プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 3月 2010

ストップ・ザ・ミュージック

  
  次のコンサートの企画として「亡き人を偲ぶ曲」を、Shifoが募集したところ、ある方から、「ストップ・ザ・ミュージック」という曲のリクエストがあったと喜んでいた。2週間前のことだ。

  早速この曲の練習を開始。Shifoが歌いおじさんバンドが演奏する。思い出した。この曲、僕等の学生時代のバンド「ザ・ストレンジャーズ」のレパートリーに入っていた曲だ。当時、世界的大ヒットした曲だから、僕等に限らず殆どのバンドがやってたっけ。

  懐かしかった。完全に記憶の彼方に忘れ去った曲。演奏してみると、あの頃が鮮明に蘇える。様々な思い出が頭の中を駆け巡る。ビートルズ全盛期で激しいロックが主役の時代にも、当時は、こんな名曲があったんだなぁ。

  先週土曜日に、地元で「お彼岸コンサート」と称して「クーペ&Shifo」のライブを行ない、そこで「ストップ・ザ・ミュージック」を演奏した。このステージ上でShifoが初めてこの曲のリクエスト・メッセージを朗読した。

  リクエストしてくれた人は、「クーペ&Shifo」のライブを、以前、新宿文化センターで一度だけ見たことがあるが、大変印象深かった、インターネットで遊んでいるうちにShifoのサイトに辿り着いたので、リクエストを書き込んだという。

  下記はその時のリクエスト・メッセージの抜粋(Shifoのサイトより)。

「亡くなった人を偲んでリクエストを受け付けているとのことなので、早速リクエストします。昔、私たちは学生バンドやってました。当時流行りのグループ・サウンズをまねたバンドでした。同じ学年のリードギターでボーカルのバンマスが必ずライブで歌っていた外国の曲、ストップ・ザ・ミュージックという曲をリクエストします。私は下手なサイドギターだったので、何度か降りようとしたんですが、バンマスの彼は卒業直前の最後の最後まで私をバンド仲間として引きとめてくれました。そんな彼の思い出の曲です。(中略)  残念ながら4年前、彼は58歳の若さで亡くなってしまいました。息子さんの結婚式の直後でした」

  僕はてっきり、店の客か知り合いが、Shifoにリクエストしたのだと思っていたのだが、実はそうではなかった。「クーペ&Shifo」が遠くの人にも受け入れられているということが嬉しかった。そして、僕が最も感動したのは、この曲に纏わる彼の思い出のくだりだった。それと同じような経験が僕にもあるからだ。

   「ストップ・ザ・ミュージック」は、僕等の学生バンドではギターのKSが歌っていた。そのKSも、既にこの世になく、還暦を前に旅立ってしまったのだ! あるんだな、こんな似たようなことが、この世には。
  

3月 31, 2010   3 Comments

氷雨のゴルフ

  
  一昨日、あるゴルフ・コンペに参加した。僕はそのコンペに初出場である。インターネットで調べた当該ゴルフ場のピンポイント天気予報は雨である。気温は7~9℃            

  本当に明日やるのか、前日幹事に聞いた。やめるにしても現地に集まって、そこで決めることになっているとのこと。仕方ない。僕は朝5時起きして近所に住んでいるKをピックアップしてゴルフ場に向かった。朝から雨だと踏んでいたが雨はやんでいる。道路は濡れて水溜りも出来ているから、ついさっき迄結構降っていたようだ。

  じゃぁ、ヒョッとして、早めに雨は通り過ぎたのかもな、と希望的観測を持ちつつ現地入り。集合時間の1時間も早く到着してしまったので、パッティングの練習でもしようとK君と2人で練習グリーンへ。

  40分も経ったか。K君が「そろそろ、みんな集まって来ますから、食堂に行きますか?」と言うので、練習を切り上げてクラブハウスに戻った。もう、雨の心配は頭から消えていた。

  食堂に行ってみたら、何と、既に全員が揃っており、キャンセルが多く出たので、スタートが30~40分繰り上がったという。直ぐにスタートに向かうことになった。クラブハウスから出た。雨がポツリ、ポツリ。やっぱり降るのか、ウーン。

