Posts from — 4 月 2009
青春賦(25)
僕等の演奏の出来栄えは多分過去最高だったと思う。「ブルーコメッツ」と間違われて幕が開く瞬間だけは「ワーワー、キャーキャー」の大騒ぎであとは至って静か。客席のお目当ては、レコード大賞を獲得したばかりの「ブルーコメッツ」だから、前座の演奏に興味がないのは当然なのだが、それでも僕等にとって、3,000人の会場が超満員の中で演奏するのは後にも先にもこれが初めて。その高揚感で一生懸命に演奏し終えた。
終わって舞台袖に戻った。花束が幾つか届いた。3ヵ月前に大失態を演じてしまった「ギンベル」から。そして「女子大生有志」から。やっぱりみんな会場に応援しに来てくれたんだ。ありがとう。何かホッとする。
バンド・メンバーは花束を持って楽屋に戻って行ったが、僕は舞台袖に留まって、真横から「ブルーコメッツ」のライブを見ようと思い、その場で彼等のステージの開始を待った。
5人が舞台袖に現れた。空気が張り詰めたように感じた。本番前の彼等の集中力がそうするのだろう。楽屋ではチャラチャラしたように見えた井上忠夫も三原綱木も、今は引き締まって見える。緊張感というより勝負に出る時の男の顔。
ブザーが鳴り終わり、ジャッキー吉川の「さぁ行くぞ!」で、全員がステージに向かった。いよいよライブ開始。1曲目、「青い瞳」。アンプから出る音の大きさにまずビックリ。僕等も同じアンプを使わせてもらったのだが、僕等の倍以上の圧倒的なボリュームでイントロが始まった。
僕等はいつも300~400人規模のダンス・パーティーでやってるので、今日もその調子で、いつもの音の大きさで演奏したのだと思う。でも今日は3,000人規模の会場だ。「ブルコメ」は目一杯のボリュームで演奏している。会場の大きさに慣れないアマとプロの差がいきなり出た。
その後の演奏は流石はプロ。流石は実力バンド。流石はレコード大賞。アマチュアの僕等と全く違う表現力。ハイ・テクニックなのに簡単そうに演奏する彼等。会場を一気にヒートアップさせるツボ。完璧だ。
レコード大賞の「ブルー・シャトー」も、それまではどちらかと言うと幼稚な曲だと思っていたが、会場一杯に響き渡ると、これが凄くいい曲に思えた。そして彼等のステージが終わった。
超有名バンドの前座をやり、舞台の袖でインサイドから彼等のライブをじっくり見る。たかが学生バンド、されど学生バンド。普通の人に経験出来ない、得難い体験をさせて貰ったことを、僕は仲間全員に感謝した。
「ブルコメ」の前座をやるに当って、イベント会社の担当者から、多分に社交辞令ながら「仙台で最も有名な学生バンドだから」と言われたのは、喩えお世辞でも嬉しかった。「Asteroids」サイドギターのBから、「マイナー・バンド」と決め付けられ、「ならば必ず仙台1の人気バンドになって見返してやる」と誓ったあの日から1年半。人知れず、僕等は大いなる達成感と満足感で満たされたのであった。
ホントにもう思い残すことは何も無かった。大学卒業まで1年を残し、この日でバンド活動から引退することを決めた。2代目に引き継いだ。爽やかだった。
4 月 26, 2009 No Comments
青春賦(24)
僕はみんなに提案した。
「こんな機会って2度とないと思うので、ブルコメの楽屋に挨拶に行かないか?」
Aが答えた。
「『ブルーコメッツ』を間近に見るチャンスだし、楽屋で会うというのもめったにないことだよね」
「よし行こう」となった。
主催会社の担当者に聞いたら、彼等は僕達より随分前にリハを終え、今は楽屋でくつろいでいるところだと言う。僕等の楽屋は地下1階だったが、彼等がいるところは1階の舞台の後方の良い場所にあった。
ドアをノックした。中から「どうぞ」と声がした。「失礼します」と言ってドアを開けた。入り口に近い所では鏡を覗きながら、三原綱木と井上忠夫が髪を梳かしている。言い出しっぺの僕は「今日、前座をやらせて頂く学生バンドです。ご挨拶に伺いました」と伝え頭を下げた。
