プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 4月 2012

第1回ライブ 於グレコ 

のどごし生バンド1 

  3月末に校長先生を退職して、4月からご自身のライブハウスをオープンした僕らの大木先生。只今60歳。東京都の教員としては65歳までは勤めることが出来、それを選べば安定した生活が保証されるのに、それをスパッと辞めて、迷いなく自分のやりたい方を選ぶのが大木流。その生き方、凄くカッコ良い。メンバー全員が感じていること。

   僕等「のどごし生バンド」が主催した4月14日のオープニング・パーティーは、今後ライブ出演等で協力・支援して貰えそうな10バンドのミュージシャンに集まって貰い、お蔭で、大木さんへの祝賀ムード一杯の大盛り上がりのイベントになった。

  店の名前は「ミュージック・スペース グレコ」。最大40人収容の落ち着いたお洒落な空間だ。JR新子安駅(横浜からも川崎からも各駅2駅目)から徒歩3~4分で、広い道路に面した1階の店だ。

  中に入ると入り口正面に大きなウッド・ベースとコンガが置いてあり、部屋に向かって右がステージ、左が客席となっている。

  ステージは、入り口手前にドラムセットが置いてあり、その奥(と言っても部屋の中央)に立派な真新しいグランドピアノがある。客席側のほぼ中央に年代もののデューク・ボックスが置かれていて、懐かしさも演出されている。40年程前のものと思われるが、これが今もちゃんと鳴るのだから驚きだ。

  入り口から見て、ステージの一番奥がカウンター・バーになっている。内装も床も椅子もテーブルも、またカウンターも真新しい。実は、ピアノもウッド・ベースもコンガも新品だから、眩しいほどだ。

  こんな店で、毎晩大木さんのラウンジ・ピアノを聞きながらウィスキーでも傾けられたらもう最高だな。京浜地区にお住まいの方は是非お立ち寄り頂きたい。必ずお気に入りの店に加えて頂ける筈だ。

  さて、その大木先生と共に8年間バンド活動をして来た我等「のどごし生バンド」が、ここ「グレコ」で第1回マンスリー・ライブを開催することになった。

  5月26日(土)夜の予定なので、皆様、是非お越しください。今からスケジュールに入れておいて頂ければ幸せです。

               記

のどごし生バンド 第1回マンスリー・ライブ

日時    5月26日(土) 18時開店、19時開演

場所    ミュージック・スペース 「グレコ」
       横浜市神奈川区新子安1-30-1
       JR新子安駅 徒歩3~4分

道順    京浜東北線JR新子安駅下車
       改札(1つしかない)出ると直ぐ右に階段あり
       それを登ると跨線橋となるので、左折して線路
       を渡り切り、跨線橋が歩道橋に繋がっているので
       歩道橋の一番先まで進んでから降りる
       最初に見える信号の角が「グレコ」

出演    のどごし生バンド

曲目    イッツァ・スィン・トゥ・テル・ア・ライ
       ララバイ・オブ・バードランド
       サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート
       鈴懸の径
       酒とバラの日々
       さよならはダンスの後に
       さよならルンバ
       愛とも知らないで
       サニー    他

料金    入場料1,000円+飲み物代(酒類500円、その他300円~)
       美味しい軽食あり

                                  神童覇道

4月 25, 2012   No Comments

トルコの旅(16) ― 完 ―

   ブルーモスク  

         我が心は 飛んでイスタンブール 

 

  今回のトルコ旅行は、2月下旬から3月初めの6泊8日の日程だった。まぁ、2月という寒い季節だから、どこの会社も格安ツアーと謳っている。トップシーズンともなれば1人30万円近くするから半額近いのが相場のようだ。

  だが、カミサンが「これってどうなんだろうね?」と言いながら、僕に旅行のパンフレットを見せた。正直驚いた。JTB主催のツアーが、1人8万8千円なのだ(サーチャージは別だが)。国内でも6泊の旅行に出掛けたら、交通費含めて10万円を下回ることは難しいだろう。

