プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 5月 2009

中国人の対日感

偶然、中国人書いているブログの日本語訳のサイトを見付けて読んでみた。殆どの記事は親日的なのだ。ま、日中の相互理解を深めるためのサイトだからだろうけど。そのせいか日本人にとって心くすぐられるものが多い。

従って、これは中国人の中でも極々少数派の人達(親日)が書いたブログだと思って、注意して読まないといけないのだが、そういう彼らが日本に初めて行ってみて、それまで彼ら自身が日本人に対して抱いていたイメージが180度変わったと言う。その文章から、彼等がそれ以前に抱いていた日本人のイメージというものが一般の中国人の対日観だと読み取ることが出来る。

中国政府江沢民前主席の打ち出した反日教育方針もあって、一般的中国人にとって日本は、「侍」・「刀」・「銃」・「野蛮」という言葉で表される侵略・軍国主義というイメージであり、尖閣列島問題に起因すると思われるが、領土拡張に異常な野心を燃やす日本人というものであるらしい。中国国内での意識調査でも嫌いな国の筆頭は2007年まで常に日本だった。

それが、文化交流事業の一環で、長期の研修生として来日し、日本人と直に接してみて、完全に打ち砕かれ、寧ろ、普通の日本人に尊敬の念を抱くようになったとまで言うのだ。それは、出会った人ほぼ全員が礼儀正しく謙虚で、思いやりのある人ばかりだったからだそうだ。

様々な国の研修生が宿泊している研修所の中庭で、明け方まで酔っ払って騒いでいた他国の研修生の一団がいた翌朝、研修施設で日常生活の面倒を見てくれている日本人のお姉様が、「夜騒いでいた人達がいたようだけど、眠れましたか?」と聞くので、「以前日本人の酔っ払いが騒いだことがあったけど、昨晩は他の国の研修生みたいでしたね」と答えたら、「ああ、それはゴメンナサイね」と言ったと言う。

「どうして貴女が謝るのですか?」と聞いたらそのお姉様は「日本人の恥は私の恥ですからね」と答えたのだそうだ。中国ではみんな損得でしか動かないし、近寄って来る人間には警戒するのが常識の中国人同士の感覚からすれば、とても考えられない。自分の責任であってもとことん他人の責任を言い張る国民性からすれば、日本には中国が決して敵わない決定的な素養の高さがあると述べている。

少々面はゆい記事だが、僕はこの筆者達が、経済成長を続け物質的に日本に追い付くのは可能でも、国民の素養を高めない限り世界から尊敬されないと述べ、根拠レスのあの中華思想のままでは、世界から嫌われる国中国から抜け出せないと主張しているのだから、かの国の中でそれを言う勇気に感心したのだ。

また別のブログでは、中国政府が最近発表した統計の中に、日本からの援助が全体の66.7%にも達していたのを初めて知って驚いていた。あの憎っくき日本、あの野蛮な日本、油断すると領土を奪い取りに来る(多分尖閣諸島問題)日本、という考えに一分の疑いも持ったことが無かったのが、これほど日本に助けて貰って今日の中国の発展があったとは、と絶句していた。

ただ、そのODAによる支援も、殆どが紐付きの援助だったと知ったら、今度は一体どういう反応をするのだろうか?

5月 31, 2009   No Comments

東京オペラシティ・コンサート2/2

「スタンド・バイ・ミー」が終わったところで、Shifoが「7人のジジイ達」を順番に紹介して行った。最後に僕の紹介ついでに、「おじさんバンドを代表してご挨拶を」とShifoが言う。僕が何かしゃべることは当日決った。僕は、クーペに沢山の奇跡が起きたように、このおじさんバンドも、こんな素晴らしいオペラシティで演奏出来ることは、やはり奇跡でしょう?と言いたかったのだが、どう言ったかまるで覚えていない。

