プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 3月 2011

被災地に派遣されたある看護師の物語

 
  知人が教えてくれたあるブログを読み終えた。東京の病院から今回最も被害の大きかった陸前高田の避難所に、「医療スタッフ」の一員として派遣された若い看護婦さんの無い無い尽くしの中での奮闘振りと、現地の悲惨さ家族を亡くした人々の気丈な振る舞い、そんな中で生まれる人間ドラマ。

  他人(ひと)のブログを読んで、これほど涙を堪えるのが辛かったことは初めてだ。僕には、どんな小説よりも、どんな映画よりも、心揺さぶられる物語だった。否、物語などと言ってはいけない。全てが真実、全てが現実。脚色の入り込む余地は全くない記録だということは、読めば直ぐに分かる。

  遠くから現地の状況や人々の思いを想像することと、実際の被災地の現実との違いの大きさを改めて思い知らされる。この大震災に対して、自分に出来ることは何かと、どれだけ真剣に考えてみても、現地で毎日睡眠2時間半で頑張った彼女には敵わない。

  それでも、僕は僕で出来ることを始めよう。青春時代を過ごした東北の地は僕の原点、僕を育ててくれた大事な土地なのだから、少しでも役立ちたい。エイジさんの思いと協力を得て。

  エイジさんが会社のコールセンターを被災者のために10ブース無償開放してくれる。また、彼の取引先100社の不動産業に掛け合って、今次震災被害者用に敷金礼金免除・家賃特別割引などのアパート・マンションなどの提供を受け、体育館などから普通の居住空間へ移れるよう、仮住まいの相談デスクを開設しようと思う。

  各企業の社宅・保養所などの廉価提供も求めて行こう。個人でも空き家を持っている人には提供を呼び掛けよう。中学生・高校生のホームステイ先も募集しよう。全国市町村の住居提供情報の案内もしよう。

  何せ、今回は単に地震災害ではなく、大津波・原発事故だ。個人の生活が元に戻ることが出来るのは長期戦になるだろう。であれば、いつまでも体育館暮らしという訳にもいかないから、一定期間(年単位)の住環境確保が大事だ。

  被災地で頑張った看護師さんのブログを読んで、及び腰の「何か出来ること」が、本気の「やるぞ」に変わった。当プレミアムエイジ主催のプロジェクトとして「やるぞ」。看護師さん、ありがとう。

  彼女のブログは下記の通り。

http://blog.goo.ne.jp/flower-wing

  彼女のブログの中にこんな言葉を見付けた。詩人だ!

 「心が折れることばかりの毎日だけど
  避難所のみんなの心の方がどんなに傷ついているか
  傷に薬をつけて包帯を巻くのは簡単だけど
  心に包帯を巻くのは難しい
  笑顔の薬、少しでも傷が癒せるといいけど・・・」

3月 30, 2011   No Comments

悲惨

 
  遂に福島の農家に自殺者が出た。 農作物出荷制限を悲観して。

  家族は「原発に殺された」とつぶやいた。

  この悲惨な事態に、東電は、政府は、どうコメントするのか?

  新聞も、「みずほのシステム問題で金融庁が行政処分へ」などと1面で伝えてる場合じゃないでしょ。

  「菅首相の原発事故現場視察が初動を遅らせた」なんて国会で揉める場合ですか? 敗戦に次ぐ国家的危機の時に、この国はどこかズレてる。

  原発事故収束に向けて集中すべき時なのに。

  福島に第二の犠牲者を出さないためにも、県単位で作物が危険などという乱暴な括り方を、早くやめさせる方策を探し出すべきだ。

  ある副知事が言うように、大型ガイガー検知器を広島・長崎初め全国から掻き集めて、出荷野菜を個別に選別すべきだろう。

  どうでもいい論争は一切やめて、そういう動きを国がさっさとやんなきゃ・・・

3月 29, 2011   No Comments

計画停電

 
  先週、計画停電が始まった頃は、各グループ順番に1日中計画停電が実施され、且つ、夕方以降は、午前中の停電グループが同日2回目の停電も実施されていた。都合1日6~7時間の停電地域もあった。

