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ペーパーレス
今から30年も前になるだろうか、会社のシステム部門に、オーストラリアの保険会社の視察団が訪ねて来たことがあった。彼らは当時の日本の金融ビジネスを調査・視察に来た一行だった。
彼らは銀行・証券・保険などを幅広い角度で視察するため、手分けして何社かを訪問して様々な分野の人間から話しを聞くツアーだったようだ。当社には保険システムを視察にやって来たらしい。
彼ら一行は全部で10名強とのことだが、我がシステム部門を訪れたのは3名。こちらは部長以下数名が出席。僕も若手SEとして参加を命じられた。
当社システムの概要を説明して(通訳が付いて来ているので説明は日本語)、質疑応答、更にフリー・ディスカッションとなった。
3人の中の責任者と思われる白人が、盛んに「パイパーレス」「パイパーレス」と言う。僕は最初それが「パイプ・レス」と言ってるように聞こえたから、「日本には、パイプ・タバコがない。シガレットしかない」と言ってるのかと思った。全く変なことを言う外人さんだ。
通訳がそれを「ペーパーレス」と日本語(?)に約してくれたから、やっと言っている意味が繋がった。かれは、僕等に「ペーパーレスについては、どういう取り組みをしているか?」と聞いていたのだ。
「ペイパー」を「パイパー」と発音するのは、オーストラリア圏独特の英語なのだ。「エイ」が「アイ」となる。それを遡ればロンドンの下町言葉だという。
英語の笑い話に、「I go to hospital today.」(私は今日病院に行く)をオーストラリア人が発音すると、「I go to hospital to die.」(私は病院に死にに行く)となるというのを思い出していた。
さて、ペーパーレス。こちらが答える前に、オーストラリアの保険会社ではどういう努力をしているのか聞いてみた。
彼は、「会社から顧客に何でもかんでも紙で知らせるのを、思い切って全部止めることを検討している」と言った。キャッシュカードのようなものを顧客に送って、以降、そのカードで店舗設置端末から内容が全て分かるようにするつもりのようだ。
銀行のATMで顧客の日常の用事は全て済むのだから、銀行以外の金融機関もいずれはそうなるかも知れない。ただ、日本の保険事情では顧客はまず保険会社の店舗に出向かない。おばちゃん部隊や代理店が顧客先に赴くのが慣例だから、簡単には銀行のようにはならないだろうと、彼の話を聞きながら思った。
なので、当社は、寧ろ、社員1人1台の端末を設置して、社内事務を紙ベースではなく、画面操作で全て終るようにして紙の使用量を抑えることを考えていると伝えた。
これは30年前のことだ。では、今、日本全体ではどうなのだろう。印刷業界のある重鎮が言うには、パソコンが企業に大量導入され社員1人1台の時代になってからは、それ以前に較べて、遥かに紙の使用量が増えたという。その後各家庭にまで普及してからは、更に使用量が伸びたという。
30年前、国を挙げて行なった筈のペーパーレス運動は、一体全体どうなっちゃったのだろうか。地球環境問題がここまで深刻になっている今、もう一度国民運動に引き上げる必要がある。
大事なのは、出来ることから。僕はささやかながら、今回から年賀状の出状はやめて、e-mail 年賀状に変えた。(手抜きのように受け止められかねないので)決して評判が良いとは言えないけれど、次回以降も続けようと思う。
メール・アドレスの分からなかった方には、新年のご挨拶を欠いた失礼を、この場を借りてお詫び致します。
1 月 14, 2010 No Comments
一年の計(2)
たかが一年の計、されど一年の計。
