プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 5月 2010

イタリア旅行(11)

 
  2番目のカップルは、新婦さんが31歳で1歳年上の女房だ。四国出身で大阪在住。2人は職場結婚。我が家の息子夫婦も嫁さんの方が1歳年上で今年31歳になるから全く同じ。このカップルは旦那さんも奥さんも共に社交的で、且つ、大阪弁だからあけすけに様々話をしてくれる。

  夕食で2回目の同席の時、新婦が僕のことを「以前の福田総理にそっくりですよ」と言った。そんなこと言われたの初めてだ、と言うと、「偉い人特有のオーラを感じますもん」と、多分、おだて。だけど、福田総理に似ていると言われて、嬉しいかぁ?

  最後のカップルは、福岡出身のカップル。前2組と違って、彼等は2人の世界を大事にしたいと思っているようだ。あまり会話に入って来ない。こういう場合、年寄りは彼等の邪魔をしてはいけない。

  ある時、みんなより少し遅れてレストランに入ったら、目の前に2人用のテーブルが空いていたので、僕等はそこに座った。その直ぐ後にこのカップルが入って来た。カミサンが彼等に声を掛け「どうぞここに座って。私達があっちに行くから」と2人席を彼らに譲って、団体席に移った。

  そんなことがあったからだろうか、観光中の自由時間に彼等とすれ違う時、にっこり挨拶をしてくれるようになった。そして、ベネチアの中華料理店で同じテーブルになった時、彼等が自己紹介してくれたので、福岡出身と分かった。27歳と24歳の一番若い新婚さんだ。話してみると、とっても好感が持てる若者達だった。

  OLの2人組みは、東京在住で大学のクラスメイト。その内の1人は、今回の旅行の直前、3月末に会社を退職してツアーに参加したのだと言う。詳しい事情は勿論聞けないが、このイタリア旅行を巡って、職場で一悶着あり、旅行の方を取ったということみたいだった。

  2人は、何回か海外旅行をしているが、これまでは全部個人旅行だったそうだ。団体旅行は今回初めてだったが、日程や食事とか何も心配しなくて良いから、とても楽。同じ日数なら個人旅行の倍の観光が出来ると言っていた。

  だが、「最初の頃は、年配の方ばっかりで、とんでもないツアーに入っちゃったね、と2人で言っていたんです」とも。そりゃぁそうだろうな。普通、もっともっとOL割合が多いもの。38人中OLが2人だけというのは超異常現象だから、少し可哀そう。

  「でも、今は、こんなに素晴らしい人達と一緒で楽しいね、って言ってるんですよ」だと。お世辞には違いないが、皆さんを代表して「ありがとう」と言っておいた。

  さて、15組のシニア夫妻組だが、全国様々なところから参加している。盛岡、栃木、前橋、水戸、名古屋、広島などなど。一応、成田からアリタリア航空往復直行便と謳われたツアーだが、成田や羽田乗換え、或いは、新幹線乗換えになる人も多い。シニアには結構キツイだろと同情した。

  勿論、東京や東京周辺の人が多いのだが、最終日、ミラノの最後の最後の夕食で同席したご夫婦が、自分達と同じ市内にお住まいと分かってビックリ。住所は連光寺だと仰る。僕等は直ぐ隣の関戸だ。

  東京郊外の同じ町に長く住んでいても、知り合う機会が無かったのに、何でわざわざ地球の裏側、イタリアのミラノで知り合うかね。女房同士、買い物は駅前の同じ店だし、子供の出身中学が同じ(学年は違うが)。

  驚いたのは、ご主人が、私の前の会社の2代前の社長と親しかったと言われたことだ。世間は狭い。

  地元で「クーペ&Shifo」が活動していることは、名前は知らなかったが、そういうグループがいることは良くご存知だった。今度地元でコンサートを行う時は、ご夫妻を必ずご招待すると約束をしたのだが、住所・氏名・電話番号、全部聞き忘れた。連光寺しか分からない。

  どうしよう?
 

