プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 8月 2009

小説家は大変だ

この春から、何人かで分担してある小説を書いて来た。ある団塊世代の男の生き様を通して、夫々の時代の空気と人々の心、時代を牽引する役割と時代に翻弄される世代、沢山のことを見て来た先に、団塊世代の最終章はどんな役割が残っているのか、果たさねばならないこととは何か、その辺りを提案型小説として取り組み始めて、やっと第一次原稿が仕上がった。

400字詰め原稿用紙にして、約600枚の大作だ。ここから、贅肉部分を削り一捻り二捻り加えて、約3分の2程度に圧縮する作業が待っている。

物語は、昭和22年生まれの団塊初年度の男の幼い時から始まり、63歳の誕生日を目前にして急死するまでを描いた、団塊世代版「男の一生」の趣でもある。団塊世代は別名「全共闘世代」でもある。熱い恋に落ち、若き日の正義感に燃え、そして挫折して行った日々。

学生運動の中で、政(冶)と産(業界)を批判しながら、その産に就職する人生最大の妥協・転向を図った世代。その自己矛盾を忘れ去ろうとするかのように、徹底した企業戦士として仕事に邁進する主人公達。そんな人々の頑張りがあって高度成長を成し遂げた。

極端に人数が多く、それだけに競争意識もとびきり高く、人一倍頑張る世代。それが団塊世代。それ故に、彼等の前の世代からも後の世代からも警戒され、後続の世代からは決して好ましく思われなかった世代。(自分の幸せしか追求しない世代。次の世代のためにないも考慮してくれなかった世代という批判)

日本はやがてバブル絶頂期へ。主人公の周りにも、多くの人間がバブルに踊り踊らされ、滅び去って行く。時代はバブル崩壊から、厳しい日本経済の続く中で、生き残りを賭けた経営統合の時代へ移る。

主人公は大車輪で自分の任された分野の合併作業を進めるが、相手社との調整ばかりでなく、自社内の調整にも苦戦し、遂には失敗に至る。初めての大黒星を喫してしまう。その3年後、主人公の仲間であり良きライバルだった男が新社長になるのを見届けて我が儘退社する。

その後中小企業の再生ビジネスを手掛け、大企業にいては決して分からない、零細企業の厳しさを身を持って感じながらも10社以上の再建を果たした。だが、リーマン・ショック以降、世界経済も日本経済も奈落の底に落ちて行く。特に日本は惨憺たる状況。再建が成り希望に満ちた顔で社長に就任したあの中小企業の新経営者達(元従業員)達。その多くは夜逃げ・失踪・心中。

自分のやった企業再生は何だったのか?再建のために一緒に汗水流した者を社長にしてやったことが最悪の結果を招いてしまった。日本経済がしっかりしなければ、中小企業などは自助努力ではどうにもならない現実を見た。政治家はこの現状にどれだけ責任を感じているだろうか?日本の再生無くして企業の再生なし。これが主人公の結論だった。主人公は遂に仲間に「企業再生から日本再生へ」を宣言する。

そんな物語だ。これまでの懺悔の書のつもり、これからの生き方の提案書のつもり。仲間内だけの本。だが、内容はまだまだ変わる。どうなることやら・・・。いつになることやら・・・。主人公の浮気の場面などは残念ながら僕の分担でなかった。一番書いてみたかったのに。それにしても一つの小説を仕上げるというのは大変なことだった。

-書いてみて、初めて分かる、大変さ、小説家達の、孤独な作業-

8月 24, 2009   No Comments

古い友人

大学時代、「ザ・ストレンジャーズ」というロックバンドで一緒にやっていたA君が退職して、7月末に、赴任先から千葉の自宅に戻ったとの便りが届いた。

彼は、40年前、ある大手食品会社に就職し、長い間研究所勤務となり、白衣を着て様々な実験や商品開発に当たっていたが、4年前、役員だったA君は、関連会社の社長として、東京から三重県四日市市に転勤して行った。

それまで、極く稀ではあったが、A君から「親しいジャズ・ピアニストと六本木の店でライブをやるので来い」と連絡が入るとその都度駆け付けて、俄かセッションをやったりして楽しんでいた。A君の担当はサックスだ。