口に出してこそ意味があるのだと思う。他人に、自分は今年こういうことをやり遂げる、こういう一年にすると宣言することは、内面の決意、即ち、自分との約束を、外部との約束という形で補強することだから、自分の中だけなら安易に妥協をしそうになっても、それにブレーキを掛ける効果がある。
他との約束は当然ながら、言ったことに責任を持つことだし、有言実行か有言不実行かで己に対する周囲からの信頼度が決る審判の場となる。
その意味で、クーペ自らも、また、音楽や芝居の関係者全員に「今年の目標」を言わせようというのは意味のあることと思う。「新年会」に出席出来ない僕にまで、文章にしてくれと言うのは少々行き過ぎとは思うが・・・。
まっ、現役引退後の昨年も今年も、一年の計というものを立てなかったことを反省して、遅ればせながら「神童の今年の目標」を下記に掲げることとする。
【神童の今年の目標】
◎ おじさんバンドの一員としての今年の目標
一つ、おじさんバンド結成5周年を記念して、今年中に、おじさんバンドの
CDかDVDを作成する(オリジナル曲含む)
一つ、おじさんバンド結成5周年を記念して、今年中に、おじさんバンドの
リサイタルを主催する(ゲスト:クーペ&Shifo、コーラス隊)
一つ、おじさんバンド結成5周年を節目として、新境地を開く(芝居・コント
入り演奏など)
◎ 仕事上の今年の目標
一つ、新設保険会社システムの全機能をどこよりも低コストで完成させる
一つ、編集長として「プレミアムエイジ」をメジャー・サイトにする
一つ、編集長として、高村比呂希著「ラストラン」を世に出す
◎ 我が家の今年の目標
一つ、来年の正月も元気で迎えられるよう今年一年を大切に生きる
一つ、昨年カミサンとの約束を守れなかった年一回の海外旅行を、今年
は、必ず実施する
一つ、誰でも良いから、犠牲者を探して娘を嫁がせる(これが一番確率の
悪い一年の計)
一年の計 ― 完 ―
1 月 13, 2010 No Comments
一年の計(1)
クーペから、「1月18日に、店で関係者全員で『新年会』をやる。そこで一人ひとり今年の目標を発表して貰うので、神童さんも是非、おじさんバンドのメンバーとしての目標をしゃべてよ」って言われた。
「悪いけど、その前日から、信友会(信州出身の中小企業の経営者の会)のメンバーで湯布院の方に旅行に行ってるから、新年会には出られない」と丁重に断わったつもり。
「じゃぁさ、神童さんの今年の目標を書いといてよ、俺が代読するから」とクーぺ。
そうだったな、現役時代は、毎年正月明けの初日の朝一番で、私から社員の皆さんに年頭の挨拶というのをしなければならなかったから、正月参賀日はしっかり一年の計を立てて、それを挨拶代わりに話したものだった。
公私に亘る一年の計を全社員の前で語るということは、結構覚悟が要るものなのだ。何故なら、社員はそれをしっかり覚えていて、「この約束は守れましたけど、これはダメでしたねぇ」と、勝手に総括するから、無責任なことは言えないのだ。
だが、年頭の挨拶ともなれば、少しは威勢の良いことを言って、心新たに新しい一年に立ち向かうため士気を鼓舞する必要もあり、安全運転みたいな話だけじゃ座が持たないから、自分の覚悟を含めてかなり踏み込んだ発言もする。
謂わば、私の社員に対する一年間のマニフェストみたいな位置付けのものだった。実際はどの位の割合で約束を守れたのか、敢えて採点しなかったので(その方が無難だったので)分からないが、約束を実現出来たことは、多分、出来なかったことの何分の1だったろうと思う。
だが、この歳になると出来なかったことはすっかり忘れ、達成出来たと胸を張れることだけしか覚えていない。それも生きる知恵なのかも知れない。
