プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 8月 2012

ものの見え方

  領土問題で日本と韓国が揉めている。中国では反日デモが繰り返されている。国民感情の衝突はこれまでも度々繰り返されて来たことだが、どうにも最終解決への道が見出せない状況に見える。非常に近い隣国同士だから始末が悪い。厭なら近付かなければ良い、という訳にいかないのだから。

  今、調査をすれば、お互い、相手国に親しみを感じるという人の割合は、10%に満たないのではないか? 

  テレビに映る日本非難を叫ぶ中国・韓国の人々の様子や、世論・マスコミが一致して領有権を主張する様は、ナショナリズム一色に染まっているように見える。

  一方、日本は反原発・脱原発のデモは毎週行なわれても、反韓・反中デモはないし新聞論調も中国・韓国に比べれば、激越な中韓批判を前面に掲げる新聞はなく、嘘のようにクールな報道振りが際立つ。

  以前、当ブログで、同じことが反対から見れば全く逆に見えるということを取り上げたが、日中・日韓に横たわる歴史認識と領有権の問題も正にそれに当るだろう。

  日本軍に南京の同胞が30万人も殺されたと信ずる中国の人々から見れば、日本の保守派の政治家や論客が、南京陥落前と終戦後の南京の人口にあまり変化が無いのは、日本軍による30万虐殺などなかった証拠と虐殺そのものがなかったと平気で言うから、日本はとんでもないと立腹する。

  しかし、日本側から見れば、保守派でもない一般人でさえ、いつまでもいつまでも続く中国人の執拗な非難の声にウンザリし、「何せ白髪三千丈の国だから。ものごとをオーバーに言うのは中国人の専売特許だからな」とか言うようになる。

  僕の勝手推論では、日本軍への抵抗組織やその協力者を検挙し、処刑したことは事実だろうと思う。仮にそれが百人・千人を超えれば、南京の人々が恨みを込めて「日本軍による大量虐殺」「その数30万人」となっても何ら不思議ではない。

  日本側は、一人歩きした30万人という数字を正し、真実を明らかにするために、その事件に関して、両国合同の専門家による実態調査を行なうべきだと主張する。しかしその声は、中国側からすれば、あの蛮行を悔い改めるどころか、糊塗しようとするとんでもない発言、と映る。

  慰安婦問題でも、日本軍によって大勢の若い韓国女性が連行され「性の奴隷」にされたと信じて疑わない。そもそも、そのキッカケは20年ほど前に、日本人田中某が、当時自分は済州島で、女性を強姦し軍に連行した、という告白本を発行して、韓国にお詫び行脚をしたことが始まりだった。

  それを契機に名乗りを上げる女性が相次ぎ、韓国国民は、そんな酷いことまで日本軍はしてたのかと、怒りに包まれ国中が信じた。

  しかし、これを日本から見ると、田中某の言う強制連行や女狩りが本当かどうかを済州島で調査をしてみてもそんな話を住民は誰も知らかった。軍がタッチしていたなら、慰安婦の名簿とか連行した日付とか何らかの資料がある筈と調査をしても、その事実は浮かび上がって来なかった。唯一、元慰安婦本人の証言があるだけで客観的傍証がない。

  野田首相が「従軍慰安婦の強制連行に関する軍の関与を示す文書はなかった」と一言言うと、韓国は、日本の政治家はまたぞろ事実を捻じ曲げ、嘗て日本政府として正式に認めたこと(河野談話)をも覆そうとしていると猛反発する。

  南京大虐殺も従軍慰安婦も、科学的な検証のされない夫々の「真実」を巡ってエンドレスの論争が続く。日本が不利なのは、あの時代日本が侵略国で中国・韓国が被侵略国だったことだろう。イジメと同じで、イジメた方は忘れても、イジメられた方は一生恨みが消えない。

  こういう問題を解決出来るとしたら、自国に対しても相手国に対しても、説得出来て最終決断を迫れる大物政治家が日本に現れるのを待つ以外ないのだろうか?