当時、学生バンドの中でも、彼のサックスは秀逸の誉れ高く、学生の間では名の通ったサックス奏者だった。但し、その頃は、ジャズ・ロックのサックスだったが。

彼のテナー・サックスをフィーチャーした曲としては、「ピーターガンのテーマ」「キャラバン」「カミン・ホーム・ベイビー」などが人気だった。だが、何年か前、プロ・ピアニストの坂口氏と友達になって以来、本格モダンジャズに目覚め、サックスもアルトに変えて、坂口氏からジャズの指導を受け始めた。

そんな風に、忙しい仕事と、ジャズ・サックスを両立していたA君だったが、四日市転勤が決り、ジャズから離れざるを得ないことを大変残念がりながら赴任して行ったのだった。

だが、さすがはA君。「ジャズの道はヘビ」、ちゃんと四日市でもジャズ・ライブの店を見付け、毎週週末にはそこで演奏していたというから大したもの。

その彼が、やっと社長の任期が明けて晴れて退職。東京に戻って、これからは、ジャズとヨットに邁進するぞ、との喜びに満ちた決意表明の葉書が届いたのだった。

40年間も勤めた会社を辞めるのは、何処かに淋しさがあるものだが、彼の便りにはそれが全く感じられない。東京に戻れる日を指折り数えていた姿が想像出来る。いや僕等に一遍の淋しさをも感じさせないようにとの、彼なりの配慮なのかな。

その彼から、先日連絡が入った。「9月に、友人知人を沢山呼んで都内のライブハウスを借り切って、退職祝い、兼、シルバー・ミュージシャン・デビュー記念パーティーをやるから是非来て気楽にセッションやってよ」という。

聞けば、坂口氏も出るし、ベース、ドラムも坂口氏の仲間のプロ・ミュージシャンが揃うとのことだ。そうなんだ、A君はもうそういう人達と一緒に本格的なジャズを演奏しているんだ。そういう中に入って気楽にセッションを、なんて言われてもねぇ。

でも、再びA君と一緒に演奏出来ることは凄く楽しみだ。「ジャズの生演奏が最近凄く好きになったという人がいるので、その友人と一緒に行く」と返事した。結構広いライブ・ハウスが、超満員になりそうだと言う。彼の人徳と交友の広さだな。早目に行こうっと。

8月 22, 2009   No Comments

初芝居(3)

衣装は特に用意していないという。てことは、各自が自分で考えなくてはいけない。大体80歳過ぎの小人の服装なんて難しいテーマを与えられてもイメージ湧かないよ。

それでも何とかしないと。こういう時はカミサン。最初「アホらし」とか言ってたが、「甚平にセッタ、杖でいいんじゃない?」「なるほど」。

車で近くのドンキホーテに買いに行く。「夏もの大処分」。丁度良い。あった。サイズも良い。柄もステージ向き。上下で980円。やすー。セッタ、杖全部で2千円もしない。よーし全部買った。白い口髭などは純次さんが用意してくれると言う。

さて当日の午後。現地のステージの上で最終リハーサル。前半は、Shifo魔女が魔女笑いするところからスタートする。このリハを見ていて、僕はShifoの魔女振りを正直、尊敬の念で見ていた。

一つには、物凄く台詞が長く、また沢山あるのを、何も見ずに全部諳んじて演じ切っているのが凄い。二つ目、あそこまで行くと歌うことと演ずることは同じなのかも知れない、と思わせるほど堂々とした演技。三つ目、Shifo魔女が、正直怖い。あの魔女笑いは背筋も凍る。が、ぞっとするような色気も。

あれは演技なのか地なのか議論が分かれるところ。おじさんバンドは7ゼロで地に軍配だったが。

さて僕等の出番。二日前の成果をリハーサルで再現しよう。修正後の台本の通りに進んだ。まあ、完璧とは言い難いが素人にはこれ以上求めても無理。出番の2幕が終わった。最後の幕。クーペが言う。「ここもおじさんバンドやってよ」「え!まだやるの?」「台詞もね。ここはマッちゃん。そしてここは神童さん」「まっ、待ってよ。今日本番だよ。自信無いよ」「大丈夫、簡単なんだから」。そういう問題じゃないでしょ。

タダでも忘れっぽいのに、リハで覚えて本番でやれと?50年振りの学芸会なの。年甲斐もなく緊張してるのに、もっと緊張させようってコンタン?

