プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 12月 2011

今年

           

 

                                 

 

  一年が終ろうとしている。今年は大震災と原発事故があったので、それに翻弄され他の記憶があまりない年だった。人は敗戦に匹敵するショックを国民が皆が感じた年だったと言う。

  戦後の復興・高度成長を経て、その後長く世界第2位の経済力と戦争と無縁の平和を謳歌して来た日本人だった。所謂「平和ボケ」の中に日本全体があった。アメリカの庇護の下、最早戦争という最も分かり易い危機意識が必要なくなった日本人は、民族としての強い生存本能乃至生存危機感を失い、危機に対する想像力や本質論を欠き、或いは、嫌い、深く考えずに生きる民族に変質してしまったようでさえあった。

  そこに、マグニチュード9.0の大地震と大津波が襲ったのだ。被害に遭い多くの犠牲者を出した東北・茨城・千葉の皆さんには今も尚、心を痛め着実な復興を願わずにはいられないのだが、実は僕は、今時大災害の元凶は地震や津波ではなく、日本の平和ボケだったと思っている。それがたまたま、東日本に起きただけだと思っている。

  そして、福島という故郷を捨てさせたのは、原発事故と言うより、平和ボケから来る危機意識と危機管理の喪失だったと思っている。

  日本人の慢心と、平和ボケと、無気力に、自然が「目を覚ませ」と活を入れたのではないかと思うのだ。或いは、日本人が隙を見せたばかりに自然が攻めて来たとも解すべきかと思ったりしている。

  石原さんは、震災直後に「日本人の我欲が引起した」と言って、被災地の人々を「我欲」の塊みたいに言うのは許せない、とかなり非難されたようだが、僕と同じように、被災した人達のことではなく、高度成長後の日本人全体の生き方と、生存に関わる危機管理の見直しを、この震災が迫ったと言いたかったのだろうと思う。

  原発事故については、事故調査委員会が中間報告を提出し、危機管理の稚拙さをこれでもかと炙り出しているが、この内容を知った強制避難地域の人々の気持ちは如何ばかりかと思わずにはいられない。「ふざけるな!」と叫ぶ声が聞こえる気がする。

  危機の真っ只中にある時、その最高責任者(この場合は一国の首相)として大事なことは、「うろたえるな!」と一括し全員を落ち着かせ、正しい現状認識をし、有効な対策を打ち出すことだ。であるのに、本人がパニックに陥ったのでは危機管理も何もあったものではない。そういう人を総理大臣に頂いていたということも、平和ボケ日本を証明してしまった。これが会社だったら、多分、潰れる。

  神様、どうか来年は日本にこれ以上悪いことが起きないようにお願い致します。起きればまたぞろ、日本のみっともなさを世界に露呈しますので・・・

 

    * 「勝手にシンドバッド」をお読み頂いた皆様、神童覇道は明日
                  から正月休みに入ります。暫く、ブログの方もお休みします。
                  正月明けにまたお会いしましょう。では、良いお年を!

12月 29, 2011   2 Comments

宝友会の忘年会

 

             

                実は適度な飲酒には「健康状態を2倍良くする」効果が! | 美レンジャー

  先週末は宝友会の忘年会を府中の有名なもつ鍋の店で行なった。宝友会はKさんとMさんというコーラス隊のメンバーと、おじさんバンドのヨッ君や斉藤さんが、8月に、僕の快気祝い(エスカレーター転倒事件の傷の完治祝い)をやってくれたことが始まりだ。その後、KさんとMさんには、おじさんバンド「のどごし生バンド」で歌って貰っている。

  斉藤さんがこの日は参加出来なかったようで、また、ヨッ君が仕事で少し遅れると言うことで、取り敢えず3人でもつ鍋店に向かった。途中、Kさんの旦那様が、たまたま仕事で、もつ鍋店の直ぐ近くの得意先電気店にいると言うので、3人でその店に行きご挨拶。彼はこれから電気店の忘年会に参加するのだそうだ。