  14~15万する他社のパンフと見比べたが、どちらも、観光する場所は同じようなもので、食事が朝昼晩全部つくのも同じ。ただ、他社は日本航空の往復直行便で、JTBはトルコ航空の直行便という違いだけのようなのだ。

  カミサンの懸念は、ヒョッとしてホテルが酷いところだったり、バスがオンボロだったりして危ない目に合ったりしないかということだ。

  そんなに安くて商売が成り立つ理由を、思い切ってJTBに聞いてみた。問合せに対して係りは、「実は、観光のオフシーズンも日本から観光客を沢山呼ぼうと、トルコ政府・トルコの観光振興庁・トルコ民間観光協会・トルコ航空、それとJTBが協力して、観光客1人当り厚い補助を行なっているからです」と答えた。

  ホテルや食事も、「この季節ならではの一流どころを指定出来たので、どうぞご安心を」、との答えだった。

  それでも半信半疑で出掛けたのだが、ヒルトン・シェラトン・高級リゾートなど、確かにホテルはどこも一流と思えた。バスも三菱自動車製の比較的新しい車だったから、長時間座っていてもお尻が痛くならない快適なバスだった。

  その上、安全のため運転手が2人付くわ、初日から同じガイドがずっと最後まで丁寧に説明してくれたわで、大変印象の良いツアーだった。

  僕等のツアーは43人という大所帯だったが、初日に無線のトランシーバー型のイヤホン受信機を渡されたので、ガイドの話は少々離れていても充分聞き取れた。そんな点も満足度は高かった。

  これまでに訪れた国は、一度行けばいいかなと思った国が多かったが、このトルコだけは、もう一度来ても良いと思えた、そんな旅行だった。

   43人の内訳は、卒業記念と称して幾つかのグループでやって来ている学生さんが15人(男子3人組以外は女子大生)、あとは僕らのような60歳過ぎの夫婦が14組28人。

  まぁ、比率の違いはあっても、海外旅行のツアーは大体、年齢構成は20歳半ば~50歳代前半が殆んどいなくて、学生とリタイア組みの妙な組み合わせになることが多いみたいだ。

  ここ2~3年、我が家はいつも、2月3月頃に海外旅行をしているので、女子大生の卒業旅行のグループと一緒になるのだが、今回は、伊藤美咲似の人とか、安藤美姫・武井咲に似ている美人達がいて、それもこのツアーの印象を頗る良くしていた。

  彼女達と話をしてみたかったが、残念ながらカミサンと一緒だったから、ただただ遠くから眺めていただけだったが・・・

  その代わり、3名の男子学生とは、ある日の夕食の時に一緒のテーブルになったので話をした。大学名を聞いたら信州大だと言う。僕も長野出身だから結構話が弾んだ。

  ものは序でと、友人の「猪瀬東京都副知事と同じ大学だね」と言ったら、「え? そうなんですか?」って。猪瀬君、もっと母校で講演しないと忘れられちゃうよ。

                         トルコの旅  ― 完 ―

4月 24, 2012   4 Comments

エイジ氏、日経新聞「交遊抄」に載る   編集部より

少し古い情報になりましたが、先月、エイジこと河田孝彌氏が日経新聞の「交遊抄」に取り上げられました。これは大学時代同じサークルの1年後輩だったご友人の中越パルプ工業社長原田正文氏の書いた文章の中で大々的に取り上げられたものです。

東証一部上場企業の社長ともなれば、その交友関係もかなり広い筈ですが、そんな中から原田社長がただ1人、我らがエイジ氏を取り上げられたことに、お二人の絆の深さを改めて感じます。そして、それこそがエイジ氏の人柄を現す象徴的な出来事と思います。

以下は、その時の記事の切抜きです。お読み頂ければ幸甚です。  (編集長より)

交遊抄

4月 23, 2012   No Comments

トルコの旅(15) ― イスタンブール⑤ -

      アヤソフィア内部  ドームを見上げる

      アヤソフィア内部  ドームを見上げる

  トルコ最終日の午後は、どちらも世界遺産のブルーモスクとアヤソフィア見学がメインだが、その他にも、イスタンブール市内を散策したり、また、市電乗車なども体験するようなプログラムになっている。

