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Posts from — 12月 2012

第5回 ライブ イン グレコ 後編

   「グレコ」のオーナー兼ピアニスト 大木さん     Photo by Hara

   「グレコ」のオーナー兼ピアニスト 大木さん     Photo by Hara

 

  「今度の選挙に、私の高校時代の親友が立候補したんですよ。名前は猪瀬直樹って言いましてね。都知事を目指しています。どうか皆さん宜しくお願いします」と、丁度その時は都知事選の真っ最中で、私の頭を占めていた話題を切り出した。

  あに図らんや、ライブなのになんで選挙のお願いなんだと、気持ちが引くというか、その場の空気は少し白けたのが分かった。そりゃそうだよな。音楽を聴きに来たのに投票のお願いかよ、ってところだもの。

  僕はすかさず「でも、横浜で都知事選のお願いをしてもしょうがないですよねぇ」と言ったら結構笑いが起きて座が和んだ。「東京都民の方はいらっしゃいますか?」と投げ掛けたら約半数の20人ほどの人が手を上げてくれた。

  「一度でいいから、都知事が友達なんだ、と言いたいだけなんです」とこの場に相応しくない話題を取り上げたことの言い訳をした。そしたら、これもあに図らんや、「入れるよ~」と声が掛かったのだ。嬉しかった。

 古い友人が立候補しまして・・・・・        

     古い友人が立候補しまして・・・・・        

【第2部 ダンディー・クイーン】

①       ロング・トレイン・ラニング     (歌、ドン大泉)
②       ビーナス             (歌、クミコ)
③       ウィア・オール・アローン    (歌、Mr.Koba)
④       君の瞳に恋してる         (歌、クミコ)
⑤       アンチェイン・マイ・ハート     (歌、QP神童)
⑥       デスペラード             (歌、ドン大泉)
⑦       ホテル・カリフォルニア       (歌、Mr.Koba)
アンコール 人生の扉         (歌、クミコ)

    ビーナスを歌う クミコ

        ビーナスを歌う クミコ

        ホテル・カリフォルニア演奏中      Photo   by   Hara 

        ホテル・カリフォルニア演奏中      Photo by Hara 

  第3部は、再び「のどごし生バンド」。このステージはポップス中心だ。亜希さんとマエマエを全面にだして、アップテンポの曲ながら、ハモリの美しさ楽しさを聞いて貰おうという狙いだ。

  この日のリハで初めて挑戦した「江戸ポルカ」(一青窈)は、マエマエが歌う超高速8ビートの曲だ。この曲1曲で僕は充分に汗だくになる。イントロとエンディングが決まらないままだったが、本番でも演奏を強行することになった。

  本番では、イントロはそれなりに合い、マエマエの歌もかなりいい線行っていたのに、途中で、踊り出した酔っ払い爺さんが、マイクスタンドや譜面立てを倒しそうになったりで、最後の方は歌うどころでなくなってしまった。次回再挑戦だ。

【第3部 のどごし生バンド】

①       月影のTOKYO            (歌、亜希さん・マエマエ)
②       真夜中のボサノバ        (歌、マエマエ・アンディ)
③       ルート66            (歌、38F佐藤さん)
④       私は泣いています        (クラ、浜ちゃん)
⑤       恋のフーガ           (歌、亜希さん・マエマエ)
⑥       江戸ポルカ           (歌、マエマエ)
⑦       ダイアナ              (歌、佐藤さん・アンディ)
アンコール ジョニー・B・グッド    (歌、38F佐藤さん)

  それにしても、都内からも決して近いとは言えないのに、毎回毎回、皆さんにお越し頂き、本当にありがとうございました。お蔭様でいつも大勢の前で演奏出来たこの1年は、僕ら「のどごし生バンド」にとりまして、この上ない喜びであります。

  地元の耳の肥えたお客様にも、何とか僕らの音楽を受け入れて頂いて、とても光栄です。来年もどうか宜しくお願い致します。

     ご来場ありがとうございました          Photo   by   Hara

     ご来場ありがとうございました          Photo by Hara

12月 27, 2012   No Comments

第5回 ライブ イン グレコ 前編

       のどごし生バンド のオジサン達       Photo by Hara

       のどごし生バンド 6人のジジイ達       Photo by Hara

  12月8日(土)に「グレコ」でライブを実施した。「グレコ」とは、3末まで東京都内の学校の校長先生だった大木先生が、今年の4月に、横浜は新子安に開店したライブハウスのことだ。

  そのオープニング・パーティーの時、全部で10バンドを呼んで演奏して貰い「グレコ」の開店を祝ったが、その翌月から、「のどごし生バンド」は定期的にライブを行なって来た。今月まで8ヶ月で5回のライブだから、2ヶ月に1度以上やって来たことになる。まずまずのペースかな。

  この日は前回同様、「ダンディー・クイーン」をゲストバンドに迎えて、全部で3ステージのコンサートを行なった。

  「のどごし生バンド」は結成して8年半になるが、おじさんバンドとしてのメンバーはその時のままなのだ。とは言え、最初は「7人のジジイ達」だったが1人が諸事情により抜けざるを得なかったから、今は「6人のジジイ達」である。

  ボーカルのアンディー、ボーカル&ベースの38F佐藤さん、サックス&クラリネットの浜ちゃん、ピアノのサンシャイン大木、コンガのフッ君、そして、ドラムスのQP神童の6人だ。

