プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 1月 2010

山本冬彦コレクション展、NHKテレビで特集     編集部

我がジョイン・ブロガー、山本冬彦氏のコレクション展が開催されておりますが、その山本氏の活動が、明日(2月1日)のNHK「おはよう日本」で紹介されます。以下はご本人からのお知らせ内容です。多くの方にご覧頂ければ幸甚に存じます。
 
                            プレミアムエイジ編集長              

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【NHK「おはよう日本」の放送日時のお知らせ】

佐藤美術館でのコレクション展を中心に私のアート活動がNHK「おはよう日本」で放送されることになりました。昨日で取材・撮影もほぼ完了し、放送日時が決まりました。
放送日は2月1日(月)で全国放送となります。
「おはよう日本」自体は朝4時半から8時15分までの長丁場ですが、
放送時間は午前7時~7:45までの特集ですが、どこかになります。(細かい何分ごろというのは、前日夜でないと決まらないようですし、何か大事件があれば延期になることもあるそうです。)

※佐藤美術館、ギャラリーツアー、アート購入者のご自宅、若手作家の製作現場など、様々な取材・撮影を行ったようですが、数分間ですから、どこが出て、どこが出ないかなどはまったく分かりません。
 
                          アートソムリエ  山本冬彦

1月 31, 2010   No Comments

外国人参政権

 
  何故今「外国人参政権」なのか。唐突に今国会に法案提出される雲行きである。法案は地方選挙権に限定するようなのだが、この件に関しては、国民的議論は殆どなされていないのに、拙速に決めて良いものか。

  一般的にその国の国籍を持たない者に選挙権が認められないのは、国家自治の原則からすれば至極当然のことで、外国人が国民と同じ権利を持って政策決定に関与するのは形を変えた被植民地主義である。

  外国人に参政権が認められないのは、万国共通である。但し、例外的にヨーロッパはEUの進化と共に、EU内出身者で一定の条件を満たした外国人居住者に対して参政権を認めるケースは増えている。しかし、これもEUという国家を超えた国家を目指そうとする国々にとって、必然の試みだろうと思う。

  それとの対比で言えば、日本を初めとする東アジアには、EUのような世界を築こうという風潮は無い。無いと言うのが言い過ぎならば、特に推進役を果たすべき日・中・韓の利害が折り合わず同床異夢のままだ。そういう状況下で、何故今「外国人参政権」なのか?

  昨年12月に、小沢幹事長が現職の国会議員140名超、一般人500人弱を率いて訪中してその権力を誇示した後、小沢自身は韓国を訪問。

  12月12日にはソウルの国民大学で講演し、在日韓国人ら永住外国人への地方選挙権付与法案について、来年の通常国会で成立させたい意向を表明した。それ以降「外国人参政権付与」問題が急浮上したように見える。

  小沢は韓国の受けを狙って、或いは、謝罪の気持ちを含めて、戦前に強制的に日本に連れて来られた、朝鮮半島出身の永住外国人を念頭に、地方選挙権を付与したいと思っているのかもしれないが、それだったら、彼らに日本国籍を取って貰えば良い。彼らの帰化が法制上・手続き上簡単でないなら、そのことこそ規制緩和すれば良い。

  いずれ100万人にも達すると見られる中国出身の永住外国人を含め、東南アジア、南米等様々な永住外国人が増える中、日本国籍を持たない人間に選挙権を与え、政策決定に関与させることなど、国家感の喪失の表れ以外の何者でもなく、決してあってはならないことだ。

  また、彼らは税金を日本人と同じように払っているのだから、投票権を認めてやっても良いのではないかという、些か情緒的賛成派もいるかも知れない。しかし、それは逆に、世界各国に住む沢山の日本人が、同じように税金は払うが投票権は無いことを想うべきだ。

  永住権(=参政権・土地所有その他権利の制限多い)と国籍(=市民権)とは違うのが当たり前で、どの国でも、国籍取得の方が永住権取得より条件が遥かに厳しいのが普通だ。

  心の寛容とか狭量とかの問題ではないということ。ことは国家主権に関わること。国家主権を侵さず社会秩序も乱さないと認められた永住外国人に、日本人と同じ権利を認める、それが帰化制度だ。

  だから、小沢が本気で朝鮮半島出身者に参政権を与えたいのなら、帰化制度の緩和・見直しを行ないたいと言うべきであり、外国人に地方選挙権を付与すると安易に言うべきではないのだ。そのことは絶対に認められないし、反対と言わざるを得ない。

