プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 10月 2009

僕のビートルズが結婚する

サムへ

(サムったって、男じゃないよ。ジョン・レノンを歌う時の笑顔がとっても可愛い女の子。女の子ったって若くないよ。アラフォーだもん。多分。・・・もう一度仕切り直し)

サムへ

ご結婚おめでとう。

でもさぁ、Zooジョンとジョン子(サムの別名)が結婚するって、何か出来過ぎだなぁ?ジョン・レノン同士だものねぇ。しかし、羨ましいほどのカップルだね。優しくて歌に人間性が出る、いいおっさんのZooジョンと、明るくて「若くて」可愛いサム。

Zooジョンはとってもいい奴なんだ。確かデザイン会社の社長だったかなぁ。バンド・メンバーに対してもそうだけど、ファンに対してもさり気なく気配り出来る人なんだ。

それにジョン・レノンの歌でもギターでも彼にやらせたら、右に出る者いないね。ジョン本人より僕のレノンは凄いんだから。

僕より2つ3つ若いだけだから、おう、アラ還か!ということは20歳も年下の女の子と結婚するって訳だ!2人共、もう20歳若かったら殆ど犯罪だったな、勿論、Zooジョンの。大ブーイングだったよ、きっと。でも、今ならみんな心から祝福するね。良かったねZooジョン。

ジョン・レノンは偉大だな。死んで何十年にもなるのに、いまだに、こうして2人を結婚に導いちゃうんだから。もしも、ジョン・レノンがビートルズを結成してなければ、もしも、ジョン・レノンが音楽をやっていなければ、もしも、ジョン・レノンがこの世に存在しなければ、この2人が結ばれることもなかったろうからね。

サム!今年は凄い年になったね。リパプールに行ってキャバーン・クラブに出演したりNHKテレビに出演したり。その上最愛の人と結婚しちゃって。

それにしても、俺は鈍感だった。2人のこと全く分からなかっただけじゃなく、Zooジョンが独身だったことすら全く知らなかった。

お幸せにね!だけど、アップルビーツ、絶対やめないでよ!たまにしかやらないライブ、とっても楽しみにしてるんだから。

結婚パーティー、ポッツもワニドラもジョージも一緒に盛り上がるんだろうな。僕もサムに声を掛けて貰ってとっても光栄だった。

だけど、その日、カミサンと旅行の最中でサ。東京にいません。僕の気持ちは絶対に、旅行の方をキャンセルしてそちらに伺いたいのですが、言い出す勇気がないのよ。折角呼んで貰ったのに行けなくて、ホントにどうもスイマセン。

メンバーのみんなに宜しくね、サム。
QPより

10月 27, 2009   3 Comments

ライブ三昧の週末(4)-完-

1時間くらいの演奏時間だろうと思って来ているから、15分には驚いた。会場への機材運び込みとセットアップで30分は掛かっているのに演奏は15分。ウ~ン。

多くて5曲だなと思った。その点はクーペもShifoも同じことを思ったらしく、やはり5曲で終えた。

①「素晴らしき世界」(歌クーペ)
②「カモナ・マイ・ハウス」(歌shifo)
③「枯葉」(歌Shifo)
④「あなたに思い出あげれなかった」(歌Shifo)
⑤「スタンド・バイ・ミー」(歌クーペ)

折角、「お祭りマンボ」用に、リスクを犯してバスタムを運び込んだのに、「お祭りマンボはやれなかった。15分じゃしょうがないね。

終った時、X氏がわざわざステージにやって来て、「クーペ&Shifo」に「ありがとう」と言いながら握手を求めていた。そして、僕とも握手してくれて「クーペを宜しくお願いしますね」と仰る。クーペとは血肉を分けた兄弟みたいな付き合いだったんだろうなと、その時思った。

そこには笑顔が優しく、至って腰の低いX氏の姿があった。周囲は直ぐにも切れ易いお兄さん達が大勢いるが、右のつばさの巨頭ともなると風格が全く違う。

「いえ、こちらこそ、いつもクーペさんにはお世話になっているんですよ」。

僕達は楽器はそのままにして、円卓に戻って、中華料理を頂いた。50分ほど経ってしまったフカひれスープは、残念ながら冷たく固まってしまったが、材料と味はとても良いことが分かる。温かかったら本当に美味しかったんだろうな。