  そこに昨年から、亜希さんとマエマエの2人の女性が加わってくれたので、「2人の歌姫と6人のジジイ達」となった。その8人全員が揃うことはめったにないのだが、今回のライブは珍しく全員が揃った。「全員が揃ったのはいつ以来だっけ」とみんな言い合うほどに、思い出せない。

          亜希さん             Photo   by   Hara

          亜希さん             Photo by Hara

    マエマエ         Photo   by   Hara

    マエマエ         Photo by Hara

  4月のオープニング・パーティーの時は勢揃いしてたから、もしかしたらそれ以来かも知れない。全員揃うと何か嬉しい。

  第1部(19:00~)はジャズ中心に曲を選んだ。浜ちゃんがいない時は、いきおい、アンディーと38Fさんのボーカル曲が多くなるのだが、浜ちゃんが出演してくれると、サックスやクラをフィーチャーした曲を演奏出来るので、バラエティー豊かなステージとなる。

【第1部 のどごし生バンド】

①       マイアミビーチ・ルンバ         (全員で演奏)
②       ララバイ・オブ・バードランド      (歌、アンディ)
③       嘘は罪                  (歌、アンディ)
④       ファイブ・スポット・アフター・ダーク  (サックス、浜ちゃん)
⑤       オール・オブ・ミー           (歌、佐藤さん&アンディ)
⑥       メモリーズ・オブ・ユー         (クラ、浜ちゃん)
⑦       煙が目にしみる            (リクエスト、歌、アンディ)

           グレコの常連客の皆さん         Photo   by   Hara    

      グレコの常連客の皆さん         Photo by Hara    

  第2部(20:00~)は「ダンディー・クイーン」。1ヵ月後に、目黒ブルースアレイで行なう「あいおい音楽祭」出場を期して練習を重ねて来た成果を、皆さんに聞いて頂くのが目的だ。

  1ヶ月前と全く同じ曲目を再度演奏させて貰い、僕は当日と同じMCを試してみたいと思っていた。ところが、最初の曲を終えたところで、ドン大泉がギターの弦を切ってしまった。MC係としては時間を稼がないといけない。考えていたシナリオは全部飛んだ。MCは完全なアドリブとなってしまった。

    この後、弦を切ってしまう ドン大泉      Photo   by   Hara

    この後、弦を切ってしまう ドン大泉      Photo by Hara

12月 26, 2012   No Comments

都知事選挙 開票

  当選の挨拶をする猪瀬 左は夫人、右は川渕・鳥居両氏  撮影神童

 当選の挨拶をする猪瀬 左は夫人、右は川渕・鳥居両氏

  投票の締め切りは午後8時なのに、僕が選挙事務所に駆け付けた午後6時半には、高校同期の連中が既に30名ほどが来ていて、みんな椅子に座って雑談していた。

  7時過ぎだと大勢過ぎて事務所に入れないからと、同期には6時集合のお触れが出ていたからだが、確かに、報道陣はテレビ・新聞の主だったところは全て来ているようで、かなりごった返しているような雰囲気だ。

  今日は衆議院総選挙の開票日でもあるから、多くの選挙事務所にマスコミが押し掛けている筈だが、それでも、猪瀬事務所にこれほどの報道陣が詰めているのは、都知事選への関心の大きさなのか、猪瀬個人への関心なのか、いずれにせよ猪瀬は大したものだ。

  N高同期で立ち上げた「猪瀬を応援する有志の会」(僕自身はこの会の副幹事長)の選挙期間中の、イベントの開催、投票呼び掛け・事務所内の手伝いなどの活動が猪瀬事務所に評価されたからか、最前列の席を含め客席の右半分(ステージに向かって右)を我が同期会で使うことを許された模様だ。

  僕は遅れて行ったのだが、幹事長のKT君がリザーブしておいてくれたので前の方に座る事が出来た(2列目右端)。既に「有志の会」代表のⅠ君も着席している。長野市からは地元幹事のT君もいる。彼はこの日のために上京したのだ。更に、同期会の永久世話役のS君も軽井沢の自宅から駆け付けていた。

  夜8時、投票が締め切られた。ステージ左手に置いてあるテレビ画面はNHKを放映している。8時を回って1・2分経った時、「東京都知事選 猪瀬直樹氏当選確実」が伝えられた。

  彼は奥様と一緒にステージ上った。2人の後に、鳥居泰彦(元慶應義塾塾長)後援会長、川渕三郎(元Jリーグ・チェアマン)選対委員長が続き4人が壇上に立った。鳥居氏の挨拶に続いて猪瀬が挨拶した。

  「今回僕に投票してくれた人達の声は、改革を急げ、スピードアップせよとの叱咤激励の声だと受け止めました」と語り出し、仕掛かり中の地下鉄・電力改革などを一気に加速することや、ケア付き住宅の早期1万戸達成・首都直下型地震への備えなどを急ぎ、安心安全都市を実現することを宣言した。

  一番良かったのは、彼が挨拶の最後に「必ずやります!」と僕らを見て宣言した事だ。僕には、我々同期に対して、「言ったことは絶対にやるからな」、と誓ったように思えた。

  続いて、川渕氏が万歳三唱代わりに、勝鬨のように拳を振り上げる唱和を行なった(猪瀬が万歳三唱はやらないと宣言したので)。「輝く東京にするぞ!」「オー!」。「改革を進めるぞ!」「オー!」。「東京にオリンピックを招致するぞ!」「オー!」。

