プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 4月 2010

春はきせき

  
  今朝の朝日新聞の投稿欄に、母子の微笑ましい出来事が載っていた。曰く、「小学校低学年の子供が、新しい文字を勉強する宿題が出て、一生懸命に言葉をノートに書いていた。どうやら、春という漢字を使った言葉を幾つか書いて来なさいという宿題のようだ。彼は、春が来た、春のあめ、と書いた後、春はきせき、と書いていた」。

  「春はきせき」、母親は何と詩的な言葉だろうと思ったそうだ。確かにそれまでの寒い冬と違い、いろいろな花達が一斉に咲き誇る様は、自然が織り成す奇跡に違いないと思った。母親は息子を誇らしく思い息子に言った。「春はきせき、って凄い言葉だよ」。

  息子は、「あっ、いけねぇ、間違えた」と「春はきせつ」にさっさと書き換えてしまった。言わなきゃ良かったと母。

  笑いながらこの記事を読んだ。と言うのは僕にも、これほど詩的ではないが、幼い時の間違いの思い出があるからだ。

  やはり小学校低学年の頃、音楽の時間に「鯉のぼり」を習っていた。「♪いらかの波と雲の波~♪」。これを僕は疑いもせず「♪いなかの波と雲の波~♪」と大きな声で家でも歌っていて母親に注意された。

  でも、子供の辞書に「いらか(甍)」なんて難しい言葉は存在しないんだから、「いなか(田舎)」と間違えてもしょうがないでしょう? それはどんな田舎か? やっぱ海の波が見える漁村でしょう。

  昔、明石やさんまが東京に進出したばかりの頃、テレビで漫談をやっていて、やはり、小さい頃の思い違いの話をしていた。

「♪春のうららの隅田川~♪ という歌ありますよねぇ? 滝廉太郎の『花』でしたっけ? あの歌、僕ね、その後の歌詞を間違えて覚えちゃってね、 ♪のらりくらりの舟人が~♪ っていつも歌ってたのよ。 ♪上り下りの舟人が~♪ と歌うんだと知った時は、そりゃ驚きましたよ」
  

4月 26, 2010   No Comments

奇跡の帰還

  
  イタリア旅行に行って来た。

  日程は、ローマ→ナポリ・カプリ島→ローマ→シエナ→サンジミヤーノ→フィレンツェ→ピサ斜塔→フィレンツェ→ベローナ→ベネチア→ミラノ、イタリア滞在7泊8日、往復含めて全9日間の旅行だった。新年度に入って一番忙しいこの時期に、こんなに長い休暇を取らせてくれた職場に感謝。

  さて、旅行記は気が向いた時、おいおい書かせて頂くとして、延泊なく帰国出来た奇跡についてだけ、取り急ぎ触れさせて貰い帰国の報告としたい。

  話は旅行中に起こったアイスランドの火山噴火のことだ。イタリア3日目の夜、テレビ・ニュースで大噴火の模様を放映していた。イタリア語のニュースだから何を言っているか分からなかったが、アイスランドで大噴火が起きたことは分かった。地元は大変だなぁ、と思うくらいで全く危機感無し。

  翌日添乗員が、「火山灰の影響で北欧中心に空港閉鎖が決まった」と告げる。「イタリアは南だし、高いアルプスのこちら側までは影響ないと思うんですがね」。そのまた翌日。「イタリアも含めて、遂にヨーロッパ全土の空港が閉鎖されました」。

  そこからは、帰れるのかどうか不安を感じながらのツアーとなってしまった。言わなくても良いのに、添乗員が「空港が再開されてもですね、再開された後の便は本来の予約が優先されます。欠航便の予約は完全にキャンセルされますから、再開後の便の空きを見つけて予約して行くしかないので、最悪、再開後1週間くらいは待たされるかも知れません」と余計な事を云う。不安に拍車が掛かる。