回転テーブルの上には沢山の皿が並んでいた。僕は片っ端から平らげて行った。ステージ上では芸人がしゃべっている。隣の純次さんに聞いたら、1人は「島田洋八」(がばいばあちゃんの著者、島田洋七の漫才コンビ相方)、もう1人は「桜木健一」(柔道一直線)だと言う。そう言えばどこかで見た記憶が。

その後は、カラオケ大会になり、スタートから約3時間後、中締めの三本締めでお開きとなった。

スピーカーやドラム、キーボード、ウッドベースなど、重い物を一生懸命運んで車に詰め込み、汗だくになってクーペの店まで戻った。そこでまた、沢山の荷物を降ろし、明日から直ぐにライブバーとして稼動出来るように、店の中に全てをセッティングし直した。

それが全て終ったのは夜の10時半。この日の午後、店に集まって機材を車に積み込み始めたのが3時だったから、15分の演奏のために7時間半掛けたことになる。会社と違って音楽の世界は、決して「効率」なんて問題にしちゃぁ、いけないんだよ。きっと。

ドラムその他の機材の解体・車への運び込み・組み立て準備を都合2回行ったのだ。還暦過ぎの労働にしちゃぁ、ちとキツイ。足がガクガクする。肩で息する。あぁ、くたびれた。

少し腹も減った。そうだ、引き出物は赤飯かシュウマイだったな。紙袋の中に、折り詰大のものが綺麗な紙に包まれて入っている。

開けてみた。なに~ぃ!?文庫本が2冊。X氏の2代前の、大日本××会の初代会長を取上げたノンフィクション小説の上下だった。これじゃ喰えねーよー!!!

ライブ三昧の週末-完-

10月 24, 2009   No Comments

ライブ三昧の週末(3)

「それでは、皆様、暫しご歓談の時間とさせて頂きます」

係りの人達が一斉に飲み物と料理を運び始めた。暫くして司会者が再びマイク越しに言う。

「業務連絡、業務連絡。『クーペ&Shifo』のバンドの方々は準備の方、宜しくお願い致します」

飲み物も、中華料理も続々運ばれて来たのに、席を立たなくちゃいけない。仕方ない、演奏が終ってから、思いっ切り食べさせて貰うとしよう。

僕等は控え室に楽器を取りに戻り、会場の舞台との間を何往復かして、セットアップを急いだ。ドラムはスネア・ハット・シンバルの3点だけにしようと思っていたら、クーペが「『お祭りマンボ』の時、フロアタムが必要だからそれも持って行ってよ」という。

あの怖そうなおじさん達で混雑する中を、バス・ドラムの次に大きい太鼓を運びたくはないなぁ。
「どうしても要る?」
「そりゃ要るよ~」
「ホントに?」
「ホントに!」
分かったよ。「スイマセン」とか言いながら、何とか混雑の中を運んだ。皆さん思ったより紳士で、「あっ、どうぞ」と道を空けてくれた。

運びこむ物は、キーボード、ドラムセット、ウッド・ベース、ギター、フルート譜面台、マイクとスタンド、スピーカー2台、音響操作卓、その他備品、と5人で演奏するにしては、ほぼフル装備に近い。運び込んでスタンバイ・OKになるまで30分を要した。

司会者がその間、2度、「もう始めていいですか?」と僕に聞いた程だから、僕らの後も出し物が目白押しのようだ。

それでも何とか急いで準備を終えたところで、司会者からShifoに、演奏時間は15分と告げられた。また、その前に、X氏への還暦祝いのプレゼント贈呈式を執り行うから、演奏者は楽器の後ろにスタンバイしていて欲しいとのことだった。

「え~、それでは、これより、Xさんへ還暦祝いの贈呈式を執り行いたいと存じます」。

招待客全員が注目する中、まずは、X氏の実のお姉さんから赤に近いエンジ色の長いマフラーがプレゼントされた。続いて、X氏率いる右のつばさ会からとして、高級ジャケットの贈呈に移った。

スキンヘッドの若い衆代表者がカバーに覆われたジャケットを持って、ステージに向かって左手より登場。僕のドラムはステージの直ぐ左にセットしたから、彼は僕の前を通過して、舞台中央のX氏にジャケットを渡すものとばっかり思っていた。

