プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 2月 2011

保険自由化への道(10)

 
  僕は東京海上の生保担当システム部長のB氏と水面下で何度か金額交渉を行なった。当初の金額よりも降りては来たものの、彼等の考え方は、基本的に、掛かった費用を8分の1ずつ負担しようというものだった。僕は言った。

「それは可笑しい。東京海上が全額自己負担を覚悟して開発したシステムであるし、損保流と言っても東京海上流でしょう。せめて掛かった費用の『半分』を7社で負担させて貰いたい。それって変ですか? 御社としては総コストの半分を回収出来たら、それこそ御の字ではないですか?」

「神童さん、それはチョッとベラボウ過ぎます。時期はずれましたが、最初から8社で共同開発していたとしたら、私共の言うように8社で分担していた筈ですから」

「しかし、その時はベースが平和生命のシステムじゃないかも知れないし、富士通でないかも知れない。カスタマイズも東京海上1社のニーズだけでは共同開発にならなかった」

「でもですよ。どこの損保会社がカスタマイズしても同じような金額は必ず掛かりますって」

「それは、日立や野村総研の提示額が不当に低過ぎると言われていることになりますが・・・」

  平行線だった。東京海上の提示額がこちらのイメージに近付くことが、僕とI君の最低条件だった。

  数日後、東京海上のシステム企画部長のA氏(後に東京海上の社長・会長を歴任される)から、当社のシステム部門で私の大先輩に当るC氏に電話が入り、夕方会いたいと連絡が入った。C氏は、2代前の損保協会のシステム企画部長会のメンバー同士だったA氏と大変親しい関係にあった。

  その会合には、東京海上側A氏とB氏、当社側C氏と僕の4人が参加した。場所は国分寺の小料理屋。そこを指定して来たのはA氏だった。

  何故国分寺かと言えば、東京海上のコンピューター・センターがあったのが国立(当時)、当社のそれは東村山。夫々から少し離れた場所と言うことらしかった。

  予め料理店にはそう指示しておいたのだろう。部屋に案内してくれた係りの者も、下がった切りで誰も来ない。A氏は襖を閉めて、おもむろに頭を下げた。飲む前に大事な話を先にしようというお積りのようだ。

2月 28, 2011   No Comments

保険自由化への道(9)

  社内では、生保分野への進出は、新事業の立ち上げなので総合企画室マターで進められ、企画部門は企画部門で7社共同の検討を進めていた。有難かったのは、当時、総合企画室とシステム部門の担当役員は、同じH常務取締役だったことだ。

  生保販売に踏み切った後の見通しでも、一気に大量販売出来るものでなく徐々に徐々に件数が増えていく予想だ。生保販売は既存の損保代理店が、既顧客に生保を追販して行く想定だった。

  既に加入している生保を当社の生保に切り替えて貰うと言うものだから、顧客にそのメリットが理解され、代理店が自信とノウハウを身に付け、浸透させるまでには長い時間が掛かる。

  だから、企画側7社部長会のメンバーであるS君も、事業計画上、過大な先行投資は避けたいと思っている。従って、システム・コストが1/7になるなら、どこのシステム提案であれ、7社でコストをシェアすることを優先したいと表明してくれた。

  7社システム部長会も、勿論、共同開発の目的はそれ以外になかった。ただ1点付け加えれば、企画側S君・システム側神童の双方とも、7社共同システムを当社のリーダーシップで実現することの重要性は意識していた。即ち、7社を纏められなかった時の当社の力量の問われ方を否応なく理解していたという意味だ。

  H常務も、他の経営者から、「東京海上のシステム」と聞いただけで、嫌な顔をされることを百も承知で経営会議に諮る決断をしてくれた。案の定、経営会議では非難がましい意見が幾つかあった模様だが、結局はコスト・メリットと最小リスクの提案として、渋々承認されたのだった。