ある年の年頭挨拶で禁煙宣言はしたものの、見事に失敗して周囲から馬鹿にされたが、その2年後の宣言は、今日まで4年の間守っており、リベンジを果たせたのも、個人的には年頭挨拶のお蔭と思っている。年頭挨拶なかりせば、今もって禁煙は出来ていなかったと自信を持って言い切ることが出来るからだ。
もう一つ鮮明に覚えているのは、メイン業務に関する一年の計ではなく、関連会社の1つとして親会社の商品販売に協力する運動(契約紹介運動)で、1位となることを宣言したことだ。
会社合併後まだ2~3年しか経っていない時期だったが、日本経済の不調を反映して、親会社の前年の業績もマイナス成長だった。そうなるとグループ全体が暗くなる。
そこで、とてもカンフル剤とはならないだろうが、関連会社が契約紹介運動で1位を取ったら面白いから、是非やろうと年頭の挨拶で社員に提案したのだった。
社員の中には「メイン業務以外に、そこまで関連会社の社員を巻き込むのは、少々やり過ぎではないか」との意見もあったが、「グループ内で当社の地位が上がることは、社員にとっても誇れる会社になるということだから」と説得して、運動に突入して行った。
結果は、断トツの第1位。一躍グループ全体から脚光を浴びることになった。他の関連会社の社長さんからは、「偉いことをやってくれたね。お陰でこっちも、来年は契約紹介運動を真面目にやらないと拙い状況に追い込まれてしまったよ」と、賛辞だか文句だか分からないことを言われたりもした。
でも、何事も運動というのは面白いもので、成果が数字に現れると楽しくなるものだ。消極的だった人達も、本当に1位になれるかも知れないという状況になったら、積極的に運動に参加し、当社全体の数字を大きく底上げしたことが2位との大差(2位の倍の成績)となったのである。
子会社の社員が僕に誠に嬉しいことを言ってくれた。「初めて自分の会社にプライドが持てました。やって良かったです」と。
1 月 12, 2010 No Comments
陥れる
10年前。時代はコンプライアンス。企業の不祥事が相次いだことを背景に、当局も業界指導から、消費者保護に大きく舵を切ったことが背景にある。
とある中堅金融機関A社でも、経営理念の再構築、業務遂行上好ましくない慣行の撤廃、不祥事未然防止の仕組み構築、コンプライアンス推進組織の新設など、社長が率先して旗を振って、新時代に適合する会社を変えようと会社全体が動いた。
下世話な話、出入り業者からの、社会通念上常識のレベルを超える接待・付け届けなど断わるべきことも決められた(原則禁止ルール)。
それが、決められる前、本社の営業推進部門のR部長は隣の営業開発部長のSと共に、出入り業者の一つである印刷業者からの平日の接待ゴルフの誘いにOKを出していた。印刷会社の社長がR部長の大学の後輩だったこともあり、是非一度、関東ではかなりステータスの高い自分のコースに招待したいと熱心に誘うので、R部長は渋々誘いを受けたのだった。
日本経済が不況の出口が見えない中、この一年、営業の世界も苦戦続き。R部長はその印刷会社を使って様々な販売ツールを作った。それも、臨機応変に内容を変えたり、バージョンアップする時、無理を言って突貫工事をやって貰ったり、値段もかなり抑えたり、尋常ならざる協力をして貰った。
そんなこともあって、R部長は印刷会社社長のゴルフ接待を無碍に断わるのは難しいと思ったのだった。
ところが、問題が起きた。出入り業者からの接待を受けることも原則禁止になってから、同じ印刷業者の営業部長が、本社経理部長のTに、同じようにゴルフ接待を申し出た。
だが、T部長は新ルールを理由にそれを丁重に断わった。だが、印刷業者も簡単には降りない。
「御社にそういう新ルールが敷かれたということは伺っていますが、営推部のR部長と営開部のS部長も、うちの社長のゴルフに付き合って頂くことになりましたし、T部長さんも是非お願いしますよ」
T部長の目が光った。が、次の瞬間、何事もなかったように、
