プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 8月 2011

財布の忘れ物

       ブダペスト      漁夫の砦

       ブダペスト      漁夫の砦

 
 
  今朝、6万円と何がしかが入った男物の財布を拾った。クレジット・カードの類は10枚以上も入っていた。レジのレシートも札と一緒に沢山入っていた。

  それは京王線の網棚に裸で乗っていた。僕が最寄り駅から乗り込んで、ドア近くの網棚にバッグを乗せた時そこに黒っぽく分厚い2つ折りの財布が置いてあるのを発見したのである。

  上着を網棚に載せておいて、降りるために上着を取った時にでもポケットからこぼれ出たのだろうか。或いは、私の前に座っているビジネスマンのものか? 「これ心当たりありませんか?」と、そのビジネスマンにも周囲の人にも聞いたが、みんな違うと言う。

  「仕方ない、では駅員に届けます」と宣言して新宿駅で預けた。その時駅員は、「落とし主が現れない時の権利の主張とかされる場合は、一寸書類に記入して頂くことになりますが」と仰る。そんなつもりはない。

  寧ろ、手掛かりを辿って何とか落とし主に連絡して貰えるのだろうか? 昔僕も一度財布を落としたことがあり、その時の「しまった!」感は何とも嫌なもの。クレジット・カード会社に連絡したりの事後処理も大変だったから、一刻も早く本人に連絡してあげたいものだ。

  「それは不要ですが、クレジット・カードとか様々手掛かりがあると思うので、そちらから落とし主に連絡して頂けますか?」と駅員に聞いた。通常の落し物のように、落とし主から連絡があったら確認するでは、結局、本人に渡らない確率が高いからだ。

  「勿論、手掛かりが財布の中にあれば、こちらから連絡します」との答え。何となく不安。どんなことをしても連絡先を突き止めてご本人に渡します、という風に聞こえなかったからだ。

  しかし、「じゃぁ、自分でやります」と言うのも猫ばばと見られそうで、結局、「宜しくお願いします」と言ってその場を離れた。離れてから思った。財布は駅員ではなく、改札出たところの交番に届けた方が良かったかなと。クレジット会社も警察なら連絡先を教えてくれるかも知れないと思ったのだった。

  自分の判断ややり方が正しかったかどうか反芻してはみたが、結局、京王線の駅員に完全お任せとなって、その後のことは私の手を離れ、何も分からないやり方に同意したということだ。ちゃんと落とし主に戻ったかどうか確認が出来ない、何ともこの先が気になる方法を選んでしまったのは間違いがないようだ。

8月 31, 2011   3 Comments

最悪回避

     ブダペスト   くさり橋のたもと (三越?)

     ブダペスト   くさり橋のたもと (三越?)

 
 
  何稿か前に、海江田経済産業大臣は、民主党代表選に出る資格無しと書いた。福島第一原発事故の原因調査を進めている最中に、何の根拠も無いのに、安全宣言を出し、九州の玄海原発を稼動させようと、経産省の役人の言いなりになったからだ。

  原発事故をもう一度日本が起したら、世界は決して日本を許さないだろう。もしそうなれば、日本の技術への高い信頼性は完全に失われる。二度目が起きたら、日本の経済・日本の産業が滅びるということ。もう原発事故は絶対に起きないと言えるのか。津波の前に、直下型地震でも絶対大丈夫と誰が保証したのか?

  経産大臣であればこそ、そのこと(経済の崩壊)が少しでも念頭にあったら、原発再開の旗などそう簡単に振れない筈なのに、原子力村を牽引して来た役人の言うなりになった。その後ろから菅首相に、「再開にはストレステストが必要」と言われ、ハシゴを外されたと国会で号泣した海江田大臣。

  そもそも、あれだけの事故を起し、フクシマを世界に知らしめてしまい、何万という人々の住まいや生活、ふるさとを奪った国の所管大臣がその責任も取らないばかりか、堂々と次期首相候補に名乗り出る厚顔振りには呆れ果てた。

  今でも不思議でならない。あれだけの原発事故の責任を取るとしたら、原発政策を所管する経産省の大臣を置いて他にない。なのに、彼が代表選に出馬を表明した時、何故マスコミは彼を断罪しないのか?

