プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 7月 2009

日本問題、巨視的アプローチ、その2

「憲法9条の喧々諤々」

やっぱり民主党も、多分自民党も憲法9条についてはマニフェストに載せないんだろうな。それでは議論も盛り上がらないので、全く面白くない。仕方ないからここで覆面パネラーに議論して貰うことにする。

出席者A:某大学元全学連委員長
B:元革新系議員
C:青年実業家
D:自衛隊幹部候補生

A「9条は日本が世界に誇れる平和憲法である。戦争を放棄し世界平和に
貢献して行くことをもっともっと世界にアピールして、世界をそうい
う方向に導く先導役を果たすためにも改正すべきでない」
B「9条を改正して普通の国になり、戦争も出来る国として世界と渡り合
おうという輩がいる。そういうグループの野望を挫き、9条を死守す
べし」
C「9条さえ守れば平和が守れると考えるのは、極めて幼稚なメンタリティ
だ。日本の憲法でいくら不戦を誓っても、攻め込んで来る敵がいれば、
戦うのだし、政府見解と称する9条解釈で、持たない筈の軍隊は持つわ、
自衛隊海外派遣(派兵)はするわ。最近集団的自衛権も9条はOKして
るなんて言ってるよ。それじゃまるで9条で放棄したのは戦争ではなく
て、平和憲法だ」
D「そうですよ。今の9条はただの空文。抜け殻。お題目。実際の自衛隊は
きつい訓練に耐えながら、日本を守るために頑張っているんですけど、
9条のために世間の風は自衛隊を私生児扱いですよ。何で国を守る人間
達が肩身の狭い思いをしなきゃいけないんですかね?」
B「それは歴代政府が悪いんだよ。明らかに憲法9条に違反してるのに、米
国に言われて自衛隊作っちゃったから。D君には悪いけど、自衛隊は違
憲だから、即刻解散すべきなのだ」
D「それはないでしょう。人的国際貢献とか何とか言われて、自衛隊はアフ
ガンにもイラクにも危険を押して行ったんですよ。皆さんが国内でのう
のうとしている間に。インド洋での給油だとか、ソマリアの海賊排斥と
か。世界から感謝されて。日本の外交を引き受けているようなものです」
C「憲法は国民みんなのものです。中学生にも理解出来る憲法であるべきで
す。国際紛争の解決手段として戦争も軍備も永久に放棄すると謳ってい
るのに軍隊がある。可笑しいでしょう。日本領海内の防衛戦だけは認め
ると言うならそういう風に条文を改めるべきです」
A「日本人数百万人の血と大量のアジア人の血が作り上げた憲法9条は、あの
悲惨な過ちを2度としてはならないという強い決意を示すもの。それは
決して変えてはならないのも」
C「不戦の決意の核心は、2度と他国に侵入する戦争はしませんといいうこと
じゃないんですか?それならそういう侵略戦争は永久にしないと条文を
改めれば宜しい。Bさんの言うように、その逆の、侵入された時の戦いも
禁止するなら、国は国民を守らない世界唯一の国となってしまいますよ。
国家の体を成さないように規定する憲法なんて、あり得ません」
B「C君やD君は9条と現実が正反対になってしまっていると言うが、それで
も9条が日本の暴走を抑止していると思う。多くの人が現実は、米国一辺
倒の政府が米国の意向を受け入れた結果だと知っている。現実が憲法違反
だと言うこともね」
D「だったら、国民投票で民意を問うべきですよ。国民に聞くべきです」
C「過去60年間も、また今後もずっと国民投票を避け続けるのは、与野党政治
家の心のどこかに、一般大衆を愚民視する、思い上がりを感じますね」

議論はどこまで行っても終わらないのであった・・・・・・・。

7月 29, 2009   No Comments

とよよん祭り

日曜日、多摩ニュータウンという所に「とよよ~ん」という所がある。らしい。「ぼよよ~ん」でも「ぽよよ~ん」でもない。「とよよ~ん」なのだ。

「クーペ&Shifo」コンサートが都心で行われる時はいつも、大型バス2台でそこの住民が駆け付けてくれる。国際フォーラム、NHKホール、オペラシティー、いつも駆け付けてくれた。