  1政治家の隣国へのパフォーマンスのために、国の基盤を揺るがせてはならないとつくづく思う。この国は誰のものか、この町は誰のものか、基本に立ち返って議論を深める必要がある。

1月 29, 2010   5 Comments

男6人湯布院の旅(6) - 完 -

 
  2泊目は別府温泉に泊まった。幹事によると、一泊目湯布院、2泊目黒川温泉という、今人気ナンバー1とナンバー2の温泉に宿泊するプランだったが、1月のこの時期、黒川温泉は平日なのに予約が取れなかったとのこと。凄いことだな。この不況の時代に、ここだけは別世界みたいだ。

  僕等が泊まった別府温泉の旅館は、温泉が湧き出ている「地獄」と呼ばれる所がいくつもあり、「地獄巡り」として有名な観光地に比較的近かった。この旅館の「売り」は、想像を超える大きさの露天風呂とのこと。

   僕等は宿に着くなり、大浴場に直行した。この旅館はTさんが九州に来る時は必ず泊まる宿とのことで、黒川温泉には泊まれなかったが、ここなら一行が満足してくれる筈と思って幹事に進言してくれた所だ。

  確かに、物凄く大きな露天風呂だが、背の高い植物が周囲に密集していて、普通の和風露天風呂の趣ではなく、ジャングルの中に存在する天然の温泉のイメージだ。風呂の大きさは学校にあった25mプールの半分くらいの大きさだ。そして、奥に進んで行くと左の一角が、別方向に風呂が広がっていて、入り組んだ形のジャングル風呂になっていた。

  露天風呂の大きさとしては、昔、僕の師匠である「Fさんを囲む会」で行った、群馬の渓流沿いにある宝川温泉のそれに匹敵するだろうなと思った。その時もそうだったが、別府温泉も大きな露天風呂というのは、本当に贅沢な気分になり気持ちの良いものだ。

   翌日は、朝、短縮版「地獄巡り」を経験するために、宿から程近い「血の池地獄」(血の色をした湧き湯池)、「海地獄」(青色の沸き湯池)、それと「鬼石坊主地獄」(どろ湯の底からブクブクと湧き出る泡が坊主頭のように表面に現れる池)を見てから、一行を乗せた大型タクシーは、本ツアー最大のイベント、「本場ふぐ料理」を堪能するため、一路臼杵(うすき)に向かった。

   臼杵に到着後、食事の前に、国宝の「石仏」を見学した。Tさんが盛んに「マガイブツ」と言うので、僕は「まがい物」の「物」(モノ)を「ブツ」と読み替えているのかと思った。まがいものの国宝とは一体何?

  何の予習もしてこなかった僕は勇気を出してTさんに訊いてみた。この国宝は大分県に沢山現存する「磨崖仏」(まがいぶつ)と言われる、切り立った崖や岩を仏像の形に彫ったものの1つだとのこと。その石像は想像以上に立体的で、背中の部分が岩とくっ着いているだけで、横から見ても殆ど自立した石の仏像に見える。

   さて、昼食の場所へ。その前に、臼杵市内をタクシーでゆっくり巡廻して貰い、この町が城下町であることを知った。何処となく小さい頃育った故郷は信州松代に似ている気がした。

  昼食はTさんお勧めの小さな料理屋だった。ふぐ会席の店「にしきや」。料理人も女将もTさんが友達を連れて来てくれたことがとても嬉しそう。

  午後1時から「ふぐのフルコース」を美味しいひれ酒と一緒に頂いた。ふぐ刺し、ふぐ鍋、ふぐのお吸い物、ふぐおじや。流石に流れの急な海で鍛えられたふぐの刺し身は、腰があり、1枚1枚が厚みもあり、その歯応えはこれまでのふぐとは丸で違う別次元のものだった。

   Tさんが教えてくれた。「養殖のふぐと、天然のふぐの違いはひれを見れば分かる」と。狭い養殖場ではふぐ同士がぶつかるので、ひれが損傷しているが、天然のふぐのひれは実に綺麗だということだ。それを見分けるために、ひれ酒は絶対に飲まないといけないとか。
 
   3時を過ぎたところで、幹事のW氏が昼の宴会打ち切りを宣言。名残惜しさを胸に、大分空港に向かい帰路に着くことになった。こうして、僕等男6人の贅沢三昧二泊三日の大名旅行は終った。