  その海江田氏が小鳩連合の支持を得て、一躍、5候補のトップに躍り出たから驚いた。まさか! あの大震災は言うまでもなく、被災地に大きな犠牲とダメージを与えた。だが、原発事故が起きなければ、復興復旧に向けて着々と進んで行った筈である。

  ところが、原発事故・放射能漏れは未だに現在進行形であるばかりでなく、政府・東電の出す情報が遅れ遅れのため、汚染の広がりは時間が経つほど深刻さを増している。「起きてしまったことは仕方がない。全力で復興しよう」と、いつまで経ってもならないのはそのせいだ。

  起こしたことの重さからすれば、更迭されても当り前の人物が(原子力行政を今日まで長く進めて来たのは自民党政権で自分ではないとでも思っているのだろう)、そんな責任意識もなく次期首相候補に立候補する鈍感さ、いくら政略とは言え、そんな人物を担いだ小沢・鳩山の不見識など、様々な喜劇(いや日本の悲劇)を見せてくれた。

  しかし良かった。海江田氏のようないい加減な人物が首相にならなくて。日本の最悪の選択は避けられた。

8月 30, 2011   5 Comments

3.11を予知

   東日本大地震を予知した男がいた

   東日本大地震を予知した男がいた

 
 
  市井の地震研究家に、知る人ぞ知る進村耕喜という人物がいる。彼の地震予知は的中率80%という高い確率で言い当てており、且つ、その場所・時期が正確なのだそうだ。彼が本を出した。題名は「2011~2015 大地震が再び日本を襲う!」。読んでみた。

  今回の東日本大地震で、進村氏はその前日に、彼の主宰する「青松倶楽部」(進村氏の地震研究報告を有料で受取る会員制組織)の会員宛に強い警告を発していた。

  まず、今年2月のニュージーランドのクライストチャーチ地震を受けて、雑誌のインタビューの中で、彼は、「今年8月までに、M7.5前後の津波を伴う宮城沖地震が起こる可能性があります」と警告している。

  その後、地震発生が間近に迫っていることを察知した進村氏は、彼流の観測を強化。そして、3月10日に、「青松倶楽部」会員宛に緊急メールを発信した。

メールの内容 : タイトル「悪夢の三月になる可能性」

「 昨日(3月9日)のM7.3と今日(3月10日)のM6.8の地震、この付近の深さ別で10キロの震源分布は、福島沖~茨城県沖~千葉房総周辺へ連鎖する可能性が過去例より高いです。ちなみに深さ40キロ前後の震源分布が日本海溝連鎖の場合は、確率が高いのが連鎖の特徴です。通常この場合の連鎖地震は8日以内です。
                 (中略)
この2011年3月は、悪夢の3月となるかもしれません!
三陸沖と宮城沖と襟裳付近の活動は3ヶ月以内に、ほぼセットで起こります。そして、前後して北関東、関東への連鎖地震につながります!
                 (中略)
兎に角、地震はまだまだ今からです。十分ご注意下さい!! 」

  つまり福島沖から房総周辺の連鎖大地震が3月10以降、8日以内で起きる。その後3ヶ月以内に宮城・三陸沖から襟裳岬でほぼ同時に連鎖地震が起きる、更にそれでは終らずに、関東の地震を惹き起こすと警告している訳だ。

  実際には予告範囲のうち、宮城沖から茨城県沖、宮城県沖から三陸沖にかけてのプレート境界で、連鎖地震がほぼ同時に起きてしまったために、M9.0という複合型の超巨大地震になったのだが、正に彼が指摘した地域内に入っているし、8日以内という時期も翌日に起きた。

  3月9日から10日にかけて頻発した宮城・三陸沖のM6.0クラスの地震群を、気象庁は9日に起きた三陸沖のM7.3の地震の余震と発表してしまったが、進村氏だけは、これは余震ではなく、これから来る大地震の予兆だと確信していたのだ。

  国の予算と権威を頂いて研究している御用学者達は何をやっていたのかと彼は言う。市井の地震研究家は大勢いる。彼等が注目する地震雲の出現を、科学者(?)達は皆「迷信」扱いする。