「へえ、そうなんだ。でも彼等は営業部門だから、許されるんだけど、僕みたいな純本部は絶対ダメなのよ。折角なのに悪いね。ところで、お宅の社長さんとR達がゴルフやるのはいつなの?」
「日にちは忘れましたが、確か来月の平日だと社長が言っていたような記憶がありますが・・・」
「あ、そう。営業部門が羨ましいよ」
RとTは同期入社ながら、最初からウマが合わない上に、2人とも優秀で、社内ではどちらが先に取締役になるかと、強烈なライバル関係と見られていたから尚のこと、仲が悪かった。
Tは腹心の部下に命じて、RとSが一緒に平日休む日を監視させた。そして遂にその日がやって来た。腹心がそれをTに告げると、Tは脱兎の如く席を立った。直ぐに社長室に飛び込み、室長にことの次第を説明。
社長室長からすれば、社長陣頭指揮で定めた新ルールを、お膝元の本社の、それも、部長職にあるものが破るとなればことは重大。早速、社長室長が該当部に紹介すると、R部長は「父親入院のため帰省」、S部長は「顧客対応(=接待ゴルフ=接待を受ける方ではなく接待する側)」ということであった。
営業上のゴルフ接待を行なうことは、相手先が、社内の接待基準をクリアしていれば特に問題ないのだが、社長室長は一応、明日、Sが出社したら事情聴取することにしするとTに伝えた。
翌日、Sは社長室に呼ばれ事情を聞かれた。Sは京橋支店長と一緒に、現在大きな商談を進めているある宝石商の責任者を接待ゴルフしていたと告げた。室長はその場から京橋支店長に電話して同じことを確認した。
Sは何故そんなことを社長室長に聞かれなきゃならないのか不審に思い、室長に正した。
「ある筋から、昨日、君とRが、出入りの印刷業者からゴルフ接待を受けている、との情報が入ったので、一応、私としてはそれが事実かどうか確認しなければいけない立場だからな。許せ!」
と、社長室長は答えた。
「あぁそれなら、新ルールが決った後、Rさんの方からやんわり断わった筈ですよ」
「分かった。この話、忘れてくれ!」
社長室長はT経理部長に、「君とRの反目には全く関心ないが、ガセネタを持ち込むのだけは止めてくれ!」と怒鳴った。
SはRの耳に入れておこうと、「ある筋」についても予断を含めずそのまま伝えた。Rは即座に言った。「Tのやりそうなことだ」。
1 月 7, 2010 No Comments
ちょっといい話
知人に、人の能力を引き出す研究の第一人者で、ある大学の先生をしているA女史がいる。彼女のブログを時々覗かせて貰うのだが、こんないい話が載っていた。
A女史はある人物を名前を伏せて紹介しているのだが、その人物は、東京デズニーランドを、世界にあるデズニーランドの中でも世界一の集客ランドにした人だ。A女史はこの人物に関して、ブログで度々触れている。
A女史は彼を「神様」と呼ぶ。「集客力の神様」と言われる人物だからだ。察するに、私が認識している人物と同じなら、堀貞一郎という人ではないかと思う。昔、正力松太郎に掛け合って、民放のテレビ局を作らせた人物。
団塊の世代の人なら、昔のテレビ番組「シャボン玉ホリデー」をご存知だろう。そのプロデューサーでもある。放送作家として青島幸雄を発掘した人としても有名だ。東京オリンピックでも大阪万博でも彼の企画力は群を抜き悉く成功して行った。
その彼が、デズニーランドの日本誘致を成功させ、日本での責任者として全体をプロデュースして、大成功を収めた人物、当時デズニーランドを運営する会社オリエンタルランドの社長である。彼の凄さは、開業直後から世界各地のデズニーランドの中で、ずっと世界一の観客数と収益を記録し続けたことだ。
彼の哲学として、テレビにも講演にも一切出ない。益して、ドラマ化や映画化の話には一切乗らない。唯一、観客に如何に感動を与えられるかにしか興味がないようなのだ。