何故でしょうか?実はそこにShifoのご両親が住んでおられて、住民の皆さんが「クーペ&Shifo」の応援団をしてくれているからなのだ。

その団地の地名が、豊が丘4丁目。人呼んで「とよよん」。僕等おじさんバンドに声が掛ったのは1か月半前。昨年までShifo一人で「とよよん祭り」に出演していたらしいのだが、今年、それを知ったクーペが「俺も出る」とShifoに伝えたのがことの始まり。

いざ、出演するとなると演出に凝るのがクーペ。おじさんバンドにも出ろと言うし、変わり種では、僕のゴルフ仲間のK君をボーカルで出演させたいらしい。

最初、僕はK君の出演は冗談だろうと思っていた。だが、店におじさんバンドの練習日に行くと、ちゃんとK君がいて、クーペに「はい。Kさん。おじさんバンドと音合わせ」と言われてアダモの「雪が降る」。

僕等も初めてやる曲だから戸惑いながら合わせるのだが、K君、生演奏をバックに歌うのに堂々としたもの。K君のカラオケは何度も聞いている。確かにカラオケはAクラスなのだが、生だとそうはいかない、と思っていた。

ところが、上手いんだ。後で聞いたら、僕等の来ない時に店でShifoのピアノで歌のレッスンを受けていたらしいんだ。これは行ける、そう思った。真夏に「雪が降る」。涼しくて良い。

さて、もう一つのハイライトは「とよよん音頭」。オーナー純次さん作詞、Shifo作曲、クーペ唄。直ぐに覚えられる名曲。本番では、Shifoがこの曲で盆踊りを踊る。振りはShifoが考えた。

さぁ、現地。事前に「ステージは砂場」ってShifoが言ってた。行ってみた。ホントに砂場だった。僕達は砂場の上に作られた特設ステージをイメージしてた。Shifoの言うことはいつも100%飾りがない。100%飾りがなかった。

それでも、小さい子供たちがいなくなってしまったせいか、砂場の中は砂でなく硬い土になっていた。夕方だったから直ぐ後ろの木立のお蔭で、西日が遮られて凌ぎ易かった。

お祭りと言っても、住民たちの夕涼み会だったので、アットホームであったかな集いだ。僕達出演者に気を遣ってくれて、演奏前に、ビールや焼き鳥、スイカなどを次々運んで来てくれる。悪いからみんな飲み、みんな食べた。無くなったと思ったらまた運んで来てくれる。悪いからまた飲んだ。旨かった。

不謹慎にも半分酔っ払って演奏してしまった。僕のポリシーとして、飲んだ時は人様の前では演奏しないことにしているんだが・・・(飲んだら乗るな、飲んだら叩くな、何事も)。とよよんの皆様、どうもスイマセンでした。また来年お願いします。美味しいビールと焼き鳥とスイカを。

K君の「雪が降る」も、クーペの「とよよん音頭」も大好評だった。盛り上がってた。

7月 28, 2009   No Comments

ビートルズ

以前虎ノ門のライブハウスに週2回出演していた「アップルビーツ」というビートルズのトリビュート・バンドについて以前本稿で書いたが、昨年の暮に、そのライブハウスが店を閉じてしまって、彼らは暫く、活動の場を失ってしまっていた。

それが、つい先日の土曜日に、新宿の「レノンハウス」というライブハウスで半年ぶりに全メンバーで演奏することになり、僕も会社の元の同僚と一緒に行って来た。

その日のライブのことは、5月末の僕等「クーペ&Shifo」のライブに「アップルビーツ」の何人かが来てくれて、教えてくれたのだった。勿論行くことを約束。

だが、その後、同じ日に、僕等にも「竹明かり」だけの幻想的なコンサートという予定が入って、一旦は断念したのだが、「竹明かり」コンサートの方はプロだけでやるから、おじさんバンドは不要とクーペから言われたために、再び行けることになったのだった。嬉しいような嬉しくないような。

でも、9か月ぶりに見る「アップルビーツ」は、あの時のままだった。半年のブランクなんて少しも感じさせない。ポッツの英語のMCは益々磨きが掛っていた。その日僕と一緒に行った仲間が、彼のことを「本物のポール・マッカートニーみたい」だと言っていた。

以前にも言ったけど、本物のビートルズより上手いビートルズだった。目一杯のボリュームなのに決して煩くない。ズー・ジョンのジョン・レノンもいいんだ。何かほっとする雰囲気を持ってるんだね。