  最初はブルーモスク。1616年に7年の歳月を費やして完成したモスクである。この建物はオスマン帝国(イスラム教の世界)の第14代君主アフメト1世が、東ローマ帝国時代(キリスト教の世界)に建造されたアヤソフィア(聖ソフィア。537年完成のキリスト教の巨大教会)に対抗してそれを超える立派なモスクを作りたいとの強い思いを抱いて建造したものだという。

  ブルーモスクは、公園のような広場を挟んでアヤソフィアの丁度真向かいに位置する。そこに、アフメト1世のアヤソフィアに対する並々ならぬ対抗心を感じる。

  世界で唯一優美な6本の塔(ミナレットと言う)と建物中央の大ドームから成り、モスク内部の壁は何万枚ものイズニック製の青い装飾タイルが使われ、ステンドグラスの彩りも加わって、青を基調とした美しさからブルーモスクと呼ばれる。

  このモスクは、今も普通に使われている。僕らが中に入った時は、たまたまお祈りの時間ではなかったから入れたようだ。確かに広くタイルが美しい。

  ガイド(日本語が上手なトルコ人男性。イスラム信者)が言うには、アフメト1世の野心、即ち、アヤソフィアよりドームも大きく、高さでも勝つ立派なモスクにするという強い願いは、どちらも遂に成らなかった。

  それでも、美しさでは遂にアヤソフィアを凌駕したと、アフメト1世は溜飲を下げたと言われる。

  さあ次はアヤソフィア見学だ。ブルーモスクの外に出たら身も凍るほどの寒さだ。朝6℃と言っていたが、今は寧ろもっと低いのではないかと思う。早く、アヤソフィアの中に入ってしまいたい。

  入った。ブルーモスクも大きいと思ったが、アヤソフィアはそんなものではなかった。柱のない広いスペースの遥か上、40mを越す高さに巨大なドームが被っている。だが、度重なる地震と重さのため、正円だったドームが今は南北に2m長い楕円になってしまっている。石造の建物自体も傾いているため、外側から大きなつっかえ棒代わりのセメントの壁などで支えているので、美しさではとてもブルーモスクに及ばない。

  アヤソフィアは東ローマ帝国の皇帝の戴冠式などを執り行った場所であり、国家統治の上でもキリスト教の拠点としても大事な役割を果たした教会だった。だが、1453年、小アジアのイスラム民族が東ローマ帝国を征服してオスマン帝国を築いてからは、これをモスクに変えてしまったのだ。

  その結果、イスラムの教えである偶像崇拝禁止により、教会内部のキリスト教的壁画は全て塗り潰され、銅像は破壊されたのだった。それが、近年、薬品などを使って塗り潰す前のモザイク画などが壁面から再び姿を現し、キリスト教聖堂時代の聖母像などが見られるようになった。

  今も新たな発見がされると、世界にテレビ・ニュースや特集が組まれるほど世界の関心は強いらしい。

  僕は今度の旅で、初めてイスラム圏に足を踏み入れた訳だが、来て見て分ったことがある。それは、イスラム信者らによる偶像破壊行為についてである。2001年にアフガニスタンのバーミヤン石窟の石仏をタリバンが破壊した衝撃的映像をご記憶だろう。

  この像は仏教の石仏だった。昨年中欧に旅行した時は教会の全てのキリスト像の顔が壊されていたり、絵画が全て塗りたくられたりしているのを目の当たりにした。これらを見て僕は、イスラムによる文化破壊に憤りを禁じえなかった。

  だが、しかし、なのである。キリスト教世界で描かれた宗教画は、キリストにせよマリアにせよ人物画が中心だ。更に神までもが人の姿として描かれる。イスラム教から見れば、神を人間の如き姿に描くことそのものが、絶対存在である神への冒涜と映る。