  その後は、壇上で共同記者会見、更に、ぶら下がり記者会見、はたまた、会場の隅に急遽作られたインターネット放送局でのライブ出演など1時間も続いただろうか。僕らは、猪瀬に真ん中に座って貰って記念写真を撮るまで、永遠と待った。

     共同記者会見中の猪瀬と夫人      Photo   by   Takeuchi

  共同記者会見中の猪瀬と夫人  Photo by Takeuchi

  やっと、開放されて彼が僕らのところにやって来た。全員着席してステージ上から撮って貰った。写真撮影後、彼は「大変世話になった同期のみんなと握手するよ」と言って一人ひとりと握手して回った。

   猪瀬を囲む高校同期生達  右は放送局のカメラ  Photo by Takeuchi

   猪瀬を囲む高校同期生達  右は新聞社のカメラ  Photo by Takeuchi

     その新聞社のカメラによる写真  Photo  by  Shinanomainichi

     その新聞社のカメラによる写真      Photo by Shinanomainichi

  猪瀬はこの後各放送局に生出演するため出掛けるとのことだったので、僕ら同期は新宿駅近くの居酒屋でミニ祝賀会を急遽行なった。

  大成功のイベントの後って本当に盛り上がる。楽しい。みんなが笑顔。参加してくれた50年前のマドンナ達もみんな笑顔だ。何より嬉しかったのは、同期でも何でもない、猪瀬の実兄と実弟が参加してくれたことだった。

   注) 選挙期間中、猪瀬に関するブログ掲載が禁じられていたため
       選挙終了後に後追いでアップデートしました。

12月 25, 2012   No Comments

出陣式

 

                           All of Photo by Kitayama

                           All of Photo by Kitayama

  11月29日、遂にその日が来た。都知事選公示日だ。正式に立候補を届けでて、選挙戦に突入する。この日から選挙当日まで、当ブログで僕が猪瀬について如何なることも一切書いてはならないのだ。この国では、未だに、インターネットを選挙活動に使うことは、許されていないからだ。

  橋下氏が言うように、これでは選挙活動は金持ちの党しか出来ないではないか。テレビや新聞などに広告を打つには膨大な金が掛かる。インターネットで有権者に訴えるのはタダなんだから、それを、許さないのは既成金持ち政党の保身本能だ。

  こんなことを書いていたら(12月21日)、たった今、「安倍氏、参院選前にネット解禁」のニュースが流れた。当たり前だ。

  さて僕は、友人猪瀬の街頭演説第一声を見届けるために、少し早めに新宿西口に向かった。午前10時半。既に大勢の人が集まっている。駅前の広場には、第一声のステージになるであろうワゴン型の選挙カーが2台駐車していた。

  夫々の選挙カーには車の屋根のデッキから何本かの垂れ幕が下りている。左から「猪瀬直樹」「川渕三郎」「石原慎太郎」「橋下徹」とある。もう一台には「石原伸晃」「高木陽介」の垂れ幕が見える。

  これだけの顔ぶれが揃うとあって、道行く人も足を止めて猪瀬出陣式の始まるのを待っているのだろうと思う。僕も、選挙カーがなるべく良く見える場所を探そうと歩いていたら「神童! こっちこっち」と呼ぶ声がする。

  おぉ、さすがは同期。群衆の中に3名の高校同期が固まっていた。まだ、出陣式に30分も前なのに皆熱心なものだ。一昨日の事務所開きで一緒だった人達だ。高校同期だから当然昔から親しいと思われるだろうけど、皆、学年は同じでもクラスは違うし、当時も直接話した記憶の無い人達だ。

  それでも、今回のことで一気に親しくなり、高校以来の友人のようになれたところは、猪瀬の功績大と言わねばなるまい。猪瀬が都知事選立候補しなければ、有り得ないことだから。更に僕と同じように呼び止められた同期が2人いて、都合6人で出陣式を見守った。

  最初に川渕元チェアマン(サッカー)がマイクを握った。なんで川渕氏が? と思ったが、猪瀬は石原さん同様に東京オリンピック招致に情熱を燃やしている。スポーツ界から川渕氏を選対委員長に招いたことで、本気でオリンピック招致を行なうぞという強いメッセージとしたのだろう。

  続いて、石原新太郎前知事の応援演説。「数字に強くて発想がいい。次の都知事を安心して任せられる」と言っていた。また、「今年の春の東京マラソンでは、猪瀬君が42.195kmを走ると言うから心配したよ。死なれちゃ困るからねぇ。そしたら最後はふらついていたが、見事完走したから驚いたねぇ」とも。

  橋下氏は、「改革を次々に打ち出して行く石原都知事と猪瀬副知事は物凄かった。大阪はそれをかなり真似させて貰った。石原さんも猪瀬さんもあっちにぶつかり、こっちにぶつかりながらも、全部突破して行った。僕なんかも同じです。最近じゃ家庭の中でもぶつかりましたけど・・・」(周囲が大爆笑)。

