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Posts from — 2月 2013

フレックス少額短期保険

       社内の「売上げ件数掲示板」   Photo   by   shindou

  社内の「売上げ件数掲示板」   Photo by shindou

   こんな名前の保険会社をご存知だろうか。東京で2年半前に開業した保険会社だ。まだ営業は東京に限られている上に、扱っている保険は、賃貸住宅の家財と生活する上での様々な賠償を担保する保険だから、全国的にも、また、一般の人にも無名に近いだろう。

  何を隠そう、この会社、K氏が創業して僕がシステム面でサポートしている会社だ。

  なので、何年ぶりかで宣伝めいた記事となるが、どうかお許し願いたい。

  今の日本経済、創業したからと言って簡単にビジネスが軌道に乗るほど甘くない。2年半は、なかなか当初描いた事業計画値に届かず、赤字の続くキツイ日々だった。だが、先月以降急カーブを描くようになり、今月は、遂に様相が一変した。

  冒頭の写真は、今月の目標(350件)と、月末の前日までの保険契約件数(629件)である。目標の1.8倍だ。500件超えも初めてだ(先月は427件)。最終日の営業活動次第では2.0倍も見えて来る。目標値を改める必要がありそうだ。

  月1,000件は大化けへの第一歩。もうひと踏ん張りだ。石に噛り付いても3年とは良く言ったもの。その通りに、あと1~2ヶ月で必ず達成すると社員全員が意気込んでいる。

  K氏と僕の2人は、ある大手損保会社出身で、それも30年40年という長い損保経験を持つ。

  しかし、そういう既成の損保マンから見れば、ビックリするほど斬新な保険会社としてスタートした。

  その第一は、これ以上ないシンプルな保険を世に出した点だ。家財の損害をカバーする保険は、損保の世界では「火災保険」である。ところがこの火災保険は、日本全国の各県ごとに火災リスクが違うことから保険料が異なり、また、建物が木造かモルタルか鉄筋コンクリートかでも火災リスクが異なるという理由で保険料が変わる。

  更に言えば、住宅専用の建物か店舗用の建物かでも異なるなど、細かい料率体系となっている。

  保険理論的には正しいのだろうが、低い損害率を考えれば、それはわざと保険を難しくしているとしか思えない。間違いの元だ。保険料適用誤りは後を絶たない。

  K氏はこれらの差異を全部取っ払い、全国一律保険料にしたのだ。建物の所在地も構造も用法も何も、全く関係ない。だから、引っ越しても保険料は全く変わらないので、どこへ行っても保険契約は有効なのだ。

  これは、損保の常識を根底から覆す大発明と言っても良い「快挙」ですよ。出身会社の仲間にこの話をすると、異口同音に「嘘!?」と言うのだから。

  第二には、不動産会社を窓口にするけれども、保険代理店をやって貰うのではなく、客が店頭のPC(空港にある保険販売機相当の簡便さ)に向かって行なう保険契約申込み操作を補助したり、客がPCではなくて紙の申込書に記入した場合は、それを預かって保険会社に送付する事務だけを委託するという点だ。

  保険商品がシンプルこの上ないからお客さんが簡単に理解出来るので、保険知識を持つ代理店さんは不要なのだ。

  このことは、もう一つ別の意味がある。損保業界で頭を悩ませて来た問題の一つに、不動産業の皆さんに代理店業務を行って貰う場合、人の入れ替えが激しく、代理店資格を取得すること自体が面倒な上に、代理店として客に正しい説明や、正しい業務処理が困難なケースが多発していた。

  これらは、監督官庁のチェックに合うと、コンプラ違反として摘発されることになる。だが、K氏の作ったビジネス・モデルは、不動産会社の店舗では、客に対して保険代理店として対応する必要が全くなく、PC操作指導と、書類の取次ぎだけで、その保険について客に一切の責任を持たなくてよい仕組みなのだ。(対価は代理店手数料ではなく業務委託料)

