プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 12月 2009

来年もどうぞよろしく           編集長より

各位

  今年1年、プレミアムエイジをご愛顧頂きまして、誠にありがとうございました。

  Webサイトを一新し、外部ブロガーの参加も得て再スタートしましたが、如何だったでしょうか? 「確かに質的向上は図られたのかも知れないが、もっと一般庶民の目線(或いは、負け組目線)からのブログが足りない」、とのご指摘も頂戴しております。新年度のテーマとさせて頂きます。

  連載小説(ラストラン)の試みもスタートさせましたが、最初にしては、超大作過ぎて、皆さんからご意見を頂戴するには、「全体が終わらないと何とも言いようがない」、とのご意見も頂いております。確かに、まだ3分の2ほどの進捗状況ですから、長過ぎるなと感じておりますが、こればっかりは最後まで連載させて頂くしかありませんので、もう少しお付き合い下さいますようお願い申し上げます。

  本日分をもちまして、第二章を終了し、年明け1月4日からは、最終章(第三章)に突入致します。それが終了した段階で、多数のご意見を頂戴出来ましたら作者並びに編集部一同これに勝る喜びはございません。どうか宜しくお願い申し上げます。

  さて、これにて、年末のご挨拶を終えようと思っておりましたら、エイジさんの年末メガトン級の重いテーマのブログが掲載されまして、久しぶりに正月まじめに考えてみる価値ある宿題と受け止めました。

  銀行の貸し剥がし、貸し渋りと中小企業の生死、バブルを惹き起した元凶の銀行、公的資金と預金ゼロ金利に救われた銀行、そして、今、中小企業を殺して自分だけ生き残ろうとする銀行。社会を根底から支える中小企業と社会の扶養(不要)家族の銀行。なのに力関係は逆。この理不尽。銀行関係者の皆さんスイマセン。ですが考えてみる価値充分にありです。

  という訳で、プレミアムエイジ、まだまだ続きます。まだまだ進化します。来年のプレミアムエイジを是非ご期待下さい。

  新年が皆様に取りまして良き一年になりますように! 

                                   編集長

12月 31, 2009   No Comments

ビートルズ

 

   どうしたことか、この年末年始、NHK各局でビートルズ特集をやってくれるらしい。何でもビートルズが解散して来年で40周年を迎えるからだそうだ。もうそんなになるんだな。

  今年は昔のビートルズのアルバムを綺麗な音に変えたリメイク版が発売されたね。直後に、英国でビートルズが何十年振りかで、アルバム・ヒットチャート第1位を記録したり、日本でもそのCDを求めて行列が出来たりして大変話題になったっけ。

  昨日、NHK・BSで午後1時から5時まで、ビートルズの3番組を連続で放送していた。年末ということもあり、家でいろいろな手伝いをさせられながら、所々見た。映画「HELP!」だったり、ドキュメンタリー映画「ビートルズ・ファースト・ライブ・イン・アメリカ」だったり。

   見始めるとどうしても、手伝いの手が止まる。身体が止まる。あの頃の思い出と一緒に熱いものが伝わって来る。懐かしいけど古臭くない。ここがビートルズの凄いところ。「HELP!」にしろ「ファースト・ライブ・・・」にしろ、ビートルズの初期の頃の映像だから、1964年当時のビートルズなのだ。何と45年前のこと。

   その頃の日本のヒット曲が、青山和子の「愛と死をみつめて」(1964年レコード大賞)、西郷輝彦「君だけを」、都はるみ「アンコ椿は恋の花」などだ。ビートルズの「HELP!」は知っていても、これらの歌謡曲を知っている若者なんているんだろうか。

   ビートルズ前とビートルズ後と言われるくらい、ポップスの世界に革命をもたらしたビートルズ。今日のポップスはやはりビートルズの存在なしには語れないと思った。テレビを見ていてそれを再確認した。

