プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 10 月 2009

あの頃僕等にはマドンナがいた(6)完

本当は僕の方が怒ってたのかも知れない。

ゲームにも歴史にも「もし」はないことを承知で言うと、もし、最初にYからK子とのキューピット役を頼まれて会ったのでなければ、もしかしたら、K子の相手はYでなく僕だったかも知れない。

何故なら、ナタリー・ウッドとスザンヌ・プレシェットを足して2で割ったような(言い過ぎですが)K子と初めて会った時の胸のトキメキは今でもハッキリ覚えている。彼女は間違いなく僕の心を乱した。が、しかし、どの道僕は他の大学の女子大生と付き合っていたから、K子と付き合うことにはならなかっただろうが。

Yのために自分はK子と親しくなってはいけないという意識が、僕をして、YのライバルのBやDのようにK子に対して積極的に行かせず、遠巻きにK子を見るようにさせていた。それを知ってか知らずか、そういう僕を、K子は好ましいと思っていたのかも知れないし、もっと僕と話してみたいと思っている(らしい)ことも分かっていた(思い過ごしかも知れないが。いや思い上がりだという誰かの声が聞こえる)。

Yが席を蹴るようにして去って行き、暫くしてやっと、自分の怒りの混じった、持て余し気味の感情の由来が判った。僕が自分のK子に対する気持ちを完全に抑え、Yのために最善を尽くしたのに、YがK子に対して命懸けでないことに腹を立てたのだということを。それであれ程Yにずばずば言ってしまったのだと分かった。

そのYと何年か振りで最近飲んだ時に彼が言った。

「この前な、大学のサークルのOB会があったんだ。OB会と言っても僕等が4年生の時の1年生までの集まりだったんだけど、そこで40年振りにK子と会ったよ」
「へぇ。40年振りとは凄いことだな。彼女元気だった?」
「うん、とても元気だったし、美貌は全然衰えていなんだよ。子供を3人産んで、もうアラ還(約60歳)なのに」
「そうかぁ。俺も会ってみたかったな。でも俺ESSじゃないしな」
「何年かおきにやってるんだけど、K子が出席するとなったら、今回男性陣が大勢参加したものねぇ。次回はお前も呼んでやるよ」
「いや、いいよ。今でもおれESSは苦手だから。それにしてもお前さぁ、昔プロポーズして振られた女に会うって、厭じゃないのか?」
「もう、昔のことだし、正直会うのが楽しみだったくらいだよ」
「フーン、そんなものかねぇ」
「怨讐の彼方、って言うけど、40年も経ってりゃ、寧ろ昔自分が見初めた人に会えるというのが嬉しいことだよ」
「そうか。だったら良かったねと言っとこう」
「それに彼女さぁ、俺にね、結婚ってタイミングと言うか、ホントに縁なんですねぇ、ってしみじみ言うのよ。あれは彼女なりの俺と過ごした青春時代の総括だったんだろうな」
40年振りに会った昔の彼氏に、他にどういう言い方があると言うのだ。でも、40年経った今は僕も大人だから、Yにそうは言わない。
「そうか。彼女の結婚生活も幸せだったみたいで良かったじゃないか。不幸せになった昔の彼女は見たくないものね」

大会社の取締役まで務めた奴なのに、Yの単純さはあの頃と全く変わっていない。しかし今では、そこがYの持ち味になっているし、好人物を印象付けるキャラクターとなっている。もう、何も言うまい。あの頃にはもう戻れないのだから。

あの頃僕等にはマドンナがいた-完-

10 月 9, 2009   No Comments

あの頃僕等にはマドンナがいた(5)

それから一年後、卒業を2ヵ月後に控えた頃、幾分やつれた表情のYを見掛けた。
「おう、どうした、元気ないね?」
「ちょっとここんとこ、落ち込んじゃっててね」
「またK子のことじゃないの?」
口から出任せに言ったら、大当たり。
「先週別れたんだ」
「え!!!」