  第三には、客からの質問を初め、事故の報告、異動手続き、その他、客との連絡の一切は保険会社側のコールセンターが受け持つ。つまり、保険代理店の代わりに保険会社のコールセンターが全責任を持って対応するビジネス・モデルなのだ。

  以上、述べて来たように、「フレックス少額短期保険」のビジネス・モデルは、長い損保経験から多くの問題意識を持ち、それらを完全に克服した新時代の保険のあり方として世に問うたものである。

  2年半掛かったが、漸く、上記ビジネス・モデルの理解が進み、その良さが受け入れられ始めたところに、このモデルを大いに是とする生きのいい若手営業マン達がこの会社に参戦して来たことが相俟って新たな勢いを作り出している。

  さぁ、面白くなるのはここからだ!

無題

2月 28, 2013   3 Comments

68歳で3度目の結婚

    ライブハウス 「DRUM」 オーナーで ドラマーの三戸部純一氏

  ライブハウス「DRUM」  ドラマーの三戸部純一氏

  4ヶ月ぶりに、東中野の師匠の店(ライブハウス、DRUM)に行った。前回行ったのは学生時代、同じバンド・メンバーだったAのリサイタルの時だった。その後、僕の方の定例ライブに加え、高校同期バンドのライブやらAD音楽祭、加えて、猪瀬選挙応援などでスケジュールがとてもタイトだったからなかなか行けなかった。

  師匠というのは、実はその店に2人いて、一人は店のオーナーでプロ・ドラマーの三戸部さん(75歳)と、プロのジャズ・ピアニストの坂口さん(68歳)だ。坂口さんはAの師匠で、Aは坂口さんとは仕事の関係の付き合いが昔からあって、坂口さんに誘われてジャズ・サックスを始めた経緯がある。

  この店は、プロのトリオ(ピアノ・ベース・ドラム)が出演するが、彼等のジャズを聴きながら静かにお酒を飲むというスタイルではない。店に集まった客が彼等をバックに歌ったり楽器演奏したりするシステムなのだ。

  セッションと言えばセッションなのだが、異なるのは、ジャズ教室そのものなのだ。客は、譜面を3部持参(ジャズ・トリオ用)で参加しないといけないし、一曲演奏するのに600円払う必要がある。

  一曲終わると、三戸部氏より丁寧に様々なアドバイスがなされる。それを踏まえて2曲目となる。1ステージ一人連続2曲となるので1,200円、僕もAも2ステージ目もやるから2,400円、そのほかチャージや飲み物代が掛かるから、1回5,000円~6,000円見当となる。

  お客さんも、他のクラブで歌う前に、ここでウォーミングアップして行くプロのジャズ・シンガーや、これからプロのジャズ・プレーヤーを目指すセミプロの人達がレッスンを受けに来るから、レベルは相当高い。

  そういう場所で演奏するのは、正直かなり緊張を強いられるのだが、僕のドラムの良い点と改善すべき点とをズバッと言って貰えるのは有難い。更に、ドラムのレッスンを受けに来る客はそう多くないからか、三戸部氏は休憩時間にも僕にいろいろなことを教えてくれる。

  「ドラムは打楽器だから、精確にリズムを刻みさえすれば良い」というのは間違いだ。ドラムという楽器でその曲をどう表現するか、どう皆とグルーブするが大事なんだと仰る。日本には、プロのドラマーと言っても、ドラムで曲を奏でるということを知らないドラマーが多過ぎるとも。

  あのアートブレーキーから唯一直接指導を受けた日本人ドラマーから、「だから、自分が60年間やって来たことを、遺言として全部、神童さんに伝えたい」とまで言われては、サボらないで通わざるを得ないな。

  また、この店の余禄は、愛弟子となたったAの師匠坂口さんが、三戸部氏よりもっと辛口に僕のドラムを評しアドバイスしてくれることだ。彼からは、僕の「ハイハットの音がルーズだ、もっとキレ良く(踏んで)音を出すように」と言ってくれる。そうなのだ、自覚症状ありだ。もっと左足のつま先に意識を持たないといけない。

