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無欲の人 熊谷守一物語

 無欲の人 (劇団民藝)  オフィシャル・ポスター

 無欲の人 (劇団民藝)  オフィシャル・ポスター

 

  芝居を見たのは何年振りだろう? 前回が、「グレコ」のシェフの万作さんの芝居「みのむし」を下北沢の小さな劇場に見に行って以来だから、かれこれ5~6年振りとなる。見たのは劇団民藝主催の「無欲の人 熊谷守一物語」という演劇だ。紀伊国屋サザンシアター(新宿駅南口)で上演された。

  実は、K君という会社の後輩で熊谷守一(くまがい もりかず)の曾孫に当る友人が、「取材に協力した関係からか、主催者が招待券を2枚送って来たので、一緒に行きませんか?」と僕に声を掛けてくれたので貴重な機会を得たのである。

  熊谷守一は猫が寝そべる絵で有名な洋画家である。1880年、岐阜県恵那郡付知村(つけち村。現・中津川市付知町)に生まれる。実家は材木問屋を家業とし、父は初代岐阜市長や衆議院議員を務めた人で、裕福な家庭だったらしく、1900年には東京美術学校(現・東京藝術大学)に進むことが出来た。

  だが、幼い頃から、実母と一緒ではなく、妾の家に預けられるという親の愛情から遠い世界で育てられた特殊事情もあったようだ。更に、上京して東京美術学校に入学した後実家が倒産し、その後の守一は赤貧生活を強いられる。

  舞台は、東京美術学校を主席で卒業後、おっとり構えてなかなか絵を描こうとしない守一を、仲間が下宿に訪ねて展覧会への出品を強く促す場面から始まる。

  芝居を貫いている守一の価値観は、正にそれだった。つまり、絵を描くということは、自分の心の内から自然と湧き出るものを描くことが全て、ということ。友人の画家達の絵が売れようとも彼等と競うために描くものではない。或いは、生活の困って金を稼ぐために描くものでも、画商の求めに応じて描くものでもない。はたまた、戦時体制の中、文部省の役人から戦意高揚のため描けと言われて描くものではない。

  これらの場面が随所に現れる。多分、守一は金のために絵を描くことは自身を貶める行いとの思いを強く持っていたのだろうと思う。「プロ」(高い能力を高く買って貰う)という世界とは相容れない、「芸術」の世界に身を置き、飽くまでも「芸術」に忠実であろうとしたのだろう。

  守一には5人の子供が出来たが、その内の3人を病で亡くす。その死に顔を描いた作品や火葬場からの骨を持ち帰る姿を描いた作品が、見る者に強烈な印象を与えるのは、そこに守一の心の内を見るからだろう。

  守一が俗っぽさから超越しているエピソードは、こればかりではない。娘の絵が小学校で一等賞を取った時も「子供達が描きたくて描いた絵に、一等も二等もあるものか」と怒り出したり、「先生に褒められたくてもっと上手く描こうと思うなら、描かない方がマシだわ」と娘を諌める場面もある。

  芝居のタイトルは「無欲な人」となっているが、僕には「貫いた人」という題名の方がシックリ来る。何を貫いたかと言えば、それは、俗世間に妥協せず自分の心の内から湧き上がるもののみに忠実でいようとする彼の芸術感だ。

  「君には欲というものがないのか?」と呆れる友人達に、「食欲もあれば情欲もあるわね」と言い返す守一。文化勲章の話が来ても「人のためや国のために何もしていないから辞退するわね」と屈託がない。

  K君からすると、文化勲章を辞退した本当の理由は「元々の守一の信念である、人と競わず、人にへつらわず、と相容れないからだ」と言う。人が人を量り評価するなどもっての外と思ったのではなかったか。僕はそんな気がする。

  しかしながら、文化勲章辞退の顚末は、日経新聞「私の履歴書」に書かれた面白可笑しいエピソード「私がお断りしたのは、騒ぎが大きくなって、これ以上沢山の方々が家にやって来られては目が回るし、そもそも、式に着て行く紋付袴を持ってないわね」をこの演劇でも採用して欲しかった。