  メンバー全員体重が2キロほど増えていた。あれから10日。この2キロがなかなか落ちない。
 
                            男6人湯布院の旅  -完-

1月 28, 2010   No Comments

二人だけのコンサート

 
  先週末、地元のホールでコンサートを行なった。高岡建治とクーペの「二人だけのコンサート」。2人は、芸能界デビュー以前からの40年来の親友。ハチャメチャな人生を共に過ごした仲でもあり、2人のトークを中心にしたライブ・コンサートにしたいとクーペが言っていた。

  高岡建治は、団塊の世代の人達には良く知られている俳優だが、元々は歌手だった。高校球児として鳴らした高岡は、本気でプロ野球の世界を目指し、現に阪急ブレーブスからの打診も来ていたが、ひょんなことから芸能界にスカウトされて歌手デビュー。

  当時の所属プロダクションからは、森進一がデビューして大ブレーク。続いて布施明がデビューしてこれまた大ブレーク。第3の男と期待されていたのが高岡建治だったという。しかし、高岡は何曲か出すが悉く空振り。

   ある時、作詞家の先生がアメリカから帰国して、高岡に「君にピッタリの曲がアメリカにあった。僕がそれに日本語の詩を付けたから、これを歌え」と言って譜面を渡してくれた。何度も練習して、さあいつでもどうぞ、とレコーディングの連絡を待っていた。

   ところが、ある時自宅でテレビを見ていたら、何とその曲を布施明が歌っているではないか。そう、あの「マイ・ウェイ」の日本語版。その後、布施明の「マイ・ウェイ」も大ヒット。彼は全てを悟り役者に転じた。ここまでは以前「クーペ&Shifo」のライブのゲストとして出演した時の高岡建治が自ら語った話だ。

   その高岡が、今度は55歳でゴルフに巡り合い、3年間の猛特訓でシニア・ゴルフのプロ・テストに見事合格したのだ。今、60歳の高岡の夢は「シニアの試合で優勝すること」と迷わず語った。

   一方のクーペも61歳。サウナ暮らし・その日暮しだったクーペも、人々を前に国際フォーラムやNHKホールなど大ステージに立ち、いずれは、サントリー・ホールやアメリカのカーネギー・ホールに立ちたいという夢を持つ。

   クーペはこのライブで、「60過ぎても夢は叶う」というメッセージを見に来てくれた人達に送りたいと思っていたようだ。その目的が達成したのかどうかは分からないが、少なくても舞台袖で見ていた僕は、あの高岡建治のバイタリティー溢れる歌声と、あれだけの高いキーにも拘わらず、ちゃんと声が出ている若々しさに魅了されていた。

   クーペと高岡2人の共通の仲間という岡崎ゆきが、途中ゲスト出演してくれた。当初挨拶だけと言ってたのに、高岡建治とのデュエットで「ニューヨーク・ニューヨーク」を歌ってくれたのには感激した。嬉しいサプライズと、2人のプロフェッショナリズムに感動したのだ。

   僕等おじさんバンドは、自分達だけで3曲、Shifoのバックを2曲、クーペのバックを2曲。ここまではいつものことなので緊張は無いのだが、2人のトークの間に歌われる高岡建治のバック演奏は、これで5~6回目となるのにいつも緊張する。彼がプロ歌手だと知っちゃったからか。

   彼の歌の伴奏をした曲は、「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」、「旅人よ」、「君の瞳に恋してる」の3曲。このうち2曲は、リハ無し、ぶっつけ本番だったから異常に緊張したんだろうな。きっと。

1月 27, 2010   No Comments

男6人湯布院の旅(5)

 
  大型タクシーに乗り込み、阿蘇に向かう途中、「九重夢の大吊橋」に立ち寄った。まだ朝9時過ぎ。300m超の長い吊橋を渡るのには、谷風も冷たく少々季節が合わない。

  でも、昨日から空一面雲一つ無い日本晴れの下、僕は気持ち良く歩いたが、谷底から170m強ある高さに、高所恐怖症のKさんとWさんは、無言でそろりそろりと歩いているのが可笑しかった。

  この長さ日本一の吊り橋、3年前に完成したものだという。今では必ず観光バスが立ち寄る人気の観光スポットのようだ。だが、この日は、まだ朝早かったせいか、はたまた冬真っ只中のせいか、人は疎らだった。僕等にはそれは好都合だったが。