  神を擬人化することは、即ち、人間が神に近い存在であると思うこと。これは人間の驕り、自惚れ、恥知らずな行為・・・、となる。イスラムの教えに一理あるのを知った。

  その後、新都心部の通りを散策したり、テュネルという坂を登る地下鉄に乗車体験して、全てのトルコ観光を終えた。

   再び姿を現した聖人の図  アヤソフィア内部の壁面

 再び姿を現した聖人の図  アヤソフィア内部の壁面

4月 23, 2012   No Comments

トルコの旅(14) ― イスタンブール④ ―

  ボスポラス海峡     ホットホリディーより転載

  ボスポラス海峡     ホットホリディーより転載

   

 海峡を監視する砲台        同

海峡を監視する砲台 同

  トルコ最終日の朝を迎えた。午前中は、ホテルやその周辺でゆっくり過ごすグループと、オプショナル・ツアーに参加する組に分かれて別行動となる。

  僕らはオプショナル・ツアーを選択していたので、8時半ホテル・ロビーに集合して、バスで出発した。43名のツアーで、オプショナル・ツアー参加者は6組12人だった。

  このオプション・ツアーは、貸切チャーター船でボスポラス海峡をクルージングすると言うものだ。

  イスタンブールの平日の朝は、東京以上に車のラッシュが酷い。ホテルから船乗り場までは、海峡を対岸に渡らなければならず、数少ない橋は酷い渋滞だった。渋滞がなければ15分と言う距離を50分程掛かって到着した。

  ガイドや添乗員を含めても14人のグループだから、船も小さいんだろうと想像していたが、なんと、普通に70~80乗りの観光船だったから、まあ贅沢な広さだった。ただ、気温が6度と低い上に風もある曇り空だったので、船室の外は震える寒さだった。

  クルージングは1時間半の予定だ。初日からの同じガイドが船の中でも船内放送で次々に見えるスポットの説明をしてくれた。

  ここボスポラス海峡は、イスタンブールの真ん中を通り、東(アジア大陸)と西(ヨーロッパ大陸)に二分し、北の黒海と、南のマルマラ海とを結んでいるので、この海峡は海上交通上、大変重要な役割を果たしている。地図で見るとあたかも運河のように見えるが、そうではなく自然が作った海峡なのだ。

  その両岸には、歴史的建物が幾つもあり、また、昨日行ったトプカプ宮殿が遠望出来たり、今日の午後見学するブルー・モスクやアヤソフィアなどが見える。海峡の一番細くなった両岸に砲台の跡などが見え、それが、ここを通る船舶に通行税を掛けていた昔、払わないで通ろうとする船舶に攻撃を加えたという。

  船は一旦北に向かいそれから折り返して南に方向を変えた。その時だった。「皆さん、この中に、本日、誕生日を向かえられた方がいらっしゃいます」とスピーカーから添乗員(女性)の声が流れた。

  皆さんが「オー」と声を上げた。「それは神童さんです」。神童さんと言われてもそれが誰のことか分らなそう。当然だ。こういうツアーって、直ぐ親しくなって話しなどするが名前を憶えている訳ではない。どうせバレルのだからと、僕はオズオズと手を上げた。

  「只今からホット・ワインをお持ち致しますので、皆さんでお祝いをしましょう」と言って、添乗員が直ぐに現れた。僕の所に来て、「おめでとうございます」とグラスにホット・ワインを注いでくれた。ガイドも含めて14人全員にワインが行き渡ったところで、全員で「乾杯!」をしてくれた。

  そう、今日は3月1日。紛れもなく僕の誕生日だ。朝食の時、カミサンに「誕生日おめでとう」と言われたから「ありがとう」と淡々と答えたが、気分は「前期高齢者入り初日」なので、嬉しくも何ともない。寧ろ、誕生日を意識しないようにしたいくらいだった。

  だが、この全く予期せぬ船上でのサプライズには、さすがに感激しない訳には行かなかった。

4月 20, 2012   No Comments

トルコの旅(13) ― イスタンブール③ ―

         イスタンブール  アヤソフィア

         イスタンブール  アヤソフィア

  グランド・バザールでは、もう1軒スカーフの店に立ち寄った。カミサンが友達と嫁さんと娘のお土産に買うという。スカーフの店はあちこちで見掛けるほど多い。どこに入るか決めかねていたが、ある店の前に見るからに若いほっそりした体格の男が立っていた。店員のようだ。