ところが、僕の前に来た時、僕の方に体を向けて、深々と一礼するのである。「何で、俺に?」。僕の隣にShifoがいるから、僕じゃなくてShifoに一礼したのかなぁ?こんなこと慣れていないから面映いことこの上ない。

それにしても、これからだよ、演奏するのは。その前に、あんなに丁重に感謝されちゃうと寧ろこっちが緊張しちゃうよ。X氏の若い衆への教えは凄いなぁ。

長めの一礼の後、彼は頭を上げ、再びステージ中央のX氏の方に歩み寄って、カバーの中からこれまたエンジ色の見事なジャケットを取り出し、X氏に着させたのだった。会場は割れんばかりの拍手の渦。

僕はふと後ろを振り返った。大きな日章旗が壁一面に飾られていたのだ。彼は、僕でもなく、Shifoでもなく、日の丸に拝礼したのだった。なぁんだ!

(つづく)

10月 23, 2009   No Comments

ライブ三昧の週末(2)

翌日の日曜日は、今度は原宿の「南国酒家」という中華料理店の中のホールでライブをやることになっていた。「クーペ&Shifo」がとある会合で演奏を頼まれたのである。

その会合というのが、実は、右のつばさ(翼)系の大物会長X氏の還暦祝いのパーティーなのだ。クーペとは30年来の友人関係らしい(クーペの方が1歳上)が、不遇時代にクーペがいろいろと助けて貰った人だと言う。

「クーペ&Shifo」の主催コンサートは勿論、彼等が営業で(招かれて)ライブをやる時もおじさんバンドは都合の付く人は必ず参加することになっている。おじさんバンドメンバーはみんな仕事を持っているので、平日は難しい人が多いのだが、土日はなるべく参加しようと努める。

しかし、この日は日曜日なのに、何故か参加者は僕とベースの純次さんの2人だけ。右のつばさの会合だからか、辞退者が多い。何だよ~、みんな。何ビビッてるの?原宿でライブなんて初めてでしょう?右のつばさの会合への参加なんて、めったに出来ない貴重な体験だよ。

Shifoは、おじさんバンドの参加が少なかったからか、フルートの女性とギターのセミプロ(普段は豆腐屋さん)にも頼んだ。

当日、現地に着いてまずは会場に向かった。受付の周囲には、黒系のスーツにスキンヘッド。そういうのが何人もいる。彼等を束ねる幹部の人だろうか、40歳前と思われる、えらく恰幅の良い人もいた。何か、張り詰めた空気を感じる。

事前に会場は広いと聞いていた。確かに広かった。10人用中華丸テーブルが20はある。だが、舞台はえらく狭い。舞台と言っても備え付けの舞台がある訳ではない。挨拶や表彰が出来る程度の大きさの特設ステージだ。

クーペと話して、ドラム(僕)とベース(純次さん)はステージに乗らないでその外側両サイドでやることにした。ステージ上は前列に「クーペ&Shifo」(Shifoの前にキーボード)とフルート、後列にギターという配置にすることにした。

但し、第一部はセレモニーだから、楽器のセットアップは、それが終わって歓談に入ってからという要請だった。だが、問題がある。円卓が最大限の数並べられたせいか、椅子と椅子の間が狭いのだ。怖そうなお客さんの間を、大きな楽器を運ぶ勇気はとてもない。ドラムセットはバスドラ無しで、スネア・ハット・シンバルの3点セットだけでやることにした。こんなの初めて。

僕等は歓談が始まってから会場に入れば良いのかと思っていたら、僕等バンド・メンバーの席もちゃんと用意されていた。第一部のセレモニーから参加しなければいけないことになった。右のつばさ会の一員にされてしまったようで、どうも按配悪い。

主催者側代表幹事の××隊長からの趣旨説明あり、同業の他団体代表からの挨拶あり、X氏への賛辞あり(X氏がいち早く、韓国が対馬の領有権を言い出したことに対抗して、対馬防衛隊を組織したことへの謝意と賛辞)。

それで分かったのだが、X氏は、街宣車に書かれたよく見掛ける名前の団体の会長であり、且つ、同業の連合体の中枢も務める正真正銘の大物だと言うことが分かった。金融機関で言えば協会の理事長に当るポストだ。道理で、あまり目を合わせたくない貫禄ある年寄りの数も多い。