   吊り橋を往復して、再び、タクシーに乗り込み、「山並みハイウェイ」を西に、九重連峰を横断して阿蘇山に向かう。

  途中、阿蘇一帯が一望出来る場所に車を止め、写真撮影。僕は2年前にも阿蘇に来ているので、初めてのメンバーに説明してあげた。まずは、向かいに見える阿蘇五岳について。その形がお釈迦様が仰向けに寝ている姿に似ていることから、涅槃像と言われていることを。

「左が頭部、山の稜線が横顔に見えない?」

「あぁ、ホントだ! 人の顔だ! 髪の毛を左の方に伸ばしている。右の方に胸が有ってお腹があって、あれ、お臍の辺りから煙が上がってるね」

「あそこが中岳という山で、今も噴煙を上げているところ。お臍でお茶沸かす、ってこのことだね?」

  そしてカルデラについて。

「阿蘇は大昔、大噴火によって空洞になった地下がドスンと陥没して出来た地形なんだよ。カルデラと呼ばれる地形でね、スペイン語で鍋のこと。フライパンの形と思ってよ。その規模が物凄いの。外輪山はフライパンの外側の高い所。今いるところが外輪山の上。ほら、ぐるりと外輪山が円形に左右に延びてるでしょ。そして、普通、反対側があの涅槃像だと思うよね?」

「え?! 違うの?」

「阿蘇五岳はフライパンの真ん中に出来た卵焼きと思ってよ。外輪山のここの反対側は、涅槃像の更に向こうなんだ。ここからは見えないけど」

「物凄いスケールなんだ!」

  友人は絶句していた。僕も澄み渡った天気の中で、この大パノラマを再びみることが出来、涅槃像にまた会えて、とても幸せな気分になった。

  その後一行は、立野という所で昼食を取ってから、中岳の噴火口を目指し、麓からケーブルカーで火口を見に行った。本日は、噴火も小さくガスの発生もないということで火口を目の当たりにすることが出来た。火口の周囲には、トーチカのような無数の避難場所があり、ものものしい雰囲気を醸し出していた。

  前回阿蘇に来た時は火口まで行けなかったから、やっと本丸に辿り着けたと思った。

1月 25, 2010   No Comments

男6人湯布院の旅(4)

 
  湯布院の宿は、山の中腹のかなり高い場所にあった。早速、温泉に飛び込んだ。他の客はまだ誰も到着していないようで僕等だけだ。風呂の窓からは、正面に由布岳が大きく聳え立ち、湯布院の町全体が眼下に見渡せる。何箇所も湯煙が上がっているのが見える。

   夕方の5時なのにこちらは明るい。太陽も沈むにはまだかなり時間がある。この時刻、東京ならもう夕闇なのに。その上、今日は朝から雲一つ無い快晴・日本晴れだ。昼日中、のんびり温泉に浸かっているようで、とても贅沢な気分。

  日曜日ということもあって、今日は宿もすいている。僕らの外にはもう1グループだけのようで、夕食の間も貸切りに近い。さあ、昼のハモ(鱧)料理に続いて今度はふぐ料理だ。

  ふぐはやはり、ふぐ刺しが一番。僕自身はふぐ大好き人間だが1年振り。旨い。ヒレ酒がまた格別。久し振りに会した仲間達。心行くまで大いに食べ、大いに飲んだ。部屋に帰って更に2次会。そして、夫々の部屋に戻って大満足を頭から被って即就寝。おやすみなさい、 z z z z z

   翌朝、目が覚めたら6:20。良く寝た。さて朝風呂に。風呂場には誰もいなかった。湯に浸かりながら窓の外を眺める。夕方は東京より小一時間遅いみたいだが、逆にその分、朝が明けるのが遅い。

   景色全体はほの暗い。だが、由布岳や周囲の山並みは、仄かな朝日の前触れを背に受けて、シルエットに映し出され、稜線だけがくっきり見える。その遥か下、遠くに沢山の灯りが煌めく湯布院の町が見える。

   暫く見入っていた。最初より明るさが増したせいか、町の上空に薄っすらと朝靄が立ち込めているのが分かる。朝日が昇る前の、薄暗い山々を背景に浮かぶ沢山の街の灯りとそれを包むような朝霧。なんと幻想的な風景だろう。昔、娘が2~3歳の頃買い与えた絵本の影絵を思い出していた。