  「そこの掃除、まだ?」。オッといけねー、カミサンの声が聞こえる。テレビでは、エド・サリバン・ショーに出演したビートルズが、「ツイスト・アンド・シャウト」を歌ってる。僕の手は自然とリズムを合わせて拭き掃除に移って行った。

   ところで、あの頃のポール・マッカートニーって、MCのしゃべり方も、歌う時の顔の表情も、ベースを左手で弾く仕草も、僕のポッツそっくりだ。その上、ジョン・レノンは、僕のZOOジョンをそっくりコピーしてるよ。

  え? ポッツもZOOジョンも知らないって? 嘘でしょう! 僕のビートルズですよ。本物のビートルズは高々10年の命。僕のビートルズ、名前は「アップルビーツ」と言うんだけど、ビートルズ歴20年? 30年? 40年?だからね、本物より上手いのサ。

   彼らのライブ、今度お知らせするから、是非一度見てよ。

12月 31, 2009   No Comments

不況の歳末

 

  家の近くにOPAという商業施設があり、その5階に紳士用カジュアル洋品の店「MX」がある。僕は時々そこでTシャツやトレーナーを買う。若者の店なのだが、他と違って落ち着いた感じがするので、僕でも入れる数少ない店だ。

  それが、1月末をもって店仕舞いしてしまう。12月初めから現品限りの一掃セールを始めていたので、一回だけ覘いたことがある。その時は、ダウンコートを30%引きで買ったのだが、今日、自分に合うマフラーでもあったら買おうと思って再び立ち寄ってみた。

  何と全品50%引きとある。この1ヶ月で商品は半分ほどに減っているように感じた。閉店セールはそれなりに成功しているのだろう。半額で投げ売りしてでも現金に換えて店を閉める。一消費者としてみれば安いのは良いことだけど、他にもOPAに出店している店が数店年末をもって閉店した。こんなところにも日本経済の深刻さが窺える。

  さて、マフラー。今使ってるマフラーも2年前同じMXで買ったものだが、もうかなりくたびれて来たので良いのがあったら買い替えたい。探した。あった。遠目にも「あれ、いいな」と思うのが掛かっていた。近づいて見ると、今使っているのと色違いのもののようだった。同じ種類は他にはなく、他は全部若者向きだからそれを買うことにした。

  正札を見た。「500円!」。「うそ!」。もう一度見る。やはり「500円」。「安ぅ!」。元の値段は4千円となっている。もうこれは「持ってけ、泥棒!」のレベルだ。申し訳ないような思いでカウンターへ。

「ありがとうございます。マフラー1点で、250円です」と店員さんが言う。

「え? 500円でしょう?」と僕。

「昨日から年末セールで全品50%引きですから」

「あっ、あっ、そうなんですか」

   驚いたのなんの。4千円の品が250円とは! 見ず知らずの人に理由もなくタダ同然で頂いたようなもの。恥ずかしいような、悪いような。

  何故か冷や汗を掻きながら、そそくさと店を後にした。そして思った。僕が唯一行けるカジュアル洋品の店がなくなってしまうのは淋しいものだな、この250円のマフラーが買い納めか、来年は、全部カミサンに任せるしかないかなと。

  どこまで続くやら日本の不況。新年に期待したいものだ。

12月 30, 2009   No Comments

君よ、安らかに

  クリスマス・イブの日に、彼は逝った。突然の死だった。少なくとも僕にとっては。59歳で現役引退を決断し、その後は本当に自分がやりたかった油絵の道に入り、情熱の全てを絵に注ぎ、千葉県展に入選、「よし、これからだ!」と言っていた君が・・・・・。

  後輩のK君と葬儀場で会った。彼からK君に23日に電話が掛かって来たのだそうだ。「俺さぁ、癌になっちゃって! 慈恵医大で診て貰ったんだけど、明日、紹介状を持って国立がんセンターに行くんだ」と告げたそうだ。