5月 28, 2010   No Comments

団塊太氏 個展のお知らせ          編集部

 
プレミアムエイジのブロガーの一人、団塊太氏が、「使って元気になる器展」を開催します。
陶芸家としての落款は「松風」。富士山の溶岩を砕いて粘土に練り込んで創る「富士焼」を興され、独特の作品を多数手掛けています。
氏が始められたこの「富士焼」は、以前スウェーデン国営放送でも日本の現代陶芸として紹介されました。
皆様どうぞ、お誘い合わせの上、お出掛け下さい。

               記

場所 : 深大寺 「曼珠苑」ギャラリー 
      調布市深大寺元町3-30-3 
      TEL 0424-87-7043
期間 : 平成22年7月1日(木)から6日(火) 
      11:00から17:00
交通 : 深大寺へは京王線調布、つつじが丘からバス
      中央線武蔵境からバス
      車では甲州街道で深大寺にゆくのが便利
特典 : 「プレミアムエイジを見た」と言って貰えれば、
      記念に「松風」作の小さな器プレゼント
連絡 : 団塊太氏の携帯 090-3526-9876
      期間中は会場に居る
 

5月 28, 2010   No Comments

安田伸の話

 
  かれこれ15~16年ほど前になるだろうか。誘われたゴルフ・コンペで、安田伸という男と同じ組で回らせて貰ったことがある。彼は、クレージー・キャッツの一員のあの安田伸だ。彼が亡くなる前年か、前々年だったと思う。

  何の関係で、安田伸がそのゴルフ・コンペに来たのかは忘れたが、東京芸大出の筋金入りのサックス奏者として、既にハナ肇は鬼籍に入ってしまっていたものの、超売れっ子のクレージー・キャッツの一員には違いなかった。そんな安田なのに、テレビで見る彼と実物の彼とは、それ程差の無い謙虚で優しい人だった。

  ゴルフの方もサックス同様、その道を極めようとする人だったようで、オフィシャルH、シングルの腕前で、ラウンド中、親切にいろいろ教えてくれた。それこそ手取り足取りで。こちらが恐縮してしまう程だった。

  その時、思った。この人は芸大出身の音楽家などおくびにも出さず、クレージー・キャッツの中でも、目立たないバイ・プレーヤーに徹し、それでいていい味出せる、己の分をわきまえた本当のエリートなんだと。特に、俺が俺がの芸能界にあっては、大変珍しい部類に入るのではないかと思った。

  そんな彼が、ゴルフ後の懇親会で、同時代を過ごした別のバンド、「フランキー堺とシティー・スリッカーズ」との対比で、ハナ肇論をぶったのだった。ハナ肇が亡くなって、まだ、2年も経っていなかった頃だったから、ハナ肇の素顔をみんなに知って欲しいと思ったのかも知れない。

  安田伸曰く、「ハナ肇とフランキー堺では、人間の質というか、レベルが違い過ぎます」。「???」と全員。

「フランキー堺はハナ肇と同じく、バンド・マスター兼ドラマーでした。フランキー堺の方は自分が売れ始めたら、さっさとバンドを解散して、自分だけ芸能界に行ってしまいました。当然、メンバー達は即失業に追い込まれる訳ですから、たまったもんじゃない。僕はメンバー達とその後も付き合いがあったので分かるけど、彼等の堺に対する恨みつらみは激しかったですよ。

  そこ行くとハナは、堺と同じように早くから芸能界にマークされていた男ですが、いくら誘われても、バンド全員でなければ断わるという態度でした。ですから、世に出るまで、かなりフランキー堺に遅れを取りましたよね。でもその辺りが、親分肌のハナと、自己中の堺の決定的な違いですね。

  それに、ハナは堺のように自分をスターだとは、最後まで思っていなかったと思います。クレージー・キャッツとしてテレビに打って出る時、ハナは全員集めて言いましたもの。このチームの4番バッターは植木等だ。俺でも谷でもないから、みんなそこを間違えるなよ、って」。

  ハナ肇は、どれだけ脚光を浴びようと自分を見失わない男だった、という安田伸の話は、含蓄に富んでいた。お山の大将だったら、自分が一番と思うのは当り前なのに、自分じゃないと言えることが凄い。そしてそのことを死ぬまで貫いたからこそ、クレージー・キャッツのあの温かくて可笑しい空気を醸し出せたのだろうし、息の長いグループでいられたのだろう。

  そのメンバーだった安田伸の謙虚さも優しさも、本人の資質に加え、ハナ肇が作ったクレージー・キャッツの雰囲気の反映でもあったのだろう。何せ、ハナを語る時の安田伸の表情の豊かさは、ハナと過ごせた人生の幸せを、僕等に伝えているようでもあった。