  それでも午前中は、霧雨か小雨だったからあまり気にならない。このところアイアン・ショットが全然駄目で自信喪失だったが、それが急に良くなり、ショート・ホールは2ホールともニアピンが取れた。自分としては近年にない快挙。雨も気にならない。

  ところが、午後になると雨脚は厳しくなり、気温もどんどん下がった。寒い。雨が冷たい。高いお金払って、修験者みたいな苦行をさせられ、身体は振るえて。それでも楽しいと言う奴がいたら、そいつは人間じゃない。

  午前のラウンドで一筋の光明が灯ったアイアンが、また、いつもの酷さに逆戻り。そういう時こそ集中力、なんて言わないでよ。途中から僕は、あと何ホールと、スコアではなく残りホールを数えるようになっていた。早く温かいお風呂に入りたい一心で。

  平日のゴルフだから職場の仲間達が言ってるだろうな。「神童さん、普段の行いが悪いから」とかね。ハッ、ハッ、ハックション! 噂なのか風邪なのか。

  やっと終って風呂に一目散。あぁ極楽極楽。正に地獄に仏とはこのこと。冷たい雨のお蔭でお風呂の有り難さを知った。人生と同じ。氷雨のゴルフも悪いことばかりじゃない。 スコア? 聞かないでよ!
  

3月 26, 2010   No Comments

お彼岸の三回忌

  
  母が亡くなって今年の3月10日で丸2年が経つ。僕はその年の3月末で前の会社の社長退任が決っていたから、3月に入るといろいろな方面から、送別会やら慰労会やらがスケジュールされていて、結構身動きが取れないさ中に母が亡くなったのだ。2年前の3月は母を含めて、いろいろな人達に「さよなら」を言わなければならない月だった。

  そんな3月の何も予定の入っていない珍しい土曜日に、長野の義兄から電話があった。今、母が緊急入院したと言うのだ。病名は心筋梗塞。早速カテーテルの挿入手術を施し、今はICUに入っているという。取るものも取りあえず、急遽、東京から新幹線で長野の病院に駆けつけた。

  その夜と、翌日曜日の午前中、2度に亘って見舞った。母は手術直後ということもあって弱々しくはあったが、意識もしっかりしていて、

「見舞いに来てくれたんだね。会社の方は大丈夫なのかえ?」

って、自分のことより僕の仕事の心配をしていた。

「そんなことより、心臓、まだ痛いの?」

「そりゃ、痛いよ。だけど、手術前に比べれば、かなり楽になったよ」

「大変だったんだなぁ。でも先生も手術は成功だったと言っているし、ICUで24時間完全管理してくれてるからもう安心だね」

「心配したかい? 悪かったね、お前、忙しい身体なのに遠くまで来させちゃって」

  などと、普通の会話が出来た。ICUに入っているということはまだまだ危険な状況には違いないのだが、話す表情を見る限り、いつもの母に思えたから、数日後には一般病室に移されるに違いないと妙な確信を抱いて病院を後にした。

  翌月曜日の午後1時過ぎ、その電話は会社に掛かって来たのだった。またもや義兄からだった。

「ついさっき、お母さんが危篤状態になって、心肺停止に陥った。神童君直ぐ来てよ」

「え!? 医者は何してるの?」

「さっきからずっと心臓マッサージをしてくれてるんだけど」

「何分くらい心臓マッサージしてるの?」

「20~30分は経つかなぁ」

  そんなに心臓が停止していたならもう無理だ。僕は全てを理解した。

  元々心臓肥大症だった母は、カテーテルを施したことにより、従来より勢いよく流れ込む血液の圧力に耐えられなかったらしい。死因は心不全。88歳だった。

  この3連休は、僕等夫婦と姉夫婦とで、お彼岸に合わせて母の三回忌を行い、4人で湯田中温泉に一泊して生前の母を偲ぶ会を催した。その本旨は、入院から葬儀までの一切の手続きを仕切ってくれた義兄への、ささやかな感謝の会のつもりである。今回それが出来たことが一番良かったと思っている。