そして、X氏からの答礼挨拶。最後に、全員起立で万歳三唱。この万歳三唱は言うまでもなく「天皇陛下万歳!」だった。

(つづく)

10月 22, 2009   No Comments

禁煙(5)―完―

「神童さん、今日さ、うちの店でね、新年会やるのよ。神童さんにも是非来て欲しいんだよね」
と、クーペが電話口で言う。1月5日の夕方、新年初出勤日、禁煙初日なのだ。

「えぇ!急に言われてもな」
「夜、何にも予定ないんでしょう?」
何で分かるんだ。俺だって忙しいんだ。今日は暇だけど。
「まぁ、予定は特にないけどさ」
「じゃぁ来てよ。予定に入れておくからね」
「いやー、悪いけど、今日は気が進まないのよ」
「珍しいじゃん、神童さんがそう言うの。悩みでもあんの?」
「ないよ、そんなの・・・」
「ハッキリしない人だな。来てくれるってことでいいよね?」
「いや、止めとく。今日から禁煙したんでね。酒の席は避けたいんだ」
「酒(サケ)は避け(サケ)たい、なんて、下手洒落やめてくんない?禁煙なんてサ、意思の問題だよ」

こともあろうに、クーペに「意志の問題」なんて言われてしまった。そうまで言われたんじゃぁ、行ってやろうじゃないの。そして、酒飲んでもタバコ吸わないとこ見せて上げようじゃないの。

ということで、その夜の新年会に駆け付けた。禁煙初日にいきなり三つ目の関所。お酒とタバコの切っても切れぬ関係の断絶が試される。実はこの関門が僕にとっては一番ハードなのだ。店の中は「クーペ&Shifo」はもとより、おじさんバンドの何人かとコーラス隊からも数名来ていた。常連さんもいた。

結構盛り上がった。僕もかなり酔いが回った。「タバコ、タバコ」とヨッ君のタバコの箱に手を伸ばした。中から1本取り出した。口に咥えた。吸い込んだ。「うん、旨い」。但し、火は着けていない。何とか堪えた。

それから3年半以上経つが未だに耐えている。禁煙出来た最大の理由は、クーペに「禁煙なんて意志の問題だよ」って言われたことだ。そう、何度となく禁煙して今もって吸ってるクーペに言われたんだから。意地でも、ってなるよね。

こうして、たった1日で三つの関門を全てクリア出来たんだから自信になった。そういう意味でクーペには心から感謝している。

それにしても、禁煙初日のあの日はかなり酔ったな。何故簡単に酔ったのか?それは従来だとタバコを吸っていた筈の時間も飲んでたから。ピッチがいつもの倍になってたのだ。悪酔いして翌日、このことが分かった。

ついでに言うと、1ヵ月後、食事が旨くなって、あっという間に数キロ太った。ホッと一息つく時のタバコがないからストレスが溜まる。悪酔いと合わせてこの3点が「禁煙が身体に良くない3要素」だ。だから、禁煙は無理にはお勧めしない。

10月 21, 2009   No Comments

ライブ三昧の週末(1)

先週末は、土曜日と日曜日、夫々違う場所で全く異なる趣き、全く異なるメンバーでライブ参加して来た。

まずは土曜日。十数年前、僕が仙台に単身赴任していた時、学生時代のハワイアンバンド、カウラナ・アイランダースのメンバーで経済学部同期のS君の紹介で、ちょくちょく顔を出すようになったライブ・ハウスがある。

そこのママ兼シンガーのkeiさんが、2年前、結婚して東京は八王子に住むようになった。そのkeiさんが、今もステージで歌い、自分でライブを主催したりしている。

土曜日はそのkeiさん主催のライブが、南青山(表参道)の「Jazz bird」という、とてもおしゃれなライブハウスで行われた。彼女のライブの時は、仙台時代の繋がりで必ず僕に声が掛かる(観客動員対象者として)。50~60人の席は満席だった。

