プレミアムエイジ ジョインブログ
Random header image... Refresh for more!

Posts from — 12月 2010

久し振りのビートルズ

 
  僕のビートルズが、下北沢のビートルズ専門のライブハウスで演奏するというので、行って来た。僕のビートルズは、バンドの正式名「アップルビーツ」という。5人組だ。ビートルズで5人組というのは珍しい。どのビートルズ・バンドも、全て大もとと同じ4人組だからだ。

  容貌も声も仕草もギッチョのベースも、完全にポール・マッカートニーにしか見えないポッツ。リンゴ・スターのドラムのリズムを一つ違わず完全に再現出来るワニドラ。シャイなジョージ・ハリスンの再来のようなキャップ。ジョン・レノンを少し小振りにした感じのズー・ジョン。

  それに、ジョン・レノンが女に生まれていたらこうだったかも知れないと思わせるサムの5人だ。要するにジョンが2人いるビートルズなのだ。その2人のジョンは昨年結婚し1年経ったところだ。

  サムはこれとは別に、女性4人組のビートルズ、「ブルー・マーガレッツ」のメンバーでもあり、毎年夏にリバプールで行なわれるビートルズ・ウィークに参加し、あの本場「キャバーンクラブ」に2年連続で出演している。

  サムから聞いたのだが、今年の夏は、彼女達に関心が集まり、フランスのテレビ局が取材に来て、その特集番組がフランス全土に流れたと言うし、「キャバーンクラブ」出演がキッカケで、来年はスウェーデンに招待されているので、女性ビートルズを目一杯アピールして来ると張り切っていた。

  この日は、前から僕が彼らのことをブログに書く度に、「今度機会があったら、俺も連れて行ってよ」とJTに言われていたから、この日はJTと僕と、おじさんバンドのヨッ君の3人でお邪魔した。

  会場に入ったのは開演10分前だったが、僕を見ると直ぐこちらにやって来て、代わる代わる握手してくれたり、日曜の夜なのに遠くまでよく来てくれたと感激してくれていた。彼らが喜んでくれるのを見ると嬉しいし懐かしい。

  全部で30分3ステージの予定らしいが、最後までは無理なので、2ステージ、しっかり聴かせて貰った。この日の会場に置いてあるドラムがエレドラ(電子ドラム)だから、折角のリンゴ顔負けのワニドラのドラミングなのに、音が籠もってしまって、あの迫力が伝わらないのが少し残念だった。

  それ以外の点では、いつもの「アップルビーツ」らしく、ビートルズを超えたビートルズだった。いつも僕は、彼等のことをそう表現しているが、JTに「どう?」と聞いてみた。

「その通りだね。ただ、今度は、本当のドラムを使って、もう少し大きなホールで聴いてみたい。おじさんバンドとのコラボで、ジャズとロックの競演みたいなのを企画したいねぇ」

  僕も全く同感だ。いつかそういうのを実現したいものだ。「アップルビーツ」に、いずれジョイント・コンサートをやろう、と伝えて会場を後にした。

  23日の天皇誕生日の最終練習、24日のクリスマス・イブ・コンサート、25日の同窓会バンド初音合わせ、26日のビートルズ・ライブ、と音楽漬けの4日間が終わり、今年の行事は全て終った。

  今年は良いこと悪いこといろいろありました。そして沢山の方々にお世話になりました。沢山の人にご迷惑をお掛けしました。来年は皆様にとって良い年になりますように・・・・・

                       (年明けまで、ブログはお休みします)

12月 30, 2010   No Comments

クリスマス・イブのライブ(下)

  
  さて、第2部、いよいよおじさんバンドの出番だ。僕もリハの時と違って、少し、身体にエネルギーが戻った気がしていた。ステージに行ってみたら、今時珍しい緞帳が下りていた。

  普段は、暗いステージの中を自分の楽器の所まで進んで、スタンバイOKを確認し次第、演奏を開始するのに慣れていたので、幕開け前に明るいステージに上がるのは、却って緊張感があった。