8月 31, 2012   No Comments

小学校の同級会

                 木造校舎の廊下の写真
                  木造校舎の廊下

  僕は、松代小学校というところから、小学校5年の4月に、長野市の南に位置する芹田小学校に転校した。経験した人は分かるだろうが、小学校の時の転校は結構辛いものがあるのだ。

  入学前からの幼友達や入学後出来た親友など全員と別れ、誰一人知らない学校に途中から入って行くのだから。

  今でも社交的でなく内気な僕は、小学校の時なんて、それこそ知らない子と積極的に口をきくなんて有り得ないことであった。

  始業式が終わって、先生に連れられて教室に入り、黒板の前で、先生から転校生として紹介して貰い、何か言えと言うから、名を名乗り「宜しくお願いします」と言うのが精一杯だったのを覚えている。

  だが、その小学校は野球が盛んで、平日の放課後と言い土曜の午後と言い、クラス対抗の試合が頻繁に行なわれるのが僕に幸いした。

  僕は前の学校でも、野球が大好きで三角ベースをして毎日遊んでいたから少々自信があった。好きなものは積極的になる。「僕にもやらせて」「いいよ。どこ守る?」なんて遣り取りをしながら、確か初めは1番セカンドでデビューしたと思う。

  その最初の打席で3遊間ヒット、次が四球、次もヒットで毎回出塁した記憶が残っている。そんなことで、全く知らないクラスメートも僕を戦力として認めてくれたんだと思う。

  その芹田小学校6年3組の同級会が、今年のお盆休みに合わせて行なわれた。卒業が昭和34年3月だから、かれこれ54年ぶりの再会となる。

  当時は1クラス45人、男女半々だったから、野球をやっていたのは、そのまた半数の十数人だったろうか。その後、中学でも一緒に野球部に入り3年間を共にした者は4人いた。

  この4人や、高校まで一緒だった数人とはその後も再会しているので記憶があるが、他の人は会っても分かる自信が全く無い。他の人達は、6年間の思い出だけど、僕はその3分の1の記憶だから不利なのだ。ただ、不思議とクラスのマドンナ達の名前だけは憶えている。

  会場は長野駅前のホテルの一室だった。出席者は45名中21名の出席だった。54年振りにしては、かなり高い出席率でなかったかと思う。

  3つの大きな円卓に7人ずつ着席し、まずは幹事挨拶に続き乾杯。僕と同じテーブルに高校も同じT君・Mi君・Ma君がいたから、それほど硬くならずに会話が進んだのだが、僕の直ぐ右隣の女性が話をしても誰だか分からない。

  仕方ないから自己紹介することにした。

「神童です。5年生の時転向して来たんですが憶えていますかねぇ?」
「勿論憶えていますよ。学芸会だったか何かで、ボーイ・ソプラノの綺麗な声でソロを歌いましたよね? 私はK美恵子です。分かりますか?」
「勿論分かりますとも」

  実は分かっていない。そして相当に驚いた。Kさんは間違いなくマドンナの1人だった。既に言ったように名前は憶えているのだ、マドンナ達の名前は! かなりふくよかに年を重ねられ、遠い昔の記憶と目の前のKさんがどうしても結び付かない。

  でも、そうと分かれば、当時のエピソードなどに話は大いに盛り上がったし、自分が忘れていたボーイ・ソプラノを覚えてくれていたのが嬉しかった。(僕は地元放送局の少年少女合唱団に一時いたことがあった)

  当時4人いたマドンナ(僕の勝手主観)のうち、この日は3人が出席していた。他の2人は面影が残っているので分かったのだが、Kさんには申し訳なかった。

  それにしても大学や高校の同期会と違って、夫々の人生が幅広くて面白かった。東工大教授、東大出身の元女性記者、地方放送局のパーソナリティー、学校の先生、地元の有名とんかつ店店主、農家を継いだもの、やくざになった奴など、色とりどりの人生がそこにはあった。