これまでは、いつも僕のお茶のみ友達と2人で伺うのだが、今回はそこに、学生時代同じバンドでサックスを吹いていたAが加わり、一緒に3人組みで参加した。Aの実家は仙台だったから、僕が彼に教えてやって、実家に帰った時一度keiさんのお店に寄っているので、Aもkeiさんをまんざら知らない訳ではない。

そのAが当日出席することをkeiさんに伝えたら、是非、サックスで演奏に参加するよう要請され、Aがkeiさんのバンドに加わったのだ。先月、Aが自分の退職記念ライブを成功させていたから、ステップアップには持って来いの舞台だと僕は思った。

最初は躊躇していたAだったが、最終的にOKを出した。当日、現地に行ってみると、Aはかなり前に来ていて、プロのジャズメン達と音合わせを終えていた。

いつものようにkeiさんの歌う「オール・オブ・ミー」でライブが始まった。一部の終わりの方で、いきなり僕が呼ばれた。いつも飛び入りで僕は一曲ドラムを叩かされるのだ。が、今日はAと一緒に演奏するものとばかり思っていた。だが呼ばれたのは僕一人。「あれ!」。まっ、いいか。

keiさんの歌のバックを2曲やった。「素敵な貴方」と「サニーサイド・オブ・ストリート」。4バースのドラムソロ入りだから緊張する。4小節が少しずれたが許して貰おう。そのあとはkeiさんが1~2曲歌って一部終了。

2部は2曲目に今度は僕の隣に座っていたSさんに声が掛かった。彼も仙台の店でよく顔を合わせていた人で、ロックのドラムしか知らなかった僕に、ジャズ・ドラムの手本を示してくれた人だ。今は当時と同じ勤め先で社長をしている。

久し振りにSさんのジャズ・ドラムを聞いた。忙しい社長業でドラムを叩くことなど普段はあり得ないと言う言葉とは裏腹に、物凄く上手い。脱帽。Sさんが社長を降りた時は、クーペに言って、おじさんバンドで僕の代わりにドラムやって貰おう。

さて、いよいよ、Aの出番だ。曲は「枯葉」。最初のサックス・ソロこそ硬かったが、リズムが入ってからはAのサックスがいい音色で歌う。この1ヶ月間で更に上手くなったように感じる。

2曲目、「ミスティー」。スタートから彼のむせび泣くようなサックスは、正に秀逸。これはAの18番にすべきだと思った。

四日市で食品会社の社長を4年間やって退職。千葉の実家に戻るに当って、家を新築し直し、二重壁の防音室を作ってそこで毎日練習しているだけのことはある。上達スピードが頗る速い。

それでもAは、謙遜ではなく、まだまだ駆け出しのレベルだと言う。彼の先生であるプロのジャズ・ピアニストからは厳しい注文が次々につくらしいのだ。それをクリアーするのに四苦八苦しているとのことだ。

僕も僕なりに姿勢を正してもう一度頑張ろう。SさんにもAにも、大きな大きな刺激を受けたライブであった。keiさんありがとう。

ところで、keiさんがAと僕を一緒に演奏させなかった理由、分かりますか?

南青山で、飲み放題で料理もふんだんに出たから妥当ではあるものの、ライブのチケット代7,000円は決して安くはないのです。keiさんは来てくれたお客様の前で、2人も素人を登場させて失敗したら大変というリスクを感じて、分散したんだと思いますが、違いますかねぇ?

10月 21, 2009   No Comments

禁煙(4)

1月5日、出社したら、禁煙を誓い合った4人のうち、2人は冬休み期間中1本も吸っていないと言う。もう1人は、完全禁煙は出来ていないが、それでも1日数十本だったのが、数本に減っていると言う。

「神童さんは?」
僕が3人に聞いたのだから、最後にこういう質問が来るのは至って当然だ。
「うーん。いろいろ事情があって、俺は今日から禁煙しようと思ってるんだ」
「それって、正月休みに禁煙出来なかったってことですよねぇ?」
「いや、完全に禁煙するのが難しかったということだよ」
「じゃぁ、1日何本くらいに減ったんですか?」
「そうね。2箱」
「全然減ってないじゃないですか!」
「今日から、1本も吸わない予定だからサ。許してよ」
「ホントですね?」
「誓うよ」