  無責任に聞いている分には、話が一番面白かったのは橋下さんだな。若いだけあって声も良く通るし、一番聴衆を引き付ける話術を身に付けている。

                                Photo by Kitayama

                                Photo by Kitayama

  最後に、猪瀬がマイクを握った。いつもあんなにふてぶてしいのに、手を振る姿もしゃべるトーンもぎこちない。生まれて初めての街頭演説だからか、さすがの猪瀬も新人候補みたいだった。新人候補には違いないが・・・

  それでも、震災を想定した東京の安心安全をどう作り上げるか、東電改革や電力安定供給に向けて何をやったか更に何をやるか、オリンピック招致を必ず実現することなど、副知事としての実績とこれからの抱負を20分に亘って繰り広げた。

                              Photo by Kitayama

                              Photo by Kitayama

  終わって正午丁度。僕ら同期6人は、小田急の最上階の寿司屋に直行。前祝と称して早速ビールで乾杯。真昼のミニ同期会となった。戦いは今始まった。

12月 21, 2012   3 Comments

出前蕎麦 西亭本舗

        西亭本舗

        西亭本舗

  西さんという友人がいる。かれこれ10年ほど前になるだろう、僕が出身会社のシステム関連会社の責任者を務めていた時、同業者のM社のシステム会社の社長さんから、5社で意見交換会(5社会)をやろうとの呼び掛けがあり参加したことがある。

  そこに出席していた5人の内の1人が西さんだった。彼は、N社のシステム会社の社長さんだった。その後何回かの5人会が開かれた。

  だがこの会、持ち回りの主催会社が、その会社の問題意識を投げ掛け、同じ問題の他社の取り組み聞いて参考にしようという趣旨なのだが、他社に公表出来ることは限られるので、寧ろ、この5社会の性格は、親睦会・飲み会とならざるを得ない。

  どの会社も会社合併後、システム統合後の諸問題への対応に忙しく、悠長に飲み会などやっている場合ではないと、いつしか5社会は消滅してしまった。

  しかし、個人的に気が合うN社の西さんとT社の横尾さんとは、その後もたまに飲み会を行い、単純に英気を養う会として続けて来ている。幹事役はいつも西さんなのだ。彼はそのくらいにいつも面倒見の良い人だ。

  僕より何歳か年下の西さんは、今年60歳でスパッと会社を辞め、前から地元の仲間達とやっていた、蕎麦作りに専念することにしたようだった。見事な身の処し方と思う。

  彼が種蒔きから収穫まで行い、更に石臼で挽いた手作りの蕎麦は、過去何回も食べさせて貰ったが、この世のものとも思えない美味しさなのだ。

  僕は、信州育ちでしかも戸隠は、故郷の長野市から直ぐ近く(今は戸隠も長野市)だったからよく食べた。その僕が、西さんの蕎麦を食べちゃうと、戸隠蕎麦が食えなくなるのだ。風味があって腰があって、いくらでも食べれちゃう。

  蕎麦だけではない。薬味の辛味大根も葱も全て西さんの栽培によるし、蕎麦のたれも一週間前から仕込んだものだ。美味しくない訳がないではないか。

  先週、西さんが、所沢からわざわざ横浜の新子安まで、出前蕎麦打ちをやってくれたのだ。新子安とは当然、大木先生の店「グレコ」のことだ。「のどごし生バンド」はこの日ライブでもないのにほぼ全員が集まってこの至福の時を心行くまで堪能したのだった。

  バンドメンバーは西さんの蕎麦が初めてという人は少ないが、「グレコ」の常連客達は初めてだ。みんなの反応が楽しみだったが、彼等、食べる食べる、出されたらあっと言う間にはけてしまう。このスピードが全てを物語っている。

  皆さん、大満足の後、西さんが厨房から現れて挨拶に立つと、一斉の拍手。食材の全てを自家栽培したものであることを説明した後、西さんは言った。「皆さんがこうして喜んでくれる顔を見たくて、蕎麦の出前をやっています」、にくいこと言うねぇ。

  西さんへの感謝の気持ちを込めて、「のどごし生バンド」は何曲か演奏させて貰った。上機嫌な西さん、「神童さん、随分ドラム上手くなったねぇ~」。うっ? うん、ありがとう西さん。

  この日西さんの蕎麦を食べたお客さんの中に、3人ものプロ・シンガーが来ていて、僕も驚いた。夫々のシンガーも、西さんに向かって歌でお返ししていた。1曲で終わらない。何曲も何曲も。ただ、彼等の歌のバックを僕と大木先生が務めなければならなかったことは、余計な緊張感だった。

  それでも西さん、「ミュージシャンは鼻が利くんだろうね。いろんなプロが来るようになって、グレコもとてもいい店になったね。それに万ちゃんがとても元気そうなので何より」と言ってくれた。大木先生、良かったね。

       のどごし生バンド               Photo by Hara

              のどごし生バンド        Photo by Hara

12月 21, 2012   No Comments

猪瀬応援総決起集会

   タペストリーのライブに来てくれた同期達    Photo by Takeuchi

   タペストリーのライブに来てくれた同期達    Photo by Takeuchi

  12月2日の日曜日に、高校同期のバンド「ザ・タペストリー」が高校同期の人達に呼び掛けて、六本木でライブを行なったことは、既に当ブログで取り上げた。ライブ会場は、タペストリーのAYAさんが以前からハワイアン演奏で出演していた場所という縁で、彼女が紹介してくれライブハウスだ。