三原綱木だったか井上忠夫だったか、「ああ、学生さんね。頑張ってね」。鏡を覗き込んだまま、こちらに振り向きもしないで言う。僕は少し気分を害したが、Sが「宜しくお願いします」と返した。
その時、一番奥にいたジャッキー吉川がわざわざ僕等のいる入り口にやって来て「ご丁寧にどうもありがとうございます。こちらこそ宜しくお願いします」と頭を下げるのだった。流石はバンマス。苦労人だけのことはある。これには僕等全員が感動してしまった。
後は何と言って引き上げたか覚えていない。楽屋に戻って僕はみんなに言った。「感動しちゃってサ、今日彼のドラムを使わせて貰うのに、そのお礼を言い忘れちゃったよ」。でも、挨拶に行って良かった。彼等との心の距離が縮まって、本番も妙に借りて来た猫みたいにならないで済みそうな予感がして来た。
午後6時、開演時刻となった。僕等の演奏が始まった。一曲目、Nの歌う「ホワット・アイ・セイ」。レイ・チャールスのナンバーだ。徐々に緞帳が上がって行く。その途端、一体何が起きたんだと思うくらいの歓声と拍手。自分のドラムの音さえ聞こえないくらいだ。「ワー・ワー、キャー・キャー」、観客も半数が立ち上がっている。3,000名の席が超満員で大騒ぎなのだから凄いの何のって。だが、それも緞帳が上がり切るまでの数十秒間の出来事だった。後は嘘のように静かだった。
僕等「The Strangers」は5人。リード・ギター、サックス、ベース・ギター、キーボード、それにドラム。「ブルーコメッツ」と同じ構成なのだ。観客も幕が開いた瞬間は、僕等を「ブルコメ」と間違えたんだな。お蔭で、超売れっ子になった時(絶対それはない)の疑似体験をすることが出来た。
4 月 26, 2009 No Comments
青春賦(23)
僕は主催者から言われていたので、スネア・ドラムとスティックだけを持って会場に乗り込んだ。多分、主催者側でドラムセットを用意するという意味だ。4時から僕等のリハーサルが始まったのだが、用意されていたドラムセットにスネアをセットして微調整を始めた。
そしたら、若い男がすっ飛んで来た。
「すいません。ドラムセットをあまり動かさないで下さい!」
「え!?これまさか!」
「いや、そのまさかですよ。ジャッキー吉川のドラムセットです」
「うそ!そんな大事なドラムを貸してくれるのですか?」
「ドラムもアンプも、途中で入れ替えたりすると、またセッティングやチューニングし直しになるからと、ジャッキーさんが許してくれたんですよ。ドラム位置の調整はジャッキーさんの位置になってるので、そのままでお願い出来ますか?」
「えぇ、勿論。了解しました」
僕は驚いた。真新しくはなく結構使い込んでるドラムセットだったが、ジャッキー吉川のドラムだったとは。僕のドラムが6~7万円だとすると、ジャッキー吉川のは何十万、いや優に百万円を超えるだろう。何せ彼等の使うシンバルは1枚20万円は下らないのだから。これはまた後々自慢話になると咄嗟に思った。すっ飛んで来た彼はどうやら「ブルコメ」のバンド・ボーイのようだ。
一方、SもNもHも箪笥のように大きいアンプにギターのシールドを差し込んで音を出そうとしているが、音が出ない。いや、初めてのプロの使っているアンプだから勝手が分からないのだろう。
先ほどの彼がまた来て、教えてくれている。音が出た。凄い。出力のパワーが自分達のアンプとは比べ物にならない。ベースの音など、腹の底に響き渡るようだ。なる程ね、有名プロは道具も凄い。こういうのを一生に一度でも使わせて貰える僕達は幸せ者だ。
僕達の演奏する曲は全部で6曲。ただリハーサルでは2~3曲やっただけにした。観客は1人もいないものの、音響・照明・舞台にはかなりの人数がいて僕等のリハーサルに付き合ってくれている。
彼等はいつも「ブルーコメッツ」のステージを作っている人達だろう。そういうプロを相手に目の肥えた人達の前でリハをやるというのは相当なプレッシャーだ。数曲で止めたのは、自分達が何かいつもと違って浮き足立っていると感じたのと、全曲皆さんに付合って貰うのは申し訳ないと思ったからだ。同時に、妙なプレッシャーを受ける時間は極力短くしたかったのもあった。