キャップ浅田というジョージ役は背が高くて、ホントのジョージ・ハリスンに背格好。専らリードギターで音楽を作り上げる役割のようだ。でも、彼が自ら歌う「サムシング」は素晴らしい。

ドラムのリンゴ・スターは「わにどら」さん。彼は、5月末のコンサートの時、プロバンド側でいつもドラムを叩いている鶴見の都合が付かず、急遽ピンチ・ヒッターで「わにどら」さんがドラムを担当した経緯もあり、僕は特に親しい。正直言えば、ジャズ・ドラムの先生は鶴見、ロックのドラムは「わにどら」さんなのだ。とは言え、勝手に僕が彼らの技を盗んでいるだけなのだが。

最後に、紅一点、さむ。ズー・ジョンと交代でジョン・レノンのパートを担当する。年齢不詳ながら、歌うと笑顔が超可愛いのだ。そして、僕等が店に現れたら、本当に喜んでくれた。勿論さむだけでなくポッツ初めアップルビーツのメンバー皆に、あんなに喜ばれるとまた行ってやろうという気になるね。

このさむさん、実は、もう一つ別の女性だけのビートルズ・バンド(名をマーガレッツという)に入ってて、そのバンドが8月末の、本場リバプールで行われる「ビートルズ・フェスティバル」に招待されたのだと言う。

全世界からビートルズ・バンドが100バンド程が集まって、町のあちこちで演奏するのだそうだ。日本からは厳選された2バンドのみ。その一つが彼女達のバンドだから恐れ入る。プログラムを見せて貰ったが、彼女達、ビートルズのメッカ、デビュー前まで活動していたライブハウス「キャバンクラブ」で3日間も演奏予定が組まれていた。

絶対に帰朝公演と言うのがある筈だが、それがいつかは聞き忘れた。「マーガレッツ」の演奏も是非聞いてみたいものだ。

7月 27, 2009   No Comments

ゼミ仲間

昨日、神保町にある学士会館内の中華レストラン「紅楼夢」という所で、大学のゼミ仲間による半年毎の定例飲み会があり参加した。8名が集った。ゼミ同期生は全部で14名だったが、3年前に1名を自動車事故で失い、地方に住んでいる者が3名いるから10名中8名が集ったのは、上出来と言えるだろう。

学士会館は旧帝大の卒業生達の親睦を目的に作られた建物だそうだ。建物内は荘厳な感じがするし、何か古き良き時代の建物のよう。この場所は僕等のゼミの先生を囲む卒業生の会というのが毎年開かれていて、何度かそのパーティー会場には来たことはあるのだが、建物内のレストランに入るのは今回が初めてだ。

実はこの日は金曜日で、クーペの店でのおじさんバンドの週一練習日。その上、地元のライブを翌日に控えているので、当初は欠席と伝えていたのだが、幹事のS君に粘られて、「何時頃ゼミ会を終えれば間に合うのか?」と聞かれ、「8時頃、失礼させて貰えるなら参加する」という条件を出したら、OKということで参加することになった次第。

そのため、幹事のS君は、通常6時半の開始を6時に繰り上げて開催してくれた。僕一人のために時間繰り上げをして貰ったのだから、僕が遅刻したんでは何を言われるか分からないので、早めに出向いたら地下鉄神保町駅に30分も前に着いてしまったので、昔覗いた中古楽器店を何店か訪ねてみようと、行ってみた。

あれ!無い。コンビニに変わってる。じゃあ、その先にも2~3軒あった筈。やはりない。通りと細い路地との角にあった楽器屋は駐車場に変わってた。その先まで行った。中古ゴルフ・クラブ店になっていた。シンバルの掘り出し物でもあれば買いたいところだったが、仕方ない、その店を覗いて、高級中古ボールを買って、学士会館に入った。6時10分前だった。

「紅楼夢」は入口直ぐ左にあった。早目だけどいいやと思って「紅楼夢」の係の案内で予約の個室に入ったら、何と、既に4人が来ていた。驚いた。だが、サンデー毎日の人も増えて来たから、本当は5時でも6時でも大丈夫なのかも知れない。

全員揃ったところで、再会を祝しながら(段々再会出来ることの大事さが分かって来る)、ビールで乾杯。その後各人の近況報告となった。8名中悠々自適組3名。関連子会社勤務3名、現役の時の会社とは無関係な会社に勤務、僕と幹事のS君の2人だった。