  さて、6時半、そのもつ鍋屋さんに到着。入口が屈んで入らないといけない位低くて狭い。まるで穴倉に入る如き入口だ。何でも隠れ家の雰囲気にするためだそうだが、こりゃぁ、腰の痛い時は難儀だなと思いつつ中へ。

  中に入ると直ぐ玄関の「上がりかまち」のようになっていて、靴を脱ぎ一歩上がったところがカウンター席だ。奥には座敷様のスペースがあり、既に、満員の宴会が始まっていた。カウンター席も一杯で、4人分しか空いていなかった。そこが予約席だった。

  3人は早速ビールで久し振りの宝友会を祝い乾杯して忘年会を開始した。コーラス隊とおじさんバンドは7年も前から、一緒のステージに立ったりしていたから、元々仲が良いし話が合う。

  30分ほどしたところでヨッ君がやって来た。彼が来るまで店に待って貰っていたメイン・メニューのとんこつ味噌のもつ鍋を出して貰った。一口、う~ん、旨い。そして、寒い日には堪らないな。チゲ鍋風とか、さっぱり系とか幾つかの味が選べる店だそうだが、こりゃ旨い。有名店の理由が分かるよ。

  最後はおじやで締めて満腹で店を出た。今年一番の寒さという夜だったけど平気の平左。美味しい料理に、美味しいお酒。ほろ酔い気分で2次会に向かった。でもこの夜は、忘年会シーズンもピークでどこも満席だ。不況が嘘のよう。

  それならば、とMさんが心当たりがあると言うので行ってみた。ショット・バーのようだ。そこは階段を上がった2階にあった。中を覗いたら、サラリーマン風の男達が大勢いて、ここもダメかなと思ったら、中から「何名様ですか?」と声が掛かった。「4名」と答えると「用意します」との返事。良かった。

  入口から一番奥まで、なだらかなS字カーブの洒落たカウンターになっていて、カウンターの奥の壁には洋酒の瓶が棚一面に並んでいてとても豪華だ。案内されたところはカウンター席の後ろのボックス席群の真ん中だった。両側は忘年会の流れだろうか、夫々違うグループが占めている。

  普段はこれ程混んではいないのだろうと想像したが、雰囲気は六本木あたりの店と変わらない高級感なのだ。府中にこんな店があるとはねぇ。様々なカクテルやウィスキーを注文して飲んでいたら、Kさんの旦那様が現れた。彼も電気店の忘年会が終ってKさんからの連絡で合流したらしい。

  営業マンの年末は本当に大変だな、得意先の忘年会にも全部付き合わないといけないんだから。それじゃぁ、身体が幾つあっても足りないだろうに。健康には充分気を付けて欲しい。尤も、得意先の忘年会に呼ばれるのは、社長に気に入られ、信頼関係が出来ているからに他ならないのだが・・・

  このバーの雰囲気とカクテルに酔った勢いで5人でカラオケに繰り出し、忘年会が終了した時は、当然深夜零時はかなり回っていた。3回目の宝友会もまたもや深夜に及んでしまった。反省! 3回目の反省! でも気の置けない仲間って、何ものにも代えがたい。

12月 26, 2011   3 Comments

反省会兼忘年会

 

         Photo   by   Y. Satou

         Photo by Y. Satou

  昨夜、小田急線の梅が丘駅近くにある「美登利寿司総本店」という所で、長野高校の同窓会バンド「ザ・タペストリー」の反省会兼忘年会を行なった。

  1ヶ月前の11月19日に、僕らは東京から長野に押し掛け、同期同窓会のイベントとして50分間の演奏を行なった。これが「タペストリー」のデビューのステージとなった。1ヶ月振りの再会だが、もう、何だか懐かしく感じるから不思議だ。

  その時の演奏の出来栄えが飛び抜けて良かった訳でもないのに、幹事は、ギリギリの予算の中から3万円の謝礼をバンドに出してくれた。メンバー6人だから1人当り5千円だ。昨夜の会はこのお金を有効に使わせて頂いた。