  第2部開始のブザーが鳴り、係員の「どうぞ」を合図に演奏を始めた。オープニング曲は、いきなりのロック&ロール・ナンバー、「ジョニー・ビー・グッド」。イントロに合わせるように緞帳が上がって行く。

  いつものおじさんバンドだったら、「オール・オブ・ミー」とか「サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」とか、ジャズのボーカル曲で始めるところだが、美子さんご主人のエレキギターが加わってくれたので、ロック&ロールで開始出来たのだ。

  僕にとってはそれが幸いした。今日一日中テンションが低いままだった僕が、初めからノリに乗れたからだ。この日は更にもう一人、コーラス隊メンバーのご主人がブルース・ハープでアドリブに参加してくれたので、斉藤さんの歌う「ジョニー・ビー・グッド」が、チャック・ベリーの再現みたいだった。

  続いて、課題の12曲懐メロ・メドレー。ドラムの責任でやる、曲と曲との繋ぎ、リハで失敗している曲の山場や盛り上げ。繋ぎと盛り上げはまずまずだったが、「雨の御堂筋」の山場で少しリズムがずれた。何の心配もしていなかった「恋のバカンス」のイントロが乱れた。

  それでも、今回はコーラス隊と一緒に演奏出来たことが楽しかった。いつものおじさんバンドと異なり、アイ・コンタクトや阿吽の呼吸ではなく、譜面通りに演奏しなくてはいけなかったから、練習から緊張感をもって臨んだ初めてのケースだった。そういう体験も、終わってみれば、目新しくて大変面白かったとなる。

  コーラス隊の皆さん、おじさんバンドを呼んでくれてありがとうございました。またいつかコラボレーションしましょう。会場に駆け付けてくれた皆さん、ありがとうございました。差し入れをして下さった皆さん、本当にありがとうございました。美味しく頂きました。

  来年は、おじさんバンドのライブを行ないたいと思っていますので、その時また、お越し頂ければ幸せです。

 

(練習で苦戦した、懐メロ・メドレーの12曲)

1. リンゴの唄      2.東京ブギウギ    3.青い山脈

4. 銀座カンカン娘   5.テネシー・ワルツ  6.スーダラ節

7. 上を向いて歩こう  8.いつでも夢を    9.恋のバカンス

10.ブルーシャトー   11.雨の御堂筋   12.川の流れのように

12月 29, 2010   No Comments

クリスマス・イブのライブ(中)

 
  リハが終わって、どこかに姿を消していたと思った大森教授が、缶ビールをビニール袋一杯に買い込んで楽屋に戻って来た。

  僕は、何かを食べると気持ち悪くなりそうで、朝から殆ど何も食べていないに等しかった。益して、ビールなど見るのも厭だったが、「神童さん、迎え酒呑んだ方が治りますよ」というので、「じゃぁ、一本だけ」と言って恐る恐る飲んでみた。

  思ったほど違和感はない。でも少しだけ。これで気持ち悪くなったら本番どころじゃなくなるから。でも、夕方6時過ぎだから、昨日飲み終ってから約20時間経っている。幾ら何でも、そろそろ二日酔いが治っても良い時期だ。

  結局、缶ビール一本を飲みほした。やっと胃袋も目覚めたようで、コーラス隊のメンバー手作りのお料理にも手を伸ばせるように回復して来た。食べて美味しいと思った。

  コンサートの第1部は、コーラス隊「TSUBASA」のステージだ。僕は漸く楽屋を出た。彼らのステージを客席から見たかったからだ。過去何回か聴いているが、やる度に上手くなっている。途中、指揮者の美子さんのピアノと、ご主人のギターのデュオの演奏が、素晴らしかった。