  「それに、天災による延泊などの追加費用は、旅行社も飛行機会社も負担出来ない決まりですので、予めご了承下さい」。

  最終日の朝、ホテルのレストランで朝食をしていたら、添乗員がコッソリ伝えた。「先程まで食事していた一行は、日本からの別のツアーだったのですが、彼らは今日で丸4日間、帰国出来ずに足止めされています。予約を取り直した飛行機は3日後と言うことですから、どうやら、1週間の延泊を強いられるようです。昨日、空港閉鎖が解除されましたが、まだ1機も日本には向かっていませんから1週間で済むのかどうか・・・」。

  「と言うとお先真っ暗ですが、皆さん、明るいニュースです。今日の私達の便ですが、今のところ、予定通り飛び立つようだとの連絡が入りました」。全員明るい顔になった。「でも、お断りして置きますが、こういう混乱の中では何が起きるか分かりません。延泊の覚悟もしておいて下さい」。

  一行はバスで空港に向かった。バスが出発ロビーに横付けされた。そのバスを地元の案内役が待っていた。運転手がバスの収納庫から乗客のトランクを運び出そうしたら、何やら、案内役が運転手に告げる。運転手はトランクをもう一度元に戻した。

   やはり、ダメなのか。僕は観念した。添乗員が説明する。「私達の飛行機がローマからミラノに向かっていて、到着が遅れているので、今、確実なことは分からない、ということです」。ツアー一行、落胆の溜息。

   「取り敢えず、ロビーの中で様子を見ましょう」。僕は、「俺達だけ予定通り帰れるということは、やっぱりあり得ないよな」、と思った。

  暫くして添乗員が「航空会社が、今、フライトを実施するか否かの決定会議に入ったとの情報が入りました。その結果次第ですが、延泊の準備もして置かないと今日の夜が困ってしまいますので、皆さんのご意向を聞かせて下さい」と言って、一組ごとに「ミラノの街中の高いホテルが良いか、飛行場近くの安いホテルが良いか」聞かれた。

  僕は、いつでも直ぐに出発出来るよう、近くのホテルを希望した。添乗員は、希望の多い方でツアー一行全員分の予約をするつもりらしい。

  元々の出発予定時刻が迫った頃、イタリア語のアナウンスがあった。案内係が添乗員と話している。僕等の飛行機のチェックインを開始するとのこと。ホントなの? 誰もいなかったカウンターに何人もの受付嬢が座った。どうやら本当らしい。

  僕の番になった。トランク2個と搭乗予約券とパスポートを提出して受付を済ませ、1フロアー下の出国審査に向かおうとしたら、日本人男性3人に呼び止められた。

   「この飛行機、本当に飛び立つの?」「そうみたいです」「俺達、もう、4日もここで足止めくらってるんだよ。この飛行機が飛び立てば、俺達も今日の夜には出発出来るらしいんだ」「それは大変でしたねぇ。でも、まだ、確実ではないみたいで、どうなるか不安ですけどね」「おたく達はどこの旅行社?」「JTBです」「あれ、俺達と同じなのに、ついてねーな」

  予定からは2時間も遅れている。搭乗後もなかなか出発しない。だが、遂にエンジン音が大きくなった。滑走スピードが上がった。機体が上向いた。離陸した。誰ともなく拍手が起きた。後は途中で引き返さないことを祈るのみ。日本に向けた一番機は順調に飛行を続けた。

  丁度12時間のフライトの後、夢に見たあの成田空港に着陸した。

4月 22, 2010   2 Comments

旅行

  
  明日から、大型連休を取って10日間の旅行に出掛けて来ますので、暫くの間、ブログを休みます。
  

  それでは行って来ま~す!

