プレミアムエイジ ジョインブログ
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芳賀会

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大学のゼミの同期会のことだ。経済学部の理論経済学の芳賀半次郎教授のゼミ生だった同期14人の会だ(現在は2名が亡くなって12名)。ゼミは大学4年生と3年生が一緒に行う。そこに大学に残った先輩(大学院生・助手等)も加わっていた。

だから、ゼミ同期の連中とは2年間一緒に勉強したのだ。ゼミは毎週金曜日午後3時から6時の3時間、教授を交えて経済理論の書物を読み砕き、その内容について議論したり、それを数式にして行くという作業を行なうのだ。

当時経済学部の授業の8割は、所謂マルクス経済学(マル経)だったが、僕の参加した芳賀ゼミは少数派の近代経済学(近経)だから、やたらと数式を多用する学問なのだ。

ある考え方が出現しても、それが数式で現せないと、理論が完成したとは言えないという空気があった。数学が得意でない僕が専攻する学問ではないなと分かっても他のゼミに移れないのだから手遅れ。

ゼミ仲間には滅法数学の強い奴がいて、彼がリードしてくれるので何とか付いて行くことが出来たのだと思う。

しかし、卒業するためには必要単位を取らないといけない。近経だけではとても足りないから、必要単位の大半はマル経も勉強しないといけない時代だった。僕自身は数式がないだけマル経の方が易しかったと記憶している。

考えてみれば、マル経と近経との両方を勉強した学生は2割に満たない貴重な経験者だった訳だ。尤も、社会に出てそれが何か役に立ったかと聞かれると、ただただ縮み込むしかないのだが・・・

しかし、ゼミの後は、民謡酒場とか当時流行り始めたグランド・バーとかに、同期は勿論、先輩や後輩達と繰り出して大騒ぎすることが多く、そちらの方がよほどゼミ仲間の結束を強めていた。

卒業後、僕等の同期は毎年のように集まっては近況報告会のような飲み会を継続して来た。若い時は温泉一泊旅行なども行なったものだ。

そんな仲間が、1月の下旬に、新丸ビルの小料理屋に集まってギリギリの新年会を催した。集まったのは、地方在住者を除く9人。完全にフリーとなった者と、まだ何らかの形で仕事をしている者の比率は丁度半々といったところだった。

共通して言えることは、みんな前より元気だということ。仕事している者も、現役時代のノルマに追いまくられる仕事ではなく、彼等のノウハウを使う仕事(好きな仕事)なので、毎日が日曜日の者を含めて、ストレスと無縁だと、こうも元気になるものかと思った。

本当は、年寄りではなく、現役の若者達が元気はつらつ自信に満ちて活動することこそが日本再生の姿だと思う。アベノミクスがその道筋を付けてくれるものなのか、期待を込めて見詰めて行く。

            東京駅 手塚耕一郎撮影

            東京駅 手塚耕一郎撮影

1月 29, 2013   No Comments

久し振りの宝友会

                  無題

  2年前の7月に、僕が酔って東京駅のエスカレーターで転倒し、血だらけで救急車で東京医科歯科大に運ばれるという、人生最大の失態を演じてしまった。

  その時の怪我で、僕の額には縦線4本の傷痕が残ってしまった。勿論、その縦線はエスカレーターのステップの金属のギザギザの平行溝に当たった痕である。よく漫画などで、最悪の時などに、オデコに縦縞が入って「ザー」とか「ゾー」とか擬声音と共に描かれる、正にあんな感じである。

  傷が一応完治した時(とは言え傷は残った)、KさんとMさんの2人が、他にも何人か声を掛けてくれて快気祝いをしてくれた。その時、Kさんは僕にワインレッドの帽子をプレゼントしてくれたのだった。

  Kさんは特に理由は言わなかったが、オデコの傷痕を隠すために、わざわざ探してくれた帽子なのだと僕は思った。その気遣いに感謝した。自分でも結構似合うと思うから、ライブの時などその帽子を着用してドラムを叩くことも多い。

  さて、宝友会は、その快気祝いの会のお返しにと、2ヵ月後に僕が企画した飲み会からその名前がついた。怪我や病気からカムバックした時に、心から喜んで迎えてくれた友は宝だと実感したからだ。他のメンバーも賛同してくれたのでこの名前になった。

  その後四半期に一度くらいのペースで宝友会を地元で開催していたが、昨年6月末に新橋の焼肉店で開いて以来、暫く休止状態になっていた。メンバーの業務多忙や家族のご不幸などもあり、全員が集まるのが難しかった事情もある。

  年が改まり、新年会を兼ねた久し振りの宝友会の開催を呼び掛けた。いつものメンバーが集まった。今回は、新宿のしゃぶしゃぶ屋さんが会場だ。旧コマ劇場の直ぐ近くの「にいむら」という店だが、ここは僕の知人の知り合いの店だ。過去何回か使わせて貰っている。