以下、A女史が直接堀貞一郎氏に会ってインタビューした時の話。
その堀氏にも、師匠がいた。堀氏が様々なプロデュースでどんなに活躍しようと、何年経っても、何十年経ってもその師匠、「君は、まだまだ、だな」と言うのみ。決して褒めず、励ましたりもしない厳しい眼差しの人だったらしい。
1983年、堀氏は師匠を東京デズニーランドのオープニング・セレモニーにお招きして自ら案内をして廻った。その時、師匠は遂に「俺を、超えたな」と言ってくれたらしい。A女史が、
「それで堀さんはどう思われましたか?」
と聞くと、
「あぁ、私は、もう、一生この人を越えられない! と、その時、思いましたよ」
と答えた。
偉大な師匠と出色の弟子の関係を表す極みのエピソードだ。弟子が世界1位になるまで「まだ、まだ」と言い続けられる師匠を持った堀氏の幸せを思う。
1 月 6, 2010 No Comments
小沢一郎
昨夜のテレビ東京で、小沢一郎が一時間に亘って村上龍からのインタビューに応えていた。
僕は昔から、ナンバーワンの座(責任を取る立場)に就かず、その影で隠然たる力を楽しむ権力者然とした人物、例えば金丸信のような人物が本能的に嫌いだった。これは多分に、見た目やマスコミとの受け答えでの不遜な物言いなど、外見的印象でしかないことは自覚している。
従って、僕の中では、小沢一郎も金丸信と全く同じ分類に入っていた。だが、昨夜のテレビ出演を見ている限り、小沢の発言は不遜でもなければ、権力者のような上からの言い方でもない。
何より、彼の考え方に賛同出来ることが多かったのは驚きだった。マスコミなどが批判している、国への陳情や要請を幹事長室に窓口一本化したことについて、小沢一郎は次のように語る。
「自民党政権の時代は、族議員が陳情を受け、それを官僚に伝える。或いは、官僚が直接陳情を受けた。そうして結局、官僚達が実質的に予算を決めていた。このやり方が、政・官・財の癒着構造を作った。だから、政権交代を機に、今こそ、その癒着構造を断ち切り、政治が全国国民の声を聞き、政治が予算を決める形に大転換したのだ」と。
更に、政の官僚依存からの脱却については、
「これまで、実務は全部官僚がやってくれたから、政治家はその上に乗っかっていれば良かった。総理大臣は誰がなっても同じ、とか言われていたでしょ。安定した時代には、政治のリーダーシップなんて必要なかったということ。政は不要だった。だけど、変化の激しい時代は政治が国を動かさないといけない」
「日本は、ずっと政も官も(誰が責任者か分からないようにして)責任を取らない、コンセンサスの国だった。これからはそれでは立ち行かない.政治が全責任を負って、国をリードして行かなければいけない」
番組を見る限り、国会では全て大臣が答弁し官僚の出番は殆どなくなった。新人議員は地元との絆を強化するため、隈なく歩いて人々の声を聞き汗を掻く。刑事でも企業でもそうだが現場重視は基本中の基本。小沢は、無血革命という言葉は使っていたが、政治(及び政治家)を本来の姿に戻そうとしているだけかも知れない。
僕は、自分の師匠が昔言った、「日本では、自分の全責任で一国を指導した人は、織田信長以来、1人も出ていないかもなぁ」という言葉が耳から離れない。コンセンサス主義(同意した人全員に責任は分散、ということは即ち、誰も責任を取らなくて良い)という無責任主義からの脱皮の第一歩が、政治の官僚依存からの脱却であるなら大賛成である。
インタビューアーの村上龍が、最近大訪中団を実施して胡錦濤と固い握手をしたりと、中国に顕著に傾斜しているように見える小沢一郎に突っ込んだ。
「沖縄の米軍基地に移転問題について、最近のマスコミの関心は何処に移すのかばっかりでおかしい。もっと本質の、冷戦時の産物だった沖縄基地は、そもそも今必要なのか、といった突込みが無い。その点、小沢さんはどう考えますか?」
