プレミアムエイジ ジョインブログ
Random header image... Refresh for more!

Posts from — 11月 2011

ブルース・アレイ・ジャパン

ジャズ 

      
  1月8日の「AD音楽祭」の舞台となる、目黒の「ブルース・アレイ・ジャパン」に打合せのため訪れた。100名分の座席予約もあっと言う間に埋まり、後は、会場側との詰めが残されているだけとなった。

  今回の話を仲介してくれたエイジさんのご子息R君と「みずすまし」のリーダーK君、それに僕の3名で訪問した。相手はSさんという現場責任者だった。「ブルース・アレイ」の社長さんも出席予定とのことだったが、都合が付かなかったらしい。

  R君には大変お骨折り頂き、当初、条件的開きがあって折り合いを付けるのはかなり難しそうと見えたが、懇意の社長さんを何とか説得してくれて、こちらの希望に近い形で了解して貰ったので、大変感謝している。

  さて、僕が初めて見たその会場はどうだったか? JR目黒駅から徒歩1~2分のホテルの地下1階が「ブルース・アレイ」だが、地下に下りる階段の各ステップの壁側に高級ワインやシャンパンのビンがリボン付きで飾られている。何かシックで別世界に誘う通路を思わせ、ワクワク感を醸し出す。

  地下1階に着くとそこは、黒を基調とした大きなホールだった。兎に角広い。一番奥の一角がステージとなっていて、ホールにはテーブルが沢山並べられている。Youtube などで、有名人がアメリカのジャズクラブに出演している動画を良く見掛けるが、正に客席の後方から撮ったその映像イメージを髣髴とさせる。

  客席は105人分あると、係りのSさんが言う。R君の説明によると、このホールの壁には3枚の抽象画が飾られていて、それはあのマイルス・デービス(トランペット)の直筆によるものだそうだ。この店の自慢の作品だ。

  会場の入口近くの中2階のような場所にも10名ほど座れるカウンター席がある。ぎちぎちに詰めれば115名収容可能だが、少し余裕を見て110名分とすることに決めた。先ほどK君に聞いたら、増やした10名分も直ぐに埋まり、後はキャンセル待ちの扱いにすることになったと言う。予想を超える売れ行きだ。皆さんどうもありがとう。

  僕とR君は一緒に店に入ったが、K君は先に来ていて、ステージ上でその日の準備をしていた音響などを聞いたらしく、「兎に角音が良い。ここは素晴らしい会場だ」と言って大満足の様子だった。僕も何だか、急にモチベーションが上がって、来たーーーっ!

11月 30, 2011   No Comments

プレミアムエイジ一時休止のお知らせ     編集部

 

  サーバーの入れ替え・移設、システムの修正などのために、11月25日(金)午後3時から11月30日一杯、プレミアムエイジを休止致します。

  再開は12月1日の予定ですので、暫くご不便をお掛けしますが、何卒ご理解を賜りたく、お願い申し上げます。

                       編集長  神童覇道

 

11月 24, 2011   No Comments

新会社の新事務所

            

   新事務所からの眺望   Photo by Kono
 
 
  エイジさんが11月1日に立ち上げた「(株)生活総合システム研究所」(3S研究所)の事務所は蔵前にあるが、僕を初めとするフレックス・グループのシステム・チームは、昨日初めて新事務所を訪れることが出来た。

  と言うのも、チームの一員であるHさんは、軽井沢に住む家庭の主婦だから、普通は家で在宅SEとしてやって貰っている。これまでも月に何日かは会社に来て貰っていたが、11月はなかなか出社のタイミングがなく、昨日、漸く出て来れたので、チーム4人揃って蔵前に見学に行った(先導役はエイジさんの秘書のRさん)。

  都営大江戸線の蔵前駅と、都営浅草線の蔵前駅は離れているが、どちらからもほぼ等距離で徒歩数分といったところだ。現場は11階建てのマンションで1階がセブンイレブン、その11階の1101号室が事務所だ。

  エレベーターで11階で降りると、その階の全ての部屋が住居としてではなくて、事務所として使われていた。会計事務所や税理士の事務所である。まだ会社名も何も掲げられていなかったが、1101号室の中に入ると、そこはかなり広々とした空間だった。