   朝一番、全く日常と異なる幻想の世界を温泉に浸かりながら独り占め。男6人でやって来る場所ではないことを今更ながら理解しながらも、偶然の贅沢を心から堪能していたら、仲間のNさんが入って来た。仕方ない、この辺でこの贅沢を交代してやろう。

   今日のメイン・イベントは阿蘇山観光だ。

1月 23, 2010   No Comments

男6人湯布院の旅(3)

  
  今回のグルメ旅行、最初は中津のハモ料理。中津はご存知福沢諭吉の生まれ故郷。その時代から有ったのかどうかは知らないが、メンバーのTさんのお勧めで「瑠璃京」(るりきょう)というハモ(鱧)料理専門店でハモのフルコースを頂いた。Tさんは印刷会社の社長さんで、長く印刷業に携わって来られ、知る人ぞ知る業界の重鎮である。

  人は彼のことを「印刷業界の知恵袋」とか「印刷の神様」とか呼ぶので、ご存知の方もおられると思うが、彼の知識は、印刷に止まらない。そもそも今回の観光ルートはTさんの推薦なのだ。この地を何度となく訪れているから、本当に詳しい。

   旅行初日のこの日、午前中に回った、富貴寺・昭和の町・宇佐神宮については地元の人以上に詳しいのではないかと思うくらい、僕等に丁寧に説明をしてくれた。地図上の位置関係から夫々の言い伝え、由来、年代まで。僕等には無料のベテラン・ガイドが着いている。

  その彼が、交友関係を活かして、この「瑠璃京」という店に案内してくれたという次第。「ハモの落とし」が京料理として有名だ。湯引きしたハモを一気に氷水で冷やし赤い梅肉で食べるあれだ。だが、中津では、ハモ刺からハモシャブ、ハモシュウマイにハモ茶漬け、etc。正にハモづくし。

   骨の歯ざわりも含めてとても旨かった。京都で食べた時はそれほどでもなかったのに、ハモの捕れる本場中津で食べて、初めて旨いと思った。酒も進んだ。まだ昼なのに、宴会のようだ。まだみんなここで盛り上がりたい雰囲気だったが、幹事のWさんが出発を促す。

  渋々、全員大型タクシーに乗り込み、午後の観光に出発。午後は「青の洞門」と「耶馬溪」を見て、一路湯布院へというスケジュールだ。

  中津から山国川沿いの国道212号線を南下。僕はTさんに「『青の洞窟』って何ですかねぇ?」と聞いた。「神童さん、『青の洞窟』はイタリアの観光ルートですよ。こちらは『青の洞門』です」と言われてしまった。

  大正時代に菊池寛が発表した「恩讐の彼方に」の舞台として、一躍有名になった場所らしい。山国川の激流に垂直にそそり立つ断崖絶壁。鎖渡りの難所と、言われ通行人には大変危険な桟道だった。

  享保の頃、この地にやって来た禅海和尚が、この難所で通行人が命を落とすのを見て衝撃を受け、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと決意して、「ノミと槌だけで30年掛けて掘り抜いた」と言われている。

  そのトンネルの中を歩いてみた。トンネルは明治以降に補修されているが、その前の姿を何箇所も残していて、天井から側壁全体にノミで細かく掘られた跡が生々しく、今も禅海和尚のこけの一念を伝える。

  次は、耶馬溪観光。再び大型タクシー(ワンボックス・カー)に乗り込み、暫しのドライブ。この時間帯になると、昼の宴会の酒が利いて来て、みんなの瞼が重くなる。それまでは大人の遠足みたいで騒がしいくらいだった車内は、遂に運転手と助手席の幹事Wを除いて全員が深い眠りに落ちた。

  気が付いた時には、車は既に高速道路を湯布院に向かって走っていた。幹事に聞いたら、みんな眠っていたから、耶馬溪はそのまま通り過ぎたのだと言う。まぁいいか、耶馬溪は2年前カミサンと旅行に来て見てるから・・・

1月 22, 2010   No Comments

男6人湯布院の旅(2)

  豊後高田市から中津市に向かう途中、宇佐神社に立ち寄った。宇佐八幡宮とも言い、全国に4万以上ある八幡宮の総本山である。この神社、いつからのものかは不明らしいが、少なくとも708年に社殿が建て替えられたことは判明しているという。長い年月を思わせる背の高く太い幹の木々が鬱蒼と生い茂る森林の中を進むと、大きな朱色の鳥居が表れる。

  階段を更に進むと、西大門がありそれをくぐると、上宮と言われる本殿に到着する。但し、本殿の前には通常開かずの門となっている南中楼門までが参拝が許される場所なのだ。メンバーの1人が「境内のイメージがお伊勢さんに良く似てる」と言っていた。どっちが古いんだろう?