リハーサルを終えて楽屋に戻った。みんな「フーッ」と息を抜いた。本番前にこんなに緊張したこと初めてだ。バンマスのSが言った。「相手が『ブルーコメッツ』だからって、縮こまらないでいつものようにやろうよ」。「うん、そうだよな」。それでチーム全体が少し落ち着きを取り戻したようだった。
4 月 26, 2009 No Comments
青春賦(22)
その有名バンドというのは「ジャッキー吉川とブルーメッツ」のことだ。話が来たのは昭和42年12月上旬。同月下旬には彼等のヒット曲「ブルー・シャトー」がレコード大賞に輝いたから、名実共に日本一のミュージシャン達のライブの前座を僕達が務めることになったのだ。これは事件だ。
年明け2月の仙台公演も、通常の地方巡業というより、レコード大賞受賞記念コンサートとなるだろうから、仙台到着の時から彼らがもみくちゃになるような大騒ぎの中で開催されるライブになるのだろう。
前年にビートルズが来日した時、「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」が前座を務めているが、不遜にもそのことが頭に浮かんだ。つまり、世界のスーパー・スターの前座をやった「ブルーコメッツ」が、今や日本のナンバー・ワン・スーパー・スター。そのまた前座を務める僕等は仙台のスーパー・スター?まさかね。
しかし、僕等を前座に選んだイベント会社の担当者に、その理由を尋ねたら、「前座には安上がりな学生バンドを使うことが前々から決まっていた。ではどのバンドが良いのか、いろんなルートで聞いて行ったところ、お宅らの名前が一番多く挙がったので決めさせて貰った」とのこと。へ~、それはそれでやるじゃん、僕達。
11月のリサイタルで後輩にバトンタッチしようと一度は思ったのだが、必然的にこの「ブルコメ」のコンサートまでは継続となり、それを最後に3年生は引退して、正式に2代目(現1年生達)に譲るということに決まった。
不思議なもので、あと数ヶ月のバンド活動だと思うと、授業や実験やゼミなどで忙しいのにみんな時間の遣り繰りをして頻繁に集るようになっていた。
相変わらずダンス・パーティーの演奏を引き受けながら、学食での新曲練習も行ない、いよいよ昭和43年2月、その大イベントの日を迎えた。
場所は仙台市中心部にある宮城県民会館。大きなホールで音響も良く、当時では県下ナンバー・ワン、否、東北ナンバー・ワンの会場だった。勿論僕等もここで演奏出来ることを誇りに思わないではいられない。しかも今日は、今、日本で最も人気のあるバンドと同じ舞台で演奏出来るのだ。舞い上がっても不思議はない。だってそんな学生バンド、日本でも僕達だけかも知れないじゃないか。
この1ヶ月、街のあちこちに「祝レコード大賞受賞ブルーコメッツ仙台記念公演」のポスターが張られていたし、地元テレビでも頻繁にコマーシャルを流していたから、当日は仙台中が「ブルコメ」一色に染まったかのような印象があった。但し、ポスターにもチラシにもどこにも「The Strangers」の出演は触れられていなかった。そりゃそうだろうって。
夕方6時開演だったが、僕等のリハーサルに当てられた指定時間より1時間も早く(多分午後3時頃)会場入りしたが、既に楽屋口近くには、大勢の若いファンが「ブルコメ」を一目見ようと取り巻いていた。
4 月 26, 2009 No Comments
メタボ3兄弟
今回のマスターズは、日本中のアマチュア・ゴルファーやゴルフをやらない小母様族の期待を一心に浴びた石川遼君が、予選敗退となって、日本では盛り上がりが今一だったが、さすが日本プロ賞金王の片山晋呉が見せてくれた。
最終日、5バーディー・1ボギーの68という高スコアで4位となった。大きな大会で、3日まで上位にいて、最終日に良いスコアを出して順位を上げることがどれだけ難しいか、過去の日本選手がそれを示して来たから、片山晋呉の活躍はもっと褒められていい。