  まず目に飛び込んできたのは、大きなLDKだった。LDKには既に事務机が2つ。パソコンも繋がれている。その隣には和室がありそれらと離れた所には少し小ぶりの洋室。中には立派な机と4人掛けの会議用テーブルなどが置かれていた。

  一応、既に、事務所としては必要な什器備品は備わっている印象を持った。それ以外では、マンションだから玄関があり、バス・トイレがあり、流しがあり、そしてベランダがある。

  3S研究所は、フレックス少額短期保険会社(エイジさんが2年前に立ち上げた保険会社)を側面から営業推進や保険商品開発・チャネル構築などで支えながら、生協系共済の立ち上げコンサル、商品認可コンサル、そして、共済システムの受託開発などを主に行なって行く会社だ。

  この共済のコンサルテーションは大詰めを迎えているようで、年明けから何らかの動きが出そうな状況のようだ。保険と共済は全く別物と言うのが、エイジさんの主張だから、その実践となる第一歩が動き始めたのかも知れない。

  フレックス少額短期保険のシステムの仕事を続けながらではあるが、システム受託となれば、僕等システム・チームの出番だ。面白くなって来た。フレックスの仕事をする時は今まで通り新宿事務所で、共済の仕事をする時は蔵前でという2ヵ所運営になるのだろうか。

  6時過ぎからは、事務所近くの料理屋でささやかな進発会を行い、この日をターニング・ポイントとして、気持ちを新たに新局面に挑戦することを確認し合った。

11月 24, 2011   2 Comments

プレミアムエイジ一時休止のお知らせ     編集部

 

  サーバーの入れ替え・移設、システムの修正などのために、11月25日(金)午後3時から11月30日一杯、プレミアムエイジを休止致します。

  再開は12月1日の予定ですので、暫くご不便をお掛けしますが、何卒ご理解を賜りたく、お願い申し上げます。

                       編集長  神童覇道

11月 22, 2011   No Comments

同窓会デビュー(後編)

           Photo by TAKA

           Photo by TAKA

  最初の曲は「ウェーブ」。カルロス・ジョビンの名曲をTAKAがスロー・ボッサで歌う。イントロから最初のワン・コーラスを、TAKAのギター弾き語り、2コーラス目から、全員が参加するユニークな編曲だ。

  観客、と言っても皆同期の連中、は思いのほか静かに聴いてくれている。最初の曲だからバンドサイドに緊張感があるが、多分、聞く方も「あいつら本当に大丈夫?」と言った危惧が少なからずあるのだろうな。笑った顔もなけりゃ、リラックスした顔もない。

  この曲は1年間の練習で何度やったろうか? 多分、20回を下回ることはないだろう。そういう意味では、始まってしまえば僕らは落ち着いて演奏出来、まずまずの出来栄えで1曲目を終えたと思う。

  大きな拍手を貰って次の曲は「オール・オブ・ミー」。MCのヨッシーが会場の空気を一気に和らげる。バンド・メンバーにも「尊敬するミュージシャンは誰ですか?」とか聞きながら、会話形式で司会進行するなどして会場を飽きさせない。さすがに大物アナウンサーと何度も一緒にイベントの司会をやっているだけのことはある。

  「オール・オブ・ミー」はTAKAの歌と、途中に入る、マッキーのサックス・アドリブが売りなのだ。TAKAの渋い声のジャズ・ボーカルに大いにスイングしたマッキーのサックス。サックスの音も凄く良い。いいんじゃないかい。

  3曲目はMCのヨッシーが自ら歌う。バンジョーを弾きながらカントリーっぽく歌うヨッシーの「コットン・フィールズ」。練習を通じて今までで一番いいよ。9月ごろ、あれだけ合わなかった曲が、ピタリと決った。間奏を務めたシローのフルートもいい音している。今日は皆乗ってるねぇ。

  4曲目。紅一点のAYAが歌うハワイアン「エ・ク・スイート~」。会場の仲間達の顔を伺うと、やはり注目度ナンバー1だということが分かる。AYAは自分のハワイアン・バンドでは当然スティール担当だが、このバンドでは無理矢理お願いしてベースをやって貰っている。AYAがベースを担当するのは初めてだそうだ。