8月 22, 2012   No Comments

オリンピックに思う

        オリンピック招致委HPより拝借

            オリンピック招致委HPより拝借

今度のオリンピックを見ていて思ったことが2つある。一つは石原都知事が進めるオリンピック招致であり、もう一つは日本の女子選手達の強さである。

東京オリンピック招致に反対だったり消極的だったりする意見がかなり多く、東京は他の候補地に比べて、開催地の人々の関心が今一つという状況がマイナス要素と言われている。

前回、招致合戦に相当のエネルギーとお金を費やして、残念ながらリオに持って行かれてしまった苦い経験をしたばかりだから、余計に、何故そこまでオリンピックに拘るの? という層も多いのではないか。

石原さんも、新党と尖閣諸島とオリンピックにしか関心がないように見えるから、今の経済状況はそんなことに浮かれている場合じゃないだろう、とか、そんな金があったらオリンピックより先にやることが沢山あるだろう、との意見も多い。

これはこれでその通りと思う。思うけれども、バブル崩壊から20年。20年もの間元気のない日本が続いた上に、その間、神戸・中越・東北と大震災が次々に起き、遂には原発の大爆発という致命傷まで負ってしまった日本なのだ。

誰かが何かで日本を元気にしなければいけない。若者達の将来展望が少しでも視界を明るくしなければいけない。しかし、この20年、決め手が何も無かった。どの政治家も示せなかった。元気は詰まるところ、人の心の張り具合なのだから、チマチマした政策や忍耐を強いることでは元気を取り戻せない。

ロンドン・オリンピックを見ていて思った。今必要なのは祭りだ。それも国全体が燃えるような大きな祭り、それは世界最大の祭典、オリンピックだと。これを東京で再び開催して、日本に元気をもたらし、世界に対する誇りと自信を回復して、オリンピック後を人々が前向きな気持ちで頑張って行けるようにすることだと。

石原さんはオリンピック招致を前面に掲げることで、他の問題点を包み隠そうというのではないかと見ていたことを正直に吐露しておこう。その上で、彼のオリンピックへの拘りの理由が少し分かった気がした。

もう一つ思ったことがある。それは日本の女は強かったということ。アーチェリー然り、柔道然り、卓球しかり、サッカー然り、バレーボール然り、レスリング然りだからだ。

僕は、女子レスリングが終わって、日本の金メダルは女4、男1だった時、FBに「これが今の日本の縮図か。♪ また一つ、女の方が偉く思えて来た・・・♪」と書いた。書いたらその途端に、村田選手がボクシングで、米満選手がレスリングで金メダルに輝いた。僕の書き込みに奮起した筈はないけど・・・

日本男児もやる時ゃやるじゃん!!!

  金メダルの村田涼太選手(ボクシング)

  金メダルの村田涼太選手(ボクシング)

8月 14, 2012   3 Comments

OB会のホームページ

  OB会ホームページ  写真ギャラリー

  OB会ホームページ  写真ギャラリー

 

  先輩達の策略に掛かって常任幹事となった最初の幹事会の時、会長さんが僕に言った。「神童君に参加して貰ったのは他でもない。ITとは無縁だったこのOB会に君のシステム・センスを注入して貰って、ITを活用した今日的な組織に生まれ変わらせて欲しいのだ」と。

  OB会にITを導入するのが私の役割? 「正直言っちゃいますけど、OB会と言ったって、早い話が老人会でしょ? その老人会に何の必要あってITを導入しなければいけないのですか?」と言いたいところをグッと堪えて、「ハァ、考えてみますので少し時間下さい」と返事しておいた。

  ITの必要性がサッパリ分からなかったからだ。毎月の常任幹事会は第2金曜日の午後からなので、今の会社の黙認の下、その日はそちらを優先させて貰っている。半年も常任幹事会に出席し、また、事務局の人達と話をして来ると、ITについてこれまでどういう話がされ、どういうトライがされて来たかおぼろげに分って来る。

  以前、希望する会員からメール・アドレスを教えて貰い、OB会の活動報告や定時総会の案内などを、本部からのメルマガ発行という形で行なったことがあったらしい。だが、それはホンの一部の会員に止まり、全国への広がりを期待することは出来なかったそうだ。