      高校同期生のバンド ザ・タペストリー   Photo   by    Takeuchi 

      高校同期生のバンド ザ・タペストリー   Photo by Takeuchi 

  店のママが長野市出身ということで話をしていたら、バンドメンバーのI君とはどうも幼稚園・小学校・中学校まで一緒だったことが判明した。学年は1年違うらしいが。

  ライブが始まる前から、何だか六本木の真ん中で長野市のド田舎の話に盛り上がったのだった。

  何故、この店がハワイアンをメインとするライブハウスなのかと言えば、ママさんがハワイアンの現役シンガーだからだ。出身が長野だからということでもないだろうが、毎年、軽井沢の「大賀ホール」で行なうハワイアン・コンサートに出演しているのだそうだ。

  六本木のライブハウス 「アロハ・ステーション」  Photo  by  Takeuchi

  六本木の「アロハ・ステーション」 左がママ      Photo by Takeuchi

  僕らのライブは本当に和やかに、且つ、エキサイティングに終わり、引き続いて行なわれたのが「猪瀬応援 N高同期決起集会」だった。とは言え、猪瀬本人はこの時刻多摩地区遊説でとても出席出来る状況ではなかった。

  主催は、「N高同期17有志の会」。今回の猪瀬の立候補に向けて高校同期の有志で立ち上げた、謂わば私設応援団だ。僕は、昔からの同期会纏め役の世話人S君より、そこの副幹事長を依頼されたのだった。

  世話人のS君の挨拶では、「今回猪瀬は、選挙に受かるかどうかではなく、前回の石原さんの得票260万票を超えられるかどうかが勝負だ。だから皆で友人知人に対して1人でも多くの人に投票のお願いをして行こう」と語った。おぉ、そういう情勢なのか、と初めて分かった。

     高校同期会の永久世話役のS君挨拶   Photo by Takeuchi

     高校同期会の永久世話役のS君挨拶   Photo by Takeuchi

  引き続き、「有志の会」代表のI君の挨拶。彼はある私大の現役理事長だ。東京で行なう高校同期会では必ずと言って良いほど、世話役をやって来た人だ。長野市では僕の家とはかなり近いせいもあって、当時良く行き来した仲だ。

   「有志の会」代表のⅠ君  只今挨拶中   photo   by   Takeuchi

   「有志の会」代表のⅠ君  只今挨拶中   photo by Takeuchi

  余談だが、彼がW大の事務長だった頃、僕の出身会社の社長だった人が、会長になるのと同時にW大の理事に就任した事で、I君と僕が別々の世界で共通の上司を頂くという大変珍しいことが起きた。そして、その上司を、I君も僕も尊敬するという点で一致したのは、もっと珍しいことで嬉しいことだった。

  その後、各クラス幹事の決意表明に移った。あるクラス幹事が「親戚も友人達も例外なく猪瀬に入れてくれますが、唯一難しいのが妻です」と、言った時は場内大爆笑だった。皆分かるのだ。猪瀬が家に電話して来る時は、出たのがカミサンだろうが子供だろうが、大体「猪瀬だけど、神童いる?」なのだから。

     9人のクラス幹事が決意表明         Photo   by    Takeuchi

     9人のクラス幹事が決意表明         Photo by Takeuchi

  最後に僕に中締めの役が回って来た。僕は副幹事・会計担当として、まず出席者全員に、「有志の会」へ会費振込みをして貰ったことの礼を言い、それに加えて、今回の選挙に向けた僕自身の心情をお話した。

  「都知事が友達って、何かいいじゃないですか。そう言わせて下さい、と訴えて行くことにします」。「そうだ!」の声が沢山飛んだ。

12月 20, 2012   No Comments

選挙事務所開所式(後編)

      猪瀬応援に現れた石原伸晃氏     Photo by Kitayama

      猪瀬応援に現れた石原伸晃氏     Photo by Kitayama

  それにしても物凄いマスコミの数だ。報道用の大型カメラが一体何台並べられているのかと思う。猪瀬は道路公団民営化の会議にもカメラを入れ、密室の会議を原則公開にした。そうやってマスコミを味方にして、守旧派の抵抗を突破して来たから、マスコミ側も猪瀬出馬に好意を含んだ大きな関心を寄せているのかも知れない。

  参列者に着席するよう促され、三々五々椅子に座って行くと、あっという間に満席になり急遽椅子を補充する程だった。見渡したところ、高校同期の連中は10数名が駆け付けたようだった。

  司会の開始宣言で、いよいよ猪瀬直樹の選挙事務所開所式が始まった。後援会長の挨拶に引き続き、石原伸晃自民党東京支部会長の挨拶があり、一気に都知事選突入モードに入る。公明党や民主党などの代表者が次々と壇上に立ち、スポーツ・ジャーナリストや漫画家なども来賓挨拶をしていた。

       応援演説中の高木陽介氏    Photo  by   Kitayama

       応援演説中の高木陽介氏    Photo by Kitayama

  戦いが始まったことを実感する。

       選挙戦に臨む抱負を語る猪瀬    Photo   by    Kitayama

       選挙戦に臨む抱負を語る猪瀬    Photo by Kitayama

  式典が順調に進み、小一時間で終了した。さて、ここからが僕の勝負なのだ。有名政治家が何人もおり、都議会の重鎮やら各党の代表者らが大挙して出席している。彼等は全員が猪瀬と直接話をし挨拶する迄は立ち去ろうとしない。