だが、10アンダーという成績は、プレーオフに入った3選手のスコアに2打足りなかった。たった2打。されど2打。パー288の内の2打。この2打は実は気の遠くなるような差だとある解説者が言っていた。
4日間のプレーで首位に立った3人も、プレーオフで優勝したカブレラと、敗れた選手の差は、運だけの差かというと決してそうではない。4日間の長丁場で同スコアという結果だから、技術や運には殆ど差が無いと思って良い。3人の中では唯一カブレラだけがメジャーで一度勝っている(2007年全米オープン)ので、メジャーの優勝争いは初めてでない。最後の最後に物を言ったのは、その経験の差だと言う。
メジャーで1勝することの難しさを嫌と言うほど思い知らされ、且つ、そのプレッシャーを乗り越えて勝った経験がある者とそうでない者とでは、勝負師として雲泥の差がある。その解説者は、プレーオフになった瞬間に勝つのはカブレラと予想したらしい。
他の2選手は、若しかしたらメジャー初優勝出来るかもしれない、と思った瞬間から、精神状態が不安定になり、自分のいつものプレーが出来なくなったのは明らかだった。
それを思うと、片山も大活躍したし、結果を残したから、良くやったと言ってやりたいが、3人の仲間にさえ入れなかったことと、しかもその差が2打もあったという事実を正しく認識した方がいい。優勝者と片山晋呉の差はその位に大きいのだ。このことを理解した上で、来年もう一度挑戦するという姿勢の方がきっと良い結果に繋がる筈だと言う。
そう言えば、片山がインタビューで「最高の経験をさせて貰いました。去年までは悔しい思いしかなかったが、やっと、やって来たことが花開いたなぁと思います」と満足げに語っていた。その解説者の言うのは、「2打差を付けられてしまって、プレーオフに出られなかったのが凄く悔しい」と片山が言うなら次が期待出来るのに、ということか。
それにしても、今回は、遼君が予選落ち、タイガーが一度も優勝戦線に顔を出さず、しかも、プレーオフは揃いも揃ったメタボ3兄弟だったから、少し盛り上がりに欠けるマスターズだったかな。
しかしながら、メタボをいつもカミサンに責められている身からすれば、鍛え抜かれ研ぎ澄まされた肉体の持ち主でなく、ややメタボチックなプレーヤーがメジャー大会で優勝争いしてくれる図はまんざらでもない。
4 月 26, 2009 No Comments
日本の医療を考える
日本の医療について、考えさせられている。
一つは昨年来、後期高齢者医療制度改革について、大きな反発と波紋を呼んだこと。該当者達からは「国は我々を切り捨てるのか」「姨捨山制度を作るのか」などなど、大きく揺れた。また、急患のたらい回しや、産婦人科や小児科の医師不足の深刻化、日本各地の市民病院の相次ぐ閉鎖等など、日本の医療は袋小路に入りつつあるのを感じる。
二つ目は、数ヶ月前、テレビでアメリカの医療の実態について、衝撃的映像が流されたのをご記憶の方も多いと思う。ある市民病院での出来事。待合室で病気の婦人(黒人)が耐え切れず椅子から転げ落ちたが、そこに居合わせた他の患者は誰も彼女を助けようとしない。見て見ぬふりだ。
それでも、誰かが連絡したのだろうか、医師が待合室を覗きに来たが、彼女を一瞥しただけでやはり去って行ってしまう。その婦人は結局1時間以上病院の待合室で倒れたまま放置されて死亡したのだった。
僕はそれを見ながら、その状況を何もしないでせっせとカメラに収めていた奴も許せないと思った。が、そのフィルムは全部一定のアングルから撮られていたから、多分防犯カメラのフィルムなのだろうと途中で気が付いた。
そして、三つ目。昨年、僕はカミサンと新婚旅行以来の海外旅行でカナダに行った。その時現地に住む日本人ガイドの話を聞いた。カナダはアメリカの隣の国だが、政策的には北欧型の高税率福祉国家だと言っていた。少子化対策も含めて、出産に掛かる入院費用は完全無料。高齢者医療も無料。介護施設やサービスも社会制度として充実していて、日本の比ではないそうだ。現役世代も収入に応じて医療費負担の割合が変わるという。