  一方では、東電の小賢しい配慮だろうが23区内は一部の例外(荒川区や足立区)を除いて、計画停電の対象外とされている。また、計画停電区域でも、これまで1度も停電しない地域もある。

  小賢しい配慮とは、日本の経済活動の落ち込みを出来るだけ少なくするため、政治経済の中心たる23区を対象から外すとか、大病院の停電を可能な限り避けるため計画停電区域でも一部地域は停電させないとかの建前を言うだろう。

  しかし、本音は、日本のうるさ型が多く集まる23区は外したい、東電に対する台風並みの非難の嵐が巻き起こるのを極力弱めておきたいという、保身の業にしか見えない。

  今週になって、これらを巡る不満の声が大きくなった。当プレミアムエイジの外部ブロガー「今日も元気でCiao!」のBellaさんがご自身のブログの中で教えてくれた、計画停電に対する不満の掲示版に詳しい。(下記URL)

http://d.hatena.ne.jp/Dr_Radialist/20110319/1300490844

  これだけ沢山の不満の声が集中するブログも珍しいが、東電の木でハナを括ったような説明に腹を立てている人が頗る多い。何故そう決めたのか説明が丸でなされていない。東電の窓口も本当のことは言えないのかも知れない。

  同じ計画停電グループなのに、広い道路挟んで住宅街は全部停電で真っ暗、反対側のパチンコ店は煌々と明かりもネオンも付けてガンガン営業。足りない電力総量のために停電しているのに、一番必要のないところが電気使い放題なのだから、そういう建物は計画停電にあわせて東電が個別に電気を切るべきだ、と言った声も気持ちも大きくなるのは当然だ。

  1日2回、合計6~7時間も停電を強いられる地域と、全く停電のない地域。よくこんな乱暴な決め方が罷り通るものだ。夕方以降最も消費電力が多い時間帯は、本来の計画停電グループ(1回目)だけで足りない時のために、午前中の停電グループが夕方と夜の停電対象(2回目)に加えさせられる。

  普通の感覚と頭があれば、百歩譲って、何らかの理由があって計画停電対象外とした地域があっても、いざという時には、そこも停電対象にすると考えるのが妥当でしょう。一方で同じ日に2回も停電を強いておいて、他方では絶対に停電させないと頑なに守り通す。そこには絶対に妙な理由がある筈。

  しかし、被災地のことを考えたら、これらの不満の声も安全地帯の中の贅沢な愚痴にしか聞こえない。計画停電の不満の声を大にすることは、体育館に避難し、ひもじく寒い思いを強いられている人々から、それこそ非難されそうだ。

  上記掲示板に書き込まれた不満の声も、良く見れば、被災地を慮って遠慮っぽい。この点でも、東電(の執行部)は助かっている。皮肉にも。

  それにしても、東電の副社長が現地にお詫び行脚したり、質問に答えたりしているが、何故社長じゃないんだ。社長が姿を現わさないのにも妙な理由があるのか?

3月 25, 2011   2 Comments

危機管理

 
  こんなことを言うと、海外で遊んで来た人間にそれを言う資格はないとか、分かっていないとか怒られそうだが、敢えて言う。これだけの国家非常事態に直面しているのに、何故この国は、国家危機管理体制に移行しないのか? 非常事態宣言もしないのは何故なのか?

  計画停電は東電が泥縄式で決めたと言うし、都内23区を対象外にした(荒川区・足立区除く)のは、誰がどういう権限で決めたのか。同じ計画停電グループ内で、停電になる区域と一度も停電にならない地域が存在するのは何故か。

  原子炉の建屋爆発でどれほどの放射能が洩れたのか、どの位の範囲に洩れたのか、その後の雨でどれ程数値が上がるのか、東電が発表しない限り何も分からない様子だ。

  国が指揮権を持ってこの事態を切り抜けようという風には全く見えないのが可笑しくないか? 僕だけがそう見えているのか?