  K君、それが信じられなくて、もう一度様子を伺おうと思って、翌日、彼に電話したら奥様が出られた。やはり事実だったそうだ。がんセンターでは、彼が胸の痛みを訴えていたので、取り敢えずの処置として痛み止めを注射したというところまで、奥様から聞いたらしい。そして、その日の内に彼はついに帰らぬ人となってしまったと言う。

   癌だと分かって、これほど早く亡くなるとは本人も更々思っていなかったことだろう。これから彼が描こうとしていた絵画の構想は幾つもその頭の中を巡っていたに違いない。それを形にする時間すらないとは信じられなかったことだろう。

   彼のこの6年間で彼の絵は凄い速さで進化し、過去2度、銀座画廊で個展を開いた。僕は2度目の個展の時、オープニング・セレモニーに駆け付けた。僕も丁度引退後で音楽活動を行なっていたから、絵画と音楽の違いはあるが、同士と見てくれたのだろうか、彼は僕の参加をとても喜んでくれた。

  最近も如水会館で一橋大OB画家展に出品していて、「この日とこの日は会場に詰めているので是非来て欲しい」と連絡があった。でも僕はそのどちらの日もライブや他の都合が重なり、行くことは叶わなかった。今となってはそのことが大変に悔やまれる。

   1994~95年の頃、彼は会社の企画部門として、生命保険会社立ち上げの責任者になった。僕はシステム部門の部長として、新たに誕生する生保会社のシステムを準備する責任者も兼務することになった。

  生保の事務やシステムをどういう作戦で形にして行くか、僕は彼と何度も話し合った。実のところ、その時のシステム部門に、未経験の生保システムを構築出来るだけのノウハウと余力がある訳でもない。

   その頃、同業他社も同じように生保会社を立ち上げようとしている。彼との一致点は3つ。① そういう会社に呼び掛け、共同開発によりコストを大胆に落とすこと。② それもゼロからシステムを作るのではなく、既存生保システムをベースに最低限の手を入れるだけにして、システムに事務を合わせる。③ 社内からは様々な反対や批難があると思われるが、それ以外の道はない。

  結果、7社共同開発という、業界初の大規模本格システムの共同開発に成功し、各社コストを最大7分の1にすることが出来、且つ、開業期日に堂々と間に合わせることが出来たのだった。僕の言ったシステム方針を、彼が全部飲んでくれて、且つ、本社内の雑音を全て封じてくれたから、成功したのだ。

   この時の礼もまだ言えていない内に彼は黄泉の国に旅立ってしまった。でも、今言おう。届くかも知れないから。「あの時は本当にありがとう。君無しでは多分失敗していたよ!」。

  「君よ、安らかに」、合掌。

12月 28, 2009   No Comments

イブ・コンサート

   
  予定とは全然違うタイミングでクーペが言う。

「ではここで、おじさんバンドを代表して、この方より挨拶して貰います。元保険システムの会社の社長、今はタダの人、QP神童さんです」

  意表を突かれたQP神童、少々慌てた表情で前に出る。

「皆さんこんばんわ。そして、メリー・クリスマス! QP神童です」(拍手と笑い)

「本当は、『ジェームス神童』というちゃんとした本名があるんですが、誰もそう呼んでくれませんで、QP、QPと呼ぶものですから、いつしか本人も『QP神童』と名乗るようになってしまいました」(笑い)

「ところが最近、クーペさんの店に本物のキューピー・マヨネーズの会社の方々が来られるようになりましてね。『QP!』なんて声が掛かりますと、大勢の人が振り向くんですよ。少しややこしくなって来まして。いよいよ『ジェームス神童』への切換えのチャンス到来かなんて思ったりするんですが、それがちっともそうならないんです」(笑い)

「まっ、そんなことはどうでも良いのですが、私、クーペさんより年が1歳上でして、かれこれ8年半の付き合いになりますか、当初は、『変なおっさんだけど、面白い。歌を歌わせれば何故か心に沁みる。だからみんなで応援してやろうぜ』、なんて偉そうなことを言っていました」