  カミサンは迷わずそこに決めて、店に入っていった。中では初老の男が外国人旅行者らしいご夫人に様々なスカーフを勧めていた。この男が店主かな。

  若い店員は、たどたどしい日本語で、「奥様、これどう?」と言って青を基調とするスカーフを肩に掛けた。カミサンは指さして「悪くないけど、あの方が良さそう」。店員は素早くそれを取ってカミサンの反対側の肩に掛ける。全体的に臙脂の一品だ。

  カミサンは自分で選んだのを示しながら「幾ら?」と聞く。店員、「???」。意味が分らないらしい。僕が割り込む。

「Euro or Yen ok?」
「Yes Yes.」
「Yen ok?」
「Yen ok.」
「How much?」
「3ゼンエン」

  変な会話の後、突然日本語に戻った。「3千円は高いわよ」と言ったカミサンが、今度は値段交渉する番だ。僕にはスカーフの品質やデザインや値段は全く分らないから傍観者に徹する。

「千円でどう?」
「No No.二つ、5千円」。2つ買えば5千円にまけると言う意味だろう。
「4千円」とカミサン。
「No No.三つ、6千円」と若い店員。カミサンもここらで手を打つだろうと思った。
「じゃぁ、四つ、6千円でどう?」。オイオイ、買うのは3つじゃないのか?
「I am a student of university.オネガイデス」と店員は泣き落としに出た。

  カミサンは店内を見渡して、「あれは幾ら?」と尋ねる。店員は僕の顔を見る。「How much?」と通訳してやる。

「Oh I see.5千円」
「これ3枚と、あれ1枚だと幾ら」

  これと言うのは定価3千円という品物。あれは5千円の品物のことだ。

「チョード、1万円ネ」
「4枚も買うのよ。9千円」。若い店員は店主と相談して戻って来た。
「Ok 9千円。アリガト」

  「あの定価5千円のは誰用?」とカミサンに聞いたら、「自分用」とのお言葉。道理で気合が入っていた訳だ。

  この日の夕食は、ベリーダンス・ディナーショーだった。昔、我々のバンドをバックに日本人のベリーダンサーが踊ったことがあるが、ホンマもんを見るのは初めてであった。イスタンブールの夜は更けて行く・・・

     イスタンブール  ベリーダンス・ディナーショー

     イスタンブール  ベリーダンス・ディナーショー

4月 19, 2012   3 Comments

トルコ旅行(12) ― イスタンブール② ―

      グランドバザール  Photo by Yasuoka Aki

    グランドバザール  Photo by Yasuo Aki

  トルコ語で“カパル・チャルシュ”(屋内市場)。英仏名グランドバザール。中は64のストリートがまるで迷路のように繋がっていて、全てのストリートの上には、屋根と言うかアーケードが施されているから、グランドバザール全体が屋内の雰囲気である。
   
  オスマントルコ帝国時代の1461年から続く歴史的建造物もあり、その後も拡張と増築が繰り返されて来たこの市場は、今では3,600を超える店舗を有す世界最古で最大規模のデパートの一つとも言われる。

 

  トルコ旅行の3日目に、革製品の店に案内されるのが予め分っていたので、手頃な革のショルダーバッグでもあったら買おうかと思っていたが、そこはコートやジャンパー・ジャケットなどの店だったから目的が叶わなかった。

  何せ、トルコは革製品の国なのだ。グランドバザールには沢山店があるから見付かるかも知れないと期待して、カミサンとあちこち歩き回った。貴金属店やブランドショップからみやげ物店・手芸品店・玩具屋・アクセサリー店・スカーフ店・・・

  人通りも多いし、店側の呼び込みの男達も多い。トルコ人は先祖がモンゴル人というからか、モンゴル相撲の選手やレスラーのような体格の男が多い。そんな奴が数人で屯している店はどうしても敬遠してしまう。

  その先に、外にバッグがはみ出さんばかりに吊るされている店を発見。ショルダーバッグが、これでもかと言うくらいに沢山あった。気に入った物を3つほど選び、カミサンに、どれが似合うか聞いて、皮の柔らかい薄茶色の一品に決めた。