  幼い子供が死ぬ場面など、客席も水を打ったように静まり返るが、そういうことではなく、何故か僕は涙を抑えかねていた。それは、やはり、戦前・戦中・戦後という激動の、それも価値観が180度変わってしまうような時代の移り変わりの中で、自分の価値観を守り通せた熊谷守一という芸術家の生き方に感動したからだ。

              「無欲の人」(劇団民藝)
              2013年6月20日(木)~7月2日(火)
              紀伊国屋サザンシアター(新宿南口)
              劇団民藝 044-987-7711

http://www.kinokuniya.co.jp/contents/pc/label/20130319112500.html

6月 26, 2013   5 Comments

F君復帰ライブ

   のどごし生バンド  2013.06.22   Photo by Maemae

 のどごし生バンド 06.22     Photo by Maemae

  僕ら「のどごし生バンド」は、横浜新子安の「グレコ」に於いて、第7回のライブを開催した。昨年4月に、バンド・メンバーの大木先生(直前の3月末、校長先生を定年退職)が「グレコ」をオープンしてから、定例ライブを行なって来て今回が7回目である。

  だが、今回のライブは、メンバーにとって特別に感慨深いライブとなった。と言うのも、1年程前から時々体調不良を訴えて、ライブも欠席がちだったフッ君が、入院・手術・自宅療養から、見事不死鳥の如く蘇りライブに復帰してくれたからである。昨年の12月8日のライブ以来、半年振りの復活劇だった。

  4月に幾つかのバンドと一緒に「グレコ一周年記念パーティー」を開催したが、自分達の定例ライブとしては2月以来と、久し振りだったこともあり自然と気合が入ったライブだったが、しかし、フッ君の復帰がメンバーには何よりも嬉しい出来事だった。

  第2部の最初の曲「マイアミ・ビーチ・ルンバ」は、イントロがフッ君のコンガを思いっ切りフィーチャーした曲にしてある。謂わばフッ君専用の曲だから彼がいない時は演奏しない。彼のコンガ・ソロが始まった時、他のメンバーもそうだと思うが、僕は胸と目頭が熱くなって困った。

    マイアミ・ビーチ・ルンバ  フッ君     Photo   by   Maemae

   マイアミ・ビーチ・ルンバ  フッ君       Photo by Maemae

  この曲は過去9年の間演奏して来ている曲だから、僕らのバンドのカラーとなっている曲でもある。半年振りの演奏は懐かしささえ感じながら、この夜は喜びの曲として演奏し終わった。

「のどごし生バンド」の演奏曲目

【第1部】

1.鈴懸の径
2.Lullaby of birdland
3.煙が目にしみる
4.Route 66
5.Dear old Stockholm
6.Smile
7.Sunny
8.Saving all my love for you

【第2部】

1.Miami Beach Rumba
2.黒いオルフェ
3.江戸ポルカ
4.若いって素晴らしい
5.真夜中のサンバ
6.月影のTokyo
7.Unchain my heart
8.Johnny B.Goode

 フィアート のお二人  Photo   by   Maemae

   フィアート のお二人       Photo by Maemae

  1部と2部の間では、僕等のライブの応援に駆け付けてくれた3組のミュージシャン達が美声を披露してくれた。僕らにはとても有り難い応援団である。最初に「フィアート」という名のデュオ。ご夫婦なのだ。だから息がピッタリ合った美しい声で歌ってくれた(なだそうそう、上を向いて歩こう、人生の扉など)。

  次は、K君。彼がギター&ボーカルを担当し、大学の同期生の男性がベースマンを務めた。懐かしいフォークソングに、浜省(もう一つの土曜日)や村下孝蔵(初恋)を歌ってくれた。どちらも僕がK君にリクエストしておいた曲だ。そういう曲をやってくれると言うのは嬉しいものだね。

