プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 3月 2009

マンマ・ミーア

ジャージー氏の映画評論に刺激されて、久し振りに映画でも見てみようと思って、予定が何も無かった土曜日に隣駅の駅ビル内にある「シネマ・コンプレックス」に行ってみた。

映画館に来たのはいつ以来かな。以前見たのは確か「蝉しぐれ」だったような気がする。随分前だからそれがいつだったか覚えていない。ここはスクリーン(劇場)の数が9つもある、大規模な施設だ。

何を見るという目的もなく、行った時に映画の開始時間のタイミングが合う映画を見ようという、甚だ不埒な鑑賞法だった。ジャージー氏にはお叱りを受けそうだ。

受付カウンターで確認したら、丁度「マンマ・ミーア」が開始5分後だった。受付嬢に聞くと、最初の15分は予告編だから今入れば充分間に合うとのこと。それに決めた。シニア・チケット千円也を購入。

「マンマ・ミーア」?何か新聞で前に読んだ気がする。アバの曲を使ったミュージカルだったような微かな記憶。音楽映画なら悪くない。そう思って指定のホールに入った。

結構、混んでいる。土曜日だからか。予告編が終わりいよいよ始まった。

若い娘が3通の手紙をポストに投函するところから物語が始まる。母娘の2人で島でホテルを開いてる。ある時母親の若い頃の日記を見付けて盗み読みしたら、自分の出生に関わるかもしれない3人の恋人がいたことが記されていた。

その娘は、母親に内緒でその3人の男に自分の結婚式への招待状を出したのだった。娘は直接会えば本能で本当の父親が分かると信じ、その時は、教会でのエスコートをして貰いたかったのだ。

そこからのストーリーは、はっきり言えばどうでも良い。インド映画のようでもある。寧ろ、母親が娘の結婚式に招待した2人の親友の女性と一緒に3人で繰り広げる歌の数々に魅了された。映画の中盤で歌われる「ダンシング・クイーン」は当時の曲の完全コピーで、一部の狂いも無い。

この母親役とその親友が、あの時のアバの今の姿なのかなと一瞬思ってしまった程だ。年齢的にも妥当だと思った。でも待てよ、アバは確か男2人女2人の4人組だった筈。女3人組じゃないよね。それじゃ、この3人はアバとは全く別の人達か。それにしては歌が相当上手い。歌い方もアバそのものだ。いやいや、音はアバのCDで俳優がアテレコで歌ってるのかな?

一旦疑問に思うと気になってしょうがない。気が付いたら歌と口が本当に合っているかと、目を皿のようにしてチェックし始めていた。お金出して映画見に来たのに、何やってんだ、と思いながら・・・。

誰か教えて。あの3人は何者で、映画の中で本当に歌ってるのか、アバのアテレコなのかを。
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3月 14, 2009   No Comments

青春賦(10)

食堂の責任者やまかないのオバサン達とは直ぐに仲良くなって、食堂の合鍵まで預けて貰って、毎晩の2~3時間の練習が始まった。土日も休まずに。20歳前の若者達だ。好きなことをやりたいだけ出来るのだ。自分達でも驚く程、上達して行った。

このプレハブ食堂、僕等バンド・メンバーにとっては練習スタジオであり音楽道場だった。そういう意味で僕らにとってとても大事な建物なのだ。

昨年の6月末、仙台に行く機会があり、僕の大事な友人を案内するために、昔懐かしい教養部の敷地を散歩した。

僕等の時代には、鉄筋コンクリートの現代的な校舎などなく、戦後の米軍跡地を教養部に当てたので、蒲鉾型の兵舎がそのまま教室として使われていたから、キャンバス全体を眺めると、さながらアメリカ映画に出てくる米軍キャンプそのままの姿だった。

可笑しいのはキャンパスの中心部に大きな教会だったことを偲ばせる建物があり、その中が、階段状に机の並ぶ大講堂になっていたことだ。席を全部埋めると500~600人は優に入れそうな大きさだ。従って、当時の米軍キャンプの人口も結構多かったことを伺わせる。