  会社もバンドも、あらゆる組織の良し悪しは、トップの出来で決る。
 

5月 27, 2010   No Comments

イタリア旅行(10)

 
  ここで、今回のツアー参加者について、若干触れておこうと思う。全員で38名の大ツアーだ。全てが2人ペアーでの参加だから全部で19組である。その内、新婚のカップル3組、20代中頃のOLのグループ1組。残りの15組は、若くても60歳直前、大部分は僕より先輩のご夫婦だ。

  新年度が始まったばかりの4月中旬出発で、しかも9日間のツアーに参加出来る人種を数えれば、大体上記3種類に絞られるだろう。ビジネス客はこういうツアーには入らないから。

  だが、考えてみれば可笑しなもので、新婚旅行の3組と、結婚30年、35年、40年の老夫婦が一緒に旅行している。年齢的に自分の子供や、ひょっとしたら孫の新婚旅行にくっ付いていくようなものだから、とても変。

  でも、朝食・昼食・夕食と毎日のように同席を繰り返すうちに、新婚さんも還暦過ぎの僕等と親しくなってくれるもので、若い2人の出身地や年齢・職業などを知るようになる。終いには2人のなれ初めを聞き出したりするオバ様もいて、OLグループを含め若いカップルは、大勢のシニア組のアイドルに化して行った。

  僕も聞き耳を立てて聞いていた訳ではないが、最後にはかなり詳しくなっていた。新婚さんの1組目は、どちらも宮崎県在住のカップル。年齢は新郎が5歳上の34歳。何処となく佐藤浩市に似たカッコいい看護士。新婦は体育大卒の中学の体育教師。若き日の梶芽衣子を髣髴とさせるような美人だけど、社交的でしっかり者。彼女が同じテーブルにいると座が明るくなる。

「彼が私を貰いに家に来た時、父が、ホントにこんな娘で良いのか、って何度も何度も彼に聞くんですよ。私ってそんなにダメなのかって落ち込みまして。父も酷いですよねぇ?」と新婦さん。

「お父さんの気持ち分かるような気がするな。フィアンセの覚悟の程を聞いておきたかったんだよ、きっと」と、あるおじさん。

「いや、彼にお父さんの言葉を打ち消して貰いたかったのかもね」と、また別のおじさん。

「いやいや、お父さんから見れば、ホントにダメな娘だったのかもよ」と、僕が混ぜっ返してやった。直後に、カミサンに腕を思いっ切りつねられた。「痛って!」。

  成田で解散する時、彼女がシニア組に、「ありがとうございました。皆さんとご一緒出来て、とても楽しかったです。30年後、皆さんのような夫婦になれるように努力します」って。一同拍手。ねっ、しっかり者でしょう? 

  あるオバ様が、「見習わない方がいいわよ。私達、仕方なく夫婦続けているだけなんだから」(全員爆笑)。うちのカミサン、頷いてた。
 

5月 26, 2010   No Comments

カラス

 
  今、僕は新宿のある保険会社の顧問をしている。会社はビルの6階7階の2フローを使っているのだが、その間を頻繁に行き来するので、エレベーターではなく、階段を使う。その階段は外階段となっている。

  昨日、階段を下りながら外を見ると、直ぐ前の路地を挟んで立っている大きなイチョウの木の枝に、カラスが巣を作って雛を数羽抱いているのが見えた。僕とカラスの距離は5~6m。巣の高さは、僕が立っている外階段より1階下辺りだ。

  ツバメやスズメの雛は何度も見ているが、カラスの雛は見たことがなかったから、珍しさもあって暫し見入っていた。親鳥は自分の翼を大きく広げて子供達を守っている。子供達は親鳥の胸の辺りから顔を覗かせてピーチク・パーチク。何とも微笑ましい。カラスの子供は、真っ黒ではなく灰色だと、この時初めて知った。

  親鳥は、最初からしっかり僕を見たまま目を離さない。僕が彼等を見ていたのは、時間にして精々15秒程度だったと思う。親鳥は一度「カー!」と鳴いたと思うと、やおら立ち上がり、鳴き声を「ガー、ガー」とダミ声に変えて威嚇しながら、僕を目掛けて一直線に飛んで来た。僕はただ見ていただけなのに・・・。