  ここからが値段交渉だ。支払いは日本円で良いと言う。店主が言った値段は25,000円だ。

「25,000円出すなら、東京にもっと良いバッグが沢山あるよ」と僕。
「OK、幾らなら買う?」と店主。
「そうねぇ、15,000円なら買ってもいいかな」
「旦那様、それじゃ、私が大損こいちゃいますよ」
「損じゃなくて儲けが少なくなっちゃう、だろ?」
「殺生な! じゃぁ20,000円でどう?」
「要らない。買うのやめとく」
「そう言わないでよ。これ付けるからサ」と店主が小銭要れを差し出す。
「それは、このバッグよりもっと要らない。じゃ、もう行くから」
「待って、待って。旦那様には負けました。もうこれが最後。18,000円!」
「要らない」
「う~ん」腕組みして暫く沈黙する店主。「ホントに最後の最後だよ。17,000円!」
「買った!」僕は間髪を入れずに答えた。
「やるねぇ、旦那様。これも付けておくよ」と小銭入れをバッグに入れてくれた。

   定価が妥当なのかも、17,000円が高いのか安いのかも分らないけど、気分は悪くなかった。グランドバザールは値段交渉を楽しむ場所と心得るべし。それにしてもトルコ人って何であんなに日本語旨いんだろう?

4月 17, 2012   2 Comments

大木さん、おめでとう


   大盛り上がりの「グレコ」開店記念パーティー  Photo by TAKA

  先週の土曜日の夜、JR新子安駅近くに「ミュージック・スペース・グレコ」という名前のライブハウスがオープンした。この店こそ知る人ぞ知る大木先生のお店である。そのオープニング・パーティーが開催されたのだ。

(当ブログでは、これまで、バンド内で実際に呼び合っている愛称を少し変えて、ブログ・ネームとして記述して来ましたが、本来の呼び名に改めます)

  「のどごし生バンド」の主催で、大木さんのファンと、今後「グレコ」を演奏で支援して頂けそうなバンドに声を掛け、盛大に執り行おうと企図して当日を迎えた。

  だが、僕がバンドに声を掛け過ぎて、当日までに9組のバンドが参加表明してくれている上に、当日もう1組参加してくれることになり、都合10組の演奏によるパーティーと相成ってしまった。

 トップ・バッターの漢組(おとこぐみ) Photo by MAEMAE

    漢組(おとこぐみ)   Photo by MAEMAE

  従って、最大40名の座席に50名ほどが来てしまったので、場内は超満員だ。主催者の「のどごし生バンド」は殆んど立ち詰めとなったのは仕方ない。

  夕方6時、予定通りに開宴し、主催者挨拶で大木さんの簡単な経歴紹介の次に、乾杯の音頭を当日の最年長者にお願いした。「ASMOブラザーズ」のIさんだ。そしたらIさん、「最年長じゃないよ」とか言って断ろうとするから、「平均年齢で最年長のバンドのバンマスにお願いする」と言い換えたら渋々応じてくれた。「ASMOブラザーズ」は平均年齢68歳。

  でもIさん、流石現役時代はやり手の営業マンだったから、乾杯の音頭で一気に盛り上がる。

  さあ、そこから10組の祝辞と演奏をどうやって9時半までに終わらせるか? 10組と言っても、バンドメンバーがほぼ揃っているところは4~5バンド。彼らには5~6曲演奏して貰うが、それ以外はバンドを代表して来てくれたので、名刺代わりに2曲ほどソロで演奏をお願いする方針で望んだ。

     みずすまし 片岡さん  Photo by MAEMAE

   みずすまし 片岡さん  Photo by MAEMAE

  しかし、どのバンドも大木さんへのお祝いの気持ちが言葉に表れ、何ともアットホームなパーティーとなった。最後の方で、大木先生(オーナー)と万作さん(マスター)に対して花束贈呈があり、「こういうお店を持って演奏するのが夢でした」という大木先生の言葉に、彼の望んでいたライフ・スタイルが遂に始まるという高揚感を含んだ、心の内側が垣間見られた気がした。