  国宝の本殿は3殿から成り、第1殿に応神天皇(八幡大神)、第2殿に比売大神、第3殿には神功皇后が祀られており、夫々、国家の神・武士の神・庶民の神とされている。南中楼門にもそれに対応するように、3箇所に分かれて、賽銭箱が設置されていた。僕はその真ん中1箇所で賽銭を投じた。

  西大門といい、南中楼門といい、柱の朱、壁の白、屋根の黒のコントラストが鮮やかで、寺とは違う華やかさを感じる。

   南中楼門で記念写真を撮った後、直ぐ近くの下宮に参拝。上宮を小振りにしたような建物で、上宮と同様、同じ3神を祀っている。朱・白・黒も全く同じ色彩。賽銭箱が3つあるのも同じ。

   僕はここではお参りしなかった。そしたら、上宮でも3箇所、ここでも律儀に3箇所、全部にお賽銭を投じたメンバーから、「神童さん、1箇所だけじゃご利益は6分の1になっちゃいますよ」と言われたので、「いや、最初のところで6箇所分お参りして、お賽銭は神様の方で6つに配分して、と頼んどいた」と答えておいた。

   他にも沢山の神殿やお寺があり、夫々に賽銭箱が置かれているから、全部回った人は平均幾らくらい使うんだろう、とどうでも良いことを考えていた。お金は必要なんだな、神様なのに・・・

1月 21, 2010   No Comments

男6人湯布院の旅(1)

  湯布院は相変わらず人気ナンバーワンの温泉地なのだが、若い女性達の圧倒的支持があってのこと。彼女達が憧れて全国から大勢がやって来る湯布院。そこに男だけの6人組で行って来た。相当怪しい一行と思われても仕方ない旅だった。

  この一行、「信友会」という信州出身の中小企業の経営者のグループだ。システム会社・印刷会社・事務機器販売会社など業種は様々。そこの経営者達が年に数回集まって、勉強会や飲み会を30年近く続けて来た異業種懇談会のメンバー6人である。

  フル・メンバー11名から成る会だが、日曜出発火曜日帰京という行程なので平日2日連続休めない人や、丁度その日、商談で他の地域に出張予定の人、旅行することにドクター・ストップが掛かった人などがおり、最終的に6名となってしまった。

  今回の旅行は、目的の第一がグルメ。ふぐ料理や、はも料理を初めとするグルメ三昧を一度経験しようと集まった人達だ。冬は何と言ってもふぐだと一致し、メンバーの中に大分県の臼杵(うすき)で一番のふぐ料理屋に是非みんなを連れて行きたいという人がいて、そこに行くことが決った。

  第二が温泉。九州の温泉地と言えば湯布院・黒川・別府。この中の2箇所に泊まることにし、幹事に一任した。

  第三の目的が観光。阿蘇に行くことを条件に、その他の観光地は、これも幹事に一任。

  一行は8:05発のANAで羽田から大分空港に向かった。朝の混雑で20分ほど出発が遅れたが、10:00前には大分空港に到着。そこからは、ワン・ボックス・カーのタクシーで観光する。

   大分空港から中津に向かう途中、国宝の富貴寺大堂に立ち寄って、歴史の重みを感じながら観賞した。富貴寺は718年の建立とされる。最初は日本古来の山岳信仰の霊地、修行の場としてあったものが、平安時代後期には天台宗となり、比叡山延暦寺の末寺となった。

   勿論補修はされているだろうが、1,300年も前の木造建築が威風堂々とその佇まいを維持していることの凄さを思った。中に入ると木造阿弥陀如来坐像(本尊)が鎮座し、かなり色褪せてしまっているが当時描かれた大堂壁画が見られる。

   その後大型タクシーは、豊後高田市の「昭和の町」に到着。昭和の時代、国東半島で最も栄えた町と言われた豊後高田もその後郊外の大型店に食われ、過疎化も進み「犬と猫しか通らない」と言われるまでに衰退した。それをもう一度町おこししようと町の再生が始まった。