  この日は、 坂口さんから思わぬお願いをされた。4月最後の日曜日に結婚するので、そのパーティーに来て、演奏して欲しいと言うのだ。一瞬驚いたがそれは、いろんな音楽仲間が来て、セッションをやるので神童もAもセッションに参加して欲しいということだった。

  「音楽仲間って、皆さんプロ達でしょ?」と聞いた。「勿論そうだけど、全然心配要らないから。神童さんのお仲間も呼んで皆で楽しんで貰えれば嬉しい」とのこと。

  場所は「銀座シグナス」で、参加者一人3,000円ポッキリだそうだ。予定表に書き込んだ。

  「ところで、何回目の結婚ですか?」と僕は突っ込んだ。「えーと、3回目」。「お相手はお幾つの方?」「多分、神童さんも知っている人」「え?」「今日これから店に来るから」「?????」。

  現れた。そうだったのか。知っている。以前何回か一緒になったことのある、オペラ歌手出身でジャズを猛勉強中の女性だった。声もスタイルも良い秀麗な女性。そうか、ジャズの先生と教え子って訳か、なるほどね。おめでとう。それにしても坂口さん、68歳で3度目の結婚とは恐れ入りやした。

2月 26, 2013   No Comments

もうひとつの土曜日

        浜田省吾    ネットから取得した画像

        浜田省吾    ネットから取得した画像

浜田省吾の「もうひとつの土曜日」、この曲が、何故か今、僕の最も聞きたい曲第一位なのだ。この曲をご存じの人は多いことだろうが、恥ずかしながら僕は知らなかった。「浜田省吾」という名前だけしか。

その曲はカーラジオから流れて来た。確か首都高を走っていた時だったと思う。浜田省吾の特集だった。特に関心のあるミュージシャンでもなかったから、運転のBGMというくらいにしか思っていなかった。

「浜ショーをスターダムに押し上げたこの曲、『もうひとつの土曜日』をお聞きください」とパーソナリティーが言っている。「妙なタイトルだなぁ」、これが最初の印象だった。

曲が始まった。おぅ、これは聴いたことあるぞ。会社の後輩がカラオケで歌ったのを何度か聴いた記憶が蘇った。実に良い。へー、原曲はこういう曲だったのか。その時の僕の気分とシンクロしたのだろうか、心の奥の奥まで沁み通った。

早速家に帰ってインターネットで調べてみた。1986年のアルバム「j.BOY」に収録された曲だった。27年も前の曲だ。なのに、新鮮で切なくて。Youtube で何度聴いても飽きない。

週末にしか会えない男を好きになり苦しむ女性と、その彼女に思いを寄せる俺。そんな歌だ。女性の相手は妻子ある男なのかも知れない。男から何の連絡もなかった週末、友達から借りたオンボロ車で彼女を海に誘う。

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【 浜田省吾  もうひとつの土曜日 】

♪ 昨夜眠れずに泣いていたんだろう 彼からの電話待ち続けて
テーブルの向こうで君は笑うけど 瞳ふちどる悲しみの影

息がつまる程人波に押されて 夕暮れ電車でアパートへ帰る
ただ週末の僅かな彼との時を つなぎ合わせて君は生きてる

もう彼のことは忘れてしまえよ まだ君は若く その頬の涙
乾かせる誰かがこの町のどこかで 君のことを待ち続けてる

Woo 振り向いて
Ha‐Woo 探して

君を想う時喜びと悲しみ ふたつの想いに揺れ動いている
君を裁こうとするその心が 時に俺を傷つけてしまう

今夜町に出よう友達に借りた オンボロ車で海まで走ろう
この週末の夜は俺にくれないか? たとえ最初で最後の夜でも

Woo 真直ぐに
Ha‐Woo 見つめて

子供の頃君が夢見てたもの 叶えることなど出来ないかもしれない
ただいつも傍にいて手をかしてあげよう 受け取って欲しいこの指輪を

受け取って欲しい この心を ♪

【Youtube もうひとつの土曜日】

http://www.youtube.com/watch?v=qXf8s20fC00

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次の日曜日に、1月に行なったAD音楽祭の打ち上げ会がある。そこでこの曲をサブウェイのK君にギター弾き語りで歌ってくれるように頼んだ。彼も題名は知らなかったが、曲は知っていた。快く引き受けてくれた。楽しみだ。

