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Posts from — 7月 2011

正直

中欧の旅 075
     ウィーン   ゲーテ像 
  
   
  こういうブログを書いていても、一切の見栄も虚飾もなく真実を語ること、或いは、自分にとって、出来れば触れたくない無様な出来事も、隠さず正直に書くことは、意外と勇気が要るのを感じる。

  だが、私小説や、「私の履歴書」やブログのような一人称の散文を読んで、面白いとか惹き付けられるのは、決してご本人の格好いい場面ではなく、痛い目に会ったり、出口のない悩みに直面したような場面だし、変に「どうだ俺、凄いだろう?」みたいなことを感じさせる文章はそれ以上読む気にならない。

  最近、滅多にお目に掛かれなくなった気持ちの良い「正直」に今日の昼食時に遭遇した。新宿駅から甲州街道沿いに西に行くと、「パークタワー」という高層ビルがある。昔、東京ガスのガスタンクが並んでいた場所だ。その地下の食堂街にトンカツ屋さんがある。

  僕は、そこで、メニューを見て「三元豚のロースカツ定食」を頼んだ、値段は1,180円だ。大変美味しく、ボール一杯の千切りキャベツも付いて(お代わり自由)このお値段は納得だった。

  伝票を取りレジへ。レシートにも予定通り1,180円とタイプ打ちされている。小銭もピッタリあったので、つり銭無しで支払い店を後にした。店から20~30m位は離れたところまで、先ほどのレジの女の子が追い掛けて来て「スイマセン」と言う。

  僕はまた、値段を間違えて本当はもっと高いものを食べたのかと思った。足りない額は幾らかなと聞く前に、「先ほどのお料理はランチの場合1,050円なので130円お返しします」。「え!?」。

  昼飯時だから結構人混みのある中、僕を見失わないように走って来たに違いない。たまたま僕が水色の傘を持っていたから目印になったのかも知れない。

  「わざわざ、ありがとう」。たかが130円だけど、食事後に感じたこの清清しさは何ものにも代え難い。言葉に発した通りに本当に嬉しかった。相手が子供だったら「そのお金は、君が取っておきなさい。私は君の気持ちだけで充分だから」とか言ったと思うが、大人相手では(と言っても若い女性だが)金額が失礼だから素直に受取った。

  そう言えば、今週初めに、蕎麦屋さんで「鴨せいろ」950円を食べて5千円札+50円硬貨で払ったらお釣りが9千百円来た。僕は「渡したのは5千円札だから、5千円多い」と言ってお返しした。店の人は「あら、そう?」と言ったくらいで、大して有り難たがりもせず受取った。

  でも、「天網恢恢疎にして漏らさず」とは、天は悪を見逃さないという意味だが、天は正直も見逃さないのだよ。今週は僕の正直と店の正直が1対1で釣合ったんだから。

7月 29, 2011   2 Comments

女は偉い

  
中欧の旅 041                           
     ウィーン  シェーンブルグ宮殿内の馬車
 
 
♪ またひとつ女の方が偉く思えてきた またひとつ男の狡さが見えてきた・・・♪
  
   
  これは川島英五の代表曲「酒と泪と男と女」の一節だが、この10日間ほどは、女の偉さばかりが際立っていたように思う。

  なんと言っても「なでしこJAPAN」のワールドカップ優勝。歴史的快挙だ。それも環境の恵まれている男子サッカーや、他国のような国の支援も何も無い中で、アルバイトしながら掴み取った栄光だから凄い。

  そして、もっと「偉い」と思ったのは、世界が注視する中で、東日本大震災への世界から寄せられた支援に感謝を示す横断幕を持って会場を一周したことだ。

  各国の新聞に感謝の広告を出したとは言うが、日本の首相も外務省も充分に伝えられなかったことを、彼女達は優勝して世界中の人々の目を自分達に引き付けておいて、横断幕で感謝の言葉を発信したのだから、これほど効果的なメッセージは他にないだろう。

  政治が地に落ちても、世界に向けては「なでしこ」が政府の何倍もの役割を果たしたということだ。

  続いて、宮里藍のアメリカン・ツアー今期初勝利のニュースだ。フランスで行なわれた米ツアーだそうだが、外国の女子プロゴルファーの中では最も小柄な部類に入る彼女が接戦を制して米ツアー通算7勝目を挙げた。

  優勝インタビューでは、大きな目から溢れる涙を払いながらも、堂々と英語で答える姿は立派だった。「偉い」。彼女の出身高校も東北だったから、被災者達に少しでも元気を伝えられたら嬉しいと語った言葉に嘘はない。

  フランス人達も、彼女の涙は、単に優勝の喜びの涙でなく、震災に対する彼女自身の思いの現れと正しく理解したのではないか。

  それに引き換え、男子はパッとしないなぁ。世界水泳も、あの北島が100mでメダルにも届かなかった。いつまでも北島に頼っている日本水泳陣もどうかと思うが・・・

  しかし、日本女子ばかりに花を持たせていてはいけないだろう。日本男児頑張れ!