               先生方      Photo   by    Kitayama 

               先生方      Photo by Kitayama 

  僕のミッションは2つ。1つは、猪瀬自身が僕にこの事務所開きに連れて来るよう命じたエイジ氏を、猪瀬に合わせるチャンスを作らなくてはいけないことだ。2つ目は、僕ら高校同期を過去何十年もの間取り纏めて来てくれた同期会世話役のS(軽井沢在住)の指令、即ち、地元紙に載せる、同期が猪瀬を囲む写真を、何としても撮って送るようにとの指令をやり遂げることだった。

  次から次と猪瀬は来賓達に掴って立ち話をしている。それを見ているだけで僕は「いやー、大変だな」と同情心が湧いて来た。政治家になるっていうのはそういうことなんだ、と思った。長蛇の列を成して猪瀬と話す機会を待つ人々、相手が誰で何の話をしたか、なんて後で分からなくなるだろうことにも、真面目に対応しなくてはいけない。

  一瞬、猪瀬の参列者との個別会話が途切れた。その機を逃さず僕は彼に「同期で写真撮らせてよ」と声を掛けた。「うん」と言うので、周りにいた同期に雛壇に上るように言った。猪瀬を中心にして10名程度が周りを囲んだ。T君は、自分のデジカメを近くにいたマスコミのカメラマン(勿論プロ)に渡して、撮って貰ったのだから、結構図々しい。

   これがその時の写真 猪瀬を囲む高校同期生   北山撮影

   これがその時の写真 猪瀬を囲む高校同期生   北山撮影

  この雛壇の撮影が目立ったのだろう。マスコミがあれは何の集団なのかと関心を示し、夫々を掴まえて聞いている。僕のところには女性記者が来た。

  「どういう関係か」と聞くから、僕は「高校同期のイタズラ仲間」と答えた。そしたら間髪を入れずに「猪瀬さんは高校の時どういったイタズラをされたんですか?」。「それは選挙が終わった後でね」とウィンクで答えた。

  えーっと、こんなことしてる場合じゃない。エイジ氏と猪瀬を会わせなくちゃとエイジ氏を目で探すと、既に猪瀬と話込んでいる。

  僕も直ぐに傍に行った。「脱原発、脱原発って、お題目だけ言ってればそうなるなんて生易しいものじゃないんだ。廃炉にするだけでも40年も掛かるんだよ。エネルギー不足をどう凌ぐのかとか、考えなきゃいけないことは山ほどある。ネットの人達も情報がないから分かんないじゃないか? ちゃんと教えてやってよ」と猪瀬がエイジ氏に言っている。

  市民系と言われる人達が敵陣営に流れたことが納得行かない表情だ。だがエイジ氏は、市民系という中でも今次選挙の対応は区々で、全部が敵陣営にシフトしたのではなく猪瀬支持を打ち出したところもあることを伝えた。

  そして、「脱原発への道筋をしっかり描けるのは、既に具体行動で手を打って来ている猪瀬さんを置いて他にいない」と言うエイジ氏の言葉に、やっと猪瀬の顔が綻んだ。

   写真左は筆者に「脱原発の無責任」を説く猪瀬   中央は夫人

   写真左は筆者に「脱原発の無責任」を説く猪瀬   中央は夫人

12月 18, 2012   7 Comments

選挙事務所開所式(前編)

  報道陣に掴まりインタビューを受ける猪瀬   Photo by Kitayama

    報道陣に掴まりインタビューを受ける猪瀬   Photo by Kitayama

 

  公示日2日前に、猪瀬選挙事務所がオープンした。その前日の夜、彼から突然、僕の携帯に電話が掛かって来た。「事務所開きに出てくれ」とのことだった。彼とは都知事選出馬を決めた猪瀬直樹本人だ。僕は、「高校同期の連中に声を掛けて何人かで行くよ」と応えたが、話しはそれだけではなかった。

  僕の友達で、過去何回もいろんな場面で僕と一緒に猪瀬と会っているエイジ氏が、ツイッターで脱原発支持を書いているのを読んだのだと思うが、それについて僕に強い調子で訴えるのだ。

  「脱原発なんて口だけで唱えていたって何にも解決しないんだよ。原発止めて不足する電力をどう調達して凌ぐのか、短期中期長期の工程表を作らなければならないし、核廃棄物はどう始末するのか。現地に何回も行って具体的に進めているのは俺なんだよ」。

  確かに、東電は休止していた老朽火力発電所を、もう一度火を着けて何とか動かしているけど、いつ使えなくなるか分かったものではない。そういう火力発電所を、最新鋭の高効率な発電所に切り替えて行かないといけない。彼は、東電に対して、筆頭株主の東京都の副知事としてその具体計画を迫っている。

  猪瀬は、都と民間資本を集めて、高効率火力(ガス)発電所を作るプロジェクトを指揮している。廃棄すべきロートル火力発電所を再稼働させて、電力不足を辛うじて補っているのが現状なのに、ただ「脱原発」と叫んでいる連中は何の解決策も示せない、と彼は言いたいらしい。

  「だから、事務所開きにはエイジさんも必ず連れて来てくれ! 直接話したい」と最後に言った。猪瀬は、自分が立つ時、エイジ氏は必ず力になってくれる筈と思っていたのが、どうも対立候補の主張に近い発言をしていると、腹を立てたのかも知れない。