このマイ・ブームの曲を、僕は1日1回聴かないと、どうにも落ち着かないのだ。昭和最後の名曲だと思う。

K君は、この曲を Youtube で聴いて、涙が出てしまったと言っていた。同感。何故か還暦過ぎを泣かせる名曲だな。

2月 24, 2013   No Comments

渋谷賢一という男

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渋谷賢一作品集という1冊の画集が、僕のところに届いた。全部見た。素晴らしい。

渋谷氏は、同じ会社の1年後輩だが、歳は僕より何年も上であることは、随分早い内に知っていた。だから、後輩だからと「渋谷!」と呼び捨てにしたことは一度もない。

何浪したのか知らないが、兎に角最後は一橋大を出た優秀な人だった。僕等は保険自由化の動きの中で、子会社方式による生保・損保相互乗り入れの解禁の時代に居合わせた。

彼は、損保会社に於いて、初めての生保事業を創業させる使命を帯びた謂わば新事業開拓のホープであった。僕は僕で、その新しい生保システムを、如何に安く構築するか、損保側のシステム部門長であると同時に、自身初体験の生保システム構築という新たなミッションを仰せ付かった身であった。

渋谷氏とも何度も話し、コストを最も安く出来るとしたら、それは、生保進出を考えている損保同士、何社かが組むことだと僕は主張した。

彼もそのことに理解を示した、と言うより、積極的に賛意を示し、何社かでシステム・コストを按分する方法が最も賢いと言った。

そうして始まったのが、損保業界始まって以来の、中堅損保7社による生保システム共同開発プロジェクトだった。これは、大手損保社が加わらない、ある種、損保業界に於ける奇跡と呼ばれる、伝説のプロジェクトの始まりであった。

損保大手はメンツもあって、生保進出に当たっては各社独自にシステムを作ろうとしていたが、それでも最終的には大手損保同士が手を結ぶという歴史的なことをも、僕等が誘発したのだった。

中堅7社による生保システム共同開発の、リーダーを務めたのは渋谷氏と僕だった。中堅損保の中では、僕等の損保会社がトップ企業だったからだ。そして社内で(社長に)7社共同開発(損保ライバル社との共同)を認めさせたのは渋谷賢一、彼である。

渋谷氏は、7社の経営企画部門を巻き込み、どんな形でも、まず、生保事業をスタート出来ること、その一点で各社をリードし、相棒の僕は、7社のシステム部門が各社各様の個別事情(我が儘)を言い出したら収拾が付かないのは分かっていたので、最小公倍数のシステム構築をプロジェクトの最大目標にすることで各社システムを説得し、最も安上がりなシステムを実現することに専心した。

そして、それは2年後、目出たく成功して、損保各社は生保事業に堂々と打って出たのである。1社でやれば最低100億円のシステム開発費用が掛かるところを、その7分の1で新事業進出が出来たのであった。

その渋谷氏が、60歳の時、スパッと会社を辞めて、好きだった油絵の世界に没入して行った。彼が開いた、銀座の画廊の個展にもお邪魔したが、素人趣味のレベルを越えているのを目の当たりにした。

その数年後に彼は肺癌で、アッという間にこの世を辞した。それから4年、彼の奥様が発行人となった画集が今日家に届いたのだ。それを見て、あれ程、早過ぎた渋谷氏の死を、悼み悲しみ儚んだ僕が、少しばかり心が晴れやかになった。

それは、その画集発行に、奥様のご主人に対する深い愛を見たからだ。4年経ったが今も奥様が渋谷氏を強く愛していることが、この画集を通じて直截に伝わって来た。

2月 23, 2013   3 Comments

何故女川は生き延びたか?