  実は、H常務に、本件を経営会議に諮ることをお願いする上で、最大のネックとなることを取り除いておかなければならなかった。

  それは即ち、東京海上の提案金額の問題である。他の提案各社に比べて極端に高かった数字を、何とか日立案や野村案レベルに落とさせる必要があったのだ。しかし、この交渉はかなり苦戦した。

2月 28, 2011   No Comments

保険自由化への道(8)

 
  そこで、僕とI君は、各社を回って7社体制の継続を訴え、各社の本音を聞くことにした。と言っても、議長役の僕がどの案で行きたいと表明してしまうと、提案各社との水面下の金額交渉などに支障を来たすので、専ら話を聞く側だった。関西の損保2社にも足を運び、東京での公式非公式の論議状況を伝え意見聴取を行った。

  7社共同から離脱し単独で行くことを匂わす部長さんには、脱退するなら早く宣言するように迫り、結局は7社に止まる言質を取ったりもした。

  ところで、余談であるが、I君は僕と各社を回った後、もう一度、各社に出向いてシステム部長達に会って話し込んでいる。他社の部長から、「神童さん、I君とうちのYとを交換トレードしない?」とか、「I君のパワーと根性、凄いね。僕がイエスと言うまで帰らないんだから」などと冗談を含めて言って来た。

  I君は7社体制で本格的生保システムを作り上げることのコスト・メリットと、各社システム部門の苦しい体制の中から、20人とか30人のSEなんて回せないが、7社体制なら3~4人捻出すれば済むことを粘り強く説明し、7社でやることが最も大事と主張したらしい。

  「弊社の神童も、どの案であれ、7社が一致して行けるなら、その案で行きたいと思っている」などと、随分踏み込んだ(打合せにない)話まで出して、I君は7社体制の分裂回避に一生懸命だった。

  勿論課長会はI君の求心力で回っているのは言うまでもないが、I君が他損保のシステム部長から高い評価を受けていたことが、この危機を脱し、7社共同開発という、ある意味奇跡のようなプロジェクトを成功させた大きな要因の一つであったろうと思う。

  さて、各社との個別話し込みの後、僕とI君とで情勢分析と最終の答えを刷り合わせた。その結果、7社が一致して共同開発を続けられる提案は、東京海上案しかないことがハッキリした。

  他の提案のどれを採っても、7社は幾つかに分かれてより小さな共同開発体制となり、最大の狙いである1社当りのコストは、7社共同の場合の2倍以上に膨らんでしまう。

  I君も課長会もこの頃、東京海上のカスタマイズした生保システムが最も早く確実なのは認めていた。問題は、4社提案の中でコストがダントツに高いことだった。これを日立や野村提案と同レベルの金額にさせることを条件に、富士通-東京海上で行こうとI君と一致した。

  そうなると問題は社内だ。損保の世界で特に営業や商品開発では悉くぶつかる商売敵の東京海上。よりよってその東京海上に金を払って、システムを使わせて貰うと言うのかと、この方針が簡単に社内で理解される筈はない。東京海上何するものぞ、と張り合って来たプライドが、それを許さないだろう。さ~て、どうするか。

2月 27, 2011   No Comments

何やってんの?

  民主党のことだ。55年体制と言われた時代の自民党と社会党、そこに民社党が加わったようなごった煮の民主党。当時の保守と革新が1つの党に同居しているのだから、訳分からないのは当然なのだ。

  だが、保守も革新も呉越同舟というなら、党内にもう少し、国のあり方や将来ビジョンの議論のぶつかり合いや、優先順位の高い政策で活発な論争があって良い。なのに、小沢支持派と小沢排斥派のぶつかり会いしか見えて来ない。

  与党内が、1人の平議員を巡って、これだけの抗争に発展し長い長い闘いになっていることは嘗てなかったこと。その意味では小沢は超大物ということになるのだろう。

  小沢本人とすれば、政治生命の危機に繋がるから、政倫審出席も自主的離党もせず、執行部と揉め続ける方を選ぶのは当然だ。その方が、存在感を保てるし、すったもんだが長引けば、状況が悪くなるのは自分ではなく、菅総理の方だと計算している。