軽く声を掛けたつもりが、ことの深刻さに簡単に別れるのも憚られ、Yを喫茶店に誘った。
「何があったんだよ。もう一年以上も仲良く付き合っていたと思ってたのに」
「やっぱり、彼女には俺なんか相応しい相手じゃなかったってことだと思う」
「高校の友達なんか、お前等2人のこと、本当に羨ましそうに言うよ」
「実はね、彼女は仙台出身だし、卒業後俺は多分大阪になると思うんだ」
Yの就職先は生保のリーディング・カンパニーに決っていた。
「そういう意味では、別れ別れになるので、俺、思い切ってプロポーズした」
「おう、そうか」
「俺は彼女、OKしてくれると思ってた」
「おう、そうか」
「だが、返事はノーだった」
「おう、そうか」
「今、結婚なんて全く考えられないんだってさ。まだ大学2年生だからって」
「おう、そうか」
「Yさんもこれから社会に出て、いろいろな人に出会うと、私なんかよりもっともっといい人が出来るかも知れない。だから、Yさんにとっても結婚はまだ早過ぎると思うの。私の気持ちを正直に言えば、Yさんは好きだけど、まだ結婚というのがピンと来ないの、だってさ」
「おう、そうか」
「おう、そうか、しか言えないのか、神童」
「他になんて言えばいいんだ」
「フーン、とか、それで、とかさぁ、言い様がいろいろあるだろが」
「それで?」
「やりにくいな。それで別れた」
「なんで?」
「3年後にもう一度プロポーズするって言おうと思ったけど、やめた。社会に出て3年、彼女も1年。それで気持ちが変わらなければ本物だと思ったんだよ。でもやめた」
「なんで?」
「もし気持ちが変わったら、3年間無意味に彼女を縛ることになっちゃうからね」
「なんで?」

「なんで、なんで?しか言わないのよ」
「お前が分かんないから、なんでって聞いてるんだ。お前ね、22歳にもなって、なんで高校生みたいなこと言ってるのよ。信じられないよ、全く」
「なんで?」
「今度はそっちが、なんで?かよ。お前の最大の欠陥は、強引さが抜け落ちてることだ。お前本当に彼女をものにしてるのか。キスくらいしかしてないだろう?」
「そんなこと関係ないだろう」
「大ありだよ。お前のプロポーズはね、断わられても美しく終わりに出来る程度に、気合の入っていないプロポーズなんだよ」
「・・・」
「K子、そんなお前の弱さに嫌気が差したんだな、きっと。元々お前の卒業を期に別れようと思ってたんだ。分かるよ、K子の気持ち」
「嘘だ!」

「断わられて、お前、なんで平気なの?3年間無駄に縛るかも知れないから別れただぁ?K子無しには生きられないなんて思ってもいないだろ。普通だったら、どんなことしても彼女にウンと言わせる方法を考えるよ。自分は大会社に就職決ってこの地を離れるけど、君はどうする?なんてプロポーズ、俺が女でもノー・サンキューだね」
「じゃぁ、どうすれば良かったって言うんだ」
「お前にとって就職と彼女とどっちが大事なんだ?」
「・・・、そりゃ、どっちもだよ」
「お前の問題はそこなんだよ。そりゃどっちも得られりゃいいよ。だけど今、どちらかの選択を迫られてるのに、お前はそれが分からない。いや、分かっていても真正面から受け止めようとしない。そこが問題なのさ。二者択一ならお前の答えは初めから就職なのよ」
「・・・」
「彼女を選ぶんだったら、幾ら大会社でも袖にして、仙台の会社に就職して彼女を選ぶ。卒業を待って結婚する。そんなシナリオを描くね。俺がお前なら」
「お前は俺じゃない!」
Yは怒りを前面に表して席を立った。感情と勘定を全部僕に押し付けて・・・

10 月 8, 2009   No Comments

「選ぶ」か「育てる」か

広岡達郎という昔プロ野球の名選手で後名監督となった男がいる。巨人で名ショートと言われ、阪神の吉田義男と並び称された当時(1950年代後半~60年代前半)セリーグを代表する遊撃手だった。彼は静かな風貌に似合わず、気性が激しい面があった。

現役時代には、国鉄戦で、広岡の打席のとき三塁にいた長嶋茂雄が独断でホームスチールを行い失敗。この時広岡はバットを叩きつけて「私のバッティングがそんなに信用できないのですか!」と川上監督に抗議して試合途中で球場を後にした。

その年のストーブリーグで、川上が広岡のトレード放出を画策したが、広岡が正力松太郎に「トレードされるなら巨人の広岡で終わらせてください」と引退を直訴した結果、正力の指示で残留が決定した。スポーツマスコミは挙って川上を非難。川上の仕打ちか広岡の体力の衰えか、翌年から出番が激減し、1966年のシーズン終了後に現役を引退した。