  非常事態宣言を発令することが却って国民の不安を煽りパニックを助長するとか、海外の日本パッシング(Japan Passing)を助長させかねないとか心配して、国が危機管理体制を敷かないのなら、それこそ政治家不要だ。

  民間企業の東電、今までも福島原発での放射能漏れや、中越沖地震で火災になった柏崎原発などの問題が起きた時、事故を事象と言い換えたりして、意識的に問題を小さく見せることに努力して来た東電。

  この隠蔽体質と役人体質の極みのような東電に任せておいて大丈夫かと何故疑わないのだろう? 都合の悪いことは極力伏せたがる体質は益々健在だ。それも住民に余計な不安を与えないようにということらしい。

  そういう人間達に危機管理が出来る訳がない。危機管理とはまず最悪の事態を想定して、それに備えるのが鉄則だ。その上で、現状の危険レベルがどのレベルにあるかを慎重に見極め、その対策はこれとこれとこれという具合に明確にすることだ。少しでも事態を軽く見せようとか、根拠の無い希望的観測では最も大事な最悪想定が大甘になる。

  どっちにしても、戦争に次ぐこれだけのクライシス(原子炉危機)に対して、国家が直接指揮を振るわないように見えるのが不思議でならない。

3月 24, 2011   No Comments

海外から見た日本の大震災

 
  僕は中央ヨーロッパを旅行中だったので、今回の大震災を海外のテレビで見ていた。現地の状況はウィーンでもプラハでもブダペストでも、NHKワールド放送の映像をそのまま使っていたから画面上は日本語表示なので大意は分かった。

  勿論、アナウンサーの声も現地特派員からの中継も現地語だから詳しいことはサッパリ分からないが、時々聞こえる「ヤポン」(日本)と「ツナミ」と「フクシマ」だけは聞き取れる。

  最初は、あの凄まじい津波の映像が何度も何度も繰り返し流されていたが、その後は、福島第一原発の爆発と放射能漏れのニュースに占められた。多分原子力の専門家がスタジオに呼ばれて解説しているのだろうが、内容は分からない。

  各国が放射能汚染を恐れて日本から引き上げているという話しを聞くが、ブダペストのテレビを見る限り頷けるのだ。その理由はこうだ。

  解説者がスクリーンに映し出された世界地図上の日本の位置を示しながら、原発の事故の解説をしている(と思う)。スクリーン上の左に、ヨーロッパ全土があり(ハンガリーだけ目立つ赤色)、右端に日本がある。

  こういう地図で日本を示すと、本当に小さい島でしかない。その直ぐ横に、原発の炎上を表す(と思われる)図形が描かれている。そのマークが日本より大きいのだ!

  日本に行ったことのあるハンガリー人なんて、1%にも満たないだろうから、彼等がこの図を見たら、日本全体が被爆地区に入ったと信じること間違いない。本国の責任者が責任上、即刻帰国を指示するのは無理もないと思う。

  ある国では、飛行機でやって来た日本からの乗客に対して、空港で被爆量を測るなどしていると言う。これもむべなるかなである。

  ただ、街を歩いていて心温まったのは、(多分)地元の人が寄って来て、お悔やみを言ってくれたことだ。それがウィーンでもブダベストでも。

  プラハの観光スポットである「カレル橋」の上をカミサンと歩いていた時、青い目の中年紳士が寄って来て、英語で「日本人か?」と僕に聞く。

「そうだけど」

「日本にいる君の家族は、あのツナミに会わなかったのか?」

「今回のダメージ・エリアではないからOKだった」

「それは良かった」

  ここまで彼も僕も英語だったが突然、

「ニホンのミナサマにオクヤミモウシアゲマス」と独特のイントネーションの日本語で言ってくれた。

「お気遣い、有難うございます」。僕も思わず日本語で答えて、お辞儀していた。お気遣い、って、通じたかなぁ?