  なので、練習では、ベースを弾きながら歌うのが大変だったようだが、この日は気持ち良く歌っていたように感じた。ただ、マイクのボリュームが少し低かったかな。

  4曲終わったところで、「乾杯」となった。僕らも一旦席に戻ってビールで乾杯して、再びステージに戻る。5曲目は僕の「アンチェイン・マイ・ハート」だ。が、会場はさっきとは打って変わってワイワイガヤガヤ。お酒が入ったらもう誰にも止められない。

  けれども、この曲は前半の4曲と違い、8ビートでやや煩い曲なので、寧ろ丁度良いと思った。歌い始めると、マイクの性能が良いせいか、自分の声が良く聞こえて気持ち良く歌えた。皆聞いているかいないか分からないけど、僕としては満足感があった。

  その後、「パーリー・シェルズ」、TAKAのオリジナル「ときめきの夜」、全員でアドリブを演奏する「A列車で行こう」、アンコールで「見上げて夜の星を」を全員で歌い、約1時間の演奏を終えた。小さいミスは何箇所かあったが、初めてとしては上出来の部類だったろうと思う。

  自分の席に戻ると、「いやー、良かったよ」「楽器出来る人達が羨ましい」「いいね、毎月集まって音楽やれるのって」「元気貰った」「驚いた。神童がドラム叩くなんて思ってもみなかった」等々、お世辞8割ながら歓迎されたのを実感し、押し掛けて良かったとつくづく思ったのだった。

幹事組(3年1組)の人達は、僕らが借りたドラムやアンプ類などのレンタル費用を全員で自己負担してくれた上に、バンドへの謝礼まで頂いてしまった。心に熱いものを感じた。12月のバンド忘年会ではその費用に充当させて頂きます。

  1組の皆さん、そして会場にお越しの同期の皆さん、本当にありがとうございました。来年また、元気にお会いしましょう。

11月 22, 2011   No Comments

同窓会デビュー(前編)

        ザ・タペストリーの デビュー風景

  ザ・タペストリー デビュー風景  Photo by Satou

 
  遂に、同窓会バンドが同窓会にデビューした。47年前高校3年生だった同学年の者達が一年に一度集う同期会。会場はJR長野駅の直ぐ近くの「メルパルク長野」。昨年の会の時にバンドを作ろうという話になり、毎月一度梅が丘の貸しスタジオで練習を重ねてこの日、本番を迎えた。

  9月の会場下見の時に、会場から程近い「島村楽器」の貸しスタジオを本番当日の午後1時から予約しておいたので、まずはそこで腕慣らしをした後、会場入りすることにしていた。バンドメンバーは全員東京在住だから、新幹線で来る者・車で来る者様々なルートで午後1時にスタジオに集合した。

  僕がスタジオに入った時は、集合時間より10分も前なのに、既に4人が揃っていた。だが、1時を過ぎてもシローが来ない。どうしたんだろうと少し心配になった頃、僕の携帯が鳴った。名前を見たらシローだった。

「美鈴楽器に来ているんだけど、誰も来ていないんだよ」とシロー。
「違うよ、美鈴楽器じゃなくて島村楽器だよ!」と僕。
「うそー!」
「嘘じゃないよ。直ぐ来てよ、皆揃ってるから。島村楽器の場所分かる?」
「分かる、分かる。さっきその前を通ったばかりだから」

  というハプニングはあったが、10分後、無事シローも到着して、通しで1度全曲演奏してみた。ほぼ、ノーミスで最後までやり終えた。スタジオは2時間借りていたが、腕慣らしが上々の首尾だったので、良いイメージを残して本番に臨むために1時間強で切り上げて、雨の中を「メルパルク」に向かった。

  「メルパルク長野」は、今日の同窓会会場であると同時に、バンドメンバーの宿泊場所でもある。チェックインを済ませ、4時の機材搬入まで各人部屋で寛ぐことにした。

  4時前に、同窓会が行なわれる宴会場に行ってみると、本日の代表幹事のHMと幹事長のKMが既に来ていた。実はこの幹事2人に、今回タペストリーの演奏をさせてくれと僕が頼み込んだのだった。

  最初は、彼等が考えていた式次第があったようだが、次第に僕らのバンド演奏を中心に据える会にしようと切り替えてくれた上に、ドラム・セットやアンプ等のレンタル代も、幹事組(3年1組)のメンバー全員で個人負担までしてくれたのだった。そうまでして貰って演奏を失敗する訳には行かない。