7月 28, 2011   No Comments

治療が終った

 
  丁度、2週間前の火曜日の夜だった。東京駅中央線乗り場に向かうエスカレーターで転倒して、救急車で東京医科歯科大病院に担ぎ込まれたのは。

  でも、その日の内に帰宅を許されたのだから、血みどろで、恰もKOされたボクサーの顔のような見掛けほど酷い怪我ではなかったのは分かっていた。

  だが傷の場所が、最も目立つ額だから、ガーゼや絆創膏が取れるのはいつになることやらと思っていた。

  事故の翌日地元の医者に行き、直るのにどの位掛かる怪我か聞いたところ、「治療は2週間くらいでしょう。尤も傷が目立たなくなるのはもっと掛かるでしょうけど」と言ってくれた。全治2週間の怪我と言うことだ。

  その見積もり通り、昨日で治療は完了となった。エレベーターのあのギザギザの鋼鉄に、思いっ切り頭をぶつけて、よくぞ2週間程度の怪我で済んだものだと思う。

  当たり所が悪ければ、それこそまだ見ぬ世界に旅立っていたかも知れず、そうでなくても半身不随になってしまうことだって有り得た。

  この半年間、休止状態に陥っていた「おじさんバンド」の活動再開を果たし、3回を数えるマンスリー・ライブも上手く行き、気分が大いに盛り上がっていた。6年間共にして来たメンバーと再び音楽活動をやれる喜びは何ものにも代え難い。

  久しぶりにライブに来てくれた友人は、「今、神童さんがこんな素晴らしい時間が持てているのは、今まで何十年も仕事頑張って来たご褒美よね」と言ってくれた。グッと来るくらい嬉しい言葉だった。

  人生至福の時といったら些かオーバーながら、気分的には絶頂を感じた時に起きた転倒事故。「浮かれるでない!」という天の戒めだと思った。

  人間、謙虚さを忘れてはいけない。周りの人間も、天も、少しの傲慢さでも異臭と同じくらいに瞬時に嗅ぎ取ってしまうものなのだ。今回の転倒を人は「天罰」と言う。

  しかし、天は、僕に対して最終罰ではなく、お灸を据えたのだった。反省し更正の余地ありと判断してくれたのだろうか。「生かされた」という思いが湧く。

  演奏することがこんなに楽しく充実することかと、今改めて噛み締めている。一緒に演奏してくれるメンバーがいて、それを聴いてくれる人達がいる。この楽しさを自分が独り占めしてはいけないと思った。

  生かされた以上、この楽しさを一人でも多くの人と共有し、楽しさの輪を広げることを今後の使命としようと思う。

7月 26, 2011   2 Comments

♪ 最後のシーン

            最後のシーン
 
 
                      Words & Music 神童覇道
 
 
♪  あのとき確かに君がいたよ 僕と腕組み歩いていた
 
  広い公園楓の並木 何も言わずにうつむきながら
 
  他人(ひと)が見たなら仲の良い 恋人同士に見えただろう
 
  あれが二人の最後のシーン 君を失い大人になったよ ♪
 
 
 
♪  あのとき確かに僕がいたよ 君と腕組み歩いていた
 
  けれども僕は勇気もなくて 君をとどめる術もなく
 
  思い出沢山ありがとう そう言って君は泣き崩れた
 
  あれが二人の最後のシーン 君を失い大人になったよ ♪
 
 
           (間奏)
 
 
♪  思い出沢山ありがとう そう言って君は泣き崩れた
 
  あれが二人の最後のシーン 君を失い大人になったよ ♪



  ☆  実際のメロディーは全然違いますが、40年前に流行った
      
「花と小父さん」(浜口庫之助作詞作曲)のメロディーに
      かぶせて貰っても良いかなと・・・
 

 