  この問題で菅首相の拙さは、国会前に決着を着けると言っておきながら、結論を先送りし、及び腰と国民に受け止められたことだろう。菅首相のリーダーシップが問われているが、今の日本に最も必要なリーダーシップは、陣頭指揮による問題の早期解決だ。問題先送り=無能、と看做される時代であることを、時の指導者は認識すべきだ。

  結局、菅首相に足りないのはスピード感だ。それに必要な決断力の欠如だ。決断力は開き直りと言い換えても良い。小沢問題で言えば、方針通り国会開催前に小沢に離党勧告すべきだった。予算成立に向けて、それをしたことと、躊躇してそれをしなかった今と、情勢は何が違ったと言うのか。

  何人かが同調離党したかも知れないが、寧ろ、社民党や公明党が菅の決断力を是としたかも知れない。勿論そうでないかも知れないが、少なくとも支持率は今より高かった筈だ。

  辞任するにせよ、解散するにせよ、菅さんに言いたいことは、「どの道ダメなら、余計な心配をせずに、バッサバッサと捌くこと」。

  それに付けても小沢支持を叫ぶ人々の行動や言動には辟易する。16人の造反議員や政務官を辞任した松木謙公議員達だ。どう見ても彼等の視線は国民ではなく小沢に向いている。予算を通させない野党に与する動きを与党内でやるとは。とんでもないこと。それで国民がどれだけ迷惑を被ろうが、自分の知ったことではないという態度だ。

  予算が通らなければ、様々なことがストップするなど直ぐに支障が出るし、その混乱が、民間企業の必死の経営努力により、少し上向きになりつつあった日本経済を再び失速させることになる。

  小沢派は「生活重視の政党に戻れ」とか言っているらしいが、小沢処分への自分達の不満を優先させて、国民生活を犠牲にしようと行動している連中に言って欲しくない言葉だ。

  経団連の会長が、国会議員は税金泥棒だと言った。けだし名言だ。その中でも小沢支持・民主造反議員はその最たる者だ。彼等は自分で考える思考能力や判断力を持った大人なのだろうか。小沢に頗る忠実で国民に全く忠実でない。

2月 26, 2011   4 Comments

音楽漬け1週間(8) 完

 
  音楽漬け1週間の最後、5つ目のイベントは、水曜日の夜(一昨日夜)小田急梅が丘駅前のスタジオで行われた高校同期会バンドの3回目のリハ&ミニ同窓会だった。このバンド、まだ、ベースもピアノもおらず、完全に揃ってはいないが、世にも珍しい編成のバンドになったのだ。

  スチール・ギターはAYA。女性ハワイアン・バンドのリーダーで、米国のスティール・ギター大会に招待され、六本木ミッドタウン「ビルボード」にも出演している実力派。

  ギター&ボーカルはTAKA。彼も自分のボサノバ・バンドを持っていて、都内あちこちでライブを行なっているセミプロだ。ボッサは全てポルトガル語で歌う。

  サックスはマッキー。高校の時のフルバンドのエース・サックス・プレーヤーだった。「闘牛士のマンボ」の彼のソロは今でも忘れられない。現在4つのバンドで活躍している。

  W大ニューオリンズ・ジャズ・クラブで鳴らしたバンジョー奏者のヨッシー。日本サッチモ協会の役員。毎年、恵比寿でデキシーランド・ジャズ祭を主催し、総合司会を務めている。

  そういう彼等に比べようもないドラムの僕は、NHKホールや国際フォーラムで演奏したことや、学生の時、レコード大賞直後のブルー・コメッツと共演したことを、ささやかな対抗実績としている。

   そして、シローが今回から新たにフルートで加わってくれた。彼は高校時代、吹奏楽部の指揮者だった。高1の時、野球部が奇跡の甲子園出場を果たしたので、甲子園での演奏の経験を持つ(多分その時はクラリネット)。