昨年の今頃までは、現役で仕事してた。その頃の僕は、大勢の前で話をするのが仕事と言っても良いくらい話すことが多かったのたが、この時は本当に緊張した。と言うより、リハーサルを含めて音楽の演奏をしながらも落ち着かず、心ここにあらず状態だったと思う。上手い下手は別にして、今は、しゃべることよりドラマーをやってる方が気が楽だ。まっ、これはこれで、ドラム演奏がかなり図々しくなったという証なのだが・・・。

7人のジジイ達の4曲目、最後の曲は「シング・シング・シング」。実は、おじさんバンドを結成して満4年経つのだが、いつもShifoにピアノかシンセ・ベースをやって貰い、曲全体をリードして貰って来ていたが、この曲は、Shifoが一切楽器をやらず、演奏をおじさんバンドだけでやるのだ。7人のジジイ達の自立が掛かっている。勿論、ベースは純次さん。そして、今回初めて、マンディーがトロンボーンを吹く。

トロンボーンを一度もやったことのないマンディーがそれを購入して1ヶ月も経っていない。良い音が出るようになったのも2~3日前。だから、トロンボーンの出番は間奏終了の時と、曲の終了の時の2回だけ。それもソロで「ボ~~ン」と鳴らすだけ。結果は、大成功。ベースもトロンボーンもとても良かった。ついでに間奏の中で初めてコンガのソロも入れたが、ヨッ君、良く頑張ってこれも大成功。

こうして、おじさんバンドの記念すべき自立第一歩は上首尾で旨く行ったのだった。

第1部最後は、沖縄から呼んだ三線の男子2人組。そのうちの1人は、昨年12月末に沖縄に行った時に、クーペ共々大変お世話になった「沖縄道楽」のマスターの息子さん。もう1人はその友人。どちらも20歳を幾つか過ぎた若者だ。息子さんの唄う歌がやけに沁みる。

2部は、途中ゲストの高岡健治の歌う1曲を挟んで、全て「クーペ&Shifo」のステージ。クーペ作詞、Shifo作曲の数々。「7人のジジイ達」は2部では高岡健治氏が歌う時のバックを担当するくらいで殆ど出番がなかったので、みんなで楽屋で聴いた。「ジジイ達」には「一番先の旅人」が一番人気であった。後でクーペから、この曲がヒョッとしたら世に出るかもしれない、と聞き、我々の耳も節穴ではないと秘かに喜んだ。

こうして、昨年のNHKホールに続いて、1年後のオペラシティも気持ち良く終わることが出来て、その夜の打ち上げは深夜過ぎにも拘らず、何時までも何時までも続く・・・。

5月 20, 2009   No Comments

東京オペラシティ・コンサート1/2

5月14日の東京オペラシティでのコンサートには、大勢の人が駆け付けてくれて、1階席(約1,000名)は、ほぼ満席に近く埋めて貰ったので頂いたので、出演者も大変気分良く演奏させて頂きました。ご来場頂いた皆様には、この場を借りてお礼を述べさせて頂きます。ご来場誠にありがとうございました。

気分が良かったのにはもう一つ、会場が素晴らしかったことも挙げられる。地上54階建の超高層ビルの中にホールがあるのだが、リハーサルの集合時間の午後2時に会場に着いて直ぐに、舞台に上がってみた。中は何と12階建のビルがそっくり納まってしまいそうな、吹き抜け空洞の大ホールになっている。ホールの天井が遥か上空にあるのだ。こんなの見たことない。

これで抜群の音響効果を発揮するホールなのだろう。リハが始まってみると、確かに反響が凄くて、エレキ・ギターやシンセサイザーなどの電子楽器は相当音量を抑えないと、ワーワーと反響し過ぎる程だ。

リハーサルでいろいろ試した結果、クーペは、エレキ・ギターがイントロや間奏で思いっ切り音を出す「無茶苦茶でございりまするがな」と「愛さんざん」は本番ではカットすることを決めてしまった。僕は個人的にこの2曲が大好きだったので、頗る残念だが致し方ない。

