プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 9月 2009

コーラス隊

土曜日、近くの町のお祭りで、知り合いのコーラス隊が約50分間、コンサートを行うと言うので行って来た。

そこは東京郊外のニュータウン。お祭りと言っても、私鉄沿線の駅ビルを中心とした地元の音楽フェスティバルだ。

沢山の出店が出て、あちこちに特設ステージもある。そこでは地元出身の音楽家や素人バンドがジャズやロックを演奏している。ステージの前は沢山椅子とテーブルが置かれ、大勢が思い思いに飲み物を飲みながら音楽に聞き入っている。

吉祥寺や阿佐ヶ谷のジャズ・フェスティバルは大変有名だが、ここでも音楽を中心にした、街興しの大イベントのようで、今年で12回目になる盛大な祭りだった。

お目当てのコーラス隊のコンサート会場は、これらの野外特設ステージではなく駅に隣接した商業施設内の室内の多目的ホールだった。多目的ホールと言っても、ちゃんと劇場風に階段状の客席があり、150人ほど収容出来る立派なホールだ。

午後3時半からというスタートだったが僕が会場入りしたのは3時40分。既にコンサートが始まっていた。女性陣14~15名、男性陣3名がステージで歌っている。あの時の人達が身体中で歌ってる。彼等の晴れ舞台。みんな表情が輝いている。

このコーラス隊、名前を「TUBASA」と言う。昨年秋まで4年間、「クーペ&Shifo」のバック・コーラスをやってくれていた。Shifoがずっと指導して来たコーラス・グループなのだ。

僕等おじさんバンドにとっても、4年間、コンサートではいつも一緒だったから、殆ど、友達以上家族未満と言っても過言でない音楽仲間だった。

平均年齢は僕等より20~25歳、或いはそれ以上若く、女性が圧倒的に多いコーラス隊だったが、コンサートの打ち上げやハロウィンやクリスマス・パーティーなど、おじさんバンドも年齢差を感じないで一緒に盛り上がれる、本当に楽しいメンバー達だった。

それが、昨年秋に、サザンオールスターズ同様に、暫くは「クーペ&Shifo」とコーラス隊は別々に活動して、夫々が自立してより高く新しいレベルを目指すことになったのだった。おじさんバンドは勿論「クーペ&Shifo」と一緒に活動しているが、どこか淋しさを感じる。

音楽の方向性のことなので、素人のおじさんバンド・メンバーは誰も口に出して言わないが、みんな、いつの日かまた一緒にやれることを願っている。

事前に何も打ち合わせをした訳ではないのに、コンサート会場におじさんバンドから3人駆け付けていた。それに何より、Shifoが来ていたのは嬉しいサプライズだった。コーラス隊は全部で10数曲歌ったが、その中に「アメージン・グレイス」「見上げてごらん夜の星を」「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」が入っていた。

この3曲は昨年まで、日比谷野音・国際フォーラム・NHKホールなど、思い出に残る場所でShifo指揮の下、「クーペ&Shifo」と一緒にコーラス隊が歌った曲目だった。

それを今、先生だったShifoの前で、生き生きと歌ってる。何だか胸が熱くなった。それはShifoの胸中を思ってだったのか、コーラス隊からの「私達、やっぱりこの曲が好きです」と言うメッセージに聞こえたからか、定かではなかったが、嬉しかった、感動した。

9月 29, 2009   No Comments

民主党

鳩山首相がオバマ大統領と会談した。単に新たに日本の首相になった人物と、アメリカの新しい大統領が会談したというだけではない。ある意味歴史的な会談だ。

理由の一つは、国民の意思により民主党政権が誕生し、日本で初めて二大政党制が実現、歴史上初の民主党同士のトップ会談となったということだ。

その二は、日本では、果たして鳩山民主党は、長い間政権を担った自民党よりマシな政治を行えるのかと不安と期待が入り混じった目で注視されている。一方、歴史始まって以来初の黒人大統領は、果たしてどこまでアメリカと世界を良い方向に導けるかという目で世界から注視されている点である。

僕が思ったのは、世界に向けて発信したオバマ大統領の核廃絶に向けた熱いメッセージと、鳩山首相の国連での温室ガス25%削減演説とは共に、前政権とは全く違う思い切った方針を打ち出せたという意味に於いて、世界に対しては上々の滑り出しと言って良いだろうということだ。