3月 23, 2010   No Comments

新しいビジネスモデル

  
  昨日、府中カントリー・クラブで行なわれた、あるゴルフ・コンペに参加して来た。トムソンネットという会社が毎年、関係企業や取引先企業を招いて春に実施している定例のコンペだ。この会社の社長のM氏は、僕の前の会社のシステム部門の2年先輩である。僕自身はトムソンネット社とは直接の仕事の関係はないのだが、昔の誼で必ず呼んで貰っている。

  この会社のユニークさがテレビで取上げられたりしたが、その第1は、社員が1人もいないこと。社長のM氏だけしか専属がいない。2つ目に、会社発足時に募った1人当り10万円の小口出資者や、その後応募した活動参加者が全部リタイヤ組であること。

  第3に、そのメンバー達全員が、M氏の出身会社の枠を超えて、同じ損保業界のシステム部門出身者だということ。5年前、数人で始めた会社であるが、現在では、それこそ損保全社のシステムOBが名前を登録している。悪名高い特殊法人や公益法人などではなく、純粋に民間のシニア・ベンチャー企業である。業界全社のOBが名を連ねる私企業なんて他にない。今や30~40名のOBが参加しているという。

  ユニークさの第4は、仕事の仕方が、歴史的な株式会社誕生の原点に近いやり方だということ。ある仕事がこの会社に持ち込まれると、登録しているメンバーに知らせ、この指止まれ方式で業務に当たり、必要コストを差し引いた受託費を参加者全員で按分する方式なのだ。

  今回、ゴルフ・コンペに参加したら、7組もの大コンペで驚いた。大盛況だった。コンペ終了後のパーティーでは、コンペ初参加の人達が順番に挨拶していたが、今年1月から、トムソンネットに生保王手のOBの方が加わったようだ。損保だけの会社から、生保も加えて、保険業界のOB会社に発展しているのを目の当たりにした。

  新顔の損保リタイア組も増えているが、取引先企業も沢山参加していた。野村総研、マイクロソフト、日立情報、富士通、PFU、ソフトハウス等々、多数。

  トムソンネットのビジネスの柱は、損保システムに従事するSEに対する損保講習の請負いである。講習を行なう対象企業は、損保のシステム作りに参入しているベンダーやソフトハウスなどであるが、一番の顧客は損保会社自身のシステム子会社であり、そのプロパー社員教育のニーズが強いという。彼等が系統だった損保講座を受ける機会が極めて少ないか、全く無いからだ。

  また、新設保険会社や外資系保険会社、SI事業者などに対するシステム計画や構築のコンサル、その延長線としてのシステム開発などを引き受ける。更に、海外視察も頻繁に行い、先進事例紹介や、業界全体のシステム・コスト・ダウンのための米国業界標準化成功事例などを既存損保会社に紹介している。

  トムソンネットの創成期に、SE講習の最初のリハーサルを兼ねた研修のために、僕の会社がモルモット役になったことなど思い出すと、今のこの隆盛は目を見張る思いだ。

  リタイア組が、現役時代に培った知識やノウハウ・経験などを活かし、社会に貢献することは、我がプレミアムエイジの理念とも一致する。今後も続々と誕生するシステムOB達のために、更に頑張って行って欲しいと思う。
  

3月 18, 2010   No Comments

続々 愛しのコーラス隊

  
  土曜日の夕方、僕の街の駅前商業施設広場で、コーラス隊「TUBASA」が屋外コンサーを開催した。16~17人ほどのメンバーが、春の歌、花の歌、ジブリ・メドレーなど、10曲近くを披露してくれた。

  通行人が立ち止まったり、ベンチに腰掛けたりしながら、興味深そうに聞き入っていた。僕は純次さんとヨッ君夫妻、それに元マネージャーのマクの5人で、直ぐ隣のスタバのオープンテラスでコーヒーを飲みながら聴かせて貰った。

