プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 11 月 2009

ノルウェイの森

  新米編集長として、実験小説「団塊世代が行く(ラストラン)」を本気でプロデュースするつもりなら、一度村上春樹を読めと、JTに薦められて読んでみた。

  僕は本屋によく行くので、20年ほど前、店頭にこの本が飾られ、ベストセラーになっていることも当然知っていた。

  だが、それを手に取ってパラパラとページをめくってみようとは全く思わなかった。「ノルウェイの森」というタイトルがまず気に入らなかったのだ。

  それはビートルズの大ファンだった、と言うよりもビートルズと共に青春時代を送った僕としては、ちゃっかりビートルズのヒット曲のタイトルを使っているその商業主義が嫌だったからだ。

  もっと言えば、畏れ多くも僕等のビートルズの曲名を、軽薄な小説家が自分の小説のタイトルに堂々と使っていることが許せなかったからだ。

  しかし、後で耳にしたところでは、村上春樹自身は小説のタイトルを「雨の中の庭」としていたが、出版社の意向で「ノルウェイの森」に変わったそうだ。それも、ビートルズの方が日本では「ノルウェーの森」なので、わざわざ「ノルウェイの森」と変える姑息さで。

  また、当時はこの本を若い作家が書いた若い女性向けの恋愛小説と思い込んでいたから、40代の僕が読む代物ではないとも思っていた。これも後から知ったが、村上春樹は1949年生まれの団塊世代だった。

  読んでみた。世界各国で読まれている村上春樹、その代表作「ノルウェイの森」。毎年ノーベル賞最有力候補に挙げられる作者。残念ながら僕にはその理由がよく分からなかった。

  セックスの場面がやたらに多く、これじゃ渡辺淳一や川上宗薫と同じじゃないの? これが第一印象。次に生と死がもう一つのテーマになっていて、主人公の関係者を次々に自殺させてしまう。生死をテーマにするにしては、いとも簡単に死んでしまう、死の軽さのようなものが気になった。

  何故、世界的なヒット作になったのか、僕にはよく分からない。ただ、その繊細な感性と、堪らない喪失感の描写は流石で、エンタテイメントとは一味違う、文学の香りがしたことも確かではあったが・・・

11 月 11, 2009   No Comments

沈まぬ太陽

  久し振りに映画を見た。3時間を超す超大作だった。途中10分の休憩がある映画も、何十年振りかのことである。

  この原作は8年ほど前に、前の会社のK氏に薦められて読んだ。僕がK氏と一緒に、会社合併後の事務・システムのゴタゴタを収拾する仕事を連日深夜までやっていた頃、たまには飲もうと2人の意見が会って、夜中の12時過ぎに無理やり退社して2人で会社の近くで飲んだことがあった。

  事態収拾にはまだまだ時間が掛かるという時期だったから、そんなに呑気にやってられる客観状況ではなかったが、たまにこうして息抜きでもしなければ、参ってしまう。

  郊外に住む2人が、深夜でも都内で飲んでいられるのは、K氏と僕は家が比較的近かったので、深夜タクシーに一緒に乗って帰ることが出来たからだ。勿論、タクシー代は交互に負担するルールが僕等の間には出来上がっていた。

  事態収拾には2ヶ月を要したが、そんな時、飲み屋で彼が、最近読んだ本で珍しく感動した小説があると紹介してくれたのだった。

  K氏は言った。「主人公は恩地元という東大法学部卒の日航のエリート社員。彼が労働組合の委員長として頑張り過ぎたことが経営陣から疎まれ、その後パキスタンやアフリカに左遷に次ぐ左遷という憂き目に会うのよ。最後は御巣鷹山の犠牲者家族のお世話係りまで命じられる。それでも潰れるどころか、どんな試練も跳ね返して行くんだ。もし自分だったら・・・、主人公の生き方は凄まじい」と。K氏とは僕の出身会社の現社長である。

  山崎豊子原作のその小説は、事実に基くフィクションということだ。実在のモデルが存在するらしい。K氏の話を聞いて、それは読んでみる価値ありと思い、早速買って読んだ。僕の興味は、何故主人公は、自分に対して理不尽な仕打ちをする会社を見限らないのかということだった。

  ストーリー展開の面白さに隠れて、僕の関心への答えは明確ではなかったが、以下は僕の読後の理解だ。

  彼は人一倍日航という会社を愛していた。労組で経営に迫ったのも会社のためを思ってのこと。そして彼は責任感が人一倍強い人だった。もし自分が潰れたり会社を辞めたりしたら、仲間と一緒に戦ったことが全面否定されると思った。仲間を裏切ることになると思った。