  純次さんが後で言ってた。「息もぴったりで、羨ましいくらい。あの2人、なんか怪しい。出来てんじゃないの?」。

  ステージが始まって30分ほどの客席(250名収容)は、埋まっているのは7割程度か。クリスマス・イブのコンサートとしては上出来ではないだろうか。クリスマス・イブは、恋人同士もっとムードの良い場所で過ごしたいだろうし、家族持ちは家族と過ごすので、観客動員が最も難しい日の一つが12月24日なのだから。

  一部が終った。15分休憩の後、いよいよ僕等の出番だ。

12月 28, 2010   No Comments

同窓会バンド

 
  11月に、母校長野高校の同期同窓会(同学年全クラス)が東京で4年振りに開かれた。その時、偶然にも、今何かしらのバンド活動をしている者達がいることが判明し、この際同窓会バンドを結成したら面白いんじゃないか、と話が盛り上がった。

  多分にお酒の勢いみたいな話ではあったが、その中の一人、TAKAのバンドが12月初旬に経堂でボサノバ・ライブをやると言うので、メンバーはそれを聴きに行くことになり、当日、再び集まった。

  TAKAの歌に酔いしれた後、その場で急遽ミーティング。ヤッパリ音楽はいい、バンド是非やろう、とみんなで確認し合ったのだった。

  当面、5人で始めることにし、12月25日のクリスマス当日の夕方、TAKAの地元、狛江駅前の貸しスタジオに集合した。但し、ヨッシー(バンジョー、MC)は、孫達とのクリスマス優先のため欠席。他の4人が集まった。TAKA、AYA、マッキー、それにドラムの僕、QP神童。

  TAKA(ボーカル、ギター)はボサノバを完全に自分のものにするために、ポルトガル語を必死に勉強し、ボサノバの師匠に付いて学びモノにした努力家だ。

  AYA(スティール・ギター、ボーカル、ウクレレ)はハワイアンの世界では名の知れた人物で、アメリカで毎年開催される、スティール・ギターの大会(カントリー&ハワイアン)に招待された唯一の日本人女性奏者だ。

  マッキー(サックス)は、高校時代の花形プレーヤーだった。母校の文化祭の中でもメイン・イベントは市民会館での音楽祭だった。彼は、フルバンドのソロ・サックス奏者として、僕らや他校の女子高生の憧れのスターだった。

  ヨッシーは、W大ニューオーリンズ・ジャズ・クラブで鳴らしたバンジョー奏者だった。高校の時から、彼はデキシーランド・ジャズが大好きで、大学に行ったら絶対にやると周囲に宣言していた。今も、日本サッチモ協会の理事として、ジャズに関わっている。

  お分かりのように、まだベースが見付かっていない。ピアノもいるとベストなのだが、何せ、高校同期の中で探さないといけないから大変だ。広く声を掛けて募集するとしよう。

  それでも、まぁ、いざとなったら、メンバー全員、既に夫々のバンドを持っているから、助っ人には困らない。

  この日は、取り敢えず4曲やってみた。「ボラーレ」、「WAVE」、「オール・オブ・ミー」、「A列車で行こう」。皆、さすが現役、あっという間に曲が仕上がりそう。それにしてもスティール・ギターでジャズだとか、ボーカルで「A列車」だとか、ここにバンジョーが加わると、一体どんな音楽になるのか?

  既成概念に囚われない、新鮮な音楽になりそうな気がする。この先が楽しみになって来た。

  最初の音合わせを2時間で終らせ、TAKAお勧めのスナック風小料理店で美味しい料理とお酒を頂きながら、今後のことなどを話し合い、来年の長野市で行なわれる同期同窓会で演奏することを目標とすることで一致した。

12月 27, 2010   No Comments

クリスマス・イブのライブ(上)

 
  コーラス隊「TSUBASA」と「おじさんバンド」とのジョイント・ライブの日を迎えた。会場は250人ほどの客席のある公共のホールだ。

  前日は天皇誕生日だったこともあり、おじさんバンドも全員参加してコーラス隊と一緒に最後の練習を行った。幾つか本番までに克服しておかなければいけない問題(「雨の御堂筋」の山場、「川の流れのように」のエンディングの盛り上げ等々)はあったが、前日練習としては、やれることはやったという気分にはなった。