波乱のリハーサルが終わって、開演。第一部のコンサートが終わって、いよいよ第二部の芝居の開始。まっ暗の中、ステージ上で、Shifo魔女の笑い声。同時に彼女にだけ青のピン・ライト。リハの時より数段怖い。「ハハハハハハハ」。照明効果なのだろうけど、これは絶対に演技じゃない。もうShifoに逆らわないようにしようっと。くわばら、くわばら。

実はShifoが初代白雪姫で、年取って魔女になり、二代目白雪姫のボーカリスト・リカさんが魔女の毒林檎の毒牙に掛って魔女になり、そして、後半、三代目の白雪姫が、お腹を空かせて僕等の家に迷い込む。そして、僕等の食べ物を食べて寝ているところに、僕等80歳過ぎの小人達が現れる場面からが出番なのだ。

「ハイホー、ハイホー」「あっ、パンがない」「シチューもない」「こいつが食ったんだ」「どうやらこいつ、外人みたいだ」「外人なら任せておけ。ハーイ、レッスンワン、サンキュー」「泥棒に礼を言ってどうすんだ、俺に任せろ。ベサメムーチョ、オーソレミーヨ、イッヒリーベディッヒ」「全然通じてねーじゃねーか」「うるせー、禿」「何だと、禿はおめえの方だろう」「やめろやめろ」「こらこら、禿と禿とが喧嘩して、どうするんじゃ」「おめーだって禿じゃねーか」「何をー!」、7人のジジイ達どたばた騒ぎ・・・

と、まあ、こんな具合。それにしても、最初の台詞が言えちゃうと、一気にプレッシャーが取れて、アドリブ交じりの「楽しんじゃおう演技」になった。面白かった。今日は演奏で失敗した分、演技の方で思い切り盛り上がらせて貰った(勝手に)。はまりそうな予感がする。

初芝居-完-

8月 19, 2009   No Comments

初芝居(2)

第2部は、クーペ原作、クーペ脚色、クーペ監督による芝居「それからの白雪姫」。長いこと、僕等おじさんバンドは、Shifoと一緒に「年取った白雪姫と7人のジジイ達」というバンド名でやって来たから、この芝居は正にその原典に当る。

おじさんバンドは、芝居の終盤から登場するのだが、あれから40年経ったという想定だ。だから7人の小人達は全員80歳を超えている。だからみんな爺さん役だ。

本番4日前に、おじさんバンドがShifoからの召集通知メールにより集められた。それまで、なかなか芝居の稽古のために集まるということが出来ていなかったからだ。平日の水曜日午後6時。夏休み前の忙しい時期。Shifoのメールが威圧感たっぷりで(そうはどこにも書いてないが、おじさん達は行間を読むから、恰も「あんたら、やる気あんのか!」と読めた)、取るものも取り敢えず全員が揃った。珍しい。

それが、初めての芝居の稽古だった。小人の家に迷い込んだ新しい白雪姫が空腹に耐えられず、小人達の食事として用意しておいた食べ物を食べて寝込んでしまった。そこに、外から小人達が帰って来て、用意しておいた自分達の食べ物がなくなり、そばで寝ている少女を発見する場面。そこからが僕等の芝居。

事前にクーペからは、一人一言くらいだから、なんも心配しないでと言われていたが、いざ蓋を開けると、みんな沢山の台詞が用意されていたから驚いた。何せ殆どの人は小学校の学芸会以来だから大変だ。クーペさん。頼むよ~! もっと減らして!

それでもウンと言わないから、仕方なく、僕等の出番の二幕を練習した。最初は棒読みだった台詞も、演技しながら恥ずかしさも薄れて行き、最後は思い入れたっぷりにしゃべり演技するようになって行った。

ただ、大変だったのは、渡された台本がその練習中に変わること。僕等の練習を見ながら、クーペがクルクル台詞を変え、会話の順序を変え、気に入らない場面はカットするので、帰る時は台本中が真っ黒になったことだ。

ど素人で60歳過ぎた者には、台詞を覚えるのがとても大変だし、仮に覚えたとしても、順番が変わると、自分の番が分からなくなるから、しゃべるところを黙ったままだったり、違うところでしゃべり出してしまうのだ。あまり、台本を変えないようにお願いしますよ、クーペさん!