  僕の目を狙って、迫り来るカラス。いつも見掛けるカラスよりも、やたら不気味に大きく感じる。沖縄で見た国道の直ぐ上を横切る米軍の戦闘機みたいだと思った。怖い。話せば分かる相手ではないから。子供を守るためには何でもするぞ、という強い意志がカラスの目に宿っている。駄洒落ではないが、鳥肌が立った。僕は咄嗟に頭を下げ、手で頭を覆って、慌ててその場から後退りした。幸い直接の被害はなかった。

  カラスは僕のいた手摺りに止まって、尚もこちらに向かって「ガー、ガー」と吼え続ける。見るとクチブト・カラスだった。カラスの中でも獰猛な方の種類だ。オス・メスの区別は分からないが、多分母親だろう。子供を守るために、本能的に、あれだけ勇猛に人間に立ち向かって来るのだから。

  つい最近、BSでヒッチコックの「鳥」を見たばかり。引き込まれはしても、どこか作り事という気分で見ていたが、あの映画に描かれた本当の「怖さ」を、僕は偶然にも実体験してしまった。

  同じカラスに襲われそうになった男が、職場にもう1人いて、後日、階段の入口に警告文が貼り出された。「カラスに襲われる可能性がある人は、エレベーターをご利用下さい」。

  皆さん、カラスには注意しましょう。
 

5月 25, 2010   No Comments

Fさんを囲む会

 
  年一の「Fさんを囲む会」が、今年もまた栃木で開かれた。当時の部下達が10人集まった。F氏78歳。僕の仕事の師匠である。いや人生の師匠である。僕より一回り以上年上の上司だった。そのFさんの部下となったのが、入社3年目の25歳の時だった。

  以来、僕はFさんに、ものの考え方・見方から、システムという仕事の何たるかまで、実践を通じて、多くのサプライズと眼からウロコの数々をお教え頂いた。Fさんが会社を去った後も何とか頑張れたのも、そして、僕が今あるのも、正にFさんとの邂逅あったればこそなのである。

  入社数年の若輩達に対して、仕事に止まらず、哲学・政治・音楽・スポーツなど様々、彼の思いや解釈を熱っぽく語るFさんの姿に、入社以降感じていた窮屈さや閉塞感とは全く異なる世界を、初めて感じたのだった。

  当時、システム部門は、社内では、主要部門ではなく裏方に近かったし、コンピューターの分からない上司が、普通の部門のように秩序がどうの、命令がどうの、規律がどうのと、コンピューターには通じない様々な文句を部下に言うので、先輩SE達の心も切れる寸前にあった。

  僕自身も、覚悟はしてサラリーマンにはなったものの、やはり学生時代と違い、体制に組み込まれた不自由さを感じながら、それが会社だ、給料を貰っている以上仕方ないことと諦め掛けていた。そんな僕の心にFさんが火を着けてくれたのだ。

  彼の指導で様々なプロジェクトに取り組み、成功も失敗もあったが、Fさんはそれらを通じて僕等に、「コンピューター・システムは、これまでのビジネスや社会の概念を変える新しい形や、新しい価値を生み出す可能性を秘めている。だから、お前達は『未知への挑戦』を使命とせよ」と伝えたかったのだと思う。

  Fさんから、仕事には「単純作業」から「次の時代を拓く挑戦」まで存在することを教えて貰い、Fさんに会うまでの僕等の仕事は、単純でないまでも「作業」であり、Fさんに鍛えられてからは「次の時代を拓く挑戦」が僕等の仕事になったと思っている。

  しかし、Fさんが僕等にやらせたのは、どこにも先進事例のない様々な実験システムの開発だったから、苦しいなんてもんじゃない。どうやったら出来るか答の見えないテーマへの挑戦なのだから。

  解決方法が見付からない時など、食事の時は勿論、風呂場でもトイレでも「何かやりようはないものか」と考えてしまう。夢にまで出て来る。「もう無理」、みたいな顔をしてたんだろうね。Fさんが僕のところにやって来て「簡単に諦めるくらいなら、最初からやるな。サッサとやめちまえ」と僕をどやし付けた。