そういう蒲鉾群の一角に木造2階建ての小中学校の校舎のような建物があり、それが各サークルの部室がある建物だった。その直ぐ近くに当時あのプレハブの学食があったのだ。

しかし、今は当時の面影はまるで無い。鉄筋コンクリートの立派な建物があちこちに。広い沢山の緑のキャンバスの中に蒲鉾校舎が点在する図だったのが、コンクリートの敷地に鉄筋コンクリートの校舎が林立している。

場所は懐かしいが、目に入る景色は全く違う世界だった。そりゃそうだよね。あれから44年も経っているんだから。

さぁ、もういいかな、引き上げようかと思った瞬間、僕の目にあの懐かしいプレハブの学食が飛び込んで来た。正に感動のご対面だ。この学食が当時の姿のまま同じ場所に建っている。ただ当時は出来たばかりで真っ白なウォールで真新しかったが、今では崩れ落ちそうなくらい古めかしい。とても営業している風はない。でもこれが残っているなんて奇跡的。これが唯一、当時の建物だ。

近くまで行って立て看板を見たら、何と来月取り壊されることが告示されていた。僕は胸が熱くなった。僕に最後の姿を見て貰うまでは頑張ろうと、あたかも、この建物の意思で、今日まで何とか踏ん張って来たように思えたからだ。

我が青春の記念碑、ありがとう。そして、さようなら。
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3月 13, 2009   No Comments

青春賦(9)

軽音入部は昭和40年10月(1965年10月)だった。発表会の予定もないまま1ヶ月を過ぎた頃、バンマスのSが最初の出番の話を持って来た。農学部の文化祭のステージで演奏してくれという依頼であった。

農学部は北仙台に広大な敷地を有している。因みに、我が大学は仙台の中心部を取り囲むように各地に学部が点在していて、今思えば不思議な街だ。町中に同じ大学が散らばっているのだから。北仙台の農学部の他、仙台市の北西の方向に医学部と大学病院、南(片平地区)には、理学部・工学部・法学部・文学部・経済学部、そして、西には、1・2年生の教養部(川内地区)といった具合だ。後に、理学部・工学部は青葉山の上に移転する。

さて、僕等の初舞台の会場は、比較的小規模な講堂のようだった。それでも300人くらいの観客で超満員だった。僕らの出番は、マジック部員による学生マジック・ショーの次だ。出番が近付くと何だか落ち着かなくなる。

人前での初めての演奏披露。いやー、緊張したね。何でわざわざ、口の中が乾くような、余計なアドレナリンが沢山分泌されるようなことをしなくちゃいけないのか。そんな義務、全くないのにと思いながらの演奏だったから楽しむどころじゃなかった。尤もそれを聞いてる方は、こっちこそ聞かなきゃならねー義理ぁ、どこにもねーぞって思ったろう。

よく覚えていないが、兎も角初めてのステージが終わった。ただ、もっともっと練習して、幾らあがっても失敗しようがないくらいにならなくちゃぁいけないと、メンバー全員が思った。

それには、部室を複数のバンドで曜日を決めて週1回練習する程度ではダメだ。その都度楽器を運んでも良いから、部室の近くで毎日練習出来る場所を確保しなくては。

丁度その頃、部室のある建物の近くに、新らたに学食が出来た。団塊世代の学生が増えたためか、これまでの学食だけでは足りなくてもう一つ、この教養部のキャンバスに出来たのだ。但し、プレハブの食堂だったから、ものの1週間ほどで建物が出来て、更に1週間後食堂がオープンした。

僕らはそこに目を付けた。学食の終了時刻は夕方6時半。それ以降を僕らの練習場に貸して貰えるよう、大学当局と交渉してOKを貰ったのだ。当時のエレキ・バンドなんて不良のやること。益して、国立大学の敷地の中の学食をエレキ・バンドの練習に使わせろという要求に、良く大学がOKを出したものだ。