引退後はラジオやスポーツ紙などの評論家として活動し始めた。現役引退直後の翌年2月にメジャーリーグのキャンプの視察をするため渡米する。その足でフロリダ州ベロビーチで行われていた巨人軍のキャンプも訪れたが、川上監督は広岡による取材を許さなかった。

川上は選手に対して「広岡と口を利くな」と指示を出し、さらに広岡のドジャーズタウンへの宿泊も許可しなかった。広岡は川上の仕打ちに激怒し、文字通り殺意を抱くほどの激しい怒りを感じたと述懐している。

その後、ヤクルトの監督時代、西武の監督時代、ロッテのGM時代も悉くフロントや現場と対立して退団する。全く自説を曲げず妥協を知らぬ人であった。だが、万年Bクラスのヤクルトを優勝させたり、西武を日本一に導いたりと、その実績が彼の秀逸振りを証明している。

そんな信念の人、広岡が言っている。「アメリカ大リーグの監督は、層の厚い選手層(メジャー・3A・2A・ルーキーリーグと2軍3軍4軍がある)から、優秀な選手を選び引き上げて、ダメな選手は直ぐ下に落とすというやり方で、強い1軍を構成することが出来るが、日本は選手層が薄いから、そんな贅沢なマネージメントは不可能。選手を辛抱強く育てなければ強いチームなんて作れない」と。

けだし名言と言うべきだ。これは、何もプロ野球だけの世界の話じゃないだろう。世界中から人材が集まるアメリカと違って、日本では、会社を初めどんな活動組織でも、「選ぶより育てる」方が遥かに大切だと言えるのではないか。

10 月 6, 2009   No Comments

あの頃僕等にはマドンナがいた(4)

Yに、僕とK子とのやり取りの一部始終を伝え、一応3人で食事する方向で彼女は了解していると思うから、早速約束を取り付けるように言った。そして、僕はドタキャンすることも付け加えた。

「僕の方はバンド活動の予定が急に入ったとか何とか言ってさ、取り繕っておいてよ」
「そんな、人を騙すみたいなこと、良くないよ」
「お前な!俺はキューピットとしてだなぁ、最大のお膳立てをしようとしているのに、何だよ」
「でもさ、彼女は僕と2人だけじゃ厭だと思ってるんだよねぇ?」
「そうじゃないよ。いきなりお前と2人ってのが恥ずかしいだけだよ」
「そうかなぁ」
「お前って、本当に面倒臭い奴だなぁ。じゃぁ、K子とデートなんてもうやめちゃえよ!代わりに俺がデートするぞ!」
まんざらハッタリだけでもないんだ。
「わ、分かったよ。食事に誘ってみる」

その後Yから何も連絡がなかったから、きっと旨く行ったんだろうと想像していた。僕の方は、本当にバンド活動が忙しくなっていて、最早Yの恋の行方を心配するどころではなくなっていた。

あれから、2ヵ月後、大学のキャンパスで、いつもK子と一緒にESSグループ活動に参加していたH美にばったり会った。暫く立ち話をした。彼女の話だと、K子はYと付き合い始めたと言う。そして、H美が笑いながら打ち明けた。
「実はね、私も秘かにYさんが好きだったの。だから、Yさん主宰のESSのグループ活動には必ず参加してたんですけど・・・」と。
「やっぱりね。僕の第六感でもそうじゃないかなと思ってたよ。それにしてもYはもてもてだな」
「いえ、K子は最初からYさんじゃなかったんですよ・・・。世の中って旨く行かないものですね。」
H美の意味深な言葉に、じゃぁ、K子の最初のお目当ては誰だったの?と聞きたいところだったが、それ以上は聞かぬが花と思いH美と別れた。

ある時、Yが僕の下宿にやって来て、経過報告と称してK子とのことを伝えに来た。
「お蔭様で、K子とは頻繁にデートする仲になれたよ。神童にはホントに感謝している」
「ああ、そりゃ良かった。ライバルのBとかDとかがいたけど、もう、完全にケリが着いたと言うことだな?」
「そう思って貰っていいよ」
「やったね、Yよ。ところで2人はどこまで行ってるのさ?」
「それは、想像に任せるよ」
へぇ、あの堅物を絵に描いたようなYがねぇ、やるもんだ、とその時は思った。