  おじさんバンドが全員揃ったのも珍しいから、終わって軽く食事をして翌日に備えるつもりだったが、アルコールが入ったら話が盛り上がり過ぎて、ついつい翌日のことを忘れて2次会へ。

  これがいけなかった。イブの朝、目を覚ますと頭が痛い。起き上がるとフラフラする。完全な二日酔い。いっけねー、今日は本番だぁ、と気がついた・・・時にはもう遅かった。

  それでも、気力を振り絞って、マクと一緒に車で楽器運びを行なった。この日のためにマクは、病院を休んで車を出してくれたのだから、僕も、二日酔いだとか言っている場合じゃない。

  会場にドラムを運び込み、セッティングするのがこんな重労働だとは。今までそんな風に思ったこともなかったが、この日は辛かった。何とかやり終え、コーラス隊のリハが終わるまで、僕は楽屋の畳の間で横になって休むことにした。

  純次さんも前日のお酒が残っているようで、本調子でないと言う。一緒に横になっていた。その時、楽屋に若い女性が現れた。以前おじさんバンドと共演したことのあるピアニストだ。彼女は「夜は用事があって、コンサートを聴けないので、差し入れにだけ来ました」とお菓子を差し入れて行ってくれた。ありがとう。こういうのはとても嬉しいもの。

  でも、僕は今日は何も食べたくないんだ。申し訳ないな、と心の中で謝った。多分純次さんも同様だと思う。

  楽器運びで身体を動かしたのと、少し休んだので、身体が幾分楽になったところで、おじさんバンドのリハーサルだ。だが、僕のテンションは一向に上がらないし、ミスも多かった。

  本番までの2時間で、何とかしなくては。

12月 26, 2010   No Comments

他社の忘年会に闖入

 
  以前、このブログに書いたが、Wさんという、あるIT会社のオーナーに、ドラマーがいないのでと、僕が頼まれていたのが、彼の会社の忘年会での演奏だった。それがつい先日行なわれた。場所は東京郊外のライブハウス。そこを貸切りにして、午後3時から7時まで、忘年会のパーティーが行なわれたのだ。

  前に安請け合いしたものの、全く関係ない人間が他の会社の忘年間に闖入にて良いものかどうか、直前になって迷い、前日、Wさんにメールを入れたら、「全く問題ないし、是非私を助けて下さい」と返事があったので、覚悟を決めて伺うことにした。

  Wさんの演奏の出番は5時過ぎと聴いていたので、僕は5時ごろ現地に行った。既に2時間経過しているので、皆さん、結構アルコールの入った後だったから、私が加わってもさして気にならなかったよう。

   Wさんが「よく来てくれた」と大歓迎してくれて、早速ビールで乾杯。見回すと、半分までとは言わないが、どうも日本人ではなさそうなアジア系の人も多い。聞けば、フィリピンに作った子会社の社員だと言う。実務の習得と日本人社員との交流を目的に、ローテーションでWさんの日本の本社に、数年間、来日させているとのことだ。

  Wさんによれば、彼等は皆フィリピンのナンバーワン大学の出身者で、将来、いろいろな分野で国を背負うことが期待されている若者達だそうだ。そういう、彼等彼女等が代わる代わる僕の所に来て、日本語で挨拶してくれる。そんなことされると部外者の僕も、緊張が解けて嬉しくなる。これはWさんか、彼の息子さん(社長)の指示なのだろうか?