  「だったら、Fさん、あんた、答あるの?」なんて、心の中で反発しながら、「ああまで言われちゃ引き下がれねぇ。よーし、俺が答出してやろうじゃないの」となる。また、苦しみもがく。僕の相棒のS君と2人、やっとの思いで答を出す。そういう時Fさんは、鬼瓦のような顔が、えも言えぬ笑顔に変わるのだ。全てが報われる思いがするその笑顔が忘れられない。

  僕達はFさんの喜ぶ顔を見たくて頑張ったのかと思えるくらい、Fさんを父親のように慕っていたのは事実だ。

  その「お父さん」がまた、元気な姿を見せてくれた。ゴルフと宴会の一泊旅行。今回の宿は日光だった。Fさんのゴルフ・スイングは、とても78歳とは思えないくらい若々しい。

  現役の時は全くゴルフをやられなかったが、引退後、高校時代の同級生と月一ゴルフ会に出ているようで、年々上手くなっておられる。僕も節制して、喜寿過ぎてもFさんのように元気にゴルフが出来るよう、健康を維持したいと思った。
 

5月 24, 2010   No Comments

イタリア旅行(9)

  
  不思議な町だ。干潟のような所に大きな町を作ったという。その昔、ゲルマン民族に追われ、とうとう、海の湿地帯のような場所まで逃げて来て、国を作ったのだという。その名はベネチア(旧ベネチア共和国)。本土から約4km離れたアドリア海に浮かぶ奇跡のような都市だ。

  今は、イタリア本土との間に、リベルタ橋という名の自動車道が架けられている。バスはその橋を渡って直ぐの駐車場に入った。ベネチアは、それ以外の場所全て自動車も自転車も禁止なのだ。僕等はそこから船でベネチアの中心地近くの船着場まで移動した。

  その間、巨大な客船を何隻も見掛けた。世界一周や地中海クルーズでは、殆んどの豪華客船がベネチアに立ち寄る。ビルの屋上を思わせる豪華客船のデッキには、沢山の乗客が出ていて、僕等の小さな船を見降ろして手を振っている。僕等の一団も彼らを仰ぎ見るように大騒ぎしながら両手を振ってそれに応える。

  20分ほど掛かって、ベネチア中心地に到着した。ベネチアの中心は何と言っても「サン・マルコ寺院」とその前に広がる「サン・マルコ広場」だ。昨年の秋だったか、ベネチアが水浸しとなり、「サン・マルコ広場」も膝まで水に浸かった映像がテレビに映っていた。浸水は近年特に頻繁になって来たというが、今日は天気も快晴で、浸水は一切ない。

  僕等は早速「サン・マルコ寺院」の中を見学。旅行日程も終わりに近付いていて、これまで沢山の寺院やドゥオモ内部を見て来ていたので、もう記憶が不確かで何処も似たような印象になってしまっているので説明を省く。記憶に残っているのは、寺院の隣のドゥカーレ宮殿。

  この宮殿は、ベネチア共和国の時代、国会として、また、裁判所として使われた場所。古く由緒ある建物なのだが、床を歩くと水平でないのが分かる。少し傾いているのだ。何せ建物の下は柔らかい干潟。夥しい木材を突き刺して基礎とし、その上に石造りの重い建物が建てられているのだから、水平に保つ方が難しい。

  ガイドによれば、当時の建築家は、このような条件下では、柔構造が良いと既に理解していて、建物全体を船の概念で建てたとの説明だった。なる程ね。船だから傾いた位で驚くなという訳だ。

  「溜息橋」というのがある。ドゥカーレ宮殿内の裁判所と地下牢とを繋ぐ、川を跨ぐ石造りの渡り廊下だ。かつてドゥカーレ宮殿の地下牢に繋がれた囚人は二度と生きて戻ってくることができないと言われ、この橋を渡る囚人が格子状の窓越しに見納めとなる外の景色を、溜息をついて見たことからこの名前がついたと言われている。

  ガイドブックに載っているので、「溜息橋」の近くに観光客の人だかりが出来ているが、外から見て特に面白いという類のものではなかった。

  その後、ゴンドラに分乗して市内の水路を遊覧した。イタリア人の若者が長い竿でゴンドラを操るのを見ながら、のんびりした気分に浸った。水路を進むに連れ、一般の家にも必ず水路からの出入り口があるのに気付く。この町は本当に水の都なんだ。主たる交通手段が船だということが良く分かる。