  飲み放題は5名からという決まりを、無理言って4名で適用して貰い、おまけに高級な濁り酒までプレゼントして貰った。そのお酒の酔いも手伝って兎に角楽しい。世代も35歳~65歳までと実に幅広い。

  僕等の同世代が集まると、話は、旅行か孫か、はたまた病気か介護と相場が決まるが、ここでは全く違う。洋楽にファッション、仕事・家庭・遊び、たまに政治と何でも話題になる。

  久し振りな分だけ話も盛り上がって、当然2次会となる。最後は終電もなくなり、4人でタクシーに分乗して深夜のご帰還と相成ってしまった。

  この宝友会、いつも似た状況になり、翌朝はいつも反省することになる。誰がそんな夜遅くまで引っ張ったのか? じっと胸に手を当てて考えてみる。「神童、お前だろう!」天の声が聞こえた。「スイマセン」、天と友に心の中で心から謝る。反省終わり。

  「また宝友会やろうね」。「はい」友の声が聞こえた。ような気がした。

1月 28, 2013   2 Comments

44会

                 無題

  会社の同期入社の連中で行なう年1回の同期会を、昨夜八重洲の居酒屋で開催した。この会の名前が44会。昭和44年4月1日入社組だ。社会人1年生の青雲の志がそう呼ばせたのだろうか、最初は「シシの会」と言っていたような気がする。

  それが、徐々に社会に染まり、会社に染まり、職場に染まり、仕事に染まって行くうちに、肩から力が抜けて「ヨンヨン会」と普通の呼び方になっていった。

  「普通」というのは、社内である人の入社年次を言う時「あいつは、44(ヨンヨン)だ」とか「彼は45(ヨンゴ)です」とか「46(ヨンロク)、47(ヨンナナ)」とか呼んでいたからだ。数字は勿論、昭和の年号を意味する。

  この44会、もう何年も新年会が続いている。また、春秋はこれも恒例の1泊ゴルフ・コンペがずっと続いている。後輩年次も我々を手本にそんなことを徐々に行なうようになったとも聞く。

  元々、採用が少なかった年次で、同期(男子)は24名しかいなかった。少ないから纏まり易い利点がある。若い時に1名が亡くなっているので、以降、会員は23名だが、どうしても同期会は首都圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)の居住者に限定されてしまうので、いつも出席率は5割ほどなのは已むを得ない。今回も男11名、女2名の新年会だった。

  さて、毎年恒例の同期新年会ではあったが、今回はある人の体験談がとても感動的で印象深い会となった。

  彼の名はKMと言う。Mは退職後暫くは家庭菜園と大好きなゴルフにいそしんでいたが、ある時、もう一度剣道をやろうと決意して近くの道場に通い始めた。Mは学生チャンピオンにもなった男なのだ。

  入社時は5段だったが、勤務の傍ら稽古に励み、28歳で6段に昇進している。実技の最高位は7段(8段以上は名誉段位だそうだ)。勝手に思っているのだが、これをゴルフに喩えれば、5段というのはプロテスト通過選手、6段はトーナメント出場資格選手。7段はその中でトッププレーヤーと呼ばれる選手達と言えるのではないか。

  まぁ要するに、剣道を志す人間にとって7段になったということは、夢を形にしたこと、即ち、剣道の最終目標を達成したことに他ならないのだ。

無題2

  M君の話も随所に達成感が溢れ出る。この1年間の精進は、年齢的に限界を超えるものだったことは想像に難くない。365日中230日を稽古に当てることを誓い、それを達成した上での7段合格だ。

  しかも、65歳にして、7段初挑戦で合格するという偉業達成だった。65歳以上の人で、7段を取得した人は極めて少ないのではないか。初挑戦でそれを突破した人はもしかしたらMが史上初ではないのか。是非、記録を調べて欲しいと思う。

  50歳を過ぎた頃、僕はMと飲んでいて、彼が会社生活卒業後の夢を語ったのを憶えている。「母校(大学)の剣道部監督をやれたら最高なんだけどな」。Mに聞いた。「7段合格は、そのことにグッと近付いたんじゃないのか?」。Mは意味深な笑を浮かべながら言った。「そうなんだよ。3月くらいから大学の道場に来てくれって言って来た」。

  Mの素晴らしい第2の人生の幕開けだ。こちらまで元気になる同期会だった。

無題3

  実は、Mと飲んだ同じ席で、逆に聞かれている。「神童は将来どうするの?」。あまり退職後のことを考えたことがなかったから、一瞬戸惑ったが、「一緒にやってくれる人がいればだけどね、バンドでドラムでも叩きたいものよ」と思い付きで答えた。その頃は学生時代以来ずっと遠ざかって久しく、ドラムのドの字も縁がなかった時代のことだった。