無題 

  民主党の野田政権は、「原子力安全・保安員」と「内閣府原子力安全委員会」を廃止して、新たに環境省の外局として独立性の高い「原子力規制委員会」をスタートさせた。その委員長以下のメンバーが、今月14日になってやっと国会承認された。

  テレビで見る限り、彼等の現在の最大の関心事は、原発の下を通る断層が活断層か否かの調査・判定のようだ。勿論、これは国民の生命が危険に晒されているのかどうか、極めて重大な事柄ではある。

  しかし、彼等が今、やらなければならない最初の仕事は、福島の原発事故を受けて、新たな安全基準作りではないのか。それがどんな方向で議論されているのか素人にはさっぱり分からないが、素人なりに妙だと思うことがある。

  話は、2011年3月11日に戻るが、僕はその時カミサンと海外旅行に行っていて、あの大地震と大津波の映像を見たのはウィーンのホテルのテレビでだった。名取の田園地帯を物凄い勢いで駆け上がる津波。言葉がなかった。

  学生時代僕は仙台に4年間お世話になった。最初に住んだのは仙台の南に位置する長町というところ。その隣が名取だった。だから、その映像は僕には故郷を襲う情け無用の外敵襲来のように思えたのだった。

  その2日後の朝だった。ホテルのテレビにやたらとチェルノブイリ事故の時の映像が流されている。何せ現地語だからさっぱり分からない。それでも、「ヤポネ」だか「ジャポネ」というアナウンサーの声と「オナガワ」という言葉が聞き取れた。

  「チェルノブイリ映像」と「日本」「女川」の3つを繋ぎ合わせれば、誰だって、女川原発で大事故が起きたのかと思う。名取が津波にやられ、今度は女川原発が大事故? 学生時代に僕は女川まで行ったことがあるから土地勘がある。仙台と女川は、確か50kmくらいしか離れていない筈と思った。

  そして、次に映像はNHKの海外配信映像に切り替わった。静止画だか「女川原子力発電所」という漢字のキャプション入りの写真だった。本当に女川原発が大事故を起こしたのなら、仙台は人が住めなくなるのではないか。僕の青春の町が消える。100万都市仙台が消える。日本はとんでもないことになると、大きな衝撃が僕を襲った。

  しかし、その夜、テレビのアナウンサーは「フクシマ」「フクシマ」と再三再四発音している。NHK映像も「福島第一原発」と漢字表示しているから間違いない。原発の事故は女川ではなく福島だったのだ。誠に不謹慎ながら、仙台はセーフだと思って、個人的に少しだけホッとしたのを覚えている。福島の皆さんスミマセン。

  津波や原発事故が気なって気になって、ウィーンの街はよく憶えていない。

  僕が違和感を抱くのは、原子力発電所の新たな安全基準を作るに当って、「何故、福島第一原発の事故は起きたか」(これも究明されたとは思えない)に集中し過ぎて、「何故、女川原発は事故を免れたか」が少しも検討されていないことに対してだ。

  石巻・女川・多賀城・名取近辺の津波は壊滅的被害をもたらした。福島第一原発を襲った津波の比ではない。地震も最も激しかった地域の一つだ。言ってみれば、女川原発は世界に何百とある原発の中で、最も激しい地震と巨大な津波に遭遇しても生き延びた原発だ。

  福島の失敗の教訓を生かすのも大事だが、「何故、女川原発は事故を免れたか」を解明することはもっと大切ではないかと思うのだ。何故なら、世界に点在する原発にとって、女川原発は、絶対に実験出来ない超過酷な環境に耐えたのだから、その貴重なデータは世界の原発の安全に多くの示唆を与えてくれる筈なのだ。