7月 25, 2011   No Comments

日中の安全神話

 
  中国が国威発揚のために大車輪で進めた「世界一」の新幹線が開業3週間強で、追突脱線事故を起こし、33人もの尊い命が奪われた。負傷者は200人近いという。

  軌道距離、走行速度共に世界一位を達成し、新幹線技術世界一を世界にアピールして、日米欧が進める、新幹線輸出ビジネスに割って入ろうとの思惑を含んだ国家プロジェクトであった。

  その目的達成のために、世界の主要国で、今次開発の新幹線技術の特許申請の準備に入っていると言う。元々、ドイツと日本からの技術を導入して作り上げたシロモノだが、世界一を達成したのは中国だという理屈らしい。

  海賊版や違法コピー商品が氾濫するお国柄だから、この手の話はワン・ノブ・ゼムに過ぎない。だが、人命に関わる新幹線PJを、国策で世界一を達成させて、国の威信を掛けて工期も最短でやらせたことが、「安全」を後回しにしたと指摘されても仕方ないだろう。

  それにしても国策で進めた国家プロジェクトが一旦進みだすと、反対論や慎重論、安全対策に対する様々な指摘を全部駆逐して疾走し、誰も止められず大事故が起きるまで暴走してしまう図は、フクシマの事故と相似形に見える。

  暴走してしまう理由は、国家プロジェクトとして開始された以上、国のメンツに賭けても目標達成が必須なことと、国家権力に保護された利権に群がる人々の欲だ。

  政治的に成熟した国家や国民は、そのような大事故が起きた時、国民参加型でそれまでの国家プロジェクトの方針を再検討し議論を尽くして新方針を打ち出す。

  日本は、チェルノブイリに続く2例目のレベル7放射能漏れ事故を起こした当事国であるのに、原発新方針策定の国民的議論に入っているとは、とても言い難い。国民投票まで行なったイタリア、政府(首相)主導で脱原発に切り替えたドイツ。日本はどうするのか?

  問題を起こした日本は、首相だけが「脱原発」紛いを表明したが、政府見解ではないそうだ。地球の空気を汚しても世界各国には謝りもせずほうっ被りして、誰が最終決定したかも不明なまま、現行原発方針は継続となるのだろうか。

  中国政府は今回の事件に対してどう対処するのだろう。中国共産党の性格からすれば、新幹線世界一推進方針は些かも変えないだろう。不幸な事故は起きたが、基本的に技術の問題ではないとする筈だ。

  どっちもどっちだ。

  だがカミサンは、尖閣列島で中国人船長が海上保安庁の巡視船に体当たりした事件後の、中国の日本に対するありとあらゆる脅し(日本人会社員まで逮捕)を見て以来、大の中国嫌いになっていて、今回の新幹線事故を「いいきみよ!」と、のたまわった。

7月 24, 2011   4 Comments

白川郷

白川郷

 

  飛騨高山から車で小1時間で白川郷に到着した。ここは五箇山と共に、合掌造りの美しい集落が高い評価を得て、1995年に世界文化遺産に指定されたところだ。白川郷(人口2,000人)だけで、毎年150万人を超す観光客が訪れると言う。

   何年か前、能登半島を旅した時に、五箇山まで足を延ばして合掌造りの村の姿は既に見ているが、白川郷は五箇山より、遥かに規模の大きな集落で、合掌造りの家は110軒を超えて現存する。

  村の南側の高台に位置する城址は、白川郷全体を見渡すには絶好のビュー・スポットになっていると聞き、早速、坂道を登った。高々700~800m程の坂を上り詰めれば頂上なのだが、これが結構キツイ。途中、ハーハー、ゼーゼーとなるのだから、勾配はかなり急だと思う。

  しかし、その坂を登り切った時、目に飛び込んで来た白川郷の俯瞰図は、期待を上回る素晴らしさだった。美しさだった。何枚も何枚もデジカメに納め、それでも足りなくて携帯のカメラでも撮影したくらいだ。

  白川郷も五箇山も平家の落人がひっそりと暮らしたのが始めという伝説が残っているが、白川郷のこの美しさは、彼等が意識して作り上げたものなのだろうか。山に囲まれたこの一帯の自然と、人工物である合掌造りの家々が作り出すえも言えぬファンタジックなこの風景は、僕を感動させずにおかない。

  再び、展望台から下って、次々と現れる合掌造りの村を散歩して回った。その中の何軒かは、有料だが観光客が家の中に入れるようになっている。僕は「池田家」と書いてある家に入った。

