プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 2月 2010

沖縄(4)

  
  クーペが「再会の乾杯と行こう」カフェ・バーの階段の上で僕等を呼んでいる。まだ午後の3時前だったが、部屋に戻って、全員で乾杯することになった。テーブルには、見知らぬ外人さん(?)が1人。「ココナッツ・ムーン」のマスターだという。

  長髪・テンガロン・ハット・サングラス・口ひげ・黒のジャンパーにジーンズ。僕はてっきり白人のマスターかと思った。カッコいいのだ。往年のチャールス・ブロンソンのようだ。そのマスターが、「いらっしゃいませ。お2人は俳優さんですよね?」と高岡建治と岡崎友紀に日本語で話掛ける。驚いた。彼は日本人とアメリカ人のハーフだが名前を比嘉清正という歴とした日本人なのだ。

  この店とこの海辺が醸し出す「マイアミ」の雰囲気にピッタリで絵になる。この人、実は知る人ぞ知る幻のロック・バンド「紫」のメンバーなのだ。日本を代表するロック・ギタリストのチャーとも良く共演するそうだ。

  店内を見回せばステージもあり、確かに、楽器が置かれ、毎週土曜日の夜は、ここでロック・バンドのライブがあると言う。実はこの日が土曜日なので彼の演奏を聴いてみたいものだが、こちらも今日の夜、「おきなわ道楽」でライブのため、それが叶わないのが残念。

  太陽が降り注ぐ午後、カリブ海に面した洒落たカフェ・バーで飲んでいるような気分だからか、話しも盛り上がる。高岡建治とクーペの昔話。クーペはカッコいい高岡に憧れて、自分もカッコ良く見せようと様々な試みをした。

「クーペはひげが薄くて、様になんないだけど、口髭に憧れてたんだよな。昔、クーペがね、ディスコに付け髭つけて行ったのよ」と高岡建治。

「そうそう。丁度、マスター(ココナッツ・ムーンのマスター比嘉清正)みたいに、長髪にテンガロン・ハット、それに付け髭つけて」とクーペ。

「俺が踊ってて、フッとクーペを見たら、客席でカッコ付けて座ってるのはいいんだけど、ブラック・ライトに照らされて、鼻の下の付け髭の白い下地ばかりが浮かんで見えんのよ」

「自分じゃ見えないからね。俺、カッコいいだろう? って周りの娘達にポーズ決めたりしてたんだ」

「もう可笑しくて、可笑しくて」と高岡建治。全員で大爆笑。

  8人が大きなテーブルを囲んでビールを飲みながら話しをしている。僕のサイドには「おきなわ道楽」のマスター、大森教授、僕、Shifo、反対側には向かって左から、比嘉清正、岡崎友紀、高岡建治、クーペと並んでいる。

  大森教授が手で左から順に、比嘉清正、岡崎友紀、そして高岡建治を指して言った。

「こうして3人が並んで座られると、まるで映画の1シーンみたいです」

  すかさずクーペが抗議。

「何で俺の前で区切るかねぇ。俺は別かい? 何で4人が並ぶと、って言えないかなぁ!」

2月 28, 2010   No Comments

沖縄(3)

 
  程なくして、2台の車がやって来た。1台は高岡建治と岡崎友紀組。もう1台は「クーペ&Shifo」と今日の夜ライブを行うレストラン「おきなわ道楽」のマスターの3人だった。

  マスターは、前回(2008年12月)の沖縄ライブの時、大変お世話になった人だ。昨年の5月、彼の息子さんが沖縄三線の演奏でゲスト出演した新宿オペラシティーの「クーペ&Shifo」コンサートで会って以来だ。固い握手をしてくれた。

  高岡氏と友紀さんとは、先月のコンサートでご一緒して以来1ヶ月振りの再会だ。

「沖縄にはお2人、先乗りしてゴルフ三昧だったんですって?」と水を向けた。

「うん。それが寒いのなんのって。ゴルフ場で震えてた。14℃~15℃位だったんじゃないかな」と高岡氏。

「へー、沖縄はいつも20℃位はあるのかと思ってましたけどね」

「そうだよねぇ。やっとだよ。やっと天気になって沖縄らしくなった」

  早速、「ココナッツ・ムーン」の中に入った。外から見ると掘っ立て小屋も、中に入るとShifoが言う通り、海に面したカフェ・バーで、確かに外国映画に出てくるような洒落た雰囲気を醸し出している。もう少し暖かくなると大勢の海水浴客やサーファーで賑わう人気スポットであることが想像出来た。

