとNは昨日エレキ・ギター、エレキ・ベースを夫々買ったと言う。Sは前からエレキ・ギターを持っていたし、Aもサックスは高校時代のものを今も所有しているから、その時点で、楽器がないのは僕のドラムだけとなった。但し、ギター・アンプも置き場所が問題だから、軽音部との交渉後の購入になる。
買ったばかりの楽器は直ぐやってみたくなるのが心情。明日にでも早速、Oの家に行ってギターをステレオ・アンプに繋いで演奏してみようということになった。Oの父親は地元企業の社長さんで家は相当広いらしい。だけど、僕はドラムがないし、どうしようかなと迷った。でも、これが我がバンドの初練習という記念日になるのなら、やっぱり付き合うべきだな。


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