  OB会だから、元々、業務効率化(機械化)などのテーマが成り立つ筈はない。要は、伝統的な活動(会報の発行、各種同好会活動、趣味展、年1回の懇親パーティーやビアガーデン・パーティー等など)に加えて、会員が新たな楽みを見付けられるような、もう一つの世界を作り出せないかということのようである。

  つまり、会長さんが僕に言った「ITの導入」とは、会員向けWebサイト(ホームページ)を開設することだと理解した。

  今年に入ってから検討を始めて、3月の常任幹事会に、「中間報告」として検討内容を提起した。この時、実際の画面イメージを資料に付けた効果だろうか、出席者の印象は頗る良かったようだ。

  そうは言っても、ホームページは記事や内容が頻繁に更新されないと、直ぐに見向きもされない無用の長物と化す。益して内容が硬過ぎたり面白くないのも同じ運命を辿る。

  そこで幾つか工夫を凝らした。多くの会員が参加し易い写真投稿欄(写真ギャラリー)を作って、年1~2回程度しか出来ない趣味展を、バーチャルな世界で常設していつでも誰でも作品を掲載出来るようにしたり、沢山ある同好会の専用ページを用意して、活動への参加呼び掛けや、活動の内容をブログの形で載せられるようにした。

  また、「随筆リレー」とか「編集雑記帳」などのコラム欄を用意して、まずは常任幹事やホームページ委員会メンバーが持ち回りで執筆したり、「写真ギャラリー」に投稿された写真は新しい順に何枚かを、トップページの上段にスライド型で大写しするなどして、常にホームページが変化している(記事の更新が行なわれる)ように工夫したりした。

  5月下旬にカットオーバーして2ヶ月半以上が過ぎたが、最初は、一方的に主催者側からの発信だけに止まっていたのが、最近漸く参加型のホームページに変って行く気配が出て来た。

  それは、写真投稿や同好会記事の投稿のやり方などに関して、僕への問合せが多くなって来たことで、投稿に挑戦する人が少しずつ増え始めたことが分かる。但し、問合せに1人で応えるのは身が持たないので、応えられる人を数多く作るのが次の課題ではあるが・・・

  文字通り、参加型ホームページになることを目指して更なる工夫を重ね、このホームページがOB会の一層の発展に寄与し、願うらくは、これを機にパソコンやインターネットに挑戦するシニアが1人でも増え、新たな楽しみを見出して頂けたら、ホームページ構築も、少しは意味のある取り組みだったと言えるだろうと思っている。

OB会のホームページを覗いて頂ければ幸甚です。

http://www.ioikai.com/

8月 9, 2012   No Comments

策略に引っ掛かった

無題

  出身会社に全国組織のOB会がある。中央にOB会本部があり、会長・副会長以下十数名の常任幹事と2名の会計監事、加えて、日常業務をこなす事務局が存在する。その傘下に、北は北海道から南は九州まで、8つの支部があり、OB会会員2,300名を擁する組織なのだ。

  僕は1年前から、このOB会の常任幹事に任ぜられている。それは先輩の常任幹事達から旨いことハメられた結果だった。

  ある時、先輩のIさんから、「OB会の会報に、君のバンド活動のことを載せたい。ついては原稿用紙3毎程度の文章と写真を送ってよ」と電話があった。

  その時僕はOB会に加入していなかった(加入したいとの積極的希望もなかった)ので、「私はOB会の会員じゃないから書いても無駄なんじゃないですか?」と聞き返した。

  Iさんの答えは、「会社のOBには違いないんだから、会報に載せるのに何も問題ない」だった。いろいろお世話になった先輩だから仕方ないと、55歳を過ぎてバンド活動をやることになった経緯などを書いてIに伝送した。

  それから10日ばかり過ぎて、Iさんから電話が来た。

「神童君、誠に申し訳ないけど、事務局が言うには、やはり会員じゃないと載せられないと言うんだよね。なので、この際だからサ、会員になってくれない?」
「え!? 会員でなくても問題ないって、Iさんが言うから書いたのに」
「ゴメン、ゴメン。会員になってくれたら何にも問題ないから、俺の顔を立ててくれないかなぁ?」
「しょうがないなぁ。会員になるのはどうすればいいの?」
「5千円払えばいいだけだから。それと申込み書類一式送るよ」