という訳で、本人の主体的決意も曖昧なまま、禁煙をスタートさせてしまった。禁煙宣言をした身には、今後様々な関所が待っているのは経験上良く分かっている、朝の禁煙宣言だから、まず最初の関所は昼飯後の一服だ。これは何とか堪えた。

第二の関所。それは仕事。午後、ある原稿を纏めなければならず、ワード文書作成に没頭。こういう時僕の場合、タバコ片手にパソコンに向かわないと、良いアイデアが出て来ないタイプなのだ。しかし、禁煙。ワープロが進まない。意識がパソコンに集中しない。

禁煙の一番辛いところは、勿論、吸いたいのを我慢するということなのだが、本当は「禁煙、禁煙」と自分に言い聞かせることで、反って「禁煙」の辛さを常に意識してしまうことなんだろうな。

それでも、朝みんなに大見得を切った身。午後も我慢出来た。会社で朝から夕方5時過ぎまで禁煙出来たのは凄いこと。この日は出社前、家で朝食後にしっかりタバコを吸ってたのに。家で禁煙するより何倍も難しい会社で(仕事中)1日タバコを吸わなかったのは神童君、君は偉い。

第二関門突破と思ったところに、会社にクーペから電話が掛かって来た。これが禁煙に向けた最後の第三関門となるのだが、果たしてクリア出来るのか・・・

10月 19, 2009   No Comments

禁煙(3)

3年前の12月、会社内は喫煙ルーム以外、全面禁煙となった。それまでは、事務室は当然禁煙となっていたが、応接ルームなど外部から客が来た場合、灰皿を用意しても良いことになっていた。だから、僕等ベテラン勢の喫煙者達は、必然的に、客も来ないのに応接室で仕事をするようになっていた。

それが、今般の決定は応接室を含めて、決められた場所(喫煙ルーム)以外、例外なく禁煙となったのだ。さあ大変だ。組織の実力者達に喫煙家が多いため、「そんな決定に従えるか!」と、決定無視を決め込み相変わらず応接室で吸っている者も多かった。

それが、ある会議で問題になった。あるベテラン管理者Aに、30代の実力者、プロジェクト・リーダーのB君が噛み付いた。

「日頃の業務では、Aさんが我々社員に様々な指示を出して従わせるのに、そのAさんが、会社で決めたルールを堂々と破っておられるのは如何なものでしょうか」
「大体ね、喫煙所以外、全部禁止と言うのが行き過ぎなの。応接室のように隔離された部屋なら他の人に迷惑掛かんないんだから、そこで吸うのが何故いけないのかわからない」
「Aさんね、それはこっちが聞きたいですよ。会社の経営会議で決めたんでしょ?Aさんはそのメンバーなんでしょ?」
「だから、俺は賛成しなかった」
「Aさんが賛成かどうかなんて、関係ありません。経営会議で決めたことをそのメンバーが率先して違反してるのが問題なんです」
「・・・」
「上に立つ側の人は下に範を示す責任がある。そのAさんがそれでは、若い喫煙者にルールは守らなくていいよと言ってるようなものです。コンプライアンスって、決めたルールを守ることなんじゃないですか?」

このやり取り、どう見ても、B君に分がある。B君自身がタバコを吸うので彼の発言には説得力があった。Aさんも渋々「分かった」と言うしかなかった。

こういうことがあった後、僕等ベテラン喫煙組みは、これから正月に入るので、その間を旨く使ってみんなで禁煙に向けて努力しよう、となった。Aさん一人を悪者にしては可哀想だということでね。B君にああまで言われたんじゃ、ベテラン勢、スパッと禁煙して若手にカッコいいとこ見せなきゃ。

僕も正月休みに入った日から、禁煙を開始した。いや、しようとした。当時会社は12月30日の午前中までで仕事納めだった。その日の我が家の夕食は結構豪華になる。これは公務員だった父親のための恒例の行事だったのを踏襲したのだ。御用納めの日の夕食は一家揃って父親の一年のお勤めを慰労するささやかなパーティーなのだ。

当然、お酒を飲む。社会人になっていた娘にも息子にも飲ませる。どちらも飲める口ではないが、仕方なしに付き合う。カミサンは全く飲めないから無理は言わない。ちょっとでも飲ませて、僕が後片付けする羽目になることを恐れて。