   町並みは、店の店頭に三脚に載った古いテレビや洗濯機などが陳列されていたり、店の概観も古き良き時代を思い出させる、当時の懐かしさを再現してくれている。聞くところによれば、昔ながらの建物のまま、外壁のみをリフォームしている店が多かったので、それを剥がすだけで昭和の時代を再現出来たと言う。

  豊後高田の「昭和の町」、地方都市再生の成功例として全国的に名高い。

   2~3年前に「三丁目の夕日」という映画が人気だったが、ヒットの背景はその時代に育った団塊世代前後の人々を強く引き付けたことだったろう。

   逆に言えば、「明治の町」や「大正の町」では、懐かしさを感じる世代が極端に少ないし、高齢でその町に行くことも出来ない。そう考えれば「昭和の町」も団塊世代が動ける内かなとも思える。

  メンバーの一人がぽつりと言った。「自分の田舎に帰れば、これと似たような感じだから、あまり感動しないけど、シャッター通りじゃないのが違う」。

1月 20, 2010   No Comments

ある講演会

  ある講演会に、JTの代理で出席して来た。この会は何でも20~30年前、異業種懇談会として始まり、今も講演会を隔月開催しているグループである。

   この日は、「民主党の『脱官僚』と政策実現は本当に可能か?!!」というテーマで、「シンクタンク2005・日本」の創立者(前理事長)で現理事、中央大学客員教授の鈴木崇弘氏の講演会だった。

   彼は、小泉純一郎が首相になる前から、竹中平蔵と共に小泉の私的政策検討機関の役割を負っていたようだ。民主党が「脱官僚」を標榜して「事業仕分け」や「次官会議」の廃止など目新しいやり方を進めているが、「脱官僚」は実は自民党時代も、中曽根首相や橋本首相の時代に行なわれ、小泉首相の時代には彼のリーダーシップで特に強力に進められたと言う。

 その体験から鈴木氏は言う。

 「脱官僚」とは、政治主導で政策を作り、官僚がそれを忠実に実施することとは言うけれど、政策立案を本当に政治家がやれるのか? そこをしっかりさせないと、国の政策が全て場当たり的・その場凌ぎになってしまう。

   比較的小さい省庁の外務省でも6千人の職員がいる。そこに大臣・副大臣・政務官等たった4人で乗り込んで、実のあるマネージメントが出来ると思いますか? マネージメントだけでも大変なのに、4人で全部の政策を立てられますか? 

   政治家は忙しいんです。各省庁の政治家は様々な行事にかり出され、週末には地元に帰って報告会をしなければいけない。放っておけば結局官僚に頼らざるを得なくなる。民主党の「脱官僚」も多分絵に描いた餅になるだろう。

   私は声を大にして言う。政策形成の仕組みを作れと。手前味噌だがそこがシンクタンクの出番。政策を作り上げるシンクタンクなくして「脱官僚」は有り得ない。これはアメリカでもヨーロッパでも当り前のこと。

   鈴木氏はご自身のお仕事の宣伝を兼ねて「脱官僚」を語っていたが、僕が面白いと思ったのは、講演が終了して質疑応答に入ってからだ。彼の本音が表れた。

「小沢氏の金を巡る問題とその民主党政権への影響をどう見ていますか?」との質問に対して、

「逮捕されるかどうかは別にして、小沢氏の政治生命が終るようなことになれば、今後の見通しは混沌となるでしょうね。年末までは、自民や他の政党を巻き込んで、民主党が親小沢と反小沢に割れて新たな2大政党制に政界再編されると考えていました。でも、こう小沢さんが危ない状況になると、正直、読めません」

「ついでに言いますが、もう一度自民党政権に戻ることは絶対にありません。自民党は総裁選びを間違えましたね。谷垣さんを選んで、彼が民主党政権を批判しても、貴方に言われたくないの一言で国民は頷いてますから。自民党が復活するには、過去の自民党を断ち切って、民主党の先を行く政策を打ち立てなければダメです。若いリーダーを総裁にして次代を担う政党というイメージを全面に出さないと・・・。負けた時の自民と今の自民、何も変わりませんもん」

  安倍・福田・麻生・鳩山と、昔の大総理大臣や大政治家の2世3世が首相として続いた不幸や、他の先進国に大きく見劣りする、平均首相在任期間1年強(毎年首相が変わる)の日本の不幸、アメリカ大統領のリーダーシップに対する日本の首相のリーダーシップの、比べようもない貧弱さ、等など、鈴木氏の見解を聞ける時間が無かったのは残念だった。

1月 15, 2010   No Comments