交渉に当たったSとAに聞いたら、「エレキ・バンドとは言っていない。軽音楽部と言ったまで」とのこと。大学当局の係員もハワイアンとか映画音楽などの類と思ったんだろう。何はともあれ、OKが出たならもうこっちのもの。
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3月 12, 2009   No Comments

青春賦(8)

我がストレンジャーズ、最初はインストゥルメンタル・オンリーで一生懸命練習した。Oの家で練習した「朝日のあたる家」を皮切りに、「夜霧のしのび合い」「さすらいのギター」他、ベンチャーズなどだった。Aのサックスをフィーチャーした「太陽のかけら」も何度となく練習したものだ。

だが時代は大きく動いて、アマチュア・バンドの世界もベンチャーズ一色だった日本で、グループ・サウンズが一気に花開くと、流れはインストゥルメンタルからボーカル入りのロックに突入して行ったのだ。

グループ・サウンズのハシリは、加山雄三とランチャーズ。加山の「君といつまでも」が大ヒットしたのは1965年。僕らの関心はそのレコードのB面「夜空の星」。ハイスピードのロックで、ランチャーズをバックに加山が歌う。間奏では特別参加の寺内たけしのギター・アドリブが僕らを引き付けた。66年には「蒼い星くず」が大ヒットする。これも「夜空の星」の流れを汲むロック・ミュージックだ。

同じく65年に「フリフリ」でデビューしたザ・スパイダースは、翌66年に「ノー。ノー・ボーイ」「夕陽が泣いている」で一躍スターダムに。

また、66年には、ブルーコメッツが「青い瞳」というロックの曲で鮮烈にデビューし、67年の「ブルーシャトー」でレコード大賞に輝やき、初めてロック・グループが歌謡曲を押しのけたのだった。66年はビートルズが初来日した年でもあった。

そして、67年、ザ・タイガースが「僕のマリー」でデビューし「モナリザの微笑」で大ブレーク。ジュリーの容貌とメンバーの若さ・カッコ良さがティーン・エイジャーの心に火を着け、グループ・サウンズは若者文化となって行った。その後は、ショーケンのテンプターズ、ゴールデンカップス、モップス、カーナビーツ、等など、とても書き切れない。

僕等もその辺の変化はしっかり嗅ぎ分け、インストゥルメンタル専門のバンドから、全員がボーカルをやりながら演奏するバンドに変化して行ったのだった。但し、日本のグループ・サウンズの真似をすることには正直抵抗があり、ロックはあちらもの、ビートルズやローリング・ストーンズ、アニマルズの曲、またアメリカのR&Bのカバー曲が多くなって行った。

アニマルズの「ブーン・ブーン・ブーン」、ストーンズの「ペイント・イット・ブラック」、レイ・チャールスの「ホワット・アイ・セイ」など、重さのあるロックを歌うのはいつもベースのNだ。仲間内で言うのも何だがこれがなかなか良い。

また、当時、イギリスやアメリカでなく、スウェーデンのグループのヒット曲「ストップ・ザ・ミュージック」をバンマスのSが歌った。コピーには違いないけど、本物とはまた違う良さがあると僕等は思っていた。この時はまだ新米バンドで活躍の場が少なかったが、後に、この時チャレンジしたこれらの曲が活きて来る。

但し、なかなか僕にだけは歌わせてはくれない。歌いながらドラムを叩いて、リズムが崩れたらどうしようもないという心配からだったと思う。ホントは僕だって歌いたいんだよ~。
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3月 11, 2009   No Comments

大津絵

ootue.jpg以前、古宮エイジ氏が大津絵についてブログに書いたところ、彼の極く近しい方より、ご友人に、趣味で始めた大津絵が達人の域に達した人がいて、その彼が送って来てくれたというこの絵を届けてくれたという。