  こういう珍しい編成ながら、なかなかの実力者が集まった。ジャンルに拘らず、世界一周するようなバラエティーに富んだレパートリーを目指そうと話している。バンド名は「ザ・タペストリー」(ヨーロッパの織物。夫々のメンバーが縦糸横糸となって織り成す美しい音楽の意。TAKAの提案)と決った。

  僕の提案した「月に帰れなかったかぐや姫と同い年の爺さん達」は却下と相成った。別名として復活を画策しよう(笑)。このバンド、11月に長野市で開かれる同期同窓会での演奏を目指す。

  この日練習したのは、「南国の夜」「美しい君を忘れない」「パーリー・シェルズ」(以上ハワイアン)、「Take The A Train」「All of Me」「The Shadow of your Smile」(以上ジャズ)、それに「Wave」(ボサノバ)。

  懸案の「ボラーレ」が時間切れで次回持越しとなったのは少し残念だったが、その後、近くの中華レストランでの反省会では、高校時代の仲間の消息やら、当時の淡い恋心(と言っても片思い)の対象者など、初めて聞く話しに盛り上がった。

  この日をもって、僕の1週間が取り敢えず終った。

                          音楽漬け1週間  ― 完 ―

2月 25, 2011   No Comments

音楽漬け1週間(7)

 
  WさんというIT関連企業の会長さんがいる。Wさんは30代半ばで独立して起業し、その会社の技術を、日本のIT大手やテキサス・インストゥルメンツ社やインテル社が注目するまでになったという。

  現在は、息子さんが社長となり、ご自身は会長をされている。日本とフィリピンを拠点に、スマートフォンやプリンター関連の技術開発に当っているとのことだ。ビジネス上、孫正義氏や御手洗富士夫氏とは親しい間柄らしい。

  そのWさん、仕事の傍ら、学生時代からの音楽をずっと続けて来られた方でもある。だから、自分の家に広いスタジオと、通常のバンドに必要な全ての楽器と高価な音響装置が置いてある。

  過去何代かのバンドを持って活動して来たが、最後のバンドも、メンバーが病気になったり事故にあったりで、解散してしまったので、新しくバンドを編成したいと、ドラムの僕に声を掛けて来たという経緯だ。

  その後、バンド編成に際し、既に、ボーカル(Wさんの奥様)・ピアノ・キーボード・リードギター(エレキ)は決っていたがベースがいない。「神童さんの知り合いにどなたかいませんかね?」と聞かれたので、ふと思い出して、現役時代に会社のバンドで一緒にやっていたベースのY氏に連絡を取ったら快諾してくれた。

  その直後、たまたま、コーラスグループ「TSUBASA」と「おじさんバンド」のジョイント・コンサートがクリスマスイブの日に開催された。僕は当日のドラムをWさんにお借りしたのだが、そのお礼の気持ちもあってコンサートにお誘いした。

  ご夫妻で観に来てくれた。そしてコーラス・グループもおじさんバンドも凄く気に入ってくれた。そのライブを見てWさんのイメージが膨らんだのだと思う。コーラス隊の「アキサユリ」を加えて、シュープリームズやスリーディグリースをやりたいと言い出した。

  僕は、「アキ」さんと「サユリ」さんに、拝み倒して何とか参加しても良いと言って貰うところまで漕ぎ着けたのだった。

  音楽漬け1週間の4日目のこの日は、彼女達を含めたWさんのバンドの3回目の練習日だ。僕は前日の「おじさんバンドの日」に引き続き、おじさんバンド・メンバーにも一緒に遊びに来て欲しいと連絡しておいた。大森教授と斉藤さん、それにヨッ君の3人がWさんのスタジオに来てくれた。

  3人は、こんなバンドが出来ていることは、知らなかったから、大そう驚いたようだし、Wさんが集めたメンバーの方も、突然の見学者に驚いたようだったので、僕が説明した。

  「いずれ、Wさんのバンドと、おじさんバンド、それにコーラス隊の、3者ジョイント・コンサートを開きたい。そのためには、お互い気心を知っておいて貰ってた方が良いので、こういう機会を作らせて貰った」と説明した。これが僕の本当の願いなのだが、皆さん納得してくれただろうか?