  「美登利寿司」は、流石に人気抜群の寿司屋さんだけあって、店頭は長蛇の列だった。寿司そのものはネタが新鮮で物凄く大きくて、味も見た目も大満足だった。寿司が美味しいとお酒も進む。お酒を飲みながら、あの日の演奏を思い出したり、来年の活動などのことなどを話し合った。

  そして、全員で2次会に行ったのだが、その費用まで含めて全て頂いた謝礼内で納まってしまった。幹事団の皆さん、本当にありがとうございました。

  同期同窓会は毎年秋に開催されるが4年に1度は、開催地が長野から東京に変る。それにしても、昨年はたまたま東京開催の年に当っていたから、バンド結成が出来たようなもので、もし、長野開催だったら、僕らは参加していないから、「タペストリー」は誕生していない。不思議な縁を感じる。

  昨年12月下旬に狛江の貸しスタジオで初めて音合わせしたのが始まりだから、昨夜は丁度1周年記念の会でもあった。それを記念して現在作成中の、「愛とも知らないで」(TAKA作詞、神童覇道作曲)というラブバラードの譜面をメンバー全員に渡した。

  TAKA作詞作曲の曲は長野でも演奏しているから、TAKAの作詞は誰も驚かなかったが、作曲が僕と言うのには、皆とても驚いていた。楽譜も「Print Music」というソフトで作ったものをアウトプットしたので、大変綺麗だから、「うそぉ! ホントに神童が作曲したの?」が、大方の反応だった。ビックリさせるのはやっぱり楽しい。

  早速僕が1番、TAKAが2番をアカペラで歌った。その反応はそんなに悪くなかったように思ったが、来年実際に演奏してみないと分からないというのが本当のところだろうな。

  更に改良を加えたり、全体構成を考え直したりして、何としてもモノにしたいという思いが強くなった。

12月 21, 2011   No Comments

満員御礼

         のどごし生バンド    Photo  by  ITO

  のどごし生バンド Photo by ITO

   のどごし生バンド Photo by Maemae

   のどごし生バンド Photo by Maemae

   毎月第3土曜日は、僕等「のどごし生バンド」(通称:おじさんバンド)のマンスリー・ライブの日だ。4月から始めて8月と11月はメンバーの都合で休んだので、今回が7回目のライブだった。

  初回こそ、メンバー全員が観客動員をしっかりやった結果、ライブハウスの通常収容人数40人を超え50人に迫る大盛況だった。その後のライブは上下あるものの、この人数を超えることは一度もなかった。

  それが、この日、遂にその記録を塗り替えたのだ。バンド・メンバーはゲスト・バンド含めて13人。初回はバンド・メンバー含めての入場者数だったが、今回はバンド・メンバーを除いて同じ位かそれ以上の人数が来てくれたのだ。

  これには、主催している僕らが最も驚いた。と言うのも、最初の数回ほどは来てくれる人に最終確認をしたりして、事前に観客数を把握し、少なければ更に電話入れするなどして人集めをしていたものだが、毎月はやる方も来る方も負担が大変なので、夏以降は、メールでライブの案内だけ行い、勧誘や出欠確認は全く行なわないことにしている。

  そのせいか、9月のライブの時は過去最低の8人(メンバー除きで)ということもあった。誰も来なければバンドの徹底練習の日にすることにしている。

  ライブハウスのマスターからは、「12月17日はクリスマス・パーティー風に料理も用意するので、通常の倍の入場料で盛大にやりませんか」と提案を受けたが、「客が何人来るのかサッパリ読めない中では、折角用意してくれた料理や材料が無駄になったら申し訳ないから」とお断りして、極々普通のいつものライブにして貰ったくらいなのだ。

  が、フタを開けてみれば超満員。マスターが言うにはこの店始まって以来の入りだそうで、ライブ終了後にはマスターからバンド・メンバーにお酒が振舞われた。

  来てくれた人の中には、地元の人気者デュオの1人、シンガー・ソング・ライターでもある娘さんを育てられたお母様ご夫妻や、40年以上も前、大学のゼミで一緒だった若き日の友人Iとその美人の奥様、或いは、会社で大変お世話になった偉い先輩達が夫々のお友達を連れて現れた時などは、驚きと感激とで、僕は言葉が出なかった。