  それにしても、大木先生の生き方はカッコいい。3末で校長先生を退職して、直ぐ自分の夢に向かって走り出す。そうそう真似出来ることではない。

  最後は、「のどごし生バンド」が6曲演奏したところで、10時になっていた。だが、大木さんのピアノをもっと聴きたいとアンコールがあり、「サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」を、アンディーと38階佐藤さんの歌と大木先生のアドリブを中心に演奏した。が、まだ拍手が鳴り止まない。

  じゃぁ、ホントに最後の最後と言って「ジョニー・B・グッド」。全員が立ち上がってツイストにゴーゴーにディスコ・ダンス。終わってみたら10時15分。なかなか計画通りには行かなかったが、大盛り上がりの開店記念パーティーだった。

           TAKA     Photo by AKI

 TAKA   Photo by AKI

  出演バンドは下記の通りでした。 皆さんありがとうございました。

①    漢組(おとこぐみ)   ⑥ K&B
② 大木クインテッド     ⑦ アップルビーツ
③ みずすまし(片岡)   ⑧ トライム
④ ASMOブラザーズ   ⑨ タペストリー(TAKA)
⑤ ダンディークイーン    ⑩ のどごし生バンド

                   中央が大木さん  Photo by KOBAYASHI

     中央が大木さん  Photo by KOBAYASHI

4月 16, 2012   10 Comments

トルコの旅(11) ― イスタンブール ① ―

         海上から見たトプカプ宮殿
             ボスポラス海峡から見たトプカプ宮殿 

  アンカラに向かう途中で、雪のため通行止めになって開通の見込みが立たなかった時、今度は遂に自分達に災いが降って来たと思った。

  と言うのも、昨年の中央ヨーロッパの旅行の時は、あの3.11が起き原発の大事故が起きたし、一昨年のイタリア旅行の時は、アイスランドの火山爆発でヨーロッパの全ての空港が火山灰のため閉鎖となり、帰国出来るか否かの瀬戸際だったから、今度は何が起きるのかと、不安な気持ちが正直あったのだ。

  それでも、夜11時ごろ、何とかアンカラに辿り着き大事に至らずホッとしたのだった。

  翌朝は、山沿いを走る高速道路を使ってイスタンブールまで450kmをバスで行くのだが、雪の積もったこの山沿いの道路を抜けるまでが、やはり冬の難所とされている所だ。

  そんな訳で、通常所要時間を5時間のところを、下手したら8~9時間掛かることも覚悟し、予定より1時間早め朝6時半に出発することになった。5時間も眠れない強行軍となったが、これも旅行の醍醐味の一つと考えることにする。

  最初の2時間ほどは結構雪が降っていて、また、通行止めにならないと良いがと祈るような気持ちだったが、その後は徐々に天候が回復して青空も覗くようになって来た。それまで高速道路とは言え雪が積もっているので50km程度のスピードだったが、徐々に轍のあとがハッキリと見えて来て、あたかも2本のレールのようにそこだけ雪が融けた状態になって来た。

  バスのスピードも徐々に上がり、暫くして長い下り坂になった。ガイドがマイクで言った。「皆様、今、最大の難所を通過シマシタ。もう、通行止めの心配はないと思イマス。皆様は世界で一番ハッピーな人達デスネ!」と。またかよ。世界で一番幸運ならそもそも通行止めの心配なんてしないって。

  イスタンブールには午後1時過ぎに着いた。結局6時間弱だった。良かった。ボスポラス海峡に面したレストランでシシカマブの料理を堪能した後、イスタンブール最初の観光スポットのトプカプ宮殿に向かった。

  1453年に、蒙古系の民族が、コンスタンチノーブルを征服し、オスマン帝国を築いた。その君主の居住する宮殿として、メフメト二世が造営し18年掛けて完成したものだ。完成は1478年。