  僕等のテーブルの位置は、コーラス隊の真横に近い場所だったが、途中、僕等に気付いたコーラス隊は、全体の並びを少しこちらに向きを変えてくれたので、斜めに全員が見られるようになった。

  男性コーラスはいつも通り、斉藤さんに、チビさん、ノグさんの3人。女性陣も前回(クリスマス・コンサート)とほぼ同じ顔ぶれ。ただ、今日は「アキ・サユリ」のアキさんがいない。マクに聞いたら、彼女、今仕事の方が超多忙なのだそうだ。コーラス隊の練習参加もままならないと言う。あぁ、それで今日は無理だったのだ。残念。

  と言っていた正にその時、駅前の交差点をアキさんが走ってやって来る。長い髪が特徴だったアキさんのイメージと少し違う。カットしてしまったらしい。隊列に加わって歌い出した。あぁ、いつものアキさんの表情だ。

  日中は春の暖かさだった気温も、夕方からは少し肌寒くなったが、それを感じさせないくらいに、1時間があっという間に終った。

  斉藤さんが盛んに「今年のクリスマス・イブはこのビルの8階ホールで、コーラス隊TUBASAのコンサートを予定しています。仲間に加わって頂ける方、募集中です」とMCの中で何回か宣伝した効果か、コンサート終了後、若い美人の娘(こ)が早速加入手続きをしていた。

  これから、打ち上げをやると言うので、僕もヨッ君もマクも参加することにした。半分のメンバーは参加出来なかったが、打ち上げは大盛り上がりだった。終ってから、斉藤さんとヨッ君と僕は、マク・アキさん・マエマエに付いて行ったら、そこは「スタンド・バイ・ミー」(クーペの店)だった。

  翌日、アキさんからメールを貰った。  

「スタンド・バイ・ミーに行ったのは何年ぶりでしょうか。ずいぶん長い時が経ったのだなと感慨深かったです。お店の雰囲気がとても良くなっていました。

クーペ&Shifoも元気そうで、進化を続けてて、やっぱり素敵ですね。新曲、本当に涙が出そうでした。

私は離れてしまいましたが、いつまでもファンでいたいと思います。またいつかコンサートにも伺いたいです」
  

3月 15, 2010   No Comments

拝啓 鳩山総理殿

  
拝啓 鳩山総理殿

   民主党は一体どうなってるのでしょうか?

    一方で、地方参政権を付与したいと言われ、他方では、朝鮮学校に「高校無償化」は除外したいと仰る。在日朝鮮人を、日本人に準じた扱いにしようと言うのですか? それとも、外国人として扱おうと言うのですか?

  高速道路土日1,000円をやめて、その補填財源(2.5兆円)を高速道建設に回そうと言われる。そうやって政治が高速道路を作って行くと、高速料金は値上げになるのだそうですね。「高速道路無料化」の旗は降ろされたのでしょうか? 

  民主党のスローガン、「コンクリートから人へ」も一緒に降ろされたのでしょうか?  無駄な道路を沢山作って赤字の山を築いた、道路公団民営化の前のやり方に戻そうとされるのですか? 小泉さんにぶっ潰された自民党に代わって、民主党が頑張ろうと?

  民主党は、無駄遣いを徹底的に削って、新しい政策をどんどん打ち出すと言っていましたよねぇ。なのにどうして、過去最高額の予算額になっちゃったんですか? なのにどうして、過去最高の国債発行になっちゃたんですか?

  民主党の先生方は、戦後初めて、税収を上回る国債発行高となった国家予算に、誰も危機感を持っていないのですか? 「事業仕訳」とか称して蛇口をちょっとだけ絞めるパフォーマンスだけして、ドカッとバラマクんじゃ、邦の懐も簡単に崩壊(邦懐)してしまいますよ。

  鳩山さん、普天間基地は本当はどうしようと思っているんですか? 県外・国外って言ってたのは、当然何処か当てがあってのことでしょう? 或いは、鳩山さんのお考えは、もう米の核の傘も米軍基地もはいらないということでしょうか?