  3時間を超す映画と言えども、原作に比べれば、かなりはし折った感は否めないが、それでも、大きな感動を覚えた。人間の強さ、気が狂わんばかりの局面をも耐えることの強さだけでなく、他からどのように見られようとも平気でいられる強さ。自分の信念を信じ切る強さ、信念を絶対に曲げない強さ。映画ではそこに打たれた。

  渡辺謙は本当に凄い役者になった。

11 月 10, 2009   No Comments

猪瀬直樹講演会(4) - 完 -

  更に、修了予定時間が迫る中、地方分権委員会の委員として、地方分権について少し触れた後、最後に質疑応答となった。「国家的見地に立って、猪瀬さんは八場ダムについて如何お考えか?」との質問が出た。

  「東京都としては、あのダムは、水不足でいざという時の保険の位置付けだ。もし、中止となれば、都が負担した約500億円を国が返すと言ってるから、そう意味では問題ない。まぁ、それでもこれまで何十年も掛かってまだ出来ないというのは問題だがね」

  彼の顔付きや微妙なニュアンスから、猪瀬の本音は八場ダム建設中止だと推測出来るのだが、何故かこの時だけ、少し猪瀬の歯切れが悪かった。前日も石原都知事が「ここまで来たら、八場ダムは最後まで作り上げるべきだよ」とテレビで発言してるから、副知事としてはどうも自由発言しにくいのかな。

  1時間半に亘る講演が終わり、懇親パーティーまでの20分間、猪瀬は会場入口に移動し、著作のサイン販売会。これが黒山の人だかりだった。パーティーの時間が迫っても終りそうにないほど。

  「申し訳ありません。パーティーが始まりますので、この方まででサイン会を最後にします。悪しからずご了承下さい」。係員の声に客は渋々引き下がった。そのまま続けていたら多分あと小一時間は終らなかったろう。この辺り、流石有名人猪瀬である。

  係員の案内で僕と猪瀬は会場に向かい始めた。「ちょっとサ、その前にタバコ吸いたいんだよね」と猪瀬が言う。「え! このフロアー全面禁煙みたいだよ」と僕。

  彼はポケットからおもむろに携帯灰皿を取り出して、タバコに火を着けた。パーティー会場の入口に向かって歩きながら、実に旨そうに吸う。一服、二服、三服。その間、ほんの20~30秒。

  「これだからサァ、俺本当は講演終ったら直ぐに引き上げたかった訳よ」「そうか」「神童からの頼みだから残ったんだぞ」「うん、ありがとう。喫煙組みにはいい時代じゃないね」。会場の入口で、彼はタバコを自分の携帯灰皿に入れて消した。

  大ホールには中華用の大きな円卓が、全部で、どうだろう、40卓は置かれていて、夫々10人位ずつ位のひとが既に席に付いている。その中を猪瀬と僕は係員に案内されてメイン・テーブルまで歩いて行った。全員がこちらを注視しているのが分かる。僕等は指定された隣り合った席に着いた。

  この日の最高責任者のS専務も猪瀬の反対隣に座っていて、「猪瀬さん、ご講演どうもありがとうございました。正直言いまして、本当に面白かったです」「あっ、いや、どうも」。ここで司会者がパーティー開始のアナウンス。Sが壇上に上がってスピーチを始めた。猪瀬はそれをじっと聞くタイプじゃない。

  「全面禁煙って言うのはサァ、ファッショだよ」「ハハハ、そうも言えるね」「神童もヘビー・スモーカーだったよな。やめちゃったの?」「3年半前にね」「何でだよ。世の中の変な空気と戦わなくちゃぁ!」

  Sの主催者側挨拶が終わり、来賓代表挨拶になった。それでも猪瀬は僕相手のヒソヒソ話をやめない。「今の若い奴等はサァ、欲というのがないんだよな。俺達の若い頃なんて、いつかカッコいいスポーツカーに乗りたいとかサ、いろんな夢を抱いたもんだけどね」「20代30代は圧倒的にファミリーカーだからね」「そうなんだよ。草食系男子だな。スポーツカーを乗り回してるのって俺達の世代なんだよ」