  最後に、ベネチア・グラスの工房に案内され、ガラス細工のデモを見た。職人が長い筒を吹きながら形を作るいつもの風景だが、驚いたのは、ベネチア・グラスは、30cm程上から木の机に落としても、割れないことだった。美しさと共に、その強さが最大の特長だという。

  その後は2時間半余りの自由時間となった。僕とカミサンは「サン・マルコ広場」を囲むように連なる店を見て回ったり、沢山の路地と沢山の橋を歩いた。

  そして、トイレ。添乗員は、バール(BAR)と呼ばれるところに入って、飲み物を注文して、中のトイレを借りるのが良いと言っていたが、僕等は敢えて公衆トイレに挑戦することにした。

  やっと探し当てた。入場料1人1.5ユーロ(約140円)。これは、他の観光地の3倍もする。ベネチアは高い。入口に自動支払機があった。まず、50セント硬貨3枚あったので、それを入れた。ゲートが開いたので、カミサンを入場させた。

  僕の番。2ユーロ硬貨があったから入れた。だが、コインはそのまま戻って来てしまう。何度やってもダメ。何なんだ、この機械は。お釣りくらい出るようにしろよな。もし、切羽詰まっていたら、どうしてくれるんだ。

  日本だったら、自動販売機で釣銭出すのなんて朝飯前。スイカとかパスモとかでもOKにしている筈だ。ついでに言えば、日本の観光地はどこにも綺麗な公衆トイレがあるし、無料だし、飲み水はタダだし、チップも不要。何より日本語が通じるし。日本が恋しくなって来た。

  仕方ない、トイレは暫く我慢するとしよう。と思ったところに、中から係員が出て来た。ゲート近くのテーブルに小銭を並べた。手動で入れてくれるらしい。2ユーロ硬貨を渡したら50セントのお釣りを寄越した。ゲートを開けてくれた。やれやれ。

  高い有料トイレだけあって、中は綺麗だった。
 

5月 23, 2010   No Comments

イタリア旅行(8)

  フィレンツェ。ツアー一行を乗せたバスは、フィレンツェ市内に入っても、そのまま走り過ぎて行く。そして、アルノ川を渡り、坂道を登り始めた。暫くして、観光バスが沢山停まっている高台の駐車場に着き、降車することになった。

  ここは、「ミケランジェロ広場」だ。その高台の公園から、フィレンツェ市内が一望出来る。息を呑むような美しさ。市の中央にドゥオモ(ドーム、大聖堂)の赤茶色の丸屋根が見える。左の方にはベッキオ宮の高い鐘楼。そのまた左に、アルノ川に架かるベッキオ橋(橋の上に宝石商などの商店の建物がある不思議な橋)などが一望出来る。

  この景色は、旅行ガイドブックに載るフィレンツェの写真そのままだ。他の建物も殆んど屋根が赤茶なので、フィレンツェの町全体が赤み掛かっていて、温かみや優しさを感じさせる。

  「ミケランジェロ広場」には、ミケランジェロの代表作、ダビデ像の複製が真ん中に建っている。かなり高さのある像なので、下から見上げた時のバランスのために、頭が大きめに作られているのだそうだ。一応、ここに来た証拠に、ダビデ像の前でパチリ。フィレンツェの町並みをパチリ。

  次にバスは市内の中心地近くで一行を降ろす。最初に訪れたのが、高台からも良く見えたドゥオモ。世界最大のドゥオモだ。この大聖堂は正式名「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」(花の聖母教会)と言い、1296年に建築を開始して、何と165年後の1461年に完成したのだという。

  中に入った。一番奥がドゥオモのクーポラ(円形の屋根)の真下になっている。見上げると、クーポラの内部には「最後の審判」が描かれていた。クーポラの上まで歩いて登れるらしい。

  不思議なのは、外からは巨大で相当高く見えるドゥオモなのに、中から見上げるとそれ程巨大さも高さも感じない。大聖堂内部が薄暗く、クーポラの頂上の明り取りから光が差して、そこだけが明るいので近くに見えるのだろうか?