近況報告の中で僕が感心したのは、幹事のS君。元々日銀出身なのだが、今は証券系のアナリスト協会に勤務している。その彼がつい先頃、「国際アナリスト資格」という難しい試験に挑戦して、見事合格したのだ。世界共通の資格試験だそうだが、日本人の最高齢資格取得(60歳?)の記録を破ったんだそうだ。S君は一浪してるから現在63歳。

それがあってか、日頃の彼の仕事が評価されてか、来月、協会理事に就任することが内定した。誠に目出度い。63歳で難しい試験に挑戦するだけでも敬服するのに、日本記録を達成したのだから。本人によると、「世界記録は67歳」だそうだ。言ってやった。「試験受けるの5年早かったな」。

7月 26, 2009   No Comments

日本問題、巨視的アプローチ、その1

珍しく、ジャジー氏が今日の政治の問題に切り込んだ。それに刺激されて神童も書いてみる。ジャジー氏曰く、「そもそも政権の目的は国民を豊かにすることなのに、アメリカの基準の、アメリカと同質のマーケットにすることに一生懸命で、結果、バブルの崩壊と今回の金融危機により、戦後こつこつと物作りを通じて蓄えて来た国富をアメリカに吸い上げられた」。

日本の政治の貧困を指摘しながらも、氏の、物作りへの拘りが感じられる。また、主役が物作りから金融に変わってしまった日本経済の現状への警告とも受け止められる。

確かに金融が産業振興に向けた血流の役割を果たしている内(多分戦後から1980年頃まで)は良かった。産業側も充分大きく成長し、最早銀行から融資を受けなくとも、自前で金を回せるようになると、優良貸付先を失った銀行資金はそれ自体が儲けを求めて無尽蔵に注ぎ込まれるようになる。マネーゲームの一般化だ。

銀行資金は、不動産に集中して、あのバブルを引き起こした。そういう意味では、ジャジー氏が言う通り、金融資本主義の持つ牙や毒を政治がコントロール出来なかった良い標本だ。

これをアメリカから見るとどう見えるか。膨大な軍事コストも払わず、冷戦の陰でしこたま儲けた日本。彼らの富の何割かはアメリカが頂く権利がある・・・と思っても不思議でない。アメリカの不動産や企業を史上最高値で日本企業に買わせ、その後、日本経済の崩壊を待って、安値で買い叩く。日本株を高値で売り抜き、経済崩壊後安値で買い戻す。

1985年の「プラザ合意」がこのシナリオの始まりだった。レーガン大統領の米国は、巨額の財政赤字と経常赤字の「双子の赤字」に陥った上、ドルの大幅な上昇に直面していた。米英日独仏によるこの会議で、ドル高是正(円高誘導)と各国の内需拡大で米国の貿易赤字を解消しようとするレーガン政権の要求を丸飲みしたのは日本だけだった。

急激な円高は産業の空洞化(海外移転)を加速し、内需拡大のため超低金利政策は当然の如く日本をバブル経済に突入させた。そして、そのバブルの崩壊と共に、日本の富のアメリカ吸い上げ物語は完結した。あ~あ。

7月 23, 2009   No Comments

慰問ライブ

昨日、ある老人ホームに慰問コンサートに行って来た。自分の中の老人ホームのイメージは、木造2階建で古い建物。その中の人々が作り出す空気も重く暗く静かといった先入観がどこかにあった。多分、昔、学校の近くにあった養老院のイメージが記憶に残っていたのだろう。

行ってみて驚いた。建物は鉄筋コンクリート3階建、地下1階の超近代的な建物だ。入口はどこかの大会社の保養所の趣で、温泉も引かれているという。中に入ると、入口近くに車椅子のお爺さんやお婆さんが、スタッフと共に僕等を迎えてくれた。

その内の一人のお婆さんは、ニコニコ顔で僕らを拍手で迎えてくれたのだった。スタッフの方達も、女性・男性半々ぐらいで結構の数の方達で、入居者のお世話をしているようだ。特に男性のスタッフや介護士の方々は年齢も若く、僕等に対する応対も明るいし老人ホーム全体を明るくしている感じだ。