  しかしいい加減なことを言った割には、引退後の今、のどごし生バンド、ダンディー・クイーン、タペストリー、と3つものバンドに参加させて貰って、思いっ切りライブ活動を楽しませて貰っており、お互い、あの時に言った通りになっているから不思議。

1月 23, 2013   7 Comments

都知事選祝勝会

    猪瀬都知事と高校の同期生達           Photo by Takeuchi

    猪瀬都知事と高校の同期生達       Photo by Takeuchi

  あの大興奮の開票日から早や1ヶ月。昨日、高校同期の「有志の会」会員30余名が集まって、猪瀬都知事誕生の祝勝会を開いた。ところが、そこに猪瀬本人が出席出来るのかどうか、2日前まで分からなかった。

  彼に出席要請をするのは副幹事長の僕の役割だったから、直前まで気を揉んだ。それは以下のような事情による。

  選挙も終わり1週間ほどしたところで、以前から面識のある猪瀬事務所(個人事務所)の秘書であるH氏に、今回の祝賀会の案内を送って、猪瀬本人に伝えて貰っておいた。但し、もし本人の公務日程上、出席が難しい場合はHさんが代理出席して欲しい旨も付して。

  正月明けの10日過ぎに、再びH氏に出欠の意向を電話で聞いてみた。T氏曰く、「今本人がロンドンに行っているので、帰国したら最終確認します。ただ、今は、猪瀬に都庁のS秘書官がついていて、彼が都知事のスケジュール管理をしているのでご了承ください」とのこと。

  僕はすかさず「同期の祝勝会のことは猪瀬君に伝わっていますか?」と質問。「それは、もう、神童さんからご案内を頂いた後、直ぐにお伝えしています」「それで彼は何と言っていましたか?」「代理出席じゃダメなんだよ。オレでなくちゃ、とは言っていましたけどね。でも、S秘書官は、その日はチョッと難しそう、と言っていますので、帰国したら再度確認します」。

  祝勝会の3日前になってもHさんから何も連絡ないので、こちらから電話を入れた。「どうですか? 出席して貰えそうですか?」「それが、申し訳ないんですが、まだ何とも」「もうハッキリさせなきゃいけないので、私から直接猪瀬君の携帯に電話します」「あぁ、それが一番早いですね。スイマセンお役に立てなくて」。

  と、まぁこんな感じで、直前まで結論が延びてしまった。猪瀬も東京都知事になったばかりで、ただでも忙しいと思うから、僕は直接電話するのを遠慮していたのだ。直接電話しても差し支えないなら最初からそう言ってよ。

  「もしもし、神童です。猪瀬?」「うん、猪瀬」「21日の同期祝勝会に顔見せて欲しいんだけど、どうかなぁ?」「うん、出るよ。最初の30分くらいだけどな」「ほんと? みんな喜ぶよ。オリンピック招致のためにロンドンに行ったり、首相官邸に行って協力要請したり、君が忙しいのをテレビで見てるから、言い難かったんだけど、良かった」

  その間ものの2分。即決とはこのこと。最初から直接電話すれば良かった。こんな経緯で、昨夜の祝勝会に猪瀬は出席してくれたのだった。

  場所は新宿西口の居酒屋「稲田屋」。有志の会代表のⅠ君の馴染みの店だ。多分Ⅰ君が店長に都知事が来ることを知らせてあったんだろうな。店長さんの張り切り方が違ってた。

    同級生の女子から花束を贈られ・・・       Photo   by   Takeuchi

    同級生の女子から花束を贈られ・・・       Photo by Takeuchi

  結局、猪瀬は30分くらい遅れて、秘書2人とSPを引き連れて現れた。猪瀬が秘書を連れて来たのには理由があった。「これからいろんな連絡の必要が出てくると思うのでオレの秘書達を紹介しておく」との趣旨だった。僕は、「今後も同期のみんなとは繋がりを持ち続けたい」との猪瀬の意思表明と受け止めた。

  僕達は2人の秘書と名刺交換した。おっ。「あなたがS秘書官ですか? お名前は聞いておりました。以後宜しく」。S氏と面識が出来たのは有難い。もう1人はⅠ秘書官。猪瀬も「都知事の名詞が出来たから」と、一人ひとりに配って回った。

  2人の秘書は、私に「それでは猪瀬知事をお渡ししますので、後は宜しくお願いします。帰りはSPが待機していますので」と言って帰って行った。

  猪瀬は最後までいられないので、順番を逆にして、まず、記念写真。しかし、これがなかなか終わらない。カメラ持参した人が沢山いて、これもこれもと次から次と撮るからだ。最後には猪瀬が「もういだろう」と撮影を止めさせたほどだった。