  だが、神戸淡路代震災の現場にボランティア活動に参加した進村氏は、そこで何人もから、震災前に不思議な雲が現れたことを直接聞く。そこから彼の研究が始まった。他の市井研究者と進村氏が違うところは、より客観的に衛星写真の分析で精度を高めて行ったことだろう。

  読み進めて行くうちに、僕が感じたのは、バブル崩壊後日本社会はそれまで権威とされていたものが悉く音を立てて崩れて行く歴史だったが、地震予知もまた国や大学よりも個人研究家の方がよほど頼りになるという事実が加わったな、ということだった。

  権威失墜。官僚然り、銀行然り、大企業然り。最近では原子力村と言われる経産省・電力会社・原発企業複合体の権威失墜。ついでに総理大臣の歴史的軽さ。東日本大震災は、明治維新・敗戦に次ぐ3回目の国の作り直しをすべき時だと教えている。

8月 26, 2011   No Comments

墨田ジャズ・フェスティバル

   ブダペスト  美しく青きドナウ河のさざなみ

   ブダペスト  美しく青きドナウ河のさざなみ

 
  先日の日曜日に、JR錦糸町駅前を中心とする墨田区のジャズ・フェスティバルを覗いて見た。このジャズ・フェスティバルのどこかで、僕の高校時代の同級生で構成する同窓会バンド「ザ・タペストリー」のサックス担当マッキーが、フルバンドの一員として出演すると言うので行ってみたのだ。

  行ってみてビックリ。ステージが30会場もあり、土日2日間で1,500ものミュジシャン(プロからアマチュアまで)が集結する大規模なフェスティバルだった。正式名は「すみだ・ストリート・ジャズ・フェスティバル」という全会場入場無料のコンサートだ。

  但し、当日は、小雨模様だったからか、以前行った仙台のジャズ・フェスティバルや、吉祥寺・阿佐ヶ谷のそれに比べると、少し寂しい人通りだった気がする。雨のせいもあるが、今回が第2回ということだから、知名度がまだ低く、他の地域からの観客流入が少ないからだろうと思った。

  駅から徒歩5分、間に合った。そこはある商業用ビルの入口1階で屋根があり、観客席は2回に上がる広い階段を観客席に当てた、恰も、フルバンドの演奏場所を想定したかのような、お誂えの場所だった。

  但し、壁はないので、座席(階段)には少し霧雨が時折吹き込んだりしていた。なので、幾分肌寒さを感じるような天気だった。

  僕が座席に座ると、それを目撃していたようにマッキーが現れ、「階段の踊り場にビデオ・カメラ設置したので、神童、その係りやってよ」といきなりお仕事。まぁ、暇だから「いいよ」と安請け合い。早速スイッチ・オン。良し良し。

  演奏が始まった。マッキーは「下手だけど見に来て」とか謙遜していたが、どうしてどうして、迫力満点だ。久しぶりに聞くフルバンド。いいもんだ。女性も何人かいて、前に出てソロをとる。

  1曲目は、聞く方に神経が行っていて、そう言えば事前に教えて貰ったズームは何も操作しなかった。フルバンド全体が映る固定画像だった。申し訳ないと思い2曲目からは、ソロの奏者が前で演奏始めたらズームアップし、彼が戻ったらズームを引こう。

  ところが、ズームのボタンが小さくて重いから、チョッと動かすつもりが急激にアップになってしまったり小さくなり過ぎたり。小型カメラはここが慣れるまで大変なんだ。やってみて思い出した。2曲目の画像もとても上出来とは言えないな。4曲目辺りから漸く慣れた。マッキーごめんね。

   カメラマンをやってると、聞く方に集中出来ないが、全体的には良く訓練されていて乱れは殆ど無かったように思うし、トランペットもトロンボーンもソロ・アドリブはプロはだしだった。我がマッキーは、待ちに待った「おおとり」のサックス・ソロをカッコ良く決めてくれたぜ。

  サックス・パートは最前列で、マッキーはその真ん中だ。エンディングの最終合図はマッキーがやっていた。関係ないのに、僕の鼻が少し高かった。でも折角のマッキーの晴れ姿も、携帯で写真撮るのを忘れてしまい、ブログに載せる写真がありません。