  機材搬入とドラムの組立てで汗だくになったが、何とか音出しと音のバランス調整など済ませ1曲だけリハを行なった。僕の歌う「アンチェイン・マイ・ハート」だ。曲を始めて暫くすると、ハウリングが起きた。5時半の開場時刻ギリギリまで、ハウリング回避の調整。そして、大勢人が続々と入って来た。

  午後6時。総合司会のKMが「大変お待たせいたしました。只今より、2011長野高校17回生同期会を開催致します」と高らかに開会宣言を行なった。続いて代表幹事のHMの挨拶があり、KMが「早速、ザ・タペストリーの演奏に移りたいと思います。それでは、タペストリーの皆さんお願い致します」と促す。

  普通なら、ここで「乾杯!」となるところだが、幹事団の配慮で、アルコール無しで演奏を20~30分聞いて貰った後、乾杯の予定と言う。ここでも幹事に感謝だ。さて、いよいよ僕ら同窓会バンドのデビュー最初の曲が始まった・・・

11月 21, 2011   No Comments

最終リハ

 タペストリー5                              
      
    Photo by TAKA         

  今度の土曜日(19日)は、JR長野駅近くの「メルパルク長野」というホテルで、長野高校17回生による同期同窓会が開催される。そこで、僕らのバンド、「ザ・タペストリー」がデビューする。

  「ザ・タペストリー」とはそもそも、1年前の同期同窓会(毎年長野開催、4年に1回は東京開催、昨年は東京開催)で、何故か、「バンドでもやろうよ」という話で盛り上がり、正月明けには本当に結成されてしまったから驚く。「瓢箪から独楽」ならぬ「冗談からコマ」である。

  高校の同期なので、当然メンバー全員同い年だ。厳密に言えば既に前期高齢者(65歳)入りした者と、誕生日までは1歳若い者とがいるが。メンバーは女性1名を加えて全部で6名のバンドだ。
 
 
[写真、前列左から]

① TAKA  英語・フランス語・ポルトガル語など、日本語を含めて6ヶ国語
          を操り、世界の歌を歌う。その中でも彼の得意とするのは、ポ
          ルトガル語で歌うボサノバは秀逸。都内各所で定期公演を行
          なう、シンガー・ソング・ライター。ギターとボーカル担当

② AYA   彼女はハワイアンやカントリー・ソングの世界では名の知れた
          スティール奏者。アメリカ本土のカントリーの大会にも招かれ
          たり、本場ハワイでの公演も幾度も行ない、都内のイベントに
          招かれることが多く超多忙。当バンドではベースを担当

③ シロー   高校時代ブラスバンドの指揮者。当時はクラリネット吹いてい
         たが、現在はフルートに入れ込み、現役の高校教諭の仕事
         の間隙を縫って音楽教室に通って、クラシックを習う音楽好
         きの音楽通。フルート担当
 
   
[写真、後列左から]

④ QP神童 学生時代のバンド活動後、35年のブランクを経てドラマーと
         して復帰。あるプロのバック・バンドとして、日比谷野音・東
         京国際フォーラム・NHKホール・オペラシティーなどに出演。

⑤ マッキー サックス奏者。高校時代の音楽祭に於いて、フルバンドで演
          奏した「闘牛士のマンボ」の彼のサックス・ソロは今や伝説。
          現在は、当バンドの他に3つのバンドで活躍中

⑥ ヨッシー   W大ではニューオリンズ・ジャズ・クラブのバンジョー奏者とし
          て活躍。演奏者としての実力もさることながら、特筆すべき
          才能は司会振りにこそある。大イベントでは超有名アナウン
          サーとコンビを組んでも引けを取らない。バンジョーとMCを
          担当

  良くもまぁ、同じ学年にこれだけ、今も音楽活動に打ち込んでいる連中がいたものだ。惜しむらくはピアニストが見付からなかったのが残念だが、贅沢は言うまい。

  しかし、これだけのメンバーが集まると、ジャンルをどう絞るか、バンドのカラーを何にするか、など纏めて行くのが大変だが、バンマスのTAKAの意見で、デビューまでは、夫々のメンバーが主役を務める時、好きな曲を演奏することで、バンドとして幅広い分野に挑戦する方が良い、デビューした後、新しい方向を模索しようということになった。