海辺に面して少々高く建てられたこのカフェ・バーからは、木の階段を下りて浜辺に出られる。高岡・岡崎組は既にそこから海辺に降り立っている。僕も大森教授も階段を下りた。

  透明でキラキラ輝く海の水の綺麗なこと。直ぐ近くには浜辺に置かれたベンチには犬を連れた白人の若いカップルが腰掛けていた。日本の海辺と言うより、どこか外国にいるような錯覚。思い出した。30年前、F君と2人で派遣された米国研修の最後に行ったマイアミの浜辺。そう、そんな雰囲気。

「What is your name?」僕は勇気出して犬に尋ねてみた。

「名前?」女性の方が答えた。

オッと、日本語が帰って来た。

「名前は加奈です」

 犬の名前まで日本語だー! 僕は犬を撫でながら、

「日本語がとってもお上手ですね」

「日本にもう10年住んでいますから」

だって。

2月 26, 2010   No Comments

沖縄(2)

 
  大森教授と僕は、レンタカーで恩納村の「ココナッツ・ムーン」というカフェテラスに向かった。那覇ICから高速道路に乗って石川ICで降りたのだが、その間30分余、大森教授が運転しながら盛んに「なんか眠いです」と言う。「昨日チョッと遅くまで飲み過ぎましたね」とも。

  僕も眠かったが運転手にそう言われて、助手席に座る僕は目が覚めた。でも僕は運転免許証を持って来ておらず、運転を代わる訳にも行かないから、もし彼が居眠りして車が左右によれ出したら、即座に横から僕がハンドルを操作する覚悟で、彼に沢山話掛けることにした。

「金曜(昨日)の深夜、先生と2人で、東京じゃなくて那覇で飲んでるってのが不思議というか、あり得ないことだよねぇ」

「ホントですね。明日(日曜日)東京に帰って、月曜日にはまた何事も無かったように普段通り勤めに行くんですからねぇ」

「へぇ、そりゃ凄い。先生は1日も休まず、沖縄演奏旅行するんだ! 僕は月曜日休み取ったけどね」

「大学の方が今チョッと忙しくてね、休めないんですよ」

「先生若い証拠だよ」

「いえ、若くないですよ。もう58歳ですから。そりゃまぁ、神童さんよりは若いですけど」

「いや、僕の言ってるのは実年齢じゃなくてね・・・、えーと、見かけは僕よりかなり年上に見えるけど(注、髪の量では僕が勝っている)、肉体的には若いって・・・、まぁ、そういうこと」

「えっ。実年齢も見かけも肉体年齢も、そりゃ、誰が見たって絶対に僕の方が神童さんより若いですよ」

「眠さは吹き飛んだ?」

「いえ、やっぱり眠いです」

  とか言い合っていたら、石川ICに到着した。Shifoに場所を聞こうと電話した。インター・チェンジを降りたら直ぐ右に向かって進めという。ホテル・ルネッサンスという大きなホテルの脇を抜けて、暫く行くと広い駐車場があるので、そこに車を止めろと言う

  指示通りにした。言われた駐車場に車を止めてから再びShifoに連絡。

「駐車場に着いたへけど、どっち方向に行けば良い?」

「そこから『ココナッツ・ムーン』が見えませんか?」

「えー、ないなぁ。車は海に向けて止めてるんだけど、どっち側?」

「なら、その海側に見える筈なんだけど。掘っ立て小屋みたいなのありません?」

「掘っ立て小屋なら直ぐ目の前にあるけど・・・ あっ、『COCONUT MOON』。あった!」

「良かった。私達も直ぐに着きますから」

  Shifoは前に何回か来ていて、「まるで映画の1シーンに出て来るような素敵なカフェ」と言ってたのに、「掘っ立て小屋」って、なんだよ?