  皆さん、僕らのマンスリー・ライブには初めて来てくれた人ばかりだ。バンド・メンバーの知人友人も大勢来てくれてこの盛況になった。そこに、昼間のコンサートを終えたコーラス隊「TSUBASA」のメンバーが大挙して押し寄せたから、彼等の座る場所を作るのに大変苦労した。嬉しい悲鳴とはこのこと。僕も客の注文を聞いて飲み物を運んだりした。

  皆さん、本当にありがとうございました。

  こうなりゃ、元々乗り易いタイプの「のどごし生バンド」だ。マンディーも大森教授もフッ君も、途中から加わった斉藤さんも、沈着冷静な筈のマッちゃんも皆はち切れた。僕だって負けじと燃えに燃えたぜ。サポートで入って貰ったYK君やTK君も、このおじさん達にはビックリしたろうな。

  さて、この日のゲスト・バンドは、僕の出身会社の社員バンドだ。「ダンディー・クイーン」と言う。このバンド、1月8日の「あいおい音楽祭」(今回から「AD音楽祭」)に出演するために先月急遽結成され、前日の練習含めて3回のスタジオ練習を経て、この日のデビューと相成った。

         ダンディー・クイーン   Photo  by  ITO

 ダンディー・クイーン  Photo by ITO

   前日の練習は惨憺たるもので、大変心配したが、いざ本番となれば、緊張感と相俟ってまずまずの出来映えだったのではないか。「成功」と言えるデビューだったとは思う。が、小さいミスは幾つもあったので1月にはそれらを全部克服して、「大成功」と言えるステージにしたいものだ。

  それにしても、「のどごし生バンド」2ステージ、「ダンディー・クイーン」1ステージの計3ステージ、どちらもドラムは僕だから、出ずっぱりでマジ疲れた。

           ?   Photo  by  ITO

    ?   Photo by ITO

12月 19, 2011   2 Comments

新聞投稿欄

        

    

          

 

  僕は新聞の投稿欄が意外と好きで目を通すことが多いのだが、意見や主張の投稿が多い中に、時々、心温まる出来事を投稿したものが載る。今朝もそういう投稿を見付け、何か朝から気分が明るくなった。投稿者は30過ぎの中国人お母さんだ。それは、次のような内容だった。

  先日、電車に乗っていて、息子がドアの戸袋に手を巻き込まれしまった。その時近くいた日本人男性達が一緒にドアを開けようとしたり、非常ボタンを押して必死に協力してくれた。駅員も手動でドアを開け、病院まで付き添ってくれた。

  翌日には、子供様子を気遣う電話までくれた。来日してからずっと日本人は冷たいとばかり思っていたが、日本人がこんなにも優しい人達だと初めて知った。皆さんありがとうございました、とあった。

  20年ほど前になろうか、僕にも同じような経験がある。電車のドア近くに立っていたら、ある駅でお母さんと5~6歳の子が乗り込んで来てドアの直ぐ近くに立った。ドアが閉まった途端、男の子の腕が型の付け根まで戸袋に引き込まれたようだ。

  「ようだ」と言うのは、僕は立って文庫本を読んでいたからその瞬間は見ていないのだ。お母さんの悲鳴に近い異常な叫び声を聞いて本から目を離したら、ドアを背にした男の子の右腕が全部戸袋に隠れてしまっていたのだ。

  咄嗟のことで、頭が真っ白とはこのこと。多分電車は何事もなかったかのように走り始めたところだと思う。僕はお母さんと一緒に、と言っても、お母さんは男の子の身体を、僕は彼の肩近くを引張った。

  抜けない。2度目もダメ。焦りという奴は脂汗を噴出させるものらしい。今度は力任せでなく、1cmづつでも抜けないかと抑え気味に引く。動いた。更に1cm。動いた。もう1cmと、引いたら3回目はそのまま腕が全部出て来た。