2月 21, 2013   No Comments

我が愛しのパター

無題 

  今年初めてゴルフに行った。例年だと正月休みに1~2回練習場に行って始動し、1月中に1度はコースに出るのだが、今年は異常に寒かったり、予定していた日が雪だったりで、初打ちは2月までずれ込んだのだった。

  今回、秘かに期待しているのは、正月に購入した新型パターだ。実は、昨年11月に店の勧めるパターを16,000円で購入して、4日後いそいそとホーム・コースに出掛けた。

  何故、パターを新調したかというと、僕らは通称「オリンピック」という1パットを競うゲームを行なう。昨年はそのゲームに殆んど負け続けたのが悔しくて、パットを買い換えたのだ。

  だが、その新しいパットは、前のよりもっとダメだった。店のベテラン店員があれだけ着き切りで見てくれて、彼が自信を持って勧めてくれたものなのに。

  正月休みに思い立ってその店を訪れた。あのパターは僕に合わないので下取りして貰おうと思ったのだ。そこは中古クラブの引き取りもしている。僕は、パターが下手なのは自分の腕なのに、クラブのせいにして買い換えたことを後悔し反省していた。

  同じ係員がいた。「あのパター、全然ダメだったから下取りして」と告げた。彼は、え? というような顔をして、「ここでパットして貰った時は、いい転がりしてましたけどねぇ」と言う。確かにそうだったけど、それがコースでやってみると、全くしっくり来なかったのである。

  僕は半額で引き取って貰えたら御の字と思って査定して貰った。5分後、彼が伝えてくれた「12,000円ですが宜しいですか?」。いいも何も8,000円ならいいかと思っていたから、「ハイ」と答える。

  12,000円という金額を聞いて、僕の反省はあっさり翻った。つまり、もっと良いパターを探そう、となったのだ。正月セール中ということもあって、いつもより2~3割安いらしい。今度は店員に聞かないで自分で次々に試して、最もフィーリングが合うものを選んだ。

  通常は22,000円を超える値段だそうだが、僕を待っていたパターは正月値段で18,000円だった。僕は先ほどの下取り価格に6,000円を加えて買うことにした。

  ここで、悲観主義か楽観主義かの違いが出る。悲観主義だとこのケース、1回しか使わなかったパターで4,000円損して、更に6,000円払って違うパターを買うなんて、10,000を捨てたようなもの、となる。

  しかし、楽観主義では、下取りして貰ったパターの元値16,000円+上乗せ6,000円=22,000円なので、11月に今回のパターを買っていたとすれば22,000なのだから損はなかったと前向きに捉える。

  当然僕は後者の思考で購入した訳である。

  結果は大正解だった。コースでは前半パットが好調で、5ホール終わって1パット4回。あとの4ホールは2パットだったから、前半のパット数は14だった。いつも20~22回なのと比べると圧倒的な改善だ。後半がどうだったのかは聞かないで欲しい。

  しかし、前半の貯金で、この日の「オリンピック」は久し振りに勝つことが出来た。打ちぞめの日の大きな1勝。今年は春から縁起がいいぞ。我が愛しのパターとなった。

  たかがパター、されどパター。うん、けだし名言だ。

2月 19, 2013   No Comments

第6回 ライブ イン グレコ

            MJx  Y君のハモニカ演奏①

            MJx  Y君のハモニカ演奏①

  先週末、横浜新子安の「グレコ」にて、6回目の「のどごし生バンド」ライブを開催した。この日ゲスト・バンドとして「MJx」(ミックス・ジュース)を初めてお招きした。  彼等は、立教大学ハモニカ・ソサイアティー(ハモニカ・ビッグバンド)の出身者達のバンドで、リード楽器がハモニカというユニークなバンドだ。

  当初、僕が想像したのは、5~6人のハモニカだけのグループかと思ったが、ハモニカ2本の他は、ピアノ・ギター・ベース・ドラム・パーカッション・コンガといった構成だった。

