プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 8 月 2010

11月11日の大勝負

 
終わらせることは いつでも出来る
同じ終わるにしでも 意味のあったものとして終われるかどうか
後悔せずに終われるのかどうか
 
 
 
偶然出会い 何の関係もない人間達がチームを組んだ5年半
それも人生の後半で、夢のような時間を共有して来た
仕事の仲間とはまた別の 濃密な時間を共にした人たち
 
 
 
終わらせるのは 始めるのと同じくらいに難しい
死ぬ時に 自分の人生捨てたもんじゃなかったと思えるかどうか
人生に悔いなし チーム活動に悔いなし 同じこと
 
 
 
このままでは終われない 同じ世代が終わらないでと言っている
最後に持てる力の全てを賭けた勝負をしなければ
11月11日の大勝負 勝っても負けても悔いはない
 

8 月 17, 2010   No Comments

ベンチャーズ

 
  夏の夜、地元のホールで行われた、あのベンチャーズの公演に行って来た。

  大学に入った年に、ベンチャーズが大ヒットして日本にエレキブームが巻き起こった。S君とN君と僕は、クラシックギター部を飛び出し、S君の知り合いのO君とA君と一緒にザ・ストレンジャーズを結成したのだった。

  「テケテケテ」に低俗性を感じていた僕達が最初に選んだ曲は「朝日の当る家」だった。何度も何度もベンチャーズの「朝日の当る家」を聴いてはコピーしたものだ。

  そんなベンチャーズの思い出を振り返りながら、地元ホールに向かった。チケットはカミサンが行くかと思って2枚購入したのだが、「アホらし。そんな爺さんの演奏聴いたってしょうがないでしょ」と断わられてしまったので、前の会社のバンドのO君を呼び出して付き合わせた。

  会場に入ったら、1,500名の会場が超満員なのにまず驚いた。そして、その観客達の年齢層の高いこと。それも夫婦連れが多い。一昔前なら「思い出の歌謡ショー」の公開録画かと思わせるような爺さん・婆さんで一杯の客席。この人達は本当にロック&ロールを聞きに来たの? とても信じられない。会場を間違えたかと思う程。

  とは言え、僕等もそんなには変わらないのだけれど。ベンチャーズを見ても、ドラマー以外はいいお年。ドラマーは十数年前に亡くなった、前のドラマーの息子さんだというから、さすがにまだ若いが、それでも55歳。

  しかし、いざ演奏が始まると、彼等のロック&ロールは若くて、激しくて、素晴らしい。音量一杯の轟音は久し振りの感触だ。迫力満点の上にテクニックも憎らしい。大勢の前で演奏し、自分達の音楽を聴いて貰うのが最高なんだ、と言っているような楽しそうな表情。こういうことを一生の仕事にして、70歳過ぎても現役でやれると言うのが何とも羨ましい。いい人生だな。

  僕は、激しいロックを聴いている割には、あまり血が騒ぐこともなく、最後まで淡々と見て聴いた。

  が、最後にアンコールで「キャラバン」が始まった途端、僕の心に火が着いた。長いドラムソロを聴いていて、そうだ、この曲、40年前に、僕等のバンドでもやったよな。ライブではいつも、この曲、観客からリクエストされたっけ。あの頃、僕も10分間くらいのドラムソロやったんだ。いや、やれたんだ。

  触発された! 今度、おじさんバンドに無理言って、僕の40年前を再挑戦させて貰おうっと。 でも、その前に・・・

「てな訳でサ、O君のエレキバンドで『キャラバン』練習させてよ」

「え!? ドラム、相当ハードですよ。(還暦過ぎてるのに)大丈夫ですか?」

「この暑さが過ぎてからでいいよ」

「まぁ、いいですけど、大丈夫かなぁ」

  O君は盛んに首を捻っていた。

8 月 17, 2010   No Comments

あるシステムの物語13

 
  兵頭一樹と梶圭太の最終判断は、夫々のシステムを並存させて、両社の代理店やチャネルにとって必要な機能は既存システムをそのまま使えるようにし、両社システム間を繋げて新会社として最低必要な機能だけを統合する方針に切り替えるしかない、だった。