医療だけに限らず、働く女性のための育児に関する社会的保障(子供手当て、保育所など)なども充実し、義務教育は高校卒業までで、授業料や教科書代が無料となっている。
だから、そんなに贅沢をしなければ、一生生活に困ることはないという安心感はあると言っていた。その代わり、消費税は国と地方の両方が掛かるから20%を超えるらしい。税金が高過ぎて、一生懸命に働いても適当に働いてもあまり実入りが変わらないので、若者達の労働意欲という点では、全くダメともガイドは言っていた。
以上3つの別々の事柄が頭に浮かんで、世界にも例を見ない超高齢化・超少子化を迎える日本の医療はこの先どうなるのか、どうすべきか、僕の頭では考えが纏まらない。
ただ言えることは、アメリカのような社会保険としての健康保険が一切なく、従って、金持ちしか充分な医療を受けられない社会が良い筈はないということ。「地獄の沙汰も金次第」とはよく言うが、アメリカの医療制度は正に「生死の沙汰も金次第」。命の差別に他ならない。
では、高い税負担で全て税金で高福祉を実現しているカナダ型が良いのかと、言えば力のある若者の海外流出など、社会全体が沈滞して行くことを是とし得るかという問題を抱える。
西島英利という国会議員がいる。友人が彼の本を参考に読めと送って来てくれた。彼は精神科医師から国会議員になった人だ。彼は日本の皆保険制度は世界に誇れる制度だから絶対に守るべきで、利益第一主義のアメリカ医療(病院経営)のようにしてはいけないと主張する。
大いに同感である。だが、今後の人口構成のドラスティックな変化は、この皆保険制度自体の存続を危うくしている。数十年前まで、本人負担ゼロだった制度も今では3割負担である。高齢化が進めば医療費全体を引き上げ、その上少子化で現役世代が減るので当然保険料収入が減るから、将来的に5割・6割・7割負担もあり得ない話ではない。
それが払えない人は病院に行かなくなるから、結局はアメリカのように金持ちのための医療制度になり兼ねない。確たる自信はないが、福祉目的に絞った消費税率のアップを検討しない限り、医師不足と皆保険制度の崩壊を防ぐ具体的方策はないのではないかと感じている。これだけの負担増はお願いしますが、こういう社会保障を実現します、というグランド・デザインが今こそ必要な気がする。
4 月 26, 2009 No Comments
ミサイル衛星発射に思う
北朝鮮は人工衛星打ち上げに成功したと発表しているが、米・韓は失敗、ロは衛星軌道上に北朝鮮の打ち上げた衛星は存在しないと発表した。それでも北朝鮮の狙いは一定の成果ありという評論家が多い。
その第一は、前回のテポドンよりも射程距離が大幅に伸びた現実をアメリカに示せたという点。これまで以上の脅威をアメリカに感じさせ、早期に新政権をして北朝鮮との交渉に向かわざるを得ない状況を作り出す上で一定の効果があったと言えるという。
第二は、発射時刻を事前に米・中・ロには伝え、この3カ国との関係悪化は避ける一方、日韓には一切伝えないという6各国協議のメンバー国に対する分断作戦は当たったと言う。この3カ国を決定的に敵に回さない限り、新たな制裁を含む国連決議はなされないだろうから。
更に、この3つの大国との関係や交渉を維持出来れば北朝鮮は困らないから、日韓は切り捨てるとの態度を示すことにより、困るのは日本・韓国の方だろう、北朝鮮側からは一切譲歩しないとの強いメッセージが明確に伝わった。このことも含んで打ち上げは意味のある政治的イベントだったとも言う。
しかし、過去何十年もの間、拉致・テロ・密輸など周辺国に対してありとあらゆる悪事を重ね、21世紀の今、未だにその政権が存続していることが不思議なくらいだが、これを国際社会はどうにも出来ない。
中東と違い、この国が資源を含め貧し過ぎて、他国にとって魅力に欠けることが、今も存続出来ている理由なのだろうか。アメリカも北朝鮮に対してはイラクのように攻撃することは考えていないようだ。尤も、安易な他国侵攻はイラクで懲りただろうけど。