  その時、店長が一升瓶を抱えて部屋に入って来た。店からの日本酒プレゼントだ。店長は猪瀬にそれを手渡しながら、はい、ポーズ。パチリ。

    居酒屋の店長さんから日本酒プレゼント    Photo   by   Takeuchi

   居酒屋の店長さんから日本酒プレゼント    Photo by Takeuchi

  幹事長のT君の司会進行で、猪瀬の挨拶・乾杯・猪瀬応援メッセージ・エールなどを手際良く進め予定の30分で全てを終えた。居酒屋の一室(と言ってもオープン・スペース)でエールを行なったものだから、他の客達が「何だ、何だ」とこちらを見ている。

  その後も暫く猪瀬は留まってくれて、結局45分後に立ち去った。その折、他の女性客達から「キャー、猪瀬さん! 頑張ってください」と握手攻めに遇っていた。女性にもてる猪瀬を初めて見た(笑)。

1月 22, 2013   No Comments

音楽祭 (6) 完

 左から QP、ドン大泉、K&K           Photo by Hasimoto

  左から QP、ドン大泉、K&K       Photo by Hashimoto

  曲はサックスの間奏に入っている。僕はフロアー・タムに掛けてあるスティック入れからスペアを取り出そうとしたのだが、ライトの影で良く見えない。それもその筈、スペアは黒のスティックだった。こうなったら何でもいいや、えいや、と掴んだらそれはソフト・スティック(消音用スティック)だった。

  それで叩いても客席には殆んど聞こえないだろうけど、ないよりマシだ。冷や汗ものの「アンチェイン・マイ・ハート」が終わった。

  30数年のブランクの後、再び、ドラムを始めて10年ほどになるが、最初の内はよくスティックを飛ばしたから、必ずスペアをバスドラムの上に置いて直ぐ取れるようにしていた。

  だが、さすがに、もう何年もそうしたことは起きていないし、引っ掛けるようなヘマはしない自信があって、スペアを用意しておくことを怠っていたのだ。この日、「ゲスト・シンガーの部」、「サブウェイの部」、「ダンディー・クイーン」と僕のドラムは大過なく来ていたのに、自分の歌の時にアクシデントが起きてしまった。油断だな。

  終了後、友人に僕がかなり焦ったことを伝えると、踊っていたから全く気付かなかったと言う。会場がみんなディスコをしてくれていたので助かったかな。でもDVDにはしっかり映っているんだろうな。後でそれ見るの、ヤだな。

    ディスコで盛り上がる客席                Photo by Hasimoto

    ディスコで盛り上がる客席            Photo by Hashimoto

  続いて、ドン大泉の18番「デスペラード」で、僕等のステージを締めくくった。当然アンコールがあるものと想定していたが、静かな曲の後だから、「アンコール! アンコール!」と手拍子を打ってはしゃぐのを躊躇したのか、期待した声が掛からない。

  仕方ないので僕がマイクを通して、「終わったんですけど」と言ったらやっと、アンコールの大合唱になった。「すみません、アンコールを強制しまして。では、もう2曲やらせて頂きます。最初の曲はサブウェイの皆さんと一緒に、ホテル・カリフォルニアを演奏したいと思います」。

  TAMA児玉のイントロのギターソロが始まった。途中からドン大泉のギターが加わる。そして、H君の歌が始まった。彼の歌に注目なのは勿論だが、この曲は児玉・大泉のツイン・ギターも売りなのだ。

  前夜祭でも良い出来だったが、今回は僕等の持てる力の最高を演じることが出来たのではないだろうか。H君のボーカルと言い、ツインギターのコンビネーションと言い申し分ない。僕は感動しながらドラムを叩いていた。

  言い過ぎを承知で言うが、僕はイーグルスと一緒に「ホテル・カリフォルニア」を演奏しているかの様な気分だった。終わって、TAMA児玉とドン大泉がガッチリ握手した。それを見て、彼等も僕と同じくらい感動しながら演奏していたのだと思った。TAMA児玉は僕にもH君にも握手を求めていた。会場は大きな拍手に包まれた。

  続いて、出演者全員がステージに上り、竹内マリヤの「人生の扉」(毎回の音楽祭のラストソング)を客席も一緒に全員で歌ってこの日の「AD音楽祭」を締めくくった。

  昨年参加したブルーグラスのバンドが業務多忙のため急遽参加取止めになったり、「セブンス・ウェスト」が何度か出場辞退のピンチに見舞われたり、「ダンディー・クイーン」のベースマンが、本番2週間前に出演不可能となってしまったり。おまけに予期せぬハプニングが起きたり。

  数多くの困難を乗り越えての「第5回AD音楽祭」だったからか、僕自身ステージ上でこんなにも感動したことは初めての体験だった。終了後の打上げ会が大盛り上がりだったことは言うまでもない。