  そう腹を固めた直後、梶は社長室に直行した。このシステム統合方針の大転換について、河瀬社長には何としてもOKして貰わないといけない。方針変更するにもその期限ぎりぎりに来ているし、変更も出来ずにずるずると従来方針のまま行ったら、システムが理由で会社合併が出来なくなる。そうなれば河瀬社長の責任問題になってしまう。

  そんな必死な思いで社長室を訪れたのだが、生憎河瀬は不在だった。秘書室長に聞くと昨日から九州に出張しており、今日の夕方の便で東京に戻るとのことだった。帰りのフライトの時刻を尋ねると羽田には3時間後に到着予定だ。新宿本社から羽田には車でも電車でも1時間もあれば充分だったが、梶は気が急いて居ても立ってもいられず、羽田に向かった。河瀬社長がまだ福岡市内から福岡空港に向かってもいない筈の時間にも拘わらず。

  梶は羽田空港でどう2時間を過ごしたのかさえ覚えていない。どんなに叱られようと、どんなに罵られようと、この方針変更は何が何でもOKして貰わないといけない。梶は河瀬社長に「分かった」と言って貰うまでは絶対に引き下がらないし、河瀬を家に帰さない、そんな決意だった。

  福岡発ANA278便が到着し、到着ロビーに乗客達が現れた。梶は必死に河瀬を目で探した。いない。ぞろぞろぞろぞろ、既に大勢が出て来ているのに、河瀬社長の姿が見えない。じりじりして待った。ファーストクラスやビジネスクラスの乗客は優先的に通されるのだから、もう出て来ていないとおかしい。社長はこの飛行機に乗らなかったのか、と不安が募ったところで、やっとあのいつもの社長の顔を見付けた。

「社長! お待ちしていました」

「おう、梶君か。何故わざわざ出迎えに来たんだ?」

「今日中に是非とも社長にご了解頂きたい事項が生じまして」

「そうか。待たしてしまったようで悪かったな、預けといたバッグがなかなか出て来なくてな・・・。だが、その話明日じゃダメなのか」

「はい。明日緊急に事務・システム統合小委を開催して、大きな方針変更を決定しないといけなせんので」

「今は、俺も少し休みたいところなんだよ」

「すいません、お疲れのところを。でも、緊急を要する問題ですので、どうか・・・」

「仕方ない。車の中で聞こう」
 

8 月 16, 2010   2 Comments

この世に永遠はない

 
この宇宙 この地球 この自然 万物に永遠はない
同じ状態が永久に続くことはないのだ
生き物もまた生命に限りがある
 
 
このことは 人生に於いても 永遠に続く苦しみはないのと同様
永遠に続く幸せもまた ないことを表している
 
 
天地創造以来 この世は「変わること」が宿命づけられている
社会も企業も人間も 人の愛さえも
少しでも長続きを願うなら
「変わらない」ために「変える」努力が不可欠
 
  
我等のチームは5年半が経った
ある人に言わせると 賞味期限が過ぎたらしい
このチーム 今後も続けるのなら 大きく「変える」ことが必要だ
 
 
世の習いに従って 不可避な「終わり」を 受け入れて
チームの果たした役割を いま「終える」のも勇気ある決断
不要とされてもしがみ付く ぶざまな姿だけは晒すまい
 
 
「変わらない」ために「変える」のか
「変わる」「終わる」を受け入れるのか
メンバーたちに僕は問う
 

8 月 13, 2010   2 Comments

いやだけど、しょうがない

クーペが付けたんだ 僕の芸名を
「QP」
顔のイメージがキューピー・マヨネーズの人形に
似てるからだって
「やだな もっとカッコいい名前がいいよ
例えば『ジェームス神童』とかサ」
「何言ってんだよ QPがピッタリだって」
 