が、そうは問屋が卸さない。二回目の練習は金曜日(本番2日前)の夜8時から。前回はクーペの店で練習したのだが、今回はちゃんと公民館の一室を借り切っての練習だ。またまた驚かされた。前回7人の小人達の前で倒れるのは若い白雪姫だったが、それが変わり、ヨッ君が倒れるというシナリオに大変更。

その上、本番間近と言うのに、芝居の全体像が分からない。僕等の場面は後半の物語だ。前半もクルクル変わってる最中だから、まだ通しの台本が出来ないのだそうだ。そして、当然のようにこの日も僕達の台詞が変わり、また、追加になった。大丈夫かな、当日、俺たち?

8月 18, 2009   No Comments

初芝居(1)

昨日東京郊外の立派なホールで、コンサートと芝居をやった。場所はパルテノン多摩というパルテノン宮殿のような外観を持つ多摩地区屈指のコンサート・ホールだった。そこの小ホール(300名収容)で開催したのだ。

勿論、「クーペ&Shifo」と一緒に演じたのだが、いつものコンサートと違うのは、一部が音楽、二部が芝居だったことだ。

一部では、おじさんバンドだけの演奏で3曲、「シング・シング・シング」「ルート66」「小さな花」を演奏した。「ルート66」は斎藤さんとマンディーのボーカルをフィーチャーして、「小さな花」はマッちゃんのクラリネットを中心にして。3曲とも店でも、コンサートでも何十回となくやって来た曲だった。「ルート66」と「小さな花」は会場からも温かい拍手を貰えた。

ただ、全員で最初に演奏した「シング・シング・シング」は、返しのモニターが近くに無く、且つ、二部の芝居のためにドラムセットを移動させなくて済むように、皆から離れて一番後に位置したから、皆の音が全く聞こえなくて、途中かなりリズムのズレが目立ってしまった。

この曲は大体、フロアータム(右脇の大きめのドラム)を強打するのが特徴の曲なのだ。だから、要するに自分のドラムの音で、ベースの音もピアノの音も全く聞こえなくなったのだ。途中一旦ストップして、次の段落から入り直すというミスを犯してしまった。しかしこれは言い訳である。

鶴見という、プロバンド側のドラマーがいる。プロバンドの演奏に移った後、鶴見の演奏を注視した。彼も僕と同じ場所でドラム演奏しているが、全くズレないし正確だ。

終ってから聞いてみた。

「鶴見さん、他の人の音、ちゃんと聞こえていました?」
「いや、今日は、最悪の場所でしたね。返し(モニター・スピーカー)は舞台の最前列にあるだけで、舞台袖両サイドの客席向けのスピーカーもドラムよりかなり前だったからね」
「それでも、全然狂わないのは流石プロです」
「ああいう状況では、自分のドラムの音で他が聞こえなくなっちゃうから、相当意識して抑えないとね」

なるほど。他の音が聞こえることを最優先して自分のドラムの音を抑える、か。状況に応じないで、いつもの強さを覚えている手の記憶に任せてはいけないということか。また一つ失敗から学んだ。音楽って、みんなの音を聞きながら自分のパートを弾いて、みんなで共同して作り上げて行くものだということを再認識させられた。

さて、いよいよ芝居だ。小学校以来50年振りのセリフ入りの芝居。練習は4日前から2回のみ。不安にならない方がおかしい。それが控えていたから、音楽演奏の方に集中力が回らなかったのかな。音の大きさよりも、そちらの方が失敗のホントの理由だったりして・・・。

有料でご来場頂いた皆様、ミスしてどうもスイマセン。

8月 17, 2009   No Comments

訪問(3)

気が付いたら1時50分。この店にかれこれ1時間40分もいた勘定だ。あっという間だった。S社長の話に引き込まれた。急いで事務所に戻り、事務の講習会だ。

事務所では女性3人が講習を受けてくれるようだ。その内の一人はSさんの奥様だという。その美人の奥様に、利発そうな女性二人。こちらの講師はKaさん。元は大手損保の女性の事務インストラクターだった人だから、説明が縦板に水。

パソコンの前で実地で操作研修を受けている女子事務員さん、物凄くキータッチが早い。手元を見ていないから「ブラインド・タッチ」だ。ただ者ではない。因みに「ブラインド・タッチ」とは、キーボードをいちいち見なくても手が覚えていて正確に打てること。決して「メクラウチ」(直訳につき差別用語に非ず)ではない。