入居者は平均83歳。「クーペ&Shifo」や僕等の演奏を喜んでくれるのだろうか。いや、分かってくれるのだろうか。少し不安に思った。僕とマッちゃん(クラリネット担当)が会場に楽器を運んでいた時、掛りの女性が、「今、玄関で仰向けに転んだ男の人がいるんですけど、大丈夫でしょうか?相当激しく身体を打ったのじゃないかと思うんですよ」と教えてくれた。

倒れたのはクーペではないかと、一瞬、僕もマッちゃんも、厭な予感。だけど、それを振り払うように僕は係の女性に聞いちゃった。「そのまま入れるような部屋の空きはあるんですかねぇ?」「はい。まだまだ空き室はありますから、大丈夫ですよ」。

僕等は玄関に急行した。あれ?クーペが何事もなかったように、誰かと話をしている。じゃあ、転んだのは誰?Shifoに聞いたら、転倒したのは今日手伝いに来てくれている、クーペ劇団の若い男の子だという。それも、PA装置(音響制御盤)を運んでいる時で、転ぶ時、普通ならその装置ごと投げ出しても可笑しくないのに、ちゃんとそれを置いた後、滑って転んだらしい。どこかを強か打ったようだが大丈夫。さすが若さだ。

演奏会場は広い食堂だったのだが、客席の右半分は近所の人とか家族、それと健常者のご老人達。左半分は車椅子の入居者と看護師・介護士達。

演奏していても、何かいつもと勝手が違う。右半分からは反応があるのに、左側は何の反応もない。勿論、介護士の方達の笑いや笑顔は勿論ある。車椅子に座ってるお爺さんやお婆さんが無表情なのだ。この辺りが難しいなぁと思いながら演奏したが、「シング・シング・シング」の時、良く見ると、車椅子の足乗せの上で、何人かの人の足が一緒にリズムを刻んでいる。良かった。

この老人ホームから、2ヶ月に一度のライブを頼まれた。自分の将来を考えても、いろいろ参考になりそうだから、積極的参加しよう。

7月 19, 2009   No Comments

フルート

栃木県で行われた「賢秀会」のゴルフの後は、その夜、新宿で「賢秀会」総会。その後、K君と2人地元に帰って、「クーペ&Shifo」の店に寄った。夜の11時を過ぎていた。店に近付いたら、中からジャズの調べがハイセンスな音で外に洩れていた。

土曜日はプロ・ミュージシャンの日になったと前からクーペから聞いていた。トランペットが入ったり、トロンボーンが入ったり、ボサノバ・バンドが入ったり、らしい。1度、土曜日に来てみたかったのだ。

ピアノとべースの軽快な音。何かいいねぇ。誰がやってるのだろう。わくわくしながら店の中に入った。あれ?Shifoと純次さん?Shifoは兎も角、純次さんのベースの音が外まで聞えていたんだ。上手くなったなぁ。プロの日だから、どこぞのプロ・ベースマンが弾いてるのだとばっかり思ってた。

客席には、クーペの他に、フルートの女性が座ってた。このフルート奏者はここ何回か、ステージでご一緒してるから、知り合いに近い。出身大学は国立音大というから、Shifoの後輩に当る。11時過ぎだからもう帰ろうとしていたところだ。

クーペが「この娘(こ)凄いんだよ。譜面、所見でジャズやっちゃうんだから。それが上手いの。クラシック出身なのにサ」と言う。「そりゃ一曲だけでも聞かせて貰いたいね」と僕。「是非、お願いします」とK君。

だが、彼女は「えー、もうしまっちゃいましたぁ!」。「早く出しなよ」とクーペが催促。「じゃぁ、一曲だけ」とか言って、ケースからフルートを取り出した。Shifoのリードで、3人の演奏を始めた。「枯葉」。フルートがメロディーを奏でる。アドリブに入る。フルートのジャズ、昔から僕はハービーマンが大好きだったからもう堪んないね。

この曲は、おじさんバンド演奏、Shifoボーカルで随分昔からやっている曲だが、今日は全く違う曲のよう。編曲も全く違う。フルートの後はピアノのアドリブ。Shifoのジャズ・ピアノがいつもと違う。本格ジャズの香りがする。

後で聞いたら、Shifoはクーペから言われて、今、「ビル・エバンス」をマスターしようとしているとのこと。何か凄いことになって来たね。本格ジャズ・クラブだよ、この雰囲気は。