  「それは言えるね。実はサ、俺もJTもスポーツカーなんだ」「そうだろ?」。猪瀬は事務所に仕事用のベンツ、家にはBMWのスポーツカーを置いてあると言う。来賓代表が話している間中、僕等はずっとこんなヒソヒソ話しをしてた。

  挨拶が終って歓談の時間に突入するや否や、いろいろな人が猪瀬に挨拶に訪れる。折角の料理も口に出来ない程だ。係が気を利かせて小皿に食べ物と、彼が所望したウィスキーの水割りを用意してくれたので、猪瀬は時々食べ時々飲みながらファンに対応している。

  僕は時計を気にし始めた。猪瀬はパーティーの最初の30~40分だけ付き合う約束で、5時50分にタクシーを用意していたからだ。係が耳打ちしてくれたので、彼にタクシーの到着を告げた。猪瀬は「分かった」といいながら、代わる代わる訪れる客に丁寧に対応している。彼なりのサービス精神なんだろうな。結局退席は6時10分だった。

  彼がタクシーに乗り込む時、「今日は随分世話になったな。どっかでまた飲ろう。じゃあまたな」と言って去って行った。彼にはまだまだ日本のために頑張って欲しいと思いながら見送った。

  主催者側の係が言った。「猪瀬さんって、まるで嵐が来て、嵐が去ったという感じの人でしたね。疲れましたよ、神童さん」。僕は言ってやった。「彼が嵐なんじゃなくて、日本に嵐を起こした男なんだよ、猪瀬は。政財界見回しても、1人であれだけ官庁に立ち向かった奴は嘗ていなかったんじゃないか」と。

                    猪瀬直樹講演会  - 完 -

11 月 6, 2009   No Comments

リニューアル・オープンに際して  新米編集長より

  今次リニューアル・オープンを期にプレミアムエイジ編集長になりました、神童覇道です。

  前任の編集長の古宮エイジ氏が心血を注いで築き上げられた当サイトを預かることになり、些か責任を感じたりもしますが、私としては、より多くの皆様に見て頂けるよう工夫を重ねることが使命と考えて精進して参りたいと存じます。

  新しい試みとしましてブログ小説(団塊世代が行く・ラストラン)の連載を開始致しました。

  これを、読者の皆さんから沢山のご意見を頂戴して、みんなで作り上げる小説にして行けたらと思っております。最終的には当サイト参加者みんなで作り上げた初のブログ小説として、出版にまで持ち込めれば面白いなどと夢想しております。

  まだまだエネルギーも知恵もノウハウも有り余っている団塊世代と、そのジュニア世代など若い人達の参加も得て、様々な可能性に挑戦出来ればと思っております。

  リニューアル・スタートしたばかりで、まだ、不都合な箇所も幾つかありますが、追々全て修正して行きますので、今後ともどうか宜しくお願い申し上げます。

  2009年11月5日  神童覇道

11 月 5, 2009   No Comments

猪瀬直樹講演会(3)

彼の講演は、最初にあるビデオをスクリーンに映すことから始められた。5分ほどのビデオ2本。1本目は、つい最近のNHK7時のニュース。前原国交相が「羽田をハブ空港にしていきたい」と発言している。それに対して千葉の森田健作知事が猛烈に怒っているインタビューの場面。

その後、前原大臣が森田知事に会い、「成田から国際線を羽田に移すという話ではなく、羽田と成田を今後相互補完的に使って行く」という趣旨説明をし、森田知事が納得する場面。もう1本も、同じ問題を取り扱ったMXテレビの録画ビデオだった。以下猪瀬講演内容。

「東京都としてはかなり前から、羽田の国際線化を国交省に陳情をして来た経緯がある。その意味では前原大臣の発言はその線に沿っていて評価出来る。

ただ、何も知らない森田知事が短絡的に怒ったのは滑稽で、成田と羽田両方を国際線飛行場としても尚、各国航空会社の発着要請に充分応えられないほどの需要があるのだから、成田をどうしてくれるって言うのは全くの的外れ。

東京都としては、もう一つ、米国に要請して立川飛行場を開放して貰ってでも、需要に応えようと働き掛けて来たくらいだ。ニューヨークだって、ケネディー空港、ニューアーク空港、それと、ラ・ガーディア空港の3ヶ所で運営している。

なのに、東京は国際線が成田だけというのが問題で、今や外国の飛行機は、発着増便申請しても全く埒の明かない日本の空港をパスして韓国の空港に直行する時代になってしまった。