エイジ氏に届いたのはかれこれ1ヶ月前。彼はこれを何とか自分のブログにアップロードしてこの件を書きたいと、どうやらご自身でいろいろ試されたらしい。が、遂に投げ出したようで、それが私に回ってきたのが10日ほど前。考えてみれば私も自分のブログに写真を載せたことは一度もなかった。

絵をスキャナーで読み取って僕のパソコンに送って貰うところまでは、会社の若い人(と言っても相対論)に頼んで、送られて来たのは一週間前。即座にエイジ氏に転送したが、未だにブログに載らない。さては送信された写真をブログに掲載する方法が分からないのだろうと、まずは自分で試してみた。

何とかテストで上手く行った。そのやり方をエイジ氏に教えよう試みたが、今かなりお忙しいらしいので、今回は僕が代わりに自分のブログに載せさせて頂いた。

かく言う僕も、テストで使ったブログを削除しようとして、本文は削除出来たのに、プレミアムエイジ表紙のブログ・タイトル一覧から消すことが出来ない。「test」と残ってしまったのはその残骸だ。

折角の素晴らしい大津絵も、情報技術に疎い世代に掛かると、皆さんにお届けするまでには、大津絵の歴史ほどの長い長い道のりがあったというお話。お後がよろしいようで。

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3月 10, 2009   No Comments

青春賦(7)

バンマスのSから連絡が来た。軽音楽部の部長に掛け合った結果、バンドごとの入部を認めるし、独自活動も認める。更に、部室に楽器などを置いても良いと言ってくれたとのこと。正に満額回答。

どうやったのか知らないけどSは大したもの。最低1年くらい、どこかのバンドボーイをやったら自由を認めるとか言われても仕方ないと半分は覚悟していたのに。

どうやら、先方にも都合が良い点があったらしい。その第一は、この大学、総合大学だからありとあらゆる学部があるのだが、SやAやOなど農学部の学生が今まで一人も軽音に在籍していなかったこと。つまり、全学部の学生が参加するサークルにすることが求められていて、それによって学校からの補助金の額が変わるので、農学部の参加はサークルにとって大きなプラスだったことだ。

二つ目は、現在軽音には5つのバンドがあり、ジャズバンド2、ハワイアンバンド2、ロックバンド1だ。軽音としてはもう1つロックバンドがあればバランスが良いし、切磋琢磨出来るという点だった。

Sも高校の先輩のX部長に、会計でも渉外でも何でも、Xの下働きを引き受けるという条件でこの満額回答を引出したようだ。流石バンマスだけのことはある。

それから1週間後、僕はドラムセットを買い、部室に運び込んだ。時同じくしてS達がギターアンプ2台を運び込んだ。先輩達の楽器で少なかったスペースも、これで全部埋まった感がある。

さぁ、いよいよ、大学の正規のバンドとして活動開始だ。オッとその前にバンド名を決めて軽音部長にメンバー表を提出しなくてはいけない。幾つかの案が出たが、最後は「ザ・ストレンジャーズ」で決まった。

僕もNもAも遠くから仙台に来ているので、仙台では「異邦人」「よそ者」という意味と、「ストレンジ」、即ち、「風変わり」で「奇妙な奴ら」がぴったりと言うことで決まった。

僕はバスドラムの表面に、黒のビニール・テープで大きく「The Strangers」と書き込んだ。この文字だけは最後まで評判良かった。フランク・シナトラの「夜のストレンジャー(Strangers In The Night)」が世界的大ヒットする(66年)1年前のことだった。
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3月 7, 2009   No Comments

青春賦(6)

Oの自宅は、南仙台の河原町という閑静な住宅地にあった。確かに大きな家だ。どういう業種の仕事なのか、聞いてもいないのだが、地元企業の社長宅というに相応しい立派な家だった。Oはその長男だそうだ。

Oが何気なく言うには、父親からの期待(父親から会社を引き継ぐことの期待)とプレッシャーが伝わってくる。「きっと、バンドなんかやってるのを知ったら、親父怒るだろうな」とも呟く。立派な父親を持つと大変だな。僕みたいに故郷から遠くの大学に入ると、日常的には殆ど親の存在を意識しないで済む。