そういう意味では、やはり、オペラシティはクラシック音楽のためのホールなのだろう。バルコニー型の2階席・3階席を全て埋めると1,600名収容の広い客席ながら、バイオリンやピアノの演奏会ではマイク不要の会場だというから、生音が良く通るように考えられているホールなのだ。

コンサートはいつものように2部構成だが、いつもと違うところは、1部の最初からクーペが登場したことだ。いつもはクーペの登場は2部からで、1部はshifoとおじさんバンドで演奏するのが常だった。この時のバンド名が「年取った白雪姫と7人のジジイ達」なのだ。ところがクーペがいると「8人のジジイ達」になってしまう。が、当日、仕事の関係でどうしても来れないおじさんバンドのメンバーが1人いたから、やはり「7人のジジイ達」で嘘はなかったという次第。

1部最初の曲はShifoが歌う「アメージング・グレース」。2曲目からおじさんバンド登場。まず先に純次さん登場。彼は今回からベースマンとして登場した。ウッドベースで「スタンド・バイ・ミー」のイントロを弾き始めた。なかなか良い。しっかりした音、しっかりしたリズム。

純次さん、以前はウクレレを担当していたが、何か存在感が薄いとのことで、ウクレレより何倍も大きいウッドベースに挑戦したのだ。今回は、それに合わせてクーペがギターを弾きながら歌う。但し、クーペは脳梗塞で右手が利かないため、ギターの右手はshifoが手伝って。あたかも2人羽織のギター演奏。だが、なんかいい味がある。

次に大森教授登場。間奏からピアノのアドリブが入った。続いて残りの全員が登場し、夫々の楽器位置にスタンバイ。間奏後半から全員が演奏に参加。「ジジイ達」の演奏開始の仕方は五月雨的で僕としては面白かったが、みなさんには如何だったろうか?

5月 19, 2009   No Comments

「偶然×9=奇跡」の集大成

今、クーペと娘さんは、本当の父娘のように仲睦ましい。と言うか、本当の父娘なんだった。昨年4月にNHKホールでコンサートを行なった時も、楽屋に娘さんが応援に駆け付けていて、今正にクーペがステージで歌っているその姿をモニターで見ながら、僕は彼女と暫し話しをした。

「2年前、勇気出して福岡のライブに来てよかったね」
「本当に良かったです。今となっては、会場に行くまで、どうしてあんなに躊躇したのか、馬鹿みたいですよね」
「それは、お母さんのことや福岡のお父さんのこととか、いろんなことが心を駆け巡ったからでしょう?」
「勿論それもあったんですが、自分の想像の中の父親像と実物像が全然違ってたら嫌だなって。もしそうなら、自分がイメージする父を大事にしておきたいという気持ちも強かった」
モニター画面を指差して僕は更に娘さんに聞いた。
「ああいうお父さんの姿を見て、どう思う?」
「ハイ、誇りに思います!」

クーペに娘さんから「25年振りの手紙」が来た時、クーペは店の中のある場所に小さな字で「誇り」と書き込んでいた。店のマスターをやりながらも、自身はサウナ暮らし。「必ず誇りを取り戻して娘に会う」と決意した時の文字なのだ。

「クーペよ。娘さんが、『誇りに思います』って言ってくれたよ」
僕は胸がジーンとなってしまった。思わず、モニター画面の中で歌い続けるクーペに、
「良かったな」と無言で問い掛けていた・・・・・。

――――――――――――――――――――――――――――――――

さて、述べて来た「クーペ&Shifoの奇跡の物語」は、奇跡のおじさんバンドも加わって、その集大成のステージとして「50歳過ぎたら聞きたいコンサート」を48時間後に東京オペラシティにて盛大に開催する。

