プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 11月 2012

ライブ イン グレコ のお知らせ

   12月8日(土)、「のどごし生バンド」 のライブを開催致します。今回も、前回好評だった 「ダンディー・クイーン」 と再度ジョイントし、楽しいコンサートにしたいと思います。「のどごし生バンド」は全員で アカペラ・クリスマスソング に挑戦します。(出来るかなぁ?)

  皆様、是非、今年最後の 「のどごし生バンド」 ライブにお越し下さい。

 

チラシ

11月 21, 2012   No Comments

友人 猪瀬

 無題

  都知事選に関して、僕の古い友人の猪瀬の様々な観測記事が飛び交っている。だが、彼の偉いところは、いずれは立候補の表明はするのだろうが、目下のところ、石原氏が知事を辞職した後、そんなことに一切かかずらうことなく、知事代理として淡々と公務をこなしていることだと思う。

  彼は政治家ではない。ノンフィクション作家としての問題意識と、その本質に迫る鋭いアプローチが特質で、東京都の副知事になってから彼が手掛けた、組織横断の数多くのプロジェクトの成功は、過去どの知事もどの官僚も成し得なかったテーマばかりだ。

  例えば、東京都の水と水道システムを外国に売ろうという発想は、今まで都庁の中に思い付いた人はいただろうか? 謂わば、猪瀬は極めて優れた仕事師だと思う。

  なので、友人としては、彼が選挙に出ることも都知事になることも、本音からすれば賛成ではない。彼が物事を突き詰めて突き詰めて最後に導き出した結論は、誰が何を言おうと貫こうとするし、従って、自らの立場もアバウトにせず鮮明にする。

  そんな彼が、状況に応じて考えを変える政治家の仲間に入ることが心配なのだ。縦割りの官僚組織に横串を刺して、大プロジェクトで結果を出す今の副知事職務が猪瀬の天職のように思えるからだ。

  だが、一方、彼を都知事にという「時代の要請」があった時は、男児たるものその義務から逃げるべきでない。他の候補者が何人か名乗りを上げているが、猪瀬が彼らと違うのは、自ら都知事を目指したいとは思っていないことだろう。きっと、自分が都知事になることが、「時代の要請」か否かを見極めているのだと思う。

  彼とは長野の高校時代、一緒にマンドリンクラブに所属していた。勿論、マンドリンが主役だから、殆んどの部員はマンドリン担当だ。その数40人以上だったと思う。その伴奏をギター班たった4人で務めた。

  そのギター班に猪瀬と僕がいたという訳だ。高校一年の時はクラスも一緒だったし、よく2人で悪ふざけもしたと記憶している。

  高校卒業後、僕は仙台の大学に進んだが、彼は一浪したので、場所も離れてしまい、新しい世界で新しい仲間達と大学生活を送っていったので、暫く猪瀬とは没交渉になって行ったのは仕方のないことだった。

  そして、大学1年の正月が過ぎ2月に入った頃、彼から僕の所に手紙が来た。その内容は「今度、北大の医学部を受験する。お前の両親が転勤して札幌に住んでいるよね。ついては、受験の時、泊めて貰いたいんだけど、ご両親に頼んで貰えないかな?」というものだった。

  大学入試の頃(3月初め)は、僕も大学1年の期末試験の頃だから、「親父達に頼んでみるけど、オレ自身は札幌に戻れないけどいいか?」と返信したら、「お前はいなくて結構。ただ泊めて貰えればそれでいい」と来た。

  大した奴だとその時思った。逆の立場で、友人も不在で全く知らない人の家に1週間泊まる勇気は僕にはない。更に、両親の住む家は、公務員官舎で6畳2間しかない小さな一戸建てなのだから、かなり気疲れするだろう。「そんなの平気」と彼は言って来た。

  両親は両親で、全く知らない人を迎え入れるのだから、どういう人か聞きたいだろうと思い、一応高校3年間の付き合いなどを書き送っておいた。

  物事は想像とは違う結果を見せる。彼がいた1週間で両親は猪瀬のことが頗る気に入ったようなのだ。実の息子の僕は、正直、高校の頃は父親と会話するのが好きじゃなかったが、猪瀬は僕の親父とも積極的に会話をしたらしい。