  もしそうなら、「アメリカと対等の立場で」と言われたのも良く理解出来ます。それはそれで、日本人の誇りを取り戻す、立派なお考えだと思います。いつまでもアメリカ追従では世界から馬鹿にされますから。本当はどうなんですか? 私達には、どうもそこまで決意された訳でもなさそうに映ります。本当はどうなんですか?

  でも、その煽りで、米国議会にトヨタ叩きをされているとしたら、トヨタが少し可哀そうかな。日本がアメリカの同盟国(属国)から離れると言うなら、日本経済がどうなっても知らないぞというメッセージに聞こえてしまいますね。

  鳩山さん、どうか、日本を宜しくお願いします。

                                           敬具

3月 12, 2010   No Comments

信友会

 
  東京在住の信州出身者が集う「信友会」という異業種懇談会がスタートして25年以上経つ。メンバーは11~12名の会だ。印刷会社やソフトハウス、事後処理機販売会社などの社長さん達、中小企業の経営者達がメンバーだ。
 
  1月にはその中の6名で九州旅行を敢行、ふぐ料理を中心に、贅沢グルメ旅行となった。6人のジジイ達、子供の遠足のように思いっきりはしゃいだ旅行になった。ただ、それまでの「信友会」の集まりには必ず出席していたN氏の姿がなかったのは残念だった。

  N氏は僕と同い年で、300人以上のSEを抱える大きなソフトハウスの社長さんだった。1年数ヶ月前までは。

  そのソフトハウスは天下の野村総研からも業務受託していた立派な会社だった。他にも農協系の大規模システムの構築や、その他沢山のシステム開発業務を受注していたが、一昨年のリーマン・ショック以降、資金繰りが苦しくなり、その年の12月、遂に倒産の憂き目に遭ってしまったのだ。

  その彼が、昨日、私の職場に訪ねて来てくれた。一年半振りの再会だった。風の便りに、元気に事後の処理に当っているとは聞いていたが、そうは言っても、30年も続いた自分の会社がなくなってしまったショックは、余人には測り切れないものがある筈だ。

  会って、まず、第一印象は、聞いていた通り元気だった。以前のままに見えた。N氏は「この3月末で、全て決着するので、そろそろ謹慎を解いて昔の仲間に会いたくなった。完全に自由の身になる4月以降、信友会にも顔を出したい」と言う。

  また、「受注先からの受託費回収も、思ったよりスムースに言ったので、何とか社員の未払い給与などを支払うことが出来た」と晴れやかな表情さえ浮かべていた。今後のことはいろいろ考えているようで、友人が大企業や団体に対して鬱病対策のビジネスをやっているので、その業務管理を手伝うと言っていた。

  僕はN氏を励ますつもりで「鬱病予備軍に対して講演したら良いのでは? 仕事や人間関係や家庭の問題で悩むって、なんて恵まれているんだろうと思いますよ。私なんか会社倒産して一文無しになったんですから。でもこんなに元気ですよ。その秘訣は・・・、とかね」

  チョッと冗談がきつかったらしい。彼は笑わなかった。この1年、N氏は相当に追い込まれたのだろうが、いつかそれを笑い飛ばせる日が来ることを祈る。

3月 11, 2010   No Comments

あいつが辞める

  
  私が社長をしていた前の会社にWという社員がいた。ある保険会社のシステム関連会社のプロパー社員だ。年齢は僕の丁度10歳下。入社以来ずっと保険システムに従事して来た点では、僕と同じだ。

  10年前、私が属する保険会社が別の保険会社と合併することになり、システム統合を行なった。その時、自動車賠償責任保険(自賠責)のシステムは相手社のシステムに寄せて一本化することになった。

  システム統合の一方の責任者であった僕は、相手社の自賠責システムを知る必要があり、相手社システム部門のメンバーに、様々突っ込んだ質問をしたが、なかなか明解に答えてくれる人がおらず、誰かそのシステムに詳しい人を連れて来て欲しいと要求した。

  だが、現れたのはシステム部門の人間ではなく、商品開発部門の自賠責担当者だった。彼は、システムや事務処理を含めて自賠責全体のオーソリティーだと言う。自賠責だけは現金取り扱いが基本なので、金銭授受を含めて様々なリスクがある。それらをどうチェックし防御しているのかが、僕の最大の関心事だ。