8月 24, 2011   No Comments

快気祝い

      ブダペスト   黒くないカラス

      ブダペスト   黒くないカラス

  
  二日続けて快気祝いをして貰った。怪我をして1ヶ月は外で飲み会というのを控える覚悟(謹慎)だったので、長かった分余計に、二日連続の飲み会は楽しかった。

  まず、一日目は出身会社の軽音楽部の皆さんにお祝い会をして貰った。お祝い会と言っても、過去何回かお邪魔している、銀座の「フレーズ」という店で、演奏を楽しみながらの飲み会だ。

  この店、楽器が置いてあって、客が勝手に演奏して良いシステムなのだ。だから、音楽好きが集まる店でもある。普通、この店の客は2次会やどこかで食事をした後現れるから、9時ごろチラホラと客が入って来る。だから、僕らがこの店を使う時は、6時か6時半に集合して、他の客がいない間に、2~3時間思いっ切り練習するのだ。

  この日は、ボーカルに女性陣2名、バンドはキーボード、ギター、ベース、ドラムが揃ったので、構成上は申し分ない。僕も1ヶ月ぶりのドラム演奏だったが、ギコチ無さは1曲でとれて、2曲目以降は大いに楽しめた。

  女性陣の「恋のバカンス」も、ぶっつけ本番にしては、ハモリを含めていい線行ってる。後で聞いたら、3日前にも、この店に練習しに来たのだとか。なるほど。

  他のお客さんもかなり入って来て、我々の演奏を終え、飲み会&カラオケ大会風になった。そこに、マスターがろうそくに火を着けてケーキを運んで来た。女性ボーカルのHさんが用意してくれた僕の怪我の完治祝いだという。ハートの形をしたケーキにろうそくが5本(50歳?)。その隣に、「QPさんへ」と書いてある白いプレート。

  Hさん、ありがとう。皆さんありがとう。俄然やる気が出て来ました。1月8日の「ブルース・アレイ」に向けて頑張ります。

  二日目は、おじさんバンド「のどごし生バンド」とコーラス隊「TSUBASA」の有志の皆さん(5名)による快気祝いだ。

  おじさんバンドとコーラス隊は6年前から数年、クーペ&Shifoのバックを一緒に務めるなどしたから、今もとても仲がいい。何かある度に「打ち上げ」と称して飲み会をやって来たが、僕の飲酒解禁に合わせて、早速、飲み会を設定してくれたものだ。

  気の置けない仲間と過ごす時間は心からの幸せを感じる。怪我して良かった。直って良かった。Tさんが代表して僕のために、カッコいい帽子をプレゼントしてくれた。9月からマンスリー・ライブを再開するので、是非、この帽子をステージで使わせて貰おう。

  話も盛り上がり、みんな地元なので、安心して飲んだせいか、ついつい時間も忘れて二次会に・・・。かなり遅くなってしまった。皆さんありがとう。そして、僕のために遅く迄、ごめんなさい。

8月 23, 2011   No Comments

「みずすまし」音楽祭

   ブラチスラバ  マンホールから外を覗う男

   ブラチスラバ  マンホールから外を覗う男

 
  僕は出身会社の軽音楽部に今も籍を置いている。当時その軽音の部長をしていたK君は、学生時代、京都では知る人ぞ知る本格フォーク・グループ(4人組)で活躍していた。4人は就職後暫く活動は中断していたらしいが、ある時期から、たまに集まってライブをやるようになったという。バンド名を「みずすまし」と言う。

  僕が始めて彼等の演奏を聴いたのが5年前だ。K君から、東京で初めてライブをやるので是非聞きに来て欲しいと頼まれて参加したのだった。場所は曙橋の某ライブハウスだった。

  僕は特にフォーク・ソングが好きだった訳でもなかったから、付き合いでなかったら、フォーク・ソングのアマチュア・バンドを聞きにわざわざ都心まで出掛けては行かない。K君には失礼ながら、暇つぶしのつもりだった。