だがこれを、国内の反対論に押され、単なるアドバルーンにしてしまうと、一気に両首脳は、いや両国とも世界の信頼を失う。メッセージが先に発信されて、国内世論が後から付いて行くのか、行かないのか。大きな分かれ道になるだろう。

下手すればオバマ大統領は軍産共同体を敵に回すことになる。ケネディー元大統領の二の舞だけは避けて貰いたい。核で武装したアメリカ、核に守られたアメリカに慣れている国民の、核が無くなった時の不安感(無防備感)がどう世論に表れるのか。核廃絶は言うは安く行うは難くの代表例と言って良い。

鳩山首相は、オバマ大統領の核無き世界の呼び掛けに呼応して、世界で唯一の被爆国として、核の無い世界を目指す責任があると国連で演説した。各国首脳には是非広島・長崎を訪れてその悲惨さを感じ取って欲しいと訴え、日本は核武装する力が充分ありながら、それをしなかったのは、この悲惨な被爆体験があるからだと述べた。大変説得力のある言い方だった。そして、日本は非核三原則を貫くことを世界に向けて発信した。

鳩山首相の世界デビューは、ここまでは、頗る付きの合格点だ。だが、北朝鮮の核実験やミサイル発射の時、非核三原則の見直しに言及したこともある鳩山さん。何があっても貫けますか?北朝鮮が何かやらかす度に、核武装や集団自衛権を言い立てる有力議員が出て来る日本。「ぶれない・揺らがない・誤魔化さない」政権三原則の方も、宜しく頼みますよ、鳩山さん。

9月 26, 2009   No Comments

あの頃僕等にはマドンナがいた(2)

それからは、バンド活動とダブらない限り、Yが声を掛けて来る都度、彼の言う「グループ交際」に付き合った。それは大体土曜日の日中なのだ。場所も青葉城址公園だとか、広瀬川上流の河原だとかだ。ハイキングやバーべキューなど、健全な若者達といった趣で、正直僕には心から馴染めないところがあった。

だが、必ずと言って良いほど、K子も参加する。今風に言うところの野外合コン。リーダー役はいつもYで、K子がそのアシスタントみたいな役割だった。いつも7~8人のグループで行動していた。

K子の親友と思しきH美はいつも一緒だったが、他の女性はその時によって違ってた。男の方はいつも大体同じ。Yに僕。それに、Yの学部の友人Bと、K子と同じクラス(文学部)のD。YとBとDはESSサークルのメンバーだ。何回か行動を共にしている内に気心も知れて来る。僕の学生時代のバンドとは別のもう一つの仲間になって行く面々だ。

だが、直ぐに分かったことは、Y・B・Dの3人ともK子の魅力に中てられた者どもだということ。僕だって偶然K子と巡り合っていたら一目で参っていたかも知れないが、Yから打ち明けられているから、僕は他の3人よりもK子に対して冷静に少し距離を置いて対応していた。

僕は、この状況はあまり旨くないなと思った。折角参加してくれている他の女子学生達が面白くないだろうと思ったのだ。K子と話したいのは山々だが、僕はいつも来てくれるH美と親しく話すようにしていた。H美も決して不美人と言うのではないが、K子と並べば、どうしたって引き立て役にしかならないのに、H美はどうしてK子といつも一緒なのか。僕は不思議だった。

一番その理由を聞きたかったが、当時の若き日の僕には、H美を傷付けないようにそれを聞き出すなどという技術や勇気はとても無かった。代わりにいろいろな話をした。H美、意外と話題が豊富でインテリだった。僕が興味も無く読んだこともないカミュの小説などについて、読後の感動を熱っぽく語った。僕はそれでカミュという、人間の不条理を描く小説家の存在を知った。

H美との語らいは僕にとって知識欲が刺激されて楽しいし、ためになる時間だった。だが、誤解しないで欲しい。決して2人が恋に落ちるような雰囲気には最後までならなかった。

冷静な僕はH美と話をしながら、YとK子の動向を目の端に留めていた。何せ、YからK子とのキューピット役を頼まれている以上、BとDが先を越さないように監視しないといけないからだ。

Yはグループのリーダー役でK子がそのアシスタントといういい関係。DはK子と同学部で同じクラスの気楽さで昔からの友達のように振舞える。Bは一番不利に見えるが、さにあらず。3人の中では一番素直にストレートにK子に対して気持ちを表せるタイプだ。