  次に向かったのが、フィレンツェで一番有名な絵画、ボッティチェッリの「ビーナスの誕生」が所蔵されている「ウフィツィ美術館」だ。中には沢山の宗教画が飾られていた。

  ここでは、宗教画の進化を学ぶことが出来る。昔から、キリスト教の宗教画は、あまり好きになれないのだが、絵が平面的、且つ、気高い人々の頭上には、必ず光の輪が描かれていたのが、徐々に遠近法を取り入れ立体的になって行き、後光も取れて行く。描かれている人々の表情も多彩に活き活き描かれるようになり、その到達点が「ビーナスの誕生」だそうだ。学生時代の美術の教科書で見た絵の現物がこれか。うーん。

  イタリアは革製品が有名だ。その中でもフィレンツェは革製品のメッカだ。ガイドは我々をある皮工房に連れて行った。そこでは、柔らかい羊皮の財布を作るデモをやっていた。以降2時間の自由時間。ここで、お土産を買う人はどうぞという訳だ。

  添乗員の説明(言い訳)では、このツアーは、提携のみやげ物屋などに立ち寄って、客に買わせようとする評判の悪いプログラムは基本的にカットしているが、フィレンツェの皮製品は世界的ブランドなので、一見の価値あり、是非皆様に見て貰いたかったと言う。ベネチアのガラス工房(ベネチア・グラスも有名)の2ヶ所だけなのでお付き合いを、と低姿勢だった。

  カミサンが、息子の嫁さんと娘にバックを買うというので、選ぶのを付き合わされた。その店にはどうも気に入ったものが無かったらしく、他の店に行こうと言い出した。こうなると、とことん気に入るまで探し始めるから大変なんだ。その通り沿いは、革製品の店が集まっている。直ぐ隣の店、そしてまたその隣。

「これどう?」と僕に聞く。

「いいねぇ」

「これは?」

「いいねぇ」

「これとこれならどっちがいい?」

「どっちも」

「真面目に言ってるの?」

「どのバッグも、さすがイタリアだよ」(つまり、早く決めろよな)
 

5月 20, 2010   No Comments

イタリア旅行(7)

 
  イタリア滞在6日目。昨夜遅く到着したフィレンツェのホテルから、早朝バスで出発。少し眠い。この日は、あの有名な「ピサの斜塔」を見に行く。

  フィレンツェからピサまで、高速道路をバスで2時間弱掛る。フィレンツェから西に向かったのだが、途中、右手(北側)、霞の上空に雪を被った山並みが浮かんで見えた。アルプスだ。

  僕は松本(正しくは豊科)生まれだから、幼い頃は、北アルプスの山々を家の裏庭から目の前に見て育った。見る度に、その大きさに圧倒された。特に冬場のアルプスの鋭さは、僕に威圧感を与え、慄くほどの恐怖を感じたのを良く覚えている。トイレが裏庭側の廊下の端にあるので、冬はトイレにも行きたくなかった。

  信州育ちなのに、山がそれほど好きでないのは、多分、この頃の記憶のせいだ。同郷の友人達は、等しく、山を見ると心が落ち着くと言うのだが、僕はそうではない。

  本場のアルプスはもっと険しいのだろうが、高速道路からはかなり遠く、薄っすらと見える程度だから、長閑さ(のどかさ)さえ感じる。

  ピサに到着。斜塔は街中にあるのかと思っていたら、塀に囲まれた、広い芝生だけの公園のような中に立っていた。想像以上にその塔は傾いていた。あれ程傾いていてよく倒れないものだと思う程だ。

  添乗員が斜塔に登る希望者を募った。登るのに15ユーロ(2千円弱)掛かるという。当然エレベーターなどなく、長い階段を登らなくてはいけない。ツアー6日目ともなると、体力的に少しきつくなって来ている時期だったので、2千円払ってまで苦しい思いをする必要はないと、僕等は見送った。

  が、後で、カミサンはどうも登りたかったようなことを仄めかす。「私一人だけ登るのは変だから」やめた、みたいな。「そう言えば良かったじゃないか。そしたら俺も登ったよ」「そ~お~?」。

  公園の入口から「ピサの斜塔」まで、通路には出店がずらっと200m以上も軒を連ねている。あらゆるみやげ物を売っている。そんな中であるTシャツが目に付いた。それは、スヌーピーが汗を振り絞って、必死で斜塔の倒れるのを支えている図柄のシャツだ。買いたいと思った訳ではない。そういう構図で写真を撮りたいと思ったのだ。