読者の皆様には是非ともお越し頂きたく、下記の通りご案内申し上げます。

1.日時5月14日(木)18:00開場、19:00開演
2.場所東京オペラシティ(京王新線初台駅徒歩1分)
3.出演「クーペ&Shifo」、高岡健治、7人のジジイ達、
コーラス隊、他プロミュージシャン多数
4.料金当日券S席4,500円、A席3,500円、B席2,500円

偶然×9=奇跡(完)

5月 12, 2009   No Comments

偶然×9=奇跡(9)

【偶然その9】―もしも、店でバンドを組んでいなかったら、あり得なかった―

クーペがCDメジャー・デビューしてから、「クーペ&Shifo」はコンサート活動に力を入れ始めた。その最初が2004年秋の銀座博品館でのライブだった。この時はまだおじさんバンドが出来ていなかったが、クラリネットの松っちゃんが先行して初舞台を踏んでいる。

その後の東京郊外でのコンサートには、1曲だけ僕も出演してデビュー予定だったが、たまたま前日、父親が亡くなったので果たせなかった。

おじさんバンドとしてのデビューは、2005年2月の天城高原リゾートホテルでのライブだった。「クーペ&Shifo」のバックを務めた。その日は、伊豆半島では珍しい吹雪の日で、クラリネットの松っちゃんは、車で難渋し演奏時間が終わったその時にやっと現れ、追加演奏となり、松っちゃんの18番「鈴懸の径」を演奏して客の喝采を全部持って行ったのだった。

舞台としてその辺りまでは素人バンドとしては許される範囲だろう。それが5月には、日比谷野音、10月さいたま芸術劇場、11月よみうりホール、翌年2月は福岡イムズホール(父娘28年ぶりの再会コンサート)、4月東京国際フォーラムに立つようになると、さすがに自分達でも、ド素人のバンドがそんな檜舞台に立って良いのかなと思うようになる。

だが、クーペは言う。「だから面白いんじゃないの。上手い奴がそういう場所でやるの、当たり前じゃん?ド素人がやるから面白いんだよ」。

僕等のバンドが出来てから、1年後くらいに団塊の世代を中心にオヤジ・バンド・ブームが巻き起こった。彼等は正直、僕等よりも数段上手いが、発表の場所は、ライブ・ハウス、市民祭り、精々が市民ホールなのに、僕等は「クーペ&Shifo」と一緒にやっていたお蔭で、凄いことになっている。

こんなことってあり得ない。だからこれも奇跡でしょ。東京の名だたるホールというホールで演奏した素人バンドなんて、僕等だけでしょ。全くもって恐れ多いこと。我々おじさんバンドは、元々クーペの店で演奏するために作ったんだよ。それが、あれよあれよという間に、昨年はNHKホールだったり、今年は東京オペラシティなんだから。それも還暦過ぎて。

60歳過ぎてこんな人生が待っていたなんて!!!自分でも考えてもみなかった。僕にとってはこれも奇跡。だから、音楽の神様と「クーペ&Shifo」には心から感謝している。

そして最近では、この一連の奇跡を奇跡で終わらせたくない、と思うようになった。夢の続きは果てしない。けれども、夢の続きに賭けてみる。

5月 12, 2009   No Comments

偶然×9=奇跡(8)

【偶然その8】―もしも、友達が書き込みしてくれなければ、あり得なかった―

メジャー・デビューもし、曲作りと絵の創作活動も軌道に乗り、サウナ暮らし・底辺の暮らしと生き方から脱却したクーペは、これで父として娘に会えると考えたが、娘に辿り着く伝がない、ルートがない。手紙の消印は福岡となっている。それを頼りに2005年7月、福岡の西鉄ホールで「クーペ&Shifo」コンサートを敢行した。娘に届けとばかりに。

だが娘さんは現れなかった。落胆したクーペは帰京後直ぐに脳梗塞で倒れてしまう。4ヶ月の入院加療必要との診断も、次のコンサートがあるため、2ヶ月で勝手に打ち切り退院強行。