  一階の居間には大きな暖炉があり、実際に薪が燃えていた。2階3階の床は少しずつ隙間があって、暖炉の煙が上層階にまで隅々に巡るようになっていた。これは防虫効果のためだそうだ。

  居間に面した一番良い位置に、主夫婦の寝室、窓側の狭い部屋は娘達の部屋、中2階は長男以下息子達の寝室。息子達の部屋からは、居間の暖炉が直接見えるよう低い位置に窓がある。一晩中暖炉の火は絶やさないよう、また、茅葺の家は火に弱いので、暖炉の火を頻繁にチェックする防火目的の監視窓と言ったところか。

  2階より上は蚕を飼う場所になっていた。集落の産業は農業と養蚕だった。

   合掌造りは、言うまでもなく、手(の指先)を合わせたような屋根の形に由来する。豪雪地帯の白川郷も五箇山も、屋根は雪が落ち易いようにその角度60度、且つ、2つの屋根の裾と裾の間の長さも屋根とほぼ同じなので正三角形に見えるから、それが美しいのだと思う。

  釘一本使わないこの建物は、柱やはりが腐ることはないから、100年200年はざらに持つと言う。現にこの「池田家」は江戸中期の建物だそうだ。茅葺の屋根だけは何年かに一度葺き直さなければならず、村民総出の大仕事になる。

  日本人が文化的生活を享受し始めて高々半世紀。白川郷には、それ以前の長い長い自然との共存の生活の記憶が残っていた。

7月 22, 2011   No Comments

上高地

 

 
  怪我をして、生まれて初めて救急車のお世話になり、その前のことをすっかり忘れていた。怪我する直前、僕は上高地に行ったのだった。そのことを思い出したので、遅ればせながら書くことにする。

  上高地は、僕が生まれた豊科町から近い。松本から大町方面に向かう大糸線の最寄り駅は今も変らぬ豊科駅と云う名前だが、地名は昔、長野県南安曇郡豊科町という超田舎町だったが、今は長野県安曇野市豊科町と少し垢抜けた名前に変った。2005年の平成の町村合併で隣の穂高町などと一緒になり市となった。NHK朝ドラ「おひさま」の舞台だ。

  中央アルプスが目の前だから直ぐ近くに常念岳、遠くに穂高連峰が望むことが出来る。上高地はその穂高連山の麓にある。3歳の時親父の仕事の関係で県内北部の長野市に引っ越したとは言え、18歳まで信州にいて一度も上高地に行ったことがないと言うと、友人達から盛んに不思議がられたものだ。

  貧しかった当時、同じ信州にあっても、僕の中では「軽井沢」と「上高地」は、何かハイクラスな特別の響きがあった。東京の金持ちが避暑にやってくる場所、そんな認識があって庶民階級には縁の無い場所と思っていたのかも知れない。

  現に、昭和33年に結婚した、皇太子と美智子様は、軽井沢でテニスをされたことが度々報道されていたし、上高地も文人達が気に入って、夏は頻繁に訪れていると聞いていた。

  でも、決して反発していたから行かなかった訳ではない。そういうチャンスが無かっただけのことだ。軽井沢は15~16歳の頃、鬼押出しに行った時に訪れているし、成人してからは、ゴルフなどで度々行っている。

  が、どういう訳か上高地だけは一度も行けないままだった。そこで一念発起して、今回、上高地→飛騨高山→白川郷 の旅を敢行した。僕の目的は飽くまでも上高地だ。

  大正池からゆっくり散歩気分で河童橋まで歩いた。梓川上流から流れて来た水が、焼岳の噴火でせき止められて出来た池だそうだが、水が綺麗で触ってみると凍りそうなほど冷たい。池の中には枯れた木々が何本も立っていて、高山にある池の不思議さを醸し出している。

  梓川に沿って上流に歩いていくと、道は途中、森の中を歩くようになっていた。天気が良かったからかカッコーとか鶯とか、初めて聞く鳴き声の鳥とか、沢山の声を聞きながら、森林浴を楽しんだ。川のせせらぎの音、鳥のさえずり、踏みしめる草と土の感触、そして美味しい空気。心身共に健康を取り戻せるような気がする。

  田代池という小さな綺麗な沼のような池を覗いて、田代橋・穂高橋を渡って梓川の対岸に出る。梓川の上流に向かって左側に渡ったのだ。そこには何軒かのホテルやレストランが連なっていた。