  ところが、最初の曲「岬めぐり」を聞いて僕は驚いた。一寸聴いただけで彼等のレベルの高さが分かった。コーラスが本格的なのだ。一人ひとりの声が良く通り、しかも音程が少しもずれない。当然綺麗なハーモニーになる。あのK君がねぇ・・・、と言うのが驚きの核心部分だった。

  ギターやベースを片手に、全員が歌うのだが、特に主旋律を担当するのがK君ともう1人。曲によって交互にメインを担当している。更に更にMCはK君が最初から最後まで全部努めたのだった。笑いを取るところはしっかり取り、興味深いエピソードなど、K君は歌だけでなくMCもなかなかで、会場は大いに盛り上がった。

  後で聞いたら、主旋律を担当したもう1人の男は、大学卒業してそのままプロの道に進み、自らシンガー・ソング・ライターとしてCDも出したり、音楽プロデューサーの仕事をやっているとのこと。どおりで上手い訳だ。K君失礼しました。アマチュアではなく、プロとセミプロのフォーク・グループでした。

  その翌年の晩秋。K君の提案で、今度は「みずすまし」単独ライブでなく、会社の軽音楽部からも2~3バンド出て、皆で音楽祭をやろうということになり、僕もシステム関連会社の「OGsounds」として出演した。勿論メインは「みずすまし」に変わりはない。場所は六本木のライブハウスだった。

  その次の年は、同じような形の音楽祭を渋谷のライブハウスで実施した。以降、毎年秋の恒例イベントになる筈だった。それが、突然の会社の合併発表で俄然社員は忙しくなり、社内の雰囲気も音楽祭どころでなくなってしまい、ここ2年、音楽祭は見送られたのだった。

  軽音楽部の中に、今年こそ音楽祭を復活させようとの声が高まり、1ヶ月前に日にちを決め(来年1月8日、みずすましが京都からやってくる都合上3連休のなか日以外設定出来ない)、会場探しに入った。その会場がついさっき決まったのだ。

  「ブルース・アレイ・ジャパン目黒」。東京のトップクラスのライブハウスの1つだ。プロミュージシャン達の中では、そこに出演するのが夢の一つと言われている場所だそうだ。本店は本場ニューヨークの有名ジャズ・クラブ、「ブルース・アレイ」。

  こんな高級そうなライブハウスで、僕達のようなアマチュアがライブをやれるのは、現在僕が顧問を勤める会社にR君という人がいて、彼が以前の仕事で、そこの社長と凄く親しかったことから、橋渡しして貰えたという幸運に恵まれたからである。R君ありがとう。

  秋からは、そちらの練習もしっかりやらなくちゃいけなくなった。今でも3つのバンドを掛け持ちして大変なのに、4つ目に注力しければいけなくなった。どうしよう!!!

8月 19, 2011   No Comments

孫娘

  ブラチスラバ(スロバキア)  街角に立つ怪しい彫像

  ブラチスラバ(スロバキア)  街角に立つ怪しい彫像

 
  いつもは車でやってくる息子家族が、今回は珍しく新幹線で大阪から我が家にやって来た。既に高速千円のサービスは終了していて、大阪から東京往復だとガソリン代+高速代は新幹線代と大差ないからだと言う。その彼等は昨日帰って行った。

  彼等が我が家に到着して、待ちに待った孫娘と3ヵ月半ぶりに再会した時のことだ。僕が孫と目を合わせようとしても、彼女の視線がどうしても僕のオデコに行ってしまうのだ。

  丁度1ヶ月前に、東京駅のエスカレーターで転倒した傷跡に目が行くようなのだ。それもその筈だな。普通の怪我と違い、等間隔の縦縞が4本綺麗に並んだ不自然な人工的な模様なのだから。漫画の「ザー」とか「ガーン」の真っ青になるシーン。余計に気になる。

  1歳と2ヵ月になる彼女は、まだ、殆ど日本語はしゃべれないから、「どうしたの?」と聞きたくても聞けない分、慣れるまでに時間が掛かるのは致し方ない。

  機嫌良く意味不明の言葉を発したり、婆さんがあやすと上下2本づつの小さい前歯を見せて笑う姿は何とも可愛いのだが、近くにいる僕のオデコを見ると、途端に真剣な顔付きに戻ってしまう。