  結局、受験には失敗して長野の大学に入ったが、両親は甚く彼が気に入ったようで、その後の猪瀬の近況などを良く僕に聞いたものだ。

  彼のもう一つ偉かったのは、「ミカドの肖像」で大宅壮一賞を取った後、僕の家に電話して来て、両親に当時のお礼を兼ねて報告に上がりたいと言って来たことだ。大作家の仲間入りしても、20年以上も前のことを覚えていて、そういう連絡をくれたのは見上げた奴と正直思った。

  或いは、猪瀬は両親を早くに亡くしているので、この受賞を私の両親に親代わりとして喜んで貰いたかったのかも知れないが。

  しかし結局は、両親の長期旅行と重なって彼の訪問は叶わなかったけれど。両親も大宅壮一賞受賞のことは知っていたようだし、猪瀬が会いたいと言って来たことには喜びを隠さなかった。彼のテレビ出演を、よく2人で食い入るように見ていた姿を思い出す。

  実の息子が大したことないので、猪瀬に期待していたのかも知れない。先にも言ったが、友人の僕としては、リスクのある都知事になるよりも、今の副知事で具体的な大仕事を次々に実現していく方が猪瀬の良さが発揮できると思うから、都知事選出馬にはあまり賛成ではなかった。

  だが、都知事になった猪瀬の姿に、今はなき両親がどれだけ喜ぶかと想像すると、やはり、彼には都知事になって貰いたいと思い改めた。

無題2

11月 14, 2012   7 Comments

Kei & Yuu

無題

  土曜の夜は「Kei & Yuu」のライブだった。そのドラム・サポートでグレコに行ってきた。サポートは僕の他にベースのE君がいた。E君とはこの日初めてお会いし、即、演奏というあまり経験のないぶっつけ本番のステージとなる。

  とは言え、一応、短時間ながらリハ(と言うより打合せに近い)を行なったから、精神的な不安はかなり軽減された。

  Keiさんはプロの女性オペラ歌手だ。Yuuは我らがピアニスト大木豊さん。「のどごし生バンド」のピアニストであり、ライブバー「グレコ」のオーナーだ。最初、大木さんのピアノの伴奏でKeiさんが歌うライブとして企画された。

  「Kei & Yuu」の1回目のライブの時に、急遽、ベースとドラムも入れたいとなって、Mr.Koba(ベース)と僕(ドラム)が加わった経緯がある。2回目のライブも同じメンバーで行なったが、今回はMr.Kobaが都合付かず、E君に代わったのだ。

  Keiさんは、決してクラシックに拘らず、カンツォーネ・シャンソン・ジャズ・ポップスと幅広い。そして、毎回、違う曲を披露する。だから、連続して彼女のライブを聞きに来ても、いつも新鮮だ。

  だが、バックバンドを務める者にとっては、毎回、ライブ直前に曲名を聞き、演奏上の注意点やら要求を聞いて本番に備えるのがかなり大変だ。良く知っている曲は兎も角、知らない曲はボーカル・ピアノ・ベースの様子を伺いながら空気を読んでやるしかない。

  プロのドラマーのように、譜面を渡され所見で叩くような離れ業は持っていないので、ベースかピアノからの合図をお願いして、ブレークやエンディングを合わせるしかない。

  これまでは、Mr.Kobaにこれをお願いしていたが、今回、果たしてE君と呼吸が合うか少し心配だった。が、結果は大成功だった。それは、彼がまだ28歳と若いながら、気配りの人だったからだ。

  実は、E君がプロ・ベーシストだったことは、ライブが終わってから知ったのだが、自分のヒュージョン系、乃至、スムース・ジャズ系のバンドを持ち、そのバンマスだという。メンバーの中には原何某という20歳の天才ギタリストがいるが、彼はシャープス&フラッツの原信夫の孫だそうだ。