公平な立場で見て、3人ともK子とは等距離だ。さてこのラブ・ゲーム一体誰が勝利を手にするのだろうか。

9月 25, 2009   No Comments

あの頃僕等にはマドンナがいた(1)

高校時代に一緒だったY君とは大学も一緒だった。彼とは4年間、何かと連絡し合いながら一緒に食事したり飲みに行ったりの仲で、友人の一人だった。お互い学部は違い、僕が経済、Y君は法学部。

彼は、大学2年以降ESSクラブに所属して、様々な活動をしていた。サークル活動まで英語をやりたいというYの気が知れなかったが、後にその訳が分かった。ESSは文学部の女子がやたら大勢入っているサークルだったのだ。

彼からそのコンパに誘われたのは、大学3年の9月頃だった。ESSの中の青少年支援班、活動の内容が今一僕には分からなかったが、多分、孤児院とか学童保育とか、そういう所で英語の紙芝居(ハローこんにちわ、のような和約入。)などをやってお手伝いしたりする活動をしているグループのコンパに特別参加させられたのだ。

学生のコンパは安い蕎麦屋の2階とか、大衆酒場の一部屋とかだったが、このコンパもそのような場所だった。

この日、グループのメンバーは、ESSでない人を一人連れて来るという趣旨の会だったらしい。ESSの活動をもっと拡げようという目的だったのかも知れない。

Yから日頃何かと借りのある僕は、何だか要領を得ないまま出席した。総勢14~15名。だから多分ESSメンバーはその半数。会の幹事はY君と文学部二年生のK子さんだった。Yが挨拶と乾杯の音頭を取って飲み会が始まった。K子さんが方々に気配りしてかいがいしく働く。

K子さん、実はESS内最高の美人なんだと予めYから聞いていた。身長は160cm位で、すらっとした知的美人。とは言え、つんとすましているのではなく、寧ろ、表情豊かで可愛らしい印象。ESS一どころか、もし当時我が大学にミス・コンテストがあったら間違いなく栄冠を手にしていただろう。

僕の印象では、当時、僕が憧れていた、ナタリー・ウッドとセザンヌ・プレシェットを足して2で割ったような容貌(言い過ぎですが)だった。要は、YがESSで頑張るのはK子に近付くことだったのだと判明した(僕は確信した)。

後日、Yは僕の追及に対しいとも簡単に白状した。やっぱり。
「いつかは彼女とデートするのが夢だ」
と抜け抜けと言う。だが、
「ESSは健全なサークルだから、そんなことをすれば他のメンバーから白い目で見られるし、まだ特別に彼女が自分に好意を示してくれている訳でもない」
とも言う。

どうも今のところはYの片思いらしい。Yが恥ずかしそうに僕に言う。
「だから、暫くはグループ交際として付き合って行きたいから、神童一緒に頼むよ」
「ええー。悪いけど俺、キューピットには向かないと思うよ」
「お前にしか頼めないんだから、頼むよ」
「俺が彼女を好きになっちゃうかも知れないしさ」
「もしそうなったら、それはそれでしょうがないよ。だからさ、頼むよ」
「・・・、しょうがねぇなぁ、分かったよ」

9月 23, 2009   No Comments

茅ヶ崎の老人介護施設

シルバー・ウィークの連休中日、21日の敬老の日に、茅ヶ崎まで遠征して老人介護ホームで慰問コンサートを行なって来た。敬老の日の記念イベントに招かれたのだ。東名青葉から乗って厚木まで走り、後は一般道という予定で、「クーペ&Shifo号」で現地に向かった。

赤いワゴン車の両サイドに「クーペ&shifo」や黒人ジャズ・プレーヤー達が描かれた(鶴見作)超派手目な楽器輸送車に、何とか4人が乗って出発。4人とは「クーペ&shifo」に純次さんと僕。おじさんバンドは7人いるのだが、皆さん休日勤務やら家庭サービスやら地域活動やらで、この日は2人だけしか都合が着かなかったのだ。

高速に入った瞬間、「えー!」。大渋滞なのである。連休3日目のお昼時、5連休の折り返し点。まさか下りがこんなに混んでいるとは。それでも時間を充分見ていたから、何とか現地に滑り込みセーフ。