4月 12, 2010   No Comments

飛び入り

 
  14年前、僕が仙台に単身赴任していた時、良く通った店がある。名前を「デザート・イン」という。ホテルのような名前のその店には、プロのピアノ・マンがいて、ママのKeiさんがジャズやポップスを歌ういい雰囲気の店だった。 

  楽器が置いてあり、お客さんも勝手に演奏に加わって良いというので、若い時に音楽をやっていた人達が、演奏するのを楽しみに通う、そんな店だった。僕も仙台に赴任して早々に、学生時代、ハワイアン・バンドをやっていた友人がそこに連れて行ってくれた。

  ドラムが置いてあった。誰も叩いていないドラムを見ると、「いやー、懐かしい」と思うと同時に、ドラムが「早く叩け」と僕に言っている気がした。友人も、「お前に叩かせようと思って連れて来たんだから、早くやれよ」と急かす。勇気を振り絞って、ママの歌のバックを1曲やらせて貰った。

  足が思うように動かない。手の方は力みが入って音が大きい。学生時代以来のブランクは半端でなかった。冷や汗ものの1曲が終わった。頭では記憶していても身体が完全に忘れていた。

  それでも、演奏するのって、凄く楽しいと思った。青春時代が蘇ったかのようだ。単身赴任だから時間は充分ある。少し練習しようと思った。Keiさんも励ましてくれる。それから僕は、毎週金曜日の夜、「デザート・イン」に通うようになった。

  僕の単身赴任は1年で終わって東京に戻ってしまったから、Keiさんの歌のバックを演奏させて貰うのも同時に終わってしまった。

 何年か経って、同じ学生バンドで一緒だった仙台出身のAが帰郷すると言うので、「デザート・イン」を教えてやった。学生時代サックス奏者として鳴らしたAは、その店に一人で行き、当時練習中のオカリナを披露したという。

  それからまた何年かが過ぎ、僕はKeiさんから電話を貰った。結婚して今は、八王子に住んでいる。仙台の店は閉めて、東京のライブハウスで歌ってるとのことだった。

  昨年、Aが退職と同時にジャズ・サックスを本格的に練習し始めた。そのために家を新築して、防音の音楽室まで作ったらしい。そのことも僕はKeiさんに伝えておいた。

  昨日、Keiさんは京王プラザホテルの最上階を借り切って、ライブ&ディナー・パーティーを開催した。僕とAにも声が掛かった。途中2~3曲、飛び入りで演奏しろという意味だ。僕等は夫々自分の友達を招いてパーティーを楽しんだ。

  1部はジャズ。Aはオカリナとアルト・サックスで「黒いオルフェ」など2曲を演奏。「素敵なあなた」では僕も加わり久し振りの共演。2部はポップスの部。僕は元々ロック育ちだから8ビートの方が安心できる。Keiさんの歌う「ルイジアナ・ママ」のドラムを叩いた。

  京王プラザの最上階から見る夜の新宿は、まるで光のページェントのように沢山の灯りが煌めいていた。

4月 11, 2010   No Comments

我が家にチデジがやって来た

  
  先週我が家に40インチ薄型テレビがやって来た。でかい。絵が綺麗。娘が僕の誕生日プレゼントに「This is it」(マイケル・ジャクソン)のDVDを送って来てくれていたので早速カミサンと一緒に見てみた。映画館で見ている気分だ。大きいことはいいことだ。

  マイケル・ジャクソンを好きでも嫌いでもなかった僕だが、最後まで見て彼を見直した。リハーサル場面を録画したのに、本番以上に真剣なマイケルの姿と、良いものを作り上げようという、マイケルを座長とする関係者全員のチーム・スピリットのようなものが感じられて、思わず引き込まれた。

  ところで、今回、我が家の地デジ導入では、チョッと苦戦した。今、マンションに住んでいるのだが、うちにもNTTの営業マンが来て、「フレッツ光」に加入するよう何度か売り込みがあった。僕もそろそろ、地デジ導入を考えようかと思っていたから、置いて行ったパンフレットを見て、電話で問い合わせた。

  だが、「フレッツ・テレビ」は、マンションの場合1台しかダメだとか、現在僕が使っているインターネット・プロバイダーは「フレッツ光」の対象外だから、URLを変えないといけないとか、訳の分からないことをのたまう。何なんだ一体!