  休憩時間に、E君が持って来た彼らのバンドのCDを店で流したのを聞いたが、実に素晴らしい。早速1枚購入。グレコで一度ライブをやってとE君に頼んだ。彼は快諾してくれた。

  話が横道に逸れた。この日の主人公はKeiさん。彼女のソプラノ、乃至、メゾソプラノの歌は、まずその声量に圧倒される。そして、感心するのは、歌の最初やブレーク後の最初の音程が頗る正確なことだ。

  上手いと言われる人でも、フラット気味の音程から正しい音程に引上げて行く場面は良くお目に掛かるが、Keiさんにはそれが全くない。

  このことを大木先生に言ったら、我が意を得たりとばかりの答えが返って来た。「歌い出しの音程が正確だと、聞いていて、あんなに気持ちの良いものかって思います。だからKeiちゃんの歌は大好きなんです」って。

  大木先生に言わせると、プロと言われる歌手でも、しゃくり上げて行くような歌い方の人が沢山いてガッカリするという。特に女性のプロ・シンガーに多いらしい。彼女達、それが良い歌い方と誤解しているのではないか、とも。

  確かに、サラ・ボーンにせよ、カーメン・マックレーにせよ、ナンシー・ウィルソンにせよ、はたまた、今年亡くなったホイットニー・ヒューストンにせよ、黒人系のシンガーは絶対にフラット気味には歌わない。

  そんなKeiさんのステージのドラムを3回も努められ、その上、彼女から次も絶対にお願いしますと頼まれたとあっては、さすがに謙虚を絵に書いたような僕の中にも、少しばかり自信めいたものが、初めて芽生え始めた。が、多分、これも幻想だと思おう。

11月 13, 2012   No Comments

ベトナムの風景

           水量豊富なメコン川    Photo by Sindou

        水量豊富なメコン川    Photo by Sindou

  11月初めのベトナムはまだ雨季だったから、1日に2度のスコールにも遭った。昼の気温は33度もあり、湿度も高いので、日本の夏のような蒸し暑さだった。東京は同じ日、最高気温17度と言っていたから、身体の調節が利くのかと心配になる。

  サイゴン(現ホーチミン市)は、メコン・デルタ地帯だ。大河が運んだ土砂で出来た土地は何処までも平らで広大である。メコン川が海に流れ出るまでの約100kmは精々標高2~3mだそうだ。

  サイゴンからメコン川まで50~60kmをバスで向かったが、回りの景色は青々とした稲田が正方形に並んでいて、日本の風景かと見紛うほどだ。ベトナムでは稲作は二毛作だそうだ。

  メコン川は中国の昆明辺りを源として、南に下り、ラオス・ミャンマー・タイ・カンボジアなどを経てサイゴン近郊の海に注ぎ出る。その間4、000kmというから凄い。まぁ、それでも世界では12番目の長さだとか。

  因みに、1位はナイル川6、700km、2位アマゾン川6、500km、3位長江6、400kmの順だ。日本のナンバー・ワンの信濃川が367kmであることを思うと、大陸を流れる川は途方もない。

       メコン川の名物 エレファント・フィッシュのから揚げ

     メコン川の名物 エレファント・フィッシュのから揚げ

  サイゴン市内で強烈な印象を受けたのは、市民の足であるバイクの多さだ。朝夕のラッシュ時などは、バイクの行進が何かの大規模デモか、はたまた、集結した暴走族の大移動かと思わせる壮観さだ。

    バイク大隊は今日も行く    Photo   by   sindou

    バイク大隊は今日も行く    Photo by sindou

  更に、車道は自動車ではなく、バイク優先の道なのかと思わせるくらい、バイクが傍若無人に行動するので、町なかの車の運転は凄く疲れそう。

      スコール  バイク社会は雨合羽が必需品

      スコール  バイク社会は雨合羽が必需品

  物価は日本の1/5~1/8ぐらいか? かなり安いと感じる。それでも数日いると、値札の数字の大きさからか、安い印象が徐々に薄れていくから不思議だ。殆んどの商品の値段は、10、000ドン以上なのだから。尤も、10、000ドン=40円なのだが・・・