そう意味では去年と今年では世界が全く変わった。親の目がそれほど鬱陶しかった訳じゃないけれど、それでもこの開放感は初めてのこと。5月の連休にホームシックになって故郷に帰った奴がいると聞いて、僕は「ありえねぇ!」と思った。

しかし、通う学校が高校から大学に変わっても、相変わらず親のいる自宅から通うのは、親にしてみれば、自分の子供を見る目に、これまでとさほどの変化はないのだろう。益して、O君の場合、大学生になったのだから、親からの家業引継ぎの期待が益すのは当然かも知れない。

しがない公務員の息子に生まれ付いた僕が、良いとこのお坊ちゃんに同情するのも妙な話だが、この何とも言えぬ開放感を味わえないOが可哀想だと思ったものだ。

だが、彼の良いところは、父親の不快感を想像しながらも、自分は大学生になったのだからやりたいことをやらせて貰うと、僕らにその覚悟の程を披瀝するのだ。Oが今日自分の家でバンドの練習をしようと、僕らを誘ったのも実は彼の覚悟を固めるためだったのだ。

平日だからお父上は不在だが、彼の母親は僕らを笑顔で迎えてくれた。当然、彼の母親から父親には伝わることは自明である。これがO君の覚悟であり、父親への小さなレジスタンスだったのだ。

さて、広い彼の部屋に置かれた大型のステレオのアンプに、O・S・Nはそれぞれ自分のギターやベースを繋いだ。音を出してみると結構大きな良い音が出る。Aは最初遠慮っぽくサックスの音を出していたが、ギター音に負けないよう大きな音で吹き始めた。

みんないいな、楽器触われて。「神童も何か叩いてドラムの代わりにしろよ」Sが言う。そうだよな。「O君サ、ダンボールと、菜箸(さいばし)、ないかなぁ」と僕。「分かった。探して来る」と言って、Oが部屋から出て行ったと思ったら直ぐに、その2つを抱えて帰って来た。

Sが練習開始を宣言した。「さあ、始めよう。課題曲:朝日のあたる家」。この曲は、ジョン・バエズが歌い、アニマルズにより世界的な大ヒット曲となり、ベンチャーズがカバーした曲だ。僕等はそのベンチャーズ盤をやるのだ。僕は必死にダンボールを箸で叩いて、3連符のリズムを刻んだ。

みんな、エレキ・バンドは初めての筈なのにまずまず。所々間違えたり、マゴつくのは仕方ない。特にこの曲はサイド・ギターのアルペジオが生命線だ。だからO君が必死の形相で弾いているのが印象的だった。後々、僕のダンボール・ドラムも語り草になって行くのだが・・・。
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3月 7, 2009   No Comments

ブログ炎上

エイジ氏がブログで、メール文化の危険性やメールがもたらすストレスなどについて書かれた。何のアドバイスにもならないが、メールは書き方一つで、口頭や手紙よりもよっぽどストレートに人を怒らせてしまうという、私の経験談を贈りたい。

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先日、あるコメディアンのブログのコメント欄に、殺人関与非難など、あることないこと超過激な書き込みをした者達が逮捕されたというニュースが流れた。それを読んで、僕もいろいろ感じた。

コメディアンとしての評判にも悪影響が出始めたので、彼は遂にブログ閉鎖に追い込まれた。このことを若者の間では「ブログ炎上」と言うのだそうだ。犯人達は互いには全く赤の他人であったが、非難の書き込みをするとスカッとするので、秘かな楽しみだった、と言う点では共通していた。

同根の問題で言えば、小・中・高校生の間で蔓延しているネットによるイジメも心理は全く同じなのだろう。陰険で悪質、嫌な世の中になったものだ。

先日テレビでストーカーの実態に迫る特集番組があった。カメラ・クルーがあるストーカー行為に悩む女性に密着し、24時間体制でストーカーの異常行為を待ち構え、遂に隠しカメラで撮影に成功、女性と共にストーカー本人に迫り、異常行為を行ったことを認めさせるために、隠し撮りした映像を突き付け、渋々認めた犯人を警察に突き出した。