3月 23, 2011   No Comments

日本は酷いことになっていた

 
  ウィーンに向けて成田を飛び立ったのが、3月11日午後0時45分。つまり、あの地震発生の2時間前だった。後で分かったことだが、その日、地震発生後成田空港は閉鎖されたそうだから、際どい旅立ちだったことになる。

  日本の大災害はウィーン空港に到着した飛行機の中でアナウンスされて知った。マグニチュード8.8。そんなの聞いたことない激しさだ。東北地方が大変なことになっているとの情報だった。

  日本からの乗客向けに説明のため、空港に大使館員が出向いているので、そちらで詳しいことを聞くようにとのことだった。

  入国手続きを終え、到着ロビーに出てみても大使館員らしき人はいない。その代り、旅行社の現地駐在員(女性)が迎えに来ていて、一応の報告を受けたが、それは機内で聞いたことと殆ど変らない。

  彼女の話では、既に小一時間待っていたが大使館員なんて現れなかったと言う。他のツアー客も「まぁ、そんなもんだよ」と達観の声。

  翌朝、テレビを見ていたら、名取市が津波に襲われる恐怖の映像を流した。ドイツ語だからさっぱり意味が分からないが、映像はNHKニュースのものだったから、画面に描かれた日本語で大意は分かる。

  その翌日には、女川原発が爆発(第一報は確かに女川だったが、その翌日は福島に変わっていた?)して放射能漏れが起きた旨ニュースで知った。大変な事態だ。

  僕は学生時代、仙台に4年間、15年前には単身赴任で1年仙台に住んだから、友人知人が今も多い。大変心配である。(が、殆どの人は無事だった。1人だけ、多賀城市に住んでいた友人が津波で家が天井まで水に浸かって避難所暮らししていたが。家族全員無事だった)

  旅行出発の数日前、三陸沖の地震が起きた時、カミサンがポツリと言った。

「今度の旅行は何が起きるんだろう?」

「急に何だよ」

「カナダの時は現地でカメラを取り出したら壊れてて、使い捨てカメラを買って凌いだし、イタリアの時はアイスランドの火山が噴火して一時ヨーロッパ中の空港が閉鎖になったから、今度は何が起きるのかなって・・・」

「飛行機が落ちるんじゃないかとか? 縁起でもないこと言うなよ」

「分かんないけど、アナタ何も感じない?」

「なんも」

「地震かなぁ。旅行に行っている時に地震で家が潰れたら、帰って来ても住む所ないね」と言っていたのを思い出す。

  凄いな、女の第六感と言うのは。

3月 20, 2011   No Comments

行って来ま~す

 

  明日からカミサンに付き合って旅行に出掛けますので、ブログは暫くお休みさせて頂きます。

 

  帰って来ましたら、また旅行記などを書いてみようかと思っておりますので、どうか宜しくお願い申し上げます。

 

  それでは、行って来ま~す。

   
   

3月 10, 2011   No Comments

定例ライブ?

 
  僕が参加しているもう1つのバンドは、IT企業の会長さんのW氏が主宰しているのだが、実はこのWさん、先月僕らおじさんバンドが、昼間は練習に使い、夜は夜で客の前で俄かライブを行なったライブハウスのオーナー(マスター)と大変親しい間柄だった。

  先月の俄かライブの日も、偶然、Wさんが現れ、僕らの演奏を全部聴いてくれて、喜んでくれたのだった。

  そのWさんより一昨日電話があり、「マスターがおじさんバンドをいたく気に入ったみたいで、月1度くらい定例ライブをやって貰えないかと言っている。ついては神童さん今晩でも店に来れませんか」とのことだった。

  その日は、「Oさんを偲ぶ会」があったので、その翌日行くことにした。取り敢えずWさんからの話は全員にメールで知らせて、意見を求めておいた。メールの返事は押並べて歓迎ムードだった。