     ホーチミン市の市役所 (150年前のフランス建築)

     ホーチミン市の市役所 (150年前のフランス建築)

  サイゴンは、約900万人が暮らす人口密度の頗る高い都市だ。東京とさほど変わらない。一角には超近代ビルが立ち並び、高級品を売るデパートなどもあり、確実に近代化の過程を歩んでいるが、サイゴンの町全体の印象は、僕らの青春時代の地方都市のような感じを受けた。

  高度成長前の昭和の時代の町並みを彷彿とさせる。バイク修理の店が多く、それが当時の町並みに必ずあった自転車修理店を思い出させる。食堂もテーブルに簡単な丸椅子の店が多い。サイゴンはどこか懐かしさを憶える町だった。

  サイゴンの教会 (国民の1割はクリスチャン)

  サイゴンの教会 (国民の1割はクリスチャン)

        伝統芸能 「水上人形劇」 (世界文化遺産)

        伝統芸能 「水上人形劇」 (世界文化遺産)

11月 12, 2012   No Comments

ベトナム戦争

  メコン川沿いの湿地   ゲリラ戦の舞台を思わせる  Photo by KM

 メコン川沿いの湿地帯 (ゲリラ戦の舞台???) Photo, KM

  金・土・日の3日間、ベトナムのホーチオミン市(旧サイゴン)を訪れた。ベトナム戦争は高校・大学、そして社会人なり立ての時期を通じて、多分、世界で最大の出来事だったと思う。北ベトナムと南ベトナムとに分かれていた国が、米ソ冷戦の代理戦争のような形で相戦った戦争。

  北ベトナムに対してはソ連・中国が軍事物資の提供を初め軍事顧問団の派遣など様々な援助を行い、南ベトナムにはアメリカが同様の支援を行なった。しかし、トンキン湾事件をキッカケに、米軍が投入され大規模な北爆が開始され(1965年2月7日)、遂に北ベトナム対アメリカの戦争となって行った。

  その戦争は、北ベトナム軍の戦車がサイゴンの南ベトナム大統領官邸の門を破って官邸に入り、兵士が官邸の2階のバルコニーに北ベトナム旗を掲揚したことで終結した。1975年4月30日のことだった。米軍の北爆開始から丁度10年目だ。

  その日の前日までに、グエン・バン・チュー元大統領一家や南ベトナムの要人、アメリカ人などが次々ヘリコプターで脱出して行く様をテレビで見たし、サイゴン陥落については、新聞の一面に大統領官邸のバルコニーに北ベトナム旗を何人かの兵士が掲げている写真が大きく出ていたのを痛烈に憶えている。

  巷には、PPMの「Where Have All The Flowers Gone?」 や、ジョン・バエズ「We Shall Overcome」などの反戦歌が流れた。その流れはCCRの「Have You Ever Seen the Rain?」(注、日本語題名=雨をみたかい。雨とは、北爆に使われたナパーム弾とされる)やジョン・レノンの「Imagine」など反戦平和の大ヒット曲に繋がって行った。

  僕が行ってみたかったのは、ベトナム戦争終結の象徴となった旧大統領官邸だ。今は「ベトナム統一会堂」と改名されて、一般公開されていた。グエン・バン・チュー大統領が使った執務室と大きなテーブルや、豪華な来賓の待合い室に作戦司令室、地下に作られた防空壕と臨時指令本部など当時のまま保存されていた。

      ベトナム統一会堂 (旧南ベトナム大統領官邸)

  ベトナム統一会堂 (旧南ベトナム大統領官邸)

  心を和ませたのは、建物の南側に、大統領一家が暮らしたプライベート・エリアがあったことだ。夫婦の寝室、回廊を挟んだ反対側に子供部屋、回廊の真ん中には家族のリビングを兼ねた食堂が配置されていた。サイゴン陥落の10日前まで彼はここで家族と一緒に生活していたのだ。

     豪華な応接室  各国から国賓を迎えた部屋

   豪華な応接室  各国から国賓を迎えた部屋

         広大な敷地の中にある噴水

         広大な敷地の中にある噴水

  執務室では指揮を執りながら、だが、迫り来る北軍に敗戦を覚悟したのは、いつ頃だったのだろうか? 