神はクーペを見捨てなかった。

退院して数日後、娘さんのお友達が、クーペのホーム・ページに書き込みを入れてくれたのだ。娘さんの連絡先と、娘さんのブログ・アドレスなどが書かれていた。あとで分かったところでは、その頃インターネットで調べて既に娘さんは父親が「クーペ」という名前で音楽活動をしていることは掴んでいたが、自ら連絡する気にはなれなかった。

それを傍で見ていた友人が、自主判断で連絡してくれたのだった。こちらサイドもクーペ本人ではなく、まずは近しい者から連絡を入れることになり、関係者がメールで連絡した。娘の幸江さんから返信が来た。「今度福岡でライブがあれば必ず行きます」という内容だった。

手紙が来てから3年。遂に遂に娘さんと連絡が付いたのだった。それは退院後初めてのコンサートとなる日の昼前のことだった。クーペ、満面の笑み。そして、今にも泣き崩れそうな笑み。脳梗塞で倒れたけれど、生きていて本当に良かったと思ったろうことは想像に難くない。

そして、テレビ番組「ザ・ノンフィクション」や「アンビリーバボー」、或いは、最近の「誰も知らない泣ける歌」で何度も大写しになった、あの福岡イムズホールでの父娘28年振り再会コンサートとなって行くのである。

この福岡コンサートには、みんな仕事を持っていて忙しい体のおじさんバンドの筈なのに、遣り繰りして全員が福岡に集った。それは、この奇跡をクーペの仲間の一人として共有したいという、暗黙の一致だったろう。

その意味でも、娘さんのお友達が、良くぞ連絡してくれたものだ。彼女の行動が無かったら、この奇跡の物語「28年振りの父娘の再会物語」は完結しなかった。

5月 12, 2009   No Comments

偶然×9=奇跡(7)

【偶然その7】―もしも、気のいい音楽好きが集らなかったら、あり得なかった―

「Stand By Me」は生演奏の店だから、音楽の好きな人達が集るのは必然だ。ただ、店の入り口も中も黒が基調で怪しいし、マスターはどう見ても危ない人に見えるから、本当に気のいい人が入るには相当な勇気と覚悟を有する店なのだ。

クーペは以前から、「神童さん、バンド作んない?おじさんバンド」なんて僕に言ってた。「他に誰がいるの?」と聞くと「会計士でサックスやクラリネットをやる人がいるんだよ」。でもね、サックスとドラムだけじゃバンドにならない。

ある日、KにShifoが言った。Kは僕と同じ会社の社員で、この店に僕を連れて来てくれた男だ。

「ヨッ君。コンガが欲しいんだけど」
前の週の週末に彼がパチンコで大勝ちした話をした直後だった。
「いいよ。頼んどいてよ。大体が幾ら位するものなの?」
「多分4~5万円くらい」
「分かった」
「ヨッ君が、コンガやるんだよ」
「いいよ」

ヨッ君というのはKのこの店での愛称なのだ。後日、正式におじさんバンドのパーカッションを担当することになるヨッ君とは彼のことだが、この時は妙に心配になって、会社で彼の真意を確かめたんだ。

「幾ら彼等を応援しているからと言って、簡単に4~5万も出すことないぜ。ホントにコンガ始めるつもりあるの?」
「ええ。神童さん見ていると楽器が出来るのってすっごく羨ましいっす。出来るかどうか分かんないけど俺もやってみたいっす」
「そうか、分かった。じゃ、一緒にやろう」

これで3人目か。まだバンドになんないな。

暫く経って、フォーク・ギターを弾きながらオリジナルを歌う、市役所の局長さんで斉藤さんという人が店で演奏していた。僕は初めて会ったが店に来たのは今日で2回目だと言う。人の良さがにじみ出る人。明るい。歌のオリジナリティーも素晴らしい。4人目。