  昨晩8時ごろ現地に着いた。暫くしてWさんも現れた。早速マスターのNさんと3人で打合せをした。マスターが言う。

「この前のおじさんバンドの演奏、凄く良かったですよ。何とも言えないあの雰囲気。是非ここで、おじさんバンドに月1定例ライブをやって貰いたいと思ってWさんにお伝えしたんです」

「それは光栄です」と僕。

「何曜日が良いでしょうかね?」

「土曜日だとメンバーの都合が良いんですが」

「土曜日は何かとイベントや他の定例ライブが入っているので、店の都合を言わせて貰えれば平日だと有難いんですけど、金曜日とかは無理ですか?」

「足立区とか横浜とか遠くから来ますからね。平日は仕事が終って駆け付けると9時過ぎになっちゃうんです」

「そうですか。土曜日だと、えーと・・・、来月空いているのはこの日だけですね」

「一寸時間下さい。メンバーに都合を聞いてみますので」

  緊急の場合だから、電話が繋がったのは3人だけだったが、3人とも出演可能とのことだったので、僕の判断でその日の土曜ライブを決めた。昨秋、バックバンドを卒業して独立したものの、練習以外の発表の場が極端に減っていたから、有難い話だったし、正直、僕はホッとした。

  この店では、通常、出演バンドは30分3ステージほどやるらしいが、どう見てもおじさんバンドのレパートリーは十数曲しかないので30分2ステージにして貰い、その間に、発足間もないWさんのバンド(僕もドラム参加)に1ステージやって貰うことにした。

  お客さんとのセッション・タイムは上記3ステージ終了後の9時半からとした。マスターのNさんから、セッション・タイムを多めにと言われたからそう決めたのだが、この日の打合せの後、店に入って来たお客さんは、セッション目的でやって来る人が殆どだった。成る程である。みんな上手い。

3月 10, 2011   No Comments

Oさんを偲ぶ

 
  会社のゴルフ仲間だったOさんが亡くなった。癌だった。数年前まで年1~2回だけだったが、Oさん、T君、K君それと僕の4人で秩父方面のゴルフ場で遊んだ仲だ。

  Oさんとは僕の新入社員当時独身寮で一緒だった先輩だし、T君K君とは仙台勤務時代の同じ部署の後輩だ。後輩と言っても全員1~2歳の違いだから、気のいい仲間と言ったところだ。

  亡くなったOさんは、若い頃、人前で「ものまね」を披露したり、漫談をしてみんなを楽しませる、社内エンタテナーとして有名な人だった。「ものまね」はプロはだしで、特に寅さんの「生まれは葛飾柴又・・・」で始まる口上と、森重久弥の「知床旅情」の歌真似が十八番(おはこ)だった。

  営業一筋の人だったから、各支店主催の代理店・顧客向けイベントの時は引っ張りダコだったと聞く。笑わせることを無上の喜びとする人だった。

  ゴルフの時は、僕の家が比較的近かったこともあり、必ず彼が車で迎えに来てくれて、運転しながらゴルフ場まで(秩父まで)、僕1人の観客のために出し物を演じてくれるのだ。朝早くて眠い時も、彼が一生懸命ものまねをやるので、可笑しくて大笑いさせられて、ねむけも吹っ飛んだ。

  残念ながら、ここ4~5年は、みんな仕事の環境が変わったこともあって、なかなかゴルフの機会は無かったのだが、それでも3人共、都内のコンサートには毎回来てくれていた。

  NHKコンサートの後だったかオペラシティーの後だったか、店に是非行ってみたいと言うので、おじさんバンドの日に3人を招待したことがあった。

  僕らの座るテーブルにShifoが来てくれた。3人にとって彼女はステージに輝く大スターだ。Oさんは店から出た時、「スターとこんな間近かで直接話が出来てもう大感激。ありがとう」と言ってくれた。多分、それが僕にとって彼の最後の言葉だったと思う。

  昨夜は、Oさんのいない元の仲間3人で、彼を偲んで飲み会をやった。T君ともK君ともその時以来の再会だ。場所は御茶ノ水駅前ビルの3階の変わった居酒屋だった。そこはある書籍流通大手の社員倶楽部なのだが、部外者にも開放しているらしい。