  5千円というのは、入会一時金3千円と年会費2千円のことだった。

  何のことはない。一生懸命に原稿を書いて、原稿料マイナス5千円で会報に載せて貰ったという訳だ。

  策略はこれに止まらない。会報に僕の原稿が載った頃、僕と同じシステム職場出身で2年先輩のMさんが、都合により、5月のOB会の定時総会で常任幹事を降りることが決まっていたらしい。退任するには自身が後任を推薦することが慣わしという。

  彼は、僕が退職後もOB会に加入していないのを承知していたようで、同期のIさんとつるんで、まず僕を会員にする方法を考え、それから後任の常任幹事に推薦するという作戦だった。いや、どう見ても、そういう良く出来たシナリオで進んだのではないかと、僕は疑っている。

  OB会の会長さんから連日のように電話攻勢を受けては、流石にノーとは言い難くなり、とうとう常任幹事を引き受けざるを得ないハメになったのだった。それから1年経ち、今、僕はOB会のホームページの作成・普及・運営の役割を与えられている。

8月 7, 2012   No Comments

誤審と言い分

    柔道男子66キロ級 この判定が覆った   ネットより借用

    柔道男子66キロ級 この判定が覆った   ネットより借用

 

  今たけなわのロンドン・オリンピック。これまでにない最大の特徴は、誤審が頗る多い上に、それが簡単に覆る点だろう。

  柔道男子66キロ級の海老沼匡選手が韓国の選手と準々決勝で、青旗3本上がり韓国選手の優勢勝ちとなったのが、ジュリーと言われる審判委員のクレーム後(忠告後)、やり直し判定で全く逆の白旗3本となり、海老沼選手の勝ちとなった。

  この試合、その直前にも延長に入った後、海老沼選手の小外刈りで韓国選手が横向きに倒れたので、主審は有効を宣してその時点で試合終了としたが、ジュリーがクレームを入れて、有効は取り消され試合続行となっている。

  開いた口が塞がらないとはこのこと。オリンピックの審判なら、選手と同じように世界から激戦を勝ち抜いて選ばれる仕組みがないと、オリンピックの価値を大きく毀損するし、何より選手に失礼だ。

  だが僕は、こんなことを見せ付けられたからだろうが、ふと、誤審とは全く関係のない昔の話を思い出していた。物事の二面性と言うか、同じことが角度によって全く異なって見えるということを想起してしまったのだ。

  ある急成長した会社の創業社長と、創業以前から彼を支え業容拡大に尽力した専務取締役とが、それまでと違い、お互いの関係がどうもしっくり行かなくなって来た。そして遂に専務は退社し、他の会社に請われて転職して行った。

経済誌や新聞では、何があったのか盛んに観測記事が書かれた。そのワンマン社長は、当然マスコミからは「悪役」として扱われてしまった。その会社のワンマン経営はつとに有名(それが急成長のエンジンでもあったが)で、マスコミは専務に同情的だったからだ。 

  言われのない非難に我慢ならなかったワンマン社長は、記者の前で、「悪いのはオレじゃない。裏切ったあいつだ。だからこっちが先に追い出したまでだ」と憤慨した表情でしゃべってしまった。

  こういう喧嘩は、経済誌よりも一般週刊誌の方が関心を持つ。週刊誌の記者達は、この社長の談話に対して言いたいことがあるだろうと、元専務の元に押し掛けたが、この専務、「何も言うことはありません」で貫き通したのだった。

  バブルが弾けその影響でこの会社の当時の勢いはどこへやら。多額の借金を残して倒産してしまった。それから10年。元専務は請われて行った上場企業の社長として、ある雑誌の特集に登場した。そこで回顧談の中の極く一部に、当時のことに触れている個所があった。