  朝11時から選挙事務所開きと聞いていたので、15分前に駆け付けた。事務所前には既に、エイジ氏が来ていた。その向こうには高校同期の者達(従って猪瀬と同期)が数人集まっていた。

  西新宿の青梅街道に面した立派なビルの1階が彼の選挙事務所だ。中に入った。開所式はその一階ホールで行なわれるらしく、沢山の椅子が並べられ、それを取り囲むように既に沢山の報道陣の大型カメラがセットされている。椅子の先には雛壇が設けられ、その後ろの壁には「決断・突破・解決力」と書かれた大きなポスターが掲げられていた。

  既に大勢の支持者達で会場はごった返していた。

       ごった返す猪瀬選挙事務所    Photo  by  Kitayama

       ごった返す猪瀬選挙事務所    Photo by Kitayama

12月 18, 2012   No Comments

高校同期バンドのライブ

 

    ザ・タペストリー イン 六本木     Photo  By Kozu & TAKA

    ザ・タペストリー イン 六本木     Photo By Kozu & TAKA

  名前を「ザ・タペストリー」という。一昨年の11月、東京で行なわれたN高同期会の時に、指定された席がたまたまTAKAの隣だったことから、「同期会でバンド作って活動したら面白いんじゃないかな」と話したのがキッカケだった。

  そうなると、同期会の式次第とは全く無関係に動き回り、司会役のヨッシーを掴まえ、マッキーを掴まえ、その日の出し物、ハワイアン演奏でスチール・ギターを弾いていたAYAちゃんを掴まえてバンドをやらないかを打診。全員、即、OKと言ってくれたのが始りだった。

  「バンド作ろうか」から「メンバーが揃った」まで、ものの20分程度だった。このノリが素晴らしい。メンバーは全員、他のバンドに属していたから、と言うことも出来るが、掛け持ちが増えるとそれだけ負担が増すのに、このノリは最高だ。

  その翌月から月1回のスタジオ練習を開始。夫々が音楽活動を日常的にやっている人達なので、初めて集まった練習でもいいところまで行った。だが、その後の練習では、複数のバンド掛け持ちともなると、同じ曲がバンドによって構成や編曲が異なるから、混乱するのだ。

  それと年齢から来るのか、月1回だからか、前回やった曲の進行を忘れてしまうのがもう一つの問題と言えば問題だった。

  それやこれやを克服して、昨年11月、遂に長野市での同期会でデビューを飾った。会場となったホテルもホールも大変は立派な所だった。そんなホールで45分の記念の初舞台を務められたのは嬉しかった。

  今年に入って6月に新宿のインド・レストランにて、2回目のライブを行なった。僕らタペストリー主催のライブだった。観客は勿論、高校同期の仲間達。前年のライブは長野市だったから、東京在住の人たちには初お目見えだ。会場が飲み放題だったこともあって、異常と言えるほど盛り上がった。

  そして、今回3回目のタペストリー・ライブを六本木のライブハウスを借り切って実施したのだ。観客30名強の小規模ライブハウスだが、ハワイアンの店として有名なお店だ(名前はアロハ・ステーション)。音響は抜群で、同期の仲間達が丁度そのくらいの数集まってくれて、楽しく演奏することが出来た。

  回を重ねるごとにメンバーが増え、最初5人で始めたものが、今や10名の部員を擁している。バンド結成言い出しっぺの僕とTAKAの間では、「元気な内はずっと続けたいけど、最低でも次回の東京の同期会に出演するまでは頑張ろう」と言っている。

  同期会は3回(3年)地元長野市で開催し、4年に1度東京で開催することになっているから、次の東京開催は再来年の11月だ。頑張ろうぜ、みんな。

  さて、ここまでの3回のライブで僕自身は新しい課題を持って臨んで来た。最初の長野市でのライブでは、ドラムを叩きながら歌うことに初挑戦した。観客がどう思ったかは知らないが、自分的には気持ち良く歌えた。(歌は、アンチェイン・マイ・ハート)

  前回は、2曲目の歌に挑戦した。「サニー」という有名な曲だ。しかし、これは失敗だった。途中で歌詞が分からなくなってしまった。自信ない分声は小さくなる。口籠る。でも、不思議なものだ。終わった後の飲み会で、観客の一人が「サニーが良かった」と言うのだから。

  今回のテーマは、生まれて初めてフリーのドラムソロをやってやろうということだった。そう思い立ったのは前回アンコールで、かなりお酒の入った仲間が、「神童、ドラムソロ!」と叫んだのを思い出したからだ。

  ライブ最後の曲、「Aトレイン」のセカンド・リフの終わりから、ドラムソロを始めた。テクニックがそんなにある訳ではないが、持てる技術の全てと残りのエネルギーの全てを使い果たし、3~4分のソロをやらせて貰った。楽しかった。ドラムソロ、病み付きになりそう。

           コーラス隊 H&N         Photo  by  KOZU & TAKA

   コーラス隊 N&H     Photo by KOZU & TAKA

12月 13, 2012   No Comments

嗚呼、初恋の人よ(4)  ― 完 ―

無題 

  高校を卒業すると、大学が僕は仙台、Hさんは東京と別れ別れとなってしまった。

  高校の卒業式の頃(3月中旬)はまだ受験シーズンなので、出席者は半数くらいになってしまう。そんな関係で彼女も卒業式に現れなかった。僕は彼女と高校最後の言葉を交わす機会もなく、遠く仙台の地に旅立った。