会場の老人ホームは、「クーペ&shifo」が4年前、ピースボードの世界一周船の旅の中で知り合った母娘の紹介だそうだ。この母娘、高橋さんと言うのだが、地元では15代続く名家らしい。

コンサート終了後食事の会場に車で案内して貰った時、お母さんが、「ここが高橋の実家です」と言われたので見たら、大きなお屋敷で、庭に結構大きな鳥居と神社があるのだ。それを見ただけで高橋家の格式が分かる。

今回、お母さんの義理のお兄さん、即ち、高橋家の長男(お母さんは次男のお嫁さん)が造った老人介護施設に招かれたと言う次第だ。このお兄さん、4年前、この老人ホーム建設中に脳溢血で倒れられてしまい、自分の作った老人ホームの最初の入居者となってしまったそうだ。

それでもお母さんはしみじみ言う。「4年前倒れた時は、お医者さんから殆どダメと言われたことを思えば、車椅子生活で言葉もたどたどしいけど、頭は完全に正常なので、これで良しとしなければ」と。

さて、コンサートの方。車椅子の方がざっと20人。その他の入居者30人。それに敬老の日と言うことで、その家族が大勢面会に来て一緒にコンサートに参加してくれた。最前列中央には高橋家のご長男が車椅子に乗られて僕等の音楽を最後までしっかり聴いてくれた。

いつものライブと違って、観客の反応(盛り上がり)が今一で、僕は演奏しながら、「年取った白雪姫と7人のジジイ達」はお年寄りにはミスマッチなのかなと少し心配しながら演奏した。それでも後半、クーペが観客を笑わせたので、少しは救われた。

しかし、終了後、事務長が言ってくれた。「今日は1時間のコンサートをお願いしましたが、最初の30分が勝負なんですね。面白くないと判断したらさっさと退出してしまいますから歯が抜けたようになってしまいます。そういう点では、今日は最後まで1人も退出しないで聴いてくれましたから大成功ですよ。こういうことは初めてです。ありがとうございました」。

まぁ、お世辞にしても嬉しかったな。東京郊外から渋滞を縫って茅ヶ崎まで来た甲斐があったというもの。終了後は高橋母娘に食事をご馳走になってしまった。

8月、八王子の老人ホーム、9月、八王子の病院(医療センター)、八王子のお寺、そして、茅ヶ崎の老人ホームと、このところこういう場所でコンサートをやることが多くなって来ている。大ホールでやる緊張感も良いけど、高齢者や患者さんを慰問するこういう音楽ボランティアもいいね。少しでも人の役に立てる幸せ。

今後も老人ホームの慰問ライブが頻繁になるようだ。こうなったら、いろいろな所を訪ねて、いずれはお世話になる団塊世代のために、ミシュランに代わって、「三ツ星老人ホーム」なんて云うのを発行しますか。

でも、「老人ホーム」→「病院」→「お寺」、と来ればさ、次は老人ホームじゃなくて本当は・・・。と思っていたら、先々週、「クーペ&Shifo」だけで演奏して来たと言うのよ、「霊園」で。

9月 22, 2009   No Comments

ただの人

昨年6月末をもって会社を退職した。最後の職場はある会社のシステム子会社で、そこの代表者だった。7年間務めた。

知らず知らずに習慣化して行ったことに気付くのは、会社を辞めた直後からだ。そのことに気付き、それまでの不遜を恥じ、改めようと意識した。当時は書けなかったが、今なら書ける。

①部下と一緒にエレベーターに乗り込む時、真っ先に乗り込む。自らは行き先階は押さない。真っ先に降りる。

自分が乗り込まないと、部下が遠慮していつまでも乗り込まないので、ついつ
いそうなった。降りる時も同じ。益して行き先階は部下が押してくれるから、
自ら押すのは一人の時に限られる。
退職後もそういう癖がついつい出てしまう。カミサンに言われる。「いつも真
っ先に乗り降りしないで、他の人に先を譲ったらどう?」。
デパートの一階から一人で乗り込んだ時、他の客と一緒だった。気が付いたら
自分の行き先階を通過していた。誰かが押してくれると思ってた。