「でも、今では逆なんです。私も昨年現役引退しましてね、第二の人生を送っていますが、そんな身からすれば、私にはこんな素晴らしいバンド仲間がいて、こんな素晴らしい会場で、それもクリスマスイブの夜に、大勢の人の前で演奏させて貰うなんて、何物にも代え難い幸せを感じています」

「これも、偏にクーペさんとShifoさんのお蔭と心から感謝しているんですよ。ねえ、聞いてます? クーペさん! 一回しか言いませんからね」(笑い)

「ということで、クーペ&Shifoの今日のコンサート、おじさんバンドが足を引っ張る訳には行きませんので、精一杯頑張ります。最後までお付き合い頂いて、大いに楽しんで行って頂ければと思います。挨拶、以上です」(拍手)

  クーペが次の曲を紹介する。

「たまにはいいこと言うねぇ、QPも。それでは、おじさんバンド、次の曲が最後になります。『オール・オブ・ミー』!」

   (昨夜のライブから。QP神童はこの半分もしゃべれなかったとのこと)

12月 25, 2009   2 Comments

愛しのコーラス隊

 
  彼女達が市の公民館や図書館などが入っている建物のサロンで、クリスマス・コンサートを開いた。コーラス隊の名前は「TUBASA」。昨年まで、「クーペ&Shifo」のバックコーラスを務めていた。と言うより5年前、Shifoが地元の希望者を募って誕生したコーラス隊だった。

  メンバーは入れ替わりもあるが、男子2~3人(その内の1人はおじさんバンドのボーカリスト斉藤さん)、後は全部女性で年齢層は20代から60代とバラエティーに富んだコーラス隊なのだ。

  おじさんバンドも昨年まで4年間、日比谷野音、よみうりホール、国際フォーラム、NHKホールなど全部彼女達と一緒に出演して来たから、心通じる音楽仲間だった。

  その頃、僕が感じていたのは、音楽って凄いなということ。60歳過ぎの僕にコーラス隊の若い女性が、気楽に話し掛けてくれて、同じ音楽仲間として一切壁なく対等に会話してくれる。コンサート後の打ち上げなど何度も彼女達と飲み会で盛り上がり楽しかった。

  正に音楽は性別も年齢も簡単に乗り越えるということ。僕にとっても、多分他のおじさんバンドにとっても、元気を貰えるという点で、それが何よりも嬉しいことだった。

  ところが昨年の秋、Shifoのプロ活動が超多忙になり、彼女が継続してコーラス隊を指揮するのが難しくなり、以降は自立して活動することになったのだった。

   偶然、コーラス隊の中に、Shifoと同じ国立音大出身の女性がいて、その後は彼女がShifoに代わって指導している。

  だが、当初からのメンバーの中には、この独立・自立が「自分達は切られた」と感じる人達もおり、この1年間、2度と一緒にコンサートを行うことはなくなっていた。

  その後コーラス隊は総意によって自立の道を模索し始め、昨年のクリスマスに、冬空の下、ストリート・ライブを敢行し独自路線を歩み出したのだった。

  そして自分達のコンサートを公共ホールなどで自前で開催するまでになり、この土曜日、サロンでのクリスマス・コンサートの運びとなったのである。斉藤さんに事前連絡を受けていたので、久し振りに彼女達の顔を見たいと思って出掛けたのだ。

  また、斉藤さんは、メンバー達はShifoさんに4年間育てて貰ったから今があると感謝しているとも言う。僕はある可能性を胸に会場に向かった。

   「聖夜」「ホワイト・クリスマス」「もろびとこぞりて」・・・。驚いた。9月にも一度彼らのコンサートを聴きに行っているが、その時に比べると格段にハーモニーが綺麗になっていて、みんなの音程がしっかりしている。男性陣もたった3人だが、良く声が出ていてグッド。何よりも、みんなが「楽しい!」と思って歌っていることが身体全体に現れていて、それが素晴らしくて、聴いているこちらまで楽しくなる。