何故こんなことをするのか?という記者の質問に「駅で彼女を見掛けた時、一瞬で気に入ってしまって、後を付けた。それから2年半こんなことを繰り返してしまった。彼女の困った顔を見たり想像するのが楽しかった」と答えた。

自分の方は、名前も姿も隠して、相手が困ることを喜ぶ陰険さ・卑怯さは「ブログ炎上」や「ネット・イジメ」の犯人とストーカーは全く同じ。この心の闇はどこから来るのか?人それぞれだろうが、何らかの挫折・屈折・ストレスの間違った発散の形なのだろうか?

ところで、かく言う僕自身もブログを書く立場。上記とは別次元ながら、直接相手と話をする場合と違い、そもそも文章、或いは、文字には特別な危険性があるということを常に感じながら書くプレッシャーがある。

話し言葉では、その時の話す人の表情や声のトーン、前後の脈絡などで、言われた言葉の真意がそれ程ずれないで伝わるが、文章は他の情報は一切無い中で言葉だけだから、誤解なく真意が伝わるようにするにはよっぽど注意しないといけない。これは、ブログでもメールでも同じこと。

こんなことがあった。目上の人にある頼みごとをしていたが、期日が迫って来たので、督促メールを送信した。「お忙しい中、誠に申し訳ありませんが、例の件、急ぎご対応賜りたく、宜しくお願い致します」。丁寧な言葉遣い、目上の人に気を遣った督促状としては完璧だと自信を持って送った。

返信。「期日まであと2日もあるから心配に及ばず。現在、鋭意努力中である。しかるに、放置しているが如き言いようは失礼千万」。怒らせてしまった。直接出向いてお詫びして何とか事なきを得た。

「急ぎご対応賜りたく」に、腹を立てられたのだった。「例の件、あと2日間、何かとご面倒をお掛けしますが、宜しくお願い致します」とすべきであった。一生懸命にやって頂いている前提で、更に後2日、面倒を掛けることをすまなく思うことを前面に出しながら、裏ではしっかり、期日どおり仕上げて貰いたい気持ちも伝える、これだったな。

怒られて初めて分かる受け手の心(神童)
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3月 5, 2009   No Comments

不況に思う

昨年秋から企業の業績が急降下し、非正規社員の首切りが猛スピードで進んでいるということがほぼ毎日報道されている。このことに関して僕は3つの疑問を感じている。

まず一つ目は、マスコミが煽り過ぎではないかということ。そのために日本中が不安と弱気一辺倒に傾いて行く。世界を見れば日本の失業率は4%台。先進国の中ではずば抜けて安定した数字なのに。

これでもかと雇用不安・経済不安を、テレビや新聞が煽るので、人々は「次は自分か」と不安にもなり、不況の予感から身を固くする。企業も庶民も「もう絶対に無駄遣いは出来ない。贅沢はやめよう、切り詰めよう」となるのは、長いバブル崩壊後のデフレを経験したばかりの日本人の心理としては当然のことだ。

経済なんて、人々の心理如何だ。不安がなくなれば、今という時間が再び大切になるから、今お金で賄えるものにはお金を出すように変わる。お金の回り方が経済の好・不況を決めるのだから、マスコミの雇用不安の煽り過ぎは、経済不況へのベクトルに力を貸すことになる。マスコミが大不況に導こうとしているとの見方もあながち穿ち過ぎとは言えないのではないか。

もう一つの疑問は、キャノンやトヨタを初めとする日本を代表する企業は、つい半年前まで過去最高の売り上げや利益を上げていたのに、どうして、赤字見通しとなったからと言って直ぐに期間工や契約社員・派遣社員の大量リストラしなければならないのか。

それまでの累年積上げた気の遠くなるような多額の社内留保はどこへ行ったの?こういう非常事態に備えたお金じゃなかったの、ということだ。

ソニーもトヨタも社長交代で凌ぐようだが、昨年「兆」という単位の利益を上げた企業が、赤字見通しになった途端に、比べものにならない位小さいコストの期間工をリストラしないと立ち行かないという理屈や繋がりが分からない。株主への言い訳工作なの?