  その3者を結ぶ結節点が、3つのうち2つに互い違いに所属する「アキサユリ」と斉藤さんと僕ではないかと思っている。

2月 24, 2011   No Comments

音楽漬け1週間(6)

 
  飲みながらの練習、とても真面目な練習風景には見えないと思う。でも、このスタイルで満6年もやって来たから、今更アルコール抜きの練習なんて考えられない。4時間の練習時間だったが、演奏をしてたのは最大に見ても1時間半だったかな。

  「音楽を楽しみながら、お酒を楽しむ」、否、逆だ、「お酒を楽しみながら、音楽を楽しむ」が合言葉だからね。途中、いつも応援してくれているKさんが愛犬ルナちゃんと現れ、犬を車の中に入れて来ると言ってまた直ぐに戻り、僕らと一緒に飲んでくれた。何かいい土曜の午後になった。

  さて、終了時間の7時になった。ここからは「コルコバード」の通常営業時間になるので、一斉に片付け、僕らは誰も帰ろうとしないで一番後ろのボックス席に全員落ち着いた。この夜は、「フリーセッションの日」となっていたので、折角だから僕らも出演させて貰おうということになった。

  お客さんがチラホラ入り始めた頃合を見計らって、まず、我々おじさんバンドがステージに上がった。一応30分のステージを組んだ。曲目は以下の通り。

1、コーヒー・ルンバ
2、鈴懸の径
3、オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート
4、ザ・シャドウ・オブ・ユア・スマイル
5、フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン
6、オール・オブ・ミー
7、ダイアナ
8、ジョニー・ビー・グッド

  クリスマス・イブ以来の人前での演奏だったが、練習直後のステージだったこともあり、慣れた曲も多く、いい雰囲気で演奏出来た。マクのおじさんバンド・デビュー(1番と5番の曲)もいきなり実現して大変良かった。

  最後の2曲は乗りに乗れた。例によって、アンディーのツイスト・ダンスには場内から歓声が上がったし、大森先生の片足上げ奏法も人気だった。

  一旦、家に戻り、今度は奥様と駆け付けてくれたKさんからは「やっぱり、おじさんバンドはいい」と客席から大きな声を飛ばしてくれたし、演奏が終った後は、奥様から「おじさんバンドを応援していますから、どしどし活動して行って下さい」と励まされた。

  この日は、僕らの他に、ボサノバ・バンドとロックンロール・バンドが演奏し、客も年齢層は僕らと同じ世代から30代と思われる若い人達まで、誠に多様だったが直ぐに仲良くなれる人達だった。

  フリー・セッションに参加するグループの演奏が一巡したところで、大森教授が「もう1回やろう」と言うので再度ステージに上がった。スタンバイしてみると、大森教授がロックンロール・バンドのリードギターと何か話していて、ステージに上がっていない。

  やっと戻って来た。ギターの彼を連れて。「ジョニー・ビー・グッドを今度はギター入りで」と言う。エレキ・ギターに加わって貰って演奏開始。

  やはりこの曲はギターから始まるのが良い。やっている方もそうだが、会場の全員がハイテンションになってくれた。この曲を潮に僕らは「コルコバード」を引き上げた。大満足のおじさんバンドの日だった。

2月 23, 2011   No Comments

音楽漬け1週間(5)

 
  音楽漬け第3弾は、土曜日のおじさんバンドのリハーサル。場所は多摩センターにある「コルコバード」という名前のライブバー。午後3時から7時まで、バンド練習のためにそこを借り切って練習するのだ。

  今日はマクがサックス奏者として、初めておじさんバンドに正式に加わる。マクは嘗て「クーペ&Shifo」のマネージャーだったが、今は元の看護士に戻り病院で働いている。以前1~2度おじさんバンドともステージで演奏したことがあった。