  結構暑かったので、土産物屋の店先でソフトクリームを買い求め、それを嘗めながら更に上流に向かう。大正池から歩くこと40分くらいか、遂に河童橋を視界に捉えた。

  この河童橋、写真でしか見たことなかった。写真のイメージは、川の両岸も木々が茂って、背景には穂高連峰が映る大自然の中に佇む木造の橋だが、現実は、橋の両サイドにホテルやみやげ物屋、レストランなどが密集するアンチ自然の場所だった。これだけは、来る前と後の印象が全く違っていた。少し残念。

  しかし、河童橋の上から眺めた奥穂高は絶景だった。やっと来たぞ、とある種の感慨が沸き起きた。橋の袂では、野性の猿の家族が我がもの顔で歩いていた。

7月 21, 2011   No Comments

天罰(4) 完

  病院からはタクシーで自宅まで帰った。タクシーの中でカミサンは「もうこれに懲りて、外でお酒飲むの止めることね」と言う。「うん、もう酒やめた!」と僕。但し、「暫くは」と付け加える。

「もう懲りないんだから」
「酔っ払ってたから転んだ訳じゃないんだ。つま先が引っ掛かってつんのめっただけだよ」
「酔ってなきゃ、つま先なんか引っ掛けないわよ」
「血が沢山出たのはアルコールのせいだけどサ」
「先生が言ってた。酔って転んだということでしょう、って」

  この議論、どうやっても不利。「まっ、当分の間、飲酒謹慎ということで」と僕が敗北宣言して矛を収めるしかなかった。

  家に着き、シャワーを浴び、オデコのガーゼを濡らさないように頭を洗ったのだが、濡れてしまった。仕方ないので、新しいガーゼに取り替えるために剥がしたら、鏡に初めて傷口が映った。

  左上の傷は、何と縦に5本、すじ状に切れていた。その辺り全体が打ち身もあって赤黒いのだ。何だこりゃ、漫画の「ガーン!」とか、「嘘だろ?!」とか、「まさか!」とかの、衝撃を受けた時の表情と同じじゃないか。「まさか!」。エスカレーターのあのギザギザの溝が、そのままオデコに転写されてしまったのだ。

  ただ救いは、オデコのどの溝(傷)も縫われていなくて、自然治癒に任せられるくらいに浅かったと言うことか。尤も、縫い合わせられていたら、それこそフランケンシュタインだよ。

  それを気遣って、先生は縫わなかっただけかもな。確かにフランケンシュタインよりは、衝撃の表情の図の方がまだマシだよね。先生、ありがとう。

  でもね、こういう人工的な模様の傷じゃ何とも格好悪いなぁ。どうせ怪我するなら、もっと自然な形の傷が良かった。この傷、消えるのかなぁ、残っちゃうのかなぁ? 

  救急病院の指示に従って、翌日、地元の掛かり付けの医者に行った。傷の手当のためだ。先生が言った。

「確かに、エスカレーターの痕ですね、これは、ハハハ」。先生は笑いながら仰る。
「先生笑わないで下さいよ。恥ずかしさを忍んで診て貰いに来たんですから」
「すみません。でも、頭を鋼鉄にぶつけたのに、大事に至らなくて本当に良かったですね」
「はい、それはもう。この傷って、残っちゃいますか?」
「完全に消えるのは難しいかも知れませんねぇ。でも、このくらいの傷なら、それ程目立たなくなるとは思いますがね」

  カミサンが言う通り、懲りる思い出のためには、傷痕が薄っすらと残った方が良いかも知れない。傷痕を心配する歳でもないし・・・

                      天罰  - 完 -

7月 19, 2011   7 Comments

天罰(3)

 
  どうもここは病院らしい。盛んに額辺りを治療してくれているようだ。看護婦だろうか「今、奥様がこちらに向かっていますからね」と勇気付けようとしてくれる。でも、そりゃまずいな。カミサンに、酔っぱらって転んで救急車で病院に担ぎ込まれたところを見られちゃうのは。後で何言われるか分からない。

  先生だろうか、僕の耳元で、「これからCTで検査しますからね」と言う。僕は、無言で頷く。その後、再び眠ってしまったようだ。CT検査のことは全く記憶に残っていないからだ。

  「今日はかなり飲んでしまいましたかね」と言う声で目が覚めた。さっきの先生だろうか。「CTで診た限りでは異常はなかったですよ。良かったですね。でも頭を打ったんですから1~2日は安静にして下さい」と言ってくれた。