  スヌーピーと同じように、倒れて来そうな側から両手でカミサンが支える図。1枚撮った。再生して見てみたが、塔をただ両手で撫でているようにしか見えない。もっと顎を引いて、重心を低く、両足を前後に力一杯踏ん張って、倒れて来るのを防ぐ姿勢を取るようにカミサンに指示。

  「もう、いいよ」と彼女は迷惑そうに言いながらも、僕の指示に従ってくれた。パチッ。今度は良し。

  じゃぁ、僕の番。そこで閃いた。僕は斜塔を押し倒す図を思い付いた。カミサンとは反対から懸命に塔を押すポーズ。再生画像を見た。よく出来ている。僕の力でここまで傾き、もう少しで倒れそうな写真になった。
 

5月 19, 2010   No Comments

2つ目の小さな保険会社

 
  1年半前、JTは、「大地を守る会」という会社からの大口出資を受けて、小さな保険会社(少額短期保険)を立ち上げた。販売している保険商品は「医療保険」(入院費用+生命保険)だ。当初、マーケットとしては、「大地」の生産者と会員の他、2つの生協が名乗りを上げてくれていた。

  だが、この保険会社のマーケットとして本格的に生協を開放するためには、解決しなければならない夫々の事情があり、最近になって漸く、1生協が保険販売に本腰を入れると表明してくれたところだから、決して計画通りに順調に推移している訳ではない。

  しかしながら、1年半、何とか着実に運営して来た自信と実績は大きい。JTは、この生保系の保険会社とは別に、もう一つ、日本で初めて生保と損保とを兼営する少額短期保険会社を設立したいと考えるようになった。

  マーケットも生協という特定マーケットでなく、より一般的な顧客に拡げ、特に賃貸マンションや賃貸アパートの住人のための保険を最初の保険商品とする。どこよりも格安で、且つ、これ以上ないシンプルな保険。彼らの家財を災害から守り、且つ、イザという時の生活再建を支援するユニークな保険なのである。

  従来の言い方で言えば、損害保険・医療保険・生命保険の全てが扱われる日本で初めての保険会社になるというのがJTの新たな夢となった。その第一歩を踏み出す時が来た。今日から、この保険会社が営業開始する。

  ところで、JTは、今まで何度か「クーペ&Shifo」のコンサートにも来てくれているし、彼らのコンサート・チケットも沢山捌いて貰って来た。僕が誘って、クーペの店にも足を運んで貰っている。

  クーペがテイチクからデビューした時、世話になったプロデューサーに尼崎氏という、その方面では良く知られた方がおられるが、クーペは、この尼崎氏とJTが良く似てて、間違えたことがあると言う。僕も実は2人が良く似ていると、以前から思ってた。背格好や風貌は勿論だが、ジャンルは違っても、2人とも、根っからの仕事師で親分肌なところまでそっくりなのだ。

  尼崎氏は、一旦は自分の芸能プロダクションを、他人に譲り渡すハメになったようだったが、事業欲は一向に衰えず、最近は中堅コンビニ・チェーンに資本参加して新しいビジネスを開始したと聞く。

  先日、尼崎氏の還暦祝いに呼ばれ、「クーペ&Shifo」も参加して来たらしいが、そのパーティーには、尼崎氏がこれまでにプロデュースしたミュージシャンが一堂に会していたという。上田正樹・鈴木聖美・大橋純子・日野皓正・きゃんひとみ・ポカスカジャン(ワハハ本舗)などに混じって、「クーペ&Shifo」もミニライブをやって来た。そういう大物達が一曲だけだったのに、3曲も演奏したと言う。それで良い。

  後日、尼崎氏が、もう一度「クーペ&Shifo」を出す企画を進めたいと本気で言って来たらしい。まだまだ確実になるには長い道のりだが、これを聞いて僕は思った。

  JTも尼崎氏も、何十年もやって来た仕事の世界を一旦は離れたが、今また、違う形で同じ世界に戻って夢を実現しようとしている。そこが一番似ていると。

  60代のお2人の挑戦に乾杯。今度、是非お2人を引き合わせたいと思っている。
 

5月 18, 2010   5 Comments