三つ目は、「赤字になった。だから首だ」は100年前のイギリスやアメリカの姿。資
本主義の初期の段階。同じことが21世紀の現在、いとも簡単に行われる不思議。小林多喜二の「蟹工船」が売れる訳だ。

日本の資本主義の歴史は、戦後のGHQの財閥解体・民主主義思想により、国も労働者の権利を大きく認め、労基法が定められ、監督官庁(労働省・労基署)も労働者が不利益を被らないよう企業に対する監視と指導を強めて来た。

だから日本では、簡単に労働者の首切りは出来ないようになっていた。つい最近までは。なのに今、派遣労働者は簡単にリストラ出来るのは何故?

派遣労働が製造業にも認められてから初めて、この不況の中で顕在化した大量解雇。この状況に労働界は何をしている。厚労省はどうするつもりだ?

企業が苦しい時に首切り出来る非正規労働者の存在を否定すると、企業は海外に逃げて行ってしまう、という脅しに、相変わらず腰が引けますか?

朝日新聞にソフトブレーン創業者の宋文洲氏のインタビュー記事が載っていた。「なぜ、日本の経営者は横並びでリストラをするのですか。どさくさに紛れて『便乗首切り』を行なう企業も多い」。
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3月 4, 2009   No Comments

本当の危機

危機はいろんな形でやって来る。でも、大体は前触れや前兆っていうものがあることが多い。ただそれを、危機の前兆と受止められる人が少ないのが問題なのだろう。

何故、前兆を見逃すか。野球で言う「サイン見落とし」。これが理由の一つ。他のことに神経が行っていて、サインを気付かずにやり過ごしてしまう時だ。或いは、サインの意味が分からず、その重大性を正しく受け止めなかった場合だ。人はこれらを注意散漫と言う。鈍感と言う。

だが、一番多いのは、サインの意味は分かっても、まさかと思う心だ。根拠の無い楽観論が打つ手を遅らせる。危機を危機と思いたくない。まだ大丈夫だ、と思いたい心。これが事態を悪くする。

起きていることを即座にくい止めるか、関係者全員に遅滞なく通知するか、その「時」が最悪を食い止める上で大事なのである。

最近、身近である事件が起きた。ある集団の責任者が市当局に提出した資料に、決定的な問題の部分があったのだ。僕はその組織には属していないのだが、彼が昔からの良みで提出資料のコピーを僕にもくれたのだった。

何気なく目を通していたら、とんでもないことが書かれている個所に気が付いた。それをそのまま提出したのでは、相手を怒らせるだけで、通るものも通らなくなる。

僕は即、責任者に電話した。だが既に当局に向かっていると言う。兎に角僕は資料提出を思い留まらせないといけないと、彼のナンバー2に事情を伝え、今日の資料提出を見合わせるよう彼に緊急連絡して貰おうとした。

ところがナンバー2の反応が最悪だった。「いや神童さん、彼も当局にはこれまでの経緯の中で、かなり溜まっていたものもありますし、彼の気持ちも分かるんですよね。一応伝えますが私が言ったところで聞くかどうか」。僕は、「お前はナンバー2の資格無い。直ぐ降りろ!」と声を荒らげていた。

案の定、市当局はその資料の受け取りさえ却下したとのことだ。目的は当局をしてOKと言わせることなのに、それをNOという決定的結論を下させてしまったのだ。彼も彼ならナンバー2もナンバー2だ。危機を自ら作って危機とも感じず、その危機の直前で回避出来たチャンスも浅慮で潰す。これこそが危機。度し難し!
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3月 1, 2009   No Comments