 
あるコンサートの舞台の上でクーペが言う
「QPが一言ご挨拶致します」と僕に促す
後方のドラム位置から前に進んだ クーペの隣で
「QPです 本名はジェームス神童と申します」
と断わってから短めの挨拶をした
 
 
 
翌日 ライブに来てた会社の女子社員が私の部屋に来て
「ジェームスってぇ 神童さんの時代ですと
ジェームス・ディーンからとった名前かなと思ったんですけど
違いますか?」
「いや ジェームス・ボンドのジェームスだよ」
「え????!(絶句) 失礼しました」
彼女 そそくさと帰って行った
 
 
 
以来「QP」が完全定着してしまい
ジェームスは行方不明となった
しょうがない
  

8 月 13, 2010   No Comments

あるシステムの物語12

 
  5月に入って、「入金ベース」か「計上ベース」かの論争は、遂に東都損保の「入金ベース」方式に決まり決着してしまった。理由は東都損保側の代理店には中央損保の方式は古くてとても受け入れられない。一方、中央損保の代理店にとってそのやり方は、必ず喜ばれるというものだった。

  この結論になってしまうと、片寄せ作業の外に中央損保システムの中に「入金ベース」精算システムを移植開発する大きなロードが加わるから、これを是としたくはなかったが、兵頭一樹にも梶圭太にも、大きな心の揺らぎがあり、この結論に徹底抗戦する気分が削がれていた事情があった。

  それは、事務・システム小委員会で、相手社(中央損保)側のシステムの責任者だった中島肇(取締役)が、「中央損保のシステムに寄せることが決まっている以上、『計上ベース』で行くのは当たり前でしょう。事務もシステムも、全部中央損保のやり方に合わせるというのが両社合意の趣旨です」と発言したからだ。

  兵頭と梶にしてみれば、中央損保に寄せる決断をしたのは中島の努力ではなくて自分達2人だ、という思いがある。東都損保側に今回の片寄せ批判が渦巻く中、短い期間でシステム統合を成し遂げるために、少々の不都合は目を瞑ってくれと、社内説得に物凄くエネルギーを使っているのに、何だ、あの中島の態度は! 2人の怒りに火が着いてしまったのだ。中島は何もしてないのに偉そうに言いやがって! 少しくらい東都損保側の懸念を払拭する配慮を中央損保側のシステムでもやったらどうだと。

  そういうことがあり、他の問題と違い、兵頭も梶も、「入金ベース」にすべきだという東都損保側の声に対しては、それを押さえ込もうという強い意志が殺がれてしまった。

  その結果、「入金ベース」方式に決まり、中央損保システムの中に、東都損保の分割払い入金処理方式を移植しなければならなくなったのだ。完全片寄せから大きく後退。実は東都損保側のシステム要員が、相手社のシステム環境の中で「入金ベース」システムを開発することと、東都損保の代理店システムを中央損保システムに繋ぐことが、想像を絶する難工事となって行った。

  更に、相手社のシステムに片寄せするということは、東都損保独自商品を売り止めにすることと同義なのだが、これには商品部門が消極的で、ついに売り止め方針は出されないまま9月末を迎えたのだった。売り止めに出来ないということは、東都の独自商品のシステムを活かすか、同じものを中央損保システム内に移植するかしかない。その移植はとても1年や2年で出来る代物ではない。

  以上3つの難題がいずれも見通しが立たず、同年10月、「中央損保システムへの片寄せ」という統合方針を大きく変更せざるを得ない事態に陥ったのである。合併新会社発足まで半年を切っていた。システム統合両社合同プロジェクトは最大のピンチを迎えた。
 

8 月 12, 2010   2 Comments

あるシステムの物語11

 
「じゃぁ、お聞きしますけど、兵頭さんは、相手社への片寄せの方針をシステムの部下達に話して納得させられますか? 私にはとても出来ません」

「部下達には清々と方針に従って貰う。納得しない奴には降りて貰うしかない。自分達のシステムを守るとか守らないとか、そんな次元で考える問題じゃないんだ。合併の日まで11ヶ月しかない。一番早いシステム統合のやり方を選ぶのは当り前じゃないか。」