  ステージでは、会社のメンバーだろうか、若い人達が演奏している。エレキギター、サイドギター、エレキベース、ドラム、キーボード。遂にWさんが呼ばれ、彼等をバックに、英語の歌を1曲披露した。初めて聴いたけど、渋い声でなかなか良い。

  次に、Wさんの奥様がステージに現れて、「サニー」をジャズ風に歌われた。事前にWさんから、ジャズ・シンガー・レイコ(奥様)のこのとは聞いてはいたが、その上手さに驚いた。想像以上だった。彼女が歌い始めただけで、会場の空気が変わった。中心が彼女一点に集約されたみたいだ。歌声だけでなく、その存在感までもがジャズだ。

  そして、僕の出番。シンガー・レイコの歌う「ビー・バップ・ルラ」のドラムを叩く、らしい。ステージ上で打合せ。バンドを仕切っているゴー君(彼とは以前2度ほど会っている)が僕に言う。

  「8ビートです」。 あれ!? 待てよ、「この曲は確かシャッフル風じゃなかったかなぁ?」と僕。そしたらレイコも「先月のステージは8ビートでやったけど、本当はシャッフルなのよね」。

  知ったかぶりで、余計なこと言うんじゃなかった。シャッフルより8ビートの方が数段簡単なのだから。でもまぁ、何とかぶっつけ本番にしては成功だったかな。エンディングの意思疎通が少し乱れたけど。

12月 26, 2010   No Comments

猪瀬副知事の横浜講演(下)

 
  東京都の水道システムは、漏水率3%(先進国でも20%が普通)・集金率99.9%という世界でも断トツの水準にあること、水道の水を直接飲める国は世界に11カ国しかないこと、水道に関する民間企業の技術は頗る優秀なことなどを熱っぽく語った。

「これを、東京都が音頭を取って、官民一体の一大プロジェクトで世界に売り出す。まずはアジア。既に、台湾・マレーシア・ベトナム・インドネシアなどの政府にプレゼン済みであること。民間だけでは先方の政府関係者も信用してくれないが、東京政府が進めている話だから、真剣に聞いてくれる」

「東京都という官の中に、宝の山がある。それを民間企業の発想で海外で稼ぎ、将来の(少子化による)税収減を補おうと訴えて来た。漸く、都庁の役人もその気になった」

「都庁には役人出身の正規の副知事が3人いて、夫々ラインを持っている。僕は4人目の副知事で無任所。当時都議会が、僕がラインを持つことに、揃って反対だったからね。まぁ契約社員みたいなモノ。権限も何もない。だけど、述べて来たような、従来とは全く違った仕事をやって行くと、全て、横割りのプロジェクトにならざるを得ない」

「それはラインを超えた仕事だから僕の出番となる。そうなると、自然と僕に権限が集中する。今最も権限を持った副知事なんです。本当は僕が、自分で自分の仕事を作り出しているんだけどね。」

  民間企業で働いたことも、経営したこともないのに、猪瀬の発想の原点は民間企業の「当り前」を官に持ち込むことなのだと思う。道路公団民営化の時も、公団にバランス・シートを示すように声高に迫っていたのを思い出す。

  予定の正午を過ぎても、猪瀬の熱弁は終らない。いつもは60分にも満たないから、元々、1時間半の予定は長過ぎるかな、余った時間は質疑応答かな、と思っていたのに、1時間半を超える講演とは珍しい。最後に「今日は友人に頼まれた講演だったので、一生懸命やり過ぎて時間をオーバーしてしまいました」とニクイことを言う。

  猪瀬を自宅と会場の間を愛車で送り迎えしてくれたJTに聞いた。

「往復とも車内で2人だけだったんだから、いろんな話出来たんじゃないの?」

「猪瀬さん、激務で疲れてる筈なんだけど、講演で話したもっと詳しい内容や、今の民主党政権についての心配や苛立ち、来年の都知事選のことなど、車に乗っている間中ずっと一方的にしゃべっていましたよ」

「でも、自らの都知事選出馬については明確に言わないでしょ?」

「それはそうでしたね。でも私は、猪瀬さんは政治家猪瀬で行くよりも、今みたいに東京都の改革をどしどし進める、仕事人猪瀬の方が彼に合っているように思いますけどね」

「確かに。やって来た仕事は全うしたいだろうしね。副知事になった当初は、猪瀬独特のパフォーマンスに見えたんだけど、ここまでやると、全てマジだって分かる。ただそれも次に変なのが上(都知事)に来たら辞めるだろうし、上が猪瀬副知事を嫌うかも知れない。友人としては、この際思い切って出馬して貰いたいんだけどね。人生は一度切りなんだから」