  やって良かった、と心からそう思った。

  ご来場の皆様、本当にありがとうございました。 (音楽祭  ― 完 ―)

  フィナーレは「人生の扉」  会場全員で大合唱  Photo by Hashimoto

  フィナーレは「人生の扉」  会場全員で大合唱  Photo by Hashimoto

     ライブ終了後友人達とパチリ            Photo by Hashimoto

     ライブ終了後友人達とパチリ            Photo by Hashimoto

   K&K、7West のリードボーカルM君と      Photo by Hashimoto 

   K&K、7West のリードボーカルM君と    Photo by Tomodachi  

1月 20, 2013   7 Comments

音楽祭 (5)

  会場の大スクリーンに映る  Mr.Koba     Photo by Bella

   会場の大スクリーンに映る Mr.Koba       Photo by Bella

第4部 ダンディー・クイーン (ディスコ・サウンド)

1. ロング・トレイン・ラニング
2. ビーナス
3. 君の瞳に恋してる
4. ウィア・オール・アローン
5. アンチェイン・マイ・ハート
6. デスペラード

  MCは僕の担当だ。本日のテーマは70年代・80年代のディスコ・サウンドの再現であることを宣言し、大いに盛り上がるために客席全員に立って貰った。「当時のディスコで流行っていたアップテンポの曲を3曲続けてお送りします。皆さん踊って下さいね」。

  「ロング・トレイン・ラニング」が始まった。会場はアルコールも手伝って皆踊り出した。90人が一斉にディスコ・ダンスを始めると壮観だ。ステージ上から眺めると大きなうねりのように感じる。ダンス・タイムも、5回目の音楽祭にして初めてのことだ。ドン大泉がいい感じで歌い終わった。

  続いてK&Kが「ビーナス」と「君の瞳に恋してる」の2曲を歌う。2人の息の合った振り入りのボーカルが良い。2人共ボイス・トレーニングに通って喉を鍛えただけあって、声量充分だ。観客も乗りに乗って踊ってくれている。なんか、「KENTOS」で演奏しているような錯覚に陥る。

  大フィーバーの3曲が終わったところで、一旦皆さんに着席して頂いて、メンバー・紹介をさせて貰った。「何故K&Kかと言いますと、久美子&佳子だからです」「ドン大泉の『ドン』は、彼がどことなく闇の帝王みたいだからではなくて、イーグルスのドン・ヘンリーの声に良く似ていると言う人が約2名いましてね」とか、TAMA児玉、Mr.Koba、菊ちゃん、と次々紹介して、最後に僕が自己紹介。

  「そして、ドラムスは、私QP神童です。本名はジェームス神童と言いますが、誰もそう呼んでくれません。みんなQP、QPと呼ぶものですから、遂に自分でもQPを名乗るようになってしまいました」。

  ここからは、雰囲気を変えて静かなバラードをMr.Kobaが歌う。「ウィア・オール・アローン」。会場はと見れば何組かの男女が組んでソーシャル・ダンス、またはチーク・ダンスを踊っている。これも「KENTOS」風だ。

  次に、僕が歌う「アンチェイン・マイ・ハート」。再び、大勢が踊り出した。こうも盛り上がってくれると、とても歌い易いし、こちらまで乗せられる。いい感じで曲の中盤に差し掛かった。

  その時だった。スネア・ドラムの連打からタムタム連打に移ろうとしたら、タムタムの淵に右手のステッキが引っ掛かって空中に飛んだ。歌っている最中だから「アッ」とも言えず、歌い続けながら空中で掴めそうだったから右手を伸ばした。が、すんでのところで掴み損なってしまった。

1月 18, 2013   4 Comments

音楽祭 (4)

   第2部が終了したところで、30分間の休憩&食事タイムをとった。ここ「ブルースアレイ」はレストランとしての評価も高い店なので、来場者には食事もしっかり味わって欲しかったのだ。

第3部 サブウェイ (J-FOLK)

  第3部は2人組みのフォークバンドだ。バンド名「サブウェイ」は、地下鉄を意味するのではないそうだ。仕事に全力投球しながらも自分達は音楽を続けて来た。音楽が挫折や苦しみを乗り越えさせてくれて今があるという意味で、自分達の人生にとって音楽はとても大事なもう一つの道、「サブウェイ」、そういう意味だった。

  最初にT君とH君が夫々ソロでギター弾き語りをやってくれた。こういうアコースティック・ギター1台で歌うのも、バンド演奏の後だと、余計にしんみり聞かせる雰囲気が出て、とてもいいもんだ。

  僕個人の趣味で言えば、H君がギター弾き語りで歌ったビートルズの「ヘイ・ジュード」が琴線に触れたなぁ。多分、この曲を1人だけの弾き語りで聴いたのは初めてだと思う。ビートルズの曲もH君の料理により、また別の味と魅力が加えられたと思った。