  「いやー、あの時は、週刊誌の記者に自宅まで押し掛けられて大変でしたね。真相なんて大げさなものは何もなかったのでそっけない返事しか出来なかったんですが、強いて言えば、愛想が尽きたというか見限ったというのが本当のところですかね」

  方や「裏切ったから追い出した」、方や「愛想が尽きて見限った」。同じことがこれだけ違って見えるらしい。

  青くも見え白くも見えるは人の心か(尊山)

8月 3, 2012   No Comments

僕の女性ビートルズが海外公演

 
               今年1月のフィンランド公演から  (1)

                 
  当ブログで過去何回も取り上げたビートルズ・トリビュート・バンド「アップルビーツ」。ポッツ(ポール)・ズー(ジョン)・キャップ(ジョージ)・ワニドラ(リンゴ)に、もう1人、紅一点のサム(ジョン)の5人編成のバンドだ。

  彼等全員が、筋金入りのビートルズ・マニアで、夫々のビートルズ・メンバーになり切って演奏するサウンドはビートルズそのもの。と言うより、これも何度も言って来たことだが、ビートルズ一筋20年・30年・40年の活動暦の人達だから、たった8年だった本物のビートルズより上手いのは当然なのだ。

           これが アップルビーツ

                  これが アップルビーツ

 

  さて、その中の女性ジョン・レノンのサムが率いる別のバンドがある。女性4人組のビートルズ・バンド「ブルー・マーガレッツ」だ。

  サムから教えて貰って彼女達のYoutubeのライブ映像は見たが、まだ生では見たことがなかったので、以前サムに、新子安の大木先生の店「Mグレコ」で演奏して欲しいとお願いをしていた。が、この「ブルー・マーガレッツ」、なかなかの人気バンドなのでスケジュールがなかなか空かず、未だ実現していない。

  「年内はライブの予定が決まっちゃっているので、ブルー・マーガレッツがグレコに行くのは難しいですが、アップルビーツや他のビートルズ仲間と、いつか必ずグレコにお邪魔したいと思っています」との気遣いの連絡が既に入っている。

  そして昨日、サムから連絡があった。「南フランスから、9月下旬に行なわれるビートルズ・フェスティバルへの招待状が来たので、精一杯楽しんで来ます」と。そうなんだ。「ブルー・マーガレッツ」は、今や世界で活躍するミュージシャンなのだ。

  今から4年前になるのだろうか、サムから「今度、リバプールのキャバーン・クラブでライブをやれることになったんです」と聞いて、最初は何のことか直ぐにピンとは来なかった。キャバーン・クラブは、あのビートルズがデビュー前から本拠地としていたライブハウスだ。

  今は、毎年リバプールで「ビートルズ・フェスティバル」が開催され、市内あちこちでビートルズ・バンドが演奏するお祭りが定着し、全世界から観光客もビートルズ・マニアも沢山やって来る。その中でも、やはりメイン会場は今もそのまま残るキャバーン・クラブだ。

  当時、「ブルー・マーガレッツ」は自費参加だったし、翌年も同じ場所で2年連続出演しているから相当大変だったと言う。受け入れ側も、東洋から可愛い女性ビートルズがやって来るというので、物珍しさもあって、いきなりメイン会場のキャバーン・クラブ出演が認められたのかも知れないが、彼女達の幸運は、その時会場に来ていたフィンランド人に大変気に入られたことだろう。


              今年1月のフィンランド公演から  (2)

  その後、2年間に2回、彼を通してフィンランドに招待され、女性ビートルズの海外公演は大成功を収めたのだった。そして、その成功が次の展開に繋がり、この度のフランス公演となった模様である。

  そんな彼女達には畏れ多くて、「グレコで演奏して」なんて軽く言えない。「M グレコ」には、プライベートで飲みに来てくれるだけでいいから。

  サムさん、おめでとう! ブルー・マーガレッツ、万歳!

 

「ブルー・マーガレッツ」の公式サイト
http://bluemargarets.co.uk/top.html


              今年1月のフィンランド公演から  (3)

8月 2, 2012   2 Comments