  仕方ない、普通にアンテナから繋ごう。だけど、今、家の3台のアナログ・テレビは、各部屋の壁に配線されているアンテナ口(更に地上波用とBS用の口が別々になっている)に繋げて見ているが、地デジ用のアンテナ線なんて何処にも無い。どう繋げば良いの?

  このマンション、共同アンテナだとしたら、UHFアンテナ(地上デジタル用)も立ってる筈だから、各部屋にそれが来ている筈なんだが。何処を探してもない。ほとほと困り果てていたら、カミサンが「マンションの管理業者に聞いてみたら」と言う。

  なかなか良いアドバイス。早速、電話でコールセンターの番号を押した。「只今、大変込み合っております。そのままでもう暫くお待ち下さい」という音声が流れた。大分待たされるのかと思ったら、直後に肉声に代わった。

「××マンションの住人ですが、地デジのテレビを買いたいんですが、アンテナはどうしたらいいんですか?」
「××マンションには共同アンテナがある訳ではありません。○○テレビというCATV会社から一括して有線で電波を受けていますから、アナログもデジタルも、お部屋まで来ているアンテナ口をそのままお使い頂ければ大丈夫ですよ」
「えっ、そうなんですか」
「アナログ電波もデジタル電波もアンテナ口を共有しているということですか?」
「その通りです」

  結局、デジタル・テレビも今までと同じアンテナ口に繋げるだけで良いことが分かり、早速、家電量販店へ。シャープの40型が9万数千円だった。係りが言う、

「お客さん、これはお買い得ですよ。4月になってしまうと、もうエコポイントが着かなくなってしまいますからね。こちらとしても、そういう機種は今月中に在庫一掃したいので、先月の半値になっていますよ」
「買った。エコポイントって幾ら付くの?」
「40インチは23,000円分です。それにリサイクル・ポイント3,000円分が乗っかって、都合26,000円です」