  昨日は「守礼の門」の真下でこれは守礼門かと聞き、今日は今日で「ココナッツ・ムーン」の目の前で、それは何処かと聞いたのだ。

2月 25, 2010   No Comments

名古屋のディナーショー(9) 最終回

  
「しかし、やっと黒字に転換したと思ったら、ちゃんと試練が待ち構えているんですねぇ、この世の中。このレストランの客席の真上にある空調のフレームが落ちる事故がありましてね。結婚式のために九州から出て来られたご婦人の鼻の先に当ってしまった。何てホテルだと言い残して帰られてしまいましてね。

翌日、私とレストランの責任者とで九州までお詫びに行きました。行きの飛行機の中でも気が重くて重くて。2人で何も会話になりませんでした。

やっとご婦人の家を探し当ててインターフォン越しにお話したんですが、旦那様が、何しに来たんだ、となかなか会って貰えませんでした。このまますごすごと帰る訳には行かないと粘りに粘ってやっと家に入れて貰って、何とかお許しを頂いたような次第で。

また、それから間もなくでしたが、やはりこのレストランで食中毒事件を起こしてしまいましてね。ホテルが中毒事件を起こすなんてホテルの存続に関わる大事件ですよ。ただ幸運にも被害を受けられた方はホンの少数でした。また、得意のお詫び行脚ですわ。

保健所も公表をする程酷い事件ではないからと言ってくれましたが、食中毒が発生した事実は消せません。私らはこの事件を、2度と起こさないための教訓とするために自発的に公表に踏み切ったんです。新聞広告を打ちました。被害者へのお詫びの気持ちを込めましてね。

当然客足は遠のいたんですが、あの天下のトヨタの社長さんが、お前んとこのレストランで食べたいから、とわざわざ電話くれましてご家族で食事をしてくれたんですわ。救われましたねぇ、私もホテルも。

今でも、年1回の会議などでは、その時の記事のコピーを全員で確認して気を引き締めたりしているんですよ」

  感じ入って聞いていたクーペが、突然、我慢し切れずに声を出して泣き出してしまった。僕も不覚にも涙が滲んだ。

  従業員の雰囲気がとても良くて、支配人のSさんと従業員とが親子のような関係に見えるのも、成功も失敗も一緒に経験し乗り越えて来た長い時間があるからだろう。

  双方が信頼の太い絆で結ばれている。Sさんの従業員に対する愛を感じる。そしてその分、従業員の客に対する誠心誠意が本物なのを感じる。客室稼働率95%以上も、さもありなんと思う。

「9月に連中(従業員)、いろんな関連会社に異動になります。私は今68歳ですからもう無理だが、連中にはね、四十七士じゃないけど、5年後、必ずホテル再開に馳せ参じて、今よりももっと良いホテルにしろと命じてるんです。彼等が中核になってやっていけば何処にも負けない良いホテルになるのは間違いないですから」

  僕が涙が出るほど感動したのは、昨晩の内に、僕等の打ち上げ会の面倒を見てくれたK君の、Sさんのお話を裏付ける言葉を聞いていたからだ。

「9月以降、どこか同じグループ会社で働くことになると思いますが、どこでも良いんです。僕はこのグループが大好きなんで」。

                        名古屋のディナーショー  - 完 -

2月 25, 2010   No Comments

名古屋のディナーショー(8)

 
  「ホテルアソシア名古屋ターミナル」は名古屋市内のホテルの中でも老舗の一つで、今年36年の歴史を一旦閉じる。

「このホテルが9月になくなってしまうことを思うと、身を切られる思いがするんです」

としんみり、Sさんは感動の物語を語り始めた。

  15~16年前から近隣に沢山のホテルが建ち、何と同じ名古屋駅ビル内にアメリカの高級ホテルが入ってしまった。競争激化の波に洗われ、遂に赤字に転落。親会社(JR東海)からはホテルの閉鎖を示唆されてしまう。そのような状況下、一人の男が立ち上った。それが現総支配人のS氏(Shifoの伯父さん)なのだ。

「債務超過から抜け出すには、何をすればお客様の信頼を取り戻せるかを、従業員全員が理解し確信を持つことだと思いましたね。そのために社員研修が何をおいても重要でした。

赤字でお金はあまり無かったけど、大赤字に少しくらい赤字が加わっても大勢に影響ないと腹を括って、従業員を東京の一流ホテルに連れて行ったんです。泊まりましたよ、帝国ホテルに椿山荘、パークハイアットにホテルオークラ。

最初はね、みんなビクついてカウンターにあるパンフレットもよう取りに行かんのですよ。完全に位負けというやつですわ。

でも何日かしたら、徐々に慣れて行きまして、ホテル従業員の動作や言葉使い、或いは、ホテルのシステムについて、連中、観察結果を言うようになりましてね。良い点は良いけれど、ここをこうしたらもっと良いのに、とかね。原価30~40円のコーヒーを千円で出すなんてとんでもないホテルだとか言い出すんですから。

