蕁麻疹
僕は子供の時から蕁麻疹体質だった。最初になったのは小学校4年生の頃。友達と木登りなどで日が暮れるまで遊んで家に帰った。食事の前に風呂に入るよう母親から言われ、ゆったりと湯船に浸かって、さぁ出ようと立ち上がったら、体中が痒い。両腕も両足も、更におなかの辺りも赤くなっている。
風呂から上がって母親に見せたら、「こりゃ、かぶれだね。あらあら顔まで酷くなってる。かぶれるような木の側で遊んだんじゃないの?」と聞く。そう言われてもかぶれる木なんて知らない。「A君とB君と一緒に木登りして遊んだ」。
早速、母はA君B君の家に電話して聞いている。「やはりお宅もそうですか。それじゃあ、早速医者に連れて行きます」と言って電話を切った。「A君もB君もかぶれたって。一体何の木に登ったの?」「そんなの知らないよ。学校の隣の雑木林だから」「直ぐに医者に行くよ」「でもまだ夕ご飯食べてないけど」「それどころじゃないでしょ」。
という具合で、医者に連れて行かれた。既にA君が母親と一緒に来ていた。A君の顔もぶつぶつが沢山出来て酷い顔。電球に照らされてガラスに映る自分の顔も、とても自分じゃないみたいだ。
医者は薬を飲んで静かにしていれば1~2日で良くなると言ってくれた。体を温めない方が良いから風呂は避けた方が良いとも言う。見た目は酷いが軽症だと言う。ホッとした。お蔭で翌日は大手を振って学校を休める。医者でB君には会わなかったが、僕等よりも前に来たのかも知れない。
その年まで、木登りなんてそこら中でやったし、僕等の重要な遊びだったが、かぶれたことなんてなかった。あの時のかぶれた木はなんだったんだろう。
兎も角、かぶれの方は医者が言う通り、翌日夕方には跡形もなく消えていた。しかし、その翌年くらいから、僕の皮膚は異常を来たし、ちょっと、腕を何かにぶつけたり、すりむいたりすると、酷く腫れて痒くなるのだ。中学に入り、バレーボールの時間など、両手を閉じて強いボールを受けると直ぐに当たった箇所が腫れ上がり痒くなる。
小児性皮膚過敏症とか何とか言われた記憶があるが、要は、外から刺激に反応する症状なのだそうだ。だがそれも高校に入る頃には収まって、体が小児から青年に変わる時期なので、小児性皮膚過敏症からやっと開放されたと思った。
次に皮膚の異常を感じたのは25歳の頃。SEだったから徹夜も多く、時間も不規則。おまけに仕事から解放されれば寸暇を惜しんで飲み歩く生活。生活リズムの乱れ・疲労の蓄積・二日酔いなどが重なり、一番弱い所に出た。僕の場合、それは皮膚。
季節は初夏だった。昨日は背中、今日はお腹、明日は手足といった具合。蕁麻疹だなんて知らないから、最初のうちは一日もすれば収まるだろうと高を括っていた。だが来る日も来る日も、どこかに発疹が出来る。痒い。痒さが日増しに酷くなる。遂に病院へ。診断は蕁麻疹。
医者が言う。「よく何日も痒いのを我慢出来ましたね。注射一本で一日で直る場合も有れば、半年も続く場合もあります。まずは、暫く毎日通うつもりで」と、注射して貰い、薬を貰って帰った。それから随分通って、秋も深まる頃漸く直った。それ以降も蕁麻疹が出る時は6~7月頃で9~10月頃治る。
蕁麻疹初年度のその年、ミュンヘン・オリンピックが開催されていた。だから1972年だと分かる。それが僕と蕁麻疹の奇妙な付き合いの始まりだった。判で押したように4年おきに、オリンピックの年に蕁麻疹になるのだ。次のモントリオールの時も、以来2000年の高橋尚子が女子マラソンで始めて日本に優勝をもたらしたシドニー大会まで、正確にオリンピック・イヤーになると初夏に蕁麻疹の症状が出た。オリンピック選手でなくて良かった。
だが、2004年のアテネ大会の年には、蕁麻疹が出なかった。年齢も60歳に近付いて、遂に体質も蕁麻疹には適さなくなったかと思っていたら1年遅れで2005年に来た。今後は5年おきという意味か、段々間隔が長くなっていくのか、それともこれが最後の狂い咲きか。
その答えは最低でも4年待たないと分からない。今年の夏が4年目だった。蕁麻疹がやって来た。なんだ、前回だけたまたま間隔が5年だったけど、またしっかり4年置きに戻ったんだ。招かれざる客だけど、何かホッとする気持ちも少しはあったかな。何せ長い付き合いだから。今年は10月末まで行っちゃうな、今の調子だと。
JTが言うんだよ。
「神童さん、60過ぎたら蕁麻疹って言わないんだよ」
「え?何て言うの?」
「老人性アトピー」


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