「良く議論をして、もし、沖縄に米軍基地は要らないという結論になるなら、アメリカにそう言えば良い。対等に議論出来ないこれまでがおかしな関係だった。自民党が何も言えず、いや、外務省が何も言えなかったのだが。何も言わないで約束通りにさっさと進めないからアメリカがイラつく。そんな繰り返しだったと思う。今後は言うべきことはちゃんと言うそういう関係に変えたい」
昨夜この番組を偶然見ていたエイジ氏がさっき喫茶店で言っていた。
「村上さんの言われる通り、最早、不必要だと思いますよ。日米安保条約も解消して、世界の安全保障は国連主義に移す時期に来ています」
と、明解に言って貰ったら、良し悪しは別として分かり易い政治家小沢一郎の誕生だったし、革新系も全部取り込む凄い政治家になるチャンスだったのにね、と。
1 月 5, 2010 4 Comments
初詣
普段はカミサンと僕だけの2人暮らしだが、年末年始だけは子供達が帰って来るので、少し賑やかになる。だが、今回は、札幌の女性と7月に結婚し、その後大阪へ転勤になった息子夫婦の最初の里帰りとなるので、いつもと違う。
彼らは、まず、新幹線で東京に来て、12月の27日28日の1泊2日を我が家で過ごし、その後、2人で羽田から札幌に向けて飛び立つ。なかなか大変なのだ、遠い両家の親元を訪ねるのは。
その上、新妻は身籠っていて、6月出産予定だという。妊娠4ヶ月目辺りだからツワリも収まり、今は安定期だから旅行しても良いらしいが、何か心配だ。
一方、我が娘からは、仕事が立て込んでるらしく、31日か元旦に帰るとのメールが来ている。そんな訳で、年末と年始に分かれて家族が集まることになり、1月2日恒例の初詣は、僕等夫婦と娘の3人で出掛けることになった。
初詣と言っても、遠くまでは行かない主義。今年は比較的近い大国魂神社に決めた。
もうすいているだろうと、午後1時ごろ鳥居の前に到着。不況の影響かどうかいつもより人手が少ないと思ったのも束の間、50mほど進んところから意外と人が多くなった。仲見世のよう出来た両側の屋台の間を4~5列で進むのだが、これが亀のようにしか進まない。
その長い長い行列を辛抱強く並んで進んで行くということが出来ない家族なのだ。以前来た時と全く同じように、得意の脇道行進に切り替えた。何回かこの神社に来ているが、未だに参道を最後まで進んだことがない。
勝手知ったる他人の家、ならぬ、勝手知ったる神社の脇道。ものの5分も歩いたか、本堂の賽銭箱の隣に出た。いつも賽銭箱の正面からでなく、横から賽銭を投げ込んだので、今回くらいは正面からお参りしたいよねと言いながら、賽銭箱にあと20mといった所から横入りさせて貰った。
しかし、そこからがなかなか前に進まない。気忙しいカミサンと娘は、その20mが我慢出来ず、また脇に逸れて前へ。仕方なく僕も迷子にならないように後に続いた。
何のことはない、いつもの通りに賽銭箱の横から小銭を投げ込み、お願い事。僕は精々家族の健康を祈っただけだが、カミサンは流石にしっかり者。
「いっぱいお願いしちゃった。初孫が無事生まれますように。娘が結婚出来ます様に。家族が健康で過ごせますように。景気が良くなって株価が上がりますように。30円でこんなにお願いしちゃ悪いかしら?」
「そりゃ、神様だって引き合わないと思うだろうよ」
「そうね、これだけ大勢の人の願い事全部聞いてたら神様も身が持たないわよねぇ」
「それに、脇道からズルしたのもお見通しだよ、きっと」
「じゃぁ、100円玉で、あなたもう1回お願いしといてよ。赤ちゃんが無事生まれますようにって」
そういうことじゃなんだが・・・、まあいいか、 「分かった、そうする」。
1 月 4, 2010 No Comments
本年も宜しくお願い致します 編集長
読者の皆様へ
