熊谷守一講

吉田氏の写真拝借
出身会社の2年後輩に熊谷君という人がいる。彼は僕と同じ町に住んでいるので、遠いゴルフ場に行くのも、彼と行き帰りの車の運転を交代でやると負担も少なく大変便利なのである。
また、地元で僕らのバンドのライブの時は良く応援に来てくれるし、家の近くで一緒に飲むことも多い。最近、ボーカリストとして僕らのバンドで「ダンシング・オールナイト」を歌って観客を大いに沸かせてくれたその人である。
その彼が、61歳からは会社の再雇用制度に乗って今年度まで4年間、頑張って来たが、この3月末で完全リタイアすると言う。その後の計画を聞いてみたらこれがなかなか素晴らしいのだ。
彼は、あの洋画家「熊谷守一」の曾孫なのである。ダラッと寝転ぶ猫の絵をご存知の方も多いと思う。人物像にしろ動物にしろ、或いは、山や花もそうだが、画家生活後半の絵は輪郭がはっきり描かれることが特長なので、直ぐに「熊谷守一」の絵と分かる。
ご自身の人生は、幼い子供に先立たれたり、極貧の生活の中で絵を画き続けたり、決して順風満帆とは言えない辛い経験をしながら、彼の絵は見る者の心をホワッとさせてくれる。
死なれた子供の遺骨を抱いて、残された家族3人が並んで焼き場を後にする図も有名だが、その絵にしても、喪失感とか寂寥感とか、或いは、慟哭にも似た風景であって不思議でないのに、何故か、寧ろ、家族愛のような、ほのぼの感さえ感じてしまうのだ。
もしかしたら、僕の感じ方がおかしいのかも知れないが、その絵を、埼玉県立美術館で開催された「熊谷守一展」で観た時の偽らざる感想だった。彼の絵には、人の心に優しさや温かさを思い出させてくれる何かがある。
僕が好きな絵は、前述の猫の絵なのだが、以前、熊谷君から頂いた「熊谷守一画集」にあるその絵を見ると、疲れている時も、嫌なことがあった時も、「まっ、いいか」となるのだ。これ程癒してくれる絵は他にない。僕にとっては、それこそ鬱病防止薬なのだ。
その彼は、池袋の自宅で仙人のような生活をしていたが、ある時、文部省(当時)から、文化勲章を授与するから、(天皇からの)授与式に出席するよう要請された。彼はいろいろ考えて「着て行くものがないので」と言って、勲章そのものを辞退してしまった。叙勲に全く価値を置かない「守一」の本領発揮の場面だった。痛快!
前置きが長くなった。熊谷君が打ち明けてくれた、彼のリタイア後の計画に戻ろう。彼は現在の住居は東京郊外であるが、月の3分の2は故郷(岐阜県中津川)に戻って、「熊谷守一講」を開くと言うのだ。これは、彼の言によれば、地元でも「熊谷守一」を知らない人が増えていることに加え、中学・高校の友人達が必死に様々な町興しの努力をしているので、自分も一役買いたい。
「熊谷守一」をまずは皆に知って貰う目的で、自ら講師になって「守一」の作品や業績を公演形式で何回かのシリーズでやる。その後、「守一」の作品が所蔵されている全国各地の美術館の学芸員を招いてセミナーなどもやりたい。
これらを通して仲間作りが出来たら、みんなで手分けして、「熊谷守一」関連資料を集め、研究討議を繰り返し、町興しのための作戦会議を行なう。
そうは言っても最初から大きなことは出来ないから、第一目標は、全国に散った「熊谷守一」の1,000枚(普通の画家だと1万点以上あるらしいが、守一は約1,000枚しか画かなかった)の絵画の所在地の地図を作成することに置く。
最終は、勿論、全国から1,000枚の絵を借りだして、壮大な展覧会を行なうこと。残りの人生をこの実現に賭けてみたいと彼は僕に熱く語った。勿論、いつか自治体が動いて、また、スポンサーが現れて、地元に「熊谷守一美術館」を設立出来ればなぁ、と彼の夢は膨らむ。
エイジ氏が熊谷君に言う。「私は熊谷守一という人物像にとても惹かれる。だから、このプロジェクト全面支援させて欲しい。神童さん、その魅力的人物、小説にしましょうよ」。エッ? 僕かい?


5 comments
本日、熊谷氏に勝手な構想を開陳、氏曰くひ孫は間違いとの事・・・近い親戚筋でどうでしょう?彼の書いた素描を知ってますが、中々のもの、血筋である事は間違いなし!
守一はひ爺さんの弟さんですね。「近い親戚筋」、これが正解ですね。
完全リタイア後に、こういう目標があるというのがいいですねぇ。応援しましょう。
ベラさんが、早速池袋の「守一美術館」を訪れたとか、、、
応援団としては行かなけれね!
熊谷も一緒に、3人で行きましょう。日程調整しますね。
了解!
コメント欄