でも肝心のピアニストがいないものかなぁ。

願えば叶う何事も。いた。大学教授なのにピアノ大好き人間登場。30歳までは銀座や六本木でプロ・ピアニストとして鳴らしていたが、その後大学に戻って教授になったという変り種。彼のジャズ・ピアノは聞いてるだけで吸い込まれて行く。

彼はたまたま急病の同僚を病院に送った後、食事のために病院から一番近いこの町に初めて立ち寄り、焼き鳥屋で飲んでいたら、向かいの怪しげな店が気になってついつい入ってみたと言う。

待望の5人目、ピアニスト。それも元プロだから凄いでしょ。これでバンドが構成出来る。と思った時、オーナーの純二さんが、「じゃ、俺、ウクレレやるよ」。6人目。それから半年遅れて、アンディー・ウィリアムスのような甘い声を持つボーカリスト、コンサル会社の社長、マンディーが加わって7人のジジイ達となった。勿論、年取った白雪姫はShifo。

夫々仕事では責任ある立場。多忙を極めるその7人が4年経った今も一人も欠けず、一人も入れ替わらず、バンドとして続いているのはもう一つの奇跡でしょ。当時平均年齢52歳。今56歳。こんなおっさん達がこんな年になって偶然集まったにしては、もう何十年来の親友のようになっているのだから不思議でしょ。店のオーナーの純次さん、「このバンド、もうみんな家族のようなものだね。これがホントの‘身内シャン’なんちゃって」だって。

5月 12, 2009   No Comments

偶然×9=奇跡(6)

【偶然その6】―もしも、1通の手紙が来なかったら、あり得なかった―

以前、当ブログでも取上げたので簡潔に触れるが、クーペが離婚した時はたった1歳だった実の娘さんから、ある日、店に手紙が届いた。手紙にはまだ見ぬ父への思いと共に、「生んでくれてありがとう」を言いたかったと書いてあった。

それまでサウナ暮らしを続けていたクーペに、一筋の希望の光が点灯した。「そうか。娘は俺を恨んでいなかったのか。一目だけでも良いから会いたい。だが今のままの俺では会う訳には行かぬ。会えるだけの誇りを持った人間になってから必ず会う」と決意した。

手紙の返事を出したかったが、娘さんの手紙には「何故か分からないけど、会わない方がいいと思う」と書いてあって、差出人の住所は書かれていなかった。仕方ないからクーペは返事を詩にした。その一部始終を直ぐ傍で見ていたShifoがその詩に曲を付けた。クーペはその曲「25年ぶりの手紙」をその日から店で歌い始めた。

暫くして、客の中に偶然、東芝EMI(当時。現EMI)の営業マンのN氏がいてその歌を聞いた。彼は翌日会社に出社するなりプロデューサーのT氏に、こういう心に沁みる歌を歌う人がいると伝えた。何日か後、T氏はN氏に案内されて「Stand By Me」にやって来た。

クーペのその曲を聞くなりT氏は「CD出しましょう」と言ってくれて、後はとんとん拍子でことが運び、クーペ55歳にして始めてメジャー・デビューを飾ったのである。

東芝はクーペのデビューに際して、あらゆる方面に情報を流してくれたらしく、以降、店にいろいろなテレビ局や新聞社のカメラ・クルーが何度も訪れてインタビュー撮りが行われた。

連日だから、店がなんだか番組作りのスタジオ様になり、たまたまその時飲みに来た客はエキストラの客にさせられたり、クーペの感想を聞かれカメラに収録されたりしたのだった。客にしてみりゃ、飲みに寄ったばかりに昼間の仕事よりも緊張させられたんだからどうなってるんだか。それも飲み代払って。

テレビでは3局が、ワイドニュースで特集を組んで「25年ぶりの手紙」の歌とクーペの生き様を放映してくれた。安藤キャスターも小宮悦子も感激の面持ちでコメントしていた。新聞各紙にも大きく報道された。

ただね、僕もKも、カメラ・クルーが来た日に、たまたま店に行ったので、店の常連客として、夫々30分以上もインタビューを受けたんだ。クーペや店に関しての質問をね。彼の歌の何が良いかとか、貴方はこの店のどこに惹かれるのかなどだった。それが本番のオンエアでは、Kは画面一杯に長いこと映り、堂々と受け答えしてるんだよね。なのに僕の方は全面カットされていたんだ。クソー、TV朝日!もう見ないぞ!