 2013音楽祭 Photo   by   Bella

   2013 音楽祭   Photo by Tuzuki

  そして、今度は2人であのブザースフォーの「グリーンフィールズ」をしっとりとハモってくれた。高校時代にドーナツ版のレコードを買って擦り切れるほど聞いた思い出が蘇った。彼等の歌はあの時の再現をしてくれていた。2人なのに4人のハーモニーに聞こえたから不思議だ。

  彼等だけの6曲が終わって、僕とMr.Kobaがステージに呼ばれた。それ以降の曲を、ベース・ドラム入りで歌いたいと頼まれていたのだ。「また君に恋してる」「何もいえなくて・夏」「秋止符」などだ。

  こういう時のドラムって、物凄く緊張する。サポートに入る時は盛り立て役なのだから、歌う2人に付加価値を付けこそすれ、ミスって2人の足を引張ったり、歌い難くしたのでは何にもならない。

  音合わせも前日行なっただけだから、頼まれた7曲が全てどこでどんな「おかず」を入れるのか記憶し切っている訳ではない。メモ用紙と睨めっこのドラム演奏とならざるを得なかった。なので、硬い感じのドラム演奏になってしまったのはお許し頂くとして、ほぼノーミスだったと思う。

  そこ行くと、プロ並みを自任するMr.Kobaは、初見の楽譜でも、余裕しゃくしゃくでベースを弾いているから大したもんだ。何せ、今回の音楽祭の4ステージ全てに出演するのは彼だけなのだから。

1月 18, 2013   No Comments

音楽祭 (3)

       セブンス・ウェスト             Photo by Bella

       セブンス・ウェスト               Photo by Bella

 

第1部 セブンス・ウェスト(J-Pops)

  「夜空の向こう」「イノセント・ワールド」の2曲を披露した。アコースティック・ギター担当のW君が仙台勤務だったり、リード・ボーカルのM君が、兎に角、人生最大の多忙任務期に入っていたりで、なかなか全員揃ってのスタジオ練習は不可能なので、昨年と同じレパートリーならとこの2曲を演奏したのだそうだ。

  高音が良く出るM君のボーカルと、聴衆を引き付ける彼のMCの上手さとが相俟って、「音楽祭」のトップバッターの役割は充分以上に果たしてくれた。僕の感じでは、昨年よりもかなりレベルアップした印象だった。

  バンドの演奏の方も、Mr.Koba(AD軽音楽部最高のプレーヤー)のベースと、昨年からリズムの正確性重視のドラムに進化したT君のドラムとをインフラにした音楽は、頗る安定感があって安心して聴けた。

第2部 ゲスト・シンガーの競演

1. T.真紀    プライド     (今井美樹)
2. S.シゲル   わがまま   (上田正樹)
3. F.綾香    エブリシング  (ミーシャ)
4. F.綾香    遥かな人    (高橋真梨子)

  今回で5回目を数える「AD音楽祭」だが、ゲスト・シンガーの部を設けるのは初めての試みだ。言い出しっぺは僕だったので、何としても成功して欲しかった。こういう企画は下手すると「素人のど自慢」みたいなことになり兼ねず、「音楽祭」全体をぶち壊す恐れもある。

  そこで、僕が考えたのは、観客を驚かせるほどの実力者に限ることだった。3名のシンガーはその期待に充分応えてくれた。(バック・バンドは僕らダンディー・クイーンのバンド ―この時だけバンド名はOGサウンズになる―)

  緊張してガクガクしたという真紀さんも、どうしてどうして、なかなかの出来映えだった。一気に、これは「素人のど自慢」とは違うぞ、実力者が歌を聞かせてくれるステージなんだ、と思わせられたのではないかと思う。

  シゲルさんも、カラオケではなくて生バンドで歌う初めての体験にしては、堂々と歌い切った。ただ、上田正樹のブルースをムード歌謡に変えたことへの賛否は両論あったが・・・

  さて、第2部の真打ちF.綾香の登場だ。彼女は3年前の渋谷のライブハウスで行なった「第3回音楽祭」でデビューし、僕らのバンドのゲストとして3曲歌ってくれた。その音楽祭は、結局、彼女に全部持って行かれたと言われたほどの歌姫なのだ。

  本名綾子がステージ名「綾香」になったのは、彼女の歌った「三日月」が、本家の「絢香」を凌ぐのではないかと思わせる出来栄えだったからだ。

  「エブリシング」。年末の紅白歌合戦でミーシャが熱唱したというが僕は見ていない。後方でドラムを叩きながら彼女の歌を聴いて、さぞやミーシャもかくあるらんと思わせるから凄い。続いて、「遥かな人」。妊娠中を含め、この2年間はカラオケも含めて全く歌っていないと言っていたが、全く声量も声の艶も落ちていない。