  終ってから、何人かのメンバー達と軽い食事を兼ねた乾杯の場に入らせて貰った。そして、夕方からストリート・ライブをやりにコーラス隊が中座した後も、残された僕とコーラス隊メンバーの旦那さん(Aさん)と、マク(クーペ&Shifoの前マネージャー)との3人、大いに盛り上がったところで僕はAさんに聞いてみた。

「また、クーペ&shifoとコーラス隊が一緒にやるってのは難しいですかねぇ?」

「うーん。神童さんのお気持ちは嬉しいんですが、そうなるにはもう少し時間が必要ではないでしょうかね」

「これ以上時間が経てば経つほど難しくなっちゃうだろうと思うんですよ」

「でも彼女達のトラウマが消えていないから、正直、今は難しいと思います。そこを無理に何かやっても良い結果にはならないような気がするんです。自然体で行くしかないかと・・・」

「分かりました。自然の流れに任せて、何かサプライズが起きるのを待つのが良いということですね? じゃぁ、この話、打ち切ってどんどん飲みましょう」

  酷い二日酔いになった。蕁麻疹が復活してしまった。

12月 22, 2009   No Comments

感動

  クーペが劇団を立ち上げ、スタッフを集めた。結局13人の軍団になったようだ。みんな照明も音響も舞台美術も未経験者。劇団なんてやったことのない人達だが、兎に角ポジティブで元気な若者。若者じゃない人も多いけど。

  市民団体としても認められ、補助金も下りることになった。劇団で町づくり。出演者は町の住人、シニア中心。何かが始まる予感。団塊世代劇団は正にタイムリーな企画かも知れない。劇団名「笑タイム」。

  団塊世代の培った業務ノウハウ・人生経験・趣味・スキルを、どう世の為人の為に活かせるか、どう地域貢献に繋げられるか。そうは言ってもなかなか難しい、続かない、広がらない。団塊世代の社会貢献。「プレミアムエイジ」の最大テーマでもある。東京郊外で、一つの実験が芝居という形でスタートする。

   ところで、13人のスタッフの中に、介護士の女性がいる。9月くらいから何回かクーペの店で見掛けていた人だが、先週のおじさんバンドの日(毎週金曜、実は練習日)に初めて話す機会があった。

「9月にお寺でライブやりましたよね。あの時、おじさんバンドの演奏を初めて聞いて、とても感動してしまって、それからたまにですけど、この店に来させて貰ってます」

「え? おじさんバンドにじゃなくて、クーペ&Shifoに感動したんでしょう?」

「勿論、クーペさんもShifoさんも素晴らしかったんですけど、私が感動したのはおじさんバンドなんです。おじさんバンドが凄く軽快で音楽の優しさとか楽しさがビンビン伝わって来て、鳥肌が立ちました。ホントですよ!」

「いやー、そう言って貰うと、嘘でも嬉しいですねぇ」

「嘘じゃありません。ホントなんですから」
 
  こんな褒め方されたの初めてだから、大いに戸惑いながらの会話だった。何せ鳥肌が立ったと言うんだから。

「鳥肌って、凄く感動した時も立つけど、身の毛がよだつ時も立つよね?」

「勿論感動した方ですよ。それに、今日はマンディーさんもいらして、やっとおじさんバンドのボーカルが聴けて幸せです」

  過去数度、店で見掛けたけど、彼女特にそんな素振りじゃなかったのに、成る程ね。この日、彼女が興奮気味なのは、初めてマンディーに会えて、お寺の時と同じように彼の歌が聴けたからだとやっと理解が出来た。妙な安心。妙な納得。