会社辞めてからは自分で押さないといけない。乗り降りは最後にと心掛ける。

②どこかに出掛ける時、行き先の地図は部下が用意してくれる。

今の会社で、社長と一緒に初めて伺う訪問先。現地の駅に降りたら、二人とも
地図を持っていない。微かな記憶を頼りに向かったが案の定迷子に。僕は単な
る顧問。この場合、社長に用意させる訳には行かないから、地図は本来僕が用
意しなくちゃいけなかった。

それからは自分でインターネットで調べるようになった。

③あるドラフトを纏める時、部下にアウトラインを話し、まず部下に纏めさせる。
それを見てから修正を指示する。

辞めてからは自分で自分にアウトラインを指示し、その後の詳細も全部作らな
いといけない。苦戦することが多い。

④自分の都合で社長室の什器備品を動かしたい時は部下に言うと直ちに終わる。

辞めてからは自分で動かさないといけないから、動かさない、あるがままを受
け入れる。特に家庭では、体力のある子供達が巣立って行ってしまったから、
それを実践。カミサンから3回言われたら仕方なく動く。

⑤お茶を入れて欲しい時、タバコを買ってきて欲しい時、ある人を呼んで欲しい時、
秘書(役)に言うと、全てOK。

辞めてからは全部自分でやらないといけない。だからまず、タバコをやめた。

⑤家庭でも、家事は全てカミサン任せで、僕は料理も洗濯も一切したことがない。

会社を辞めても家ではそのまま続くだろうと予測していたが、さにあらず。カ
ミサンも一緒に僕の部下を辞めてしまった。

「辞めてみて初めて気付く人任せ神童」

9月 20, 2009   No Comments

しおり

昨日、本屋で買った文庫本、なかなか良い。何が良いかと言うと、本の中身じゃなくて「しおり」が薄くて良い。

普通、挿まれている「しおり」は、文庫本の頁の紙質より厚手のものが多くて、読んでいる頁の近くに挿もうものなら、頁が捲り上がってしまう。電車の中の片手読みなどには適さない。

これは講談社の文庫本なのだが、かなり薄くて頁の紙質とほぼ同じ。だから、どこに挿んでいても全く不都合がない。

「しおり」が薄くなったのは、それだけ日本経済が不況になった証拠だよ、という同僚もいるが、確かに、不況の時こそ、コスト削減は企業の至上命題だから、講談社も「しおり」の紙質を落としたのかもしれない。

だが逆に、今までは、何故厚紙だったの?という疑問が湧く。想像だが、頁の途中に「しおり」を挿んだ時、薄いと、それがどこだか分からなくなるから、というのが理由だったのではないか。

でも、それは「しおり」の端を、挿んだ頁より少し上にずらしておけば問題ないのだから、僕は絶対に「薄紙しおり」に賛成する。

神童予測。多分、今後はどこの出版社も「薄紙しおり」になって行くだろう。出版社にとって、経費削減と顧客満足度アップの一石二鳥なのだから。そうならない方がおかしい。

本日は、小さな小さな「日本経済論」でした。

9月 19, 2009   No Comments

車内の小さな事件

僕は東京校外から新宿まで電車で通勤している。昨年の11月1日からだからかれこれ10ヶ月近くになる。それまでは8年間、自宅から歩いて8分の会社に通勤していたから、不慣れなせいもあって、40分立ち放なしのことも多く、最初は電車通勤に結構疲れた。

でも、会社の配慮で出勤時間を10時にして貰ってるから、ラッシュは避けられるのでまだ良いのだと思う。そのうち自分の乗り込む駅のホームで乗車位置などを変えているうちに、車両の混み具合が全く違うことに気付き、最初から座れる確率の高い場所が分かって来た。

今日も、乗車した時から席が空いていて座って新宿まで来ることが出来たのだが、ちょっとした事件が起きた。

その車両は自分達が腰掛けたら空き席は無くなった。その次の駅からは俄然立つ人が増えて行った。僕は車両の中央辺りに座っていた。乗って15分程で、ある主要駅に近付いた。僕の左の人が立ち上がり、その前に立っていた人が座った。他の立ち客達(数人)は偶然、全員が出口付近に移動して行く。僕の右に座っている若い女性の前に立つ60歳過ぎと思しき男性を除いて。