  まっ、僕自身、眠っている時以外は結構意識がハッキリしているから、脳味噌がグジャグジャにはなっていないことは分かっている。でもやはりホッとした。後は額の傷がどうなのか、自分では見れないから分からない。

  僕に対する処置は全部終ったらしく、先生も看護師さんも近くにいなくなって、一人ベッドに放置された状態になった。仕方ない、また寝るか。この眠さは、アルコールから来ているな、と自分で分析。

  どのくらい眠ったのだろうか。次に気が付いた時は、僕の隣に誰かが運び込まれて、そのご家族が、何人かが付き添っていた。薄眼を開けてそちらを見たら、その中の女性の一人がこわごわと僕の方を見ている。そうか、僕はまだシャツやズボンが血だらけだったんだ。その女性は僕の姿に驚いているんだ、と分析。

  お隣さんは、怪我ではなく病気で担ぎ込まれたのかな。ご家族はそれほど慌てている様子が無いから。

  そんなことを思っていたら、先生がやって来て、「奥様が来られましたよ。一人でベッドから降りられますか?」。それは多分大丈夫だけど、ついさっきまで僕は重傷患者を装っていたのに、その一言で、それが全部バレていますよという言い方に聞こえた。

  バレた以上致し方なし。やおら起き上がり両足を床に降ろした。ゆっくり立ち上がった。先生が支えてくれた。数歩歩いたが特段の問題無し。先生に礼を言って看護師の後について部屋の外に出た。廊下の長椅子に座っていたカミサンが立ち上がってこちらにやって来た。「そこに座って待ってて。会計してくるから」。おいおい心配しないのか。「大丈夫?」とか普通聞くだろう。

  心配は通り越して、呆れているのかも知れない。

7月 18, 2011   No Comments

天罰(2)

 
  前に勢い良く倒れこんだ。片手はバッグを持っていたが、どうしたか良く覚えていない。多分バッグを離して前のステップ(多分1~2段上)に両手を付いて身体を支えようとしたと思う。

  しかし、エスカレーターは階段状だから。倒れた勢いで、手を付いた一つ上のステップに額が当たってしまった。夜7時頃と思うので、周囲にも沢山人がいて、女性の悲鳴やら、男の人の驚く声などを聞いた記憶がある。

  だがそこまでだ、何とか覚えているのは。後付け解釈だが、酔っぱらっていて、頭の重さを支えられなかったのだろうと思うが、平らな所なら、手を付いているのだからそれ程酷いことにはならない筈なのだが、階段状の所での転倒で、尚且つ、相手は鋼鉄だから分が悪かった。

  気が付いた時は床に寝させられていた。僕の周りは人だかりがしていることだろう。気が付いているが、カッコ悪いからそのまま気を失っていることにする。

  救急隊が来て僕を担架に乗せようとした。さすがにその時は申し訳ないと思い、自ら担架に乗り移ろうと少し頭を上げようとしたら、「そのまま、そのまま。頭は絶対に動かさないで下さい」とかなり強い口調で言われた。

  その雰囲気から、「そんなに酷いのか? 俺」と思った。後はすべてお任せして、再び気を失っていることにしよう。景色は直ぐに救急車の中に変わった。「ホワン、ホワン、ホワン」というサイレンが聞こえる。車内後方にも赤いランプの点灯が見える。

  暫くしたら、「ウー、ウー、ウー」という消防自動車のようなサイレンも鳴り出す。「救急車が直進します。直進します」とスピーカーの声。交差点を赤信号で進んでいるのかなと分析。この辺りから、気を失っているフリではなくて本当に眠くなって来た。お酒のせいだ。そして、本人はお酒のせいでどこも痛くないのだ。

  「ご自宅の電話番号言えますか?」と誰かに聞かれ、眠りから覚まされ「nnnn番」です、とゆっくり答えた。答終わったらまた眠ってしまったらしい。

  今度は「隣のベッドに移れますか?」と聞かれる。隣に5cmほどの高さの違いのあるベッドがあった。僕は「はい」と言いながら身体をずらした。あれ、東京駅では、頭を絶対に動かすなと言ったよな、と思いながら。

  新しいベッドに移ろうとした時、僕のワイシャツやズボンに沢山の血が付いているのが目に飛び込んで来た。自分でも事態が良く呑み込めていなかったが、あの時、周囲の人があれだけ大きな悲鳴を上げた理由が初めて分かった。アルコールが入っていると血液は止まりにくいことを思い出した。

7月 17, 2011   No Comments