  僕はマンディーを呼んで会話に入って貰った。

12月 21, 2009   No Comments

マニフェスト変更

  マニフェストの大きな変更を行なうらしい。小沢幹事長が様々な団体・業界・地域からの要望仕分けを行なった結果を集約し民主党として政府に伝えた項目の中にある、「ガソリン暫定税率維持」と「子供手当てに所得制限を設ける」としている点である。

  鳩山首相は、この民主党からの要望書を最大限重視するとしているから、マニフェストを変更することになるのだろう。

  新政権が船出してから、「業務仕分け」など派手なやり方で、徹底して無駄を洗い出し、大きな額を捻出して子供手当ての財源に充てるとしていたのが、目論見通りの予算圧縮額にならず、一方で国債を44兆円以上を発行しなければならないような事態になっており、普天間基地問題を含めて、このままでは民主党政権も国民の支持を落とす危機に直面している。

  「業務仕分け」にしても、カットされた側は、ノーベル賞受賞者やオリンピックのメダリストを登場させて必死で復活の働き掛けをしている。現に政治判断でスーパー・コンピューターの研究開発費のように予算復活を勝ち取るケースも出て来ている。

  圧縮した筈の予算ですら、生き返ることも増えるから、民主党の最大の売りであった、「子供手当て」の財源のピンチである。それと経済不況を反映して税収が40兆円を割り込むから、44兆円の国債発行という話になる。

   あの自民党時代ですら国債発行は30兆円/年と決め、数兆円オーバーすることはあっても概ね守って来た数字だ。国家予算も80兆円台を頑なに守って来た。それがいきなり44兆円だの95兆円だから、「無駄を徹底的に洗い出す」と言って来た民主党が、もっと大きな無駄をやろうとしているのではないかと一般国民は不安になる。

  傍から見ていると、上記の状況から抜け出せない鳩山首相に、小沢幹事長がアウンの助け舟を出したように見える。小沢氏はマニフェスト違反の汚名を着ることで、首相に現実的選択をし易くし、窮地脱出を促したのではないか。

  天皇と習副主席との会見ごり押しの黒幕のように見られたり、記者への強圧的物言いで、アンチ民主・アンチ小沢に格好の材料提供したり。また過去には最大の山場になると雲隠れしたり、何かと物議を醸す人だが、政治的勘と政治的タフネスさと突破力では、今や右に出るものはいなくなったのではないか。

  その意味で、小泉・小沢は双璧と思っていたが、困ったことにその逆サイドに、元日本を代表する政治家の2世3世の、安倍・福田・麻生・鳩山と歴代首相が並ぶのだ。またぞろ短命に終らなければよいが・・・。

12月 17, 2009   No Comments

煙草

  先日の朝日新聞朝刊の投稿欄に載ってた。喫煙は大迷惑だって。投稿者の旦那様は禁煙外来に3ヶ月通って、遂に禁煙に成功したそうだ。だが、そんな努力もせず、周りの迷惑も顧みず、人前で堂々と煙草を吸う人がいる。

  狭いラーメン店は分煙もせずに喫煙OKとなっているから、近くで吸われると大変迷惑だ。健康被害を心配すると同時に、肝心のラーメンの味が変わってしまうからだそうだ。

  普通に生活していて、これほど嫌なことに我慢を強いられる社会の理不尽さ。これだけは我慢出来ないという趣旨だった。

  これを投稿した奥様がご主人に禁煙を迫ったのですかねぇ。僕も、煙草は40年の付き合いだった。それも1日2~3箱のヘビー・スモーカーだった。特に仕事で文書を纏めている時など、直ぐに灰皿が満杯になる。煙草をくゆらせないと文章が進まない。煙草なしでは絶対に仕事できないと思い込んでいた。

  しかし、時代の趨勢で、一般事務室は全面禁煙となり、応接室だけは来客用に喫煙が認めれていた。僕などはそこに移って仕事していた口だが、それもご法度になり、喫煙ルーム以外全面禁止になった。