  大統領一家はアメリカに亡命した筈だが、今どうしているのか、ふと、疑問に思ってガイドに聞いてみた。亡命先はカリフォルニア州。グエン・バン・チュー本人は既に亡くなったが、奥様やお子さん達は今も健在だとのこと。

  南ベトナム政府の天守閣が敵軍に明け渡されたその場所に佇むと、「つわものどもの夢の跡」という言葉が浮かんだ。

  この旧大統領官邸の広い庭の一角に戦車が2台置かれている。最後に官邸に突っ込んだ北ベトナム軍の実物の戦車だった。

        サイゴン陥落を決定付けた戦車(実物)

        サイゴン陥落を決定付けた戦車(実物)

  それにしても、世界最強の軍と兵器を持つアメリカが、ソ連・中国の支援を受けていたとは言え、圧倒的に物量で劣る北ベトナムに敗れた本当の理由は何だったのだろう? 

          市役所前のホーチミン像

          市役所前のホーチミン像

11月 9, 2012   No Comments

ダンディー・クイーン(後)

       ダンディー・クイーン  「ロング・トレイン・ラニング」 演奏中

       ダンディー・クイーン  「ロング・トレイン・ラニング」 演奏中

  ダンディー・クイーン、1曲目は「ロング・トレイン・ラニング」。Oのギター・ソロで始まるこの曲は、彼のそのテンポの取り方次第で速さが決まる。この日は抑え気味のテンポで、なかなかゆったり感があって宜しい。この曲がスタジオ練習の時より数段良かったので、メンバーにも余裕が出来たと思う。

    TAMA児玉   ギターからサックスに持ち替えてアドリブ

       TAMA児玉   ギターからサックスに持ち替えてアドリブ

  MCは僕だ。「ダンディー・クイーンと言います。間違ってダーティー・クイーンという人がいますが、ダンディー、ですから、お間違えないようお願いしますよ。あいおいニッセー同和損保の現役組とOBとで構成しています」と挨拶。

  続いて、ダンディー・クイーンの本日のテーマは「グレコ デ ディスコ・サウンド」であること、70年代のディスコ・ミュージック中心に演奏する旨を伝えた。

           K&K   「ビーナス」 熱唱中

           K&K   「ビーナス」 熱唱中

  1曲目の題名紹介に続き「ビーナス」。K&Kという女性デュオが歌う。この時、僕はMCと演奏の掛け持ちの難しさを初めて感じ取った。それは曲の最初のカウントを僕が出すのだが、MCでしゃべってマイクを後に押しやって、直ぐに曲のカウントを取るということが難しかったのだ。

  これまでは、他の人のMC中に、次の曲のイントロなりメロディーなりを心の内で口すさんで、MCが終わると同時にカウントを出す事が出来たが、自分でMCをやっているとそうは行かないことに気が付いた。従って一呼吸おいて始まることになってしまった。この点は1月の「音楽祭」までの新たな課題となった。

               MC に挑戦中

             MC に挑戦

  2曲目が終わったところで、メンバー紹介を行なった。ホンの短いコメント入りの名前紹介だったが、本番ではもう少し一人ひとりの人柄やエピソードを入れられたらいいと思う。ただ、ここで、Oのステージ・ネームを発表した。「ドン大泉」。僕が名付けた。彼の歌う「デスペラード」が、イーグルスの「ドン・ヘンリー」ばりだ、という過大評価が多いからだ。