娘さんが手紙を書かなければ・・・、クーペとShifoが返事を曲にしなければ・・・、店にレコード会社の人が来なければ・・・、クーペがメジャー・デビューするチャンスはなかったし、こんなにマスコミが大挙して押し寄せることはなかった。偶然の連鎖の為せる業以外の何者でもない。

5月 12, 2009   No Comments

偶然×9=奇跡(5)

【偶然その5】―もしも、会社にバンドがなかったら、あり得なかった―

まだこの頃は、僕のドラムを聞かされる方は苦痛だとは思いもよらなかったが、この店でぶっつけ本番は旨くないな。どこか練習の機会が欲しいとは思った。

願えば叶う何事も。会社にバンドがあることが分かり、且つだよ、おあつらえ向きにドラマー不在と来た。職権で「俺にやらせろ!」となるのは自然の道理。合併新会社で、12月の社員懇親のクリスマス・パーティーを開催することも僕が即決した。

会社バンドはそのパーティーに向けて秋口から集中練習を開始した。男5人組、女性4人組のバンドだ。バンマスはO。エレキ・ギターとボーカルを担当。キーボード&ボーカルYa。エレキ・ベースY。サックスとボーカルM。そしてドラムスが神童。女性陣はボーカルとコーラスだ。

これも偶然だが、課題曲などみんなで演奏曲を決めた頃、あたかも僕等のために用意されたのかというタイミングで、会社から徒歩1分の場所に、練習が出来る音楽スタジオがオープンした。毎週1回平日の夜、会社バンドはそこで練習を開始した。1回3~4時間の練習だ。結構ハードな練習だ。

他のメンバーに比べ、一番遅れていた僕は(バンドの新入りだから当然と言えば当然)、秘かに、土日の休日、どちらかをこのスタジオを借りて自主トレに充てた。3ヶ月続けたお蔭で33年前を少しずつ思い出して行くことが出来た。それでもレベルは当時の6~7割までの回復が精一杯だった。やはり33年間の空白は想像以上に大きい。簡単に出来ていたことが、今はとっても難しいのだ。

クリスマス・パーティーが近付いて来ているので、あまり無理をせず、出来ない所は簡単なリズムに変えてやっと間に合わせることが出来た。社員300人を超す大勢の前での演奏。緊張もしたが、みんなで練習して来たことが目立ったミスもなく出来たことが嬉しかった。

このバンドで、「クーペ&Shifo」のミニ・コンサートの前座に出演させて貰ったりして、人前での演奏にも徐々に慣れて行った。

後々のことを考えると、自分の技能レベルをわきまえられる様になった点で、また、音楽の楽しさを再発見したという意味で、この頃の集中練習が大変役立ったと思う。会社バンドがなかったら、そして集中練習のチャンスがなかったら、流石のクーペも僕に「頼むから、もう店でドラム叩かないでくれ」って言ってただろう。

会社のバンド・メンバーは口に出してこそ言わないが、55歳過ぎの下手くそなオヤジ・ドラマーが入って来ちゃってどうしよう、と思っただろうな。今だから僕にも分かる。それにしちゃぁ、文句も言わずによく付き合ってくれたよな。みんなありがとう。

5月 12, 2009   No Comments

偶然×9=奇跡(4)

【偶然その4】―もしも、Shifoがいなかったら、あり得なかった―

美人のミュージシャンが何人かいて、生演奏を聞かせてくれる店。郊外にしてはなかなか贅沢な店だ。だけど正直言うと、こちらは飲みたいとか、聴きたいとか言うより、ミュージシャンの皆さんと一緒にドラムをやりたいから通うのに、クーペしかいない日がある。そういう日は自分の中では「ハズレ」。