  良かった。血も出ていないし、擦り剥いた箇所も無さそう。ふー! 力任せではダメで、少しずつならOKだった。その理由は分からない。焦りの中で、ただ、同じやり方ではダメだと思ってやってみただけだが、これが天の助けか。

  そのお母さんには、次の駅に着くまで何度礼を言われたことか。恥ずかしくなって僕はここが自分の駅と装って電車を降りた。

  それにしても、あの男の子は偉かった。ビックリした筈なのに、泣きも喚きもしなかった。彼の声の記憶が無い。何が起きたのか飲み込めなかったのだろうか? 僕の読み掛けの文庫本がないのに気が付いたのは、次の電車に乗った後だった・・・

12月 16, 2011   2 Comments

外人女性

 

 

            

 

  朝の新宿駅。僕はいつものホームからエスカレーターに乗った。以前は右側を登って行ったものだが、今は左側に立ったままベルトに摑まって上階に行くことにしている。何故か。7月に酔ってエスカレーターで転倒事故を起したからだ。

  急いでいる人のために、立ったままの人は左に並び、右側を空ける風習はいつ頃から出来上がったのだろう? どこの駅でもどこのデパートでもそんな暗黙のルールが出来ている。

  だから、右側の人の列が僕等左側にいる人間をドンドン追い抜いて行く。ラッシュ時だから、人の列が途切れることがなく登って行くのは極く当り前だ。

  だが、今日は様子が違った。僕がエスカレーターに乗って直ぐ、僕の右側がパタリと人の列が途切れたのだ。その瞬間後方で、「アイ・キャント・ウォーク!」と大きな声で叫ぶ女性の声が聞こえた。

  後ろを振り返ったら、僕より4段ほど下の右側で、年の頃30代後半と思しき白人女性が、後ろの会社員風の日本人男性に、物凄い剣幕でがなり立てている。美人とは言えないにしても、東京で良く見掛けるタイプの金髪の女性だ。

  男性は英語で「歩けないなら左側にシフトしろ」と注意したようだ。「レフト・サイド」は聞き取れた。

  彼女は益々怒りの表情で「ノー・ルール!」(そんなルールはないという意味か)、「シット・ジャパニーズ・ルール!」(日本のルールなんか糞食らえ、か?)と叫ぶ。

  見下ろすと、彼女が道を塞いでいるため、右側も左側も皆立ったままエスカレーターに乗っている妙な図だ。

  しかし、左も立錐の余地なしだから、彼女が左に移るスペースはないので、男性は「歩かない人は左」という日本の暗黙のルールをは白人女性にを教えたかっただけかも知れないのだが。

  男性も、これほど下品な反撃に合うとは思わなかったのだろう。周囲にも分かって貰おういう意図からか、日本語で彼女に強い口調で言った。「郷に入っては郷に従え!」と。

  彼女の答えは「ジャップ、シャラップ!!!」だった。

  これには、周りの日本人みんな不愉快な思いをしたに違いない。私がもし、20歳若かった、多分、「毛唐、ゴー・ホーム!」とか叫んでいたに違いない。良くない一日の始まりとなってしまった。  

12月 14, 2011   9 Comments

第7回 マンスリー・ライブ

              Photo by Nozaki

              Photo by Nozaki

 

  今回で7回目となる、我がのどごし生バンド(おじさんバンド)のマンスリー・ライブ、今年最後を締め括るに相応しいライブとすべく、メンバー一同、気持ちを込めて臨みます。

  今回は、ダンディー・クイーンという、J-POPや70年代ロックを中心に演奏するバンドをゲストに向かえて、馴染みの曲の数々をお楽しみ頂きます。

   皆様、是非とも、ご家族ご友人お誘い合わせの上、ご来場賜りますようお願い申し上げます。

                     記

日時   12月17日(土) 19:00 開場、 19:30 開演

場所   多摩センター 「音楽工房コルコバード」

      多摩センター駅 徒歩6分
      サンリオ・ピューロランドの真後ろの道路沿い
      (ピューロランドと極楽の湯の間一番奥の階段下りた所)
      京王相模原線多摩センター駅下車(調布駅乗換え)
      小田急相模線多摩センター駅下車(新百合ヶ丘駅乗換え)