  歌い終わったら、すかさず「アンコール」の声。観客の気持ちは良く分かるが、バンドが他の曲は練習していないので、これで第2部終了。

  ライブ終了後、何人もの友人が言っていたが「ゲスト・シンガーが素晴らしかった。本当にあいおいの人なの?」「プロ歌手みたい」「ゲストが凄かったから過去最高の音楽祭になった」等など、相当にインパクトが強かったようだ。

  僕自身は、4曲ともかなりドラムが複雑なリズムを刻む難しい部類に入る曲(共通する難しさ=8ビートと16ビートが混在すること)だったので、とても楽しむ余裕はないが、やってみて、まずまずだったかなと思っていた。

  が、打上げの席で、F.綾香から「『遥かな人』は少しテンポが速過ぎました」と文句を言われてしまった。うーん、そう言われればねぇ・・・・・

1月 17, 2013   4 Comments

音楽祭 (2)

音楽祭1

   2013 AD音楽祭 イン ブルースアレイ  Photo by Bella

  本番前日、僕ら「のどごし生バンド」の本拠地、横浜新子安「グレコ」で前夜祭ライブをやらせて貰った。常連客やいちげん客を前に、本番と同じステージを披露して、度胸を付けるのと、問題点を炙り出して翌日までに修正するのが目的だった。

  更に言えば、「音楽祭」の観客数を115名から90名に絞った関係で、チケットを入手できなかった人達に、前日「グレコ」で聴いて頂こうとの趣旨でもあった。

  こんな目的なのに、快く僕らに土曜日の大切な夜を空けてくれた大木さんには感謝しかない。ありがとうございました。

  この前夜祭ライブを組んでいたお蔭で、「セブンス・ウェスト」は、日中川崎の貸しスタジオで1年振りに全員で音合わせした上で、夜の「グレコ」でライブに臨むことが出来たし、ゲスト・シンガーと菊ちゃんを含めたバック・バンドの音合わせが出来たのだった。

  正にギリギリのタイミングで、何とか翌日の本番への見通しが立ったのと、何よりも、メンバー一人ひとりが自信を取り戻せたことが大きかった。

  当日は、目黒「ブルースアレイ」に午後1時に出演者が集合した。早速リハーサル。リハは4バンド合計で3時間行った。

  「セブンス・ウェスト」は、昨日のスタジオ練習・前夜祭ライブを経てのリハなので、なかなか堂に入っている。やっている方も、もう不安はないのだろうなと想像出来る。この日までに2度も出場辞退を僕に伝えて来たバンドとはとても思えない。

  ゲスト・シンガー達とのバック・バンドは「ダンディー・クイーン」のバンドだ務める(この時はOGサウンズという名前になる)。前日の前夜祭で、菊チャンは懸案の「エブリシング」のベースを苦戦しながら弾いていたが、この日のリハでは、全く問題なかった。

  今朝は早く起きて、個人練習して会場に乗り込んだという。その成果が間違いなく出ている。それにしても菊ちゃん、考えてみれば凄いこと。正月から個人練習を始めて前日(12日)、初めてバンド全員の音合わせして、本番を迎えるのだから、アマチュア・バンドではあり得ないことだ。

  それも、彼にお願いしたのは「エブリシング」だけではなく、ゲスト・シンガーの曲全曲(4曲)と「ダンディー・クイーン」の全曲(9曲)、計13曲を短期間に仕上げて貰ったのだから。

  4時半になった。開場時刻だ。お客さんが続々ホールに入って来た。バイキング形式のテーブルにオードブルが並び、カウンターではビールやサワー・カクテルなどが沢山のグラスに注がれている。

  開場時刻即食べ放題・飲み放題のスタートなのだ。僕らバンド・メンバーは、飲み放題の方だけ許されているので、僕は早速生ビールを頂いた。しかし、他のメンバーで飲む人は稀だった。僕の他にはもう1人のドラマーのT君くらいか。楽器を弾く手元が狂ったり、歌うのにのどの調子が変わってしまうことを心配している。

  だが、僕の属する別のバンド「のどごし生バンド」は、名前の通りに、演奏前に飲まないことなど、この世に太陽が存在しないことを想像することと同じくらいに難しい。以前、国際フォーラムに出演した時もNHKホールに出演した時も、楽屋にはビールの空き缶が溢れたものだ。尤も、ライブ責任者は渋い顔をしていたが・・・

  「ステージ前のビール」を10年近く続けると、ビール無しでステージに上がった場合、全くテンションが上がらないし、ただ固いだけのステージになる。体全体から「音楽の楽しさ」が滲み出なくなってしまうのだ。