  それに答えてくれる人物がやっと現れたと思った。しかし、自賠責の保険内容や事務フローなどについては答えられても、肝心のシステム内容を把握している訳でもない。僕は段々イラついて行った。「なんでシステム部門のメンバーが、自賠責システムの中身を知らないんだ?」と声を荒らげてしまった。

  その時、相手社システム部門の次長さんが、「子会社の社員でも宜しければ、自賠責システムの担当者を連れて来ますが」と言う。「えっ! 何だ、ちゃんといるんじゃない。早く言ってよ」「子会社の人間じゃ失礼かと・・・」「親会社だの子会社だの、一切関係ないよ。実務に強い人間だよ、必要なのは」。そこに現れたのがWだった。

  Wは僕の期待に違わず、自賠責システムの全貌を説明してくれた上で、僕の繰り出す沢山の質問に丁寧に答えてくれたので、やっと僕の疑問は解消された。その上で、「今のシステム機能でほぼ大丈夫だと分かったが、ここだけは機能改善して貰いたいが、可能か?」と質問すると、「勿論、可能ですし、直ぐにやれと言われれば、今週中に仕上げます」。

   こいつは使える。機能改善は彼が言う通りその週の内に完了したのだった。このことを通して僕は2つのことを感じ取った。1つは、相手社システム部門(親会社)より、子会社のSE達に好印象を持ったこと。2つ目は、システム開発やシステム改変の実務は、システム部門(親会社)のSEではなく、子会社のSE達の仕事となっていること。僕が必要としているのは、勿論、実務に強いSEの方だ・・・。

  その象徴だったWが、明日、会社を辞める。実はそのことで、1ヶ月前、2人で飲み明かした。理由を聞いて僕は、彼が辞めるのやめさせよう、とは思わなかった。
   

3月 9, 2010   2 Comments

沖縄(9)  - 完 -

  
  その晩は、直ぐ近くでマスターのお母様が経営する民宿があり、そこに泊めて貰ったのだが、翌朝、宿泊代を払おうとしても、そのお母さん、「昨晩は大変協力して頂いたようなので結構です」と受け取りを拒否されてしまった。マスターには大きな借りが出来た。

  翌日は、大森教授と2人午後の飛行機までの時間、2箇所に絞って観光した。1つが読谷村の残波岬近くの「むら咲きむら」。広い場所に琉球時代の住居・街並みを再現した観光スポットで、中では100種類に及ぶ様々な体験をすることが出来る。

  入場料500円也を払って中に入ったが、日曜日にも拘わらず、入場者の姿は僕等以外見当たらない。まだ早い時間だからだろうか。それでも朝10時は過ぎているのだが。ここは一般の観光コースには入っていないそうだが、新婚さんには人気スポットだとか。

  確かに、古き琉球を思わせる家並みと石造りの塀、ガジュマルの鬱蒼とした木々。近くには東シナ海が広がる印象深い場所。夫々の建物の中に入ると、シーサーの色付けや装飾品作りなどを実体験出来る教室が沢山用意されている。新婚旅行の思い出としてそれらに挑戦するカップルも多かろう。

  そんな場所なのに、大森教授と僕の他は誰もいない。彼もきっと同じことを思ったに違いない。「贅沢は言わないが、せめて相手が女性だったらなぁ」と。(それが贅沢?)