そんな訳で、幾ら日本が力んでみても、全く解決に向かわない。普通、貧しさは社会不安を惹き起こし、反政府運動やクーデターが起きて政権交代に至るもの。そういう方程式もこの国では成り立たない。そういうことが起こらないように、長い年月掛けて周到に宗教国家(将軍様は神様)・軍事国家に作り上げて来たのだ。
今の僕等から見れば、なんてナンセンスな国かと思うが、戦前の貧しさの中で「天皇は神」「天皇陛下万歳」を唯一の価値観として教育された日本の姿が、今、北朝鮮にあると言うのは言い過ぎだろうか。日本に支配された北朝鮮が日本から学んだ最大の点がこのことだったとしたら、これは大いなる歴史の皮肉ではないか。
国際社会が北朝鮮のミサイル衛星打ち上げを容認したとの間違ったメッセージを送らないためにも、新たな国連決議を働き掛ける日本は決して間違っていない。それが叶わなくても日本独自の新たな制裁を課すとしているのも間違っていない。効果や成果がどうあれやるべきだと思う。国家主権を侵害されても、目を瞑ってしたい放題させておくことが一人前の国家のあるべき姿ではないからだ。
その点に関して大きな疑問が一つある。戦前の日本の教育と歴史を絶対的に悪として批判して来た共産党や社民党が、その本質と変わらないように見える北朝鮮に対して、より強い制裁措置に出る独自制裁案に反対するのは一体何故なのか、僕にはその理由が良く分からない。
4 月 26, 2009 No Comments
帯状疱疹
火曜日、会社に着くと同時に右肩が痒くなった。急にだった。もう何年も前になるが、4年に1度(不思議とオリンピックの年)、酷い蕁麻疹になっていたから、久し振りにそれが復活したのかと思った。また、偶然なのかその前の日から右肩が50肩のように痛くなっていた。いや、60歳過ぎたら60肩というのかな。
痛かったり痒かったり、大変だな、僕の黄金の(特に意味なし)右肩。蕁麻疹なら慣れているからそんなに慌てる必要ない。今週のどこかで皮膚科に行って診て貰えばいいや、と右肩を掻きながら仕事を続けた。
木曜日は前から約束していたゴルフだったので、右肩が気にはなっていたが、会社を休んで朝5時起きして出掛けた。但し、ラウンド中に右肩をぼりぼりやるのは憚られるので、前日に「液体ムヒ」を買っておいた。
スタート前に右肩にタップリ塗って準備万端、ティー・ショットに入った。それまでスースーして痒みが治まっていたのだが、アドレスした瞬間、同じ所がヒリヒリして来たのだ。薬の塗り過ぎだろうとは思ったが、構わずボールを打ったらこれがナイスショットだ。朝一で本一。
こうなると、もう右肩のことは全く忘れてゴルフに集中していくから現金なものだ。2ホール目もナイスショット。ここはホームコースだから自分の飛距離ではいつもこの辺りと分かっているのだが、それより20ヤードは飛んでいる。
そう言えば、最初のホールでも、いつもは飛距離で絶対に敵わないK君を、10ヤードもオーバー・ドライブしてた。たまにはこういうこともあるかと思った程度だったが、2ホール続くと奇跡。みんなもいい打ち方だと褒めてくれる。この日は一日中ドラーバー・ショットが好調、いつもより飛ぶので2打目の景色がまるで違うのだ。だけど何でだ?
クラブを変えた訳じゃない。ボールを変えた訳じゃない。Kから前回のラウンドで指摘されていた「ハンドダウンの構えを止めて、グリップの位置をもっと前もっと上に」だけは意識したが・・・。体の回転で打てるようになるとKが言うからね。それなのかなぁ?自分では従来とそんなにスィングが変わっていないつもりだけど。
だが、どうやら現実に飛距離が全く違うのは確かなようだった。チョッとしたことで結果がこんなに違うと、逆に気持ち悪さが残るもの。半信半疑。きっと、あと何ラウンドかこの打ち方で同じ結果なら、自信持てるんだろうな。取り敢えずこの打ち方を暫くは続けよう。
スコアの方は寄せとパットがパッとせず、いつものスコアだったが、ドライバー・ショットは若しかしたら長い長いトンネルを抜け出したかな?でもまた、直ぐ次のトンネルに入るのかなぁ?