    K君の「初恋」とご友人のベース    Photo  by Maemae

   K君の「初恋」 ベースのご友人と       Photo by Maemae

  最後は、店(グレコ)の常連客、女性郵便局長さんのジャズ・ボーカルだ。この時Oさんというこれまた店の常連客がドラム、店のオーナー大木先生がピアノ。それにK君がこの日のために呼んでくれた、Eさんというウッドベースのプロがトリオを構成し、そこにWさんのサックスが加わり、局長さんが乗りに乗って歌ってくれた。ミュージシャンの皆さん、大変ありがとうございました。

  ジャズ・クインテット 女性は郵便局長さん  Photo  by  Maemae 

 ジャズ・クインテット 女性は郵便局長さん    Photo by Maemae 

  また、事前の感触では、お客様の入りが今一つだったけれども、蓋を開けてみたら、思い掛けない人達も駆け付けてくれたお蔭で、結構盛況なライブとなりました。お越し頂いた皆様、大変ありがとうございました。

   のどごし生バンド 「鈴懸の径」      Photo  by  Maemae

   のどごし生バンド 「鈴懸の径」      Photo by Maemae

 

 超人気! アンディーのツイスト    by   Maemae

  超人気! アンディーのツイスト   Photo by Maemae

6月 25, 2013   2 Comments

結婚祝いのパーティー 後編 (再掲)

      銀座シグナス公式サイトより

      銀座シグナス公式サイトより

  「Aよう、朝日のようにさわやかに、行ける?」と僕は聞いた。「ダメ、やったことない。素敵なあなた、にしない?」とA。「大木さんいい?」大木さんに確認。OKとの返事。決まった。Aに、スタンバイまでの間何かマイクでしゃべるようにお願いして位置に着いた。

  Aは僕と大木さんを紹介してから自己紹介。そして、徐に後を振り向き「黒いオルフェでいい?」と聞く。あれ、また変わったの? 僕も大木さんも、OKの返事を返す。「それでは、黒いオルフェをお聞き下さい」と言って、オカリナでイントロ。大木さんのピアノが彼のバースを追い掛ける。

  Aと大木さんはこの日が初対面なのに様になってる。続いてAは、サックスに持ち替えてリズムに乗ってメロディー・ラインを奏でる。途中大木さんのピアノ・アドリブ、またサックスに戻って終了した。まぁ、とても楽しむどころでなかったし、アマチュアっぽさが全面に出てしまった筈だが、予想もしない組合せと予想もしない曲で焦りまくった割には、阿吽の呼吸が利いて何とかなった。

  演奏終了と同時に、司会者が「ありがとうございました」と言ったのに、Aが「もう1曲、あるから」と主張したので「はい、それでは2曲目どうぞ」となり、「素敵なあなた」を開始した。プロのグループが何組も1曲で交代して行ったのに、僕らが2曲だから。これがAの凄いところ。

  今度はベースソロが入り、その後の4バースのドラム掛け合いでは、冷や汗掻き掻き何の準備もないドラムソロをやるハメになったが、リズムをキープすることだけを念頭に既定回数のソロを終え最終のテーマに戻った。

  プロのドラマーが3人も登場した後だったので、ドラムソロのレベルの落差に恥ずかしさを沢山頂いてテーブルに戻った。でも、さすがは「銀座シグナス」。ドラムはシンバルもスネアもタムも凄く良い音だった。その音の気持良さだけは耳に残った。

  僕等の後は、第2部として、再び、坂口さん初めプロのトリオをバックに新婦Hさんのライブが始まり、6~7曲演奏してパーティーは終了した。

  坂口さん、Hさん、ご結婚おめでとう。

  店を出ると、どうしても大木先生とは反省会になる。新橋駅近くで焼き鳥屋に寄った。先生が言った。「外で飲みたかったんですよ」。彼が自分の店を構えてからは、こうして他所で2人で飲むのは1年以上振りとなる。

  「あの『銀座シグナス』で演奏出来たというのは大きな価値があります」とも言った。「出来栄えは兎も角」という言葉が略されているように感じはしたが。僕が言った。「それは私の台詞だよ。先生は同じ銀座界隈で毎日演奏してたんだから、特段の意味はないけど、私には大事件ですよ」。