東アジアのハブ空港は最早日本じゃなく韓国だ。日本は丁度、新幹線で言えば、「こだま」しか止まらない各駅停車駅になっちゃったということ。「のぞみ」が停まるのは、お隣の韓国。

森田さんも、もう少し国益に叶う形を考えるべきだ。今のままでは日本は完全に敗れる。発着能力と需要の関係から見ても、圧倒的に需要が上回っているんだから、成田と羽田は競合ではなく共存共栄出来る筈だし、そうなれるよう真剣に考えるべきだ」。

次に猪瀬は、政権が民主党に変わって、心配な点に2点触れた。

「一つは、来年度予算が95兆円とか言われているが、それが大変心配という内容。長いこと日本の国家予算は80兆円台をキープして来た。幾らマニフェストを忠実に実施するからと言っても、いきなり95兆円はない。国民は民主党のマニフェスト項目全てに賛成した訳ではないのだ。

二つ目は、民主党の高速道路無料化について。道路公団民営化に携わったものとして、この無料化は全く理解出来ない。採算度外視の高速道路建設が、40兆円の累積赤字を生んだ。

これにメスを入れ、公団を民営化して、道路料金収入から毎年公団が1兆6千億を国に返す仕組みが出来上がったのに、料金収入をゼロにしちゃったら、どうやって民営会社は借金を返すんですかねぇ? どうやって経営しろと言うんですか?

また、国営に戻すんですかね? それって、40兆円の赤字を税金で埋め合わせるってことでしょう? 結局、赤字を国民負担にしない方法として公団民営化を実現したのに、国民負担にしようというのだから、僕には分かりません」。

11 月 4, 2009   No Comments

猪瀬直樹講演会(2)

  その当日が来た。講演会は3時半の予定だ。その場で猪瀬に「講演終了後の懇親パーティーに出て」と頼むのは、忙しい公人相手に少々無理があると思って、前日までに猪瀬の了解を取っておいた。

  「じゃぁ、パーティーの前半だけ出るよ。但し、途中で静かに消えるけどいいだろ?」「勿論そうして貰えれば助かるよ」。残ってくれることが決まって、Sも良かったと言ってくれた。

  場所は渋谷のセルリアンタワー・ホテル東急の地下大ホールだ。僕は講演開始1時間前に現地に入った。講演会場を下見した。300人程度の席が用意された大きな部屋だ。猪瀬はいつも座って講演するので、壇上はそういう設えになっているかをチェック。

  確かに座って演説出来るかも知れない程度の高さのテーブルではあったが、よく政府の官房長官が立って記者会見するテーブルのように、前面が少し高くなっていて、観客からは手元が見えないようになっている。それが壇上だから余計に、低い所から見上げる観客からは、スピーチするの顔が見えなくなる恐れがある。

  猪瀬は普通の人より座高がかなり低いので、ホテル側の係りに言って、通常のテーブルに前が垂れ下がるカバーを掛けたものを用意して貰った。事前チェックして良かった。ホッ。

  続いて主催者側と打ち合わせ。彼の言うには「猪瀬さんがお起しになったら、まず36階のスイート・ルームにご案内します。そこを控え室にします。神童さんも同行頂けますよねぇ?」「うん、そのつもり。今そこに案内してくれる?」「はい。行きましょう」。

  エレベーターに乗り込んだ。36階に行くには、ホテル側から渡された磁気カードをエレベーター内の磁気カード・リーダーに差し込まないとその階には行けない仕組みになっていた。なるほど、最新のセキュリティーという訳だ。

  部屋も広くて、窓も広い全面ガラス張りの眺望抜群の部屋だった。東京タワー・六本木ヒルズ・ミッドタウンなど、全てが何の障害物もなく近くに見える。部屋の中はツインのベッドが小さく見えるくらいに広い。ベッドの反対側には大きな一部屋分もあろうかというオープン・スペースに高級そうな応接セットなどが置かれている。

  普段こんな部屋見れないから、後学のためにはなる。一泊幾らするんだろう? 高いんだろうな。そこで疑問が湧いた。もし猪瀬が時間ギリギリに来たら、ここに連れてこれないよ。「そのときはここを使いませんからご心配なく」と係りが言う。ふ~ん、ホテルとどんな話になっているのかな?