風呂から上がった後、一日忘れていた右肩が今度は痛痒くなっていた。痒くなって3日目。どうも嘗ての蕁麻疹とは違うようだ。自宅に戻った後、医者に行った。
「帯状疱疹ですねぇ」と医者が言う。
「え!?あの雅子様のご病気ですか?」
「そうです」
「高貴な方のなる病気なのに、庶民もなるんですか、先生」
「誰でもなりますよ!」と先生。冗談が通じない。そして、
「基本的には水疱瘡のウィールスと一緒なんです。大人はみんな体内にそのウィールスを抱えていますが、老化や何かで抵抗力が低下した時、そのウィルスが活発になって帯状疱疹を引き起こすんですよ」
原因は老化かい。やだねぇ。この病気、幼児以外、大人にはうつらないと言うから一安心。診て貰った結果は全治1~2週間ということだった。ゴルフも完治まで凍結だな。この病気、右半身とか左半身とか人体の片側だけに起きる病気なんだって。変な病気!この辺りの理屈を先生に聞き漏らした。今度聞いてみよう。
神経に沿って出来て、神経を強烈に刺激するから激痛が走ることもあるんだって、先生言ってたな。夜寝返りも打てないくらいに痛がる人もいるらしいよ。脅かさないでよ。何とか軽く済みますように、神様!仏様!アーメン!・・・
4 月 26, 2009 No Comments
青春賦(21)
コンサート最後の曲の前、花束を持った美しい女性がステージに現れた。ああ、花束贈呈か、と思った瞬間、「ん、拙い!」と冷や汗が噴き出た。青葉通り沿いの「ギンベル」社長から、花束贈呈を前半のステージでやって貰いたい、と言われていたのを思い出したのだ。しまった、天候が天候だったから、客の入りが心配で、この大事なことを忘れていた。
コンサート終了後、マネージャーのSaから、「ギンベル」の店員が受付に花束を置いて行ったけど、約束を無視されたとかでえらく怒って帰って行った、と告げられた。
後日お詫びに伺ったが、社長は会ってもくれなかった。変わりにベテランの女性店員が現れて、「今時の学生さんは平気で約束を破るの?」とか「花束贈呈の場面を前半で作るのが広告代を出す条件だったのに履行しなかったのだから広告代は返すべき!」とかいろいろ厭味を言われた。言われても仕方ない。それでもお詫びの印に買って行った和菓子を無理やり受取って貰って帰って来れた。大失敗だった。
ところで、ステージ上で花束贈呈をしてくれたあの女性、彼女は一体何者だろうか?街中で何度か見掛けている。美人で背も高くてスタイルも良く、いつもパンタロンで颯爽と街行く姿は、遠目にもよく目立っていたから、あぁ、あの娘(こ)だと直ぐに分かった。彼女が「ギンベル」の店員なのか?
後で分かったところでは、彼女は「ギンベル」とは無関係で、私大の学生さんだった。花束もその大学の軽音部からのもの。彼女、バンマスのSの知り合いだった。Sと高校の同級生に「沼澤聖一」(後のプロゴルファー)という人がいて、その妹ということでSとは顔見知りだという。
その頃、彼女は地元テレビに「沼澤博子」という本名でアシスタントとして出演していたようだ。後の女優「篠ひろ子」の学生時代の姿だった。
花束を受け取るのはやはりバンマス。いいな。花束を渡しながら彼女がSに何事か話しかけている。Sもニコニコ顔で何かを答えたように見えた。終了後、Sは「ステージ上で何を話したんだ?」とみんなから随分追及されたが、「内緒」で押し通した。それにしても仙台にも物凄い美人がいたもんだなぁ。
さて、最終入場者数は430名だった。この悪天候の中だから良く入った方だと思うことにした。入場者数が少なく、「ギンベル」の失敗もあって、とても成功とは言えなかったが、ステージそのものは、満足の行くものだったし、最後にはアンコールの手拍子まで貰えた(多分に社交辞令っぽいが)。憧れの会場で自分達の青春を飾るライブ・コンサートが出来たことが夢のよう。終わった時、このリサイタルを最後にバンド活動をやめても思い残すことないと心から思えた。