  そんなこんなを20分以上続けていたら、どうにかオデコの傷跡も気にならなくなったらしく、僕はやっと彼女と視線を合わせることが出来たのである。

  やはり、酔っ払って怪我などすべきでないなと、反省した。それまで怪我のことについては起きてしまったことは仕方ない。これから気を付ければ良いのだ、と割り切っていたし、反省などするのもしゃくだった。

  それが、こうまで孫に違和感を持たれ、危うく嫌われそうになって初めて反省したのだから、孫の力は大したものだな。

  慣れたところで、孫がテレビのリモコンを持って遊びだした。僕は自分携帯を取り出して、「もしもし、××ちゃんですか?」と何度か言ってみた。そしたら、彼女もリモコンを携帯電話に見立てて耳に当てながら「はーい」と言うではないか。それも、片方の手を挙げて答えたのだ。

  孫との会話が初めて通じた瞬間だ。文字通り彼女が生まれて初めて。

  こうなると、こっちも遊びに熱が入る。ハイハイする彼女を追い掛け回すと、逃げる逃げる。キャッキャ、キャッキャと笑い転げながら、振り返ってはもっと追い掛けて来いと僕を促す。

  もうオデコの縦縞は、彼女の中では、奇怪なものではなく、僕のトレードマークとなってくれただろう。遊び疲れて眠くなったら孫娘に歌ってあげよう「ギザギザ・オデコの、ドンドン、子守うたー♪」。

8月 17, 2011   2 Comments

主観的勤勉・客観的怠惰

   マイセン  陶器工場近くで出合った男の子

   マイセン  陶器工場近くで出合った男の子

 
  
  先週、やっと退陣を表明した菅首相は、これまで、① 今年度第2次補正予算、② 赤字国債を発行するための特例公債法案、③ 再生可能エネルギー特別措置法案 の成立を退陣条件とすると説明して来た。

  2次補正はすでに成立し、他の2法案も月内に成立する見通しとなったことを受けて遂に退陣を自ら表明したのだった。

  菅さんが今回辞任を表明するまで、民主党にも野党にも、3条件が揃っても菅首相は辞めないのではないかとの疑心暗鬼の観測もあり、前例のない不信任案の再提出まで検討されていたようだった。

  幾ら不人気でも、どれだけ与野党・マスコミ・被災者達にサンドバッグにされようとも、全く意に介さず、ここまで堂々と首相の座に居座り続けた菅さんには、ほとほとその精神構造の超人的タフネスさを感じずにはいられない。

  精神のタフさだけで量れば、歴代首相の一位二位を争うのではないか。そうまで頑張れた理由はなんだろう? 勝手解釈をしてみた。

  多分、ご本人は、今次大震災と原発問題について、政治家の中で、自分ほど真剣に考え働いている者はいないという自負がある。自分が次々打ち出している復興への考え方や対策は、必ず国民が支持してくれる筈だ。現に、自分が打ち出した「脱原発・再生可能エネルギーへの転換」の方向性は国民の7割が支持してくれているではないか。いずれ必ず国民は自分の仕事を評価してくれる、と思っている。

  未曾有の震災で大変な時に、一刻も早い復興対策の実施が必要なのに、与党内のある勢力や野党が全てを政局にして、全く協力しようとしない政治家どもの方が、批判の対象になる筈だ。時が来れば、必ず国民は分かってくれるから、そこまでは絶対に辞めるべきでないはないのだ。

  それに、自分が今辞めたら次の首相は、復興政策にしろエネルギー政策にしろ、自分の考え方を継承してはくれないだろう。

  ならば、一定の形(法律)を作っておき、誰が次の首相になっても、その範囲のものは変えられないようにしておこう(これが一定の目途)、それまでは絶対に辞めない、といったところが、史上稀なタフな精神構造を持った菅首相の心象風景か。

  当っているかどうかは分からないが、このくらい、全く客観的でない自己過信(否、自己誤信)を持たなければやっていけない職業なのかも知れない。その対極にあり、行き詰ると直ぐに投げ出した4代連続のお坊ちゃん総理との違いは見事だった。