  「むら咲きむら」を後にして、車で一路那覇へ。途中、普天間、嘉手納などの標識が現れる。5月に結論を出すというが、鳩山さん一体どうするんだろう? 58号線を南に向かう車のカーナビには、道路の左側に何も書かれていない敷地がずっと続いている。嘉手納基地だ。沖縄の占領状態は今も続いている。

  2つ目の観光スポット、那覇国際通り近くの「牧志公設市場」。「むら咲きむら」もこの「市場」も大森教授は大変詳しく、僕のガイドを務めてくれたようなもの。市場1階は通常の売り場、観光客でごった返していた。2階は大食堂だった。何件もの食堂が連なって相当大きな収容能力がありそうだが、やはり、大勢の観光客に占拠されている。

  ここだけを見る限り、日本一活況を呈する場所のように見える。丁度昼食どきということもあって、最初の一周で僕等2人が座れるテーブルが見付からず、2周目に入って丁度立ち上がった客の後に滑り込めた。チャンプル料理とトーフヨーをつまみにビールを頼み、沖縄最後の乾杯。昨晩の豚シャブの美味しさを忘れられず、アグー料理の定食で腹を満たした。

  いやー、今回の沖縄ツアーも大森教授と一緒だったので、良く飲んだ。良く食べた。前回(2008年12月)も彼と行動を共にしたから、最初サッパリ分からなかった那覇市内の位置関係もかなり詳しくなった。

  大森教授は午後3時の飛行機ということで、一足先に空港に向かった。僕は、国際通りを散歩して、路上で繰り広げられる大道芸のパフォーマンスに見入ったり、みやげ物などを買って時間を潰し、5時過ぎの飛行機で羽田に向かった。

                           沖縄  ― 完 ―
  

3月 8, 2010   No Comments

続 愛しのコーラス隊

  
  昨年12月に、クリスマス・コンサートを行ったコーラス隊、「TUBASA」について書いた。1年と少し前まで、コンサートではいつも「クーペ&Shifo」のバックコーラスを務めていたコーラス隊だ。必然的に僕等おじさんバンドとも親しかった。

  今は彼女達(男性も数人いるが)独自の活動を行なっているのだが、また一緒にやる機会が出来ないかなぁ、僕はずっとそんなことを思っていた。何かその「糸口」でも掴めたらと、コーラス隊のクリスマス・コンサートに出掛けたのだった。

  だが、期待とは裏腹に、いろいろあって一旦解消した関係は、時間が解決するのを待つしか方法がないという印象だった。覆水盆に帰らずとまでは言えないが、時期尚早の感否めず、その時期を気長に待つことにしたのだった。

  ところが一昨日、定例の「スタンドバイ・ミー」金曜日おじさんバンドの練習日、別れ際に、おじさんバンドでボーカルとギターを担当し、また、「TUBASA」でバンマスを務める斉藤さんが、「3月13日夕方、駅前でコーラス隊が屋外コンサートをやることになりましたので、皆さん是非来て下さい」と言う。

  斉藤さんの尽力で、「TUBASA」の活動の場がどんどん広がって行っているようだ。よっ、コーラス隊。頑張れ。僕は家から近いから是非応援に行こう。斉藤さんが更に続けた。

  「もう一つありまして。実は、今年の12月24日に同じ駅前の公共のホールでクリスマス・コンサートをやらせて貰うことになりました。ついては、相談なんですが、是非おじさんバンドの皆さんにも一緒に出て欲しいんです。先週、メンバーで話し合った時、そういう意見が多く持ちあがりまして」

  僕は驚いた。もう一度コーラス隊と一緒に、という「糸口」がこんなに早く(と言っても年末だが)訪れるということに。それも、コーラス隊のメンバー達の声がもたらしてくれたというから、胸に何とも言いようのない嬉しさが込み上げた。独りよがりながら、僕の思いがコーラス隊に届いたと感じたのだ。

  斉藤さんの提案を一緒に聞いていたクーペが、「それ、なかなか面白いと思うよ」と答えた。

  おじさんバンドに異論があろう筈はないから、このクーペの一言で「糸口」は確実に実現する。斉藤さんも、コーラス隊とおじさんバンドだけでこっそり話を進めるのを良しとせず、「クーペ&Shifo」がいる席で提案したのは流石だ。

  コーラス隊が去って、「クーペ&Shifo」の輪が小さくなってしまった寂しさは、おじさんバンド全員が感じていること。もし可能なら、「年取った白雪姫と7人のジジイ達」で出られると最高なのだが。ともあれ、コーラス隊とジョイント出来るとしたら、こんな嬉しいことはない。
 

3月 7, 2010   No Comments