「そのお言葉、そっくり兵頭さんにお返しします。当社寄せでも充分間に合いますから」

  この男は、どちらに寄せるにせよシステム統合を11ヶ月でやり遂げるのも簡単でないのに、当社寄せにして、中央損保が長年最優先で対応をして来た、自動車最大手社向けの個別機能が随所に入り込んでいるシステムを、当社のシステムに移植開発する重さが、まるで分かっていない。

  河瀬社長が言う通り、今次会社合併は、東都損保が中央損保と一緒になること以上に、中央損保の大株主である、自動車産業最大手社と手を結ぶことが大きな目的なのだから、合併後も該社向けのそれまでのシステム機能を維持することは、今次システム統合の必須条件だ。下田はそこが分かっていない。

  兵頭は暫く考えた。彼の身が危ういことを伝えたのに、彼はまだ駄々っ子のように自説に固執している。

  彼の状況判断を狂わせているのは、事実ベースに基づく正確な判断ではなく、自分に対する異常なまでのライバル意識だと兵頭は思った。兵頭の提案が容れられて、下田の考えが却下されたことが、彼には受け入れ難いことなのだと。

  1時間以上話しても、前非を悔いて、これからは決定済み方針について一致協力するという下田の言質は、遂に取れなかった。

 
 
 
  下田を変えさせることが出来なかった兵頭は、その遣り取りを河瀬社長に伝えるしかなかった。河瀬はそれを想定していたかのように言い放った。

「下田は他の職場に異動させる。それから、理事も降格させるから、そのつもりで」

「えっ? 一寸待ってください、社長! 意見こそ違えましたが、彼も会社のためにシステムで貢献して来ました。どうか理事降格だけはお許し下さい」

「何だとー! お前がそんな甘い態度だから、下田が付け上がったんじゃないか。理事降格だけは勘弁だと!? 下田に恨まれたくはない、か・・・。兵頭にも、下田の上司としての責任を取って貰う! 報酬カットを覚悟しておけ!」

  下田の名古屋転勤が発令されたのはそれから間もなくだった。ランクは最低が適用されたが、理事降格は免れたようだった。代わりに、兵頭の月例役員報酬の10%カット1ヶ月間、梶の同5%カットも同時に発表された。兵頭は自分の発言で、梶にまで累が及んだことを済まなく思ったが手遅れだった。

8 月 10, 2010   No Comments

あるシステムの物語10

  
「それにこれは私宛てにシステムの若い人から送られて来たメールだが、お前への批判と片寄せ反対が述べられている」

「え!?」

  河瀬社長は、さすがに差出人の名前の所は切り取って、メールのコピーを兵頭に見せた。

  中身を読んでみたら、中央損保システムに片寄せするのは最悪の選択、会社の事務が20年前に戻ってしまうし、代理店に大変迷惑が掛かる。今回何故先端を行っている当社のシステムを活かさないで、大きく遅れているシステムに寄せるのかさっぱり分からない。兵頭氏に聞いても河瀬社長から「良くぞ決断したと言ってくれた」としか説明してくれない、私は下田氏の意見が正しいと思う、このままの方針で行くなら、合併新会社が一番遅れた会社になってしまうのではないかと、大いに心配である、といった内容だった。兵頭には誰が書いたメールかは直ぐ分かった。下田の部下の石山だ。

  兵頭が読み終わったのを見計らうかのように、河瀬が強いトーンで兵頭に言った。

「手下にこういうメールを私宛てに書かせたのも下田の差し金だろうし、本社各部を回って社長方針に対して反対を触れ回るなんて、とんでもないことと思わないか?」  

「あっ、ハイ」

「お前から下田に言っておけ。協力したくないならさっさと降りろと」

  その翌日、兵頭は下田を呼んで河瀬社長の言葉を伝えた。

「社長は、君にかなり立腹しておられる。君が本社をけしかけて、中央損保システム寄せの決定方針に反対表明をするように裏工作していることは、全て社長はお見通しだよ。社長が決めたことを、君が卑怯なやり方で覆そうとしていると見られているんだ。既定方針に協力したくないならさっさと降りろ、とまで言われている」