彼女、ただ、キーイン操作が早いだけでなく、Kaさんの説明を直ぐに飲み込んで処理しちゃう。勘も頗る良いのだろう。早く全部マスターしちゃおうという意欲が旺盛な人だ。

そんなことがあって、2時間の予定が1時間半で終了。我が新設保険会社としては初めての出張講習会だったが、受講者に恵まれて、大変スムーズに講習を終えたのだった。

前職で何度も代理店さんに出向いて、パソコン操作と事務の講習を行って来たKaさんが言った。

「経験上、新しいシステムや事務の研修にお邪魔すると、大概の事務員の方は、忙しいのに、また新しく何か覚えなきゃいけないの、という明から様な態度を取られることが多かったけど、ここの事務員さんは凄く前向きだし、厭な顔一つしなかった。素晴らしかったです」。

さて、会社に戻ってから、古宮エイジ氏ことJTに聞いたら、あの事務所があった一階の整備工場はS社長さんの経営する工場だと聞いて2度びっくり。整備工場が片手間に自賠責などの代理店を兼ねることは多いが、整備・修理工場の社長さんがプロの代理店を兼業している図は珍しい。

あれだけアグレッシブでありながら、若い顧客層の相談に親身に乗るS社長さん。もっともっと大きくなって、地域にとっても不可欠な重要人物になって行ってくれることを祈っています。ついでに我が社の保険もどうか宜しくお願いしま~す。

8月 11, 2009   No Comments

訪問(2)

その代理店の社長のSさんは、時々当プレミアムエイジにも書き込みをしてくれている方で、どうやら古宮エイジ氏とは何十年来の知り合いだそうだ。その関係で、今回我が社の保険代理店もやっていただけるようなのだ。

今年の2月、僕等おじさんバンドが「クーペ&Shifo」と一緒に埼玉でコンサートをやった時、Sさんは10人以上を引き連れてコンサートに来て、演奏前にはわざわざ僕を楽屋に訪ねて来てくれたのだった。

その時も、「新会社の保険の売れ行きはどうですか?」と気に掛けてくれていた。まだ知名度がゼロに等しい割には、資料請求等の引き合いが結構来ているが、成約になるのはその中の一部なので、新発売、即、絶好調とは行かない旨お伝えしたと思う。

するとSさん、「あの保険は実にいい保険ですよ。プロの私から見ても、これだったら自分のお客さんに是非勧めたいと思いますからね」と言ってくれた。

医療保険なのだが、「何しろ値段は既存の保険会社の半額以下、その上、通常の入院給付金の外に3千円の就業不能給付金まで出るのだから」と言ってくれた。保険の内容まで良くご存知だったことに、さすがはプロと感心するわ、感動するわ。

Sさんにそう言われて、僕も、自社の保険に対する自信が確信に変わった。このことが僕の背中を押してくれて、30万組合員を抱える健保組合にこの保険を紹介しようと、僕の重い腰が動いたのだった。

まだ結果は出ていないが、Sさんは個人的に当社の保険契約を20件以上も集めてくれた。そして、この度は我が社の保険代理店になってくれるという。

ひとしきり挨拶代わりに情報交換をした後、Kさん(我が社社長)が会社の説明、少額短期保険業界の動向、少短の今後の見通しなどを説明し、S社長からも沢山質問が出て、和やかに話をしていたらお昼になってしまった。

本当は、午前中にコンピューター・システムを使っての事務指導を終えて、昼食後帰社するつもりでいたのだが、それは午後に回すしかない。この分では午後一杯掛かる可能性もあるな。

車2台に分乗して、S社長と僕等5人はレストランに向かった。食事をしながらSさん、いろいろな話をしてくれた。彼が保険募集活動をしている中で、昔と違い、最近顕著なのは、30歳代の若者達の貧困問題だと言う。会社の社員だと思っていた人が、実は派遣社員であったり、アルバイトだったり。

本人だけならまだしも、彼等の親が年金に入っていない、収入がない、蓄えがないというケースもかなり多く聞くし、相談を受ける。彼等の子供も含めて、3代同時に破産、青テント、という図が直ぐそこにあるということを否応なく感じる。

まだ、独身でそういう問題意識を持たない人もいて、そういう人には、兎に角貯金しろ、少しでも金利有利を狙うなら生保だと教えてやれるが、保険代理店として、彼等の悩みを聞いてやる以外何も出来ない時がある。悔しい。そんな話をSさん、しみじみしていた。