  しかしだ。3.11から丁度5ヵ月経った今も、震災復興計画は遅々として何も進まない。福島原発は未だ収束せず、今頃になって、10000mシーベルトの放射の漏れの場所が見付かったり、牛肉汚染の全国への広がるなど、情報公開も管理も対策も後手後手ばかりが明らかになる。

  客観的に見て、菅さんはこの5ヶ月で一体何を成したのか。唯一浜岡原発を止めただけが功績かも知れない。3.11から菅首相の時計は止まっているようにしか見えない。

  日本の不幸は、敗戦に次ぐこの国の大ピンチに於いて、「主観的勤勉、客観的怠惰」な首相を頂いたことだ。しかし、次の首相に望む「客観的勤勉、主観的怠惰」な(彼が成したことは大変大きな成果を生んだが、ご本人はまだまだ不十分な働きと思っている)人物は、果たしているのだろうか。

8月 16, 2011   No Comments

おいしい更迭

         プラハ  カレル橋上の人々

         プラハ  カレル橋上の人々

  国主催の原発シンポジウムで、ブレーキ役の原子力安全・保安院が、原発推進の「やらせ問題」に関係していたことなどの責任を問われ、経済産業省の松永和夫事務次官(59)、寺坂信昭原子力安全・保安院長(58)、細野哲弘資源エネルギー庁長官(58)の3首脳が更迭される。

   ところが、更迭される3人に対して、自己都合退職よりも高額の退職金が支給されることが分かった、と毎日新聞が伝えた。以下は毎日新聞の記事からの抜粋。

「経産省は『3首脳の退任は勧奨によるもので処分によるものではないため、通常の早期退職と同等の扱いになる』と説明。国家公務員の退職金に関して定める退職手当法で規定する『定年前早期退職』が適用され、退職金は自己都合退職よりも2割前後(1000万円超)高くなるとみられる。退任日は松永次官と寺坂院長が12日付、細野長官が9月1日付。海江田万里経産相は4日、3首脳の更迭を発表していた」

  民間に身を置くものとして、或いは、真面目に税金を納めている者として、この記事は何度読んでも理解出来ない。

  国策で進めて来た原発政策が、福島第一原発の崩壊で安全神話も地に落ち、国民の信頼を完全に失った経産省が、今度は自らが「やらせ問題」に手を染めていたというニュースに、国民は呆れ返っていた。菅首相も「もし、そんなことに経産省が手を染めていたとしたら、とんでもないこと」とコメントしていた程の問題だ。

  だから、珍しくスピード感を持って、海江田大臣が記者会見で、経産省3首脳の更迭を発表したのだ・・・、と思っていた。原発事故の責任を初めて経産省が取ったということかも知れないとまで思った。

  そこに、上記のニュース。更迭された筈の人達、が、退職金も一切減額されないばかりか、逆に早期退職の割り増し約1,000万円がプラス支給されると言うのだから、開いた口が塞がらない。

  民間だったら、懲戒解雇になった者に退職金を支払う会社なんて何処にもない。だが、あれは懲戒処分ではなく自己都合退職だとぬけぬけと言う。自己都合退職を大臣がわざわざ記者会見で発表などするものか。

  またまた経産省得意の国民騙しの術だ。これは正に、我々の血税を官僚達がお手盛りで、勝手放題に懐に入れている図だ。

  こんなことを認める海江田某は、次期首相候補かどうか知らないが、既に失格者だ。福島第一原発事故の原因究明も何も出来ていない段階で、「玄海原発の安全性は確認された」と根拠レスの宣言を下し、菅首相から「その前に欧米並みのストレス・テストは必須だろう」と言われ、ハシゴを外されたと国会で泣いた海江田大臣。彼は一体何なんだ?