  プロではないのだから、僕らが客席に伝えられるのは、テクニックや表現力や芸術性ではなく、唯一「音楽の楽しさ」しかないのだ。それにはビールが必要だ、と開き直って言ってみる。(誰も聞いていない)

  午後5時、いよいよ開演の時を迎えた。

1月 16, 2013   No Comments

音楽祭 (1)

                 2013 AD音楽祭              Photo by Bella

    2013 AD音楽祭              Photo by Bella

 

  1月13日(日)に、昨年に引き続き「AD音楽祭」(あいおいニッセイ同和損保音楽祭)を目黒の「ブルースアレイ・ジャパン」という、東京でも有数のジャズ・クラブで開催した。

  ここ「ブルースアレイ」は、米国ワシントンにある本店と同じ黒を基調とした誠にゴージャスな雰囲気を醸し出しており、壁面にはマイルス・デービスの直筆の大きな絵が3つも飾られている。絵の隣にはこれまた大型スクリーンがステージの左右2箇所あり、ステージの模様を映すのだ。連日連夜、日米のジャズメンが出演している所だ。

  こんな場所にアマチュア・バンドが立てるなんて、普通は有り得ない。実は13年前の出身会社の合併に伴う、事務とシステムの統合以来の盟友であるエイジ氏の息子さんのRKさんが、「ブルースアレイ・ジャパン」の社長と極々親しい間柄だと知って、昨年、彼に頼み込んでその場所での「AD音楽祭」開催を実現出来たのだった。

  そういう素晴らしいステージで、一度でも演奏出来たら本望と思って昨年やってみると、音響設備も頗る良いのは当然だが、PA技術者が正に音の編集長、曲調に合わせて音質を変えたり、バランスを変えてくれて、聞いていて誠に心地良い音にしてくれた。ドラムを初め借りた楽器もなかなかの高級品だった。

  みんな一回で本望と言っていたのが、実際に演奏してみると、もう一度どうしても「ブルースアレイ」で、となるのは人情か。RKさんに再び相談した。「じゃ、社長に聞いてみる」と言ってくれて、「ブルースアレイ」で2回目のライブが実現したのである。

  ただ、今回はお願いの条件が前回に比べかなり高くなったのに、RKさんが社長を説得してくれてクリアされたのだった。即ち、前回は、夕方以降通常の営業が行なわれるので、正午から16時までの空き時間を借りて行なった。店の営業に支障がないのでOKしてくれたのだった。

  だが、今回は、出演者達の要求も(我が儘も)高くなり、充分なリハ時間を取れる時間帯ということで、リハーサル13時~16時、開場16時半、開演17時~終演20時という、店側にとってのゴールデンタイムを使わせて貰う上に、チケット代も前回同様の金額でという、大変条件がきついお願いだった。その全てを飲んで頂いた。

  さて、「音楽祭」自体はどうであったか。これも、様々な問題を克服しての「音楽祭」だった。

  通常なら我々アマチュア・バンドは、本番の3ヶ月前くらいから月1回か2回のペースでスタジオ練習を重ねて当日を迎えるものだが、本社勤務の者達で構成したバンド「セブンス・ウェスト」は、その後の人事異動でメンバーが地方に転勤になったり、練習時間が取れないほど忙しくなったりで、一旦は出場辞退の申し出があったくらいに、直前まで出演が危ぶまれていた。

  また、今年は新たに社内で評判の3人のシンガーに出演して貰う「ゲスト・シンガーの競演」を企画した。彼等は全てJ-POPSを選曲したので、かなり凝った演奏が求められ(一般にJ-POPSは凝りに凝っている)、バックを務めるOGサウンズも苦戦しながらも、何とか完成させようとして来た。

  曲目は「プライド」(今井美樹)、「わがまま」(上田正樹)、「エブリシング」(ミーシャ)、「遥かな人へ」(高橋真梨子)。どれも演奏側としては難易度の高い曲だ。

  ところが、正月前に、ベースを担当していたSさんがある事情で当日の参加が不可能になってしまったのだ。さぁ大変。昨年までベースをやってくれていた菊ちゃん(軽井沢に住むことになっていた)に急遽頼んだ。

  彼は正月返上で猛特訓し、何とか本番に間に合わせようとしてくれたのだが、「『エブリシング』だけは短期間ではマスターするのは無理だからパスしたい」と言って来た。困った。本番の3日前に集まれる人だけで音合わせしながら確認しようと、貸しスタジオに集まった。

  昨年出演した、ブルーグラスのバンドは、今年は業務多忙で、既に出演を見合わせている。

  こんな状況で、「音楽祭」はやれるのだろうか? 主催者・出演者全体に不安が広がって行ったのは当然だった。

     2013 AD音楽祭              Photo by Bella

     2013 AD音楽祭              Photo by Bella

1月 15, 2013   6 Comments