雲の上のホテルで自分達の世界とは比べようもないと最初思ってた連中が、最後は批判ですよ。じゃぁ、お前等だったら、今言ったことやれるのか、と迫ってみた。そしたらみんな、待ってましたとばかりに、やりましょう、やらせて下さい、と言ってくれました。

そんなことをキッカケに、自分達で考え自分達で実現して行くのがこのホテルのやり方となって行きまして。ある常連のお客さんから、ここの従業員はマニュアルで仕事していない。自分達で考えて行動しているのが良いと言われた時は、本当、嬉しかったです。

私も、会社の財務数字は全部オープンにしましてね。そうしたら、自分達の部門がもう少し頑張れば全体が何とかなるんだとか考えてくれようにようになりまして。

奴等の努力で短期間で黒字転換したんですよ、ほんまに」

  奇跡的なV字回復を成し遂げ、「もてなしの心」第1位に輝いたホテルの支配人S氏の言葉だけに僕の胸に重く響く。だが、聞きようによってはある種自慢話に聞こえなくもない。

  ここまで来るまでには、大変な苦難もあった筈だ。それを聞きたいと思ったら、ちゃんとS氏は用意していた。感動物語にはまだ先があった。

2月 24, 2010   No Comments

沖縄(1)

 
  恩納村のレストランで、「クーペ&Shifo」及び、クーペの友達の「高岡建治」(俳優・プロゴルファー)と「岡崎友紀」(テレビ「奥様は18歳」の主役)が集結してライブを行なう。そのバックバンドとして大森教授(ピアノ)と僕(ドラム)がおじさんバンドを代表して参加した。

  主役達は前もって沖縄入りしていたので、先週金曜日夜の沖縄入りは僕と大森教授の2人。僕と大森教授は4人とは別のホテルに同宿の予定。僕は夜9時頃ホテルに入ったが、教授は大学の授業が終ってから沖縄に向かったので11時頃のチェックインだった。

  2人は取るものも取り合えず、那覇の夜に繰り出し沖縄料理と、沖縄の民謡に酔いしれて、朝3時過ぎにホテルに戻った(店を出たのは覚えているが部屋に帰ったのは覚えていない)。朝8時までぐっすり眠れたが、少々二日酔いぎみ。

  Shifoに電話連絡し、午後、恩納村の「ココナッツ・ムーン」という海辺のカフェ・テラスで落ち合うことになったので、それまでの時間、僕等はモノレールで首里城を訪ねることにした。

  20年前、会社の同期会で入社20周年記念旅行として訪ねた場所だが、「守礼門」以外は何もなかったように記憶しているが、今回、首里城が再現されているのには驚いた。建物は勿論、立派な石垣が高く再現されていて、これぞ沖縄と思わせる異国情緒満点のお城が建っていた。

  1人800円なりの入場料を払ってお城の中に入った。琉球王朝ゆかりの品物が数多く展示され、王様が座った執務椅子や年代物の家具などもある。琉球王朝の系図と共に、歴代の王の肖像画が並べられていた。最も古い王は初代琉球王の尚巴志(しょう はし)で、その在位期間は1421年~1439年と記されていた。

  そして1879年(明治12年)に、琉球は沖縄県となり、それまで薩摩藩の付庸国として存続してきた琉球王朝は終わりを告げた。最後の王は尚泰(しょう たい)。

  城から出ると直ぐ近くに門が見える。人が大勢いて写真を撮っているから、あれが「守礼の門」か。だが、確か前に来た時は「守礼の門」と書かれていたような記憶がある。城のサイドから見ると門には何も書いてない。門を潜って反対側から見ると「守礼之邦」という文字が掲げれていた。

  「守礼之門」じゃなく「守礼之邦」。あれ? 大森教授も「これ、本当に守礼の門なんですかねぇ」と言うので、僕も確信がなくなった。門の直ぐ近くに案内係の女性がいたので恥を忍んで聞いてみた。

「これ、守礼門ですか?」

「はい、これ、守礼門です」

守礼門の真下で、こんな質問する人初めてという顔をされてしまった。
  

2月 23, 2010   No Comments

名古屋のディナーショー(7)