  僕にとって大変不幸だったのは、立場上そのおフレは僕の名前で出さざるを得なかったことだ。僕はその後も「まあ、あまり固いことを言わずに」と(僕に文句を言う奴はいないだろうと)、一人応接ルームで煙草片手にパソコンに向かっていた。

   それを、部下の、若手社員を代表する有能で突破力のある社員に見咎められた。「応接室も禁煙にしたのは神童さんですよねぇ。僕等にはコンプライアンス厳守と言いながら、神童さん自ら破られたのでは、社員に示しがつきません!」って。実はその彼も喫煙組みだから、余計に迫力を感じた。

   それでやめた。この12月末で満4年になる。だから僕の禁煙の直接の動機は、健康の為なんかじゃない。コンプライアンスを盾に部下から非難されたことだった。

  煙草をやめてみると、あれ程、煙草なしでは仕事にならないと思っていたのに、大して支障もなく、文書作りに集中出来るし、イライラすることもない。これは新発見だった。それまでは、多分、身体ではなく心の煙草依存症だったのだろう。

  さて、上記の投稿夫人。煙草をそれ程毛嫌いするのは何故ですか? 健康被害妄想過多とでも云うのではないですか? 4年前まで、40年間ヘビー・スモーカーだった僕が言うのも憚られますが。

  遂20年前、会社の机の上には灰皿が置かれ事務室は煙でモウモウ、新幹線の車内もモウモウ。喫茶店・レストラン、あらゆる所で煙がモウモウ。なのに日本人の平均寿命は80歳代世界一。これ平均なんだから凄いこと。もっと長生きの国を目指しますか?

   排ガス・光化学スモッグ・酸性雨、みな同じ。なのに煙草の煙にだけ異常に強い拒否反応や腹立たしさを示すのは何故ですか? 相手が人間だからですか? 東京を捨てて、綺麗な空気の田舎暮らしをお勧めします。

12月 15, 2009   No Comments

細分化と全体像(6) -完-

【ヒント2】
 
  ヒントの第二は、本社部門の業務の専門家達も、当時と違い、今ではExcelやAccessを用いて、自分の仕事を進めている多くの担当者がいる。当時のように、コンピューターと言えば汎用機しかなく、素人にCOBOLの習得を強いたことに比べれば、コンピューターは遥かに身近になっているし、そのリテラシーは極めて高い。

   従って、基幹業務システムの業務ロジックも、Excelの関数を扱っている人には、それで表現して貰えれば充分事足りる。昔のように「COBOLで表現せよ」と言われるのに較べたら、その壁は無いに等しい。

   そういう本社の業務専門部に数多くいるシステム・リテラシーのある人材の力を使わない手はない。彼らのシステム力を見て見ぬ振りして、相変わらず、システム部門しかシステムは作れないと言っていたら、それこそ、利権を必死に守る公益法人や特殊法人と変わるところがない。

  高コスト、且つ、SE大量動員によるシステム構築のやり方からの脱出に心底悩んだ人間から見れば、本社部門の業務の専門家で、このようなコンピューター・リテラシーを持った人が何人もいることに勇気付けられる。 

  彼等の存在を正しく認識すれば、彼等からSEが業務知識や業務要件を教えて貰うのではなく、彼らに直接業務ロジックを作って貰い、システム部門はそれ以外のシステム要件を整え、両者を合わせて基幹システムと成す、そういうことを可能とする舞台作りを考えることも、それ程荒唐無稽なことでなくなる筈だ。

  検討を祈る!!!

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   タイトル「細分化と全体像」で始めた当稿が、書こうと思っていた「木を見て森を見ざる理」のテーマからどんどん外れて、遂に、出身母体のシステム部門へのエールとなってしまった。

  「ミクロとマクロ」「専門化と総合化」、この二律背反が至るところで目に付くので、両者をバランスさせるにはどうすべきかを考えようと思ったのですが、それはまたの機会とさせて頂きます。

                                       神童 拝

12月 14, 2009   2 Comments