10 月 5, 2009   No Comments

蕁麻疹

僕は子供の時から蕁麻疹体質だった。最初になったのは小学校4年生の頃。友達と木登りなどで日が暮れるまで遊んで家に帰った。食事の前に風呂に入るよう母親から言われ、ゆったりと湯船に浸かって、さぁ出ようと立ち上がったら、体中が痒い。両腕も両足も、更におなかの辺りも赤くなっている。

風呂から上がって母親に見せたら、「こりゃ、かぶれだね。あらあら顔まで酷くなってる。かぶれるような木の側で遊んだんじゃないの?」と聞く。そう言われてもかぶれる木なんて知らない。「A君とB君と一緒に木登りして遊んだ」。

早速、母はA君B君の家に電話して聞いている。「やはりお宅もそうですか。それじゃあ、早速医者に連れて行きます」と言って電話を切った。「A君もB君もかぶれたって。一体何の木に登ったの?」「そんなの知らないよ。学校の隣の雑木林だから」「直ぐに医者に行くよ」「でもまだ夕ご飯食べてないけど」「それどころじゃないでしょ」。

という具合で、医者に連れて行かれた。既にA君が母親と一緒に来ていた。A君の顔もぶつぶつが沢山出来て酷い顔。電球に照らされてガラスに映る自分の顔も、とても自分じゃないみたいだ。

医者は薬を飲んで静かにしていれば1~2日で良くなると言ってくれた。体を温めない方が良いから風呂は避けた方が良いとも言う。見た目は酷いが軽症だと言う。ホッとした。お蔭で翌日は大手を振って学校を休める。医者でB君には会わなかったが、僕等よりも前に来たのかも知れない。

その年まで、木登りなんてそこら中でやったし、僕等の重要な遊びだったが、かぶれたことなんてなかった。あの時のかぶれた木はなんだったんだろう。

兎も角、かぶれの方は医者が言う通り、翌日夕方には跡形もなく消えていた。しかし、その翌年くらいから、僕の皮膚は異常を来たし、ちょっと、腕を何かにぶつけたり、すりむいたりすると、酷く腫れて痒くなるのだ。中学に入り、バレーボールの時間など、両手を閉じて強いボールを受けると直ぐに当たった箇所が腫れ上がり痒くなる。

小児性皮膚過敏症とか何とか言われた記憶があるが、要は、外から刺激に反応する症状なのだそうだ。だがそれも高校に入る頃には収まって、体が小児から青年に変わる時期なので、小児性皮膚過敏症からやっと開放されたと思った。

次に皮膚の異常を感じたのは25歳の頃。SEだったから徹夜も多く、時間も不規則。おまけに仕事から解放されれば寸暇を惜しんで飲み歩く生活。生活リズムの乱れ・疲労の蓄積・二日酔いなどが重なり、一番弱い所に出た。僕の場合、それは皮膚。

季節は初夏だった。昨日は背中、今日はお腹、明日は手足といった具合。蕁麻疹だなんて知らないから、最初のうちは一日もすれば収まるだろうと高を括っていた。だが来る日も来る日も、どこかに発疹が出来る。痒い。痒さが日増しに酷くなる。遂に病院へ。診断は蕁麻疹。

医者が言う。「よく何日も痒いのを我慢出来ましたね。注射一本で一日で直る場合も有れば、半年も続く場合もあります。まずは、暫く毎日通うつもりで」と、注射して貰い、薬を貰って帰った。それから随分通って、秋も深まる頃漸く直った。それ以降も蕁麻疹が出る時は6~7月頃で9~10月頃治る。

蕁麻疹初年度のその年、ミュンヘン・オリンピックが開催されていた。だから1972年だと分かる。それが僕と蕁麻疹の奇妙な付き合いの始まりだった。判で押したように4年おきに、オリンピックの年に蕁麻疹になるのだ。次のモントリオールの時も、以来2000年の高橋尚子が女子マラソンで始めて日本に優勝をもたらしたシドニー大会まで、正確にオリンピック・イヤーになると初夏に蕁麻疹の症状が出た。オリンピック選手でなくて良かった。

だが、2004年のアテネ大会の年には、蕁麻疹が出なかった。年齢も60歳に近付いて、遂に体質も蕁麻疹には適さなくなったかと思っていたら1年遅れで2005年に来た。今後は5年おきという意味か、段々間隔が長くなっていくのか、それともこれが最後の狂い咲きか。