いつもは、Shifoが中心にオリジナルをピアノ弾き語りで歌い、たまに、忘れた頃にクーペが歌う。そんな店だ。オリジナルはジャズは少ないから、こんな本格的なジャズの香りのする店は今日が初めて。

それにしても純次さん、やるねぇ。ベースがちゃんと付いて行ってる。いや、失礼。ベースがちゃんとジャズ・ベースになってる。ジャズ・ベースマンで食べて行けるよ、ベース・ソロさえマスターすれば。とてもベース始めて4ヶ月とは思えない。

一曲の予定が、Shifoがまた楽譜をフルートの娘に渡した。「酒とバラの日々」。いいねいいね。ジャズ・フルートで聴くのは初めてかも知れないが、凄くフルートに合う。何だか僕もドラムやりたくなった。勝手に上がって、邪魔にならないように静かに叩いた。次の曲「いそしぎ」。スロー・ボサでリズムを刻んだ。何とも言えぬ幸せ感。

クーペが言った。「神童さんのドラムも、何故か今日は走らないよ!」。言ってやった。「プロのベースを聞きながら叩けば、俺のドラム、とっても正確なの」。

3曲終わってもう帰るというので、フルートの娘(こ)に、と言っても、既に結婚してるんだけど、「いつか貴女のフルートで、ハービーマンの『カミン・ホーム・ベイビー』を聞きたい」と頼んだ。「はい」と言ってくれた。「カミン・ホーム・ベイビー」は、学生時代の僕等の18番、思い出深い曲。

こうして、朝4時に始まった長い長い一日は深夜12時過ぎに、大満足で終了したのだった。明日は昼過ぎまで寝てるぞ~、ZZZZZ・・・

7月 16, 2009   No Comments

ある会合

第60回が、新宿ワシントンホテルの中の一角にある中華飯店で、盛大に行われた。ゴルフ・コンペに参加した人数の倍の人達が集まった。また今日来れない人や地方に赴任している人達を加えると、会員は一体どの位いることになるんだろう?

ざっと60~70人の会員を要する会だと踏んだ。旧東都損保のOBと現役からなる会だが、見たところ圧倒的に現役組が多い。彼等がJTを慕って、或いは、JTを肴に集まって来るのだから、羨ましくも凄いことだなぁと思う。何せ、25年、四半世紀継続している会だということに驚く。

JTが話し出した。

「ゴルフばかりじゃなく、この『賢秀会』で本当の『研修会』もやりたい。いろいろな先輩やその道の達人の話とか。第61回目はゴルフ、62回目は研修会とか、是非考えて行きたいと思う。そこで今日は、私が講師の研修会とします」

と言って、用意して来たペーパーを全員に配った。僕が顧問をしている新しい保険会社を含んで、JTをトップとするホールディング・カンパニーと傘下の夫々の会社の活動報告。更に最近増資を図り、保険会社をもう1社立ち上げることにしたこと、その主な出資企業なども隠さず報告をした。

「一方で『プレミアムエイジ』を主宰し、団塊世代への応援Webを立ち上げていますが、自分自身、団塊世代の起業がどこまで行けるか分からないが、最後の仕事として新保険会社事業を精一杯やって行きたい。これを、えー・・・・、リスタートじゃなくて何て言いましたかねぇ、神童さん?」
急に振らないでよね。
「ラスト・ランでしょ」
「そうそう、これをラスト・ランと称してブログにも書いています。さて」
と、JTはいよいよ本論を話したい模様だ。何を話すのかな。

「3社統合が既定の方針で進んでいますが、そうなると、OBの私達の心の拠り所が無くなる。実に淋しい。ところが、この前昼休みに神童さんとの雑談してたら、空想ながら大変面白いことになった。関東興起損保が業界3位の会社と合併の是非を巡って揉めている。だったら、関東興起損保を仲間に入れて業界4位5位6位連合を作ったらどうなるか。業界2位の大損保が誕生する。且つ、対等で行ける。だから旧東都損保の血は流れ続ける」
奇しくも拍手が巻き起こった。但し、拍手したのはOB組みのみで、現役組は複雑な顔をしていたように見えた。

「この辺りは、この後、神童さんより新加入の挨拶を兼ねて説明があると思います」
また、話を振られた。但し、初参加だから挨拶はしないといけないなとは思っていたが・・・。