6月 7, 2013   No Comments

結婚祝いのパーティー 前編 (再掲)

        銀座シグナス公式サイトより

            銀座シグナス公式サイトより

  僕がたまにドラムの指導を受けている東中野の「ドラム」という店がある。この店のことは過去何回か当ブログで書いた。学生時代のバンド仲間のAが、ジャズの手ほどきを受けた坂口さんというプロのピアニスト(つまり坂口さんはAのジャズの師匠)が出演する日に、僕にも「来ないか?」と誘ってくれたのがキッカケだった。なのだ。

  店のマスター三戸部さんは76歳のプロのドラマーで、僕が行くといつも大変喜んでくれて、一生懸命アドバイスしてくれる。そしてステージの合間には、坂口さんも僕にリズムで遊ぶジャズの面白さなどを熱心に教えてくれるのだ。

  行く度に、最低でも月1は通うべきだと思うのだが、この5年間を平均すれば2~3ヶ月に1度くらいのペースでしかない。なので、熱心に教えてくれる2人の師匠の言うことがなかなか身に着かなくて申し訳なく思っている。

  そんな時、坂口さんから結婚披露パーティーへのお誘いを受けた。68歳での再婚するのだと言う。ジャズの話をさせたら止まるところを知らずだし、冗談はポンポン出るし、何より彼のジャズ・ピアノは自由自在で華麗、繊細でエネルギッシュなのだ。

  そんな彼だから、物理年齢は68歳でも心身とも20歳は若いのではないだろうか。  奥様になられる方は、オペラ歌手として活躍された人で、数年前からは坂口さんに付いてジャズ歌手の道を目指していたHさんだと分かった。

  僕が「ドラム」に行った日に何度かご一緒したので、良く存じ上げている。でも、店では2人がラブラブだなんて素振は全く見せなかったから、ビックリしたのなんの。多分年齢は坂口さんより一回り以上はお若いと拝察する。

  「結婚披露パーティーと言ったって、音楽仲間を呼んで大セッション大会にするだけだから、神童さんもバンドのお仲間を連れて来て演奏してよ」と坂口さんが言うので、僕は「グレコ」のオーナーの大木さんに声を掛けた。

  会場は「銀座シグナス」という老舗のジャズクラブだ。若き日の大木さんは、このクラブの近くの何軒かのピアノ・バーで、プロのジャズ・ピアニストとして鳴らしていた。懐かしさもあってか、大木先生も出席したいと言ってくれた。

  当日は、「結婚披露パーティー」と言うよりも、新婦のHさんの「ファースト・ライブ」の趣だった。彼女のバックを務めるのは、ピアノの坂口さんの他、長髪のタキシード姿が如何にもアーティストの雰囲気のベースマン、それと、ドラムが今日の日本を代表するドラマーと言われる大野さんという豪華メンバーだ。

  Hさんも、クラシックでの舞台経験は豊富なので、初めてのジャズ・ライブに緊張した風も無く、気持ち良さそうに歌っていた。途中のMCでは、ご主人の坂口さんがいろいろな替え歌を歌うので、それを聞いちゃうと、元の曲はもう歌えなくなると言って、その1つを披露してくれた。

  「サントワ・マミー」の替え歌「三度はダメー」。場内大爆笑。坂口さんではなくて奥様が歌うから余計にインパクトが強かったのだろうな。僕も腹を抱えて笑った(都合により途中のパロディー歌詞は省略)。和やかな雰囲気で第1部が終了した。

  ここからは、集まった音楽仲間達がセッションをするコーナーだった。次から次と1~2曲で交代して行くミュージシャンは全部プロで、それなりに知られたプレーヤーも多いから誠に贅沢なステージである。ピアニストも、坂口さん以外の3人のプロが登場したし、ジャズ・シンガーも6~7名が代わる代わる登場した。

  坂口さんからは「演奏してくれ」と言われていたので、一応は、ベースマンにサポートして貰って、先生と僕で「朝日のようにさわやかに」を演奏するつもりで来たけど、こんな凄い人達の後じゃ、とてもじゃないけど出る幕ないよ。それに、もし呼ばれるとしたら彼等の前座の筈だから、幾らなんでももうないね。