  その結果、良い言葉で言えば、「幅広でバリエーション豊富な曲目」、悪く言えば「脈絡もなく節操もない曲目」となった。ボサノバ・ジャズ・カントリー・ハワイアン・リズム&ブルース、ポップス・J懐メロといった具合。

  月1回の練習と練習後のミニ同窓会を重ね、10月11月は2回に増やして、昨夜ラスト・リハーサルを終えた。やはり本番が目前に迫ると自然と一生懸命さが違い、昨日はまずまずの出来栄えとなった。

  さぁ、明後日、頑張ろう。大舞台を前にしたこの緊張感がたまらない。

11月 17, 2011   No Comments

強行日程が終った(後半)

 

 

             ジャズ・イン・相鉄ジョイナス】ジョイナスで無料ジャズライブ!(モヤ ...
       相鉄Styleより拝借

  
  僕は、取り敢えず1月8日まで待って貰えれば、その後は可能だと答えた。

  「のどごし生バンド」(おじさんバンド)は月一のライブを続行することに加えて、今月半ばより、1月8日の「AD音楽祭」(あいおいニッセイ同和音楽祭)に向けて、急遽、会社のバンドを再結成して特訓が始まるので、日程がかなりハードになるからだ。この期限限定の音楽活動が終れば、Wさんの希望に沿えると思う。

  それにしても、僕はWさんの奥様Rさんの完全快復を祈るばかりだ。「REJAN」はRさんのジャズ・ボーカルや70年代ポップスを中心としてやって来たバンドだから、Rさんが復帰しないと、再開するにしても前のような訳には行かないから、曲目やジャンルは再検討が必要だろう。

  Wさんとの会談の翌金曜日は、午後から出身会社のOB会の常任幹事会に出席した。場所は日本橋のOB会事務局だ。予算の進捗見通しや、来年の収支予測など会計部門の報告や、各部会の活動状況の報告、翌日に控えた「OB会懇親会」の件など議題論議の後、出席者有志で飲み会を行なった。

  その帰りは、僕は厭でも東京駅の中央線乗り場に昇るエスカレーターに乗らなければならない。忘れもしない7月12日。酔って転倒した勢いでオデコを怪我して救急車で病院に担ぎ込まれた事故現場だ。

  同じエスカレーターで昇って行くと壁の両サイドに、「酔ってエスカレーターで転倒する事故が増えています」とか、「酔ってエスカレーターに乗るのは危険」とか、「駆け上がり、駆け下り大変危険」とか、沢山の張り紙がしてあった。

  8月頃、何人かの知人に、この張り紙について、「神童さんの転倒事故の後、注意書きが貼られている」と教えられ、既に何度か自分でもこの目で確認しているが、見る度にあの時が蘇えってしまう。二度とここで転倒しない自信はあるが、決して楽しい場所ではない。

  さて、強行日程最後は土曜日。午後1時から赤坂のとあるホテルで「OB会懇親会」。それが終ってから、大森教授宅スタジオでの「のどごし生バンド」の月例練習。

  「OB会懇親会」は午後1時からだったが、300人を超す盛大なパーティーだった上に、OB会だけあって懐かしい人と何人も巡り合うことが出来、その興奮もあってアルコールも進み、終った時はかなり良い気持ちになっていた。

  それにしても、天気の良い昼間のお酒って、何故か良く効くんだな。喫茶店で少し酔いを醒ましてから、地下鉄で新橋駅へ。そこからは京浜東北線で新子安駅に。駅から大森邸まで8分ほど歩いたが、酔い覚ましが利いたのか、千鳥足にならずに真直ぐ歩けた。

  僕が着いた時は、まだ誰も来ていなかったので、早速大森先生と2人で飲み始めた。角のハイボールは旨い。先生に聞いたら「のどごし生バンド」は今日はあとマンディーが来るだけのようだ。皆忙しい時期に入ったからね。

  それに代わって、今日はマクとKさんとMさん、女性陣3人が来るらしい。サックスのマクは、僕らのマンスリー・ライブの最初1~2回は出演していたのだが、その後は参加出来なくなって久しかったが、また再開してくれるようだ。