ところが、そういう日に限って、ご婦人連のお客さんが生演奏を聴きたいとやって来る。こういう時普段は、多分クーペは1人でギターの弾き語りをやるのだと思うが、無理やり僕にドラムをやれと言うのだ。ガットギター1本とボーカル。それにドラムを合わせろと。

とても無理と思いながらも何とか合わせた。自分の叩くドラムの音でクーペの声も生ギターの音もよく聞こえない。いくらドラムをやりたいと言っても、こんなシチュエーションは勘弁してよ!お客さんもいるんだよ。

冷や汗もんだ。1曲で勘弁して貰った。その時、入り口から若い女性が現れた。クーペが「おお、Shifoか。早くピアノやってくれ」と言った。ああこの人が噂のShifoさんか。ピアノの前に座った。「この店の従業員でShifoと言います。本日はようこそお出で下さいました。では何曲か弾き語りをやせて頂きます」と言って「フライ・ミー・ツー・ザ・ムーン」をピアノ弾き語りで歌ってくれた。

少しハスキーに、そして天使のように透き通る声で歌うShifo。僕は一発で気に入ってしまった。次の曲は彼女のオリジナル曲だ。「リアル」。テレビの漫画映画の主題歌に使われた曲だとの説明。初めて聴くが曲調が新しい。良い曲だ。素晴らしい。

こんな東京郊外で、こんなに素晴らしい演奏を生で聴ける驚き。Kもクーペも前から僕に言っていた。「この店にはシホという凄い女性がいる」と。成る程ね。みんなが言うのが分かったよ。この店に来始めて5回目で遂に歌姫に会えた。

クーペが何やらShifoに囁いた。Shifoがマイク越しに言った。「今日は噂のドラマーが来られているようです。それでは神童さんお願いします」。急に指名された。この店に来て以来、図々しく振舞って来た僕も流石にこんな凄い方とセッションをやる勇気が沸かない。

愚図愚図してたら、クーペが「神童さん、何カッコ付けてるのよ!」って言うんだね。仕方ないから渋々前に出てドラムの前にスタンバイしたよ。

僕が躊躇したのにはもう一つ理由がある。ドラムの場所が、アップライト・ピアノの直ぐ後ろの一段高くなっている所だから、ドラムが大変に目立ち過ぎる上に、Shifoを見下ろす形になる。凄い音楽家とセッションするだけでも恐れ多いのに、そんな目立つ位置じゃ下手な僕は晒し者みたいになっちゃうじゃないの。

Shifoが「何をやりますかねぇ?」と分厚い歌集を見ながら問わず語りに言うから「8ビートでお願いします」と言ったら、「じゃ、レット・イット・ビーでいいですか?」「はい」、と覚悟を決めた。

自分では慎重にやった、つもり。まずまずだった、つもり。もう1曲やる、つもり。「え?もう1曲やります?」とShifo。1曲で僕が席に戻ると思っていたShifoはなんか迷惑そう。今日は何人か見知らぬ客さんもいるからね。でも僕はもう1曲、Shifoさんと一緒に演奏出来る幸せに浸りたかった。「はい、宜しくお願いします」。

曲はサザン・オールスターズの「夏をあきらめて」。これを8ビートではなくShifo編曲の4ビート・ジャズ・ナンバーとして演奏。2曲目ともなると、少し落ち着いて来て、Shifoの歌を聴きながら演奏することが出来た。やっぱり音楽は楽しい。Shifoと一緒に演奏させて貰うと一層楽しい。Shifoが上目遣いに僕を見た。それはそれは大きな目。何かを訴えている。はて?あぁ、「終わるよ」って言ってるのか。やっと分かった。間に合った。終われた。それにしても、あの大きな目は誤解の素だな。

5月 12, 2009   No Comments