「神童と言います。この『賢秀会』のことは随分前にJTから聞いて知っていましたが、やっと今日会員になれて嬉しい限りです。今後とも宜しくお願い致します」
「先程のJTのお話は、今何人かで書いている小説の最後をどうしようかと話している内の一つのシナリオ候補ということでご理解頂ければと思います」
「尚、その小説の主人公は何故かJTに良く似た人で、ある時は私にも似た人物です。完成の暁には猪瀬某の推薦文を貰った上で、『賢秀会』の会員の皆さんに限定して販売したいと思います。その節は宜しくお願いします」
と僕は挨拶した。

挨拶しながら、この会が更に25年続いたら凄いことと思った。半世紀に亘る純私的な会というのは極めて珍しいし、そうなれば、JTの言うOBの心の拠り所はこの『賢秀会』が代替出来るのではと思った。

7月 15, 2009   No Comments

ゴルフ反省会

ゴルフ・コンペと同じ日の夜、新宿で第60回「賢秀会」記念大会(こちらはゴルフでなく、真面目な研修会、実は飲み会)が行われる。

僕とK君は一旦家に帰って車を置いてから、新宿に出直すことにした。車で新宿に行ったのでは、飲み会の後も運転しなくてはいけないから、僕かKのどちらかが飲めない。これは不公平なので、会に少し遅れても、車を置きに帰ることにしたのだが、結果からすると夜7時からの飲み会にはドンピシャで間に合った。

自宅から新宿までの電車の中、今日のコンペで優勝したKから、手ほどきを受けた。絶不調だった僕のアイアン・ショットを何とか治してくれたのもKだったが、今日またアイアンが絶不調に戻り始めたからだ。

前回、彼が習っている女子プロからの教えをKが僕に無料で(Kは女子プロに授業料を払っている)伝授してくれた。それはアイアンのヘッドを少し立てて、ヘッドの後ろに重い鉄の輪を置きそれを30cmほど真直ぐ右に押すつもりで引くテークバックだった。

僕もその後、何回かコースで試しているが、たまにシャンクが出る以外は、まあまあの当たりが戻ったから、違和感は感じながらもこれでいいのかなと思っていたが、今日はアイアンがダメだった。

そこで、前に教わった通りのアドレスとテークバックをしてみて、どこが間違いか聞いてみた。

「僕はもうその構え方はしてなんですよ。神童さんに教えたその打ち方は、肩が回らない内に直ぐ後ろにスッと引いてしまうテークバックの僕の悪い癖を直すための矯正だったんですヨ」
「なにー。それじゃぁ、最終形じゃないってこと?」
「はい」
「早く言ってよ。その打ち方を一生懸命固めようと練習したんだから」
「でも、神童さんも同じ欠点があったから、前より肩が回るようになったと思いませんか?無駄じゃなかった筈ですヨ」
「分かったから、早く最終形を教えてよ」
「はい。はい。グリップはオーソドックスに戻します。握った時の左手拳は第一・第二関節が見えるくらい。右手は親指と人差し指のV字が右肩を指すくらい」
「うん、これでいいよね」
「はい。それで真直ぐ左に30cmくらいテークバックします。その時ポイントは左手小指。左手グリップはアドレスでは斜め(グリップした手をそのまま開けば小指を下にした傾斜した手のひら)なのを、小指を意識して左手が垂直になるようにもって行きます」
「こう?」
「そうです。そうです。垂直になった時がトップの位置です。だから、トップの時のグリップの位置は、本来左腕が水平になった所ら辺です。意識の中ではそんな位置で、当然シャフトも立っている感じですよ。但し、慣性の法則で実際は、グリップの位置はもっと上まで行きますから、シャフトも縦より少し身体側に寝て来ますがね」
「ほう、左手の小指に意識して、トップで左手グリップを縦に(垂直に)すると、必然的に右肘が開かないね?」
「でしょう?お釈迦様の片手を上げた形というか、出前の形になりますよね。神童さんのスィング、力むと右肘が開く癖があるから、これで少し試してみてください。僕もあれだけダフリやトップがあってどうしようもなかったけど、今日はそれが殆ど無かったですよ」。