「そうなったら、2人共、ボランティアで応援しに行かないといけません」

「そうだね。ただ、猪瀬の場合、女性票の取り込みが最大の問題になるな」

12月 22, 2010   No Comments

合同練習 悪戦苦闘中

 
  12月24日のクリスマス・コンサートを1週間後に控えて、追い込みの練習を行なったのだが、旨く行かない。その1週間前、新子安まで行って大森教授のスタジオで「おじさんバンド」だけで練習した時は、もう完成のレベルかなと思ったのだが・・・

  この日は、コーラス隊「TSUBASA」とおじさんバンドの2回目の合同練習だった。12曲からなる「懐メロ・メドレー」に苦戦を強いられている。

  最初から、難しいと思っていたのは、特に、曲と曲の変わり目をドラムで繋ぐところだった。つまり、前の曲の終わったところで、直ぐ次の曲のリズムとイントロのメロディーが思い浮かばないと妥当なリズムを刻めないからだ。それでも大森スタジオでは旨く行っていた。

  今回の譜面では、途中の「恋のバカンス」と「雨の御堂筋」のイントロが似ていて間違え易く、今回の合同練習で、僕が混同してしまうという問題が初めて起きた。

  ここは何回も何回も練習したり、イメージ・トレーニングで次のイントロ・メロディーを覚えてしまう以外ないのだが、訓練のポイントがハッキリしたことは良かったのかも知れない。

  他にも、エンディングは「おじさんバンド」だけの時は、阿吽の呼吸で徐々にスロー・テンポになって終わることが多いのだが、コーラスの方は同じテンポで最後まで行かないと、全員の声が合わなくなる。それでも美子さんが前で指揮する場合は良いが、このメドレーでは美子さんも歌う側なので、最後までテンポを変えてはいけない。

  そのことを意識しないと、僕も他の「おじさんバンド」も、いつものように最後が遅くなってしまう。これも当日の注意点だ。

  最後の曲は「川の流れのように」なのだが、そのエンディングは、メドレー全体の最後なので最高の盛り上がりが必要だ。美子さんや「アキサユリ」から「シンバルやドラムでもっと盛り上げて」と異口同音に注文された。

  その場で幾つかのパターンを工夫してみたが、まだ、しっくり来ない。本番前の合同練習はあと1回だけ、それも前日の祝日のみだ。それまでに固めなければ。

  以上の3点を克服し、何としても当日に間に合わせるのだ!

12月 21, 2010   No Comments

猪瀬副知事の横浜講演(中)

 
  猪瀬の講演は、「東京都の副知事になってみたら」という自身の著書をかざしながら、そこに書いた内容をベースに、彼が副知事として実績を上げて来た内容を披瀝した。

「副知事になって最初にやったことは、丁度、その頃持ち上がった参院議員宿舎建設問題でした。それ以前に、豪華な衆院議員宿舎が建てられて、国民の批判が集中しました。愛人を住まわせた大臣なんかもいてね。都としても今度こそ阻止しようと、僕は石原さん(都知事)とタッグを組んで立ち向かいましたよ」

「国が法律に基づいて進めるのを、都の条例で阻止するのは本来不可能なんです。法律の方が優先しますから。しかし、国の役人が東京都に説明した時点では、10階建てだったものが、最終的には15階建てになっていた。これは国が東京都を騙したと言うことだ。僕はそこを責めに責めた。結果、国は建設を断念しました」

  次に、夕張市が財政破綻した後、若い都の職員2人を2年間夕張市に派遣したことに話は移った。

  2人の長期派遣とは別に、メロンの収穫や、雪降ろしのために、夕張市には外注するお金がないので、その時期に1週間10数人を都庁から短期派遣させたこと、東京都の他にも大阪府や広島市などからも応援を出してくれたことなどを話した。