気が付くと僕の右手にはタバコが!無意識のうちにタバコを吸ってる。お酒とタバコ、切っても切れない関係だね。どちらも旨い。「アッ、いけねー、禁煙するんだった。しょうがない。禁煙は明日からにしよう」。

我が家では翌大晦日の夜も、一年間家族が健康で過ごせたことを感謝する日だ。だから、また豪勢な夕食となる。「お酒とタバコは欠かせないね。禁煙は年明けと共に実行しよう」。

我が家では翌元旦も新年を祝うために、お屠蘇代わりに燗酒を頂く。で、タバコがなければ折角の燗酒が可哀想、となる。2日も3日も結局お酒がなくては話しにならない。即ち、タバコがなければ話にならない。

1月5日から会社なので、4日の日1日だけ禁煙しても意味ないよね。結局、正月は1日も禁煙せずに5日の朝会社に向かった。言っておくが、禁煙する気が無いのではなく、また、意志が弱いとかの問題では更々なくて、酒宴が重なる正月は禁煙するには向かない時期だったということ。

これが分かっただけでも大きな成果だと思う。何せお酒を飲むと、敵は無意識のうちに攻めて来るんだもの。だから、禁煙はGWにすることにした。

10月 17, 2009   No Comments

禁煙(2)

2回目は、会社の同僚(一年後輩)のSと一緒にやった禁煙。それは、2人が米国への50日間に亘る研修旅行を控えていたので、何かとタバコを吸ってると面倒臭いと聞いていたから、示し合わせて2人でやめたのだ。

禁煙して6ヶ月強が経った頃、2人はアメリカに飛んだ。最初の滞在地シカゴ。チューリッヒにある保険会社のアメリカ支社に2週間お世話になって、社内の全業務のレクチャーを受けた。日本人は僕等2人だけ、説明は勿論英語、こちとら2人は簡単な日常会話しか出来ない。

英語での難しいレクチャーは、頭の変なところが疲れる。目一杯の集中力が必要、それも長時間続けないといけない。説明の所々で「OK?」と聞かれるので、いつも「OK」じゃ失礼だから、質問もしなければならない。

2人の作戦は、どちらかと言えばヒヤリングの方が得意なSを聞き役に、その逆の僕は聞いたふりして、その間に次の質問の英文を考える係り。

講師は変だと思ったろうな。レクチャーの内容とは全く関係ない質問が返ってくるんだからね。

まぁ、こんな珍問答をやりながら、講義終了後は講師がその日の当番になって、レストランや、野球場や、遊園地など、シカゴの様々なスポットに連れ出してくれた。それ自体は嬉しく楽しい時間ではあったが、こういうオフの時間も、僕等はリラックスする訳には行かなかった。全部英語だからね。

そうこうしている内に2週間が経ち、僕等のために開いて貰った「フェアウェル・パーティー」で用意して来た感謝のメッセージを流暢にしゃべって(会話でなく暗記してきた英文をスラスラ話すのは得意だった)、初めて驚かれ、シカゴを飛び立った。

次の訪問地はテキサス州ダラス。ケネディー大統領が暗殺された場所。それもあって、先入観としては荒涼とした南部の町と思っていたが、さにあらず。全面ガラスに覆われ太陽にキラキラ輝く高層ビル群。兎に角建物が近代的。ついでに、街行く若い女性達がファッション誌からそのまま出て来たような、超美人がやたら多い大都市だった。

そのダラスに、会社の駐在員事務所があって、そこに1週間寄らせて貰い、ダラス市内の企業を訪問する予定だ。

それは兎も角、駐在員のKさんは、初日の夜早速僕等を自宅に招いてくれた。奥様の手料理を頂き、2週間振りの日本食に大満足。何よりも、ここダラスはKさんの家で日本語で過ごせたことが嬉しかった。そして、明日からの会社訪問もKさんが同行してくれるので、英語はKさんにお任せすれば良いのだから、何か一気に緊張感が解けてしまう。

その時だった。Kさんが僕等に聞く。
「あなた達、煙草はやるの?」
「いえ、只今禁煙中ですから」
Kさん立ち上がって、隣の部屋へ、そして何やら手にして戻った。
「昨年、あなた方の先輩のⅠさんとNさんが我が家に来られた時、日本からこれをお土産に2カートン持って来てくれたんだよね」
と言って、セブンスターを1箱ずつ僕とSの前に差し出したのだ。