 出演   のどごし生バンド(通称おじさんバンド)

      ダンディー・クイーン(70年代ロック&J-POP)

曲目   のどごし生バンド   鈴懸の径、キリング・ミー・ソフトリー、  
                    アンチェイン・マイ・ハート、枯葉、
                    ファイブスポット・アフター・ダーク、
                        ジョニー・B・グッド、ダイアナ、他

      ダンディー・クイーン   朝日のあたる家、人生の扉、
                     ウィ・ア・ザ・ワールド、他

値段   入場料1,000円+通常飲み物代(酒類500円、ジュース類400円~)
      食事を済ませてからの入場をお勧めします。

                                      神童覇道

12月 9, 2011   No Comments

現役復帰

        

  
  珍しく、私事で幾つかの問題を抱え、気持ちがすっきりしない日々が続いたが、それも何とか整理が付いたと思ったら、それを待っていたが如くに、新しい仕事が僕に舞い込んだ。新しい商品の発売に向けて、社内のチームと社外の協力会社を束ね、事務・システム構築を進めるためのコントロール・タワーの役割を担うというものだ。

  僕は、エイジ氏より声を掛けられ、ある保険会社の顧問として、保険システムやその事務、並びに、保険に関して、側面援助したりアドバイスする立場にある。それが、今回の仕事は、顧問などという語感からは程遠い、正に、現役の事務・システム開発のプロジェクト・リーダーなのだ。開発の現場責任者の仕事なのだ。

  なぜ、そんな大変な仕事をすることになったか。実は、自分から手を挙げて、買って出たのである。エイジ氏の毎年起業に刺激され感化された・・・、からではない。このままでは、システムが間に合わないからだ。誰かがコントロール・タワーの役割を果たさないと、前に進まないのだ。

  だが、そのようなシステム計画の推進責任者として開発現場を指揮した最後は、2000年~2001年の会社合併に関するシステム統合計画だったから、10年も昔のことである。何と無謀な。大丈夫なの? 昔取った杵柄みたいなことじゃ、周りが迷惑するんだからね。とか、声なき声が沢山聞こえる。

  新商品(医療保険)の発売の月を迎えても、事務担当者もシステム・チームも、また、協力会社も、皆、詳細な擦り合わせや方針の一致がないまま、相手がどうするかを見てから考えようといった三すくみ状況があり、一向に進まなかった。

  この保険会社には、以前だと、商品を開発し、事務を考え、システム・チームに注文を出し、協力会社にも自ら指示していた人間がいたが、彼が、一身上の都合で会社を去ってからその代わりの人がいなかった。

  さて、僕が手を挙げてみたものの、何年振りかでゴルフ・コースに出たのと同じで、「え~と、アドレスはどう構えるんだったっけ? テイクバックは? トップの位置はどこだった?」、まぁ、そんな感じである。

  自分の手も足も身体もコントロール出来ないのに、何で、バラバラのチームを1つに束ねコントール出来ると思うのか? 実は、思わない。技術や実務の専門家達にそういうレベルで勝負出来る訳がない。

  僕は、4者間(営業推進側、事務担当者、システム・チーム、協力会社)の認識のズレやポテン・ヒットが生まれないよう、互いの整合性を確認し合う運営と、作り上げる事務・システムの全体像を共有して貰うことに意を注ぐつもりだ。

  そして、その全体像の中で最も重要と思っているのが、ユーザー参画型システムの実現なのだ。業務要件を満たし、事務がしっかり回る仕組みが出来れば良い、というだけでない。出来上がったシステムを、SEやプログラマーでなくとも、商品や事務の専門家が変更・修正出来るシステムを目指すのだ。

  そのシステムが出来たら、楽しみな1年を迎えられそうだ。それを他社に売る外売り元年となるからだ。

12月 6, 2011   2 Comments