  オスマン帝国は当時の世界最強の国であったことから、ヨーロッパや中東各地から貢物が続々集まり、財宝が所狭しと収められた宮殿だったそうな。今でも財宝館には80カラットをゆうに超えるようなダイヤモンドや、美しいエメラルド・ルビーなどが数多く展示されている。

  僕は、今度の旅行に来る前に、「のどごし生バンド」のKさん(AMSの1人)に、トプカプ宮殿のブルータイルのことを聞いていたから、それを見たいと思っていた。それは「ハレムの主要門」の壁一面にあった。

  それはそれは見事なもので、青を貴重とした細かい模様のトルコ絨毯を見ているような錯覚を覚えるほどだった。このブルータイルはイズニック・タイルと呼ばれ、昔、トルコの首都にもなったことがある町イズニックの名産物なのだそうだ。

        トプカプ宮殿のブルータイル

        トプカプ宮殿のブルータイル

4月 13, 2012   1 Comment

トルコの旅(10) ― 吹雪 ―

            
                         吹雪  

  食事をしていたら、添乗員が来て申し訳なさそうに言った。「ついさっき、この先アンカラまでは雪のため通行止めになってしまいました。なので、ゆっくり食事をなさってください。情報が入り次第お伝えします」と。

  あ~ぁ、遂に、通行止めか。一行からいろんな声が上がった。

「もし、今日中に通行止めが解除にならなかったら、このレストランに朝までいられるのですか?」
「他の道はないんでしょうか?」
「何時間くらい待たされるんでしょうか?」

  気持ちは分かるけど、現地ガイドや運転手が盛んに情報収集に当たっているから、彼らの判断に任せるしかないでしょう。添乗員が答えたのは、このレストランは夜10時までという良くない情報だけだった。

  こういう場合、最悪の事態への対処を考えてしまうのは習い性か。システム開発の仕事に何十年も携わり、大トラブルを何度も経験しているからか、そういう対処は自然と身に着いているみたいだ。僕の結論は、アンカラ泊の次はイスタンブールに一泊して帰国なので、最悪でも帰りの飛行機に間に合うようにイスタンブールに到着すること。

  この地より、北には行けないことがハッキリしたら、南に引き返して、再び温暖な地をエーゲ海沿いに西走、マルマラ海沿岸を北上して、途中車中泊でも良いから、イスタンブールまで何とか辿り着くというものだった。運転手も2人いるし、中1日あるのだから。

  夜10時にレストランが閉まるまでに通行止めが解除にならなければ(普通に考えれば、これから深夜に向けてますます雪は降り積もり気温も下がるので解除の可能性は薄くなりこそすれ、高まることは有り得ない)、添乗員とガイドに申し出ようと決めた。

  不思議なもので、そう心に決めると、「通行止め解除はまだか」と焦れることもなくなる。かれこれ3時間ほど足止めされただろうか、添乗員が笑顔でやって来て、「皆さん、道路が通れることになりました。直ぐにバスに乗って下さい」と伝えてくれた。大歓声が沸く。時計は夜の9時前を指していた。

  僕が考えた最悪は避けられた。外は雪が7~8cmほど積もっていたが、バスはスタッドレス・タイヤだから問題はないようだ。バスの中も、運行再開で皆さんホッとしたようで空気が和やかになった。

  ガイドは、「道路は雪のために通行止めになったのではなく、車3台ほどが巻き込まれたスリップ事故のためでした。その片付けに手間取って、3時間も足止めされたようです。雪の方は、アンカラはもう止んでいるとの情報ですから、多分、辿り着けます。ヨカッタデスネ」とVサイン。

  「それから、この3時間、レストランで待つことが出来たのも、皆さんラッキーです。バスの中では、食事も出来ない、トイレにも行けない、外は吹雪だから出られない。皆さんは世界一ラッキーな人達です」と続けた。本当に世界一幸運なら足止めなど食わないよ!

  雪の中を走ったので、バスは90kmに2時間ほど掛かったが、やっとアンカラに着いた。一面雪景色で静かな古都と言った趣きの町だった。嘗てはトルコの首都だったそうで、古いタイル張りの建物が多かったように思う。ホテルには夜11時過ぎに到着した。

4月 10, 2012   No Comments