  KさんとMさんは何度か「のどごし生バンド」で「恋のバカンス」を歌い、「アンチェイン・マイ・ハート」のバック・コーラスをやってくれている。僕は正式に「のどごし生バンド」のメンバーになって貰いたいけど、どちらも家庭の主婦だから、コーラス隊をやりながら、おじさんバンドもというのは難しいらしい。従って今は準メンバーとしてタイミングの良い時に手伝って貰っている。

  僕は殆ど酔っ払いながら、マクのサックスをフィーチャーした「ソダンソサンバ」、K&Mの「恋のバカンス」、Kさんの「ユー・ビー・ソー・ナイス~」を大森先生と一緒に演奏し、マンディーの歌を何曲か合わせてお開きとなった。午後11時を回っていた。新子安から遠く東京郊外の我が町まで、マンディーを除く全員をマクが車で送ってくれた。

  午後1時から飲んでいたので、最後はさすがに酔ったけど、マクのお蔭で駅のエスカレーターで転倒しないで済んだ。心から感謝。強行軍の1週間が終った。

11月 15, 2011   No Comments

強行日程が終った(前半)

   
      

  先週は月曜・火曜が会社の同期会コンペで栃木県の温泉一泊二日連チャン・ゴルフ。僕は昨年のこのコンペで、しなくても良い優勝をしちゃったため、幹事だったから何かと準備が大変だった。

  幹事は優勝者とブービーが2人で務めるが、ブービーだったT君は同期でも年齢が大分上なので、当日車に缶ビールを積んで現地に来て貰うこと以外は僕が全部やる必要があったからだ。

  と言うのは、真っ赤な嘘で、実は、ゴルフに限らず全ての同期会イベントで幹事をやってくれているH君という、本当に面倒見の良い男が、殆ど僕の代行をやってくれたのだった。

  メンバーへの案内状から出欠確認、ゴルフの組み合わせ全てをやってくれた。ただ彼は、必ず僕に電話で確認してから皆さんに通知を出してくれていた。必ず「幹事の神童から依頼されて通知しています」と但し書きを入れて。

  だから、僕は殆どやることがなく、その日のルールを決めて発表することくらいだった。ルールは優勝とブービーが次回幹事だったのを改め、1日目・2日目の優勝者2名で幹事をやることにした点は特筆される。というのも、僕が予想外の(予想通りの)ブービーだったから、ルール変更しておいて良かった。あ~ぁ。

  水曜日は正常勤務、木曜日は夕方、暫く休止中の「REJAN」(バンド)の主宰者であるWさんと本当に久し振りに飲みながら、今後のことなどを話し合った。

  今年正月明けに結成した「REJAN」は、女性5人(ボーカル3人、ピアノ、キーボード)を前面に押し出して、バックを男3人(ギター、ベース、ドラム)が務めるものだった。

  それが、3.11の大震災がキッカケの家庭の事情で、ボーカルの1人Sさんが脱退せざるを得なくなった。続いて、本格的ジャズを指向するピアノとキーボードが抜け、そして、メインボーカルのRさん(Wさんの奥様)が入院する事態に至って、バンド活動は休止の已む無きに至った。

  5月・6月には、「のどごし生バンド」(おじさんバンド)とのジョイント・ライブを成功させたりしていたのに、大変残念なことになった。

  余談ながら、一般に良いことと悪いことは一緒にやってくるというが、正にWさんがそうだ。奥様が入院されるような事態の一方で、W氏の会社で開発しているスマートフォンに関する技術が世界的に評価され、アメリカその他の有名企業から技術提携の話が殺到していると言う。

  その後、僕が東京駅のエスカレーターで転倒して救急車で運ばれたり、ボーカル3人の内一人だけ残ったAさんも一時体調を崩したりして、「REJAN」メンバーは、ベースのYさんを除いて全員に悪い連鎖が及んだ年だった。

  Wさんの僕への相談は、Wさんの家のスタジオで何らかの形で練習再開出来ないかというものだった。奥様のRさんも、歌うのは難しいけど、皆さんの練習風景を見るのをとても楽しみにしているからとのことだった。

11月 14, 2011   No Comments

起業

 

 
           東京都庁の写真 | PHOTO STOCKER – 高解像度フリー写真素材を無料配布 ...
 