優勝者の言うことには説得力がある。

7月 14, 2009   No Comments

あるゴルフ・コンペ

11日の土曜日は、一日がとても長かった。まずは、朝4時起きで栃木県でゴルフ・コンペ。東京に戻って、夜7時から新宿で会食、終わってから地元に戻って「クーペ&shifo」の店に顔を出し、家に帰ったのは夜中の12時を大きく回っていた。

前日も経堂であるイベントがあり、帰りが遅くなってしまって、3時間半の睡眠後、とあるゴルフコンペのために早起きしたのだ。年を取ると自然と早起きになるとは聞くが、僕にとっては若い時と変わらず、寝不足は辛い。

でも、救いは僕の家から車で10分もしない所に、K君が住んでいて、僕は何とか彼の家まで車で辿り着けば良いのだ。

K君は自宅前で既に待っていてくれた。
「お早うございます。今日も一日宜しくお願いします」
「K君お早う。こちらこそ宜しくね。早速、車の運転頼める?3時間半しか寝てないので、悪いけど行きの時間、眠らせて貰うわ」
「ええ、構いませんよ」
という訳で、彼が車を発進させて直ぐに僕は眠りに落ち、次に目が覚めたら、目的地の近くの栃木インターを降りたところだった。あぁ、良く寝た。1時間半はぐっすり眠った勘定だ。ありがとう、K君。

そんなことだから、コンペの成績が良い訳ないのだが、自分としては近年にない出来。午前午後とも40台(勿論40台後半)で収まったのだから上出来だった(但し、アイアンはダメ)。だがこれは、直前に入手したゴルフ理論をマスターしたからではない。一緒に回ったメンバーが皆上手くて、僕一人だけ蚊帳の外になるのが嫌だったから必死に付いて行った結果だった。

同じ組の一人は、僕が今顧問をやっている会社の会長のJTさん。このコンペ、実はJTが主宰する「賢秀会」という名の、かれこれ25年以上も続いている勉強会だそうで、ゴルフ「研修会」も頻繁に開催される私的な集まりとのこと。メンバーは、会社合併前の旧東都損保の若手を含む幅広い人材から成り立っており、JTの人徳を感じさせる集まりだ。どの人もその名に恥じない「賢人」か「秀才」ばかりに見える。

但し、この「賢秀会」、JTの先輩(入社年次で先輩)は入会出来ないそうで、僕も前からその存在は知っていて、「会に入れてくれ」とJTに言うのだが、入社年次が1年上の先輩だからと断わられていたのだった。

それが、今回、第59回「賢秀会」コンペに出させて貰えたのは、どう見てもJTより僕の方が遥かに若くて、とても先輩には見えないということだと思う。それに、今、一緒に仕事をしているのを多くの人が知るところとなったからかな。

実のところ、かれとは誕生日は2ヶ月しか違わないのだ。僕が3月生まれだから、たまたま学年が一つ上だということにはなるが、見掛けでは僕の方が5~6歳若く見えるんだ。本当だってば、殆どの人がそう言うんだから間違いない。

そのJTのドライバー・ショットの凄い当たりを見ると、僕より5~6歳若々しいスウィング。同い年なのに。若さでは勝ったり負けたりだなぁ、ホントに。

そのJTより凄いドライバー・ショットを放つのがS。ナイス・ショットをした時は、軽々と280ヤード超えだ。僕より50~60ヤードも先に行く。嫌になる。Sの誕生日も3月なので丁度僕より1歳年下だけど、年次はJTと一緒。S君もJTも高校球児だったから今の年齢に相応しくない飛距離なのだろう。とは言うものの、僕だって野球少年だったんだけどな。

最後の一人はX。僕やJTの前の会社のホープ。年齢的には他の3人より7~8歳若い。だが、激務の真最中。よくコンペに参加出来たものとみんなが思うくらいの状況だから、何かと労わりの気持ちで接していたのに、何のことはない、ゴルフの内容はXが最も良かった。特にアイアンの切れが抜群だった。

午前中のハーフ。9番ホール(パー5)を迎えてXは36打。仮にここがパーだったら41と言う好スコアになる。僕は彼のゴルフの抜群の安定度を褒めるつもりで「その安定感だったら、3社統合を任せても大丈夫そうだな」と言ったら、その途端に10を叩いたのだ。責任を感じてしまった。めったやたらなことを言うもんじゃないと思った。

7月 13, 2009   No Comments