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            MJx  Y君のハモニカ演奏②

  僕らのライブでゲスト・バンドを呼ぶ時は、いつも彼等にも観客動員をお願いするのだが、今回の動員数は半端じゃなかった。

  40年前に大学を卒業した「MJx」の面々だが、大学のサークルはある種縦社会だから、先輩の威光が後輩や現役の部員達にまで行き届くらしくて、今回のライブへの入場予定者の数は凄まじかったのだ。

  「MJx」のメンバー8人に観客27人。「のどごし生バンド」メンバーも8人。店の常連客3人に僕の会社同期の連中が4人来ることが早い時期に決まっていた。それだけで50人。実は「グレコ」の適正収容人数35人、最大詰込んで40人だから、これだけで軽く定員オーバーだ。

  そこに、ライブ1週間前になって、僕が正月開けにライブに勧誘しておいたグループが6名が来ると言って来た。これで56人。さぁ大変。物理的にとても無理だ。さりとて、こちらから動員を頼んでおいた手前、お断りする訳にも行かない。

  一計を案じた。それは、出演者は出番でない時立ち席として、座席はお客様優先とすることで、来場者40名となり、座席はギュウギュウ詰めながら何とか収まる勘定となった。

  ところが、前日に「MJx」の関係者が「彼等の演奏時間だけ立ち見で良いから会場に入れて」と言って来た。もうどうにもならない。さすがに、「MJx」にお願いして、それは丁重に断って頂いたのだった。

  また、過去にライブに来てくれた人が、思い立って当日駆け付けてくれるかも知れず、来られても店に入れないので、前日に、無駄足になるので来ないでくれ、との趣旨で一斉メールを打ったりもした。

  ところが当日は今シーズン一番寒い日で、冷たい風も結構強く吹いていた事もあって、当日キャンセルがあり、バンドを除くと丁度適正規模の35人のお客様となり、それほど狭い思いをさせないで済んだと思う。主催者としては、ホッと胸を撫で下ろした次第。

  多摩でマンスリー・ライブをやっていた時からこれまで、観客動員にエネルギーを使って来たことを思えば、実に贅沢な悩みだったが、断られた人からはクレームが上がったり、それはそれで大変なライブではあった。

  肝心のライブの方は、第1部と第3部を「のどごし生バンド」、第2部を「MJx」の3部構成で行い、観客の暖かい声援などなかなか良い雰囲気のライブとなった。「MJx」の演奏終了後には、客席の女性から花束贈呈があり、大成功の「MJx」発表会だった。

  殆んどが「MJx」ファンで埋め尽くされているような様相だったが、観客は「のどごし生バンド」の演奏の時も大いに乗ってくれたので、とても気持ち良く演奏出来た。

      のどごし生バンド  マエマエ&神童       Photo by Hara

   のどごし生バンド マエマエ&神童    Photo by Hara

  「MJx」の個人的な感想を言わせて貰うと、まずMCが落語家のようで(勿論素人、高校の落研出身の60ウン歳)、40分のステージを通じて観客を飽きさせなかった。大いに笑わせて貰った。

  女性パーカッショニストのリズムがしっかりしていて、彼女のリズムが全体を引っ張っていたようにさえ感じた。大したもの。そして、ハーモニカで主役を演じた友人のY君。アップテンポのアドリブでは、リズムを外す場面もあったが、「G線上のアリア」は素晴らしかった。「G線上のGは爺かねぇ」なんて声も聞かれたけど・・・・・

  ともあれ、「MJx」、大勢の観客動員、ありがとうございました。いつかまた一緒にやりましょう。

            同期の仲間           Photo   by   Hara  

            同期の仲間           Photo by Hara  

2月 18, 2013   No Comments

音楽の力

 ミラノさん、後方はKondy、手前大木さん、左村山(見えません)
   ミラノさん、後方はKondy、手前大木さん、左神童(見えません)

                                Photo   by   kondou 

  先週土曜日、大木先生から頼まれて、新子安「グレコ」に行った。この日は、プロの女性ジャズ・シンガーの「シュリルさん」のライブだ。大木先生(ピアノ)と僕(ドラム)とはそのバックを務めることになっている。ベースは彼女が連れてくるプロのベースマンというふれ込みだった。