  11月1日に「総合生活システム研究所」という名前の会社を立ち上げて、新しい目標を定めて走り出したエイジさん。彼が大手損保の常務の椅子を蹴って辞め、企業再生事業の新会社を立ち上げたのは2004年秋だから、起業してからかれこれ7年が経つ。

  それまでに彼が手掛けた再生企業は10指に余るし、3年前に少額短期保険会社を起業して再び保険の世界に戻り、昨年2社目の少短保険会社を設立し、現在は、3社目の設立に向けて手続き中である。金融庁のチェックが入る分、普通の株式会社設立に比べたら何倍もの労力が掛かるものなのだ。

  生まれは僕と数ヶ月しか違わないのに、そのエネルギーやバイタリティーの源は何だろう。60代も半ばに差し掛かろうかという年齢で起業するという人は、決して多くない。僕の周りを見回しても、第2、第3の職場で働く人はいても、この年齢で次々と会社を起す人なんて一人もいない。

  大企業と違い、ピンチは何度でも襲って来る。その都度無類のリーダーシップを持って切り抜け、私財を投入してでもピンチを克服し前進しようとするエイジ氏の姿に、正直、心打たれるものがある。

  私見だが、彼は自分の会社を守りたいという意識よりも、自分が描いたビジョンが、或いは自分が作ったユニークな保険ビジネス・モデルがこれからの時代の本命だと証明したいのではないかと思う。保険業界、強いては広く社会に、それを問おうとしているのではないか。

  そのためには、そのビジネス・モデルを実践し、何としても成功に導かなければならない。少々の向かい風ぐらいでそれを捨てる訳には行かないのだ、という強い思いがヒシヒシと伝わって来る。

  その、ビジネス・モデルとは、単純明快な保険商品、コンプライアンス問題の起こり得ない販売方法(保険代理店方式からの脱却)、ITとコールセンターによる顧客に優しく漏れのない対応と販売推進ということだ。中でも、エイジさんはコールーセンターをこのビジネス・モデルの中核と位置付けている。

  つまり彼は、既存保険会社の持つ様々な不合理や無駄、シガラミを一切排除し、且つ、インターネットだけの直販会社に比べ、遥かに面倒見の良い保険会社の誕生を画したのだ。

  家財保険(火災保険ジャンル)に、家の構造別や地域別の保険料率を持ち込まず、構造に関係なく全国同一保険料率にしたし、コンプライアンス問題を内在する保険代理店制度は採用しなかった。勿論、保険の販売ルート(チャネル)としては、家財保険需要の高い不動産業者を使うが、他損保と違い、エイジさんは不動産屋さんを保険代理店にはしない。

  ただ、その店頭にパンフレット(申込書)とパソコンを置き、顧客が自ら加入手続きを行なえるようにした。こういう不動産店をBP(ビジネス・パートナー)と呼ぶ。BP店には応分のフィーは払うが、代理店手数料は支払わない。

  そして、手続き上、分からないことがあった時や、他の様々な問い合わせ窓口はコールセンターが務める。そして、コールセンターは、不動産店への情報提供やパンフレットの在庫状況聴取、顧客への様々な案内、並びに、新たなBP店募集のためなど、アウトバウンド電話サービスで手厚い対応や営業推進に当る。

  今回立ち上げた「(株)総合生活システム研究所」は、エイジさんが作ったこの保険会社に、新たな保険商品を提供し、側面から支える(エイジさんは、新CEOに保険会社を任せ、自らはそこから出て新会社の社長に就任)。

  この商品(新医療保険)は、男女別格差が一般的なのに、男女一本料率で、且つ、テレビCMで頻繁に登場する外資系生保の医療保険の半額を実現した。

  「(株)総合生活システム研究所」の事業のもう一つの柱は、生協からの依頼で、独立事業主として生協に働く人々の組織を対象とする少額短期保険会社を作ること(これがエイジ氏の関わる3つ目の保険会社設立)と、生協共済・保険商品立ち上げとその事務システム運営の受託である。

  恰も彼は、我々に、行動によって、「新事業の種なんて幾らでもある」と言っているみたいだ。団塊世代の起業こそが、彼が描いた己の「プレミアムエイジ」の姿だったのだろう。

11月 10, 2011   No Comments