  こういう穴場を探すプロのT君の設営である。雰囲気は正に社員食堂のよう、全てセルフサービスだ。だが、つまみも沢山の種類があり、ビールもウィスキーも焼酎もワインも何でもある。にぎり寿司も絶品だった。たらふく飲んで食べても1人3千円。それでも盛り上がらないのは仕方ない。1人足りないのだから。

  2人によると、Oさんは1年半ほど前に癌を発症して入院したが、それを完全克服したと喜んでいたし亡くなる直前まで元気だったという。だから、彼が亡くなったと聞いて2人はとても驚いたらしい。「他に転移してたのかなぁ」とK君が淋しそうに呟いた。

3月 9, 2011   No Comments

保険自由化への道(18)

 
  だが、経営管理部門の部長が言った言葉にはカチンと来て口論寸前まで行ったのだった。

「神童さん、深夜に、システムが止まるとかした時、無関係な人がプログラムを触れるっていうのは、とんでもないことだと思いますよ」

「一刻を争う場合、その場にいる人間が何とかするというのが昔からの伝統だし、喩え分掌以外のシステムでも、問題が発生したら、居合わせた者が率先して解決に当るというのは、大事な考え方だと思うけど」

「その考え方が、こんな大問題を惹き起こしたんじゃないですか」

「限られた人数でやっている限り、お互いにカバーし合いながらやらなきゃ、ポテンヒットが多発してトラブルの山になる。SE達の気働き無しには成り立たない部門なんだよ、システムは」

「神童さん、それじゃ再発防止も何もありませんよ。仕方ないんだとしか聞こえません」

「再発防止は始末書に書いた通りだ。アウトプットの発送を半日遅らせても、修正プログラムの充分な検証時間を設けるし、分掌外のプログラムに手を入れる時は、深夜であっても上司の誰かに必ず指示を仰ぐ。君が言う、分掌外のプログラムを触れないようするつもりはない」

「こんな大きなトラブルを起こしたんだから、良く考えてくださいよ。神童さんは、コンプライアンスを何と心得ておられますか?」

「法律やルールを守ることであって、君の言うような、システム・トラブル=コンプライアンス違反とは捉えていない」

「だから、システム・トラブルが起きるんですよ」

「じゃぁ、聞くが、今回、Aが深夜プログラムを触らないで、ランニングを中止していたら、どうなっていたと思う? 翌日の深夜にしか再ランニング出来ないから、発送は丸一日送れて、現地の処理は間に合わなくなっていた。それは全国に手作業の処理を強いることになるから、もっと大きな問題となってた筈だよ」

「そんな屁理屈を聞きたいんじゃありません。コンプライアンス上、こんな再発防止策では了承出来ないと言っているんです」

「屁理屈とは何だ。真実を説いている。君の立場ではそういう答えが欲しいのだろうが、担当外の仕事には一切手を出すな、などと役所仕事みたいなことを言ってたら、それこそ今の倍の人数がいても回らなくなるし、ポテンヒットのミスが多発すると言っている」

「私達は、今回の問題の本質は、他人が勝手に責任外のプログラムをいじれる運営実態にあると判断しています。それをどうするか、です。再発防止策を書き変えて下さい。そうでないと受け取れません」

「受け取らないならそれで結構だ!」

  険悪な雰囲気の中、僕は席を蹴って部屋を出た。

  後日、システム担当役員が心配して電話をくれたので、こちらの主張を説明した。担当役員は直ぐに理解してくれた上で、深夜緊急連絡網の確立と、判断を下せる管理者層(課長級)の誰かの指示を取り付けることのルール化、その場合の出力物の検査・検証を発送前に該当部署総出で行なうことのルール化など、対策強化のアドバイスをしてくれた。

  再発防止策の趣旨は変えず、その具体対策などを補強して始末書を再提出し決着した。

3月 8, 2011   No Comments