  何と、実質7万円弱で40インチの液晶薄型テレビが買えたって訳だ。3年前、確か1インチ1万円と言っていたから、40万円だったものが7万円ねぇ。

  今や、テレビを買うのも大苦戦。今回は結果良しというところか。
  

4月 8, 2010   No Comments

自分が見えない

  
熊さん 「与謝野さんは、何で自民党飛び出しちゃったんですかねぇ?」
ご隠居 「今の自民党じゃ、船が沈むのも時間の問題と思ったんだろうよ」
熊さん 「だけどさぁ、去年総選挙に負けた後の自民党総裁選でね、たしか、
     与謝野さんも出馬して谷垣さんに負けたんですよね。その時から世
     論は、何で自民党に若い世代が出て来ないんだと言ってましたよ
     ねぇ」
ご隠居 「民意は挙って民主党に移っちゃったんだから、自民党が巻き返す
     としたら、思いっ切りイキのいい若手に交代して、ニュー自民をアピ
     ールしなきゃ」
熊さん 「若手もだらしないよね」
ご隠居 「野に下った時こそ若返りのチャンスだったのに、それが出来ない
     自民党と益々国民は呆れた。谷垣さんも与謝野さんも、それまでの
     総理大臣がダメだっただけで、自分達は国民に信頼されていると
     錯覚していたんだろう」
熊さん 「まぁ、あっしはね、ご隠居、谷垣さんが総裁になった時から、彼は
     親分を務められる器じゃない、彼が敗軍を立て直すのはとても無理
     だと、当初から思ってましたけどね」
ご隠居 「そう思ったの、熊さんだけじゃないよ。皆それを感じてたと思うよ。
     今回の敗北は半端なことじゃ取り戻せないのに、当たり障りのない
     人物を総裁に選んでしまった。要は、当時の自民党に危機感がま
     るで無かったということだな」
熊さん 「それにしても、与謝野さんは、新党を作れば国民が支持してくれる
     と思ってるんですかねぇ?」
ご隠居 「そこだ、自民党の年寄りどもの拙いところは」
熊さん 「おたく等、もうとっくに賞味期限切れだよ、って言ってやりたいです
     よ」
ご隠居 「周りは、あんたじゃないよ、と言ってるのに、本人は、俺しか党も
     国も立て直せないし、国民も俺を支持してくれている、と錯覚してる
     んだよ。自分が見えないんだねぇ」
熊さん 「今日のテレビでね、与謝野さんと平沼さんが立ち上げる新しい党
     の名前の候補に、新党古希、ってのがあって笑っちゃいましたよ」
ご隠居 「本人達の新党に懸ける思いが大真面目なのが、笑えない喜劇
     だ」
熊さん 「そこ行くとご隠居なんか、還暦になったと思ったらスパっと仕事辞
     めて、若いもんに跡を譲ったんだから、年寄りの鑑だ。年寄り政治
     家はご隠居を見習えってんだ」
ご隠居 「ばか言え。わしゃまだ64だ。前期高齢者にもなってない。年寄り
     呼ばわりするな」
熊さん 「へぇ、スンマへン。 (・・・ご隠居も分かってねえなぁ) 」
  

4月 7, 2010   2 Comments

初顔合わせ

  
  昨年の6月に、札幌に勤務する息子が我が家にフィアンセを連れて来た。目出度く結婚すれば、彼女は1歳年上の姉さん女房になる。札幌のデパートの化粧品売り場で働いているだけあって、身長も167~168cmはある、スラッとした美人タイプだった。

  我が愚息も、その日は親に結婚の許しを得に来たつもりは更々無いらしく、単に、一度、彼女を親に会わせて結婚する報告をしておこうということだったようだ。勿論、日頃から僕は「彼女いないのか? お前は長男なんだから早く身を固めろ」と言っていたから、否はあり得ない。

  僕のカミサンも、「頼りない息子には、年上の女房がいい」と言っていたから、やはりその通りになりノーはない。ただ、カミサンの心配は、彼女の方が、服装も化粧のセンスも大人の女性としての落ち着きと品があるのに、愚息の方はいつまでも経っても子供っぽいから、「あれじゃぁ、夫婦というよりお姉さんと弟みたいだよ」だった。

  その後愚息から電話があったのは、2週間ばかり経った7月の中旬だった。

「今日、入籍したから」
「オイオイ、結婚式はどうするんだ。まだ、あちらさんのご両親ともお会いしていないんだぞ」
「結婚式は、10月に予定してる。札幌と東京では遠いからサ、その時に会って貰えばいいよ」
「そんなんでホントに良いのか? お嫁さんを頂く側が先にご挨拶に伺うのが礼儀だぞ」
「いいから、いいから。わざわざ東京から挨拶に来て貰うのも恐縮だと言ってくれてるし」
「何かお前達の結婚、順番がめちゃくちゃだな。まさか子供出来ちゃったんじゃないだろうな?」
「それはないよ。入籍してから結婚式とかはサ、別に珍しいことじゃないんだよ、今は」
「そんなもんかねぇ。じゃぁ、ご両親にくれぐれも宜しく伝えてくれ」

  9月下旬、また、息子から電話があった。

「大阪への転勤が決った」
「おお、そうか。いつなんだ、大阪に赴任するのは?」
「10月1日付なんだけど、実際には10月12日に大阪営業所に出社すれば良いんだ」
「結婚式は? 嫁さんの仕事は?」
「結婚式はキャンセルした。嫁さんは仕事辞める。大阪に落ち着いてから、また日を改めて式を挙げるつもり」
「なんだか、スッキリしないけど、仕事の方頑張れよ」