        Mr.Koba  「ウィアー・オール・アローン」 を歌う

 Mr.Koba  「ウィアー・オール・アローン」 を歌う

        ノリ下村    今回初参加、ベース担当

   ノリ下村    今回初参加、ベース担当

    スペシャル・ゲスト  ゴルファン熊谷  「ダンシング・オール・ナイト」

    スペシャル・ゲスト  ゴルファン熊谷

   3曲目以降は、メンバー1人1曲歌う形で、途中、ゲスト・シンガーのゴルファン熊谷の歌を挟んで7曲を終えた。まだしっかり個人練習しなければいけない点はあったが、それでも、2日前の練習時よりも遥かに良い出来栄えだったように思う。その時は本当にライブをやれるレベルか、と全員が訝ったのだから。

        ダンディー・クイーン  「デスペラード」 演奏中

        ダンディー・クイーン  「デスペラード」 演奏中

  ダンディー・クイーンの演奏が終わった。途中盛り上がったのに、何故か会場は静かだ。僕が「終わったんですけど」「終わりましたが」とマイクを通じて言ったら、やっと大きな手拍子となった。無理強いのアンコール要求の拍手。みんな優しい。

       アンコール曲    「ホテル・カリフォルニア」

       アンコール曲    「ホテル・カリフォルニア」

  「有難うございます。それでは、もう1曲演奏させて頂きますが、この曲、実は2日前のスタジオ練習では出来が散々で、最後まで行くかどうか分かりませんが、そのスリルを味わって下さい。曲はイーグルスのナンバーから、『ホテル・カリフォルニア』」。

  冗談ではなく、最も心配な曲だったが、全般に練習時より数段良かったのだから、何とかなるだろうと思ってスタートさせた。全然違う。なかなかいいぞ。歌うMr.Kobaもツイン・リード・ギターのドン大泉もTAMA児玉も気持ち良さそう。

  歌が終わって最後のツイン・ギターの見せ場に入った。TAMA児玉が、ドン大泉に向き合ったからドラム位置から、彼の顔が良く見える。顔が紅潮してその表情が、「楽しい!」と叫んでいるよう。終わった。大きな拍手が来た。大満足で終わることが出来た。

  ここで、伝説のプロデューサーHKさんが帰られる。彼は帰り際、「とても楽しいライブだった。想像以上だったよ。ピアノの彼もサックスの彼も凄いものだね。これは、また来ない訳にはいかないね」と、この上ないお褒めの言葉を残して去って行かれた。HKさん、有難うございました。

【ダンディー・クイーンの演奏曲】

1.ロング・トレイン・ランニング   Vo by ドン大泉(O=大泉)
2.ビーナス               Vo by K&K(久美子&佳子)
3.ウィアー・オール・アローン  Vo by Mr.Koba(小林)
4.君の瞳に恋してる       Vo by K&K
5.ダンシング・オールナイト   Vo by ゴルファン熊谷
6.デスペラード             Vo by ドン大泉
7.アンチェイン・マイ・ハート     Vo by QP村山
8.ホテル・カリフォルニア     Vo by Mr.Koba

  第3部は、再び「のどごし生バンド」の演奏だ。6曲の予定をアンコールにより8曲演奏した。最後の曲「ジョニー・B・グッド」は、ギターのイントロが大好きと言うTAMA児玉に加わって貰って大変な盛り上がりの中、この日のライブを終了した。

             出身会社の友人達

                 出身会社の友人達

  その後、店にプロの歌手が別々に2人現れたので、急遽第4部として、前座でアンディーの「嘘は罪」、ひとみさんの「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」、そして、keiさんの「アマ・ポーラ」で締めた。バックの演奏は、ピアノ:サンシャイン大木、ベース:Mr.Koba、ドラムス:QP神童。

  グレコの夜はどこまでも更けて行く・・・・・

  ご来場の皆様、大変有難うございました。次回は12月8日(土)です。クリスマス・ソングも混じえて楽しいライブ・コンサートの夕べにしたいと思っております。是非のお越しを!!!