  当初、東京都の人事部長は、夕張市のために東京都民の税金で職員を派遣することは出来ない、と反対した。

  それに対して猪瀬は、若い職員が自治体の財政破綻がどういうものか、その現場を知るのは、後に彼等が、そうならないように緊張感を持って政策の無駄を排するようになるから、東京都にとっても良いこと、と説得して、渋々同意させたらしい。

  今年の3月で2年間の夕張派遣が終了したS君は、4月から内閣の国家戦略室に招請されて都から国に出向していたが、この11月末に都庁を辞め、来春の夕張市長選に出馬することになったと言う。

  その他、国に働き掛けて実現した羽田の国際空港化、道路公団民営化で実現したこと、それに対する民主党政権の高速料金無料化や上限設定の問題点、地下鉄一元化、言語力向上など、猪瀬の主張を分り易く説明していた。

  講演の中で彼が最も時間を費やしたのは、今、東京都の水道システムを海外に積極的に売り込もうとしている点についてだった。

12月 21, 2010   No Comments

猪瀬副知事の横浜講演(上)

 
  土曜日に、横浜のJR桜木町駅前の社会福祉センター・ホールで、あるNPO主催のシンポジウムが行なわれた。その最初が猪瀬直樹東京都副知事による記念講演というプログラムだ。

  実は、そのNPOの代表から2ヵ月前に、記念講演を猪瀬氏にお願いしたいが、仲介して貰えないか、との連絡がJTに入った。僕は、「猪瀬に連絡する上で、講演料とか依頼条件を伝える必要があるので、主催者側に確認して欲しい」とJTに頼んだ。企業と違ってNPOだとそれ程出せないだろうから、まず金額を抑えておかないと交渉も出来ない。

  案の定、主催者からは、猪瀬事務所が示している通常の場合の何分の1かの、かなり低い金額が提示された。猪瀬も従業員を数名雇っているから稼がなければならないが、彼自身の安売りは最も嫌うことを僕は良く知っている。

  「これでは、さすがに猪瀬はウンと言う筈ない」と思いながらも、ダメ元で一応連絡を取った。答えは意表を突くものだった。「OKだ。神童に頼まれたらノーとは言えないからな」。嬉しいような、申し訳ないような。ただ、そのNPOや彼等のネットワークの活動に、猪瀬も興味を持っていることは分かっていた。

  彼の講演は朝10時半から12時までの予定だ。僕は自宅から1時間20分掛けて電車で向かったが、JTは、自分の車(レクサス・スポーツ・カー)で猪瀬の自宅まで迎えに行き、会場との送り迎えをしてくれることになっている。

  僕はJTの秘書役のR子さんと、会場の駐車場入口で彼等の車を待った。10時20分頃、彼等は到着。「忙しい身体なのに、土曜の朝早くから申し訳ないね」と僕。「昨日も夜12時過ぎでサ。まだ眠い。けれど講演してると目が覚めるから」と猪瀬。

  控え室で、一服した後早速開演。まず主催者のNPO代表(女性)の挨拶があった。本日のシンポジウムの趣旨などのお話の後、突然、JTや僕の名前が出て来た。

  「本日記念講演をお願いしています猪瀬副知事を紹介して下さったのは、JTさんと神童さんです。実はお2人が主催された、あるパーティーが7月にあったのですが、そこで、初めて『クーペ&Shifo』のミニコンサートを拝見しました。その中で私が物凄く感動した曲があります。是非皆様にも、その詩を聞いて頂ければ嬉しいです」

  と言って、「答えは土の中」の全編を朗読したのだ。そして、この詩は、正に自分達のNPOの理念に完全に合致するのではないか、と付け加えた。あの時の出席者が、横浜で、まさか「答えは土の中」を朗読するなどとは思ってもいなかったので、僕は驚きと共に感動し、状況も忘れて嬉しくなってしまった。

12月 20, 2010   No Comments