  と思った週間、「次に、Aさん、神童さん、大木さん、お願いします」と司会の声。えっ、嘘! Aは師匠の坂口さんのピアノでサックスを吹くのかと思って、彼とは何も打合せしてなかった。

6月 7, 2013   No Comments

お詫びに伺う

 奥様と坂口氏(左) by 携帯

    坂口氏(左)と奥様     by 携帯

  1ヶ月以上前になるが、僕と大木先生がプロのジャズ・ピアニストの坂口さんの結婚披露パーティーに参加して、彼の弟子のAと一緒に演奏をしたことを当ブログに載せたことがあった。

  銀座シグナスで行なわれたパーティーには、プロの、それもかなりメジャーなミュージシャンが大勢参加していて、次々にステージに上がって1曲ずつお祝いの演奏をして行く中で、僕達アマチュアが図々しくも2曲演奏した模様などを書いた。

  ところが、後日、友人のAからクレームが付いたのだ。それは、僕がブログで「68歳の坂口さんは、これが3回目の結婚」と書いたことだった。坂口さんの結婚を知ったのは、東中野の「DRUM」という店に彼がピアノ出演している日に、セッション参加のためにAと一緒に訪れた時だった。

  その店の誰かが、「3回目の結婚」と言っていたような気がして、ブログにそう書いてしまったのだが、それが拙かった。坂口さんは2回目の結婚だったのだ。Aが言うには、坂口さんの音楽仲間が僕のブログを見て、「3回目の結婚だったんだね」と電話して来たので分かったらしい。

  新婚の奥様は2回目だと思っているのに、坂口さんが嘘を言ってたみたいなことになったらどうするの、とAに言われてしまった。他にも「奥様とは20歳は違うようにお見受けする」と書いたが実際は12歳の年齢差だったことも指摘された。

  僕は早速該当のブログを削除して、いずれ、「DRUM」に坂口さんが出演する日にお詫びに伺うことにした。

  先日、そのお詫びがやっと出来た。坂口さんは全くお酒を飲まない人だというので、フルーツをベースとしたお菓子を持参し、お詫びの印として無理やり受取って貰おうとした。

  その日は偶然にも坂口さんの「DRUM」最終日だった。そのため奥様(オペラ歌手からジャズ歌手に転身中)もご一緒だった。近日中に新婚旅行を兼ねて、長期間(数ヶ月間とのこと)フランスやイタリアや北欧に滞在する計画なのだそうだ。坂口さんがパリの小さな店でジャズ・ピアノを演奏している図が浮かぶ。

  坂口さんは「全然気にしていないし、結婚2回も3回も変わらないから」と言ってお詫びの印を受取ってくれない。奥様も「そんなこと気にしないで下さい。回数は関係ないですから」と言われる。

  そこで僕は「お詫びの気持に加えて、今日までジャズ・ドラムを教えて頂いたお礼の印です」と言ったら、やっと受取ってくれた。

  許しを得たことで気分が軽くなり、その後、いつものように、坂口さんのピアノとOさんのベースをバックに、Aのサックスと僕のドラムで4曲ほど気持ち良くセッションした。演奏しながら、坂口さんのピアノでセッション出来るのも今日が最後かと思うと、感慨深いものがあった。

  (削除したブログの間違いを正して再掲します) 

 学生時代のバンド仲間 A   by 携帯

 学生時代のバンド仲間 A   by 携帯

6月 6, 2013   No Comments

高校同期バンドのライブ

      ザ・タペストリーの演奏風景   Photo by Kouzu & Taka

      ザ・タペストリーの演奏風景   Photo by Kouzu & Taka

  経堂のジャズ・バーでプロに混じって3ステージのライブを行なった丁度一週間後、またまた経堂の店でライブを行なうことになった。今度は「ピック」という名前の店だった。ここは以前2度ほど、高校同期のバンド「ザ・タペストリー」のTAKAに連れられて来たことがあるライブ・バーだ。