 
  ライブ終了後、僕等4人は出口でお客様をお見送りしながら、机の上のCDやクーペの出した書籍の販売に当った。皆さん「クーペ&Shifo」を気に入ってくれた方が多いと見えて、売上は上々だった。

  そんな中に、会場では最後まで笑わなかった女性の2人連れがいた。彼女達はレストランから出て来て、迷わずCD売り場へ直行して買ってくれた。驚くやら、感動するやら。素人が混じる僕らのステージが気に入らないのかな、などと気を揉んでいただけに嬉しかった。ありがとう、お2人さん。客が帰った後は楽器を片付けて、さぁ、打ち上げだ。

  ここ「ホテルアソシア名古屋ターミナル」は、顧客満足度で1位を取ったこともある、心の籠もった「もてなし」で有名なホテルだ。実はここの支配人のS氏がShifoの伯父さんで、前々から「クーペ&Shifo」を様々な形で応援してくれていた。そのご好意で今回、ホテルのディナーショーに招いてくれたのだった。

  ディナーショーの打ち上げのための会場として、ホテル最上階の貴賓室と思われる立派な部屋に通され、様々な高級素材の料理盛り付けと、ビール・ワイン・焼酎・日本酒など、次から次と出してくれた。

  こんな贅沢なライブは初めてと言って良い。その上、宿泊代まで免除して貰ったようなのだ。こんな所なら年に何度でも来たいもの。だけど、残念ながら、今年の9月に取り壊されてしまうという。ホテル再開は5年後だそうだから、本当に惜しまれる。

  打ち上げ会には、Shifoのお母様や支配人S氏、S氏の奥様(Shifoの伯母様)やその娘さん達も加わって、演奏前の夕食とは打って変わって、かなり盛り上がったおしゃべりと笑いの宴になった。Shifoの親戚パワーが炸裂した夜だった。

  ボーイやバーテンダーの役割をして僕等の面倒見てくれたのは、この日、最初に僕を会場に案内してくれた係員だった。K君という。若いのにその温かい気配りは超一流だった。ついつい自分の息子や娘と比べて感心してしまう。S氏自慢のホテルマンの一人だ。

  翌朝「クーペ&Shifo」と純次さんと僕の4人で、昨夜のディナーショーと同じレストランで朝食を頂いていると、支配人のS氏が登場した。彼も従業員に軽食を運ばせて、一緒に食事しながら、このホテルにまつわる様々な物語を問わず語りに話し始めた。

2月 23, 2010   No Comments

名古屋のディナーショー(6)

 
  その後は、クーペのオリジナル曲が続き、ピアノのShifoをバックにクーペが歌う。僕と純次さんはお休み。だけどステージから降りてもいる場所が無いから、その場で静かにスタンバイ。

  何曲かの次は「素晴らしき世界 What a wonderful world」。久し振りに演奏に加わった。この曲は大体どのコンサートでもクーペが歌うから当然予測範囲内。ただどのタイミングかは流れの中で掴む(MCから次の曲を予測する)しかない。

  クーペのだみ声がサッチモのそれを彷彿とさせる。歌い方は丸で違うのだけれど、最もクーペに合っているカバー曲だと思う。

  そして、最後の曲になった。何かな? 娘と28年ぶりに会えたという話しをし始めた。ならば「25年ぶりの手紙」に違いない。だけどこの曲のバックは僕も純次さんもやったことがない。最後の曲だけど、静かに座っているだけにしよう。

  曲が終った。「今日は本当にありがとうございました」。クーペもShifoもマイクで客に礼を言っている。別に、最後は僕も演奏したかった、と言う訳ではないのだが、最後に何もしないで、ただお辞儀をしてステージから降りるというのがカッコ悪いなと思った。仕方なく僕も深々と一礼してステージを降り、会場の出口に向かった。

  その時、「アンコール! アンコール!」と手拍子と合唱が期せずして起こった。ディナーショーというのは、あまりアンコールはやらないものと聞いていたので、僕は本当に予期していなかった。4人とも再びステージ上に戻った。

  アンコール曲は、これもサッチモ風の「聖者の行進」。クーペの歌→Shifoのピアノ・アドリブ→クーペの歌、と来てクーペが「はい、ドラム!」と叫ぶ。ドラムソロを1コーラスやれという意味だ。待ってましたとばかりに16小節のドラムソロをやらせて貰った。