新年明けましておめでとうございます。
寅年ということで、既に、私の仲間内のタイガーズ・ファンは今年の日本一間違いなし、と目一杯力んでおります。
その根拠は城島が入団したからだとか。そう言えば何年か前、タイガーズ対ホークス戦で、タイガーズは城島にやられて日本一になれなかったことがありましたね。
その印象が残っていて、城島が味方になったんだから日本一になれると言う理屈らしいです。
まっ、兎に角、年の初めに希望が持てるのは良いこと。不況を吹き飛ばすくらい明るく前向きに進んで行けたらと思います。
今年も引き続き、プレミアムエイジを宜しくお願い致します。
編集長
1 月 4, 2010 2 Comments
写真家 桃井和馬
前日、テレビで偶然見た、桃井和馬氏の特集番組の予告編。ファインダーを覗くあの鋭い目、世界を撮って来た人間にしか出せない顔の渋さ。僕は直ぐに気が付いた、「おう、桃井さんだ!」と。
新聞のテレビ番組表で確認した。1月3日、テレビ朝日、午後3時30分から1時間の特集番組だと分かった。関係者に携帯メールやインターネット・メールで相手構わず知らせた。だから、何のことかチンプンカンプンの人もいただろうと思う。失礼しました。
番組の舞台はペルー。桃井氏曰く、「ペルーは地球上の様々な自然と、その自然が傷つく姿をダイジェストで見られる所」なのだそうだ。アンデス山脈に積もった雪が長い間に氷の原野になったが、この何年かで東京ドーム3万個分も氷の面積が小さくなった。
また、ペルーは風の強い場所が多く、海からの強い風にも必死に耐え身をよじりながらも立っている一本の木を、彼のカメラが捉えた。「けなげだ」と桃井氏が呟く。彼は「風は地球の呼吸だ」とも言う。桃井氏の感動が、彼の写真を通して、また、彼を密着取材しているカメラを通してこちらまで、バンバン伝わって来る。
桃井氏は、これまで、世界中の戦場に出向き、戦争の過酷さと人間の愚かさをカメラに収めて来た。その彼がびっくりするような、自然が織り成す美しさを撮る。
当初僕は危険な戦場をカメラ片手に走り回る桃井氏が彼の本当の姿だと思っていたが、今日の番組で、地球という自然が作り出す圧倒的な美に対しては、少年のように驚き感動を口にする彼こそ本当の桃井氏なのだと思った。
それだけに、今、危機を迎える地球温暖化に対する彼の鋭い視線は、戦争という、やはり人間が引き起こす愚かさの何倍もの怒りを心に秘めて、一瞬の美しさを切り取っているように見えた。
番組の最後に、若き2人組みが彼の写真に触発されて新曲を作ってそれを歌った。写真と歌のコラボ。なかなか良い。
だけど僕は一つだけ残念に思った。桃井氏の音楽コラボがShifoだったら良いのにと。Shifoは、国際フォーラムやNHKホール・オペラシティなどの晴れ舞台では必ずと言って良いほど、桃井氏の写真映像を背景に映して「どっちでも不思議」を歌うからだ。
それでも、クーペの店で出会い知り合いになった桃井さん。クーペもShifoも、彼の手配りで何年か前、ピース・ボードに乗ってこの地球を船旅させて貰って音楽の新しい境地を開いて行ったし、僕の会社にも講演に訪れてくれた桃井氏。いつか本当にコラボレーション出来ればなぁと思う。
2年前、若くして逝った彼の奥様のお葬式では、僕も涙を堪えることが出来なかった。その日から、父娘の2人の生活が始まったのだが、今日の映像を見る限り、完全に立ち直り、以前より寧ろ余人の及ばぬほどの深みを見据えた鋭い眼差しと、人と自然の対する愛に満ちた言葉の数々が印象的だった。
美しい自然を前に感動する桃井氏をテレビで見て、カメラマンとして、いや、彼流に言えば、フォト・ジャーナリストとして、正真正銘のメジャーとなった桃井氏にこちらも目一杯感動したのだった。
1 月 3, 2010 No Comments