団塊世代よりも確実に団塊Jr達の人生はキツイ。ツライ。夢がない。バブル崩壊後の「失われた十年」と今のサブプライム・ローンの崩壊が招いた「金融恐慌」のダブルパンチが彼等を襲っている。

子供の時代は親の時代よりもっと良い時代になっていて当り前。だが、現実はその逆になっている。それを、政治や官僚や銀行の責任にして、自らの責任を省みない団塊世代の責任は極めて大きい。

ある若者が言った言葉が蘇える。「団塊の世代の皆さんは、結局、自分の幸せのためだけに働いたのであって、次の世代のためには何もしてくれなかった!」。

8月 7, 2009   No Comments

訪問(1)

今日は朝から埼玉県は桶川市まで出向いてとある保険代理店さんを訪問させて貰った。朝、桶川駅に着くと一緒に伺う予定のKさん(社長)、女性のKa(事務指導)さん、3人が着いたホームで落ち合った。訪問と言っても、今私が顧問をやっている小さな保険会社の代理店になって貰うための手続きと、その事務に使うコンピューター・システム(パソコン)の設置、それを使った事務指導に伺うのだ。

パソコンの設置とシステムのセットアップ&テストは、偶然にも、この代理店さんの同じ町と隣町に住むF君、W君(2人はシステム担当)の仕事なので、僕らよりも少し前に行って組み立てている手筈。携帯でF君と話し、彼等2人、既に現地到着済みを確認。

F君、W君が当然この辺りの地理に詳しいので、前日に新宿から乗る湘南新宿ラインの時刻表やら、現地の地図やらを電子メールで貰っていた。その電車で行くのは僕の他に2人いるので、誰かしっかり地図を頭に入れるか、プリントアウトしてくるだろうから、楽勝のイメージだった。

ところが、駅に降りて、少し時間があったから、駅前のマクドナルドで、冷たいものを飲んでいざ出発。駅から500メートル足らずと言うから、この蒸し暑い中を歩いた。Kさんが「こっちです」と自信ありげだから素直に従う(人を疑うことを知らないのが僕の欠点)。

かなり歩いたがそれらしい看板がない。大きなある保険会社の看板が見える筈と聞いていたのだが。もう、1kmは歩いたな。F君に電話してヘルプを頼もうと思って携帯を取り出そうとしたら、そのF君から電話が。

「もしもし、神童さん?いまどこですか?」
「迷った時、その質問が一番困るんだよね」
「ハハハ、そこから何が見えますか?」
「広い通りの先の方に、『しまむら』が見える」
「え!それ、全然方向違いますよ。『しまむら』は通りの向い側ですか?それとも同じ側?」
「向い側だよ」
「分かりました。じゃぁ、『しまむら』の真向かいにいて下さい。Wが車で来ているので、迎えに行かせます」
「うん、ありがとう・・・」

僕等の会社は昨年11月に設立したばかりの小さい保険会社だ。Kさんはそこの社長だから、彼の言うことには絶対服従・・・なのだが、あれれ?早い話、誰も地図を持って来なかったのだ。(普通、地図等万全を期し社長を案内するのが部下たる者の務め。誰かの声が聞こえる)

やっと目的地に着いた。広い通りと路地の角に、ありましたよ。大きな看板が。とある保険会社の看板が。整備工場の2階が事務所らしい。階段を上ったらそこは広いスペースの明るい事務所だった。10分遅刻。

女子事務員の方に来意を告げると、あの有名な社長さんが現れた。(続く)

8月 6, 2009   No Comments

出版記念パーティー

当プレミアムエイジのブロガーの一人、山本冬彦さんが本を出すというので、その出版記念パーティーに、キャップの古宮エイジ氏と仲間のK氏と一緒に行って来た。パーティー会場は有楽町駅近くの泰明小学校脇のビルの中にある柳画廊というところ。

古宮さんが山本氏から連絡を受けたのは6月末のご様子。山本氏からの電子メール日付で分かる。それが当日外出先から私に電話連絡があり、「暇だったら一緒に行こう」という。本当は「暇だろうから一緒に行こう」だったんだろうね。当り!即OKして夕方6時半過ぎに会場に入った。

会場は6時半だが、パーティーは7時からとなっていたのに、既に会場は超満員。山本氏が挨拶の最中だった。予想以上に来客が多くて、早く始めないと収まりが付かなかったんだろうな。