その時、向かいの席の前に立ってつり革に掴まっていた中年の女性(と言っても40歳代か)が、自分の前の席は誰も立たないので後ろを振り返ってこちら側の様子を伺った。電車が止まる寸前に、僕の右側の女性が立ち上がった。中年の女性は何の躊躇も無く立ち上がった女性とその前に立っていた男性の間からスルッと抜けて僕の右隣にドスンと腰掛けてしまった。

その前に立っていた男性は、当然、自分が座ろうと思った一瞬の隙を突いて席を奪われてしまった格好だ。取られてしまったのが悔しくて言ったんじゃないと思う。一言の断わりも無しに横入りし座って平然としているそのマナーに腹が立ったんだろうと思う。

「オイ、そこは俺の席だ!」
オバサンは何も答えない。
「立ちなさい!」
やはりオバサン、何も言わない。
「いい大人が、マナーが悪過ぎるぞ!」
オバサン、遂に言葉を発した。
「*+>&$%#“**<&&=~+#$%&{+*+!」
言葉のトーンからモンゴル系かベトナム系。

その男性も驚いたようだ。言葉の通じない外国人だとは思いもしなかったから、僕と目が合って「参ったなぁ」と言うしかなかった。僕も驚いたよ。どう見たって日本の中年のオバサンだもの。逆に言えばこういう手もあるってことだな。

9月 17, 2009   No Comments

売り込み

珍しく家にいたら、電話が掛かって来た。家の電話はカミサンが出ることになっているのだが、カミサンが外出中なので、仕方なく僕が受話器を取った。

「もしもし、神童さんのお宅ですか?」
「はい、そうですが」
「私、神童さんと同じ高校の後輩で××という者です。随分前に先輩とお電話でお話しさせて貰ったことがあるのですが、覚えていらっしゃいますか?」

60歳過ぎて、徐々に記憶力に自信をなくして来ている身、もしかしてそんなことがあったのかも知れない。

「いや、申し訳ないけど覚えていないなぁ」
「そうですか。あのあと急に九州の方に転勤になっちゃって、その節は挨拶も出来なくて申し訳なく思っていました。今月初めにまた東京に戻って来ましたので、早速お電話させて貰った次第です」

ここまで来れば如何な何でも、何かの売込みだって分かる。

「ふ~ん。それはご丁寧に。九州は何年いたんですか?」
「はい、4年間でした」
「そうですか、随分気にしてくれてた割りには4年間一度も電話くれませんでしたねぇ」
「スイマセン。田舎であちこち仕事に飛び回っていたもので・・・」
「ところで、4年前はどの電話に掛けて貰ったんですかねぇ」
「自分の住所録に書いてあるこの同じ番号でしたが・・・???」
「それはおかしいですね。一年前引っ越した時に電話番号が変わってるんですがねぇ」
「ガチャ」
慌てて相手が電話を切った。本当は電話番号は変わっていない。

あとでこのことをカミサンに話したら、売り込みの電話はしょっちゅうらしい。

電話による売り込みで思い出した。まだ僕が係長の頃、同じ部署の後輩が会社で自分に掛かって来た電話に出たら、サラリーマン講座のような教材の売り込みだった。相手は、オバサンらしかったので、目上の人に対してそれなりの受け答えをしていた。

だが、丸っきり教材に関心のない彼は、
「折角のお話ですが、そういうのを買っても、多分自分は積んどくだけになるので結構です」
と断わった。そしたらそのオバサン逆切れしてこう捨て台詞を言って電話を切った。
「だから、あなたは出世しないのよ!ガチャ」

確かに彼は第一選抜からは漏れていたからカチンと来たが、一方的に電話を切られちゃ怒りのやり場も無い。受話器を叩きつけるように戻すことしか出来なかった、らしい。

9月 16, 2009   No Comments

お寺でライブ

一昨日の日曜日の夜、八王子の龍谷寺という曹洞宗のお寺で、「クーペ&Shifo」と一緒にライブをやって来た。

鎌倉の建長寺ライブは有名で、桑田佳祐も何度かライブをやっているし、ジャズのトップ・アーティストも大勢そのお寺で演奏しているようだ。だから、最早お寺でライブとか古民家でライブとかは珍しくないのかも知れないが、僕にとってはやるのも見るのも初体験だ。

最初はお寺の本堂みたいな場所でやるのかなぁ、とか、葬儀参列者が精進料理を食べるお清めの場所となる食堂のような所かなとか、いろいろ想像しながら現地に着いた。確かに、お墓も沢山あるし、大きな仏像も立っているからお寺のようだけど、建物内はとてもお寺とは思えないモダンな感じだった。