  実はドラムソロもリズムが早くなるリスクを抱えていたので、ここでも、抑え目に、抑え目に。リズムは走らなかったと思う。

  そして、クーペの歌の最終16小節で最高潮に達して、ステージを終えた。今度は僕も上々の気分で終われた。クーペが純次さんと僕の今日の演奏を褒めてくれた。この2月でおじさんバンド発足満5年になるが、初めてのこと。

2月 19, 2010   No Comments

名古屋のディナーショー(5)

 
  第二部。クーペ登場。「どうも」。これだけで場内は笑いの渦だ。こういう時、クーペは生粋の芸人だといつも思う。たった3文字で観客の心を掴んでしまうのだから。客席はお酒も入っているので、一気に盛り上がった。けれども、僕と純次さんは落ち着かない。何故か。それは二部の曲名も曲順も何も聞かせて貰ってないからだ。

  クーペは、ステージ上で客席の空気を測り、何の曲が合うか、その場で決める人なのだ。僕等にはこれが最も困ることなのだが、こちらもクーペと5年も一緒にやってると、慣らされちゃうから怖い。客席がこれだけ盛り上がっている時は、「悟りじゃ」「家に帰れないお父さん」「僕の送った結婚指輪」など面白系の曲が選ばれる確率が高い。

  1曲目は案の定、オリジナルの「悟りじゃ」だ。学習効果ってやつだな。新婚生活も良いのは精々3ヶ月。「しおらしいのは3ヶ月。馬車馬のように、こき使われて、肩揉まされて・・・」「俺のパンツだけ別洗い。何をした何をした。俺が何をした。悪くもないのに、謝って・・・」。会場は大笑い。僕の正面右の30代と思わしき女性2人組を除いて・・・。

  2曲目。「頑張らないで」。3年前にメジャーからCDを出した曲だ。クーペのMC。「テイチクからこの曲を出したんですが、7枚しか売れませんで、そのうち5枚は自分で買いまして・・・」。またまた大爆笑。だが、至って真面目な曲なのだ。

「勝ち続けるのは辛いことだから、負けたっていいんだよ。我慢しないで、無理をしないで。頑張らないで、頑張らないで、頑張るから厭になるんだよ。過ぎればみんな思い出」

  次にクーペはマイクを持って話しながら僕に近付いて来る。厭な予感。「この方は、いい人なんですが、うちの店に来るとなかなか帰んないんです」。分かった。次の曲は「家に帰れないお父さん」だ。「この人のために作った歌を聴いて下さい」。

「閉店なんですけど」(Shifo)

「もう閉店なの? 閉店が怖くて酒が飲めるかってーの! ね、姉ーちゃん。何か食べるもんない? 家に帰って、メシ、でも言おうものなら、何で食べて来なかったのよう! って怒られちゃうだから・・・」(クーペ)、という歌。

  曲が終わったところで、ステージに比較的近い席のお客さん(男性)から僕に「本当のことなの?」って質問が飛んで来た。「半分」と言っておいた。やれやれ。

2月 18, 2010   No Comments

連載小説終了に際して         編集長より

 
  プレミアムエイジ初の試み、連載小説「団塊世代が行く(ラストラン)」は如何でしたでしょうか? かなりの長編作品でしたが、ご愛読頂いた皆様には、編集部を代表しまして厚く御礼申し上げます。

  著者からの挨拶にもありましたが、これをみんなで作り上げた「ブログ小説」とするために、読者の皆様からどしどし忌憚のないご意見やアイデアを頂戴して、それらを取り入れた完成版にして行ければと強く願っています。

  どこそこの部分は一般読者の関心外だからカットした方が良い、もう少し何々を加えた方が良い、ここの文章はもっと簡潔にならないか、など、共同作品作りに参加するつもりで、ご意見を賜り、何とか出版まで漕ぎ着けられたら、これまた面白いことと存じます。

  第1回から最終回までの原稿は、プレミアムエイジの先頭画面の右側にある、「団塊世代が行く(ラストラン)」に全て収録されております。ご意見はその何回目の記事でも結構ですから、各記事の下にある「コメント(n)」をクリックしてから、コメット欄の書き込みをして頂ければ幸甚です。

  どうか宜しくお願い致します。皆様のご意見お待ちしております。

                                       編集長より

2月 17, 2010   No Comments