銀座の画廊の中では大きい方なのだろうけど、ぎっしり満員。入口で小振りのグラスに飲み物を頂戴したが、慎重に移動しないと他人とぶつかりそう。飲み物を零してはいけないので一気に飲む。

山本氏の後、柳画廊の社長の柳氏が山本冬彦氏を称える挨拶。その後はフリータイムとなった。会場中央には沢山の美味しそうな食べ物がテーブル狭しと並んでいるが、そこに辿り着くのは至難の業。

古宮氏とK氏は煙草を吸いたいらしく、「外の喫茶店で少し時間をつぶしてから、すいた頃を見計らって戻るよ」と言い残して出て行った。3年半前に煙草をやめた僕は、食べ物を狙ってもう少し粘るために残ったが、とてもの人数。諦めて彼等と合流した。

古宮氏曰く「凄い人数だったけど、本当に凄いのは、あれだけの人数の中で前の会社の人達が10%にも満たないところでしょう。それだけ、彼の人脈なり、ネットワークなり、付き合いの幅が広いということだね」。

僕、「昔、山本冬彦さんは『ネットワークの作り方』という本出していた位だから。それを地で行ってるところが凄い。尤もね、ネットワークと言うから、僕はシステムやってたから、てっきりコンピューター・ネットワークのことだと誤解したんだけどね」。

Kさん、「こんなことでもないと画廊なんて来ませんもん。それにしても山本さん、凄いな。画廊巡りとか絵画蒐集とか、自分の趣味の世界を本にして出しちゃうんだから」

8時少し前に画廊に戻った。さっきとあまり変わらない混み方。でも、何回転かしているから延べ人数はとんでもない数か。やっと山本氏が近くに来たので、挨拶程度の言葉を交わして引き上げる。帰りにエレベーター前で、彼の本やチラシが沢山入った紙袋を渡された。

本のタイトルは「週末はギャラリーめぐり」(山本冬彦著ちくま新書)。通勤電車の中で読ませて貰おう。

8月 5, 2009   No Comments

(続)思い込み

浅田次郎氏の思い込みによる失敗を前回書いた。そういうことなら負けていないよ、と友人のWさん。思い込みの自慢話を披露してくれた。

高校3年になる前の春休み、京都・奈良への修学旅行があった。もう45年も前のことだ。僕等は長野という田舎の高校だったから、それまで聞いたことも体験したこともない事態に直面した。泊まった京都の旅館が洋式トイレだったのだ。

W君、部屋の中のトイレ入った。ただ小便をしたかったのだが、初めて見るトイレの形に驚いた。どうしていいか分らない。小さな図解の説明に従えばいいんだなと思った。ここまでは正解。図には立って用を足すように書いてあった。

まあ、幾らなんでも、蓋は明けるのだろうと思いそれを開けたまでは良いのだが、はてさて、小便はどこを的にすれば良いのか。きっと合理主義者の欧米人が考えたのだから、感心するような仕掛けになっているのだろうと思い、良~く観察すると、今開けたばかりの蓋が「オイ、ここだよ」と言わんばかりに、正面に立っている。

「だったら、弓の的のように三重丸でも付けておいてくれれば良いのに」と思いながら、蓋の中側の真ん中辺を狙ってことに及んだ。W君は、小便は見事にトイレの中に流れ入って行くものと思ったら、両サイドから床にぽたぽたと落ち始めたではないか。

彼は焦りに焦って、中断しようと努力したが、150%に膨らんだ膀胱はそう簡単にブレーキが効かない。それからは的を直接トイレの中に変更して後半は事無きを得たが、前半の失敗はどうやっても取り戻せない。

トイレット・ぺーパーをふんだんに使って、床を掃除したと言うが、大きな大きな世界地図は消せない。そこで、トイレから出るなり「このトイレ、故障しているから、廊下のを使うように」と同部屋の者達に触れまわり、ご丁寧にも「故障中」という張り紙まで貼った。

浅田次郎のエッセーにも出てくるが、洋式トイレに座ってはどうも出が良くないようで、トイレの上に登って両足を台座に乗せて踏ん張る奴の話も出てくる。また、何十年も逆向きに座ってた奴のことも。様式トイレを巡ってはいろんな失敗談があるようだが、本人にとっては大真面目で深刻なのだが、他人の失敗談はとても面白い。

スイマセン。今回は尾籠な話で。W君、折角の話題提供でしたので。

8月 4, 2009   No Comments