だが、直後に思いもかけないことが待っていた。次の年の2月に、ある有名バンドの仙台公演があり、その前座を「The Strangers」にやって貰いたいというオーダーが入ったのだ。
4 月 26, 2009 No Comments
青春賦(20)
昭和42年11月(1967年)中旬、いよいよ僕らのコンサートの日がやって来た。チケットの売れ行きもまずまず、準備もほぼ完璧、学食での直前一週間の特訓で自信も付いた。だが好事魔多し、全てが良いということにはならないもの。その日は朝から雨。いや、単なる雨ならまだしも、台風のような暴風雨だったのだ。
こりゃ、当日券は出ないなとは思ったが、寧ろ、この強風土砂降りの中、チケットを買ってくれた人が本当に今日来てくれるだろうかと心配になった。
リハーサルも終わって開場時間になった。客がちらほら会場に入って来た。が、出足はかなり鈍い。外は相変わらず土砂降りだ。せめて小雨になってくれ、風もやんでくれ、祈るような気持ちだった。
川内記念講堂で自分達のリサイタルをやるというのが夢だったから仕方ないけど、こんな暴風雨の日には2,000名の会場は大き過ぎだと今更ながら思った。開演時刻が近付くが、演奏のことより客の入りが気が気でなかった。
舞台袖からこっそり客席の方を見たが、入場者が少ない。元々目標は3分の1の700名だったから、その半分くらい。仕方ない。こんな日にも拘わらず来てくれた人のために一生懸命やろう、気持ちを切り替えてコンサートをスタートさせた。
オープニングはNの歌う「マネー」。ビートルズのヒット曲だ。Hが叫ぶ「ザ・ストレンジャーズ・67!」。間髪入れずに僕の短いドラムソロ。続いてエレキ・ギターのイントロへ。この辺りで緞帳が上がりNのシャウトへ。
一曲目が終わり、司会者が登場。「さぁ、始まりました。ストレンジャーズと一緒にこの悪天候をぶっ飛ばしましょう!」。現役の民放のアナウンサーだから、凄くいい感じ。5人のメンバーが夫々自分の持ち歌やフィーチャー曲を演奏した。第一部は僕等「Strangers」の前期、即ち、2年生の時によく演奏していたロック・ナンバーやR&B中心のステージにした。
最初の40分があっという間に終わった。休憩を挟んで次はゲスト・バンドの演奏だ。ゲストに招いたのは「ファイブ・スポッツ」。1年の時クラシック・ギター部の向かいの部屋から聞こえて来たジャズを演奏していた人達だ。今でも僕らの憧れ。僕は舞台袖で彼等の演奏に聞き入っていた。
彼等は4年生・5年生・6年生。早い話が大学を卒業しないでジャズを続けている人達。アマチュア学生バンドには違いないが、僕等から見れば、ジャズ中心の彼等の生き方はプロそのもの。
さぁ、僕等の第二部が始まる。後半は3年生になってから挑戦したエレキ・バンドのジャズを中心に、この日のために特訓した新曲も含めて披露した。およそエレキ・バンドには馴染まない「ダニー・ボーイ」をAがテナーサックスで奏でた。手本にしたのは、サム・テーラー。僕もロックバンドなのにこの曲のためにスティックではなくブラシをわざわざ買って演奏したのだった。
「キャラバン」や「カミン・ホーム・ベイビー」などはエレキ・バンドでも馴染むが、さすがにサム・テーラーばりの「ダニー・ボーイ」には会場も驚いている様子だ。何よりAのむせび泣くようなサックスが聞かせる。
Hがリード・ギターを務める「ザ・キャット」。ジミー・スミスはオルガンだが、Hはエレキ・ギターで弾いて行く。かなりこもった音に変えてリズム感溢れた演奏をするので、やはりジミー・スミスになっている。ハイ・センスな曲に聴こえる。なかなか良いぞ。
でも、やってみて分かったけど、分かるのが遅かったけど、僕等のジャズの曲は、「ファイブ・スポッツ」の演奏前の方が良かったな。ジャズのプロ達の後じゃやりにくいでしょ。
4 月 26, 2009 No Comments