  更に彼は言う。「3時15分過ぎに到着されたような場合は、講演会場に近い車寄せの直ぐ側に応接室があります。そこも借りましたので、時間のない時はそちらで、冷たい物でも飲んで頂いてから会場に入って頂きますので」。なるほど、いろんなケースを想定して考えてるんだな。Sの指示も行き届いている。大したもんだ。

  さて、3時過ぎた。昨日の電話では、それまで都庁で公務があるので新宿から渋谷に向かうとのことだった。それでも心配だったので、3時15分を過ぎて現れない時は、僕から猪瀬の携帯に電話しよう。

  当初、僕は会場近くにいて、係から携帯に連絡が来てから、36階のスイートルームか、車寄せ近くの応接室に行って猪瀬と合流する手筈だった。だが、出席者は続々集まっており、流石に3時10分過ぎても連絡がないので不安になって僕も車寄せで待つことにした。今日の参加者は会社にとって大事なお客様達だ。僕は既に退職して今は関係ないとは言え心配になる。

  3時15分。まだ現れない。僕は猪瀬に電話した。呼び出し音はなっているが、出ない。2回やったがダメ。どうしたんだろう。渋滞にでも嵌まったか。と思っていたら、僕の携帯が鳴った。「神童? 今電話貰ったよねぇ」「うん、電話した。今何処かと思って」「山手通り。あと5~6分で着くから」「了解」。

  それから5~6分しても現れない。10分しても現れない。自分が今日の責任者でもないのに気がせく。ジリジリして待つこと13分。やっと現れた。黒塗りの公用車から降りて来た。手を振りながら「神童、悪りい、悪りい」。

  講演開始1分前だ。会場に直行だな。係りが猪瀬に言った。「控え室とかお取りしているんですが、直接会場に向かって宜しいですか?」「うん、それでいいよ。あっ、その前にトイレに寄らせて」。

11 月 4, 2009   No Comments

猪瀬直樹講演会(1)

  先日、僕が40年間お世話になった前の会社が主催する講演会に行って来た。主催者のS専務は、5年前、埼玉の時に「クーペ&Shifo」のチャリティー・コンサートを開催してくれた。以来、埼玉では4年連続開催してくれた。だから、埼玉に「クーペ&Shifo」のファンが結構いる。

  僕も最初の時からバックバンドをやらせて貰っている。その意味で、S専務には感謝しているのだが、その彼から今年の春、「今度は東京で取引先を集めた講演会を開催したい。ついては神童の友人の猪瀬直樹氏にお願いしたいので、何とか取り次いで貰えないか」との電話が入った。

  更に、「当社も、東京オリンピック招致では、いろいろ東京都に協力しているので、猪瀬副知事に今後のことも相談したいので、会食の席でもセットアップしてくれないか」との依頼までして来た。

  猪瀬は、以前、道路公団民営化委員の時のような忙しさでないにしても、東京都の副知事で、今も政府の地方分権委員会の委員をやってるし、更に東大や東工大の客員教授などもやっており、そうそうスケジュールが空いていないのを知っているから、「講演会の方は何とか頼んでみるけど、会食の方はどうかなぁ」と答えた。

  簡単に降りないSは、「昼食会でもいいよ。どんなに忙しくても昼飯は食べるでしょう。頼みますよ」。そうまで言われちゃ、取り次がない訳に行かない。

  僕は猪瀬事務所に電話した。本人は不在だったが秘書が出たので、講演会の依頼と昼食会の依頼の伝言をお願いした。数時間後本人から電話があって、どちらもOKとのこと。僕の顔を立ててくれているのが分かる。「忙しいのに無理させちゃって、悪いな」思わず口を突いて出た。

  昼食会は4月に実現し、僕も同席した。彼に会うのは実は2年前の高校同窓会以来だったから話しが弾んだ。その2週間後、今度は猪瀬の方から、会食事同席したJTに声が掛かり、僕とJTとで彼の事務所に案内され、逆に彼の頼み事を聞いたりしたのだった。

  そして、半年後、講演会の前日になった。僕はそもそも、猪瀬に出演依頼をして了解を取り付ける役割だったから、講演会には出席するつもりはなかったのだが、やはりSが電話して来た。

  「神童さん、是非来てよ。猪瀬氏のエスコート役をやって欲しいの。それからね、ここが一番大事なんだけど、講演終了後懇親パーティーをやるので、猪瀬さんが帰らないように引止めて欲しいの。大事な取引先が来てるので、猪瀬さんにもパーティーに出て貰えるとこっちも格好が着くのよ」

  いろいろと注文の多いSだが、後輩のために乗りかかった船だ、分かったと伝えた。

11 月 4, 2009   No Comments