プレミアムエイジ ジョインブログ
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君よ、安らかに

  クリスマス・イブの日に、彼は逝った。突然の死だった。少なくとも僕にとっては。59歳で現役引退を決断し、その後は本当に自分がやりたかった油絵の道に入り、情熱の全てを絵に注ぎ、千葉県展に入選、「よし、これからだ!」と言っていた君が・・・・・。

  後輩のK君と葬儀場で会った。彼からK君に23日に電話が掛かって来たのだそうだ。「俺さぁ、癌になっちゃって! 慈恵医大で診て貰ったんだけど、明日、紹介状を持って国立がんセンターに行くんだ」と告げたそうだ。

  K君、それが信じられなくて、もう一度様子を伺おうと思って、翌日、彼に電話したら奥様が出られた。やはり事実だったそうだ。がんセンターでは、彼が胸の痛みを訴えていたので、取り敢えずの処置として痛み止めを注射したというところまで、奥様から聞いたらしい。そして、その日の内に彼はついに帰らぬ人となってしまったと言う。

   癌だと分かって、これほど早く亡くなるとは本人も更々思っていなかったことだろう。これから彼が描こうとしていた絵画の構想は幾つもその頭の中を巡っていたに違いない。それを形にする時間すらないとは信じられなかったことだろう。

   彼のこの6年間で彼の絵は凄い速さで進化し、過去2度、銀座画廊で個展を開いた。僕は2度目の個展の時、オープニング・セレモニーに駆け付けた。僕も丁度引退後で音楽活動を行なっていたから、絵画と音楽の違いはあるが、同士と見てくれたのだろうか、彼は僕の参加をとても喜んでくれた。

  最近も如水会館で一橋大OB画家展に出品していて、「この日とこの日は会場に詰めているので是非来て欲しい」と連絡があった。でも僕はそのどちらの日もライブや他の都合が重なり、行くことは叶わなかった。今となってはそのことが大変に悔やまれる。

   1994~95年の頃、彼は会社の企画部門として、生命保険会社立ち上げの責任者になった。僕はシステム部門の部長として、新たに誕生する生保会社のシステムを準備する責任者も兼務することになった。

  生保の事務やシステムをどういう作戦で形にして行くか、僕は彼と何度も話し合った。実のところ、その時のシステム部門に、未経験の生保システムを構築出来るだけのノウハウと余力がある訳でもない。

   その頃、同業他社も同じように生保会社を立ち上げようとしている。彼との一致点は3つ。① そういう会社に呼び掛け、共同開発によりコストを大胆に落とすこと。② それもゼロからシステムを作るのではなく、既存生保システムをベースに最低限の手を入れるだけにして、システムに事務を合わせる。③ 社内からは様々な反対や批難があると思われるが、それ以外の道はない。

  結果、7社共同開発という、業界初の大規模本格システムの共同開発に成功し、各社コストを最大7分の1にすることが出来、且つ、開業期日に堂々と間に合わせることが出来たのだった。僕の言ったシステム方針を、彼が全部飲んでくれて、且つ、本社内の雑音を全て封じてくれたから、成功したのだ。

   この時の礼もまだ言えていない内に彼は黄泉の国に旅立ってしまった。でも、今言おう。届くかも知れないから。「あの時は本当にありがとう。君無しでは多分失敗していたよ!」。

  「君よ、安らかに」、合掌。

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