「美味しいよね。日本のタバコは」
と言いながら、自らも1本取り出して火を着けた。
「ふ~、旨い!皆さんも遠慮なさらずにどうぞ、どうぞ。ダラスにいる時だけでもリラックスしたら良いと思いますよ。次の都市に行ったらまた禁煙すればいいんだから」
「じゃぁ、1本だけ」
僕とSは一緒にタバコに火を着けた。
「ふ~。旨い!ウ~ン、煙草ってこんなに旨かったですかねぇ」

Kさんからアメリカでの生活やダラスの町について、裏話含めていろいろな話を聞きながら、僕等は立て続けに吸い、あっと言う間に半年前に戻っていた。Kさんが言った。
「やっと去年の敵を討てた」
「え?どういう意味ですか?」
「あなた方の先輩が去年ここに来られるまで、実は私ね、1年間禁煙してたの。それがサ、このセブンスターなんぞを持って来てくれたもんだから・・・。吸わなきゃ悪いよね。やっと禁煙が成功したと思ってたのに、それがキッカケで復活しちゃったって訳よ」
「・・・」
「だから、あなた達に復讐したの。あぁ旨く行った。煙草も今日は特別旨い!」

10月 14, 2009   No Comments

禁煙(1)

今の新設保険会社に勤め始めて、12か月目に入った。この会社、男子は僕ともう1人を除いて他はタバコを吸う。みんなタバコ歴40年以上を誇る。その彼等に異変が生じた。中でもヘビー・スモーカーの4人のうち2人が9月下旬から禁煙をスタートさせたのだ。

禁煙している彼等が辛そうな表情をする時はあるが、頑張っている。一番辛いのは、4人は永遠のタバコ仲間だと思っていた残された2人の方だ。彼等は禁煙を意地でも付き合わない。禁煙悲喜こもごも。僕もヘビー・スモーカーとしては人後に落ちなかった。

18歳の大学一年の春、先輩がタバコを吸う姿が、「カッコいいなぁ」と思って真似した時から、3年半前にタバコをやめるまで、約40年間吸い続けた。正確に言うと、18歳の6月から59歳の正月明けまでの40年と7ヶ月間である。

吸い方はかなりのヘビー・スモーカーのようだった。学生時代から一日ハイライト2箱(40本)では足りないくらいだったし、会社に入ってSEをやるようになってからは、タバコの量が増えて、一日3箱(60本)ということも珍しくなくなった。

後で説明するが、途中2回禁煙しようと努力したことがあるので、トータル8ヶ月ほどは一本も吸っていない期間があるから、ネット喫煙期間は39年11ヶ月。

以上から、喫煙日数及び総喫煙本数の計算は下記のようになる。(勿論喫煙に土曜も日曜も休日もない。喫煙本数は、平均50本/日として)

●39年11ヶ月=365日×39ヶ月+335日=14,570日
●50本×14,570日=728,500本

まぁ、よく飽きもせず、70万本以上も吸い続けたもんだ。でも、百万本にはあと15年で到達したのかと思うと、少し残念かな(何でじゃ!)。40年間に1本4円から15円に値上がりしているが、現在価値で計算すれば、

●15円×728,500本=10,927,500円

1千万円だよ。慈善事業にでも寄付した方が余程世の為人の為になったなぁ。

大学一年生になって間もなく喫煙し始めたと言ったので、「18歳でタバコは違法だろう」という声が聞こえる。違うね、当時は18歳から許されてたんだよ、大学生は。社会的に大目に見られていたという意味でね。いや、勝手にそう思い込んでいただけだけど・・・。

最初に禁煙をしようと試みたのは、子供が生まれた時。赤ん坊に煙は毒だと、これまたヘビースモーカーの僕の父親に言われたのがキッカケ。30歳の時だ。それもそうだと辞めたのだが、1ヶ月目に友人が子供の誕生を祝って(口実に)飲み会を開いてくれた。

そういう席で禁煙を守るのは至難の業だった。1本貰って吸ったら、これがこの世のものとも思えないくらい美味しかった。何本か貰って吸ったが、最後にはその店で自分でタバコを買っていた。

10月 13, 2009   No Comments