   正月に、愚息が新妻を連れてやって来た。彼女とは2度目のご対面。息子夫婦がカミサンと話している。

「実は子供出来た」と息子。
「え! いつが予定日なの?」、カミサンが戸惑い気味に訊く。新妻が答える。
「6月なんです」
「あっ、そうなの?」
  僕は素早く計算した。以前息子に確認した通り、出来ちゃった結婚ではないらしい。カミサンが言う。
「結婚式するなら、母体が比較的落ち着いている2月くらいまでの内よ。どうするの?」
「一寸無理だな。子供が生まれてからかな?」、愚息が答える。
「それじゃ、ずっとご両親にお会い出来ないままになっちゃうじゃない。しょうがないわねぇ。北海道が少し暖かくなる3月か4月頃、お会いして来るよ」
「それが良いかもね」、愚息以外の何者でもない。
「お前ね。人ごとじゃないんだよ、ったく!」

  てな次第で、この週末、夫婦で札幌に飛んでご両親にお会いし、入籍から半年以上もご挨拶が遅れたことを詫びて来た。少しだけ肩の荷が下りた。ご両親も快く迎えてくれた。札幌に知り合いが出来た。

4月 5, 2010   2 Comments

あの時代

 
  今、思えばとっても不思議な時代だった。昭和40年代前半。あれがカオスというものだったのかも知れないと、時々思う。

  その少し前、音楽の世界では、ビートルズが革命を起こし、それまでのポピュラー音楽をぶっ潰していた。若者という若者はみんな彼等の真似をして長髪がスタンダードになって行った時代。

  当時の学生も、これから日本が発展することを感じつつも、既製の社会秩序への反発と不満を抱え、反権力や反骨精神が基本的素養とされた時代。

  太平洋戦争に敗れて20年。大人達も戦前の価値観が180度変わってしまったことに未だに折り合えていないように見えた。だからだろうか、学生達に自信に満ちた叱責をする大人の姿がない時代。

  自分が、これまで社会的権威や権力の下で育てられ、彼等が望む人間になることを期待されていることに気付き、その従順さを打ち破らなければ自分を取り戻せない、との内なる声を聞き、自己を突き上げるような情熱。

  学生達の情熱の向かう先は、大きく分けて4つではなかったか。

  その一つが、権力の横暴に対する反骨。最初は大学内の授業料値上げ反対運動だった。その闘いが反国家権力に目覚めさせ、自分の国日本が、アメリカ帝国主義の手先に成り下がっていることにどうにも我慢が出来ず、学生運動に傾斜して行った連中。

  二つ目は、同じ反権力、或いは、既存の権威に対する反発から生じた、アンチ・テーゼ文化に嵌って行った連中。ロック音楽にのめり込む、前衛的な芝居に邁進する、或いは、社会や常識世界から隔絶し完全なる自由人(ヒッピー)を目指す。過去になかった大学生像。

  三つ目。遊びに徹した連中。遊びのためにバイトに精を出した連中。パチンコ・麻雀当たり前。特に女子大生やOLとの付き合いに忙しい。中には女子高校生専門なんて奴もいて。窮屈な高校時代から解き放たれて、序でに性も解き放たれていった連中。

  四つ目に、伝統的大学生。真理探求こそ学問の道、学生の本分勉強することと信じ、コツコツと勉学に励み、まっしぐらに自分の道を突き進む連中。上記3種類の学生と違い、こういう学生達は長髪でなかったから直ぐ分かる。極めて少数派だった。

  ジャンルも考え方も大きく違うが、いずれにしても昭和40年代前半の大学生の大半が、自分達で世の中を変えられる、世の中を引っ張って行けると思ってた。日本の高度成長前夜だった。

  え? 僕? どうだったかな。4つ目の分類でなかったことだけは確かだな。
  

4月 2, 2010   No Comments