  小さい店だが音響が良いのと、マスターがクラプトンの大ファンだというので話しが合うのが良い。ところが、この店の客がドラムをロック系の曲で力一杯叩くからだろうが、スネア・ドラムだけでなく、全てのタムタムやシンバルにガムテープがこれでもかと言うほど沢山貼られて、音が殆んど出ないようにしてあるのが玉に瑕だ。

  特にタムタムの表面は厚手の布をガムテープでしっかり固定しているから、幾ら叩いても布団を叩くくらいの音しか出ない。セッションをやったが、こうなるとこの楽器はもうドラムではない。全く気持が乗っていけない。

  「タペストリー」は年2回のライブ(6月と12月)を行なっているが、今度の6月のライブをその「ピック」でやろうという話になった時、僕は、あの消音ドラムではやりたくないので「ピック」以外が良い、と意見表明せざるを得なかった。

  だが、それを受けて、TAKAは店のマスターと交渉してくれて、当日だけ、ガムテープや布を取り払ってくれることになり、先日ライブを「ピック」で敢行したという次第だ。

  さて、この「タペストリー」、2010年11月に東京で行なわれた高校同期会の席上で、ひょんなことからバンドを結成しようという話になり、当日中に5人のメンバーが揃い、翌12月に最初のスタジオ練習を行なったのが始まりだ。

  その1年後に出身地長野で行なわれた同期会の会場のホテル・メトロポリタンで、45分間の演奏をさせて貰ったのが最初のライブだった。その後昨年の6月は新宿インド・レストランで、同12月には、猪瀬知事選応援の集会を兼ねて六本木のライブハウスで、そして今回の第4回のライブと続いたのだ。

  マッキー「闘牛士のマンボ」を吹く  Photo by Kouzu & Taka

  マッキー「闘牛士のマンボ」を吹く  Photo by Kouzu & Taka

  その間に、フルートやハーモニカ、女性コーラス2人組に男性ボーカルなど新たな参加者が加わり、現在では倍の10人の楽団員となった。当然ながら、全員、高校同期の者達である。ライブの観客も当然同期生達で埋まるのだ。ステージも客席も全員66歳というのは、よその人が見たら「有り得ない!」とか言われそうな光景だが、本人達には全く違和感がない。それどころか気持はあの頃に戻っている。

  高校や大学時代にバンドを組んでいた者達が、社会に出て散り散りになり、60歳過ぎてから再びバンドを組んで活動を開始するケースはままある。だが、高校時代、全員、違う部活をしてた者達が、60歳過ぎて初めてバンドを組み活動しているのは、日本広しと言えども我が「ザ・タペストリー」だけではないか。

  演奏技術が一流な訳ではない。歌に至っては、僕を含めて全員お世辞にも上手いとはとても言えないが、それでも、そこに醸し出される楽しさや、何とも言えない渋い味は、伊達に歳を重ねていないことの証しだと思う。

  今回は、初めて同期生以外の友人達も来場可としたので、僕が知らない人も多かった。ライブ終了後の彼等の声も、「とても良かった、楽しかった」「付き合いだから、とあまり期待していなかったけど、来て良かった」と言ってくれてたから、社交辞令だけではないように思えた。

  このバンドがモットーにしているサミュエル・ウルマンの言葉、「青春とは人生の一時期を指すのではない。心の若さを言うのだ」を、ある程度は実践出来たかなとも思う。

  しかし、個人的には、全部で18曲演奏した中で、17曲目までは全く疲れを感じなかったのに、ラストの「A列車で行こう」で行なったドラムのフリーソロ3分と、アンコールでも「A列車」のドラムソロから入ったのとで、全てのエネルギーを使い果たしてしまい、「青春とは体力だ」ということを改めて思い知らされたのだった。

    「え~、本日はお日柄も良く・・・」    Photo by Kouzu & Taka

    「え~、本日はお日柄も良く・・・」    Photo by Kouzu & Taka

6月 5, 2013   No Comments