  店には着いたが、JRの遅れのため、僕はリハーサルに間に合わなかった。そして、聞けば当の「シュルリさん」が、昨日からインフルエンザに罹り、「ミラノさん」(やはり女性歌手、シュリルさんの友人)がこの日、代打出演するとのことだ。

  ベースマンは「Kondy」(近藤さん)という、ウッドベース・プレーヤーだった。京浜地区ではかなり有名なベースマンらしい。しかし彼が気難しいジャズメンでなくて助かった。朗らかな人だったから直ぐにフェースブック友達になったくらいだ。

  僕だけリハ無しぶっつけ本番だったが、彼のベースを聞きながらドラム叩けば良かったから、リズムが狂う心配はなかった。僕は安心してプロのベースを頼りにすることが出来た。大木先生も本番最初の曲はインストゥルメンタルで「朝日のようにさわやかに」という馴染みの曲にしてくれたのも助かった。

  ピアノソロに続き、ベースソロ、その次は4バースのドラムソロ。緊張感一杯ながら呼吸がピタっと合ったから、とても楽しかった。

  さて、「ミラノさん」の登場だ。1曲目は「バードランドの子守唄」。この曲は「のどごし生バンド」でもアンディーが歌うので、ドラムはお任せあれとばかりにブラシワークで彼女をサポート。

  2曲目はボサノバで「フライミー・トゥー・ザ・ムーン」。これも日常的によくやる曲なので、ベースと僕のバスドラのリズムを合わせることだけを意識して進めれば良かった。その後2曲歌い、「ミラノさん」の第一ステージが終わった。

  「ミラノさん」の歌声が素晴らしい。吐く息の100%が声に変換されているのを感じる。リズム感もとてもいいから、ドラムを気持ち良く叩かせて貰った。彼女の歌い方、好きだなぁ。

  休憩時間に彼女と話したら、保土ヶ谷にお住まいなのに、不定期ながらボイストレーニングのために多摩に通っていると言う。良く聞くと、何と、僕らが会社のバンドでよく使った「クイーン」というスタジオ所属の桐ヶ谷先生に指導を受けていると言う。

  人の繋がりって不思議だ。前の会社の女子社員が桐ヶ谷先生に指導を受けていて、その発表会(ライブ)でバックバンドとして付き合い、終了後、僕は居酒屋で桐ケ谷氏と酒席を共にしているのだ。

  それだけではない。2年前、「REJAN」というバンドを結成した時、今は亡きR子さんの先生も桐ヶ谷さんだし、その時一緒にバンドに入り、今も「のどごし生バンド」のボーカルをやってくれている亜希さんも、R子さんの勧めで桐ヶ谷氏についたから、ビックリするような繋がりだ。

  第2部も、「酒とバラの日々」「ザ・シャドウ・オブ・ユア・スマイル」など、馴染みの曲が多く安心して演奏出来た。彼女の良さは歌だけではない。MCが落ち着いた語りだし、声と言葉がキレイだからとてもいい雰囲気になる。

  ライブ終了後、大木さんが「神童さん、今日は完全にミュージシャンでしたよ」と言って、ギャラを渡すと言ってくれた(次回来店時)のだ。それで今日は、ミュージック・チャージが必要な日だったことに気付いた。お金を取るライブでドラム叩いたのだ。結果として、僕は随分図々しいことをやってしまったんだな。

  でも、もしギャラを頂けるのなら、神棚に飾らないと。何せ生まれて初めて頂くギャラだから。

  全くの私事だが、僕はこの2週間ほど気分が落ち込み、ブログを書く気にもならなかったのだが、このライブ・サポートを緊張感一杯で演奏してみたら、心の澱のようなものが、ものの見事に消えていた。音楽って不思議な力がある。やっと心のケジメが付いた。

2月 12, 2013   2 Comments