「どう言われても反対は反対です。相手社のシステムに寄せて当社のシステムを捨てるなんて、とてもまともな判断ではない」

「だったら、何故、社長に直接言わないのか。部下にメールを打たせたり、本社各部を裏でオルグしまくったりして。喧々諤々の議論はいいんだよ。でも、一旦答えが出たらそれに向けて全員が一致協力するというのが当社の伝統だろう。君のやり方は全く逆だ。社長が一番嫌う卑怯なやり方なんだよ。」

8 月 9, 2010   No Comments

あるシステムの物語 9

 
  そんな騒然とした雰囲気の中、4月下旬に、事務とシステムの統合に関する2回目の経営統合委員会が開催された。冒頭、兵頭一樹は前回の会議の結論、即ち、「システム統合の基本方針を中央損保システムに片寄せすることとする」を確認のため口上した。ところが河瀬社長は「そこまで決めてはいないぞ! そういう方針で検討を進めてみて行けるかどうか見極めるという意味だった筈だ」と言う。

  兵頭も梶圭太もこの河瀬社長の発言に大いに動揺しながらも、今後の進め方や他部門への注文など、一通り、用意した議案に沿って説明を終えた。再び河瀬社長の発言。

「事務やシステムを中央損保に寄せるにしても、保険申込書などは現在のものを出来るだけ踏襲するなどして、代理店に対しては急激な変化を極力避けて貰いたい」

「そうは言われましても、東都損保の保険申込書のまま、中央損保の事務やシステムに乗せるのは、項目の違いやコードの違いがあって、とても無理です」と梶が答えた。

「申込書の一部が変わるくらいは仕方ないが、色調とかは従来のトーンで作れるだろう。そういう配慮をしないと、東都側の代理店が、どうしてこちらサイドばかりが中央損保に合わせなきゃならないんだと言い出す」

「分かりました。そういう配慮は致します」

  兵頭がそう答えて会議を終えた。幾つか経営陣の確認が必要な事柄があったのだが、とてもその論議に入れる状況ではなかった。しかし冷静に分析すれば、河瀬社長は、中央損保のシステムに片寄せする既定方針を変えろと言っている訳ではなく、単に代理店にとっての見た目を工夫しろと言っているに過ぎない。

  兵頭も梶も、東都損保本社内に渦巻く片寄せ反対の声を、河瀬社長と雖も全く無視する訳には行かず、東都側代理店に配慮せよ、との発言になったのだろうと理解した。河瀬社長も内心は穏やかでないのだろう。2人は、本社部門説得の努力不足を痛感すると共に、河瀬に心から申し訳ないと思った。

  さて、相手社システムへの片寄せ方針に反対だった下田正雄にとって、今回の経営統合委員会が、既定方針撤回のラスト・チャンスだった。だが、そうはならなかったことに下田は、「大不満である」ことを顔と態度で河瀬社長に示したのだろう。兵頭は直後に河瀬に呼ばれた。社長室に入るなり河瀬は兵頭に言った。