  経産省に丸め込まれて、大臣と言うより、彼の後ろにホントのボス(経産省首脳)がいて、彼はそのメッセンジャーに過ぎないように見える。

  経産大臣や更迭される3人は、はたまたその他の経産省上層部も、自分達が国民を騙して推し進めて来た原発が大事故を起し、何万という人々を故郷から追い出し平和な生活をぶち壊したのだ。そんな自責の念はこれっぽっちもない。

  海江田某が聡明な人間なら(否、普通の頭を持った人間なら)、原発事故と「やらせ問題」並びに今次更迭を、経産省の出直し改革の絶好の機会にした筈だ。

  もし法律上、割り増し退職金を払わなければならないのなら、その全額を福島の原発被災者に寄付させることを提案する。彼等は福島をフクシマにしてしまった責任と義務がある筈だから。3人合計で2億数千万円だそうだが、彼等に払うより、被災地に払うのなら、それで納税者はやっと納得してやれる。

8月 12, 2011   No Comments

昼食時の身の上相談

         プラハ   カレル橋の夜景

         プラハ   カレル橋の夜景

 
  チョッと出遅れたので、ランチ・タイムを避け午後1時過ぎて昼食に出掛けた。今日は一人だったので、簡単にラーメンで済ますことにした。ところが、1時過ぎに来たのに、座れない。その上、食べている人が殆どいないのはどうした訳か? みんな料理の出て来るのを待ってる。どこか席が空くまで相当時間が掛かりそう。

  普通、この店が混んでいる時は、入口や店の外に順番を待つ人が溢れているものだが、今日は入口に誰も待っておらず空いてたので、迷わず食券を買ってしまった。買ってから満席に気が付いたのだ。だから他の店にも移れないし、これは失敗。

  待つこと10分。店の奥に別室風の小部屋があって、その中の席が空いたというので、僕はその部屋に進み、2人席用の空いている方に座った。合い席だ。僕の向かいにはサラリーマンと思しき男性が、やはり料理が出てくるのを待っている。

  その隣は4人用のテーブル席には、カジュアルな服装の20代半ばと思しき男と、その向かいに、これまた若い美形の女性が2人が座っている。ほぼ同い年くらいだろうか。3人は辺りを気にする風もなく、ラーメンを食べながら恋愛話に花を咲かせていた。

  どうも、一番奥に座っている女性が、以前別れた彼から、夏休みに家に遊びに来ないかと誘われているようで、どうしようか、と相談ともなく話題提供している雰囲気だった。

  丁度その時、たまたま僕の携帯にメールが入ったので、徐に携帯をを取り出しメールを読んだ。読んだ後も、その返信をしたり、他のメールをチェックする振りをして、お隣の話に無関心を装った。そうでもしないと、聞いていられなかったのだ。

「Aちゃんの元彼ってケントだよね。確か、ケントは春先にアメリカに帰っちゃったんだよねぇ?」と若い男が聞く。
「その元彼がね、夏休み1週間取れるならこっちへ来ないか、って」とAちゃん。
「こっち、って、アメリカだろ? Aちゃんとケントは完全に終ってんじゃなかったの?」と若い男。
「あの時終ったんだけどサ、ホントはケントのこと今でも好きなんだ、私」とAちゃん。B子が割り込んだ。
「Aがアメリカに行くことになったら、カズ君はどうすんのよ? 彼相当落ち込むよ」
カズ君と云うのは、どうやらAちゃんの現在の彼氏のようだ。
「そうなんだよね。もし私がケントの所に行く時は、カズ君と別れる覚悟をしなくちゃいけないとは思ってる」とAちゃん。
「あのサァ、ケントとはサ・・・、同棲してたんだよねぇ。そのケントがAちゃんを置いてアメリカに帰っちゃったんだろ? ということはサ、Aちゃんを捨ててったんじゃん? なのに、半年経ったら、またAちゃんに逢いたくなったって、そんなのありかよ!」若い男が気色ばむ。
「でも、彼のこと今でも好きだし、電話が来た時、正直ホントに嬉しかったの。だから、今度は自分の気持ちに正直になろうかなと・・・」
「勧められないねぇ。半年とか時間が経つと思い出って美しく変わって行くものだろう? でも会えばまた、別れた時の現実が蘇えるもんだよ」と若い男が言う。若いのにいいこと言うな。それをキリに3人は席を立った。

  だけど、こんな話、昼飯時のラーメン屋でするかぁ~? それも赤の他人が直ぐ近くにいるのに、あそこまであっけらかんと。オジサン、若い女というのがサッパリ分からん!

  でもまぁ、ラーメンを待つ長い時間を、しっかり埋めてくれたことには感謝かな。

8月 11, 2011   No Comments