             ご来場ありがとうございました

             ご来場ありがとうございました

       グレコ常連客の皆さん   ありがとうございました

       グレコ常連客の皆さん   ありがとうございました

     注)  Photo by Yoshitugu Hara

11月 1, 2012   6 Comments

ダンディー・クイーン(中)

   のどごし生バンド  アンディーと38F佐藤 「オール・オブ・ミー」

     のどごし生バンド  アンディーと38F佐藤 「オール・オブ・ミー」

  第1部のステージは、いつものように「のどごし生バンド」から。この日は浜ちゃんと亜希さんがお休みで、彼らの持ち曲を演奏出来ないので、いつもはあまりやらない曲、「酒とバラの日々」を、幕開けの曲としてボサノバで演奏した。これは、大木先生のジャズ・ピアノを存分に聞かせる曲だから、大木ファンには嬉しいスタートの筈だ。

  次いでアンディーが歌う「ララバイ・オブ・バードランド」、アンディーと佐藤さんのコンビで「サニーサイド・オブ・ザ・ストリート」、アンディーの「嘘は罪」と続く。ここで女性ボーカルのマエマエが登場して、アンディーが亜希さんの代役を務めて「恋のフーガ」だ。

  約3ヶ月この曲の演奏はしていない。当日リハもやっていない曲だった。ティンパニーの代わりに、僕がフロアタムでアクセントのリズムを叩くのだが、どうだったっけ? 

  思い出せないままイントロが始まった。「チャラ」(バンド)「ドコドコドン」(ドラム)「チャラチャラ」(バンド)「ドコドコドンドンドン」(ドラム)の最初の「ドコドコドン」を「ドコドコドンドンドン」とやってしまったが、次のバンド部に皆が正しく入ってくれたので、事無きを得た。ハッとしたら思い出した。何とかなった。

  のどごし生バンド  「冷や汗のフーガ」

    のどごし生バンド  「冷や汗のフーガ」

  1部の最後は、再びアンディーと38F佐藤さんで「ダイアナ」。自分で言うのも何だが、さすがに6年もやってる曲だから完成度は高い。最初のステージが終わった。

  僕は大木さんを伝説の大プロデューサーに紹介すべく、彼を伴ってHKさんの席に伺った。僕はHKさんに、「のどごし生バンドの大木さんです。今年の3月までは校長先生でしたけど、4月にこのライブハウスを開店し今は店のオーナーです」と説明。

  大プロデューサーはこう言われた。「前に一度、あれは国際フォーラムだったか、NHKホールだったかで、おじさんバンドを聴かせて貰っていますよ。素晴らしいジャズ・ピアノなので、その時からファンです」。さすが大木さん。この方にそう言わせるプレーヤーはそういない。

      元、校長先生 今、ライブバー・オーナー兼ピアニスト

   元、校長先生 今、ライブバー・オーナー兼ピアニスト

  でも、大木さん、「それは恐縮です」とか返していたけど、どれ程の人物から言われた言葉か分かっているのかなぁ・・・・・

  前回・前々回の立ち見が出るほどの超満員ではなく、客席の8割方を埋める感じの観客数なので、落ち着いた感じのライブになったと思う。こういうのも良い。だけど何故か今日は緊張感一杯の演奏なのだ。特別な方に見られているという意識かな。

  続いて、直ぐ近くにいたフッ君(のどごし生バンドのパーカッション)とO君をHKさんに紹介した。フッ君は、やはり、HKさんに同じホールの演奏の時に目撃されているし、O君は、今年1月の目黒ブルースアレイ「あいおい音楽祭」で、HKさんに彼の歌と演奏を聴いて貰っている。

  さて、次はいよいよ「ダンディー・クイーン」の番だ。直前のスタジオ練習では、およそ満足の行く仕上がりではなかったのに、これからHKさんの前で演奏しなければならないのは、ちと辛い。

  でも、まぁ、僕らはHKさんが仕事の対象として来た、プロのミュージシャンじゃないし、オーディションでもないのだから、僕らなりの音楽の楽しみ方を、いつもの通りにステージで示せればいい。

    伝説のプロデューサー HK氏

   伝説のプロデューサー HK氏

11月 1, 2012   No Comments