「あの下田の態度は何だ! 結論が気に入らないからと、あんな不貞腐れた態度を示すのは、中央損保の福島社長に失礼だ!」

「ハッ! 私の横の方にいたので全く気が付きませんでしたが、下田はそんな態度をとっていたのですか?」

「こっちは正面だからよく分かった。福島さんもそれを感じた筈だ。まるで福島さんの会社のシステムなんかに寄せるのは愚の骨頂だと言ってるに等しい」

「それはスイマセンでした」

「下田はこの数週間、本社中を引掻き回して私の下した結論を覆そうとしたのは知ってるな?」

「え!?」

「経理部長まで下田の話を聞いて、中央損保のシステムに寄せるのは考え直してくれって、慌てて言いに来たぞ。そんなことをする奴をこのまま放置しておく訳には行かない!」

「ハッ!」

8 月 8, 2010   No Comments

我が友Aのリサイタル

 
  学生バンドで一緒にやっていたテナー・サックスのAが、2005年5月の「クーペ&Shifo」の日比谷野音コンサートに来てくれて、僕がドラムを叩く姿を35年ぶりに見てくれた。それに刺激された訳でもないだろうが、彼もまたアルト・サックスを新規に購入して35年ぶりに音楽を再開したと知らせて来た。

  その彼が、昨年の今頃、会社生活を完全リタイアして、これからは、カミサンとの海外旅行と、ヨットと、ジャズ・サックスに励むと宣言して、その言葉通り、9月には、A自らが主催して「退職記念コンサート」を中野のライブハウスで開催したのだった。

  学生時代はロックのサックスだったが、今彼はジャズ・サックスを奏でる。そのコンサート、彼のバックを務める人達がまた凄かった。70歳過ぎだろうか、ライブハウスのオーナーで元有名ジャズドラマーのX氏、僕達より2~3歳上のプロのジャズピアノY氏(彼はAのジャズの師匠)、それに、ウッド・ベースは長身・細身のクールなZ氏なのだ。

  プロのジャズメンが食って行くには、些か時代が悪いが、この3人のプロ達は、世が世ならトリオとしてかなり有名を馳せた筈の人達。その道の人々には良く知られた存在という。

  彼等を従えてAが行なったリサイタルは、なかなかの出来栄えだった。ジャズを始めてまだ日が浅い筈なのに、その音の切なさやビブラートの優しさは、既にアマチュアのレベルを大きく超えていた。

  驚きはそれだけでない。彼個人の人の繋がりだけで100名の人間が駆け付けたのだ。売り物のスター・プレーヤーのライブにAがゲスト出演するという話じゃなく、A主役のコンサートに100名も集められるのが凄い。貸切りだからチケット代も決して安くはないのだ。

  そして最も驚いたのは、19時開演22時終了という長丁場を、全て、Aが一人でMCをやり切ったことだ。朴訥としたしゃべり口ながら、そこに彼の人生なり、これまで付き合って貰った人々への感謝の気持ちが滲み出ていて、たまに繰り出すユーモアも微笑ましく、決して飽きさせない3時間だった。

  そんな彼が、今年も10月に同じ場所で、コンサートをやるので是非来てくれとの連絡が入った。昨年、僕もドラムでAと共演したが、今度は、もっと応援出来ることはないかと考えて、思い付いたことを彼に携帯メールで伝えた。

「おじさんバンド全員で駆け付けて、1~2曲演奏しようか?」と僕。

「申し訳ない。これまでいろんな所で俺をゲスト出演に呼んでくれた人達をゲストに呼び戻すので、おじさんバンドに演奏して貰う時間はないと思う。但し神童には俺のサックスと一緒にドラム叩いて貰いたい」と、Aから返信。

  呼び戻すゲストとは、やはりプロのジャズ歌手やジャズ・プレーヤーらしい。この1年、それだけいろいろなジャズ・バンドに加わってゲスト出演していると言うことだ。

  退職するまでAは四日市で、ある会社の社長をやっていたが、社長が引退後直ぐに、プロと一緒にジャズを演奏出来る人はまずいない。いや、ゲストで参加したライブでは少額ながらギャラを得ているらしいので、既に立派なプロでしょ。

  Aが、大学卒業後就職しないでずっとジャズをやってたら、今頃ジャズ界の大御所になっていたかも知れないのにと思わないでもないが、でも、食っていくのは大変だったろうから、社長を退任後、プロのサックス奏者の道を歩むという、人が羨むような人生が大正解だな。

  ウーン、それにしても、おじさんバンドの秋のステージが、まだ何も決らない。
 

8 月 7, 2010   No Comments