まず住職に案内されたのは多目的ホールだった。椅子席で50~60人程度が座れる小振りのホールだが、グランド・ピアノは置いてあるし、ステージはあるし、おまけにステージ中央にはお賽銭箱が鎮座ましますのが笑えた。壁はコンクリート打ちっぱなしのイメージを壊さないように音響にも配慮しているのが分かる本格的なホールなのだ。

僕達おじさんバンドのメンバーは、ここでライブをやるのだろうと思い、楽器類を全部この部屋に運び終わったところで、クーペが何か言ってる。「このホールじゃないのよ。おじさんバンドは中庭でやって貰うので、そっちに運んでよ」。「???」。本堂と思われる正面入口から靴を脱いで上がると、目の前は立派な大きな和室だ。その廊下の外が中庭になっていた。庭に近付いて見ると、中庭の四方が廊下で囲まれていて、更に廊下の外側は和室や事務室が囲んでいる構造になっていた。

中庭も真ん中にオブジェがあり、玉砂利が敷き詰められている。その玉砂利が竜安寺の庭園のように綺麗に波の模様に設えられている。

「神童さん、あの辺にドラムをセットして」と、クーペ自ら中庭に降り、サンダルごと思いっ切り玉砂利を踏ん付けて歩いて行く。おいおい、庭園をめちゃくちゃにしていいの?だが、住職が来て「延長コード用意しましょうか?」なんて楽器用の電源を心配してくれる。中庭に降りて演奏することは住職も承知しているようだ。

僕も庭に下りてみた。へ~、ここで演奏するのか。お客さんは和室で座って聴くのだろう。この雰囲気、どう見てもお寺ライブのイメージじゃないね。モダンな料亭かホテルの中庭ライブと言った方が近い雰囲気だよ。

ライブ一部は、ホールでShifoのピアノにフルートが入ってのShifo弾き語り。6時に始まった。クーペも一曲歌った。最後にクーペが僕をステージに呼ぶので、何か歌えと言うのかと思ったら(そんな訳ないか)、挨拶せよと言う。何も用意していなかったから何をしゃべったか覚えていない。歌の用意はバッチリだったのに(嘘)。

二部はいよいよ中庭ライブ。僕等の出番だ。20分の休憩中にお客さんはホールから和室に移動した。月桃蕎麦という沖縄蕎麦を食べながら、お酒を飲みながら、僕等の演奏を聴いて貰うという趣向だ。

夜7時。さっきセッティングしてた時と違い、空は真っ暗だ。ほんのり灯った竹明かりと、中庭を照らす建物備え付けの照明で、僕等が映し出され、和室側の電気が消されて演奏が始まった。

何か神秘的だし、季節も丁度良くてとても気持ちが良い。「鈴懸の径」を皮切りに、「マイアミ・ビーチ・ルンバ」「メモリーズ・オブ・ユー」「ルート66」「月光値千金」の5曲を(Shifo抜きで)おじさんバンドだけでやった。僕も、気持ちが良い分ノリノリでドラムを叩いた。

Shifoとフルートのマキさんが参加し、「枯葉」、Shifoのボーカルで「お祭りマンボ」(マンボなのにスウィングで)、更にクーペが登場して「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」「聖者の行進」、そして、アンコール曲に「雨を見たかい」の全10曲を演奏し切った。

お寺さんのご利益(ごりやく)があったのか、僕もノーミスで、ドラムが走るいつもの悪い癖も引っ込んでくれていて、楽しかった。演奏が終ってこんなに気持ち良く満足感一杯のライブは、もしかしたら初めてだったかも知れない。

終わってから和室に上がって頂いたビールと月桃蕎麦が旨かったこと。極楽極楽。住職が、「この中庭で演奏して貰ったのは今回が初めてだったけど、とても良かったですよ。来年の春頃またここでやって下さい」って言ってくれた。「もう2度とやらないでくれ」という顔はしていなかったから、満更お世辞でもなさそうだ。

クーペも言った。「何故かおじさん達、上手く聞こえたよ」。これ、クーペの最高の褒め方。だけどこちらは、顔に「場所が良かったせいだね」と書いてあった・・・。

9月 16, 2009   No Comments