  女性なのに何故おじさんバンドに入れるかと言うと、実は彼女、キップの良さでは並の男以上なのだ。おじさんというにはまだ若過ぎるが、まぁ、例外のないルールはないと言うし。メンバー達も彼女の仕切りには、全く抵抗感なく従う(従わないと大変?)。

  当日昼頃マクから僕に電話があった。練習中に飲むビールとか買って持ち込もうか、という相談だった。さすがマネージャー、否、プレーイング・マネージャー。場所はライブハウスでも、スタジオとして借りる時は飲み物や食べ物何も頼めないからだ。つまみも適当に頼んだ。

  3時に会場に行ってみたら、大森教授と斉藤さんがやはり大量に買い込んでいて、完全にダブってしまった。ビールもつまみも半端な量でない。まっ、みんなが予想の倍ずつ飲めば良いと納得して練習開始。

  この日は特に、マッちゃんの「太陽のかけら」と、マクの「The Shadow of Your Smile」を完成させることがテーマだった。だが、「太陽のかけら」は、マッちゃんこそクラリネットでメロディー・ラインを練習して来ていたが、他の楽器の楽譜がない。コードが分からない。誰も楽譜を入手をしていない。

  そうなんだ。新曲練習の時など、いつもShifoが自分で譜面を起しておじさんバンドに渡してくれていたんだった。この点、これからどうするか。問題点が浮かび上がった。大森教授にお願い出来れば良いのだが、最も忙しいメンバーのうちの1人だから、彼も。

  最も時間に余裕があるのは、現役引退している僕なのだが、僕はメロディー・ラインしか譜面に起せない。コードというのが分からない。ドラムにコードは不要だからね。ここからは、何とか楽譜の事前入手に心掛け、僕やマッちゃんや斉藤さんがメロディー・ラインを譜面に起し、コード付けだけ大森先生と斉藤さんにお願いしよう。

  この日は、「太陽のかけら」に代えて、楽譜のある「Fly Me To The Moon」(歌:アンディー)と、「The Shadow of Your Smile」(サックス:マク)を初練習することにした。

2月 22, 2011   No Comments

音楽漬け1週間(4)

 
  音楽週間第2弾は、前の会社の軽音楽部の定例ミーティング。ミーティングと言っても、中身は、軽音楽部でギター担当Tさん(女性)の親戚が経営する焼肉レストランで、「美味しい焼肉を堪能しよう会」という謂わば飲み会なのだ。場所は新橋。

  急遽設定したこともあり、集まれた人数は6人と少なかったが、柔らかくとろけそうな高級肉に感嘆の声を上げながら生ビールを飲み干した。僕もいろんな焼肉屋さんで食べたが、間違いなく1・2位に入る店だ。

  この軽音楽部、実は同じ組織ではない。僕はこの日一緒だったO君と共に、某損保のシステム関連会社の軽音楽部、他の出席者達は親会社のメンバーだ。

  それに加えて、出張でこの日来れなかった別の関連会社の社長Kを中心とする、学生時代から今も続くフォークソング・グループ(他の3人は京都在住、仕事は全員が異なる)の3つのバンドが、毎年、社員向けにジョイント・コンサートを開催して来た。

  それが、昨年秋は会社合併という一大イベントのために中止された経緯がある。今年こそ開催するつもりで準備しようと誓い合った。

  飲みながら食べながら、会話が盛り上がるのは良いのだが、何せ新橋の超人気店。満席の上、食べるものがこれだけ美味しいと、幸せ気分も最高潮。隣も向かいもその奥も、しゃべる声がみんな高くなっていて、自分達の声が聞こえないほど。世の中不景気というが、この店内は全くそんなこととは無縁の様相だ。

  O君が僕に大声で聞く。

「神童さんは、毎年春先に奥さんと海外旅行されるんでしたよね? 今年もどちらかへ行かれますか?」

「うん、来月チュウオウにね」

「チュウオウって?」(中央高速???)

