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偶然×9=奇跡(8)

【偶然その8】―もしも、友達が書き込みしてくれなければ、あり得なかった―

メジャー・デビューもし、曲作りと絵の創作活動も軌道に乗り、サウナ暮らし・底辺の暮らしと生き方から脱却したクーペは、これで父として娘に会えると考えたが、娘に辿り着く伝がない、ルートがない。手紙の消印は福岡となっている。それを頼りに2005年7月、福岡の西鉄ホールで「クーペ&Shifo」コンサートを敢行した。娘に届けとばかりに。

だが娘さんは現れなかった。落胆したクーペは帰京後直ぐに脳梗塞で倒れてしまう。4ヶ月の入院加療必要との診断も、次のコンサートがあるため、2ヶ月で勝手に打ち切り退院強行。

神はクーペを見捨てなかった。

退院して数日後、娘さんのお友達が、クーペのホーム・ページに書き込みを入れてくれたのだ。娘さんの連絡先と、娘さんのブログ・アドレスなどが書かれていた。あとで分かったところでは、その頃インターネットで調べて既に娘さんは父親が「クーペ」という名前で音楽活動をしていることは掴んでいたが、自ら連絡する気にはなれなかった。

それを傍で見ていた友人が、自主判断で連絡してくれたのだった。こちらサイドもクーペ本人ではなく、まずは近しい者から連絡を入れることになり、関係者がメールで連絡した。娘の幸江さんから返信が来た。「今度福岡でライブがあれば必ず行きます」という内容だった。

手紙が来てから3年。遂に遂に娘さんと連絡が付いたのだった。それは退院後初めてのコンサートとなる日の昼前のことだった。クーペ、満面の笑み。そして、今にも泣き崩れそうな笑み。脳梗塞で倒れたけれど、生きていて本当に良かったと思ったろうことは想像に難くない。

そして、テレビ番組「ザ・ノンフィクション」や「アンビリーバボー」、或いは、最近の「誰も知らない泣ける歌」で何度も大写しになった、あの福岡イムズホールでの父娘28年振り再会コンサートとなって行くのである。

この福岡コンサートには、みんな仕事を持っていて忙しい体のおじさんバンドの筈なのに、遣り繰りして全員が福岡に集った。それは、この奇跡をクーペの仲間の一人として共有したいという、暗黙の一致だったろう。

その意味でも、娘さんのお友達が、良くぞ連絡してくれたものだ。彼女の行動が無かったら、この奇跡の物語「28年振りの父娘の再会物語」は完結しなかった。

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