  4年間の大学生活を終え僕は東京の会社に就職した。社会人1年生の秋に一度だけHさんと新宿でデートしたことがある。デートと言っても食事をしただけだったが、彼女は、ハイセンスな大人の女性に変身していた。僕が恋焦がれたあの頃の彼女では最早なかった。当たり前なのだが・・・ 

  いろんな話をした中で分かったことは、彼女には目下彼氏がいて幸せそうだということ。今と違って、女が25歳までに結婚しないととやかく言われる時代だ。23歳になっていたHさんは、その人と結婚するのだろうと僕は直感した。デートの最後に、僕は4年越しの別れの挨拶をすることで、全てを吹っ切った。

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  それ以来、彼女とは音信不通だったし、僕は高校の同期会や同窓会の類には一切顔を出さなかったから、その後どうしているのか全く知らなかった。再び彼女と連絡が付いたのは、全くの偶然だった。

  1999年の5月だったと思う。20年くらい続いている信州出身の中小企業の社長達(N高出身は僕だけ)で集う異業種懇談会「信友会」(10名程度の会)のメンバーであるSさんが懇意にしていた「雅」という居酒屋があった。場所は西新宿である。

  そこで、僕の取締役昇格のお祝いをしてくれたのだ。女将というかママというか、彼女も僕らの宴席に入って来てくれた程、Sさんはこの店の大事な常連客ということだ。何かの話しから、僕の高校の話に及んだ。

「N高なら昔私の姪が通っていましたよ」とママ言う。
「へー、いつ頃ですか?」と僕が質問。
「そうねぇ、あっ、丁度東京オリンピックの頃ですよ。間違いないです」とママ。
「うわ、それは私と近い。オリンピックの時3年生でしたから。お名前は何と言う人ですか?」
「MHですけど」
「え!? ウソ!? 同じクラスですよ!」僕はびっくりした。でもママは信じない。
「またまた、お上手ですこと。そういうお客さん多いんですよね」
「いや、ホントなんですってば。お父さんは警察官で、お兄さんは確かT経済大をご卒業されている筈ですけど」
「えっ! その通りですけど・・・。ホントなんですねぇ」

  それからママは、次回来られるまでにHさんに確認しておくと言って、僕の名詞を受取った。

  それから2週間後僕はSさんと2人で「雅」を訪ねた。早速ママが彼女の消息を教えてくれた。「神童さんのことを話したら、MHは懐かしがっていましたね。結婚を考えてもいいかなって思ったこともあったって言っていましたよ、ウフフ」とママが言う。Sさんの前でどういう顔をしていいか戸惑う僕。

  「彼女は、結婚して松本に住み、結婚後も塾の先生などをやってたけど、その後離婚してしまって。娘が京都大学に入ったのでMHも一緒に京都に移り住んで、今も京都にいます」。松本は分かるけど京都にいるとは思いも寄らなかった。

  ママは僕に「もし神童さんが出られるなら、今、電話しますが?」と聞く。僕は少し考えた。「いえ、元気にやっているなら、それで充分です」と言って住所も電話番号も聞かなかった。その後暫くして「雅」は店を閉じてしまった。再び手掛かりはなくなった。

  それから13年経った。12月2日に高校同期のバンド、「ザ・タペストリーのライブ」&「N高同期総決起集会」、の案内を何とかHさんに届けたくて、2週間前、もし今でも「雅」のママに連絡が付くなら、MHさんの電話番号だけでも聞いて貰えないか、Sさんに頼んでみた。

  依頼後、Sさんからは2週間何の情報も入らなかった。「ライブ」が3日後に迫った夜、遂にSさんからメールが来たのだった。それは悲報だった。彼女はもうこの世の人ではなかった。

  あの時、変にカッコつけないで電話番号だけでも聞いておけばと、凄く悔やまれる。もっと前に、毎年の同期会に1度や2度は呼んでやれたのにと。今はただただご冥福を祈るのみ。

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神童様

  大変ご無沙汰しています。11月17日に依頼のあった件について、下記のとおりご報告いたします。

結論   美人薄命と言われますように、残念ながら2年ほど前、
      64歳の時に病気で他界されたそうです。本当に残念ですね。

  思いの外、調査に時間が掛かってしまったのは、昨年12月に「雅」のママが亡くなっていたためです。その後の調査にあたっては、人それぞれの事情があり、中々状況を把握する事が出来ませんでした。

  「雅」のママと実家の交流が我々が考えるような単純なものではない状況があり、伺うまでにはいろいろなルートを通じて調査し、本題を確認することができたのは、本日29日でした。

  我々も、長い間のママとの付き合いでしたが、実家の兄が無くなった時も、ママは弔問をしていないようでした。また、ママが亡くなった事も、私も知らなかったが実家の方も詳しくは存じていなかったようです。

  ママの実家は、現在甥御さんが家を継いでおり、そのお嫁さんから聞き出しました。MHさんの両親もなくなっておりました。敢えて住所・電話は聞きませんでしたが、必要であれば確認をすることは出来ます。

  いよいよ,戦闘ムードに入ってきました。12月2日の激励会までに間に合って良かったと思っています。ただ、生存していなかったことが大変残念です。

                                          Sより

12月 7, 2012   8 Comments