「オーストリアとかハンガリーとかだよ」

「あ~、中央ヨーロッパ(中欧)ですね? 変だと思いましたよ。中央高速とか中央線で海外に行くの? 行けるの? って」(全員爆笑)

  2時間があっという間に過ぎた。腹ごしらえの後は、楽器が置いてあって演奏が出来る銀座の店という予想をしていたが、俄かライブをやるにはベースとキーボードがこの日不参加だったので、それを諦め、ボーカルの練習のためにカラオケ直行と相成った。

  それにしても焼肉がこんなに美味しいものだったかと改めて認識させられた。Tさんがいてくれたので、親戚割引適用でかなり安くして貰った。

  Tさんありがとう。そして、店主で義理のお兄さん、本当にありがとうございました。

2月 21, 2011   No Comments

音楽漬け1週間(3)

 
  彼が自分のオリジナル曲を歌い終った時、三戸部氏がマイクを通じて、「あなたの寝息に愛しさ覚え、って、何か意味深で羨ましいね。私にもそんな時代がありました。50年前にね。今じゃ、あなたの寝言に苛立ち覚え、です」(笑)。

  そしたら、ジャズ歌手のオバサマの1人がすかさず、「違うでしょ。あなたの寝言に本音がわかり、でしょ」と突っ込み。場内大爆笑だった。折角のしんみりしたブルズィーな良いオリジナル曲なのに。

  さて、遂に僕の番が来た。ぶっつけ本番でやるには慣れた曲がいいので「A列車で行こう」にした。ピアノ始まりで、ドラムの入りを間違いさえしなければ何とかなる。何とかなった。

  ベース・ソロの後、ピアノとの4バースの掛け合い。ここで気を付けるのは、小節数をカウントするのではなく「A列車」を歌いながらドラムを叩くこと。歌いながら、は前回三戸部氏に言われたワンポイント・アドバイスだった。

  何とかそれも成功し、ここまでは快調に進んだ。だがそこで、ピアノの坂口さんが僕を指差す。4バースをもう1コーラスやるというサインか。僕が4小節のアドリブをやり終えた。でも次にピアノ・アドリブをやってくれない。坂口さんや中さん(ベース)を見ると、ドラム・ソロを続けろという顔。僕は「え~。ドラムで1コーラス全部やるの?」。2人とも頷く。

  その時、会場のお客さん達から「イエイ!」という掛け声と拍手。ドラムソロをやれやれとそそのかすのだ。仕方にからドラムソロを始めた。だが、少し慌てたため「歌いながら」が完全に、どこかに飛んでしまった。

  今、曲のどの部分をやっているのか見失う。何とかドラム・ソロをやりながら坂口さんを見て、1コーラスの終わりを掴むことが出来事なきを得たが、師匠はきっとお見通しだろうな。

  案の定、彼のコメントは「神童さん、最初の4バースの時は、ちゃんと歌えていましたね。その調子ですよ。その次のドラム・ソロも、歌いながらやれれば完璧でした」だった。この1ヶ月、進歩がないナァ。

  それにしても、Aがいなくて僕1人で練習生をやるというのは緊張するものだ。その上、今日はいつもより客(ジャズ・シンガー)が多いから余計に緊張する。

  僕は東中野から家まで遠いので、2ステージを終えて店を出たが、その別れ際、プロ・シンガーの「ヨウコ」さんが、「あらっ、もうお帰り? 次のステージで私の歌のドラムやって貰いたかったのに」とお愛想を言ってくれた。実は前回も言われていて「じゃぁ次回に」と答えたのを忘れていた。今回も、次回にということにさせて貰って帰った。

  彼女の歌のドラムを叩くことを躊躇するのは、昔、おじさんバンドで他の店で演奏していた時には、平気でプロ歌手のバックもやったりしていたが、ここではプロだろうが素人だろうが1曲500円払って歌うのだから、当然演奏はプロにやって貰いたい筈だと思うからである。

2月 19, 2011   No Comments