その答えは最低でも4年待たないと分からない。今年の夏が4年目だった。蕁麻疹がやって来た。なんだ、前回だけたまたま間隔が5年だったけど、またしっかり4年置きに戻ったんだ。招かれざる客だけど、何かホッとする気持ちも少しはあったかな。何せ長い付き合いだから。今年は10月末まで行っちゃうな、今の調子だと。

JTが言うんだよ。
「神童さん、60過ぎたら蕁麻疹って言わないんだよ」
「え?何て言うの?」
「老人性アトピー」

10 月 1, 2009   No Comments

あの頃僕等にはマドンナがいた(3)

学生だから時間は持て余すくらいに充分あったが、こんなグループ交際に3回も付き合わされると、流石に僕もバカらしくなった。次にYから誘われた時、僕は「もういい加減にしろ!」とYを詰った。が彼は「もう一回だけで良いから頼む」と言う。

「まどろっこしくて、もう見てらんないんだよ。ダメ元で好きなら好きって伝えりゃいいじゃないか。あんなこといつまで続けても何の進展もない」
「分かってる。だから、そろそろ勝負に出ようかと思ってたところだ」
「だったら、もうあんなグループ行動は不要じゃないか、2人で話せばいい」
「いや、これもけじめが必要だから、今度を最後にする。終了してから、サブ幹事をやってくれたK子を慰労する名目で食事に誘うよ」
「本当だな。じゃぁ、あと一回だけ参加するよ」

大学教養部の後ろの青葉山にある広大な植物園をハイキングすることになった。植物園は山の麓から斜面にそって広大な敷地に珍しい植物や樹木が生息しているのだが、晩秋の仙台は丁度紅葉の季節。見事な赤や黄色に染まった木々の中をハイキング・ロードが巡らされている。

例によって、僕はH美初めK子以外の女性と代わる代わる話をしながら、登って行った。植物園の青葉山中腹にある最上部のゴール地点は平らに開けている。そこで休憩。ベンチなども置いてある。僕が腰を下ろした隣りにK子も腰掛けた。

「紅葉が綺麗ですね。私、今の季節が一番好き。神童さんは?」
「本当に今が紅葉の見頃だよね。だけど俺は春が一番好きかな。春は俺達と同じ若さを感じるからねぇ」
「神童さん、この前初めて神童さんがバンドでドラム叩いている姿見ましたよ」
「え!どこで?」
「友達のサークルのダンス・パーティーに行った時です。神童さん素敵でしたよ。」
僕はドキッとした。
「そうだったんだ。声を掛けてくれれば良かったのに」
「とてもそんな勇気がなくて、遠くの方から見てました。でも憧れちゃうな。神童さん達に」
「いやー、ありがとう。下手な演奏をそう言って貰えると、喩えお世辞でも嬉しいよ」
「お世辞じゃないです。神童さんは私達と一緒の時とバンドの時と全く表情が違うんですね」
「どうちがうのかなぁ?」
「今日みたいな時は、優しいお兄さんって感じなんだけど、舞台の上では凛々しいと言うかカッコ良いんですよ。どちらも好きです」
「好き」と言う言葉に、何か胸がドキドキしちゃう。<Yよ、申し訳ない>
「・・・。お褒めに預かって光栄ですよ」
そういうのが精一杯。話題を変えなくちゃと思った。

「ところでK子さん。このグループ活動も今回が最後なんだってね。Yが言ってた」
「そうみたいです。残念ですぅ」
「YとK子さんが頑張ってくれたから、俺等何回も楽しい機会を持てた。ありがとうね」
「私なんか何もしてません。Yさんが全部リードしてくれたんです」
「2人の息がぴったりって感じで、俺から見ればいいコンビだったよ」
<Yよ、これがキューピット役として精一杯のフォローだよ>
「そうですかぁ?」
「そう言えば、Yが言ってたよ。終わったらサブ幹事のK子さんに食事をご馳走するって」
<フォローの追加だよ>
「ホントですか?嬉しい。神童さんもご一緒ですか?」
「多分ね」
Yが2人だけの食事に誘うと、K子が警戒するかも知れないと思い、こう答えておいた。そのことも、僕はYに伝えた。
「神童さんがご一緒なら是非ともお食事ご一緒させて頂きます」

当日僕はドタキャンするつもり。「ここが男の辛いところよ」。当時はまだシリーズが始まっていなかったが、今だったら寅さんの声が聞こえる。

10 月 1, 2009   No Comments