中村俊輔
昨日のブログ(サムライの悲喜)の続き。
中村俊輔が苦しかった胸の内を吐露し始めた。代表引退かと問われて、万感の思いが交差し、こみ上げてくる涙をグッと抑えてインタビューに答えた。
「次の代表? ないよ、もういい」
「この大会はプレーヤーとしては何にも残せなかったね。不思議だね。02年は逆で、選手としては良かったと思うけど、トルシエさんは人間としてベンチに置くのは難しいと判断した。今回はベンチでチームのために努力したけどね」
「耐えるのがつらかった…」
「今回、使われなかったことは、02年の落選よりショックだった。02年は、これに比べるとかすり傷かな」
「サッカーの神様が僕をテストしたのかな」
「すべてが終わった今思えば、足首じゃないね。僕の実力がなかったね。本田みたいに1トップでも何でもできる選手じゃないとね」
「オレは本当にW杯とは縁がないね。これも運命かな」
(以上、日刊スポーツ)
若くからその才能が認められ、注目を浴びる中、00年シドニー・オリンピックでは彼が一番望んだトップ下を中田英寿に奪われ、已む無く左サイドで出場。02年日韓大会では落選。06年ドイツ大会では、出場をはたしたものの、体調不良で不調だった。
しかし、中田が引退した後、この4年間、文字通り日本代表の司令塔として、南アフリカ大会出場に導いたのは中村俊輔だ。日本の頭脳・日本のレフティーと世界からも賞賛された彼は、ドイツ大会のリベンジを期して、本大会に臨む筈だった。しかし、4月の初めに試合で痛めた右足首の状態が響いて、本来のキレが出なかった。
更に、テストマッチも負け続けた結果、岡田監督は攻撃的布陣から守備重視の布陣に変えざるを得なくなり、俊輔の出番は益々なくなって行ったのだった。
本人の弁によれば、「大会に入る前から、足首は完全に回復し全く痛みはなかった」と言うが、出場はオランダ戦後半の、たった26分のみだった。野球で言えば、WBCで日本チームのイチローが、代打で1回だけしか使われなかったのと同じくらいの出来事だっただろう。
それだけ選手にとっても監督にとっても、過酷なスポーツと言えるのかも知れない。だが僕は、大会直前まで日本の第一人者だった者が、檜舞台で控えに回らされた時の心情に最も興味を抱く。スーパースターと言われる人に、人間的魅力を感じる瞬間だからだ。
「大会期間中、眠れない日が続いた。深夜寝付かれず、そっと電気を付けて考え込んだ。逃げ出したいけど、わがままは言えない。耐えるしかない。暗い自分をみんなに悟られたくない。宿舎では部屋にこもる日が続いた。マッサージの順番もレギュラー組の後にした。ふっと気づくと、どんどん小さくなって行く自分がいた」。彼の心模様を良く表している。


2 comments
本田にしても松井にしても長谷部にしても海外組はそれなりに輝いてたと思います。俊輔はセルティックにいた時は輝いていたと思います。でも、マリノス来てからは、というか、マリノスに来た時点で、セルティックの時の輝いていた俊輔ではなくなっていたように思います。セルティックの時のあの、閃きや技術があれば、代表のレギュラーから外れることは無かったでしょうし、チームメイトが「俊輔すごい!」って言ってるでしょうし、キャプテンマークも中澤から長谷部に渡ることはなかったでしょう。
今シーズン、残り、俊輔がマリノスで大活躍でもしたら、「やっぱり、俊介はスゴイ!」ってなるかも知れませんが、セルティック時代に言われてた「タックルできない、ヘディングできない、でも天才」の「でも天才」が無くなってタダの人になってしまわないか、心配です。
1998年大会の直前、同じ岡田監督(代行?)にあのカズが外された時も、同じような衝撃でしたね。
あの時は、ファンは勿論、選手達が動揺してしまったようですから、今回のように俊輔抜きでベスト16まで行けたのとは大きく違っているのでしょうね。
それにしても勝負の世界は実力がすべて。風貌に似合わず、岡ちゃんのカズや俊輔に引導を渡す冷徹さは大したものです。
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